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<   2019年 07月 ( 27 )   > この月の画像一覧

美人千里

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藤澤南岳の漢詩軸、少し前に入手した。簡単に読めそうで、意外と難しい。

 美人千里思悠々欲接貴姿不自
 由一夜碧雲湖上月牽将吟夢到
 仙楼
     松江湖楼作  七十二翁南岳

こんなところでどうでしょう?

by sumus2013 | 2019-07-19 17:25 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

山田稔自選集 I

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『山田稔自選集 I』(編集工房ノア、二〇一九年七月七日)読了。面白い。このところ刊行されている著作よりも、本書は、もう少し一般向けというか、広く読者を想定しているエッセイ群なので、同じく文学者について描いていても、もっとストレートな別種の面白さがある。

それにしても、さすが『スカトロジア』の作者である。当然、本書でもその片鱗・・・というか本領発揮。犬の糞、こやしの匂い、小出楢重の立ちション、おねしょ、深瀬基寛の痔・・・そして最後は「でたかな? まだまだ」「パンス・ア・クロット」「便所にて」「ヴォワ・アナール」「コーモンのむこうがわ」とたたみかける(もちろん、すでに読んだものもありますが)。山田さんがどうしてアルフォンス・アレーを翻訳しているのかがスッと納得できる。ケツ作群である。

埴谷雄高を描いた「埴谷さんの家で」のなかに

《古い映画の話になったとき、何がきっかけだったか、「山田稔はジャック・カトランに似ていますよ」と言い出して私を面くらわせた。はじめて聞く名前だった。昔のフランスの二枚目俳優だそうで、そのカトランが監督した『嘆きのピエロ』という作品が当時(一九二五年ごろ)公開されて大当たりした。その主題歌を懐かしそうに口ずさむ埴谷さんには、往年のモダンボーイの面影があった。》

というくだりがある。ジャック・カトランてどんな俳優だろうか? フランスのヤフー!で検索したらたくさんの写真が出てきた。トップに出た一枚が何か他の写真と少し違うな、と思ってクリックしてみると、

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Jaque Catelain, 1922.
Photo : Man Ray

というキャプションがあった。なるほどねえ。山田さんに似てるかな? 額が広いところとか。独特の知的な雰囲気か?

山田稔、富士正晴展 II

by sumus2013 | 2019-07-17 20:40 | おすすめ本棚 | Comments(0)

植物学小教科書

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安田篤『改正改版植物学小教科書』(六盟館、明治三十九年一月十五日六版)。明治の教科書の挿絵には魅力がある。木口木版の独特な描写力もそうだが、この教科書ではとくにレイアウトにそそられる。ちょっとシュルレアルなセンスがあるように思う。

安田 篤(やすだ あつし、1868年9月8日 - 1924年5月12日)は、日本の菌類学者である。
東京の旗本の家に生まれた。府立一中から第一高等学校を経て、東京帝国大学植物学科に入学した。松村任三、三好学の指導を受け、菌類の生理学を学んだ。1897年、第二高等学校(東北大学)の講師となり、同年教授となった。蘚苔類、地衣類、菌類の研究を行った。》(ウィキ)

by sumus2013 | 2019-07-15 20:44 | 古書日録 | Comments(0)

丘の上の対話

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19480825[重版] 丘の上の對話
著 者 竹内勝太郎
発行者 八木亀次
印刷所 日本写真印刷株式会社 京都市中京区壬生花井町三
発行所 圭文社 京都市中京区六角通高倉東入
176×124mm 191pp ¥60 


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「あとがき」を富士正晴が書いている。

《その書物がいま上梓されることになつたことについて版元の人達の示された御厚意を思ふと共に、海南堂主人扇子安次氏が惜しまれず盡して下すつた友情を一生忘れ得まいと思ふ。》

「あとがき」の日付は昭和二十一年十月。この書き振りからすると富士はまだ圭文社には勤めていなかった。初版発行日は昭和二十二年八月五日、この重版は二十三年八月二十五日。この年、昭和二十三年以降、圭文社の出版物は見つからない。閉店まで勤めていたそうだから、この本は富士自らが手がけたのであろう。

by sumus2013 | 2019-07-14 20:18 | 関西の出版社 | Comments(0)

葡萄9

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所用で出かけた帰途、久しぶりに街の草へ。先客に松江から来られた女性の方、南陀楼綾繁氏の知り合いだったので、少しおしゃべり。帰り際に古本紳士の0氏が見える。引っ越しをされたばかりの高橋輝次さんの話題など。

薄っぺらいもの何冊か掘り出す(文字通り本の堆積の下から)。いつ来ても意外性のある店だ。加納さんは、何年も前から自家目録を出すと言い続けているが、来年はサンボーホールに参加しないで、目録で勝負すると、本日、宣言。聞きましたよ。

その今年のサンボーホールで売れ残ったという『葡萄』九号(葡萄発行所、1956年8月10日)が嬉しかった。この表紙がなんとも素敵だ。誰のデザインだろう、北園克衛とも少し違うし・・・帰宅して検索してみたら、なんと、

「葡萄の季節に、堀内幸枝さんの詩誌『葡萄』」西山正義

伊達得夫ではないですか! なるほど、と唸る。


by sumus2013 | 2019-07-13 20:20 | 古書日録 | Comments(0)

扇撰り

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短冊ざくざく展の案内を頂戴したので、思い立って短冊を。新しいものと思うが・・・署名は「聖平」か。

by sumus2013 | 2019-07-12 19:43 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

湯川書房刊本目録

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七月十一日、水雀忌。『湯川書房刊本目録』(湯川書房、刊行年記載なし、一九七八年?)。『ふるほんのほこり』に収録した「忌々皆々」の全文を捧げておきたい。

文学者の死んだ日を文学忌というらしい。最近知った。これじゃまるで文学はもう死んでしまったのかのようだ。

 歳時記をひもとくと、文学者に限らず、名のある人々の忌日がいろいろと挙げられている。ふつうには「一茶忌」「漱石忌」などのように号(あるいは実名)に忌をつけて呼び、当日または逮夜に法要や茶会が催される。今ならさしずめ偲ぶ会ということになるだろう。

 歳時記をひもとくと、文学者に限らず、名のある人々の忌日がいろいろと挙げられている。ふつうには「一茶忌」「漱石忌」などのように号(あるいは実名)に忌をつけて呼び、当日または逮夜に法要や茶会が催される。今ならさしずめ偲ぶ会ということになるだろう。

 むろん名前ばかりでなく、松尾芭蕉の「時雨忌」や芥川龍之介の「河童忌」のように、その人物にちなむ言葉が選ばれることも珍しくないし、また植物の名がつけられているのも、似合ってさえいれば、趣のあるものだ。梶井基次郎「檸檬忌」、立原道造「風信子忌」、太宰治「桜桃忌」、中野重治「くちなし忌」、宮本常一「水仙忌」、司馬遼太郎「菜の花忌」、瀧口修造「橄欖忌」、野呂邦暢「菖蒲忌」など。

 二年ほど前(二〇〇八年)、湯川書房のご主人が亡くなられた。湯川書房は一九六九年に辻邦生『北の岬』、小川国夫『心臓』を相次いで刊行することによって活動を開始した出版社である。初め大阪に事務所を置き、後には京都へ移って、おもに少部数の限定版を発行していた。版画家、染織家、印刷者、製本者などが集う共同体のような工房を夢見ていた時期もあったらしいが、本はこうあるべきだとか、理想の書物はこうだ、というような野暮な主張は一度も湯川さんの口から聞いた覚えはない。「本なんかなるべく出さんほうがええ」これが晩年の口癖だった。

 その言葉通り、最後のころには『車谷長吉恋文絵』(二〇〇五)だとか加藤一雄『京都画壇周辺』(二〇〇六)のような渋い本を一年に一冊か二冊だけ丹念に造る、そんな悠々たる姿勢だった。清貧のなかの豪奢とでも形容すべき湯川さんの仕事ぶり暮らしぶりが、小生のようなのらくら絵描きにとってはじつに頼もしく写ったものだ。

 命日は七月十一日。湯川書房のマークだった孔雀をとって「孔雀忌」と勝手に名づけていたのだが、ごく親しい方々は「水雀」という湯川さんの俳号から「水雀忌」と呼んでいるようだ。
 「わしはもう衰弱しとるから、水雀や」、こう笑っておられたことを思い出す。

by sumus2013 | 2019-07-11 17:21 | 古書日録 | Comments(0)

ALPHABET DES ARTS ET MÉTIERS

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『ALPHABET DES ARTS ET MÉTIERS』(1863, BERNARDIN-BÉCHET)なるフランス語の書物を頂戴した。深謝です。「いろは職人尽」とでも訳したらいいだろうか。アルファベット(アルファベ)の書き方から書体、そして綴り方、アルファベットが頭文字にある職業の紹介・・・という内容。教科書か副読本か。

挿絵は表紙に「Dessins de GAGNIET」とわざわざ断っているので、知られた画家だろうか、と思って簡単に検索してみたが、この本以外の情報は見つけられなかった。また、すべての挿絵版画には「LACOSTE AINE」というサインがある。「aîné」は「最年長の」意味。彫師だろうと思って検索すると十九世紀後半にいろいろな仕事をしているようだが、素性は分からなかった。

十九世紀フランスの標準書体が五種類ほど収録されていて参考になる。

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旧蔵者によるペンと鉛筆の書き込みが散見される。発音を付したところもある。


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いろは職人尽の「い」(I)は「いんさつにん」(Imprimeur)の「い」。文選人(compositeur、この絵では女性のように見える)とインクを盛る人物と仕上がりをチェックする人物が描かれている。帽子が独特だ。正面奥の扉には「印刷監督人室」の表記。

印刷機はスタンホーププレスに似ている。初めての総鉄製の印刷機である。ロンドンでタイムズ社が導入したことで知られる。新聞一面を一度に刷れるというのが画期的だった。上の挿絵で男性がチェックしているのも新聞のようである。


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『近代印刷のあけぼの スタンホープと産業革命』印刷博物館、2006より


by sumus2013 | 2019-07-10 19:41 | 古書日録 | Comments(0)

裏面研究 古本屋總まくり

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『新公論』第三十一卷第三号(新公論社、大正五年三月一日、編輯人=小坂兼吉、発行人=上野岩太郎、東京市牛込區中里町二十七番地)に古書店の記事が掲載されている、というご教示、およびその画像を頂戴した。深謝です。

「裏面研究古本屋總まくり」變現子。このような形の大正五年の報告は珍しいと思う(?)。参考のため実名や具体的な数字などの掲載されている部分を少しばかり引用しておきたい。◉をつけたのが小見出し。

◉世界一の古本屋町
三月より四月は、新入生が教科書や参考書を漁りにどっと押し寄せるから、神田神保町の古本屋は書き入れ月となる。だから古本屋の裏面研究を特集することになった。

《こんな面白い商売もなく、こんなボロイ商売もなし》

ここで新刊書店として東京堂、三省堂、富山房、有斐閣、上田屋、大正堂、光風館、隆文館を挙げている。

◉昔の神保町と今の神保町

《扨古本屋の発展してきたのは実に此頃で、十五六年前はまことに微々たるもので、神保町にはホンの十五六軒しかなかつた。それも今のやうに堂々たる構などは一軒もなく、二間間口か乃至三間位ゐの小さな家に、僅かな品物を並べて相当に商売をやつてゐた。当時今の大正堂の筋向ひに、飯島高岡塚田松村岡田中澤等と云ふのがあつたが、それ等が古本屋を神保町に切り開いた重なる連中で、中にも岡田の如き一時は古本の商売が殊に烈しかつた為に、可也懐を暖たゝめて同業者の羨望の的となつてゐたが、止せばよいのに懐のあたゝまつた所で、古本屋を振り捨てゝ、新刊書籍出版業などに、手を出したのでマンマと失敗して、今では何でも小石川富坂辺に再び古本屋と成り下つて、同じ文星堂の看板に過ぎし昔の全盛時代を偲んでゐると云ふ》

平、塚田は神田大火で焼失、塚田は青山へ。平は風呂敷商売になった。今残る飯島、高岡、東條、松村、芳賀は電車通りに発展している。

《現在神田区内に散在する古本屋三百二三十軒》のうち夜店から成り上がったのは小雲書店遠田小学堂酒井芳文堂の主人は博文館に居たことがあり、雑誌の残本を一手に引き受けて夜店屋へ卸している。

◉畑に向く品と向かぬ品

◉相場を立てる古本市
東京市内で開かれている古本市会の大略で、毎日のように市が立っていた。

一日、六日、十六日、二十一日、二十六日 四谷伝馬町、中村屋宿屋二階
二日、十二日、二十二日 牛込区牛込見附、琴富貴貸席
三日、十三日、二十三日 浅草区馬道、竹林亭
一日、六日、十一日、十六日、二十一日、二十六日 神田神保町、青柳貸席
二日、十二日、二十二日 日本橋人形町、東倶楽部
四日、七日、九日、十二日、十四日、十七日、十九日、二十四日 神田区錦町一丁目、松本貸席
五日、十日、十五日、二十日、二十五日、三十日 下谷御徒町、荒物屋二階
五日、十五日、二十五日 麻布区四の橋、鈴木書店
三日、十三日、二十三日 赤坂区青山五丁目、寶星倶楽部
七日、十七日、二十七日 日本橋薬研掘、車屋貸席
十二日、十五日、二十二日 本郷区春木町、祝本貸席
八日、十八日、二十八日 芝区西の久保巴町、東国堂書店

神田の「松本市会」が上等書籍が集る。人形町は小説、本郷は医学書など土地向きがある。値打ちのある本は入札を行う。

《入札の最も高札を以て彼に落し、二番札に其の売手より其の金高に準じた、一割乃至五分を呈するを例としてゐる》

《市会に臨む時の席料は三銭で、売手はそれの外に、自分の持ち出した書籍の総売上高に対する五分の手数料を取られて、それが其の日の「市會(いちくわい)」の万事の費用となるのである》

◉根性の浅ましさと慾のかたまり

◉狐と狸の化けくらべ
ここではセドリについて実に興味深い記事を残してくれている。

《今東京市内にセドリ屋なるものが二十七八人居るさうであるが、こいつが中々馬鹿にならない商売》

《本郷に市川あり、神田に石井あり、是がセドリ屋の両大関で、東京市内のどんな場末の古本屋へ行つても、恐らく本郷の市川、俗に「孫チヤン」なるものを知らぬ者はなく、且つ神田の石井、又の綽名を「ロビンソン」を知らない者はない。二人共揃ひも揃つて呑気者の大将、殊に孫チヤンに於ては、可也の財産をブッ潰した成れの果で、今ではかへつてセドリ屋にイカク趣味を以つて「ナマジツカの商売より遥かに増しだ」と相変らず儲けた金は片ッ端から後かたもなく使つて仕舞ふと云ふ》

あだ名がロビンソンとは・・・なかなか。

◉遠近多少に拘らず参上

◉古本屋の厄介虫

◉和本で儲けた果報者

《神田某古本店の主人は曰く、此節はまう洋本に於ては到底面白い儲はなくーーと云てて和本に於ても大した儲はなくなつて来たが、それでも何と云つても、古本屋の儲かるのは和本が重で、最近に於て和本で儲けたのは本郷森川町の小橋書店、並びに淺澤北洋堂ださうである。小橋は此三年斗り前迄は本郷菊坂通りに小さい店を出してゐたが、不図うまい風の吹き廻しで、何でも巣鴨あたりの古道具屋から探し出した錦絵的のものが図抜けて高く売れ、シコタマ儲けて一足飛びに今の森川町に店を拡張した果報者だとの事で、専ら仲間中の評判者である。》



by sumus2013 | 2019-07-09 17:33 | 古書日録 | Comments(0)

本の袋ふたたび

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ときどきのぞく均一台にこんなものがあった。『日本略史一』(文刻堂、明治十一年一月)の端本。笠間益三編、四冊揃いのようである。国文学研究所の近代書誌・近代画像データベースに完本が出ている。

しかし、問題なのは本ではない。この黄色い表紙の巻一に挟まれていた袋である。これは国文学研究所の画像にも写っていない。袋があって完揃いであろう。

本の袋

袋のヒラには、見返しと同じ版面でタイトル等が刷られている。そこに大きな絵入りの円印と朱文六文字の角印が捺されていて(実押)、前者は「春風堂」の文字と人馬が描かれており、後者には「春風堂製本記」と刻してある。さて、これらの印がどういうものか、よく分からない・・・検印などと同じく偽版等を防ぐためとしても、製本所で捺すものか?

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袋の内側を見ると、反故紙で補修がなされている。破れても捨てないで大切にくるんでいたのだろう。

by sumus2013 | 2019-07-08 20:27 | 古書日録 | Comments(0)