カテゴリ
全体古書日録 もよおしいろいろ おすすめ本棚 画家=林哲夫 装幀=林哲夫 文筆=林哲夫 喫茶店の時代 うどん県あれこれ 雲遅空想美術館 コレクション おととこゑ 京洛さんぽ 巴里アンフェール 関西の出版社 彷書月刊総目次 未分類 以前の記事
2022年 09月2022年 08月 2022年 07月 more... お気に入りブログ
NabeQuest(na...daily-sumus Madame100gの不... 最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
小間使の日記![]() O.H.ミルボウ『小間使の日記』(岡野馨+永井順訳、小山書店、一九五一年三月一五日)読了。久々に痛快な小説を読んだ、という感想。元本は『Le Journal d'une femme de chambre』(Charpentier-Fasquelle, 1900)。小生はブニュエルの同名映画(一九六四年)を先に見て、たしか本書の新潮文庫版(一九五四年)で読んだ記憶があるのだが、例のごとく、すっかり筋書きは忘れて、小間使役だったジャンヌ・モローのシニカルな表情しか思い出さない。ただ、読み出すと、ぐいぐい引き込まれた。 解説によれば《十九世紀後半に光彩を放つた自然主義も、やがて外部から激しい反動を受けたばかりでなく、作家達のうちにも内省批判の傾向が現はれたが、ほとんど最後の一人として自然主義の法域を護つたものこそオクターブ・ミルボウ(一八五〇〜一九一七)である》(永井順「あとがき」)とのことだが、田山花袋『蒲団』(一九〇七)で大騒ぎした日本の状況と比べると、ここまでえげつなく描けるのか、というくらい容赦ない描写が続くのはさすがフランス、と思わざるを得ない。 主人公の小間使セレスティーヌは、子供時代を修道院で仕込まれたという設定なので、かなり教養がある。これまで仕えてきたさまざまなブルジョア家庭について回想した原稿をミルボウが書き直したという触れ込み。家政婦は見た、というわけである。だから書物や同時代の作家の話題もあちこちに織り込まれている。例えば、病気がかなり進んだ少年ジョルジュの看護をしたことがあった。 《ジョルジュさんは詩が大好きだった……テラスで波の音を聞きながら、または夕方、部屋の中で何時間も何時間もヴィクトル・ユーゴーやボードレール、ヴェルレーヌ、メーテルランクの詩をあたしに読ませた。どうかすると、ジョルジュさんは眼を閉ぢ両手を胸の上でくみ合せたまゝ、動かずにゐることがあつた……眠つたことゝ思つて、口をつぐむと……ジョルジュさんは、ニッコリ笑つて、あたしに云ふ。 ーー続けておくれ……眠つてやしないんだよ……かうやつてると、詩がずつとよく解るんだ……お前の声もずつとよく聞える……それに、お前はいゝ声だ…… 時としては、自分の方からあたしの言葉を遮ぎつた。ぢつ[二文字傍点]と考へこんでから、韻律を長く延ばしながら、一番感激した詩をゆつくりと暗誦した。そして、あたしにも詩を了解させ、詩の美しさを感じさせようと努めた……あゝ、あたしには、どんなにそれが嬉しかつたことだらう!…… ある日、あの人はかう云つた……あたしはその言葉を大切に心に抱いてゐる。 ーー詩の崇高なところは、それを理解し、愛するのに、学者たることを必要としないことだよ……いや、学者はかへつて詩を理解しない。多くの場合、学者は慢じた心から詩を軽蔑してゐる……詩を愛するには、飾りのない、花のやうな赤裸々な小さな魂があればいゝ……詩人は、素朴な人、寂しい人、病める人の魂に話しかける……そこに詩の永遠の生命があるのだ……感受性を幾分なり持つてゐる者は、常にある意味で詩人だといふことを、お前、知つてゐるかい?……ねえ、セレスティーヌ、お前自身も、よく、詩のやうに美しいことをあたしに云つてくれたよ…… ーーまア!……ジョルジュさま……おからかひになつては……》(p122-123) 幸せな奉公は、二人が愛し合うことで悲劇的な終わりを迎えるのだが、こんな綺麗な場面ばかりではなく、エロ本やエロ新聞、春画、など赤裸々な庶民の読書生活を窺い知ることができる仕掛けになっている。上流婦人風俗としてひとつ「へえ〜」と思った箇所があったので引用しておく。気前が良くてまぬけな若夫婦の家で働いていたときのこと。 《あたしがコルセットの紐を結んでゐる間、奥さんは姿見で自分の姿を見ながら、あらはな腕を上げて、房々した腋の下の毛を交る〜”〜撫ぜてゐた……あたしは笑ひたくツてたまらなかつた。《かはいゝ妻》や《大きなベビちやん》には、汗をかく思ひをさせられた。二人とも馬鹿げてゐてお話になりやしない!……》(p336-337) 十九世紀のフランス・マダムは「房々した腋の下の毛」を自慢げにもてあそんでいたのだ。 検索してみると一番にこんな記事が出てきました。 《わき毛の処理が一般的になったのは1915年頃、アメリカのファッション誌で「夏服を着るならわき毛を処理しよう」という広告が出てからといわれる。これを受けてアメリカでわき毛処理のブームが起き、程なくして日本に伝わった。》 #
by sumus2013
| 2022-08-19 19:58
| 古書日録
|
Comments(0)
『海の聖母』のこと![]() 吉田一穂『随想桃花村』(彌生書房、一九七二年一一月二〇日)読了。第一詩集『海の聖母』の出版経緯について書かれている「『海の聖母』のこと」が面白い。 《『海の聖母』は始め「鷲」といふ表題であつた。それが金星堂主・福岡益雄氏の商売意識から改題を希望され、春山行夫君と相談し、詩句の一節をとつて之に代へた。従つて表題による装幀が亀山巌君の画筆に影響して、可成りの「商品性」をおび、寧ろ私の心の象徴としては優美にすぎる本となつた。愚かにもこの外観的な表題及び装幀の一瞥的印象をもつて、作品の本質にまで彼等の執拗な誤謬を強ひられる不快さを、私はその後しばしば経験した。然しながら殆ど自費出版の時代に於て一無名の私の詩集を、最も売行きの悪い種類の書物を、出版し印税まで払つた福岡氏の交誼に対する感謝が、それと相殺するだらう。いづれ「鷲」と改題し、装幀、印刷紙、誤植、及び一部内容を変更して改訂版を出す希望である。》(p14-15) 「鷲」という詩集は出ていないようだ。また『海の聖母』についてはこうも書いている。 《あとで思ひ出したが、私の第一詩集の題名は『海の聖母』だつた。これは上磯の修道院ノートルダム・ド・ファールとの別称から聯想した白い燈台の影像だ。》(p22「海に降る雪」) また金星堂の前に岩波書店を訪ねていた。 《私は島木赤彦先生の紹介で、その頃まだ古本屋構への岩波書店で禿げ頭に前垂れがけの岩波茂雄氏に会ひ、態よく断わられて憤然と敷居を蹴つた記憶がある。 金星堂は前に童話集を出してゐたので[『海の人形』大正十三年]福岡益雄氏と話をつけて、やつと私の詩集が梓に上つた。組み版や字格の助言を春山行夫氏に、装幀はエレヂヤを熱愛した亀山巌が聖母と海豚の図案で、やや小型だが渋い緑の地に赭と黒とを配した詩集である。大正十五年十一月十五日(一九二六年)改元前夜の出版だ。私の生涯で一番うれしかつたことは、この校正刷を手にした時だ。胸がわくわくして朱筆を入れるのも惜しく、一夜、眠りもせず声をあげて朗々と誦んだ。予期通り当時の大家から一片の反響もなかつた。しかし若い時代が来た。》(p20「『海の聖母』のこと」) 喫茶店では新宿追分の白十字が登場している。夢二をそこでよく見かけたそうだ。松原は世田谷区。 《夢二の晩年に私はしばしば会つてゐる。だが一言も口をきいたことがない。私が松原に家を建てた頃で、同じ因業地主、同じ京王線だつたためか、毎晩、新宿追分の白十字で会つた。彼は例の如く絵にもみまがふ美女と一緒だつた。彼等は何一つ話し合ふでもなく、珈琲杯を前に昵としてゐた。私はとなりでウヰスキーソーダをがぶつてゐた。松原に小野政方が住んでゐて、彼れが研究社の退職金の代りに童話集を出してもらひ、その挿画や装幀を夢二が書いた。そして夢二はやがてアメリカへ行き、帰ると間もなく死んだのではないか。彼れの童話風な松原の家は取り壊されてしまつた。》(p58「竹久夢二断章」) 吉田一穂は北海道上磯郡木古内町字釜谷村の漁師の家に生まれた、ということで『北方人』第39号(北方文学研究会、二〇二二年八月一日)がちょうど届いた。小説あり、回想記あり、研究や論文ありと中綴じ64ページ、ズッシリと重みのある雑誌になっている。 今号では面白かったのは川口則弘「消えも消えたり川本旗子。」だ。川本旗子は第八十七回直木賞(一九八二年上期)に一度だけ候補になった。本名は庄子亜郎(しょうじ・つぐお)、一九四五年満州の新京市で生まれた、れっきとした男性である。音楽プロモーターとなり、海外を転々として帰国。薦められて一九七九年に『面白半分』に小説を発表して以後、一條諦輔などの筆名で『野生時代』『海』『小説現代』『オール読物』などに次々と書くようになった。なかなかの売れっ子かと思われるが、一條の作家生活は一九八六年をもって突然幕を閉じる。その後の足取りは全くつかめない。《これほどはっきり終わった作家は、直木賞の候補者でも多くはありません》とのことだが、何が原因でそうなったのかは川口稿に詳しいので『北方人』にて。 #
by sumus2013
| 2022-08-18 19:30
| 古書日録
|
Comments(0)
DADA![]() シルヴァン書房の均一で手に入れた一冊『DADA MONOGRAPH OF A MOVEMENT』(ST. MARTIN'S PRESS, 1975)、ダダの概説書。そう珍しい本でもなく10〜20ドルくらいで手に入る。表紙の黒い絵はハンス・アルプ。ジャケ買いです。
#
by sumus2013
| 2022-08-17 20:25
| 古書日録
|
Comments(0)
第35回下鴨納涼古本まつり最終日![]() 自転車置き場は会場の北の端と南の端の西側にある。小生は南から来たので河合神社の脇にある南の自転車置き場に停めた。神社の正面へ回る。途中、神社の古い土塀が巡らされている。昨年はここにたくさんのセミの抜け殻が取り付いていたのでビックリしたことを思い出す。今年はなぜか全く見当たらない。掃除したのかもしれないが、そもそもセミが少ないのかも。正面の手水鉢で手を清め、いざ、古本まつり会場入口へ。 会場では「自転車は自転車置き場へお願いします。それ以外の場所へ置かれますと撤去されます」というアナウンスが繰り返されている。「河合神社の看板にチェーンを掛けて停めている方、すぐに移動してください」というのも聞こえました。 二度目なのでそう慌てることもない。前回、ゆっくり見られなかった福田屋書店の和本200円均一棚を掘り返す。もう、さすがに何もないだろうと思ったが、量はあまり変わっていないようだったので追加があったのだろう、おやおやこんなものが、という一冊を発見。落ち穂拾い。シルヴァン書房の画集などを200円均一にしているコーナーで二冊ほど(三冊買えば500円だったのだが)。これだけ本があれば何か引っかかってくるものだ。シルヴァンのご主人に「ええ本あったやないか」とほめられる(古くからの顔なじみです)。 結局は竹岡書店の最終日七冊500円コーナーにいちばん長く張り付いていた。ここでもいきなり ARMED SERVICES EDITION 五冊が目に飛び込んできたので確保。これはタイトルによってはそれなりに高額(ただしアメリカでのことです)。数合わせに古雑誌二冊を探し出した頃にはけっこう疲れがたまってきたのを感じる(寄る年波には勝てません)。後はほんとうに流して歩く感じに。これだけ(80万冊とも)あっても目下熱心に探しているジャンルの本はなかなか見つからないものだ。しかし、探しているのを忘れているような類の本がポンと本棚の前に転がっていたりする。不思議。そんなものをさらに一冊(100円)買って帰途につく。 それでも「全品半額」の張り紙には引き付けられる。ふらふらとこのお店をひと巡りするが、疲れて集中できないのであった。
#
by sumus2013
| 2022-08-16 17:36
| 古書日録
|
Comments(0)
ASAHIYA BOOK STORE![]() レッテル通信を頂戴した。そこにこんな鮮やかなレッテルが貼られていた。惜しくも一部破れてはいるが逸品だ。深謝です。 《アサヒヤというシールは、おそらく新刊書店の包装紙をとめるためのものでしょう。百円均一で買った某雑誌の裏表紙にヨレヨレの状態で貼りついていたものです。》 アサヒヤって旭屋書店? ならば設立は昭和二十二年である。このデザインも戦後っぽいような気もするが、ありがちな店名なので即断は禁物。
#
by sumus2013
| 2022-08-15 20:45
| コレクション
|
Comments(0)
|