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形式主義藝術論

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中河與一『形式主義藝術論』(新潮社、昭和五年一月十二日)を善行堂にて発見。ある個人の方から買い取ったばかりという、ひとまとまりの、渋い本のなかにあった。どれもこれも渋くて(小生と趣味が似通っていて)あれこれ目移りしたのだが、この本は表紙画が佐伯祐三なので、逃すわけにはいかない。

中河与一は佐伯と親しく、佐伯のパトロンの一人でもあったようだ。本書に収められている「佐伯祐三の絵」には次のように書かれている(旧漢字は改めた)。

《私は、彼が彼の美しい奥さんーーセザンヌ夫人のやうに髪をひきつめに結つてゐられたーーと一緒に、私の家庭へやつて来た時の事を思ひ出す。
 彼は少し低い方であつた、痩せてゐた。色が焼けてゐた。眼がひつこんでゐた。前歯が一本かけてゐた。歯の間から舌がチロチロのぞいて見えた。
 私が彼の中に見出した親しみ深いものは、ヨーダレカケのやうな襟のついた黒い詰め襟の仕事服であつた。彼は彼のすばらしい評判にも拘はらず粗末な風を楽しさうにしてゐた。この服には彼のいゝユモラスと大阪的舌だるさと、真剣さとがあつた。》

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右より妻・米子、娘・弥智子、佐伯
[『太陽』1980年3月号「佐伯祐三絵画VS写真」より]


《さて彼はフランスへ渡る前にーー彼自身の為めに、又私の為に云つた。
「中河さん。お互ひに芸術家は生活に嘘が出来ては駄目ですな。生活は何時もデタラメに正直にしておかぬといけません」
 私はこの言葉を忘れる事が出来ない。》

《もう一週間すれば彼がーーすばらしい画布の中に、生命力を脈々と堪[ママ]えて、フランスから帰つてくるといふ。私は楽しみでならない。
 然し私がこの楽しみに就いて妻と語り合つてゐる時、ふと私の長男が悲しい声で云つた。
「お父ちやん達が、佐伯さんの話をすると、僕、目の中が変になるの」
 八つになる彼は何故に涙を感ずるのであるか。恐らく彼は、絵を見ることによつて、作者を感じる楽しみを知らないからに違ひない。そして一度の逢ひの親愛の感情が未だに忘れられないからに違ひない。》

中河は、佐伯がフォルマリストであり、メカニックなものに魅かれたと断定しているが、それはどうなのか。建物、広告などというモチーフを選ぶ動機についてはそれはその通りだとも言えるが、絵画表現として、佐伯にはいわゆる、たとえばブラマンクのような、スタイルも形式もない(まだ、なかった)。作品一点一点が新しい探求だった。それでいて純粋さがすべての画面から等しくにじみ出ている。それは形式+内容の裏にあるものではないか。あるいは、佐伯の求めた「正直」ということなのかもしれない。八歳の子に忘れられない印象を与える絵描き、なのである。


by sumus2013 | 2019-06-29 21:09 | 古書日録 | Comments(0)

私のワンコイン文庫

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入谷コピー文庫篇『私のワンコイン文庫』(2019年7月26日)が届く。通巻118号。490円以下で買うことのできる文庫本を一冊紹介するという企画である。小生も書かせてもらった。

いつも古本文庫しか買ってないので新刊でいくらするのかが分からない。値段の感覚はおそらく三、四十年前のままである。そういう意味で選書に苦しんだ。

で、寄稿者のみなさんの選書は以下の通り。一人で二冊、三冊の方もおられるし、昔の値段のままで選んだ方も・・・(なんだ、悩んで損した)。新潮文庫がなんとか安価なタイトルを残している感じ。古典ばかりのはずの岩波文庫でも新刊はけっこう高くなっている。数字は現行の新品価格(アマゾンによる)。数字のないのは古書価のみ。『日本女地図』がダントツ。

子規歌集 岩波文庫 457
現代俳句歳時記(秋) ハルキ文庫 497
太宰治『ヴィヨンの妻』新潮文庫 400
更級日記 岩波文庫 460
須賀敦子『トリエステの坂道』新潮文庫 562
川上弘美『なんとなくな日々』新潮文庫 432
中村文則『掏摸』河出文庫 508
吉本ばなな『キッチン』角川文庫 432
開高健『眼のある花々』中公文庫 
井上靖『詩集北国』新潮文庫
中河与一『天の夕顔』新潮文庫
殿山泰司『日本女地図』角川文庫
芥川龍之介『蜘蛛の糸・杜子春』新潮文庫 346


更級日記 岩波文庫 黄18-1 定価:本体460円
林 哲夫(画家)

 新刊で文庫本を買うということがほとんどない。最後に買ったのはいつだったろうか?

 はるか昔のことのように思われる。ただし古本では毎日のように買っている。490円以下の文庫ならラクショー、と安易に考えて本棚の前に立った。ところが、いざ「これにしよう」とググッてみると、現在の定価は500円どころか700円、800円にもなっている。これもダメ、それもダメ、あれもダメ……う〜ん、困った。

 手許にある『ちくま文庫 ちくま学芸文庫 総目録2019』をざっとチェックしてみて驚いた。なんと、500円未満のタイトルは斎藤孝『質問力』490円と夏目漱石『こころ』380円の2点のみ。昔は文庫といえば部数が多いものと決まっていた。だから安くできた。ところが今では文庫においても多品種少量生産の時代である。500円をクリアできるタイトルはウルトラ・ロングセラーか、よほどの売れ線でなければならないようだ。

 そんなことで迷った末、岩波文庫の古典から『更級日記』(西下経一校注)を選んでみた。架蔵本は1988年発行の51刷、定価200円(税なし!)。現在は本体460円(+税)である。高等学校古典Bの主要作品なので知らない人もいないだろうが、著者は菅原孝標の娘、菅原家は天神さんこと菅原道真の子孫で代々大学頭や文章博士を輩出した学問一家である。その少女時代から晩年にいたる出来事を断片的に追懐して記したもの。藤原定家がこの日記を愛して何冊も写本を作っており、自筆本が御物として伝わっている。

 父の孝標は寛仁元年(1017)に上総介(現在の千葉県の国司の次官)となり都を離れたため9歳から12歳までを上総で過ごした。関東の果ての果て(あづま路の道のはてよりも、なほ奥つかた)である。多感な文学少女には耐えがたいド田舎だった。「京にとくあげ給ひて、物語のおほく候なる、あるかぎり見せ給へ」と薬師仏に願うほど。母や姉から『源氏物語』の断片を聞きかじって、どうしても全編を読みたいと思い詰める。

[下略]


『ふるほんのほこり』善行堂に納品しました。部数が少ないのでお早目にどうぞよろしくお願いいたします。


by sumus2013 | 2019-06-28 20:11 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)

どないなっとるんやろ

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N尾さんより便りあり。その余白にカルピス絵葉書のカラーコピーが。

滋強飲料カルピス
国際懸賞募集ポスター之内 佳作

調べてみると、全部で十枚、袋入りだったようだ。この「カルピス広告用ポスター及図案懸賞募集」は大正十二年に第一次世界大戦後のインフレで苦しむドイツ、フランス、イタリアのデザイナーを援助する目的で行われたという。


月がコップをなめている(?)この図柄、まさに石野重道か稲垣足穂かという同時代性を感じさせてくれるではないか。

《池田の古書肆まがり書房に今日行ってきました。教えていただいてから、数回いくも、(土、日開くとあるも)閉店。今日いくとブック・フェア。どないなっとるんやろ。均一台で「用土と肥料の選び方・使い方」購入。》

とも。そうでした、伊丹のみつづみ書房でもらった「まがり書房」の名刺をN尾さんに送ったのでした。小生はまだ訪ねていない。ツイッターを見ると、営業日はけっこう変更が多いようなので、確かめてから出かけた方がいいようだ。



by sumus2013 | 2019-06-25 19:42 | 古書日録 | Comments(0)

カフェイン大全

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ベネット・アラン・ワインバーグ/ボニー・K・ビーラー[著]別宮定徳[監訳]『カフェイン大全 コーヒー・茶・チョコレートの歴史から、ダイエット・ドーピング・依存症の現状まで』(八坂書房、2006年2月22日)は、副題にある通り、コーヒーや茶だけではなくカフェイン全般について広範に語った本である。『喫茶店の時代』執筆当時にはまだ出版されておらず、参考にすることができなかったのが残念だ。この本を知っていれば、書き方は少し変わったかもしれない。

このなかに一箇所、ランボーが登場するくだりがあった。そうか! そうだった、ランボーはコーヒー商人でもあったのだ。これは『喫茶店の時代』にも取り入れられたはずで、全くうかつだった・・・。

《一八八〇年初頭、フランスを脱出したもと象徴派詩人ジャン・アルテュール・ランボー(一八五四〜九一)は、「ハラルとガラ地方」の地図や版画を含む本を地理学協会のために書こうと、アフリカに行く計画を立てた。今日知られている限りでは、彼は出版社と出版予定日を明記した「東アフリカ探検家、J・アルテュール・ランボーの見たガラ。地図、版画、著者撮影の写真を添えて。H・ウーダン社、パリ、メジェレ通り十番地、一八九一年刊」というタイトルを残しただけである。実際に本を書くことはなかったものの、ランボーはガラを旅行して回り、何度か単独で探検するうち、本人も困惑気味ながら、部族の女性が初めて見る白人となった。部族と一緒のときは、緑のコーヒー豆をバターで調理したものなど、彼らと同じものを食べている。ゼイラの有力な山賊王、ムハンマド・アブ・ベケルと一緒にコーヒーを飲むよう強要されたのには閉口したと手紙に書いているが、この王はヨーロッパの旅行者や貿易商を食い物にし、隊商や奴隷貿易の通路を支配していた。この地域に入るにはアブ・ベケルの許可が必要で、そのためには、コーヒーを共に飲む儀式に参加しなければならなかったのだ。王が手をたたくと、召使が「隣接した藁小屋から走って『エル・ブン』つまりコーヒーを持ってきた」という。この手紙からも、コーヒーがいかに重要だったかがうかがえる。》(62〜64頁)

この出典は《Alain Borer, Rimbaud in Abyssinia》となっている。これは『Rimbaud en Abyssinie』(Seuil, 1984)の英訳だろうが、引用部分からだけ判断すると、間違いが多い、というか、ある部分は作者の創作ではないだろうか。まず《本を地理学協会のために書こうと、アフリカに行く計画を立てた。》というところ、これは逆である。アフリカへ行ってから地理学協会のためにレポートを書き、その評判が良かったためか、同協会から資金を得て旅行記を出してもらおうと画策した、というのが実際に近い。

《ムハンマド・アブ・ベケルと一緒にコーヒーを飲むよう強要されたのには閉口したと手紙に書いている》とあるが、巻末に《M. de Gaspary 宛書簡(アデン、1887年11月9日付》とその手紙が特定されているにもかかわらず、当該の手紙のなかにはそんな逸話は出てこない(『ランボー全集』青土社版による)。またモハメド-アブ・ベケールは王ではなく(南アビシニアの王はメネリク)その地域の奴隷貿易など掌握していた部族長のようだ。

一八八五年一月一五日付けのアデンから家族宛に出された手紙によれば、

《ここでのぼくの仕事はコーヒーの購入です。月におよそ二十万フラン分購入します。一八八三年の一年間に三百万フラン以上を購入しました。》

とか、あるいは同年四月一四日には

《主な取引はモカと呼ばれるコーヒーです。モカ〔イエメン北部の紅海岸の港で、十七・十八世紀にはコーヒーの積み換え・輸出の一大拠点。モカ種はこの地名に由来する〕がさびれて以来。モカ種のコーヒーはすべて当地から搬出されます。》

とあるように、コーヒーはランボーにとっては大量に扱う商品に過ぎなかったし、コーヒーを飲まされて閉口するというような時代でもなかったのではないだろうか(ランボーが閉口したのは商売を邪魔されてである)。引用の問題か、アラン・ボレルの原典を見ていないので何とも言えないが・・・。


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『いっぷくの情景ーー「嗜み」からよみとく現代アジア』(千里文化財団、2008年5月15日)より、イエメンのモカコーヒーの豆。

《コーヒーはエチオピア原産だが、アラビア半島につたえられ、イスラーム神秘主義修道者たちに薬として用いられた。13世紀頃には焙煎がおこなわれていたようである。紅海の港町モカはコーヒーの積出港として栄えた。苗木をひろげたのはオランダ人。》

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《アラビアコーヒーにもサモワールがつかわれていた。シバーム2006年2月。》

ランボーとコーヒーの関わりは看過できないということ、これに気付かされたのは収穫だった。


by sumus2013 | 2019-06-24 17:04 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

石野重道2冊

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石野重道『彩色ある夢』(我刊我書房、二〇一九年七月二〇日)および石野重道『不思議な宝石 石野重道童話集』(書肆盛林堂、二〇一九年六月二七日)が届いた。前者は二〇一五年に豆本として刊行されており、このブログでも紹介した。他に『彩色ある夢』は遺稿集『真珠貝の詩』(石野香編、一九八三年)に全編収録されているというが、いずれも少部数。後者の『不思議な宝石』には善渡爾宗衛氏と未谷おと氏が『サンデー毎日』のバックナンバーを渉猟しているときに再発見した作品十篇が収録されている。

石野重道『彩色ある夢の破片(かけら)』

書肆盛林堂

杉山淳「その後の石野重道ーー石野重道童話集解説」より石野の略歴を引いておく。

《石野重道は、一九〇〇年神戸市に生まれ、一九一九年、関西学院を卒業後上京、声楽を学んだ。のち文学を志し、佐藤春夫に師事した。一九二三年、第一詩集『彩色ある夢』を出版した。一九四四年高砂市で亡くなっている。》

書誌によれば十篇の短い童話は大正十三年十一月から大正十四年十一月の間に『サンデー毎日』に掲載された。イソップのようでもあり、落語のようでもあり、御伽草子かアラビアンナイトのようでもあり、そしてあるものはシュルレアリスム風味もあるというふうに(それは多分に大正時代のテイストなのではないかと思う)古今東西の語りのスタイルを借りた奇妙に面白い作品群である。関東大震災直前に刊行された『彩色ある夢』と比較してみれば、似通ったモチーフはあるものの、同時に深い溝も感じられる。それらの質的変化を実際に読み比べられるという意味においてもこれら二冊の同時刊行は貴重な機会であろう。

『彩色ある夢』初版の書影を探したのだが、見付からないので、田村書店『近代詩書在庫目録』(一九八六年)の図版を引用しておく。

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by sumus2013 | 2019-06-22 20:08 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ミニアチュール神戸展Vol.19

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わたしの万有引力
2019年7月20日〜8月4日

ギャラリー島田
http://gallery-shimada.com


by sumus2013 | 2019-06-22 19:57 | 画家=林哲夫 | Comments(0)

ランボーのスティーマー・ポイント

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鈴村和成『ランボーのスティーマー・ポイント』(集英社、1992年7月10日)読了。鈴村氏はランボーが詩を放擲してアビシニアやイエメンのアデン(当時は英国の保護領)で商人として書いた多くの手紙を読み解き、アフリカのランボーは書簡作者(エピストリエ)だったという説をとなえておられる(『書簡で読むアフリカのランボー』未来社、二〇一三年、など)。

これに関して最近発見して、ちょっと驚いたことがある。『ランボー全集』(青土社、二〇〇六年)の「あとがき」にこんなふうな批評が掲載されているのだ。

《これらが[アフリカなどから出された「その他の書簡」を指す]『イリュミナシオン』に劣らぬ文学的価値を秘めており、ランボーは手紙という形で詩の営みを生涯継続したとする、数年前わが国に出現した説(鈴村和成『ランボー、砂漠を行くーーアフリカ書簡の謎』岩波書店、二〇〇〇年)は論外である。その種の説は、言語の質の相違を、そして書くことへの関わり方の違いを顧みない、まったく抽象的な空想である。》

青土社版『ランボー全集』刊行当時のランボー研究の展開を概説したなかで、この書き振りは、ちょっと感情的に過ぎるのかなという感じがしないでもない。無視してもよさそうなところを、わざわざ批判した。そう言う意味で鈴村説は急所を衝いていると、逆に、思えてきたりするのである。

ま、ただ、アフリカ書簡の多くは家族、特に母に宛てられたものであり、ほとんどはお金の話に集約できる。本(建築や土木などの実用書)を買って送ってくれという依頼も含めて。『イリュミナシオン』や『地獄の季節』とは別物であることは確か。しかし同じ人間が書いたことも確か。論外というのは、やはり、言い過ぎではないかと小生は思う。どんな手紙も真摯に取り扱わなければならないだろうし、鈴村説を読んでいると、『イリュミナシオン』や『地獄の季節』で書いた(予言した)ことを自分自身で実践した後半生だった(二十歳から三十七歳まで)というのが事実のように思えてくる。

カバーの表1写真(上部)はスティーマー・ポイントのロック・ホテルのレストランより港を眺めた光景。スティーマー・ポイントは、一八八〇年(明治十三)、ランボーが初めてアデンへ来たときに着いた場所である。

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カバーの表4写真はスティーマー・ポイントのユニヴェール・グランド・ホテル。いずれも撮影は著者。

巻末「旅のデータ」のなかにパリの書店についての言及があるので引用しておく。

《パリの書店では、フォーラム・デ・アールとモンパルナスのFNACが新宿の紀伊国屋なみの大型書店で、ここは本が5%割引になる。文学関係ではサン・ジェルマン・デ・プレのル・ディヴァン(Le Divan, 37, rue Bonaparte)、美術書では同じくサン・ジェルマン・デ・プレのラ・ユヌ(La Hune, 170, boulevard Saint-Germain)、哲学・文学書ではリュ・デ・ゼコールのリブレリー・コンパニー(Librairie Compagnie, 58, rue des Ecoles)、詩集ではヴォジラール街のポン・トラヴェルセ(Pont Traversé, 62, rue de Vaugirard)、ムフタール街の「旅人の木」(Arbre Voyageur, 55, rue Mouffetard)、写真集ならサン・シュルピス街の「明るい部屋」(La Chambre claire, 14, rue Saint-Sulpice)に、専門書が揃っている。
 日本のようにけばけばしい装丁の本はなく、マンガや週刊誌も置いていないので、昔の日本の本屋さんに郷愁を感じる人は淡いクリーム色の背表紙の本にとりかこまれて、静かで落ち着いた瞑想の時を過ごすことができる。本の棚の動きもゆったりとしていて、1960年代の初版本ーー30年前の本です。信じられますか?ーーを、いまでも新刊書の棚に見かけることがある。》

これは一九九一年の話である。ジベール・ジョセフが出ていないのがちょっと不思議。ル・ディヴァンはボナパルト通からコンヴァンション通(200, rue de la Convention)へ移転している。ラ・ユヌは本ブログでも何度か取り上げてきたが、これもサンジェルマン大通りから少し離れたアベー通りへ移転し、写真専門の書店とギャラリーになった。

それら以外は今も営業していると思う(小生の知る範囲内では営業していました、もう二年以上前のことになりますが)。九〇年代の初めにはマンガを置いてないなんていう牧歌的な書店風景だったのか・・・。30年前の本と言っても、古書が新刊と混ざって棚に差されているだけのことなのだが、小生も一九九八年に初めて同じ体験をしたときには「おお!」と思った。

by sumus2013 | 2019-06-21 17:22 | 古書日録 | Comments(0)

金沢文圃閣出版総合目録他

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金沢文圃閣より『文献継承』33、『年ふりた…』23やパンフレット類が届いた。昨年九月の台風で倉庫書棚が倒れ、古書二万冊が散乱、甚大な被害を受けたそうだ。その復旧作業は今も続けられているという。

本年九月に二十周年を迎えられるとか。今後もまだまだ旺盛な活動を続けて欲しい書肆である。同封されていた目録や内容見本を見るとその凄さが実感できる。健闘を切に祈りたい。


by sumus2013 | 2019-06-20 19:03 | おすすめ本棚 | Comments(0)

明日樽亭目録

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アスタルテの佐々木氏が亡くなってもう四年が過ぎた。アスタルテ書房の目録が何冊出たのか知らないが、手許に二種残っている。『極付明日樽亭間目録[きわめつき あすたるて ちよつと うりたて]』と『再茲明日樽亭続目録[またここに あすたるて ごにちの うりたて』。どちらも発行年などは記されていない。前者の封筒に平成九年十一月十二日の消印、後者には同じく平成十年六月二十九日の消印がある。

すべて手書き原稿で両面印刷。『間目録』は474タイトル。泉鏡花、日夏耿之介、稲垣足穂、澁澤龍彦、種村季弘、生田耕作らの本が多い。とくに澁澤龍彦が多数出品されている。当時の小生が鉛筆でチェックしたタイトルを参考までに掲げておく。

58 候べく候 限定300 署名入 楠瀬日年 S28 30,000
120 稲垣足穂書簡 生田耕作宛 宛先共自署 
    ガリ版の『作家』誌発表作品目録 3枚完 S37 150,000
239 トポール マゾヒストたち 初函 S47 12,000
245 ボレル 解剖学者ドン・ベサリウス 初函帯 H1 1,500
306 ホッケ 迷宮としての世界 初函 正誤表付(完本)
    ほぼ極美 S41 25,000
359 コブデン=サンダスン この世界を見よ 限300 函(完本)
    署名 落款入 S62 30,000
371 リラダン トリビュラ・ボノメ 初函 S15 9,000
440 52記 限52 完本 銅版画52葉入 若林奮 H7 550,000
449 (仏)アンドレ・ブルトン〈痙攣的な美〉展 
    ポンピドゥー・センター 1991 28,000
460 (仏)牧神の午後 限195 元栞紐2本付(稀)原装
    マネ木版画3葉(内手彩色1葉)及手彩色木版蔵書票一葉入
    マラルメ 1876 2,300,000
468 (仏)海龍 著者本限25 原装 コクトー・フジタ両者署名入
    L.フジタ銅版画25葉及肉筆〈猫の図〉デッサン入
    ジャン・コクトー 1955 4,300,000

かなり高額な本も載っていたのだ。最後の方はビックリして線引きしただけかも。楠瀬日年はずっと何冊も棚に挿してあり、欲しかったのだが、結局は一冊も買わなかった。この目録から『解剖学者ドン・ベサリウス』と『トリビュラ・ボノメ』を注文したかと思う。後者は渡邊一夫の装幀本。熱を入れて集めていたときだったので奮発した。今も持っている。

『続目録』は491タイトル。生田耕作、澁澤龍彦は変わらず多いが、露伴や平山蘆江、岡本綺堂、黒岩涙香、小栗虫太郎などの小説類が大半を占める。高額なのは金子國義の石版画など。モジリアニのカタログ・レゾネ29万円が最高値のようだ。稲垣足穂『星を賣る店』が95,000で出ている。こちらには鉛筆でのチェックはひとつもないが、付箋が一枚だけ貼られている。

180 巴里 初カバ 極美 松尾邦之助 S4 18,000
181  〃 初        〃   S4  3,500

付箋はこの二冊にわたっている。むろん買ったのは181である。これは面白い本だったが、しばらくして売ってしまった。

アスタルテ書房誄

by sumus2013 | 2019-06-17 20:31 | 古書日録 | Comments(0)

田端鑑海

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田端鑑海の作と思われる漢詩軸を入手した。

 曽遊如夢太匆々
 毎読君詩奥不空
 萬壑千山行晴好
 拾収都在一嚢中

 題南遊詩稿為
 松洞老兄厲  鑑海

こう読んでみたが、どうだろう。田端鑑海については柴田清継「明治三十九年 王治本の 尾張・伊勢・越前・三河における足跡と文藝交流(上)」に紹介されている。

《ここで新たに名前が出た田端観(鑑)海(名は和。一八七一〜一九二九)は河藝郡天名村(現鈴鹿市徳田町・御薗町一帯)の人で、「居ヲ玉山堂トイヒ」、十九歳で「大阪ニ遊ヒ贄ヲ藤沢南岳ノ門ニ執」り、 二十三歳の時「学成リテ郷ニ帰リ超然世俗ト断チテ専ラ心ヲ作詩ニ注」いだ人で、「鵞渓吟社滄浪吟社ノ盟首」であった 。また、『大正三重雅人史』では「漢学を藤沢南岳に学び、詩作を楓井古斎、服部藍亭等に従」い、「殊に詩作は県下の一頭目たる観あり」と評され 、服部担風の弟子であった川島清堂によれば、「担風四天王の一人」と称された時期があったという。》

藤澤南岳に学んだというところに引っかかったわけである。また、松洞老とあるのは、浅野儀史ではないだろうか。

《松洞浅野儀史(近代、AD1866~1944)
浅野松洞は丹波の人で、名は儀史、字は文淵、号を松洞と称し、幼時より学を好み、京の坂上沖所に漢詩漢学を学び、奈良で私立学校を建てて子弟の教育に当り、教育に従事すること40年に及んだ漢学者で、その書は、和様・唐様共に研究して一派を成している。またその著に『三重先賢伝』『赤目百絶』『南放詩稿』等が有る。》

五歳年長なので兄と呼ぶにふさわしいだろうし、書風も似ているようだ。




by sumus2013 | 2019-06-16 20:16 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)