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井東憲 人と作品

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『井東憲 人と作品』(井東憲研究会、二〇〇一年二月一七日)を梁山泊の均一で発見。名前に馴染みはなかったが、立ち読みしてみると、これはグレゴリ青山『コンパス綺譚』の世界ではないか、そそくさと二階へ持って上がった(レジが二階なのです)。

本書の年譜をかいつまんで引用しておく。《 》内は年譜原文のまま。

一八九五(明治28)八月二七日、東京市牛込区神楽坂二丁目二五番地に生まれる。本名伊藤憲。父伊藤司信(しのぶ)は砲兵工廠の鉄砲技師だった。母ゑいの祖父は安倍川の宗吉と名乗る静岡の俠客。

一八九六(明治29)母の郷里静岡に転居。父は時計会社を経営(以後、機械製造業、質屋などを営む)。

一九〇六(明治39)静岡市立第三尋常小学校卒業。

一九〇九(明治42)《静岡尋常高等小学校に進学。三年のブランクは病弱のため。》

一九一一(明治44)《実家の質屋の仕事につくが、それがいやで、旅役者の群れに入り、放浪。十九歳まで親からもらった金で二丁町や浅草千束で遊蕩。また、戯曲や小説を読み耽る。》

一九一五(大正4)性病にかかり入院。娼妓たちの悲惨な現実を見聞して回心を経験する。文学研究に入る。

一九一六(大正5)東京正則英語学校入学。九月一一日、明治大学法律学科入学(大正八年卒)。《大学では、法律の勉強はせず、哲学と心理学、それに英語、中国語、エスペラントなど、神経衰弱になるほど勉強する。》

一九一七(大正6)大杉栄を知り、親炙。アナキズムの研究を始める。

一九二〇(大正9)日本精神医学会発行『変態心理』記者となり、翌年新年号より五年間にわたり三十数本を寄稿。

一九二一(大正10)第二次『労働運動』の静岡支局を自宅(静岡市五番町一八番地)に置く。一二月『新潮』に「文壇革命其他」を執筆。最初の商業雑誌執筆。

一九二三(大正12)『地獄の出来事』出版。静岡二丁町の娼妓の悲惨を描く。週刊誌、新聞などへの旺盛な執筆活動。

一九二六(大正15)六月、『有島武郎の芸術と生涯』出版。《榊原ツルと結婚、届出。前後して静岡市出身の詩人 英美子と恋愛、半同棲。静岡市五番町の自宅と、英の東池袋の家(東京市外長崎町北荒井五二五番地)と、自身の、虎ノ門、洗心堂薬局の奇妙な三角形の、かつて孫文が住んだという間借りの部屋を自由に往き来して過ごした。》梅原北明の変態十二支シリーズに参加。

一九二七(昭和2)三月、『井東憲詩集』を村松梢風主宰の騒人社から出版。《七月、「生活と恋愛の清算のため」上海渡航。上海では、創造社の鄭伯奇や郁達夫と交友。現地のさまざまな階層、国籍の人々と交わる。一二月一日、英との間の一子誕生、英が、中林淳真と名づける。》

一九二八(昭和3)一月、上海から帰国。英美子と離別。三月、全日本無産者芸術家連盟(ナップ)静岡支部加盟。金子光晴と森三千代の渡欧資金のため金子夫妻渡欧記念文芸講演会を提案するも、実現せず。

一九二九(昭和4)七月一〇日、ツルと離婚。再度、上海へ渡る。一二月『上海夜話』出版。

一九三〇(昭和5)四月、『赤い魔窟と血の旗』出版。

一九三一(昭和6)四月、反宗教闘争同盟に加盟。活溌に執筆。銀座六丁目に新興中華研究所開設。

一九四〇(昭和15)くろがね会(海軍の支援組織)入会。

一九四三(昭和18)五月一〇日、一女、木玖誕生。七月『働く街』、一二月『尊い漁夫』出版。

一九四五(昭和20)三月七日、木玖の母・池田キヌと結婚、入籍。六月二〇日の静岡空襲で半身に火傷を負う。八月五日、仮寓先の小坂で死去。四十九歳十一ヶ月。

著作、著書目録も備えているが略する。単行書だけでも三十六点を数える。他に「破れたシルクハット」と「行燈部屋」の短篇作品が収められている。前者は上海モノ、後者は娼妓モノで関東大震災当日の描写に迫力がある。



by sumus2013 | 2019-05-31 19:54 | 古書日録 | Comments(0)

富本憲吉記念館

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どうしようもない百円均一というのもあるのだが、そのどうしようもない均一コーナーで『清華譜』(古裂會、平成26年9月12日)と題した豪華なオークション・カタログを見つけた。ご覧のように表紙が村上華岳だからそのレベルは想像できるだろう(この絵のスタート価格は3500万円)。それだけならわざわざ買い込むことはなかったのだが、ぺらぺらめくっていると、巻末の方に、動産の美術品ばかりでなく、不動産である「富本憲吉記念館」が売りに出されていた。「おお!」と思って百円玉を取り出した。

じつは「富本憲吉記念館」の話は、何年か前にある人から聞いていた。その人はその建物が気に入って、何とか手に入れたい、自宅やその他のものを全て処分して移り住みたい、というようなことを言っていた。ただ、記念館は奈良県生駒郡安堵町にある。そこに引っ込んでしまうことはどうしてもできない、もう十年若ければ、と断腸の思いで断念した、と言うのだった。その人はこのカタログを見たのかも知れない、とふと思った。「安いんだ」と強調されていたが、たしかに安い。この記念館の土地は1983.43平方メートル(約600坪)居宅の他に十棟登記されていてスタート価格は2500万円である。村上華岳よりずっと安い。

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このカタログには富本憲吉記念館を建設した辻本勇(1922-2008)についての記述があって、それがすこぶる興味深い。元来は富本の生家であった旧邸跡に記念館は建てられた。同村出身の辻本勇の実兄が富本と幼友達であり、勇はいつしか富本のパトロンの一人となっていたようである。辻本は敗戦後の大阪で実業家として成功したのだという。

《復員して焼土と化した大阪の街に立ち、人々が食に飢え、旺盛な食欲を辛抱している現実を眼前にして、郷里の、安堵村で大根を仕入れ、大阪に運んで関東煮に加工して小さなトタン囲いの屋台で売った。》

《新鮮な大根を煮た熱々の関東煮は飛ぶように売れ、瞬くまに現金が手に溢れた。勇は買い手のない店舗用地を現金で買いとり関東煮の店舗を増やした。当時のことを、闇市での統制経済との確執や苦労話とともに、各店の売上げの集金が大変だったと回顧した。集金には単車の荷台に現金を運ぶためのリンゴ箱を積んで走り回ったと笑みとともに語った。》

《時は移り、不動産の高騰がはじまり、勇は繁華街の小さな土地を売却し、その集約をすすめ、多角的に事業を展開した。居宅を芦屋に構え、バブル期には土地暴騰を横目にして、土地価格が実経済と乖離していると独断して無関心を貫いた。》

白浜に仏教美術を核(カネボウ社長だった武藤山治の旧蔵品)とする白浜美術館を開いたこともあった。しかし、昭和五十二年、漏電による出火でコレクションもろとも焼失してしまうという悲劇に見舞われた。また他に、芦屋市立谷崎潤一郎記念館、芦屋市立美術博物館などにも関与し、谷崎未亡人に芦屋市へ遺品の寄贈を決心させたのは辻本勇だという。未亡人は富本憲吉記念館の真摯な運営に感銘を受けたそうである。

富本記念館は富本歿後(一九六三年歿)、辻本勇が買い取って、旧邸(江戸時代の建物)を全面改築(設計は上田恒次)、一九七四年一一月に開館している。閉館は二〇一二年五月。その後しばらく富本憲吉文化資料館となったが、二〇一四年に完全閉館。二〇一五年にソーシャル・サイエンス・ラボが三〇〇〇万円で取得し、二〇一七年より古民家ホテル・レストラン「うぶすなの郷 TOMIMOTO」となっている(ウィキ「富本憲吉記念館」による)。

三〇〇〇万円ということは本カタログの開始価格より少しばかり競り上がったということになろうか。

by sumus2013 | 2019-05-29 20:45 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

これからはソファーに寝ころんで

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岡崎武志『これからはソファーに寝ころんで 還暦男の歩く、見る、聞く、知る』(春陽堂書店、2019年5月25日、カバー版画=森英二郎)読了。副題「還暦男の歩く、見る、聞く、知る」が言い得て妙なり。

以前にも触れたことがあると思うが「文士の還暦」について調べていた時期がある。そのとき、還暦前に死んだ作家の多いことにちょっと驚いたものだ。岡崎氏もあとがきにこう書いている。

《六十になってみればわかる。忌野清志郎、開高健が五十八、澁澤龍彦、藤原伊織、十代目坂東三津五郎が五十九、小津安二郎、石ノ森章太郎、色川武大、鈴木ヒロミツ、藤山寛美が六十で亡くなっている。六十の峠は越えられずに果てた者たちで死屍累々である。同年輩の早い死を意識するようになったのも、五十代の終わり頃からだった。一年いちねんを意識し、楽しいことを見つけて大事に生きていく。そんな気持ちだ。これからは、川から手のひらで掬った少しの水を、なるべくこぼさぬよう、大事に運んで行こうと思う。》

「同年輩の早い死」とあるが、実際、古本世界で小生がお世話になった『彷書月刊』の田村さん、中野書店さん、ロードス書房さん、アスタルテ書房さんらはいずれも六十あるいは六十過ぎたばかりで亡くなられた。黒岩比佐子さんは五十二だった。幸いにも生き残った自分自身を大切に生きていこう、残された時間を楽しんで生きたいというのは還暦男の気分としてはごく自然なことであろう。そのための岡崎流指南というかエッセンスが本書にはたっぷり詰まっている。

例えば、岡崎氏は小学生の頃に熱中していた切手収集をふたたび始めたという。

《切手蒐集を再開したのは、古本市で、他人の切手帳を安く買ったのがきっかけ。外国切手の蝶や虫の図案のコレクションだったと思うが、それを眺めていて、長年眠っていた子どもが「切手ですよ、お父さん」と起きてきた。》

《男性は、どこかの部分で、少年を残しつつ生きて行く。少年を忘れた大人の男は魅力がない。勝手にそう思って生きている。ゆるゆるとした切手蒐集は、少年を引き戻す一つの装置なのである。》

いやあ、まったく同感。中高年は青少年時代の夢を取り戻そうとしている。ハーレーに乗る、楽器を始める、バンドを組む、キャンピングカーで旅行する・・・そうそう、本を書いて出版するというのもあるだろう。ベビーブーマーたちはガンガン取り戻して経済効果に最後の貢献をしているように思うが、岡崎世代(ポスト・ベビーブーマー)は少しテイストが違う。どう違うのかは本書を読んでいただきたいが、少々「へそ曲がり」なのだということだけは言っておいてもいいだろう。

還暦はリセット、昔なら隠居する区切りでもあった。世間から退いてあの世への準備をする・・・とは言え、21世紀の長寿日本ではそんなことは許されない趨勢である。引退の時期も、年金開始の時期もどんどん後ろにズレて行く。ソファーに寝ころんで子供時代にひたってる場合じゃない、もっともっと仕事しなさい、と言われる時代になってきた。そういう意味では、趣味と実益を兼ね備えた『これからはソファーに寝ころんで』はまさに理想的な還暦(過ぎ)ライターの仕事ではないだろうか。

岡崎氏撮影の写真がふんだんに収められているのも新機軸。日常がうかがえるのがいい。


by sumus2013 | 2019-05-28 17:22 | おすすめ本棚 | Comments(0)

JAPANESE BOOK ILLUSTRATION

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Yu-Ying Brown『JAPANESE BOOK ILLUSTRATION』(The British Library, 1988)を均一台で発見。大英博物館に所蔵される江戸時代の絵入り本を中心に紹介した図録である。コレクションにはかなり偏りがあるようにも思うが、それはそれとして、江戸時代の挿絵のヴァラエティが楽しめる。

絵のなかに本が登場する挿絵を探してみると、四点ほど見つかった。表紙は「Courtisan reading a picture-book(detail). One of 167 girls depicted in Ehon seiro bijin awse, 'Picture-book Comparing the Beauties of the Green Houses', by Suzuki Harunobu. 鈴木春信画『絵本青楼美人合』より。

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「Couple reading a poem by Okikaze on the theme of love: detail from Furyu sugatae hyakunin isshu[略]Attributed to Hishikawa Moronobu.」菱川師宣画『風流姿繪百人一首』より。


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「Girls learning the 'four virtues' through books written in simple kana. From Jido kyokun iroha uta,[略]illustrated by Shimokobe Shusui. Three volumes(Kyoto, 1775)」。下河辺拾水(しもこうべ しゅうすい、生没年不詳)は江戸時代の京都の浮世絵師。三巻とあるが『伊呂波歌』安永4年(1775年)刊行だろうか。


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「Travellers acquiring picture books and prints, the famous products of Edo, as souvenirs from wayside bookshops, by Masayoshi. From Tokaido meisho zue,[略]. Compiled by Akisato Rito and illustrated by various artists of mixed schools. Six volumes(Osaka, 1797)」秋里籬島『東海道名所図会』より北尾政美画「泉屋市兵衛店」、これは有名な図版ながら、ここでも掲げておく。

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by sumus2013 | 2019-05-27 21:01 | コレクション | Comments(0)

わたり来し

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短冊、少しましな一枚を入手したので季節外れながら掲げてみる。「正月十五日斗/江戸御城/柳の間にて」と前書きがある。署名は「之正」。江戸城の柳の間は

《柳間(やなぎのま)は、五位および無官の外様大名・交代寄合・表高家・並の寄合衆が詰める部屋。准国主でも五位の時はここに詰め、四品に昇進すると大広間に移る。各家の嫡子もみな同席。》(ウィキ「伺候席」)

とのこと。秋の鴈の間とあるのは「雁間」だろう。

《雁間(かりのま)は、幕府成立後に新規に取立てられた大名のうち、城主の格式をもった者が詰める部屋。老中や所司代の世子もこの席に詰めた。ここに詰める大名は「詰衆」と呼ばれ、他の席の大名とは異なり毎日登城するため、幕閣の目に留まり役職に就く機会が多かった。そのため、帝鑑間からこの席への移動を望む大名も多かった。雁間・菊間広縁を総称して「雁菊」という。》(同上)

立春には登城して正月の挨拶を交わすことがしきたりだったそうだ。正月十五日が立春に当たるのはいつだろう?

by sumus2013 | 2019-05-26 20:37 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

FULL本屋

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『FULL本屋』(赤目キクヤ、2017年12月末)をT氏より頂戴した。A5判、本文16ページ。香川県高松市の予約制の古書店「な夕書」を描いたマンガ。けっこう好きだ、こういうの。

《「ここ漫画にしていいですか?」「あ、いいですよ。」
そんな感じで古本屋『な夕書』さんの漫画"FULL本屋"が作られる事になりました。
アート系の自費出版冊子をZINE(ジン)と言うそうで、今まで同人誌しか知らなかった私は「よし、ZINEを作ろう!」と意気込んだのですが、蓋を空ければ全編漫画といういつも通りの同人誌となりました。》

な夕書

by sumus2013 | 2019-05-25 19:42 | うどん県あれこれ | Comments(0)

日曜エロス

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阪急の王子公園駅へ。原田の森ギャラリーで開催されている「第35回日本篆刻展」を観る。「特別展観・日本の印人」が目当てである。近世から近代までの代表的な印人というか文人120人以上の掛軸や印章などが展示されていた。これぞ、という大傑作はないにしても、それぞれの作家の作風がわかるように粒よりの作品が集められており、たいへん勉強になった。池大雅はやはり図抜けている。壬生水石の山水がどうということはないのだが気になる一点だった。印では北大路魯山人の西村五雲用印二十五顆を面白く感じた。魯山人の印は正直素人っぽい。しかしプロの篆刻作品がズラリと並んだなかで見ると、テイストというか、センスが一味違っているように思った。ちょっと見直した。

その後、神戸大丸の戸田勝久展へ移動。たいへんな盛況だった。立ち話で簡単な挨拶だけ。そこを出てちんき堂さんを久しぶりに覗いたら、上の一冊、ANATOLE JAKOVSKI『EROS DU DIMANCHE』(Jean-Jacques Pauvert, 1964)が棚に挿してあってビックリ。意外なところで(意外でもないか・・・)久々のポヴェール本を入手。『エロス・デュ・ディマンシュ』というのは日曜画家(パントル・デュ・ディマンシュ)をもじっているらしい。素朴派のエロス表現の研究というか画集のようなもの。ご主人と雑談していると、近々新刊書を出されるとのこと。『あなもん』(ele-king books)。神戸新聞連載をまとめたのだそうだ。四月の予定が用紙事情の都合で六月になったという。楽しみ。

ついでギャラリーロイユで五人展を見る。幻想系の実力派を集めた展示で見所が多かった。来場者もつぎつぎと。そこそこに引き上げる。少々疲れたので花森書林は今度にして帰途についた。


by sumus2013 | 2019-05-24 20:54 | 巴里アンフェール | Comments(0)

筆は一本、箸は二本

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『入谷コピー文庫 大滝秀治人間劇場シリーズ第4回 お世話になりました』(堀内家内工業、2019年5月30日)にエッセイ「筆は一本、箸は二本」を書かせてもらった。保光敏将、山川直人、武藤良子各氏も執筆しており絵を描く人のエッセイは面白い、とあらためて再認識した。いつものことながら少部数コピーだけですませるのはもったいない冊子である。



by sumus2013 | 2019-05-24 20:14 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)

ずぶぬれて犬ころ

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もうひとつ映画の話題。帰郷中にローカル放送を見ていると(香川県では岡山県の放送も見られる)、岡山の若くして亡くなった俳人を取り上げた映画「ずぶぬれて犬ころ」の紹介をしていた。住宅顕信。聞いたことのない名前だった・・・映画のタイトルからすれば尾崎放哉か、と思ったら、やはり『層雲』に所属していたようだ。

《住宅顕信(すみたく けんしん、1961年3月21日 - 1987年2月7日)は、日本の俳人。本名・住宅春美(すみたく はるみ)。

1984年2月、急性骨髄性白血病を発病し岡山市民病院に入院。6月、長男誕生。不治の病の夫に対して妻の実家の希望により離婚。長男は顕信が引き取り、病室にて育てる。10月、自由律俳句雑誌「層雲」の誌友となり、層雲社事務室の池田実吉に師事。この頃より自由律俳句に傾倒し、句作に励むようになる。特に尾崎放哉に心酔。

1985年に句集『試作帳』を自費出版。「層雲」に権威主義的な疑念を感じ、「層雲」の元編集者である藤本一幸が主宰する自由律俳句誌「海市」に参加する。翌1986年、「海市」編集同人となる。病状が悪化し、この年の12月からは代筆によらなければ投書できなくなる。

1987年2月7日23時23分、永眠。享年25。俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった。》(ウィキ)

ちらしに載っている俳句

 あけっぱなした窓が青空だ

 父と子であり淋しい星を見ている


下記サイトに代表句が掲載されている。

住宅顕信 または、人生の究極のミニマリスム




「ずぶぬれて犬ころ」予告編

by sumus2013 | 2019-05-23 20:00 | おととこゑ | Comments(0)

映画『嵐電』

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『シグナレス』第貳拾伍号(蒼幻舎、二〇一九年三月三十一日)。特集・映画『嵐電』。鈴木卓爾監督・インタビュー。『私は猫ストーカー』『ゲゲゲの女房』『ジョギング渡り鳥』『ゾンからのメッセージ』などの作品を手がけた鈴木監督の最新作。これは見てみたい(嵐電の大宮駅の近くに住んでますもので)。そうそう鈴木監督は蟲文庫さんのダンナさんでもあります。

「嵐電」予告編

by sumus2013 | 2019-05-22 17:26 | おととこゑ | Comments(0)