人気ブログランキング |

林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
巴里アンフェール
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
more...
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
有難うございます! 同じ..
by sumus2013 at 07:47
架蔵する正宗得三郎/画家..
by 倉敷から遠いで at 21:08
ロバート・レッドフォード..
by sumus2018 at 16:12
「グレート・ギャツビー」..
by 大島なえ at 12:36
そのへんの作家を読みたく..
by sumus2013 at 07:25
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


レッテル通信

レッテル通信_f0307792_16340131.jpg
ここしばらくの間に頂戴したり、自分で見つけたレッテルを紹介する。まずは南天堂のレッテル。『喫茶店の時代』の挿絵(p253)にも使ったが、またこれは別物を一枚をちょうだいしました。


レッテル通信_f0307792_16335190.jpg

古川さんの冷蔵庫/須賀章雅
http://sapporokosho.la.coocan.jp/wordpress/?page_id=137


レッテル通信_f0307792_16334787.jpg

オヨヨ書林と文学堂書店
https://ameblo.jp/oldstudent/entry-12567785384.html


レッテル通信_f0307792_16334445.jpg

山田書店
https://www.yamada-shoten.com


レッテル通信_f0307792_16333921.jpg
雑司が谷周辺にあった古書店の歴史
https://ouraiza.exblog.jp/9239662/


レッテル通信_f0307792_16333553.jpg
広告に顔をださなかった店主たち(5)
https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/highway/120401.html


レッテル通信_f0307792_16332921.jpg


レッテル通信_f0307792_16332681.jpg

一粒社というとヴォーリズだが、名古屋の一粒社書店についてはよく分からない。下のような出版物があるらしい。

愛国心と基督教
太田十三男編 名古屋 一粒社 1936



# by sumus2013 | 2020-04-24 17:19 | 古書日録 | Comments(0)

ちくま 2020年5月号

ちくま 2020年5月号_f0307792_17340318.jpg


『ちくま』2020年5月号(ちくま書房、令和二年五月一日)に「『喫茶店の時代』ちくま文庫版について、および「青木堂」新資料」を寄稿しました。久しぶりのちくま原稿です。拙著の宣伝、および書中に収めることができなかった「青木堂」について書かれた文章を引用しています。その文章の載っている資料のコピーは初版の頃から持っていたのですが、この記述をうっかり見過ごしており、収録できませんでした。うかつにもほどがあります。

さて、久しぶりに『ちくま』の目次をながめると、小生が表紙を担当していた十年前から続いている連載は、岸本佐知子「ネにもつタイプ」と穂村弘「絶叫委員会」だけのようである。また、当時は佐野眞一氏が毎号巻頭にデンと存在を示しておられたが(この巻頭随筆は『ちくま』の伝統のようなものだった。たしか、かつては、なだいなだ、堀田善衛らが担当していたはず)、今は、そういう重しのような重鎮の言葉はいらないということか。バックナンバーの目次をみると、二〇一九年二月号までの橋下治が最後で(死去のため終了)、それ以降「巻頭随筆」は掲載されていないようだ。それはそれでいいと思う。ただ、やっぱりガンコジジイ(ババアでもけっこうです)の巻頭言を読みたいな、という気がしないでもない。

PR誌ちくま

# by sumus2013 | 2020-04-23 20:17 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)

ベケット短編集

ベケット短編集_f0307792_17500308.jpeg


SAMUEL BECKETT『THE COMPLETE SHORT PROSE 1929-1989』(Grove Press, 1995)、これも善行堂で求めた一冊。

コロナ禍のなか、ふと、ベケットのゴドーを読んでみようという気になって、八年前に買った『waiting for godot』を棚の奥から取り出し、何日かかかって読み終えた。まったくもって、いまさらながらの感想ではあるが、「傑作」だ。

『waiting for godot a tragicomedy in two acts』

『magazine littéraire』No.372 ベケット特集号

どう傑作なのか、とうていつたない筆ではつくしがたいとしても、個人的には、ラッキーという不思議な人物(奴隷のような役目)がいきなり喋り出す、そのマシンガントークというか、C-3POの長広舌じみた、意味不明の長ゼリフが圧巻だと思った。この版で三頁にわたっている。ここを劇場でどう演じるかでその舞台の善し悪しが決まるだろうな、と思うくらい。

それでベケットをもう少しと思って上の短篇集を買ったのだが、これはまだ齧りはじめたところ。序文でゴンタースキ(S.E.Gontarski)がジョン・バンヴィル(John Banville)は《「FIRST LOVE」(1946)はこれまで書かれたほとんど完璧に近いショートストーリーだ》と述べていると書いているので、とにかく「FIRST LOVE」を読んでみたが、カンペキに近いとはとうてい思えなかった。ただ、不思議な作品であることは間違いなく、ゴドーに少し似ているところもある。ベンチで待ったり、何でも忘れたり、根菜が好きだったり。

そうそう、いちばんオオッと思ったのは次のくだり。

《To relieve oneself in bed is enjoyable at the time, but soon a source of discomfort. Give me a chamber-pot, I said. But she did not possess one. I have a close-stool of sorts, she said. I saw the grandmother on it, sitting up very stiff and grand, having just purchased it, pardon, picked it up, at a charity sale. or perhaps won it in a raffle, a period piece, and now trying it out, doing her best rather, almost wishing someone could see her. That's the idea, procrastinate. Any old recipient, I said, I don't have the flux. She came back with a kind of saucepan not a true saucepan for it had no handle, it was oval in shape with two lugs and a lid. My stew pan, she said.》(p41)

ここだけ読んでも妙な小説(小説とは限らないが)でしょう? 問題は《chamber-pot》。これが以前引用したジェイムズ・ジョイスの『室楽』(Chamber Music)の駄洒落に通じているのではないか? ジョイスと知り合いだったし。まあ、これは単なる牽強付会というものかも。単純に、実際そういうシチュエーションがベケットにあったと考えるべきか。

エゴイストプレス版『室楽』

いずれにせよ、さまざまな読み方のできる、あるいは読まれるのを拒んでいる風でもある、作家だということは確かのように思われる。


# by sumus2013 | 2020-04-22 20:11 | 古書日録 | Comments(0)

〈美しい本〉の文化誌

〈美しい本〉の文化誌_f0307792_21124324.jpeg


臼田捷治『〈美しい本〉の文化誌 装幀百十年の系譜』(Book & Design、二〇二〇年四月二十五日、ブックデザイン=佐藤篤司)読了。まさにブックデザインの教科書というべき内容である。

〈美しい本〉の文化誌 装幀百十年の系譜

ここ二十年ほどの間に装幀に関する展示や書籍が数多く出版されてきた。紙の本の終焉が叫ばれるのと歩調を合わせているようにも思われる。本書は、その成果をしっかりと踏まえ、これまでの著者による「美しい本」追求の総決算のような趣に仕上がっている。

《わが国の近・現代装幀史の光芒をたどる初の試みであると自負するものであるが、あらためてその裾野の広さと分厚い歩みに感銘を深める。》(あとがき)

《これまでの装幀が内にたたえていた、世界的にも並びないに違いない豊穣な本質を総合的に検証すべき時が来ているのであり、本書がその内実を明らかにすることで未来を見通す一助となることを願ってやまない。》(同前)

未来を見通せるかどうかは読者しだいかもしれないが、その材料は、これ以上ないくらいに開陳されており、ある意味、百十年間におけるさまざまな時代の考え方が、作例とともに「言葉」のエッセンスとして示されている。要するに、多くの人たちの装幀に関する発言を丹念に拾って、ここぞという部分を抜き出して教えてくれる。そこからおのずから近現代における装幀の変化とそれにまつわる言説の変遷を(あるいは変わらない部分を)知ることができるのだ。この腑分けのメスの確かさが本書の読みどころであろう。

小生も装幀史に関してはそれなりに注意してきたつもりだが、いろいろと教えられることが少なくなかった。

例えば、

《一九三二年に刊行された未来派のリーダー、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティの詩集『未来派の自由態のことば』は金属板へのリトグラフ印刷であり、それを金属チューブで綴じるという特異な造本である。》(p127)

というくだりを読むと、どうしても佐野繁次郎の金属板を貼付けた『時計』(創元社、一九三四年)や小石清の『初夏神経』(一九三三年)との関係を連想してしまう。マリネッティにそんな詩集があったのかと思って画像検索してみると、それほど直接的に佐野や小石に影響を与えたようには見えないが、金属板を書籍に使うという発想そのものが時代の尖端であったことは分かる。

また書籍の用紙について論じた「装幀は紙に始まり紙に終る」も勉強になった。たしかに紙を選ぶということはデザイナーにとって最も重要な決定の一つである。そういう自覚を持つ、恩地孝四郎、志茂太郎、長谷川巳之吉、亀倉雄策、江川正之、野田誠三、細川書店らをマテリアルへのこだわりの観点から論じてこう結論するところなど、なるほど、そうだと膝を打った。

《こうして見てくると、用紙理解の深まりはわが国におけるモダニズムの定着とほぼ軌を一にしていたと要約できるだろう。先覚者たちの用紙への着目は、旧弊および旧来の美意識から脱け出ようとする「近代の意識」の所産であった。》(p143)

そういう意味で紙とその紙を開発したデザイナーとの関係はじつに興味深い。

原弘 
アングルカラー NTラシャ 新局紙

田中一光 
タント 里紙 Mr.B

矢萩喜従郎
ヴァンヌーボ

これらは今も使われており、ヴァンヌーボ、タント、里紙あたりは小生も頻繁に指定しているが、たしかに、そう言われてみると、紙の風合いの違いが時代相の違いを反映しているように感じられてくる。他に菊地信義の考案した紙というのも一時期よく使ったことを思い出す。

装幀家が装幀する本を読むべきか、読まないでもいいのか、この問題についても様々な意見が拾われており、非常に参考になる。人それぞれの方法論があり、読み込んだからいい装幀ができるわけでもない。そこが難しいところ。ただ、これは言えるだろう。

《「書かれている内容はおなじでも、活字や紙質、行間や天地の空白によって言葉の表情が変わる。組版の変更しだいで、最初の出会い以後、幾度も読み返してきたなじみのある世界が、大きく変容するのだ」》(p233)

堀江敏幸の『傍らにいた人』(日本経済新聞出版社、二〇一八年)からの引用である。本好きなら誰しもが感じることだ。これは言い換えれば、

《「組版の造形そのものに言語伝達の本質があるわけではありまあ[ママ]せん。けれども書体の形をはじめとする組版の造形には、時代の感性と技術、歴史の記憶、身体が感知する圧倒的な量の非言語情報が存在しています。テキストは、これら非言語情報によって『形』を与えられ、視覚言語としての機能を果たすことになるのです」》(p255)

という白井敬尚の発言(京都dddギャラリーでの個展冊子)になろうか。字や紙が変われば、同じテキストでも違う読まれ方をする・・・テキストの変容。いや、テキストというものを仮に「魂」とすれば、そもそも「肉体」がなければ存在し得ないわけだから、装幀(造本)こそがテキストそのものであると考えても何の差し障りもない。このあたり、真剣に突き詰めてもいいかもしれない。

時節柄、ぎょっとしたのは橋口五葉についてのこのくだり。

《残念なことに五葉は壮健な体質ではなかった。木版画家としての大成を待つことなく、流感がもとで大正十年(一九二一)、四〇歳の若さで彼岸に旅立った。》(p92)

流感というのはスペイン風邪の何波目かの流行だったのだろうか。みなさん、くれぐれも気をつけましょう。


# by sumus2013 | 2020-04-21 21:20 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ほんまに20 本を売る

ほんまに20 本を売る_f0307792_17075577.jpg

『ほんまに』20(くとうてん、2020年4月20日)が届いていました。紹介が少し遅くなりましたが、神戸の書店さんたちの今のようすがよく分かる特集になっています。

雑誌「ほんまに」vol.20

連載陣も本好きにはたまらないものばかり。小生は『喫茶店の時代』の宣伝をさせてもらっている。初版の感想というか、読者校正の手紙を十通ほどもくださった方について。

平野昌義さんの連載「もっと、奥まで〜」は俵万智『牧水の恋』を取り上げている。そこにこんな引用があって、なるほどなあと思った。

こよひまた死ぬべきわれかぬれ髪のかげなる眸[まみ]の満干る海に
〈フランス語ではオーガズムを「小さな死」と表す。そういう意味を含んだ「死ぬべきわれか」ではないかと思う。〉

「小さな死 petite mort」をフランス語のウィキで調べると、いろいろな用例があるようだが、ここでいう場合はたぶんバタイユの「マダム・エドワルダ」からの影響かもしれない。

Locution utilisée en 1937 par Georges Bataille dans Madame Edwarda pour désigner l’orgasme.


# by sumus2013 | 2020-04-20 17:21 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)

ラ・パボーニ

ラ・パボーニ_f0307792_19554528.jpg


兵庫県西宮市に「ラ・パボーニ」という喫茶店があった。主人は洋画家・大石輝一(一八九四〜一九七二)。一九三四年、阪急夙川駅近くの西宮市千歳町の住宅街に開店した。

《白壁のモダンな建物の内部は壁、天井などがすべてキャンバスで、大石のアートだった。野坂昭如の「火蛍の墓」にも登場し、放浪画家山下清が暮らしたこともあった。
 大石の死後も妻の邦子さんが店を守っていたが、震災で建物は壊れて解体。》

作品や資料類は常連や親戚の人たちが運びだし、北新地のパブ「カーサ・ラ・パボーニ」に飾られたり、絵葉書にして伝えられてきたという。邦子さんは一九九七年に八十八歳で死去。九九年に資料集が発行され、大石が一九五〇年代に発行していた冊子『PAVONI』を復刻して収録した。以上は『朝日新聞』(夕刊)一九九九年一二月九日号より。

ラ・パボーニ_f0307792_19580467.jpg

その『PAVONI』の現物を二冊(3、4号)と創刊号、2号のコピーを街の草さんでわけてもらった。『喫茶店の時代』の初版に使えればと思ったのだが、使わずにそのままになっていた。ちくま文庫でも増補できなかったので、ここにわずかだが紹介しておきたい。

創刊号は一九五四年四月、大石の発刊の言葉にはつぎのようにある。

《地球上の出来ごとは、次から次へと、結論を目的としない諧謔的な問題を発明することに忙殺して居り、これをお互に何日までも戦争の罪だとして、等閑して居れない時が参つたように想うのであります。さらばで御座います、サテどうしましょしよう。
 そこでパボーニ倶楽部でパボーニ会が誕生致しました。お互い集つて、放談自在のうちに肯定・否定を自づと定め、"良き感覚と良識"を高め、生活に理想の光明を求め築き、恵愛に満ちた全き自由な日々の暮しを念願とするものであります。》

《パボーニ会に並行してパボーニ倶楽部の仕事と致しまして、パンフレツト・PAVONIの発刊はパボーニ会々員の方々から寄稿下さいましたものを主体と致しまして、倶楽部でお目にかゝらない未知の皆様へ、友愛をこめての握手で御座います。》

二号に見える大石の「僕のサンチマン」によれば《東京を根城に洋画研究に精進していた私は、関東大震災を蹶起として、今を去る三十年前『大社村石刎』現在の西宮市に、六甲のスカイラインを友として移住したのであります。》とのこと。その直後、美術館建設を計ったが、挫折し、今ふたたび、今度は、複製美術館を建てようと、自らの作品頒布して資金を調達しようとしている。一部の複製はフランスに註文したとも書かれている。

各号の執筆者の名前だけざっと拾っておく。

1号 一九五四年三月
大石輝一、故字寛(洋画家)、朝倉斯道(神戸新聞会長)、小林よしを(会社員)、伊田清之助、南波辰夫(極東航空)、清水保雄(市会議員)、松木南海、加藤忠松(演出家)、国友俊子、沢田国子、谷林義雄

2号 一九五四年四月
増野正衛(ギル衣裳論翻訳)、小林よしを、新井完(洋画家)、亀井勝治郎、山崎三郎(歯科医)、仲郷三郎(増田製粉勤務)、山口雅生(白鶴美術館)、故字寛、梅乃屋主人(與本末次郎)、大石輝一、朝倉斯道

3号 一九五四年五月
大石輝一、小林よしを、橋本正一(神戸市図書館長)、原田譲二(日本観光バス社長)、清水保雄、新井完、中村伸郎(文学座)、山木康子、山口雅生、延原句沙弥(神戸新聞社専務)、高木定夫(歯科医)、西本珠夫(尼崎高校教諭)、故字寛、谷林義雄(洗濯業)、野村三千代(野村卓二夫人)、南波松太郎(元東大教授・古地図蒐集家)、金田豊(食品業)

4号 一九五四年六月
大石輝一、南波辰夫、加藤忠松、三津田健、賀原夏子、故字寛、池永孟(池永美術館)


ラ・パボーニ_f0307792_19575922.jpg
3号より


パボーニについて詳しいことが下記の「KOBECCO」サイトに出ていました。

夙川に文化の薫香を放った幻のカフェ パボーニ物語


ラ・パボーニ_f0307792_17085269.jpeg
発売中です!


# by sumus2013 | 2020-04-19 20:06 | 喫茶店の時代 | Comments(8)

我思古人

我思古人_f0307792_17171030.jpeg

昨年、善行堂で『我思古人』百部本の第九一番を入手した。本書のコピーを頂戴したときに内容は紹介しているので、詳しくはそちらをご覧いただきたい。

我思古人

我思古人その2

本書には田辺徹宛ての挨拶状が挟まれている。田辺は評論家で『回想の室生犀星』(博文館新社、二〇〇〇年)などの著書があるようだ。成安造形大学学長だったとも。コロナ隠遁中の気休めというか、ぼんやり眺めて一休みするにはもってこいの一冊。

我思古人_f0307792_17170408.jpeg


我思古人_f0307792_17165993.jpeg
一琴一硯之斎



我思古人_f0307792_17165486.jpeg
我思古人


堀辰雄は徐文長について本書の「追記」でこう書いている。

《「我思古人」といふ印は明の末葉の詩人徐文長の手刻したものである。
 徐文長の伝記は袁仲郎全集に書かれてゐる由で、小山正孝君がそれを抄して送つてくれた。たいへん不遇な、苦しい生涯を送つた詩人らしい。(あとで鷗外漁史が既に「かげくさ」の中でこの不遇な詩人と独逸の詩人クライストとを比べてゐることを知つた。)その詩には一種の鬼気があつて、唐の李長吉をおもはしめるものがあるといふ。》

徐文長は書画にも巧みで小説も戯曲も書いている。青木正児にも「徐青藤の芸術」という一文があるそうだ。

《「我思古人」の印には、「己卯小春日、天池」といふ款がある。彼も晩年には書屋に藤を植ゑたり葡萄棚を作つたりして、その居を青藤書屋と名づけて、自適してゐた。その青藤書屋に池があつて天池と名づけてゐた。》

《「我思古人」といふのは詩経のなかの一句であるが、かういふ詩人の刻したものとすると、何か一層感じの深い語のやうに思へる。この印は私も一生大事にしてゐやう。》

先日取り上げた張岱「自為墓誌銘」じつは徐文長(一五二一〜九三)の「自為墓誌銘」にならったもののようである。

張岱は同郷の先輩徐文長に深く傾倒していた。いま残る『徐文長逸稿』二十四巻は、張汝霖(岱の父)と王思任(一五七五〜?)とが選評し、張岱が校輯したもの。その王氏の序(『王季重先生文集』巻二に載せる)によると、張元抃だけでなくその子の汝霖も徐文長と親しく交わっていたというから、岱も幼いときから、この人の並みはずれた文才と画才、そしてその奔放強烈な人となりについて、父祖から親しく聞かされていたことであろう。》(入矢義高『中国詩文選23 明代詩文』p187)

「奔放強烈な人となり」というのは本書の印形からも分かるような気がする。本書に付された徐渭(文長)の小伝に

《古文辞を善くし、書は則ち米芾を学んで行草に長じ》

とあって年初に掲げた米芾の拓本を思い出した。こちらもまた奔放であろう。

「西掖黄樞近東曹紫禁連」

# by sumus2013 | 2020-04-17 20:22 | 古書日録 | Comments(0)

善行堂へサイン本搬入

善行堂へサイン本搬入_f0307792_20573585.jpg

コロ休の善行堂へ。『喫茶店の時代』(ちくま文庫)サイン本を持参した。ネット善行堂で注文が殺到している(!?)とか。送料は何冊買っても300円均一だそうで小生の本も『本の中の、ジャズの話。』とセットで注文してくださるお客さまが多いのだとか。有難いことです。

古書善行堂

善行堂へサイン本搬入_f0307792_21014409.jpeg

# by sumus2013 | 2020-04-15 21:02 | 古書日録 | Comments(0)

明代詩文

明代詩文_f0307792_17162688.jpeg

入矢義高『中国詩文選23 明代詩文』(筑摩書房、昭和五十三年三月三十日)。均一棚から読んでみたいと思ってピックアップした一冊。明代の文学についてはほとんど何も知らないから、理解するのが難しいと言えば難しいが、日本、とくに徳川時代の漢詩文に影響を与えたのが明末清初の文学潮流だということは想像ができた。例えば、江戸時代を通じてベストセラーだった『唐詩選』は元はと言えば明で流行したもの、というような具合である。

扱われている文人は、劉基、楊基、高啓、李夢陽、帰有光、袁中道、鍾惺、譚元春、張岱、艾南英、金聖歎、である。かろうじて張岱は以前『陶庵夢憶』を取り上げたことがある。

陶庵夢憶

だからというわけでもないが、「ある隠者の生と死ー張岱「自為墓誌銘」ー」がひときわ面白く読めた。「自為墓誌銘」は読んで字の如く自分で書いた墓誌銘である。

《さて、この「墓誌銘」は七十四歳のときの作である。おそらく死期が遠くないことを予想して、みずからまとめたおのが一生の清算書、いわば人生貸借表のようなものである。まず三十年前の若かりしころ、名族の御曹子に生まれての贅沢三昧、クセントリックなまでの享楽ぶりを、主人公を第三人称にした形で追想することから始める。》

《「梨園数部を蓄えた」とは、お抱えの役者の一座がいくつもあったこと。「鼓吹」は音楽、これもお抱えの楽隊があったのだろう。「茶淫橘虐」は茶マニアと蜜柑きちがい。「書蠹[しょと]詩魔」は書物の虫と詩の鬼。彼はたいへんな読書家であったとともに、すごい蔵書家でもあった。》

張岱の蔵書については『陶庵夢憶』をすでに引用した。「詩魔」というのは白居易が自ら詩作に熱中した往年を振り返ったときに用いた語だという。「詩という魔性のもの」という意味。

《こうして労碌[あくせく]と自嗜しまくった彼の半生は、今やすべて夢まぼろしと化してしまった。一六四四年に、明王朝は事実上崩壊し、翌年六月、揚州を陥れた清軍は江を渡って浙江に侵攻してきた。年五十になった彼は、家を捨てて会稽の山中に隠れ住んだ。その山は、『思復堂文集』によると臥龍山とあるが、剡渓の流域の奥まった山であるらしい。壊れた寝台、割れた机、欠けた鍋、病んだ琴、それにおんぼろの本が数帙、欠けた硯が一つだけ。麻の着物に肉なしの食事、それさえ満足に取れぬ日が多い。三年前を回顧すると、まるで別世界のことみたいに思われる。》

「其の生を知る、何ぞ必ずしも死を知らん」(高鳳翰「自為壙銘」)・・・高鳳翰も明の遺民であった。

さらに艾南英「前歴試巻自叙」を取り上げた「受験地獄体験記」もじつに面白いが、長くなるので略する。明代の科挙のようすがよく分かる。

# by sumus2013 | 2020-04-14 17:23 | 古書日録 | Comments(0)

神戸元町本庄


神戸元町本庄_f0307792_17083526.jpg


「本庄」は『喫茶店の時代』には登場しない店だが、季村敏夫氏が情報を提供してくださったので、ここに掲出しておく。神戸元町三丁目山側にあった。本庄は映画も製作しており、例えば、鈴木重吉[しげよし]監督の「闇[くらやみ]の手品」(一九二七)は本庄映画研究所の作品だった。本庄商会は一九二三年一月設立、代表は本庄種治郎。映画部はカメラ五台を所有し外国映画の配給も手がけた。

《大正時代、長兄種治郎、次兄憲三郎らカメラ好きの兄弟が生家の呉服店を写真商に変えた。鈴木重吉は大学在学中から芸術写真家として知られ接点があったとも考えられる。
 広告をたどると、事業の拡大ぶりが分かる。神戸新聞フィルム・ニュースを担当し、24年には日本アルプスを撮影。26年に電気部を新設。照明器具、花、漢方薬の販売やファウンテンルーム(喫茶室)に加えて、27年にはグリルを開業。39年からは「本庄映画場」を元町4丁目高架下で経営した。》(「キネマコウベ 日本映画史余話7」『神戸新聞』2016年4月23日号)

神戸元町三丁目山側は現オカダ洋傘店だそうだ。三星堂ソーダファウンテンは元町六丁目だったから元町通りがまさに「元ブラ」のモボモガで賑わった時代だったのだろう。


神戸元町本庄_f0307792_17083295.jpg

神戸元町本庄_f0307792_17083986.jpg

# by sumus2013 | 2020-04-14 17:15 | 喫茶店の時代 | Comments(0)