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「『喫茶店の時代』の時代」ZOOMトーク開催

「『喫茶店の時代』の時代」ZOOMトーク開催_f0307792_16592258.jpg


ZOOMトークのために準備中。上の写真で左下の開いたノートが、そもそもの「喫茶店の時代」のスタートになった「喫茶店抜き書き帳」です。はっきり覚えていませんが、一九八〇年代の終わり頃から喫茶店の記述コレクションを始めたようです。一番最初の抜き書きが寺山修司の短歌です。『青春歌集・麦藁帽子』より。

 ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし

次が内田百閒「可否茶館」、高見順「昭和文学盛衰史」からモナミ、ヘーゲル「精神現象学序説」の菊萵苣のコーヒー、ディドロ「ラモーの甥」のカフェ・ド・ラ・レジャンス、モラヴィア「夫婦の愛」、織田作之助「船場の娘」のコロンバン、カフカ「ルガノ=パリ=エルレンバッハの旅」の列車のコーヒー、マキナニー「ブライト・ライツ、ビッグ・シティ」のコーヒーショップはギリシャ人経営のくだり、藤沢桓夫「大阪自叙伝」のライオンその他・・・・と続いています。

まったく行き当たりばったりに喫茶店記述をコレクションしていたわけです。それを本にするため、多少のまとまりをつけたものが『喫茶店の時代』になりました。線的な流れではなく、まったく点描派もいいところなのです。

**

いま流行りのリモート・トークをみつづみ書房さんの企画でやらせてもらうことになりました。

本書の成り立ちや、本書に使用した珍しい資料、あるいは使用しなかった資料なども紹介したいと思っております。喫茶店というよりも、古本の話になりそうです(笑)。

はじめての試みなので、どうなりますやら。参加者募集中です。当日まで申し込みしていただけます。ただしZOOMはじめての場合はアプリのダウンロードが必要ですので、お早めに、お問い合わせください。


林哲夫トークイベント「喫茶店の時代」の時代

ビデオ会議アプリ”zoom”開催


○日時 5月6日(水・祝)

 14時30分開場/15時スタート


○申し込み締め切り

 5月6日当日までオーケーです!


○URLのお知らせ 

 5月5日(火)17時以降順次


詳しくはこちらまでー!

# by sumus2013 | 2020-05-05 17:14 | 喫茶店の時代 | Comments(4)

Web一箱古本市

「Webみんなのひとはこ」や善行堂の取り組みなどが紹介されました。

古本屋の灯を 医療従事者に夜間無人販売
朝日新聞DIGITAL
https://www.asahi.com/amp/articles/ASN4T6TLSN4PPTFC01T.html?pn=6&__twitter_impression=true&fbclid=IwAR0wXw4PmPQaj-u6QCeDAm9poC72Pc3MUKRfH9vgm4Y_XIXJBs3upe5En5o

Web一箱古本市_f0307792_16032665.jpg
ぺるでゅ書店として出店しています。
次々と追加中ですのでよろしく!


毎年、この時期は全国各地で古書市、一箱古本市が開催されています。買う人も、売る人も、ココロウキウキ、ソワソワしたもんです。

こんな状況だけど、何かできることがないかな
わたしたちの妄想から形になった『Web一箱古本市』です。

小さな試みです。うまくいくのかどうかわかりません。
もっとうまい仕組みもあると思います。

これ、いいじゃんと思っていただける方には、わたしたちのケースをどんどんお伝えします。各地でこんなWeb上の本のイベントができるといいなと思っています。

5月6日まで開催中! ちょこっと覗いて見てください!どうぞよろしくお願いします。

古書みつづみ書房


みんなのひとはこ

https://hitohako.base.shop



# by sumus2013 | 2020-05-04 12:21 | もよおしいろいろ | Comments(0)

われ発見せり

われ発見せり_f0307792_20201675.jpeg

長谷川郁夫氏が亡くなられた。

文芸編集者の長谷川郁夫さん死去 小澤書店を創業

長谷川氏には一度だけお会いしたことがある。これは坪内祐三死去のときのブログでも引用したが、坪内氏も同席して一悶着あった八羽でのことで、あのときのお二人が相次いで亡くなったことに少なからぬショックを受けている。

『美酒と革嚢』が芸術選奨文部科学大臣賞に選ばれた

長谷川氏の著書や小澤書店の出版物もそれなりに持っていたが、現住所に移るにともなってほとんど処分してしまった(家が狭くなったため)。かろうじて『われ発見せり 書肆ユリイカ・伊達得夫』(書肆山田、一九九二年、装画=駒井哲郎、装幀=望月玲)があるくらいか(もう少し探せば出てくるかも知れないが)。

本書の「あとがき」によれば長谷川氏は『新潮』の鈴木力氏に誘われて伊達得夫について書き出したという。

《その頃私は「早稲田文学」に戦前の出版人、第一書房・長谷川巳之吉のことを調べて評伝を連載していたが、出版の仕事を始めて十年、慌しい日々を過すうちになにか大切なものを置去りにしていたことに気付かされたのだろうか、熱意のこもった鈴木君の肩が私を突き動かした。》(p252)

伊達得夫についての原稿は『新潮』一九八六年二月号に一挙掲載された。新潮社出版部の徳田義昭が出版するべく尽力したが、ガンで死去したためそのままになっていたのを書肆山田が出版することになった。プロローグではこんなふうに伊達について語っている。長谷川氏の出版へのとっかかりが見て取れる文章である。

《学生時代の友人数人と語らって、飯田橋の駅ちかくに小さな事務所を借りたのは、昭和四十六年五月のことである。出版社でもはじめようか、そんな魂胆だった。仲間のひとりが、日本エディタースクールという編集者養成所に事務員として潜りこんでいた。その男が、ウチでもこんなシリーズをはじめたんだ、と「エディター叢書」の第一冊である「詩人たちーーユリイカ抄」という本をかかえてきたのは、それからほんの少し後のことだ。》(p10)

《なるほど、たしかに伊達得夫は名編集者として神話的であったともいえるかも知れない。だが、私はもっと以前にかれの名前に触れたことがあるのではないか。チューブを押しだすように記憶の底を捻ってみる。

 ある時期、稲垣足穂の作品に熱中した。高校から大学にかけての頃、偶然「弥勒」を読んで興奮した。名古屋の作家社に注文して「一千一秒物語」の復刻本を手に入れた。その頃親しくなった出版社勤めの先輩から、タルホはほんとに、拾ってきたチビた鉛筆で広告のチラシの裏の白地に原稿を書くんだと聞かされて、あらためて感動してしまった。アルバイトで稼いだ金で、とびきり上等の、つもりだったが、下駄を買って京都に送った。すぐに礼状が届き、あとを追うように「僕の"ユリーカ"」と「東京遁走曲」がつづけておくられた。昭和四十三年の夏のことだから、翌年タルホが第一回日本文学大賞を受賞して、晩年のタルホ現象が起きるほんの少し前のことである。

 そしてじつはこの「東京遁走曲」のなかで伊達得夫という人物に出会ったのである。

 この昭森社版「東京遁走曲」に描かれた伊達得夫は少しばかり悪役だった。かれは「ヰタ・マキニカリス」の刊行者として登場するのだが、タルホとタルホ夫人となる女性を結びつける黒子の役を演じていた。たしかこんなふうに描かれていた、と本棚から取りだして頁を繰っているうちに、私は、呆然とした。ここにあるのは伊達への、ほとんど呪詛にちかい言葉ではないか。》(p14-15)

だから友人の手から『ユリイカ抄』を受け取ったときには伊達得夫とその伝説にいくらかの知識を持っていた、そしてかすかな抵抗を感じていた。

《実際、それから何年ものあいだ、伊達得夫という存在は、私にとって鬱陶しくもあった。

 私のなかにも、小出版社のイメージというものがあって、そこには悲劇の匂いがつきまとっていた。百年そこそこのわが国の出版の歴史のなかで、詩書を専門とする本屋の運命は、きまって不幸な終末が約束されているようだ。》(p16)

《百年そこそこのわが国の出版》は少々見方が狭すぎる気がするが、それはおいておいて、長谷川氏は、野田誠三、江川正之、鳥羽茂らの名前を挙げて《デモーニッシュな負の情動とでもよぶべき》《暗い情熱から美しい詩集が生まれる》、そんな逆説が小出版を支えていると感じ、『ユリイカ抄』を何度も読んだ。その度事に悲しい気分になったという。

《「詩人たち」のなかで、伊達が独白するように、「出版は当然のことながら芸術ではない。それは商行為だ」。この言葉はまた、出版不況のなかにおかれたいまの私の実感である。しかし、現在、伊達の仕事をふり返ってみると、かれらの独白とは裏腹に、書肆ユリイカは、出版という事業もまた「芸術」であるといえる、極めて稀なケースだと思えてくる。》(p20)

伊達得夫は昭和三十六年一月に亡くなった。本書のエピローグで著者はこう描写している。

《かれが息をひきとったのは、十六日の午後十時二十分である。死因は肝硬変。四十歳と四ヵ月の短い生涯だった。

 十七日の朝、京都では雪が降っていた。

 新聞をひろげていた稲垣足穂は、突然、「伊達さんが死んだ」といった。「無理をしたんだなあ。何もかもひとりでやってのけていたからーー」。黙りこんだまま、しばらく窓の外に目をやってから「人が死ぬということは、何か清められるような気がするなあ」と呟いた(「夫稲垣足穂」)。》(p249)

さすが足穂である。いずれにせよ、小澤書店もまた記憶に残る出版社となったことは間違いないであろう。




# by sumus2013 | 2020-05-03 20:36 | 古書日録 | Comments(0)

変死するアメリカ作家たち

変死するアメリカ作家たち_f0307792_20590298.jpeg

『ユリイカ』総特集坪内祐三のなかに西堂行人「坪内さんとの出会いと別れ」という文章がある。西堂氏は未來社の編集だったとき、堀切直人氏から『東京人』の編集者だった坪内を紹介された。その縁で、坪内が『東京人』を辞めた後、未來社のPR雑誌『未来』に大学院での研究の一端を書いてみないかと誘ったのだという。

《「やってみたい」と彼は即答した。これが「文筆家・坪内祐三」の誕生の瞬間だった、と今にして思う。》(p280)

そうして『未来』に連載されたのが「変死するアメリカ作家」であった。

《坪内さんの書いてくる文章は毎回、「射すくめるような真剣」の赴きがあった。書き出しから一発で読者の心に飛びこんでくる瞬発力のある文章だった。「これしか仕事がないですから」という坪内さんの言葉はあながち謙遜でも衒いでもなく、この一本に心血を注ぐ真剣勝負の趣きがあった。》(同前)

西堂氏は連載をまとめて単行本にしようと思い立ち、企画会議にかけたところ、ものの見事に却下されてしまった。

《今にして思えば、出版界が不況に向かいはじめる一九九四年のことだったから、無名の著者の最初の評論集に冒険はできなかったのだろう。》(p281)

この結果を新宿の「らんざん」で坪内に伝えた。

《彼は本の企画をどう進めるかの相談だと思い込んで勇んでやってきた。だが、結論は彼の希望を裏切るものだった。彼は戸惑い、それから怒ったような表情を浮かべ、黙り込んだ。》(同前)

その後、坪内との交流は途絶え、西堂氏も未来社を退社。演劇評論家、フリー編集者としての活動する。二〇一〇年代になって唐十郎の紅テントで坪内と再会した。その唐組春公演の大坂の初日の夜、唐十郎から『変死するアメリカ作家たち』(白水社、二〇〇七年)を渡されたという。かつて西堂氏が企画した本だったが、刊行されていたことは全く知らなかった。

《パラパラと頁を繰ってみて、あとがきに目が止まった。初出年も担当編集者のことも記されていなかった。本の成り立ちにいっさい触れていないことから、坪内さんはわたしのことを許していないのだなと直観した。》(p283)

と書いておられるが、本書には「あとがき」はないし、刊行時に追加された長めの一篇「ゴールデン・ゲイト・ブリッジに消えたウェルドン・キース」の冒頭で、坪内は西堂氏から連載を誘われたいきさつを西堂氏の回想よりもずっと詳しく書いている。単行本が出版されなかったことについては、こう表現されている。

《そのまま順調にいけばこの『変死するアメリカ作家たち』が私の最初の単行本となっていた(だとしたら私はどのような文筆家の道を歩んでいたことだろう、と考えることがときどきあるーー果たして私は、例えば『靖国』という作品を仕上げることができただろうか)。
 なぜそうならなかったのかは偶然に過ぎない。》(p145)

坪内によれば『未来』の連載の最終回が掲載される少し前に、西堂氏の兄である未来社社長西谷能英氏からこういう話があったそうだ。

《「変死するアメリカ作家たち」そのものにはあまりふれることなく、ツボウチさん英語けっこう読めるの、じゃあこのへんの本、訳してみない? と言って、段ボールに入っていた原書を何冊か取り出し、そのうち二〜三冊を、これあげます、と言って、私にプレゼントしてくれた。》(p146)

《単行本化の話が出るのでは、と期待していなかったといえばウソになる。冷静に考えれば、当時の私のような無名な書き手が、日本で知られていないマイナーな作家ばかりの肖像集を出してもまず黙殺されていただろう。》(同前)

とこのように「変死するアメリカ作家たち」の単行本化についての二人の回想は、まったく違ったものになっている。どちらも本当らしく思われるが、さあ、どうだろう。

正直なところ、『変死するアメリカ作家たち』を読んでみると、西谷社長の気持ちが分かるような気がする。このままでは単行本にはできない。もう少し翻訳の仕事を通して成長してもらいたかったのではないだろうか。簡潔な文体で(後年の「私語り」もほとんどなく)スカッと書けているが、人物紹介の域を出ないし、マイナー作家ばかり扱っているわりには書き手自身のこだわりがあまり感じられない。何かもうひとつ物足りない。

ただ、後年の文体をほうふつとさせる逸話がロス・ロックリッジを論じた一篇に現れているのは面白く思った。ロックリッジの絶版稀覯書『雨の木の郡』のペイパー・バックでの再刊を知りながら注文せずにいた。

《それから十年たった。去年(一九九一年)の夏ニューメキシコの古本屋をまわっていたとき、一九八四年に出た『雨の木』のハード・カバーを見つけた。値段は二十ドルだった。しかし、あまりにぶ厚く重い本だった。旅をはじめたばかりで、この本をトランクに入れて転々としていくのは、少ししんどい気がして、結局、買わないことにした。》(p107)

ところがその後、読みたくなってどうして買っておかなかったかと後悔するはめになった。そのころにはペイパー・バックも絶版になっていた。・・・・やっぱりこういう道草が意外と大切なのだということを改めて考えさせられたのである。

ということで、本書『変死するアメリカ作家たち』の古書価は案外と高額なのです。覚えておきましょう。

# by sumus2013 | 2020-05-02 21:01 | 古書日録 | Comments(0)

浜田稔ふたたび

浜田稔ふたたび_f0307792_20180209.jpg

古書ヘリングにポケミスが三十冊くらい積んであった。ざっとチェックしてみたら《装幀浜田稔》(浜の表記は新字)が二冊あった。一冊はかなり傷んでいたので、この一冊だけを確保した。ダシェル・ハメット『ガラスの鍵』砧一郎訳(早川書房、昭和31年4月30日)。

装幀・浜田稔

すると、不思議なことに、本日、かわじもとたか氏より「装丁挿話316 濱田稔」のコピーが送られてきた。有難うございます。さすがかわじ氏である。四十三点の浜田装幀本と著書二点のリストが上がっている。

そのリストのなかで驚いたのは『被害者を探せ』(ポケミス、昭和30年7月15日)を衣更着信が訳していること。衣更着は英文学者(英語教師)で詩人、小生と同じ町の出身である。以前にも何度か取り上げている。

衣更着信と中桐雅夫

もうひとつ、上の『ガラスの鍵』はかわじリストからもれていること。なんたる偶然。まだまだ浜田稔装幀本はありそうだ。

# by sumus2013 | 2020-04-30 20:42 | 古書日録 | Comments(0)

総特集坪内祐三

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『ユリイカ』総特集・坪内祐三、読了した。分厚いだけでなくしっかりした内容なのでさすがに時間がかかった。坪内祐三の仕事や興味の範囲をほぼカバーするように見える人選が素晴らしい。

少しだけ希望を言えば、写真に対して一家言のあった坪内のことを、写真家の誰か(例えば北島敬三氏だとか)が語っていればさらに良かった(断られたのかもしれないが)。古本に関しては岡崎武志氏が坪内の古本度のディープさを示してくれている。それでもやはり誰か古書店主にも書いてもらいたかった(これはむろん打診したのだろうが、内堀氏は『本の雑誌』に書いたからと断ったと聞いた)。

そんなささやかな希望は別として、収録されているどの文章もそれぞれ読み応えがあったというか、気持ちが入ったいい文章が多かった。一志治夫「九〇年代の暢気だった日々」、浅羽通明「SF嫌いの矜持と寂寥ーー坪内祐三の思想について」、高山宏「「古くさいぞ私は」で始まると、マニエリスムになるーー坪内祐三追善」、長谷正人「坪内祐三における「死にがい」の探求と連合赤軍」などは印象に残るし、坪内の髪を十七年カットしつづけた美容師・大和邦恭「素直な髪」や大場純子「たどり着いたと思ったらまた振り出しに戻っているーー大相撲のこと」なども得がたいもの。

平山周吉「坪内祐三の「文学」が気になって」によれば、『エンタクシー』第三三号の特集「マイ・リトルプレス、思い出の小出版社そして雑誌」のなかで一九八〇年代生まれの編集者と書店員を前にしての誌上坪内レクチャーがあった。それはゴールデン街の「しん亭」の三階で開かれたらしい。(引用は改行のところ一行アキとした)

《「明石 せりか書房のリストを見ると、今でも在庫の生きてる本が多いですね。『ロシア・フォルマリズム文学論集1・2』とか、カイヨワも、バシュラールも、スタイナーの本も生きてる」

 坪内講義を拝聴している若者は、と確認すると、「明石陽介(青土社『ユリイカ』編集部・一九八六年生まれ)とある。なんだか見覚えのある名前だなとしばらく考えて、追悼臨時増刊号の原稿依頼メールをくれた編集者と同一人物だと気づいた。二つめの驚きである。坪内さんは九年も前に、自分の追悼企画を仕込んでいたのか。まさかそこまでは織り込んではいないだろうが、ゴールデン街の青線くさい部屋でリレーのバトンが渡されていたといえるのではないか。」

 坪内祐三にとって「文学」とは、を考えようとしていたのに、一冊の『エンタクシー』のために脇道に入ってしまった。坪内祐三が「文学」といった時に(文学に限らないが)、作家や作品だけを論じることはなかった。その時代背景や出版状況や交友関係や編集者という存在も同時に視野に収めていた。》(p42-43)

小生も一か二度(それ以上はない)、そういう若い編集者たちに囲まれた坪内とカラオケまで行ったことがある。坪内が頭角を現わす前後には坪内好みのかなり年上のシブい編集者や作家たちとつるんでいたことは坪内の『東京』など読んでいるとよく分かる。だが文壇に地歩を固めた当時は、すでに坪内チャイルドと呼んでしかるべき若者たちをひきつけていた。基本的に大変面倒見がいい性格なのだろうし、若い人が好きなのだろうが、何かしら「さすがだな」と思わせるところがあった。

ひょっとして《そこまで織り込んで》いたのかもしれない、と明石氏の入魂の編集ぶりを見て思ったしだいである。


***


【以下は2020年4月16日に投稿】

『ユリイカ 詩と批評』5月臨時増刊号(青土社、令和2年4月20日)届く。ぶ、分厚い・・・ノンブルは453まである!「総特集」の名に恥じないヴォリュームだ。装幀は細野綾子さん(拙著『古本屋を怒らせる方法』の装幀もしてくださいました)。いい意味でユリイカらしくない。

ユリイカ2020年5月臨時増刊号 総特集=坪内祐三

三月のはじめにてんてこ舞いしていたときの追悼原稿は本誌のためだった。『ユリイカ』に執筆できるとはこれまで一度として予想したことがなかったので、正直うれしいというよりも、不思議な感じ。『暮しの手帖』に寄稿して以来かな、このとまどい(『暮しの手帖』にも一度だけ書かせてもらいました。そういえば『季刊銀花』にも一度だけ)

巻頭は小沢信男さん、そして山田稔さんとつづく。これでなんだが少し安心した。お二人はよく存じ上げている。小沢さんの御宅にお邪魔したこともあるのだ(自慢です)。岡崎武志氏はもちろん、涸沢純平、中尾務、元『彷書月刊』の皆川秀、元東京堂書店の佐野衛の各氏など顔見知りの方々が寄稿しているのも心強い。他に坪内氏が引き合わせてくれたことのある平山周吉、安藤善隆、橋本倫史の各氏も当然ながら執筆している。

それら以外には、福田和也氏を初めてとして、当然書くべき人がそれぞれ工夫を凝らして、突然の訃報から時間が経った分、坪内祐三とはいかなる存在だったか、というところを掘り下げているように思われた。そこが『本の雑誌』の追悼号とは多少違うところだろう(人選もむろん異なるし)。とにかくも書誌や年譜を備えた『本の雑誌』と、じっくり論じるところまで迫った『ユリイカ』はちょうど相互補完の感じであろうか。今後、坪内祐三研究が進行するとしたら、基本文献になるに違いない。

まだ全部読んだわけではないが、武藤康史「そんじょそこらの研究者より……」は興味深い。筆致も書かれている内容も。坪内氏の紅野敏郎嫌いは知っていたが、どうしてなのか、わかったようで、わからない。その辺のツッコミがいい。

小生は「目利きの条件 「坪内祐三の美術批評 眼は行動する」を読む」と題して『週刊ポスト』の美術記事連載について書かせてもらった。このテーマは編集部からの指定だったので、その点に苦心したと言えば、苦心したが、資料協力してくださった方もあり(八年分の『週刊ポスト』バックイシューをチェックするというのが、案外たいへんな作業だった)、なんとか書き上げられた。いまはホッとしてます。

ぜひ読んでいたければと思います。


# by sumus2013 | 2020-04-29 20:08 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)

SOGNO

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アンドレア・ボッチェリ「SOGNO 夢の香り」(Insieme Srl, 1999)。コロナの関連のニュースにボッチェリが登場していたのを見て、このCDがあるのを思い出した。

世界的テノール歌手、無人のイタリア大聖堂で「希望」込め熱唱

このCDの写真のイメージしかなかったので、すっかり白髪になっていてビックリ。何度も繰り返し聴いていると飽きてくるが、しばらく忘れていると、また聴きたくなる。

# by sumus2013 | 2020-04-28 17:57 | おととこゑ | Comments(0)

大阪圭吉自筆資料集成

大阪圭吉自筆資料集成_f0307792_19400859.jpg

『大阪圭吉自筆資料集成』小野純一編(盛林堂ミステリアス文庫、二〇二〇年五月六日)。よくぞ、これを出版した、というのが初見の率直な感想。好きな人にはたまらないだろう。「らくがき帖その二」と題された創作ノート、自筆作品目録、原稿、メモなどを全ページをカラーで再現、大阪の息吹に触れる思いがする。読解と解説も丁寧に行われている。

書肆盛林堂

# by sumus2013 | 2020-04-27 19:54 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ともしびの歌

ともしびの歌_f0307792_15595110.jpeg

これも善行堂で求めた一冊。臼井喜之介『ともしびの歌』(ウスヰ書房、昭和十六年二月五日)。持っているような気がしたのだが、善行堂が「ここに挟んであるしおりが貴重や」と主張する。それも持っているような気がしたのだが、コピーだったかもしれないと不安になったので買っておくことににした。そのしおりのなかの『ともしびの歌』の説明に次のようにある。

《久しく品切れのところ、第二詩集「望南記」刊行を機に私蔵版を頒たんとするものである。》

『望南記』は昭和十九年の発行だから、奥付には初版と同じく昭和十六年発行としてあるものの、この『ともしびの歌』は実は昭和十九年発行のようである。

ともしびの歌_f0307792_15594631.jpeg

二〇一一年のブログにこの本と異版について書いていた。書いたことは覚えていたのだが、内容は忘れていた。


このとき異版の刊年が不明だったわけだが、上述のしおり文から昭和十九年だということがはっきりした。善行堂の口車に乗っておいて良かった。

ともしびの歌_f0307792_15594001.jpeg
初版本


しかも架蔵の十九年版にはカバーがある。善行堂のものはカバー欠だった。ただし、表紙の紙の質が明らかに違う。昭和十九年ともなれば、紙の確保も容易ではなかっただろう。みな同じ表紙というわけにはいかなかったか。

よくそんなときに詩集が出版できたな、と思わないでもないが、内容的には、巻頭に戦争賛歌をずらりと並べてカムフラージュ(?)しているため、不要不急とはみなされなかったのかもしれない。

ともしびの歌_f0307792_15593623.jpeg


後半の抒情的な作品群からではなく戦争讃歌の方からひとつ引用してみる。この作品に限ると必ずしも讃歌とばかりは言えないか。


  神々の街

弔旗を垂れた街に
白木のはこの姿で帰つてみえた神々の一日

その日から 私は
むちやくちやに歩くのが好きになつた
閉ぢこもつてゐたよろひ戸を蹴やぶり
空つ風のただ中にをどり出て私はあるく
脚を地につけて歩く

いまはぢかに土にふれる喜びにいつぱいになり
どしんどしんと手をふつて歩くーー

大路をそれた横みちのあたりにも
神々の讃歌がひびいてくるではないか
それは 乳を求める嬰児の飢ゑの叫びではないーー
いつか私の心に住む 神々の合唱なのだ

かげればかげるで 陽が照れば照るで 虔しい掌を合はしてゐる神々
ないもかも裸で いまは 私もそこへ行ける
敗北のうたではないーー
心からの勝利のうたをくちずさみ
私が 私の貧しさに跪いたあさから
ぐんぐんと 神々の群れのなかへ
大手をふつて入つてゆけるのだ

いつか己れ自身を神の名でよびながら
どしんどしんと
元気いつぱい歩いてゆける日が来たのだ。

# by sumus2013 | 2020-04-26 16:51 | 関西の出版社 | Comments(0)

白河の詩人、阿部哲

白河の詩人、阿部哲_f0307792_20161954.jpg

菅野俊之氏より『関の森文庫』第12号(室井大和、2020年4月20日)というB5判六ページほどの通信が届く。菅野氏が「白河の詩人、阿部哲」という文章を寄稿されている。阿部は明治三十八年白河町生まれ。萩原朔太郎の影響を受けて『北方詩人』などの詩誌に寄稿して活躍したが、昭和七年頃から筆を折り、昭和四十二年に亡くなっている。詩集に『生物』(抒情詩社、一九二四年)がある。菅野氏のメモによれば数十年前に某書林から入手したとのこと。また『みちのく春秋』2020年5月号には古関裕而と佐々木俊一という二人の作曲家について執筆しておられる。

天気がいいので古本屋めぐりにもってこいののだが・・・どうやらどこの店もほとんどが休業中のようである。これはさびしい、というか、酸欠みたいに苦しい。

# by sumus2013 | 2020-04-25 20:32 | おすすめ本棚 | Comments(0)