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當流百番小謡

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『當流百番小謡』(河内屋儀助、文政六年三月:1823)。これはかなり前に買い求めたもので、小謡百番の歌詞が下段に、そして上の欄に「商売往来」「名字尽」「文字筆勢の心得」「当流幼児学問」「日本大都会地名」「当要字づくし」などの豆知識が詰まった二段構成になっており、上欄の随所に挿絵が配されている。

なにげなく手にとってパラパラとめくってみた。すると挿絵が、このご時世に、なんとものんびりした気分を誘う。まさに浮世離れの世界に導いてくれる。文政年間といえば、一茶の『おらが春』が成った(文政二)、伊能忠敬が大日本沿海輿地全図を完成させた(文政四)、シーボルトが来日した(文政六)、異国船の打払令が発せられた(文政八)というような時代。暗雲が近づきゴロゴロと遠雷が鳴り出しているが、まだまだ庶民は太平をむさぼっていたのかもしれない。以下の挿絵がそれを証明しているようにも思えてくる。

作者は蔀関牛(しとみ・かんぎゅう)、月岡雪鼎の門人で大阪堂島二丁目に住したという。生没年不詳。流暢ではないが、手堅いタッチで嫌いじゃない。

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薬屋(コロナに効く薬ないでしょうか)


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一杯やって踊ってます


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書き初めでしょうか


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偉い人(殿様?)


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そして花見のどんちゃん騒ぎ
(文政のころにはもうこうだったんですね)


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# by sumus2013 | 2020-04-13 20:15 | 古書日録 | Comments(0)

うたごえ喫茶 歌集

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うたごえ喫茶の歌集。いずれも文庫本の半分サイズ(75mm × 105mm)。まだまだいくらでもあると思うのだが、古本屋ではあまり見かけないように思う。これらの一部はちくま文庫版にも掲載しました(p346)。

『山小屋歌集5』(コーラスホール山小屋:豊島区西池袋東武デパート前富士銀行地下)
『カチューシャ愛唱歌集第4集』(カチューシャ:新宿区歌舞伎町、昭和34年9月30日)
『カチューシャ愛唱歌集第5集』(カチューシャ:新宿区歌舞伎町、昭和43年2月1日)
『白十字歌集 No.3』(うたごえコーナー白十字:豊島区巣鴨)
『白十字歌集4』(歌ごえコーナー白十字:豊島区巣鴨)
『白十字歌集5』(歌ごえコーナー白十字:豊島区巣鴨)
『牧場4』(歌声の店「牧場」:渋谷区宇田川町)
『牧場2』(歌声の店「牧場」:渋谷区宇田川町)
『炎歌集1・2合本』(歌ごえホール炎:京都四条寺町、昭和三十三年二月一日)

# by sumus2013 | 2020-04-13 19:34 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

APIED VOL.35 チェーホフ

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『APIED』VOL.35(アピエ、2020年4月5日)THEME:チェーホフ『桜の園』『三姉妹』他。本日到着。小生も「ヴォルガはカスピ海にそそぐ チェーホフ古本日記抄」を寄稿している。いつもながら執筆者それぞれのチェーホフ観、というか体験が語られていて、どの文章も興味深い。大正時代からよく読まれており、舞台はもちろん映画にもなっている。しかし意外とチェーホフの印象は薄いようだ。

小生もチェーホフはもうずいぶん前に、それこそ「桜の園」や「かもめ」を読んだことは読んでいたが、特段、強い印象はないまま記憶の中で風化していた。昨年までそうだった。この原稿依頼を受けてから古本屋でチェーホフを探しつつ、読み返してみると、これが十九世紀文学とは思えないくらい新鮮に感じられた。登場人物の名前(通称、愛称、正式名など)が覚えられないのがけっこう大きな障碍なのだけれども、その峠を越えさえすれば、やすやすとチェーホフ特有のいつのまにか人間関係が崩壊してしまう(というか元々幻だった)物語に入っていける。

街の草の加納さんが「ひとそろいのチェホフ全集」という題で坂東古書店の坂東芳郎氏について書いている。小生も一二度、加納さんや大安さんといっしょに坂東さんと話した覚えがあるが、八年前に亡くなった。五十代半ばだったという。坂東さんのあれこれを大正八年刊の『チェホフ全集』にからめて加納さんらしくつづっている。加納成治のエッセイ集つくりたいなあ・・・書肆よろず屋さん、どう?

APIED

# by sumus2013 | 2020-04-12 17:00 | 文筆=林哲夫 | Comments(6)

東中野モナミ

東中野モナミ_f0307792_16480057.jpg

『文学者』第一巻第二号(「文学者」発行所、昭和三十三年五月十日、表紙=宮田重雄)。この表紙裏(表2)に東中野モナミの広告が出ている。ノア版でも同じ『文学者』五十二号の広告写真を使用したのだが、この第二号には別の角度から撮った写真が掲載されていた。少し迷ったのだが、ちくま文庫版にはやはり元本と同じ写真を入れることにした。そこには「モナミ」の看板がはっきり写っているためである。

モナミ

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【『喫茶店の時代』立ち読みコーナー】

 丹羽文雄が主宰していた同人雑誌『文学者』は発行所が「十五日会」となっていた時期がしばらくある。毎月一五日に合評会を開くところにその名は由来しており、会場は東中野のモナミであった。昭和三〇年(一九五五)に例会費は二〇〇円。出席者はおよそ二〇〇名でビールまたは紅茶とケーキが出された。丹羽の他、火野葦平、石川達三、八木義徳らがメインテーブルを占め、ときには井伏鱒二、尾崎一雄などが姿を見せたこともあったという。その頃、芥川賞作家や候補を次々輩出し、新人の登竜門として『文学者』は最も有力な存在だった。モナミにおける合評会の熱気が想像される。

# by sumus2013 | 2020-04-12 16:57 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

台湾喫茶店

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「大典記念京都博覧会場内/䑓湾/喫茶店」というスタンプのある絵葉書の封筒、「FORMOSA TEA」と印刷されている。封筒(袋)というのが珍しいのではないかと思う。および絵葉書一枚(富士山の図柄)。スタンプが同じなので、大正四年に京都の岡崎で開催された博覧会で販売されたものに違いない。これらはちくま文庫版『喫茶店の時代』では使用していないが、台湾喫茶店の建物の写真は掲載したので直接ご覧いただければと思います。

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【『喫茶店の時代』立ち読みコーナー】

 台湾喫茶店は明治三八年(一九〇五)に竹川町(銀座七丁目)に開店し、後に尾張町二丁目(現銀座六丁目)へ移転した[1]。ウーロン茶を売る目的で作られ、お茶にお菓子が付いて一〇銭。ウーロンと通称され、七、八人の女給がサービスをしていた。初めは女給といわず「女ボーイ」という矛盾した呼称を使っていた。
《明治三十九年からの老舗であって、後藤、祝、大島、下村と台湾の民政長官が替る前から、台湾茶の普及に努めたもので、或る意味では日本最初のカフェーといって宜かろう。中沢安五郎老人がこのウーロン茶に注目したは、たしかに時代の先駆者で、今は東洋協会評議員、鉄道協会評議員、京成電車遊園地顧問、総房協会常務理事などに納まっている。初めてこの喫茶店が出来た頃には、後藤新平氏も遣って来たし、竹越三叉漁郎の如きは、事務所のようにして出入りしたものだった。その頃からウーロン茶の他に、四五種の洋酒もあったし、美味い洋食も食べさせたもので、お鈴、お幸などいう美人の女給がいたことは、前にも縷説した通りであります。》[2]
 台湾のウーロン茶が良質であることはよく知られており、三井合名会社も明治三一年(一八九八)に商品化を試みた。しかし結局、英国輸出をにらんだ紅茶製造へ転換し、昭和二年(一九二七)に「三井紅茶」として市場へ出すことに成功する。
 水上勉は次のように書いている。
《台湾喫茶店は、もと新橋の芸者だった人が明治三十九年に始めた店だという。銀座通りに面した六丁目、現在の小松ストアーとマヤ片岡美容室のある建物との間で、「タカゲン」のあるあたりかと思われる。》[3]

[1]安藤更生『銀座細見』(春陽堂、一九三一年)その他、明治三九年開店としている書物が多いが、『大阪朝日新聞』一九二二年一二月六日〜八日号に掲載された「銀座の烏龍茶」によれば開業は明治三八年(一九〇五)一二月である。セントルイス博覧会で農商務省が烏龍茶を宣伝するために喫茶店を出したのが発端となり、それを担当した中沢安五郎が銀座に店舗を構えることとなった。ウーロン茶にはミルクが入っており、最初は「変な茶を飲ます家」だと敬遠された。明治三九年(一九〇六)に上野公園で開催された共進会に出店、それが話題となって経営が軌道に乗ったという。以上は神戸大学経済研究所「新聞記事文庫」より。
[2]松崎天民『銀座』中公文庫、一九九二年。
[3]水上勉『宇野浩二伝』上巻、中公文庫、一九七九年。『日本珈琲史』(珈琲会館文化部、一九五九年)には《経営者は後藤新平の民政党時代にその秘書をしていた人で、この人に金を出してやつて初めさせたということだが》とある。それが中沢安五郎であろう。

# by sumus2013 | 2020-04-11 19:58 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

春の古書大即売会 中止

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みやこめっせの即売会は予想通り中止となったようだ。残念だが、目下の状況では、室内の即売会を開催するというわけにもいかないだろう。日本の古本屋メールマガジン296号にも各地の中止情報が掲載されている。南陀楼氏のシリーズ「古本マニア採集帖」には『田端抄』の矢部登さん登場!

第15回 矢部登さん 静かに書誌をつくりつづけるひと



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もうひとつショックなこと。寺町通り松原上るの梁山泊が今年秋をもって比叡平へ移転するとのこと。それまで準備のために月・火・水を休むそうだ。張り紙が出ていた。小生はゴミみたいな客ではあるが、ずっとひいきにしてきただけに、寂しいものがある。50円の文庫棚がなくなってしまうとは・・・100円均一のコーナーがあったときにはいろいろ楽しい買い物をさせてもらった。秋までしげしげ通いましょう。

# by sumus2013 | 2020-04-10 20:27 | 古書日録 | Comments(0)

神戸パウリスタ

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この小冊子は外国人旅行者のための日本ガイドである。『Book on Travel in Japan / A guide to Shops, Hotels and Resorts』(1937)、編集人は B. Andrew。

古書店の店頭で手に取った瞬間、この冊子には何かあるな、と思った。案の定、神戸パウリスタの珍しい図版が出ていた。見つけたときには狂喜したものだ(しかも右側のページには大阪道頓堀のキャバレー・マルタマの写真もある)。「KOBE PAULISTA/Very Popular and Hight Class/RESTAURANT & TEA ROOM/Tor Road(Sannomiya Shrine)/TEL. : SANNOMIYA 943-3098 」。これは図版として使いたかったが今回は見送った。パウリスタは情報量がかなり増えてしまったためである。というわけでここで公開しておきます。

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【『喫茶店の時代』立ち読みコーナー】

 神戸三ノ宮にパウリスタができたのは道頓堀店より早い大正元年(一九一二)である。
《三ノ宮喫店は二回の焼失に遭っており、初めは鉄道路に面した角地の小さな木造洋館であったが、一九二〇年(大正九年)に一度目の火災に遭い、翌年、三宮神社北のトアロード沿いに再建された。二代目の店舗は地下一階、地上三階の近代的なビルディングで、正面上部の白壁には「カフェーパウリスタ」の屋号と、商標である「星と女王」。カウンターはタイル張り、ボイラーも備え、大理石をふんだんに使ったモダンな建物に生まれ変わり、新たに併設したレストランは三ノ宮喫店の名物となった。》[30]
 パウリスタ三ノ宮喫店に勤務していた畔柳松太郎は開店当初をこう振り返る。
《三ノ宮の繁華街に開店してパウリスタの店は、非常に人目を惹きました。ただし、当時の日本人にはコーヒーはまだ余り馴染めなかったので、日本人の客はほとんど入って参りません。客の大部分は外人で、殊に第一次大戦がはじまる前でしたから神戸にはドイツ人がたくさん住んでいて、よくコーヒーを飲みに来ていました。》[30]
 神戸出身で早稲田の学生だった浅見淵の小説「漆絵の扇」に初期のパウリスタが登場している。主人公は小説を書こうとしている大学生。作者自身であろう。大学に入った当座は夏休みに神戸へ帰省するのが楽しみだったが、だんだん億劫になってきたというところから始まる。
《じつさい、私は神戸へ帰つて二三日もすると、すつかり退屈してしまふのだつた。顔馴染のカフエや小料理屋は無いし、中学時代の友達もたいてい疎遠になつて、ひとりか二人しかゆききしてなかつた。それで、一週間に一度金曜か土曜かの晩にヒリツピン人のバンド付きで映す、オリエンタル・ホテルの活動写真を見に行くとか、海岸通のエム・シー薬舗で二円五十銭で買つて来たアツシユのステツキを振回しながら、汗みどろになつて裏山を歩き回るなどといつた気紛れを除くと、大方昼寝をして暮した。そして、昼寝に倦きると毎日のやうに、トーア路をとほつて三ノ宮のステイシヨンへ出掛け、そこで二三種類の東京の新聞を買求めて、トーア路が鉄道の踏切を越えたところにあるカフエ・パウリスタに引返し、一二杯の珈琲と一二本の安葉巻をたのしみながら、隅から隅までその二三種類の東京の新聞にゆつくり目を曝した。》[31]
 浅見の年齢からして大正七〜八年頃のことであろう。その他、一〇歳から神戸で育った今東光が自らの青春時代を描いた『悪童』にもパウリスタは登場しているし、新開地本通りの扇港薬局を営んでいた二二歳の横溝正史は元町にあったブルーパゴタの紅茶とカフェーパウリスタの少し泡立った珈琲を愛飲したという。また、昭和一四年(一九三九)、神戸市観光課の委嘱を受けてパウリスタのビルディングを写真家中山岩太が連作『神戸風景』の一枚として撮影している[32]。三ノ宮喫店は、オーナーが代った後、二度目の焼失によって三代目の店舗となり、屋号も神戸パウリスタに変更された。そこは第二次大戦後の占領下でダンスホールとなり、非常に賑わった時期もあった。現在もその場所(神戸市中央区三宮町二)にパウリスタビルとして名前が残っている[30]。

[30]『神戸とコーヒー 港からはじまる物語』神戸新聞総合出版センター、二〇一七年。
[31]『辻馬車』一八号、波屋書房、一九二六年八月。
[32]西秋生『ハイカラ神戸幻視行 紀行篇 夢の名残り』神戸新聞総合出版センター、二〇一六年。

# by sumus2013 | 2020-04-10 20:27 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

明りの名所

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しばらく『喫茶店の時代』で参照した資料の一部を紹介してみたいと思う。

まずは『明りの名所 東京及近郊』(社団法人照明学会、昭和六年四月十五日)および『京都 大阪 神戸 明りの名所』(社団法人照明学会/照明知識普及委員会関西委員会、昭和八年十月一日)の二冊。どちらも某氏より提供いただいた。深謝しかない。前者(上の写真手前)からは「銀座カフエータイガー」の写真を、後者からは「ブラジレイロ」の内外装写真を使わせてもらった。

後者には、喫茶店やカフェーがかなり掲載されている。上記以外に、不二家(大阪心斎橋)、明治製菓(大阪心斎橋)、日輪(神戸市湊川)、赤玉(大阪道頓堀)、カフエーマルタマ(大阪西櫓町)、南海喫茶店(大阪難波新地)、アラスカ喫茶店(大阪中之島)、菊水館(京都四条大橋東詰)、不二屋喫茶店(神戸市元町通三丁目)、フルツパーラー(神戸市元町通一丁目)が見られる。照明の本なので外観は夜景ということになり、それもまた貴重な記録であろう。

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大阪南区心斎橋・不二家の二階(上)と一階


【『喫茶店の時代』立ち読みコーナー】

 天野忠は京都四条通りにあったブラジレイロを《あすこのコーヒー、濃い味がうまかった。そこでね、すみっこの方に(当時、富貴に出ていた)式亭三馬がしょぼんと、きてたのをよく見ました。》[11]と覚えている。富貴は京極通りの寄席。ブラジレイロ京都店は昭和六年(一九三一)四月五日に河原町富士ビルに開店した後、同年末頃同じく四条河原町招徳ビルへ移っていた。御旅町というのは現在の高島屋百貨店の並びになる。後述するブラジレイロの宣伝雑誌『前線』にはこう紹介されている。
《月形龍之介こゝを愛し、その一党先づ和製ホリウッドのシネアストに先んじてこゝを占居したとの声あり。此の新らしい珈琲の家は映画人に学生諸氏に舞子嬢に文学青年に一率に愛され、豊住支配人は毎日多忙を極めてゐる。》[12]
 ただし天野の印象とは違って、ブラジレイロのコーヒーは下等な豆を用いた苦味の強いものだったという意見もある[2]。

[11]和田洋一+松田道雄+天野忠『洛々春秋 私たちの京都』三一書房、一九八二年。天野は《四条河原町へんをぶらついた。角っこの大きな硝子窓のブラジレイロ喫茶店に入っていくと、うすぐらい席にポツンと式亭三馬が坐っていた》とも書いている(「かんかん帽子の頃」『そよかぜの中』編集工房ノア、一九八〇年)。
[12]「関西喫茶店前線点景」『前線』三二号、日本前線社、一九三二年三月。
[2]耕八路『珈琲と私』葦書房、一九七三年。

***

# by sumus2013 | 2020-04-09 19:59 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

喫茶店の時代見本到着

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数日前に見本が到着しました。ちくま文庫には、これまで『誤植読本』(共著・表紙絵)や『書斎の宇宙』(表紙絵)、『書斎のポ・ト・フ』(表紙絵)でお世話になりましたが、単著で出してもらうのは初めてです。編集工房ノアから初版が出たのが二〇〇二年ですから、時間の経つのはなんと速いことでしょう。初版には不備も多く、もう少し早い時期に改訂したかったのですが、思うようにはなかなか進まないものです。その意味でも有難いことです。

元本の構成はそのままに(目次は全く同じです)、かなり情報量を増やしました。三割り増しくらいでしょうか。骨格を変えなかった分、註にくり込んだ追記の分量が多くなりました。誤植や間違いの訂正も気づいた限り行いました。図版の点数は元本よりも少ないですが、その後発見した貴重な写真(さまざまな方々に御協力いただきました)を精選して配しています。このブログでも紹介した『ニコニコ』の中澤安五郎や、まだ紹介していない道頓堀のカフエーパウリスタ絵葉書、ブラジレイロの京都店(店頭と店内)写真、昭和九年の新宿喫茶店地図など、ちょっと珍しいと思います。

書店に並ぶのは今週末頃からでしょう。ネット上でも十日前後から購入できるようです。新型コロナ謹慎中にぜひご一読を、どうぞよろしくお願いいたします。

# by sumus2013 | 2020-04-08 17:31 | 文筆=林哲夫 | Comments(2)

宮崎修二朗 神戸文学史夜話

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宮崎修二朗翁が四月一日に亡くなられた。宮崎翁について知るには以前紹介した今村氏の著書に勝るものはない。

今村欣史『触媒のうた 宮崎修二朗翁の文学史秘話』

その今村氏が神戸新聞に追悼文を寄稿しておられる。氏のブログに再掲されており読むことができる。


ここではやはり『神戸文学史夜話』(天秤発行所、昭和三十九年十一月十五日)を取り上げておきたい。昨年来、阪神間で大正から昭和戦前期に活動した詩村映二という詩人であり、活弁士だった人物を調べておられる方がおられて(無名の詩人を掘り出す奇特な方、だいたい想像がつくと思いますが、いずれ発表します)、その相談にあずかっていたのだが(一方的に話を聞いていただけです)、本書にも二箇所、詩村映二の名前が出ている。

一箇所は、昭和十年ごろまでに神戸とその周辺から出た詩誌を羅列したページに

《「驢馬」詩村映二・10》(p92)

とある。『驢馬』は詩村の出していた雑誌。10は昭和十年創刊の意味である。もう一箇所は昭和二十年から現在までの動向を述べたくだり。昭和二十八年に発足した「半どん」の会について。

《当初は映画を中心に語り合うことから文化一般に話題の波紋をひろげてゆこうというねらいでしたが、やがて季刊誌「半どん」を発行し、神戸を中心とした文化人三〇〇名を擁する大世帯に成長し、行事として、文化、映画、美術、文学の四部門の新人や功労者に賞を贈る顕彰事業も継続しています。》

運営委員は、小倉敬二(神港新聞主筆)、木下繁(元神戸市消防局長)、香西精(元甲南高校教授、兵庫米穀社長)、小林芳夫(神戸証券取引所理事長)、仲郷三郎の六氏で、

詩村映二がはじめ事務に当り、編集委員に、前記小倉、仲郷のほか、及川英雄(著書に「心あらば」「俗談義」他)改田博三(著書に「上方ヌード盛衰記」)桐山宗吉(著書に「ふるさとの祭」)詩人小林武雄の諸氏が当たっています。》

詩村は、戦後、ほとんど目だった活動はしていなかったそうだが、『半どん』の事務方をやっていた。宮崎氏の簡潔な書きぶりが小気味いい。神戸の文学史に志すなら、まず本書を通読しなければならない、そんな書物になっている。

《著者略歴 みやざき・しゅうじう[ママ] 大正一一年一月長崎市に生まれた。本籍は佐賀県藤津郡嬉野町、昭和二六年神戸新聞入社。いま、出版部長のかたわら「のじぎく文庫」の編集長。主な著書に「文学の旅・兵庫県」(神戸新聞社刊)「ふるさとの文学」(日本詩壇社刊)「兵庫県文学読本・近代篇」(のじぎく文庫刊)「兵庫の民話」(未來社刊・共編)「四国・瀬戸内海」「北陸・山陰」(中央公論社刊・共同執筆)など。現住所芦屋市翠ケ丘町。》(『神戸文学史夜話』より)

# by sumus2013 | 2020-04-07 20:10 | 関西の出版社 | Comments(4)