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書店の思い出

書店の思い出_f0307792_17344654.jpg
George Orwell: ‘Bookshop Memories’


ジョージ・オーウェルのエッセイに「本屋の思い出」というのがある。『本の虫の本』(創元社、二〇一八年)で能邨陽子さんがその文章の一部を引用していた。

《ロンドンの古書店で一時期働いていたオーウェルも、本を探すお客さんについてこんなことを書いています。「残念ながらそのご婦人は、タイトルも著者の名前もそれが何についての本だったのかも忘れていたが、その本の表紙が赤色だったことだけは覚えていた」……》(「まぼろしの本」)

お客のあれこれ。当時の古本屋や貸本屋の様子がよく分かる。日本語にはまだ翻訳されていないようなので、気になったところだけ拙訳で紹介してみる(かなりはしょった意訳です、誤解があれば叱正を願います)。

古本屋というのはそこで働いた経験のない人が想像しているようなところではない。わたしの働いていた店にはいい本があった。しかし実際、良い本を知っているのは一割ほどの客にすぎなかったろう。文学好きよりも初版本目当ての客の方がふつうで、安い教科書を値切り倒す東洋人学生の方がさらにふつうで、甥っ子のために誕生日のプレゼント本を探している一向にはっきりしないご婦人方がいちばんありきたりの客である。

どんな古本屋にも恐れられる二種類の最悪のタイプの客がいる。ひとつは、毎日、ときには日に何度もやって来て、愚にもつかない本を売りつけようとする、すえた匂いをさせた落ちぶれたやから。もうひとつは、買うつもりもない大量の本を註文するやからである。わたしの働いていた店ではツケは一切受け付けなかったが、とにかく註文された本を脇に取りのけておく。引き取りに来る者は半分もいるかいないかというところである。どうしてなのか? 最初は全然見当もつかなかった。彼らは稀覯本を註文して「絶対に取りに来るから、くれぐれも取り置きよろしく」と懇願しておきながら、二度と姿を見せない。たいていは古本病患者(paranoiac)であり、どこそこで珍本をただ同然で見つけたとか、そんなホラ話を吹きまくるような奴らである。そんな古本病患者が現れたら、それは一目で分かるが、彼の註文した本を脇に取り置き、彼が出て行ったらすぐ本棚に戻すということをわれわれはやっていた。そいつらの内には、わたしの知る限り、誰一人として即金で本を持ち帰ろうという者はいなかった。註文するだけで満足したのだ。そうすることで、かれらは実際に本を買ったような気分になれたのだろう。

多くの古本屋と同じように、わたしの働いていた店も本以外のものを扱っていた。中古のタイプライターがあった。使用済み切手もあった。切手コレクターは少々変わっている。静かで、ぬめっとした種属(fish-like breed)で、年齢はさまざま、しかし男性のみ。他には日本の地震(関東大震災)を予言したと誰かが主張する6ペンスのホロスコープも売っていた。封筒入りなのでわたしはのぞいて見たことはないけれど、買って行った客は「当っていたよ!」と報告しに戻って来る(疑いなく、ホロスコープというのは「当っている」ものなのだ、もしそれが、あなたは異性に魅かれているとか、あなたの最悪の間違いは寛大さだとかという場合は)。子供の本も大量に扱っていた。いわゆる「ゾッキ本」(remainders)である。まだまだ今時の子供向けの本はひどい代物だ。個人的には、ピーター・パンよりもペトロニウス(「サテュリコン」の作者)の方がまだしもと思うくらいだ。クリスマス前には十日間ほどの繁忙期が来る。クリスマスカードとカレンダー。うんざりする品物なのだが、その期間にはよく売れるのである。

さらに、われわれの重要な副業は貸本であった。「2ペニー 預かり金なし」小説本、500〜600冊。これが本泥棒のつけこみどころだった。世界でもっとも簡単な犯罪。2ペンスで借りて、ラベルを剝がして余所の店へ持ち込むと、1シリングになった。にもかかわらず、本屋は、一般的に言って、本がある一定数(ひと月におよそ1ダース無くなった)盗まれたとしても、預かり金を取って客を減らすよりも、まだましだと思っていた。

店はハムステッドとカムデン・タウンの中間のはじっこにあった。准男爵からバスの車掌まで、さまざまな階級の客が出入りしていた。おそらく、わたしたちの店の購読者はロンドンの読書大衆の代表的な面を体現していただろう。店で最もよく出た作家は誰だろうか。プリーストーリー? ヘミングウェイ? ウォルポール? ワーズワース? いや、違う。デル(Ethel M. Dell)である。そしてワーウィック(Warwick)が二番でファーノル(Jeffrey Farnol)が三番。デルの小説はむろんご婦人方だけに人気があった、あらゆる階層と年齢のご婦人にわたって。男性が小説を読まないというのは間違いだが、男性が遠ざけるジャンルがあるのは本当だ。ありきたりの小説(the average novel)というものである。男性が読むのはリスペクトできる小説か、さもなければ探偵小説である。客のなかに週に四冊か五冊、毎週、何年間にもわたって探偵小説を読んだ人がいた。しかも他の店でも借りていた。驚いたことに、その人は同じ本は二度と読まない。これはとんでもない量である。彼はタイトルも著者名も憶えていないが、ちらっと表紙を見るだけで「これは読んだ」かどうかが直ぐに判断できた。

貸本業で人々の好みがよくわかる。びっくりなのはイギリス作家の古典作品はその「好み」からまったく完璧に外れていることだ。デッケンズ、サッカレー、ジェーン・オースティン、トゥロロープなど、置いても無駄だ。普通の貸本屋では誰もそんな作家を借りようとはしない。十九世紀の小説は全般に「古臭い!」と敬遠される。が、デッケンズを売るのはいつでもたやすい、シェイクスピアを売るのと同じように。デッケンズは読まれる意味があるのだ、聖書のように。他に目立った特徴と言えば、アメリカの本は人気がない。また、短篇集も不人気である。本を探している客が店の人間に言うのは「短篇集はけっこうです」あるいは「小さな物語はいらないわ」である。どうしてですかと質問したら、彼らは言うだろう、物語ごとにいちいち新しい登場人物を憶えなきゃならないから面倒くさい、と。

職業として本屋になりたいか? つまるところ、親切にしてくれた主人には申し訳なく、店員として過ごした日々は楽しかったのだが、答えはノーである。教育を受けた人間なら誰でも本屋としてつましくやっていけるだろう。稀覯本に深入りさえしなければ、それは難しい商売である。もし何らかあらかじめ本の世界に関わったことがあれば、ずっとうまく仕事を始められるだろう。また、それは極端に下品にはならない人情味のある商売である。独立した小さな本屋は、食料品店や牛乳屋がそうなるように、左前になることはない。しかし、働く時間はとてつもなく長いーー私はアルバイトをしただけだったが、主人は週に70時間働いていたーーそれは健全な暮らしではない。また、冬場の店はおそろしく寒い。なぜなら、店内が暖かいと窓ガラスが曇るからである。本屋は窓が命なのだ。また、本には不潔なホコリが、他のどんなものより、たくさん付いているし、本の天(the top of a book)は青蠅(bluebottle)たちが最も好む死に場所になっている。

しかし、わたしが本屋になりたくない本当の理由は、そこにいると、本を愛せなくなるからである。本屋は本について嘘をつく。そして本が嫌いになる。もっと悪いのは、つねに本のホコリを払い、抜き差しすることである。わたしも本当に本を愛していたときがあったーーその姿、匂い、少なくとも五十年以上経っている本に感じられるものが好きだった。田舎のオークションでそんな本をどっさり、たった1シリングで買ったときほど嬉しかったことはない。けれども、本屋で働くようになってすぐに本を買うのを止めた。大量に、一度に五千冊か一万冊も見ると、本がうっとうしく、ちょっと気分が悪くなる。今では、ときおり一冊、買うこともあるが、それは自分で読みたい本で、借りられないときに限られる。クズ本は決して買わない。古びた本の甘い匂いにはもはや何も感じなくなった。古本病患者たちと本の天で死んでいる青蠅たちが心に深く刻まれすぎたのである。

全文は下記サイトにて。

BOOKSHOP MEMORIES

by sumus2013 | 2019-11-29 20:01 | 古書日録 | Comments(0)

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題 名=杏 ふるさと魚津、そしてわが半生の記
発行日=2019年12月2日
著者等=布本芳忠
発行所=
布本芳忠
題 字=石坂和泉
装 幀=林哲夫

印 刷=山田写真製版所
製 本=渋谷文泉閣
四六判 丸背糸篝上製 168頁

・表 紙 NTラシャ あんず|四六判Y目135kg|B
・カバー ヴァンヌーボF-FS ホワイト|四六判Y目135kg|4C
・見返し NTラシャ 灰鼠|四六判Y目130kg
・本 文 メヌエットライトC|四六判Y目68kg

by sumus2013 | 2019-11-28 20:01 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

数竿脩竹

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漢詩のマクリを入手。小さいもの(35×14cm)。虫損もあり、安かった。署名は「桂園書」、印は[桂]と[園]。右肩の小印は「畊心」(畊は耕の別体)。おそらく井上桂園ではないかと思う。


コメントいただきましたように宋詩のなかに出ているようです。全文は以下の通りです。

深巷渾無市井喧,
主人有客便開樽。
數竿修竹三間屋,
幾樹閑花一畝園。
楚岫和雲移怪石,
秦淮流月下高源。
此身且比淵明樂,
母在高堂子候門。

「全宋詩 69」(北京大学出版社 1991-1998 国会図蔵)間は閑に訂正。

もう一点、同時に求めたのが下のマクリ。これも桂園書。筆墨生涯独善身。

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また、コメントいただいた吉田蔵澤は次のような作品です。

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『正岡子規と美術』図録(横須賀美術館)より


by sumus2013 | 2019-11-27 20:21 | 雲遅空想美術館 | Comments(4)

キネマ旬報追加

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グレタ・ニッセン

キネマ旬報 No.216
大正15年1月21日発行
発行人:田中三郎
編輯人:田村幸彦
発行所:キネマ旬報社 兵庫県西宮市川尻二六一一

《十一日号を休刊して此の号は二三日発行より早く出す予定であつたが、御覧の通り普通号としては空前の大冊、百頁と云ふ大さなので印刷だけにも新年号と殆んど同じだけの時日を要したので、矢張り予定通りには行かなかつた。それでも今年からは発行日には必ず発行出来る手配が出来たからその点はご安心を願ひたい。》(編輯後記、田村生)

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メエリー・アスター

キネマ旬報 No.257
昭和2年4月1日発行
発行人:田中三郎
編輯人:田村幸彦
発行所:キネマ旬報社 兵庫県西宮市川尻二六二六

《例によつて雑誌の事でも書く外なくなつてしまつた。前号は二十一日に刷上つたのだつたが、東京からの挟込みが二十三日やつと到着したので、空しく発行を二日遅らされてしまつた。二十四日に到着したユナイテッドの分を待ち切れずに出してしまつたので、同社からお目玉を頂戴した。だつて皆さん、二十一日号に入れる広告を二十三日に東京を発送するなんて、ユナイテッド社の印刷屋も随分話せないではありませんか。宣伝部長の鈴木俊夫君よ、印刷屋をうんと叱りつけて下さいよ。》(編輯後記、田村生)

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アンナ・キユー・ニルソン

キネマ旬報 No.259
昭和2年4月21日発行
発行人:田中三郎
編輯人:田村幸彦
発行所:キネマ旬報社 兵庫県西宮市川尻二六二六

《久し振りで関西へやつて来た僕の顔を見るなり津田君は編輯後記を書けと脅迫する。どうせ穴埋めだらう。東京はいま八重桜が盛り、田中三郎氏始め同人一同元気で働いてゐますと、月並な御挨拶で此責任を果す事依而如件。(鈴木)
 さて編輯後記でも書かうとペンを取つた所へ東京の鈴木重一郎君がラテン映画商会の矢野目源一氏と共に飛び込んで来たので、早速お江戸の便りでも書いて貰ふ事にして先づ僕の後記は此の一行で終りを告げると云ふ魂胆。津田生》(編輯後記)

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キネマ旬報

大日本レトロ図版研Q所

大日本レトロ図版研Q所架蔵資料目録

by sumus2013 | 2019-11-26 20:05 | 古書日録 | Comments(0)

蜘蛛の巣の家

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ギッシング『短篇集 蜘蛛の巣の家 上巻』吉田甲子太郎訳(岩波文庫、昭和二十二年五月五日)読了。これは面白い作品群だった。

郷里の本の始末をつけているときに、ふと手に取って読み出したら止められなくなって、暇を盗んで、上巻を読み終わった。下巻はこれから、ゆっくり読もう。日記を調べてみると、二〇〇八年、ある古本屋さんから敗戦直後に出た岩波文庫を何十冊か頂戴した(捨てるつもりだったのだろう)。それらのなかに『ギボン自伝』『サミュエル・ヂョンスン伝』『ツールの司祭・赤い宿屋』など面白く読んだ本があったのだから、やはり岩波文庫は捨てられない(・・と言いながら本書以外は処分する箱に詰めたのだった)。

表題作の「蜘蛛の巣の家」は、ボロボロの住宅を買った男とそこに下宿して初めての小説を書き上げる作家の静かな交流を描いている。

次の「資本家」は薬種問屋の店員が、ある画廊で「君には買えないよ」と言われ、カッとなって借金をしてまでその絵を買うのだが、そのとき知り合った金貸しから投資について学んだ結果、資本家と見なされるまでになった話。

そして「クリストファスン」の主人公は蔵書家である。大コレクターだった男が落ちぶれて、妻と二人、ロンドンの親戚の家に間借りしている。家のなかは古本だらけ、空気が通らず、妻は病気になる。転地しようとして手はずをととのえるのだが、その家の家主が古本を持ち込むことを許さない。優しい妻は今のままでいいと言うが、体調はすぐれない・・・。

《トリニティ教会の蔭に、私のよく知つてゐる古い本屋が一軒あつた。本を並べた陳列台を照らしてゐるガスの灯に誘はれて、私は道を横切つた。私はページをかへしはじめた。そしてーーいつもお極りのことだがーーポケットにどのくらゐ金があるかと、指でさぐりはじめた。或る本が一冊欲しくなつたので、その小店の中へ入つてその代を払つた。》

その後、となりにいた六十歳くらいの男から話しかけられる。今買った本の見返しに名前が書いてあるだろうと男は言う。

《彼が私を見る顔つきには、非常に知的なところがあり、好人物らしいところがあり、同時にとても気の毒な程遠慮ぶかいところがあつたので、私は極はめて親しみぶかく答へざるを得なかつた。私は見返しの名前を見てゐなかつたが、すぐに本をひらいて、ガス燈の光で、「W・R・クリストファスン、1849」と大変立派な手蹟で書き込まれてゐるのを読んだ。
「それは私の名前です。」》

一八六〇年にクリストファスン文庫の売立があり、今でもときどき自分の名前の書いてある本に出会うと男すなわちクリストファスン本人は語る。

《「蔵書を沢山お持ちですか。」と、彼はなつかしげに私を見ながら訊ねた。
「いや〜〜。ほんの何百冊といふ程です。自分の家を持たない人間にはそれでも多すぎるくらゐです。」
 彼は好人物らしく微笑し、うつ向いて、やつと聞きとれる声で呟いた。
「私の蔵書番号は二万四千七百十八号までありました。」》

語り手は、今買ったこの本が欲しくはないかとクリストファスンに尋ね、相手の顔に喜びの色が浮かんだの見て、譲り渡す。それから何度か会い、親しくなって語り手はクリストファスンの下宿を訪れる。

《隙間もない書物の山が、確かにその三分の一の面積を埋めてゐた。書物は二つの壁にもたせかけて、幾列にも、奥行深く積み上げられ、殆ど天井まで届いてゐるのだ。円テーブルが一つ、椅子が二三脚、家具らしいものはそれだけだつたーーまつたくそれ以上置く余地はなかつた。窓は閉めきられ、そこへ陽が照りつけてゐたので、空気は、たまらなく、むし〜〜してゐた。印刷した紙と製本の匂ひで、かうまで不快な気持にされたことはなかつた。》

結局、クリストファスンは妻のために蔵書を処分してしまい、ロンドンを離れる決心をする。

《すでに、或る書店へ手紙が出してあつた。その書店が、そのまゝそつくり、彼の蔵書を買ひとるはずであつた。だが、何冊か取つておいたらどうだらう。と私はきいて見た。二つか三つの棚に並べられるくらゐの本なら、きつと文句はあるまい。それに、本なしで彼が暮らせるだらうか。》

《積み上げられた本は、周到な扱ひ方で袋に詰め込まれ、下へおろされ、荷馬車へ載せられて運び去られた。非常に静かにやつたので病人はなんにも知らなかった。その事を話す時、クリストファスンは、これまで聞いた事のないやうな得意げな声を出した。だが、思ひなしか、彼はこれまで本でかくされてゐた床から眼をそらしてゐるやうに見えた。そして、話してゐるうちに彼は時々気ぬけのやうになつてうなだれた。だが、彼がその妻の恢復を喜んでゐる事にはなんの疑ひもなかつた。》

本を袋に詰めるというところに興味を惹かれる。いよいよ夫妻はロンドンを離れることになる。奥さんはクリストファスンのことを思って留まってもいいつもりだったが、それでもほっと安堵した様子がうかがえる。ここでEND。ギッシングの短篇の、本作に限らないのだが、なんとなくむずがゆいような終り方も、それはそれで好ましく感じられる。

by sumus2013 | 2019-11-24 20:36 | 古書日録 | Comments(0)

梶井基次郎と”神隠し”の京都展

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丸善京都本店で本日より12月7日まで展示されている梶井基次郎の原稿と淀野隆三宛書簡などを見にでかけた。圧倒されたのは梶井基次郎「遺愛の薬罐」、北川冬彦の旧蔵で、箱書きは鶴岡善久。遺愛とか箱書きとか、やや仰々しいが、この無骨な薬罐が梶井の小説のどこかに出てこないか、作品を読み直してみたくなる。

ちょうど実践女子大学の教授お二方が、展示ケースの近くに用意されたスペース(地下二階のエスカレーター西側)で講演を行っておられた。聞くともなく聞いていると、「瀬山の話」の原稿は淀野隆三の手許に『梶井基次郎全集』(筑摩書房)の編纂時点では保存されていたことは確からしい。原稿にも淀野隆三の朱(校正)が入っている。顕著な直しとしては、梶井は「檸檬」とすべきところをすべて「檬〓[木偏に孟]」と記しているが、それをいちいち訂正している。その後、行方不明になり、また突如再出現して実践女子大の所蔵するところとなったらしい。

なんとなく行方不明になった理由は分かるような気もするが、落ち着くところに落ち着いて何よりだった。淀野隆三日記も某大学図書館に入ることが決まっている。


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***************


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丸善丸の内本店で梶井基次郎「檸檬」の草稿である「瀬山の話」の原稿および淀野隆三宛書簡が展示された。丸善150周年、実践女子学園120周年、実践国文100年記念。そしてその複製本が創業100年だという武蔵野書院から刊行された。この梶井の原稿は引き続き、「檸檬」の舞台である(現在地ではありませんが)丸善京都本店で11月23日〜12月7日まで展示される。これはぜひ拝見しなくては(上の写真は丸の内本店、某氏提供)。

「檸檬」草稿(瀬山の話)

「梶井基次郎と“神隠し”の京都」~幻の「檸檬(れもん)」草稿、丸善に見参!
 東京展(11/13~)・京都展(11/23~) 開催いたします。

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毎日新聞2019年11月15日


by sumus2013 | 2019-11-23 17:21 | もよおしいろいろ | Comments(0)

藤村少年讀本 尋一の巻

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島崎藤村・原作・校閲、務䑓四郎編『藤村少年讀本 尋一の巻』(采文社、昭和五年九月二十五日発行、装幀=山本鼎、装画=武井武雄)。某氏より頂戴した。このシリーズは七冊あって挿絵は、足立源一郎、木村荘八ら、それぞれの巻で違う画家が担当しているようだ。カバーがある。

《この七巻の讀本は、今までの先生の全著作の中から、少年諸君の読物に適するものを集めたものですが、特に完全を期するために、新たに先生を煩わしたものもあります。》(「第一巻の初めに」編者識)

《務䑓君は、長いこと私の書いたものに親しんで居られる人であり、曾ては幼いものを相手に教鞭を執つた経験もあると聞いてゐるから、この意気で編まれたたら少年諸君のためにも好い読本が出来ようと私は思つた。》(「序の言葉」島崎藤村)。

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第一巻の内容は、コトバ、ジャン ケン、イロ、アヂ、ナキゴエ、カタチ、アレ ヤ コレ、モノウリ ノ コエ、カナ・・・など、尋常小学校一年だから、まずは初等の国語読本のような感じで始まり、だんだんと長い文章になってゆく。ほぼすべてカタカナ、簡単な漢字がいくつか用いられている。例えば、

五 ナキゴエ

イヌ ワン ワン
ウマ ヒン ヒン
ウシ モウ モウ
ネコ ニヤア ニヤア
スズメ チユウ チユウ
カラス カア カア
ハト ポツポ


八 モノウリ ノ コエ

トウフ イ
ナツトウ ナツトウ
イワシ コ
キンギヨ ヤ キンギヨ
ドヂヤウ ドヂヤウ


一四 サカナヤサン ノ カンヂヤウ

ヒト ヒト
フタ フタ
ミツシヨウ ヨ
ヨツシヨウ ヨツタラ ヨツシヨウ ヨ
イツセイ ヨ
ムツセイ ムツセイ
ナ ナ ナンナア ヨ
ヤツセイ ヨ ヤツセイ ヤツセイ
コノ コンノウ ヨ
トウ トナ

とまあ、こんな調子である。

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面白いのは後ろの見返し、遊び紙に押されているスタンプ。たぶんスタンプだと思うが、違うかもしれない。住所印とPINOさんの顔写真。

藤村少年讀本 尋一の巻_f0307792_20250000.jpg
スタンプの名前「PINO MARRAS」を検索すると次のような略歴が見つかった。

《ピーノ・マラス Pino Marras 1940年、イタリア、サッサリ生まれ。ウルバニアナ大学、グレゴリアナ大学、ローマ国立大学及び大学院で、哲学、宗教学、文化人類学を研究した後、1971年来日。東京で2年間、日本語と日本文化を学び、その後、神戸に移住。天理大学助教授、神戸海星女子大学教授、園田学園女子大学教授を経て、現在、明治学院大学キリスト教研究所協力研究員。ローマにG.B. シドチ日伊歴史資料館を設立し、運営にあたる。》

Istituto Italiano di Cultura Tokyo
講演会「明治期日本におけるイタリア人

二つの顔写真のうち左下のものは、旧蔵者の印鑑を覆い隠すために捺されたようだ。個人的には、わりと長い間古本を触ってきたが、こういう蔵書印(と呼んでいいのかな)は初めて見た。蔵書票のモチーフとして所蔵者の肖像は珍しくないかもしれないけれど。

by sumus2013 | 2019-11-22 20:37 | 古書日録 | Comments(2)

冷蔵庫の中の屍体

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楠田匡介『事実探偵小説 冷蔵庫の中の屍体』(暗黒黄表紙叢書、東都我刊我書房、二〇一九年一一月三〇日)、面白く読了。

昭和二十七年、雑誌『読物と講談』に連載され『犯罪の眼』(同光社出版、一九五九年)として単行本化された。警視庁の吉川と宇野という二人の刑事が次々と殺人事件を解決してゆく(TVドラマの「相棒」みたいな感じです)。その『犯罪の眼』では連載時と配列が異なっているそうだ。そこで

《今回は、雑誌を連載順に追うことで、ひとつの流れが感じられたので、単行本の掲載順から、あえてもとに覆した。というのも、連載にしたがうことで、吉川、宇野の両刑事の同僚[バディ]としての時間や、季節の動きなど積み重ねて成長して行く過程が感じられたためだ。》(善渡爾宗衛「風俗小説としての楠田匡介の探偵鰤」)

《また、売春防止法が、施行されるまえの風俗が描かれ、東京を軸にして、千葉、神奈川といった時代の風俗に密着して書かれていて、昭和二十年代後期の戦後の復興期の熱量が感じられる表現が随所に見られるのである。》(同)

まさにその通りで、アプレゲール風俗を読み解くのも、今となっては、この小説の醍醐味のひとつになっている。

例えば、屍体が柳行李に詰められていたり、トンコ節が流行っていたり、米穀配給所や米穀台帳があったり・・・。江戸川区小岩に《東京で戦後有名になった例のパレスがある》という表現が出てくる(p39)。《例のパレス》としか書いていないから誰でも知っていたのだろうが、何のことだか分からない。検索してみると、これは「東京パレス」という進駐軍向けの慰安所を指すということが判明した。

または《ポーラの背広》という表現も出てくる。ポーラというのはイギリスのエリソン社の商標で夏物のスーツ服地。村上春樹なら《アルマーニのネクタイとソブラニ・ウオーモのスーツ、シャツもアルマーニだ。》(『国境の南、太陽の西』)とか書くところ。

道玄坂近くの印刷工場跡地で空地になっていた場所で屍体が発見されるというくだりに《ここはよく、アベックのやって来る場所であり、また肉の切り売りの渋谷の皇居前広場[五文字傍点]でもあったので》という文章が出てくるが、どうも意味がよく取れない。やはり検索してみると、実は敗戦直後の皇居前広場はアベックがデートする場所として知られていたそうで、屍体発見場所は渋谷の「皇居前広場」みたいな所だったと言いたいのだろうと思われる。《肉の切り売りの》が文字通りなのか比喩なのか小生には判然としないが。

また墨田区の吾嬬町(この町名は現存せず)の中川の岸で屍体が見つかる事件があるが、中川には《上げ潮でゴミが一ぱい浮いていて、体についたゴミを洗っていたんだね》という種明かしの発言が出ている。昭和二十年代、すでに東京の川はひどく汚かったことが分かるではないか。

三国人という言葉も出てくる。この時期には普通に用いられていたようだが、時代とともに死語となっていた。ところが、なぜか、石原都知事が二〇〇〇年に演説のなかで復活させ物議を呼んだことがあった(もう二十年近く前になるのか)。

《『さあ、無口な野郎でね、それに、日本人じゃねえもんですから……』
「三国人かい? 本名は知っているかい?』》

ここでは特段の侮蔑のニュアンスは感じられない。他にも《自由学校の五百助》とか《日曜娯楽版》《トンデモハップン》《鳩の街》などアプレゲール風俗を代表する(?)言葉満載。もちろん犯罪のプロットも、犯罪現場の描写も、今でも十分に楽しめるレベル。科学捜査も登場するのだけれど、どちらかと言うと刑事ドラマというより、捕物帳の感じではある。

by sumus2013 | 2019-11-21 17:17 | おすすめ本棚 | Comments(0)

古本海ねこ古書目録14号

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毎号すばらしい内容。今回目に付いたのは串田孫一のカット十点、今井田勲編集の青年雑誌『ヒカリ』(大東亜出版、一九四三年二月一五日)・・・これは『FRONT』に共通するテイストである・・・などは速攻注文したいところ。

なかで児童読物研究会(京都市京極尋常小学校内=現在の京極小学校:京都御所の東側、寺町通り今出川下ル)の発行した雑誌『文藝読本』十二冊(昭和十年〜十二年)は刮目に値する。本書の記述によれば、毎号二十頁ながら、沖野岩三郎、川路柳虹、西條八十、濱田廣介、宇野浩二、野口雨情、らの寄稿がある本格的な内容。

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編集兼発行者は大島傳次郎。検索してみると、大島は京都市役所教育課に勤めていたこともあるようだ。また萩原萬壽吉『国破れたれど 非戦災都市京都でいち早く立ち上がった若き教師達』(SHIMIZU、二〇〇一年)の第三部に「私の生涯のうちで大きな指針となった二人の校長先生(大久保通利のような大島伝次郎先生/西郷隆盛のような馬谷憲太郎先生)」という項目があることが分かった。あるいは、曽我井村 (京都府)で発行された藤本薫編『現代何鹿郡人物史』(福知山三丹新報社、一九一五年)にも名前が挙げられている。同一人物だとすれば、当然ながら、同地出身者であろう。


by sumus2013 | 2019-11-20 19:14 | 関西の出版社 | Comments(0)

石をたずねる旅

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足立卷一『詩集 石をたずねる旅』(鉄道弘報社、一九六二年四月一日)。昨日、古書柳の棚より。帯とパラフィンカバーがあるのが完本だが、これは欠けている。安かったのでよしとする。装幀が誰なのか記されていない。足立の趣味だろうか? 気に入った。

《この詩集は、わたしの第二詩集にあたり、一九五九年から六一年までの三年間の作品を集めた。わたしが『夕刊流星号』とよぶ地方新聞社に注いだ情熱と理想をうしない、旅行をおもな仕事にするようになってからの、旅行中に書きとめた作品ばかりだ。だが、ここには固有の地名はいっさいあらわれていない。すべて心象の地誌である。》(あとがき)

写真も二十点ばかり収められている。

《フォトは、仕事でいっしょに旅行した友人の作品を、ずいぶんかってに切り取ったものである。どれも気に入ったわたし自身のオブジェだ。しかし、それ以外に詩作品とは特別な関係はなにも持っていない。》

友人たちとは、有馬茂純、石川忠行、入江宏太郎、川本五一、山内一夫の五人。検索してみると、有馬は宮崎修二郎と『岬 文学と旅情』(保育社カラーブックス、一九六九)を、石川は井上靖と『古塔の大和路』(毎日新聞社、一九七八)を刊行しており、入江は入江泰吉の甥でユーピーフォトスを一九五八年に創業している。

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足立自身の写真「終末」


巻頭の作品「スパイ旅行」前半を引用しておく。

ふかい海のいろをしていた鳥打帽は
すっかり、日焼けしてしまった。
ひどいほこりで吸取り紙のようにふくらんでいる。
黒いリュックサックには
レインコート、下着、がらくたのほか、なにもつまっていない。
朱色の旅行着の十一のポケットには
磁石、分度器、地図、色鉛筆、ノート、催眠薬。
そうして
ぼくは地の突端ばかり歩いてきただけだ。
北海のノサップ、宗谷、知床の岬ども
能登ノロシ崎、経ガ崎
犬吠、潮の岬、佐多、足摺。
だが、ぼくが最終のバスからおりると
のっぺらぼうのズボンがぼくを尾行する。
やつは四角いヒゲをはやし
ときには、ぼくそっくりの受け口のかおをしている。
ぼくが海へ向かうと
やつはきまって先回わりして
繋船のエンジンを引きあげてしまう。
やつは岩かげで携帯無電を打ちはじめる。
それはなんとおろかなしぐさだろう。
ぼくがやつの手帳にスパイ第六十九号と登録されているのは知っているが
この突端に
スパイをゆさぶるなにがあるというのか?


あとがきは次のように締められている。

《詩集を出すことは、にがく、むなしく、やりきれないものだけれど、それも非才が生きるうえには、多少必要な行為だと、わたしは永年思いこんでいる。》

by sumus2013 | 2019-11-18 20:12 | 関西の出版社 | Comments(0)