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MOZART MITSUKO UCHIDA

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古本屋の均一にはときおりCDが出ていることがある。最近の収穫はこれ、内田光子「モーツァルト:ピアノ・ソナタ&ピアノ協奏曲他」(PHILIPS)二枚組。DISC1はピアノソナタと幻想曲、ロンドで一九八三、八五年の録音。DISC2はジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団と共演し一九八五、八七年にロンドンで録音された。

DISC1は耳慣れた曲ばかりで内田光子らしくキッチリと聴かせてくれる。正直、モーツァルトとしてはどうなのかなあと思わないでもないが、むろん、これはこれで見事な演奏である。ここしばらく繰り返し聴いていた。DISC2はピアノ協奏曲第20番二短調K.466とピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595。これらは一度聴いただけ。

《1948年に熱海に生まれ、1961年に外交官だった父親とともにウィーンに移住。ハウザー教授に師事して68年にウィーン音楽アカデミーを卒業。66年のミュンヘン、70年のショパン・コンクール、75年のリーズ国際と名だたる国際コンクールでいずれも2位となり、82年のロンドンにおけるモーツァルトのピアノ・ソナタ全曲演奏会の成功で名ピアニストとしての評価を不動のものとした。》(演奏者紹介)

ウィキで「内田光子」を見ると「1970年代は不遇の時代であった」とある。

1971年、英国ウィグモア・ホールでの演奏会にて、ロンドン・デビュー。1972年に拠点をロンドンに移す。ヨーロッパを中心に活動するが、1970年代は不遇の時代であった。東芝EMIなどで細々と録音していたが、大手レコード会社からのオファーは全くなかった。日本では、演奏会を開くことすらままならず、両親がチケットを売りさばくことに苦心していた。本人は「私は日本の音楽大学を出ていなかったから…」と当時を振り返っていた。自主開催や労音などの地方公演、恩師である松岡貞子の配慮で開催していた科学技術館・サイエンスホールにおける公開レッスンなど、金銭面では有難かったが非常に不本意な時代だったと回想している。

やっぱり、二番じゃだめなのか・・・。

by sumus2013 | 2019-04-30 16:56 | おととこゑ | Comments(0)

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同人雑誌『耕』を三冊入手した。発行は「耕」同人会。創刊号(昭和二十九年五月十日)、第二号(昭和二十九年六月二十日)、第三号(昭和二十九年七月三十日)。編集代表は星野偕也。住所は東京都世田谷区祖師谷二ノ八九。いずれも、ガリ版刷り、六十〜六十二頁。創刊号がタテ22cm、ヨコ15.8cm、第二号はタテ21cm、ヨコ14.8cm、第三号はタテ24.4cm、ヨコ16.8cm。

創刊号に「先生」宛の手紙が挟まれている。

《同封した雑誌「耕」は、僕達数人のものが集って以前からの計画を実現しようとした第一歩ですが、同人の数も整わないまゝに発足したもので、それだけに苦労も大きかったわけです。結局創刊号は、殆ど星五平、タカノワタリ他、無名の文は悉く僕が書きなぐり、編集から、原紙切りまで引受けてしまったわけですが、これによって僕の近況報告にかえようという無精なこんたんです。
 二号、三号からは、同人も集まり、皆、積極的になって来ていますので、恐らく、軌道に乗り始めたら、そこに、僕らの世代の、現代の一つのかなり広汎な良心の断面が表現されて行くことゝ期待しているのです。》

《悉く、この社会とはずれてしまった僕の存在と最早自ら歎かうとは毛頭思いませんが、再軍備! 教育、言論、に対する圧迫! そして水爆!
余りにそれらに対して無関心なインテリ社会の中に入って、この世間からずれた無能な頭脳はぐらぐらする思いです。洞窟の中での独りの歯ぎしりが何になるのか? と思いながら。》

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同人の名前を検索してみたが、誰一人としてまともにヒットしない。ひととおり執筆者名(ペンネーム)を拾い上げておく。

創刊号
赤坂和男 星野偕也 城戸正宣 阿野敏之助 星五平 笹山道雄 平操子 タカノ・ワタリ

第二号
星五平 赤坂和男 星野偕也 木野連太 城戸正宣 平操子 本田菜穂 香月敬 阿野敏之助 笹山道雄 

第三号
阿野敏之助 星野偕也 岡野谷博愛 赤坂和男 本田菜穂 城戸正宣 久津甚六 木野連太 平操子 麻生 小野近 笹山道雄 香月敬 星五平 

表紙とカットは笹山道雄。文字や絵のタッチからして正式にデザインを学んだ人だろう。笹山は軽妙な詩作品も載せている。本文レイアウトを見ても、素人っぽさはなく、スマートに収められている。編集人の佐野も本業でも編集の仕事しているのかもしれない(サラリーマンとだけ書いている)。

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創作はスルーして「雑誌名決定経過報告」という興味深い文章の一部を引用しておこう。当時の同人雑誌の命名の傾向がうかがえるように思う。

《充分な段取りを待つていては何時この計画が実現するか分らない。兎も角創刊号を出してしまおうという事になり、東京在住で簡単に集まることの出来る同人四名が落手した原稿を持参して集まつた。四月二十九日の晩である。早急な計画実現のために集つた原稿の数は少なかつたが、この日、更に一つの懸案があつた。雑誌名の決定である。》

《先づ各人が案を提出し四名でこれと思うものに印をつけた。この第一回の選択に際して並べられた名前は次の通りである。
「北斗」「泥」「酸」「素」「乱反射」「影」「耕」「手」「紅」「牛」「極」「裸身」「どくだみ」「汚点」「時針」「轍」「しけ」「落陽」「フィロ」「尺度」
 次にこの中から四名の中三名以上が賛成するものとして「素」「耕」「極」「時針」「轍」「フィロ」が選ばれ、更に連記選抜によつて「耕」と「フィロ」とが残ったが、更に他の同人の意見を徴して「耕」と決定した次第である。成可この名前で私達のこの雑誌を成長せしめたいが、更に良い名前があれは[ママ]改名するのもよい。乞御協力。》

漢字一文字または二文字が同人誌名の一般的な傾向だったのか。ただ、一例だけのカタカナ名である「フィロ」が最後まで候補に残ったというのは同人たちの気分を反映しているようにも思う。


by sumus2013 | 2019-04-29 20:27 | 古書日録 | Comments(0)

アピエ訪問

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京都大原のアピエさんを訪ねた。知人の彫刻家が近くにアトリエを構えている。そこを見せてもらえるというので、この機会にと足をのばした。と言っても車なら数分の距離。アピエさんでコーヒーとケーキ(本日のスペシャルは萩原朔太郎の鉱石ケーキでした!)をいただく。民家をリニューアルして、すっきりと渋く、それでいて艶やかに仕上げられた店舗にまず感心する。小物も過不足なく生かされている。

アピエのバックナンバーも揃っているし、自由に読めるライブラリーの本たちも店主の好みを写し出しているようで気持ちがいい。庭や土蔵も手入れされてうまく利用しておられる

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もし近所だったら、繰り返し訪れたい場所である。

APIED アピエ

by sumus2013 | 2019-04-28 19:54 | 文筆=林哲夫 | Comments(2)

マン・レイ ワールド

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東京富士美術館で開催されている「マン・レイ ワールド」展のカタログを頂戴した。深謝です。これら初期作品が日本にあるというのは稀有なこと。16歳頃に描いたゲイシャ・ガールの模写まである(浮世絵を油彩画で上手に描いている、ゴッホみたい)。本もいろいろと出陳されているようで、機会があれば是非拝見に出かけてみたいもの。

マン・レイ ワールド

《本展では、「第1章:ニューヨーク⇄リッジフィールド時代」「第2章:第1次パリ時代」「第3章:ハリウッド→第2次パリ時代」の3つの章に分け、彼の生涯をたどり、東京富士美術館が所蔵するマン・レイの作品80点(絵画21点、写真35点、オブジェ15点、書籍8点、映像1点)を一堂に展覧いたします。》(はじめに)

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by sumus2013 | 2019-04-27 17:37 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

上方漁書記

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坂本一敏『蒐書散書 本との出会い』(書肆季節社、一九七九年三月十五日)のなかに「上方漁書記」(一九五七年)という一文がある。京都、大阪、神戸、三都の古書店を巡った記録である。どんな店があったか名前だけでも挙げておこうかと思う。

まず、京都。《昨夏まで筆者が住んでいた》丸太町界隈には十数軒の古書店が集まっていた。

文華堂書店 河原町丸太町交叉点近く 
至誠堂 大谷大学横 堀氏
川合文庫 北大路新町北入ル 川合良蔵(歌人)
大学堂 河原町三条
臨川書店 加茂大橋近く
京阪書房
京都書院
大書堂
赤尾照文堂

大阪
そごう百貨店古書部 心斎橋筋そごう 伊藤一男(カズオ書店
  通販目録「上野芝だより」
天牛書店 千日前
尾上蒐文洞
リーチ書店 梅田新道

神戸
黒木書店 省線元町駅近く 黒木正男
鉢木書店 元町駅すぐ 鉢木信男(版画家)
アオイ書房 元町駅山側すぐ 中村智丸
百艸書屋 元町通りから路地へ入ったところ 岸百艸(俳人)

本稿の追記(一九七八)によれば、至誠堂書店は洋書の輸入販売で有名な店になった。また、川合良蔵、伊藤一男、鉢木信男は死歿。中村智丸は音楽の店に転身。当時は他に高尾書店、中尾松泉堂、津田書店(一昨日取り上げた店だ!)、天地書房、松本書店などにもお世話になった。現在では浪速書林梶原氏に非常にお世話になっている。

by sumus2013 | 2019-04-26 20:42 | 古書日録 | Comments(0)

A Little Book of Eastern Wisdom その他

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『A Little Book of Eastern Wisdom』(GEORGE G. HARRAP & Co. 1909)。これもまた善行堂にて。昨日の『METHODO・・・』と同じところから買い取ったものだとのこと。「東方の知恵」というのは、アラビヤのことわざだとか、クルアーン、ペルシャ、孔子などの名言を集めたアンソロジーである。


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本の内容に惹かれたのではない。前見返しに貼られた丸善のレッテルが欲しかった。この本をプレゼントした人物の書き入れ、また古書として購入したメモも同じ見開きに認められている。

 Teiji Kimoto

 In Remembrance of
 Hours of Patient Teaching,
 Seasons of Helpful Prayer
 And a year of Happy Association.

            H. D. H

 Kyoto
 January 30, 1918(大正7年)


 該書属於梅島、在萩之茶屋
 津田書店買了的。昭和甲午年二月十七日

「昭和甲午年」は昭和二十九年。萩之茶屋は大阪西成区。

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他にももう一冊『代表的名作選集 明治詩歌』(新潮社、大正十五年七月十五日七十六版)にもレッテル発見。

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さらに、いつも頂戴しているレッテル便り。

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《[3月30日]三鷹に新しい古書店がオープンしたので(りんてん舎)早速様子をうかがいに出向きました。駅からは少し歩きますが、いろいろと作戦を考えていることと思われます。詩歌に注力している気配も頼もしく、今後に期待です。》

というニュースも頂戴した。また、別の読書の方が写真を送ってくださった。すっきりして素敵な店構えだ。

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りんてん舎



by sumus2013 | 2019-04-24 17:08 | 古書日録 | Comments(0)

HIERONYMI DAVIDIS GAUBII

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この前の土曜日、ゴーリーカフェでの一箱古本市に参加した。そのとき隣の善行堂を物色していて発見した洋書。最近買い取ったものだそうだ。タイトルが長い。しかもラテン語・・・。買い取りさきの人はこの本がいちばん貴重だと言ったとか。それでも買いやすい値段にしてくれたので迷わず求めた。とりあえずタイトルページを引き写しておく。

HIERONYMI DAVIDIS GAUBII,
Medicinae & Chemiae in Academia Batava
quae Leiden est, Professoris,
de
METHODO
CONCINNANDI
FORMULAS
MEDICAMENTORUM
LIBELLUS.
EDITIO QUATRA CORRECTIOR.
CUM PRAEFATIONE NOVA
DANIELIS WILHELMI TRILLERI.
Philos. ac Med. D.S. Reg. Maj. Poloniae ac Electo-
ris Saxoniae Confil. aul. in Academia Virembergensi
Chirurgiae & Pathologiae Profess. Publ. Ord. ,
Acad. Scient. Bonon. Sodalis.

Francofurti ad Moenum & Mogumiae.
Apud FRANCISCUM VARRENTRAPP.
MDCCLI.

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Hieronymus David Gaubius (1705-1780)はハイデルベルク生まれの医者、化学者。ハルデルウエイク(オランダ)とライデンで学び、パリで勉学を続けた後、アムステルダムとデーフェンター(オランダ)で開業した。一七三一年にライデンに招かれ、一七三四年には医学と化学の教授となった。メントール(menthol)の抽出者として知られる(以上はwikiより)。

表紙は刊行当時のままではないかと思われる。この手の書物は革装になっているものをよく見かけるが、実用書としてなら厚紙で十分であろう。古書価を調べてみると、版も重ねているし、復刻版も出ていて、ネット上でも読めるので、この時代の版本でもそう高価ではないようだ。


by sumus2013 | 2019-04-23 20:37 | 古書日録 | Comments(0)

半七聞書帳 半七捕物帳弐

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岡本綺堂『初稿半七捕物帳六十九話集 半七聞書帳 半七捕物帳 弐』善渡爾宗衛編(東都 我利我書房、二〇一九年四月二五日)読了。タイトル通り、半七ではなくその他の親分たちの活躍を聞書帳から語るという趣向。十篇中、最後の一篇だけ半七自身が鋭い観察(目剣である)と見事な推理を見せる。

第一巻につづいて江戸情緒をたっぷりと楽しみながら十手持ちたちの捜査ぶりを感心しながら読み進めた。多少、できすぎの偶然が重なるような展開もあるのだが、そこをさらりとクリアするのが作者の腕の見せどころ。その辺の呼吸も綺堂は心得ている。

ビックリしたのは次の一篇。「甘酒売」にこんな描写があった。

《眼にも見えない其怪異[そのあやかし]に取憑れたものは、最初[はじめ]は一種の瘧疾[おこり]に罹つたやうに、時々に甚[ひど]い悪寒[さむけ]がして苦み悩むのである。それが三日四日を過ぎると、更に怪しい症状をあらはして來て、病人は俯向[うつ]むいて両足を長く伸ばし、両手を腰の方へ長く垂れて、さながら魚の泳ぐやうな、蛇の蜿[のた]くるやうな奇怪な形をして這い回る。》

おお、これはまるでつげ義春の「必殺するめ固め」ではないか!(つげは夢に着想を得たそうで、この作品の影響ではないと思うが、その姿はかなり似通っているような気がする。主人公の男は、するめ固めにかけられズリズリ這い回る)。

他の作品も甲乙付け難い。なかでは、隠密と隠れ切支丹を描いた「旅絵師」が、江戸を遠く離れた東北が舞台ということもあって、これまでにない異色の面白さがある。半七物語から目が離せない!

ベガーナ・コレクション第1巻 ロマンス ダンセイニ卿未収載短篇集』(稲垣博訳、盛林堂ミステリアス文庫、二〇一九年五月六日)も届いた。連休中どこへも出かける予定はない。これでしのげる。


by sumus2013 | 2019-04-22 20:40 | おすすめ本棚 | Comments(0)

花の国へ

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近頃不作つづきの短冊。読みの勉強と思って、とりあえず、ひとつ出してみる。冒頭が読めない・・・無? ご教示を歓迎。

 ◻︎◻︎さなる花の色[国?]へぞうつ
 らると人のころにおもひ染しに 

署名がないから知られた歌かとも思うが検索しても分からなかった。

国としたところ色ではないかとご指摘いただいた。崩し方は似ている。起筆がノなので国かと思ったが(色は左上から入る)染しに呼応していると考えたら色だろう。冒頭がスッキリすれば意味も通るはずだが・・・

by sumus2013 | 2019-04-21 16:18 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

京都文学

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『京都文学』創刊号(昭和二十八年三月一日)。発行人は田中美佐雄(京都市左京区浄土寺西田町百)。「後記」には《予定してから既に三ヶ月が経つている》《「京都文学」という誌名は、たまたま京都に於て発行したということにすぎない。狭い地域性を持つことは警戒している》《事情で作品の揃わなかつた人もある》などと出ているが、それ以上の具体的な発刊の経緯については書かれていない。

目次は以下の通り。カットはゴッホ、クレー、ピカソの他に「ス」というサインのある挿絵が二点。

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検索してみると発行人の田中美佐雄は邦光史郎の本名だった。

《邦光 史郎(くにみつ しろう、1922年2月14日 - 1996年8月11日)は、日本の作家。本名・田中美佐雄。父・力之助は時事新報の記者。妻は作家の田中阿里子。娘は作家・エッセイストの久我なつみ。
東京生まれ。高輪学園卒。京都で五味康祐らと『文学地帯』を創刊。のち放送作家。1962年『社外極秘』で直木賞候補。以後企業小説、推理小説、歴史推理小説、伝記小説を多数執筆。
戦前に保高徳蔵主宰の「文芸首都」懸賞に入選。戦時中は「新作家」同人となり、戦後は五味康祐とともに「文学地帯」を主宰し、十五日会に属する。「文学者」「京都文学」同人。関西のテレビ、ラジオに台本を執筆。》(ウィキ「邦光史郎」)

鈴村恒雄も『文学地帯』に参加していたようだ。名前がすぐにピンときたのは駒敏郎だけ。

《京都市西陣生まれ[1]。京都三中卒業。京都府立医科大学を芝居に凝って中退[2]。
児童劇団の台本・演出の傍ら、1952年よりドラマの脚本を書きはじめる[3]。NHKテレビ「日本の歴史」を担当し、本格的に歴史の勉強を開始[4]。1962年より著述を業とし[5]、地誌、歴史、文学などについて執筆する。》(ウィキ「駒敏郎」)

桜井砂夫について以下のように書いているサイトがあった。

《私の旧友に桜井砂夫という詩人がいる。昭和二十七年夏だったか、『新潮』九月号に、彼は「東京の印象」と題するいい詩を発表した。それきり姿を消してしまった。》

本誌は二十八年三月発行だから「それきり」ではなかったわけである。『児童文学界』創刊号の広告が出ている。鴫原一穂、港野喜代子、上野瞭らの名前が見える。上野瞭HPの年譜に以下のような記事があった。

《●1952年(昭和27年)二十四歳
平安高校で教鞭を執り、国語を担当する。佐藤一男のポケットマネーで始まった『児童文学界』(同人誌)に作品を書く。
この学校をやめるまでに、日本脳炎、胃潰瘍、十二指腸潰瘍と、さまざまな病気を体験する。
●1954年(昭和29年)二十六歳
鴨原一穂、片山悠、岩本敏男らと”馬車の会”を結成し、児童文学誌「馬車」を創刊、”新しい児童文学”を模索する。
乙骨淑子と雑誌「こだま」を通じて知り合い、交流をはじめる。 》

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by sumus2013 | 2019-04-19 20:32 | 関西の出版社 | Comments(0)