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林哲夫の文画な日々2
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<   2019年 02月 ( 25 )   > この月の画像一覧

みつづみ書房

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伊丹のみつづみ書房が移転してから、初めてお邪魔した。移転はもう一年半近く前なのにどうしてだかのぞく機会がなかった。阪急の伊丹駅から北へ歩いて五分くらい。バス通り沿い、セブンの真向かいに位置しており、風通しもいい感じ。いろいろなお客さんが見えるようになったとのこと。

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以前の店からすれば少し手狭だが、それでもさまざまなイヴェントを企画しているから、すこぶる意欲的だ。本の品揃えは本格的なもの。硬軟を含めジャンルの幅もかなり広く、本好きならどんな人でも何かひっかかるタイトルが見つけられると思う。みつづみ夫妻のコンビの良さか。常連のお客さんの要望で骨董品コーナーもできている(骨董市も予定とか)。伊丹へ行ったら必ず寄りたい店である。

みづづみ書房

みづづみ書房 facebook

by sumus2013 | 2019-02-28 20:17 | 古書日録 | Comments(0)

古書・福物 組や

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京都の油小路通り出水上るに「組や」という古書店がオープンしていたので立ち寄る。本格営業は昨年十二月から始めたそうだ。お弁当も販売する予定だそうだが、まだそれは実現していなかった。しばらくは休みなしで午前十一時から営業している。

Instagram kumiya777

組や

センスよく考えられ並べられた本やグッズは、インスタ映えするうえに、筋の通った選書である。店番の女性にいろいろとこの店の成り立ちについて説明をうかがったのだが、一言ではまとめにくい。とにかく、彼女の夫君は松丸本舗のスタッフだったとのこと。なるほど、それならこの棚作りは納得できる。

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by sumus2013 | 2019-02-26 19:55 | 古書日録 | Comments(0)

読書家の散歩

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シグナレス(http://www.i0r1.jp/signaless/)の特別号『ぶら・ぶら』(蒼幻社、二〇一九年一月二〇日)が届いた。「きみの鳥はうたえる」の映画ちらしで作った封筒に入っていた。「ぶら・ぶら」というタイトル通り、散歩特集。まえがきに当たる「書を読んで、町へ出よう」にはこう書かれている。

散歩を描く作品は数多くありますが、そこで描かれる散歩も実に多彩なものです。一般的にイメージされがちなのんびりしたものから、少し暗い風景や幻想的なものまで実に様々です。

その例として萩原朔太郎「猫町」と江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」を挙げ、

この本で紹介する作品は、いずれの作品も散歩を愛する人によって描かれた作品と言って間違いないと思います。そんな作品たちに接して、街を歩いてみたいと思っていただければ、大変うれしいですし、そしていつもの散歩道の風景が少し新鮮なものとなっていると良いなと思います。

と特集の趣旨を述べている。本編では多和田葉子『百年の散歩』他、文芸、マンガ、音楽にわたって紹介するとともに、散歩コラムも収められており、バランスのとれた内容である。

ところで「散歩」の意味はなんだろうか? 「歩」は「行く」で問題ない。「散」にはどういう意味があるのか。例によって『字統』を開いてみる。意外なことに

筋肉の形と攴[ボク]とに従う。筋腱の固い肉を撃[う]って柔らげることをいう。

と書かれている。スジ肉をバンバン打ってほぐす? 散らすということか。 

散肉の意よりして、美肉正味に非ざるものとされ、官途に棄てられることを散棄[さんき]といい、位あって職掌のないものを散位・散官といい、自ら無用の人となして散人と称し、役に立たぬ学者を散儒という。散楽[さんがく]はもと野人のもので倡優[しょうゆう]をかね、百戯の類をも含むものであった。すべて放散するもの、無用のものに冠して用いる。

散歩の原義は、無用の歩み・・・か。

ということで、小生も散歩の一冊を挙げてみたい。春山行夫『読書家の散歩』(現代教養文庫、昭和三十二年十一月三十日)である。実際の散歩とは関係ないが、洋書に関するウンチクが傾けられた一冊。本をめぐっての散歩。『出版ニュース』『洋書月報』などに連載されたものだそうだ。

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「あとがき」によれば

《なお「読書家の散歩」というのは、その時同誌の編集者と相談してつけた題名で、自分自身のことを読書家というのはいささかうしろめたい気もするが、それは漫然と本を読んで暮している男という意味である。》

「その時同誌」とあるのは『洋書月報 Books of the World』(旺文社のち東京出版販売)連載時ということ。「漫然と本を読んで暮している」が「散歩」という言葉に託されているわけである。

読者の方からご教示いただいた。散歩の語源は「薬飲んだ後《散発=体温を上げる》ために《歩く》こと」からきているそうだ。まったく知らなかったが、出典を調べてみると『世説新語』(中国で五世紀に編纂された逸話集)に出ているようだ。この説を信じるとすれば、散歩の散はまさに散らすであって、しかも、散歩は無用の歩みではなく、目的のはっきりした歩みということになってしまう。

◆”散歩”の語源・歩いて副作用の熱を発散させていた?


by sumus2013 | 2019-02-25 20:52 | 古書日録 | Comments(2)

小学錬画帖巻之七

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松原三五郎『文部省検定済小学教科用画 小学錬画帖 巻之七』(岡山師範学校、明治十九年十一月十五日版権免許、明治二十年九月三十日訂正御届)を均一台にて発見で。記名はあるが、貴重な資料であろう。

松原三五郎は初期の洋画家のひとりである。岡山に生まれ、師範学校を中退して上京、五姓田芳柳やワーグマンらに洋画を習った。明治十七年に帰郷して教鞭を執るかたわら私塾「天彩学舎」を開き多くの後進を指導した。

《鹿子木猛郎、大森柳江、徳永仁臣、貝原京平、寺松国太郎も松原に師事しました。児島虎次郎の才能を発掘したのも、松原三五郎と言われています。”洋画王国岡山”はまさに松原三五郎の功績なのです。》(岡山県立岡山朝日高等学校同窓会

なるほど、倉敷に大原美術館があるのも、松原三五郎がいたからだとも言えるわけだ。

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ヘッドハントされて大阪師範学校に移ったのが明治二十三年。画塾も「天彩画塾」として継続し《大阪での本格的な洋画教育は、松原三五郎(1864-1946)の主宰した「天彩画塾」に始まります。松原が先駆者の一人となって牽引した大阪洋画壇は、多彩な個性を生み出し、次世代へと継がれてゆきました》(大阪市立美術館 コレクション展「おおさか洋画物語」)という大きな役割を果たした。

松原の油彩作品はこちらのサイトで閲覧することができる。派手さや器用さはないもの手堅い作風で教育者にうってつけだったのかもしれない。


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版元は大阪の前川善兵衛と岡山の武内弥三郎(岡山市西大寺町三番邸)となっており、共同出版のようである。武内を国会図書館で検索すると明治十六年から三十九年までの刊行物が見つかった。教科書や実用書など手堅い出版である。

by sumus2013 | 2019-02-24 16:52 | 古書日録 | Comments(0)

未来図書館!?

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中国の天津にできた図書館だそう。どうなんだろうね。

中国に誕生した超巨大な「図書館」の近未来感がハンパない

by sumus2013 | 2019-02-22 17:28 | 古書日録 | Comments(0)

オリーヴの小道で

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今江祥智:文、宇野亜喜良:画『オリーヴの小道で』(BL出版、2005年7月10日)。

自転車で五分くらいのところにあったブックオフが今月十七日に閉店した。やはり近所に住む本好きの知人(非常なる読書家)から便りがあって初めて知った。そういえば今月はまだ行ってなかった。去年あたりから、近々閉店するかも、という不穏な空気が店を包んでいたのを感じていたため、そう驚きはなかったにしても、ときたまいい本があったので、残念は残念だ。これで四条河原町店がいちばん近いブックオフということになってしまったが、あそこは自転車でヒョイとのぞく、というわけにもいかない。

天牛堺や竜ヶ崎古書モール(岡崎氏のFB記事で知ったのだが)の閉店も考え併せると、いよいよ量で売るというのは難しくなってきたのかも・・・。例えば上述の本好きの知人は、段ボール一箱売りに行って、同じ箱いっぱい買って帰ると豪語する御仁なのだが、団塊第一世代に属するこの人たちが書物から引退してしまえば(もうかなり引退していると思うけど)、量の時代はハッキリ終わるだろう。だいたいが、インターネットというのがこれ以上ない巨大ショッピングモール(古書モール含む)と化しているわけで、地上でそれに対抗するのは土台無理というもの。

物量に対抗できるのはゲリラであって、それは一箱古本市のような形でずっと続いてはいるが、これはこれで限界もある。さて、今後どうなっていくのか。古本はいつも新しい、だって古いから。最後まで生き残るとは思う。

というわけで、正月にもらった10%オフのチケットを使おうと、期限ギリギリ、先月の三十日に三冊買ったのが、このブックオフでの買い納めとなった。管宗次『続・京大阪の文人』(和泉書院、二〇〇〇)、通崎睦美『天使突抜367』(淡交社、二〇一一)そして本書である。

《モランディさんの絵をどっさり見たのは、京都の美術館でのこと。そしてボローニャへ行って、美しい部屋で再会しました。その時見かけた"見張り"のお婆さんの姿が忘れられず、ゆっくりと物語に溶かしこみました。宇野さんの甘美な絵がつけられたこの一冊が生まれるまでに、10年の歳月がふうわりと流れていました。(今江祥智)》

小生も京近美でモランディを見て、ボローニャのモランディ美術館を訪ねた一人(詳しくは以前に書いたものをアップしてあるので、おヒマな方はどうぞ)。

モランディへの旅

今江氏はさすが、美術館の衛士(えじ)だった老婆から、彼女の物語を生み出して、モランディの絵や老婆の若かりし日々をからめてうまくまとめている。宇野さんの絵がいい。モランディを意識したグレートーンもうつくしい。

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***


日本の古本屋メールマガジン、南陀楼綾繁氏の連載が面白い。書物蔵氏の正体が!?

第2回 書物蔵さん 「図書館絵葉書」を発見したひと

by sumus2013 | 2019-02-21 20:19 | 古書日録 | Comments(0)

ふくしま人 佐藤民宝

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菅野俊之氏の「ふくしま人」シリーズの新しい記事が届いた。今回は佐藤民宝(さとうみんぽう)。作家。その生涯を菅野氏の掲げる年譜からかいつまんで引用しておく。

明治四十五年若松市生まれ、本名年宝(としみ)。旧制会津中学から法政大学へ進学。三木清の影響を受ける。在学中に処女小説「芽」を発表。昭和十一年商工省に奉職。文芸同人誌『現実』『批評』『槐(えんじゅ)』『構想』に参加し平野謙、山室静、埴谷雄高らと交遊。昭和十四年農民小説集『希望峰』出版。表題作が第九回芥川賞候補参考作品に選ばれる。昭和16年短編集『軍鶏』出版。戦争中に長編『白虎隊』『菩薩行路』を刊行。昭和二十一年商工省を退職、新日本文学会会員となる。二十二年会津若松に帰郷。会津魁新聞社へ入社。同人誌『盆地』創刊。昭和二十八年福島民報社の編集局次長・論説委員長となる。代表作である小説「小原庄助」を連載。昭和三十一年『北陽芸術』創刊。昭和四十五年県文化功労賞受賞。昭和五十二年福島市で死去。

やはり古本者である菅野さんらしく古書、古雑誌の書影が多数かかげられていて目が釘付けになる。昭和十六年の『軍鶏』の版元は第一藝文社である!(北川冬彦『詩人の行方』昭和十一、杉山平一『夜学生』昭和十八、天野忠『重たい手』昭和二十九などを出版している)

平野謙の『昭和文学史』(筑摩書房)によって民宝の存在を再認識した菅野氏は、今から四十年以上も前、ご本人を訪ねたという。

《当時、福島市瀬上にあった民宝の自宅を思い切って訪ねてみたこともある。彼は「家内が不在なので」と言いながらコーヒーを入れ、気さくな態度で口下手な私に対して問わず語りにこれまでの文芸活動について話してくださり、たくさんの著作も見せていただいた。戦前戦中のそれは無くしてしまったものが多いが、東京の会社に勤めている息子さんが「古本屋で見つける度に送ってくれて」とうれしそうに出してきた著作の中には、もちろん「希望峰」もあった。
 そのとき民宝から聞いた話はほとんど忘れてしまったが、「この作品を平野君が雑誌で批評してくれてね」という言葉は、はっきりと覚えている。》

人は褒められたこと(けなされたことも)はいつまでも忘れないものなのだ。


ふくしま人 伊藤久男

ふくしま人 門田ゆたか

ふくしま人 関屋敏子

世界探検家 菅野力夫


by sumus2013 | 2019-02-20 17:09 | おすすめ本棚 | Comments(0)

アンヂェラス 閉店のお知らせ

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浅草の喫茶店アンヂェラスが三月十七日をもって閉店するというニュースがあちこちに出ていて驚く。ホームページで発表したとのことで、確かめてみると、なるほどそう掲示されている。


上の写真は『ARE』第六号(一九九六年八月二〇日)「洲之内徹という男」特集のために撮影した一枚。洲之内にゆかりのあるアンヂェラスの外観である。これを撮影したのは同じ年の三月八日だった。日記によれば、東京へ着いてすぐにここへ向かった。銀座での個展(イケダヤ画廊)に合わせて上京したのである。

《銀座線にのりかえて浅草まで。アンヂェラスという喫茶店をさがす。すぐに見つかったので写真をとって、スケッチする。店に入ってブレンドとアンヂェラスのチョコ(アンチョコ)を注文する。ホワイトチョコのものもある。森芳雄に少女像がいいかんじ、原精一の à Paris とサインが入った裸婦、猪熊弦一郎の墨デッサン、誰のかわからない静物と、風景。内装はセゼッション風というのか、中世風なかんじもあるアールデコでまとめてある。外装はティンバーもどきである。洲之内徹の趣味というか、彼の青春時代の面影が残っているにちがいない。二人いるボーイさんがなかなか浅草らしくていい。

以上は日記の記述。『ARE』第六号にはこう書いている。

《都営浅草線あさくさ駅で降り、1番出口を出るとすぐ雷門がある。記念撮影に余念がない観光客を後目に雷門から二本目のオレンジ通りを右に少し上ると右手に喫茶店アンヂェラスが見えてくる。黒塗りの壁面に森芳雄作「テラスの女」。他にも鳥海青児、原精一、猪熊弦一郎などの佳作が並んでいる。
アンヂェラスというケーキが売物で、コーティングにチョコレートとホワイトチョコレートの二種がある。いかにも浅草という初老のボーイさんに珈琲とチョコのアンヂェラスを注文する。セゼッション風の洒落た内装にボーイさんのしわがれ声が響く。
「アンチョコ一丁!」
『気まぐれ美術館』に入っている傑作エッセー「絵を洗う」はこの店が舞台。》

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洲之内徹『気まぐれ美術館』(新潮社、昭和五十三年八月二十五日)に収められている「絵を洗う」からアンヂェラスのくだりを引用してみる。

《千束町を通って馬道から公園に入り(公園といってもいまはどこが公園か判らないが)、時間が早くてまだ開いておれば、区役所通りのアンヂェラスという喫茶店でコーヒーを飲む。いつの年だったか、そこで俳優の小沢栄太郎氏を見かけたことがあった。小沢氏は女優さんらしい若い女性を三人連れていたが、三人共、稲穂のついたお守りの小さな熊手を簪のように髪に差していたから、やはりお酉さまの帰りだったのであろう。
 お酉さまの日に限らず、私は浅草へ行くと、いつの間にか、気が付くとその店に入っているという具合で、アンヂェラスでコーヒーを飲むのは、これはもう半ば無意識の、条件反射みたいなものになってしまっているが、いつからそこへ行くようになったかは思い出せない。

洲之内はアンヂェラスに森芳雄の油絵「テラスの女」あるからこの店に入ってしまうのかもしれないと述べて、鎌倉の近代美術館で開かれた森芳雄麻生三郎展に出品されていたその絵を見て、画面がたいそう汚れているのが気になった。そこで森芳雄に頼んで、店に連絡してもらい、その絵を洗いに出かける。

その途中でかなりひどい交通事故の現場を見かけた、その情景を細かに述べた描写を挿んでいるのが、洲之内の芸であろう。

アンヂェラスへ行くと、三階の空いた部屋が仕事場に用意してあって、私は店から絵を外してもらい、まず八号の裸婦の絵から洗いにかかった。用意してきた上等の石鹸でぬるま湯の薄い石鹸水を作り、これまた持参の、洗い晒しの柔らかなガーゼで洗うのだが、水を入れるために借りた容器は、商売柄、サラダボールであった。森さんの絵はマットな絵肌だから、あとからニスをかけて絵肌を調えるわけには行かない。石鹸が絵肌を荒らさぬよう、石鹸水は最初の一回だけで、その石鹸分を残さぬように、あとは真水にとり換えて何回も洗う。初めの二回くらいは、ボールの中の水が醤油みたいな色になった。

《帰り際に、店主の沢田さんが出てきて幾ら払えばいいかと訊いたが、私が要らないと言うと、沢田さんは、ケーキの詰め合わせらしい箱の包みを、私と福島さんとにひとつづくれた。らしいというのは、その私のぶんも、新橋の駅で別れるとき、福島さんにあげてしまったからである。独り暮しの私が詰め合わせのケーキを持って帰ってもしようがない。しかし、考えてみれば福島さんにしても同じで、二つもケーキの箱を貰っては困ったろう。》

この後が本題である。素人が絵を洗うなんていうのはやらない方がいいに決まっているが、専門家にもあてにならないやつがいる。X氏という男で、絵を洗うどころか、勝手に描き変えてしまうのである。ある時、預かったロートレック(という触れ込み)の小品を、風呂敷画商(店をもたないで商売している画商)に渡したところ、その男がX氏にクリーニングを頼んでしまった。もどってきた絵は

《洗っただけではない、人物はもとより、ところどころ板の生地を見せて塗り残しのあったバックまで、ベタ一面に色を塗って、おまけにとろとろにニスがかけてある。これではとても絵は返せない。私は途方に暮れ、Xの非常識に怒っている隙もなかった。》

洲之内はあわてて自らペトロールを含ませた脱脂綿で表面の油絵の具を落としにかかった。預け主から電話がかかってくる。居留守をつかう。なんとかかんとかほぼ現状にもどったところで電話に出る。預け主が取りに来る。覚悟を決めて、包んだばかりの包みを解こうとすると、預け主は急いでいるからと中身を見ずに帰って行った。土曜日の午後だった。日曜は画廊は休みである。ペトロールの匂いがプンプンしているのだ、すぐにバレる。生きた心地はしない。何しろ四百万円で売るという絵だから。月曜日に電話がかかってきた。意外なことに「お蔭さまで絵が売れました」というものだった。

《私はガックリするほど安心し、しかし、まだ気味が悪かった》

X氏が死んだと聞いとき、洲之内はこう思った。

《うれしいと言っては言葉が過ぎるが、とにかく、なんとなく安心した。これで、本物の絵が偽物になってしまうというようなことも、いくらかは減っただろう。》

ひさびさに読み返して、面白いなあ、と感服した。

by sumus2013 | 2019-02-19 17:37 | 喫茶店の時代 | Comments(4)

愛書狂の話

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フローベル『愛書狂の話』(庄司浅水訳、ブックドム社、昭和七年九月十五日)。先日の花森書林にて。それほど珍しいわけでもないが、架蔵していなかったし、価もリーズナブルだった。この小説はかつて紹介した生田耕作訳『愛書狂』にも収められている。

生田耕作訳『愛書狂』(白水社、一九八〇年)

序には《米国イリノイス州エヴァンストンの西北大學圖書館から刊行された、セオドル・ウヰスレー・コッホと云ふ人の翻譯した》英訳本を元にしており、口絵として《フローベルの佛文原稿第一頁で、英譯本からリプリントした。尚、四枚の挿繪は、エルウィン・リェヂャーの獨逸譯本のために、獨逸の有名な書物藝術家フーゴー・シタイナー・プラーグ教授が描いたもので、一九二八年、獨逸で刊行された同教授の作品集からリプリントしたものである。》などと出典をちゃんと記しているところは庄司さんらしい。

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本文はさておいて、あとがきに当たる「譯者より」から、自分自身の愛書ぶりを述べた部分を少し引用しておく。一続きの文章だが読みやすくするために改行を一行アキとした。

《私は本好きである。現在、書物に関係のある仕事に携つてゐるからばかりではない。子供の時分から好きだつた。弟妹を守りしながらも本を離せなかつた。

 長ずるに及んで、その想ひはいよ〜〜深く、その熱はます〜〜高まつた。衣服代が本代に代り、米代が書物代になることすらあつた。僅かばかりの給料[サラリイ]がそのまゝ本屋の手に渡ることすらあつた。狭い家は本の置き場に窮し、その重味は押入の床をはづしたり、床の間を陥落せしめたりした。

 私は所謂珍本蒐集家ではない。初版蒐集をモツトウとして居る者でもない。綺麗な本、勿論嫌ひではない。だが、自分の資力はさうしたものゝみを蒐めようとするには、あまりにも貧弱である。かと云つて、本でさへあるならば、本の形さへして居ればなんでもよいと云ふ、所謂ぼろ[二字傍点]屑買ひでもない。名もなき一讀書子である。書物は私にとつて無二の親友である。書物は私にとつて無二の慰藉である。書物は私にとつて無二の歓喜である。

 わが貧しき書物の置き場は、我にとつて無比の安住地であり、拙きわが書齋は、我にとつて無情の歓樂境である。書物と語り、書物に聞き、書物と遊ぶ、私はこれ以上の喜び、樂しみ、慰めを知らない。》

これに続けて、ギッシングについて語り、フランスのビブリオマニアであるブーラール、そして日本の宮城県荒浜の褥合戦赤枕子というペンネームを用いた武者某(平賀源内の春本『長枕褥合戦』のもぢりだろう)、名古屋か浜松あたりの私設鉄道会社の社長(ぼろ本が好きだった)、古本界の奇人・芝の村幸事村の村田幸吉(芝の村幸で通った古書店主)、そして書誌学者の先駆者だった島田翰について触れている。

庄司浅水さんとは一九八〇年代の初め頃、百万遍の古本市で知り合って、著作集の特装版のために蔵書票を制作させてもらったことがある。各巻にそれぞれ別の作家の蔵書票を付けるという趣向だった。この話は手短に『彷書月刊』に書いたことがあるが、凝りに凝った和風の木版画蔵書票を作った。今でも、中央線の荻窪駅から歩いて少々(念のため庄司さんの住所を調べてみると、杉並区宮前三丁目なので駅から一キロメートル以上はある)のところ、閑静な住宅街にあるご自宅へ、完成した蔵書票を持参したときの記憶は鮮明に蘇る。道路から見えている芝生の前庭がありそこに向かって、戦前の洋風住宅によく見るような、別棟の(というか控えの間のような)書斎がしつらえてあった。書斎ではなく応接間だったかもしれないが、そこには、そんなに本がたくさん詰まっているという印象はない。小ぎれいに飾り付けられたという雰囲気だったような気がする。武井武雄の本や作品もあったかもしれない。意気込んで作った蔵書票はあまり気に入ってもらえなかったようだが、まあ、頼んだ以上は仕方ないかという感じで受け取ってもらい、小一時間、本の話などあれこれ聞いて辞去した。今は昔のものがたり。

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ブックドム社の発行者は庄司喜蔵となっている。庄司さんの本名。プライベートプレスだった。当時の住所は東京市本郷区駒込坂下町一四四である。

by sumus2013 | 2019-02-18 17:22 | 古書日録 | Comments(0)

茶話指月集

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一九九一年にポンピドゥセンターで開催された「André Breton La beauté convulsive アンドレ・ブルトン 痙攣する美」展に際して図録(500頁以上ある!)とは別に刊行された「Petit Journal des Jeunes」(青少年向けパンフレット)の一種(全部で何種類あるのか知らないが、二種は持っている)。全十二頁で20フラン。表紙の写真はマン・レイによる一九三〇年頃のブルトン。

『茶話指月集(ちゃわしげつしゆう)』は、たいへん面白い、利休についての逸話集、というか、ほとんど神話に近い。藤村庸軒(ふじむらようけん 1613-1799)の語るところを久須見疎安(くすみそあん 1636-1728)が書き留めてまとめたのだそうだ。千利休の養子である少庵の孫・くれの夫・本間利兵衛の兄弟が藤村庸軒ということで、利休を実際に知っていたわけでもなく、むろん血もつながっていない。だから神話伝説のたぐいのようになっているとしてもまったく不思議ではない。ついでに書くと、少庵は利休の後妻・宗恩と宮王三郎三入の間にできた子であるが、利休にたいへん可愛がられた。利休の娘の一人(宗桂)と結婚させられ、そこに生まれたのが宗旦である。先妻との間にできた実子・道安が立てた堺千家は早くに途絶えてしまっている。(系図については村井康彦『利休とその一族』平凡社ライブラリーによる)。

先日も少し触れた「目剣(めつるぎ)」だが、その実例がいくつか挙げられている。例えば、細川三斎が三宅亡羊に語った思い出ばなし。庸軒は亡羊から聞いた。「休」が利休のこと。

《予[三斎]が宅にて利休と咄し居たる中[ウチ]、そのころ、脇指の鞘[サヤ]を好みて出来[イデキ]たるを、休にみせたれば、この前道具見世(店)に古き鞘ばかりいくらも括[クク]り合わせて有りつるなかに、一つの鞘形[サヤナリ]あまり見事なれば、もし入ることもあらんと思い、とりて帰り、土蔵の内につりすておきしが今に候らん。

自慢したはずが、逆にもっと立派な鞘を見せられた、というわけで、他にもこういうことはしばしばあったらしい。

《利休、各[おのおの]、昼の参会にて、勢多[せた:瀬田]の橋の擬法師[ギボウシ:擬宝珠]の中に、形[ナリ]のみごとなるが二つあり、見分くる人なきにや、とかたる。その座に古織居られたるが、俄[にわか]に見えず。何れもあやしむ所に、晩方かえりまいられたれば、休、何の御用候えつるぞといえば、いや別義も候わず。彼[か]のぎぼうし試みに見分け申さんため、はや打ちにて勢多へ参り、只今かえり候なり。さて、二つの擬法師は、東西のそこ〜〜にてや候、と問われたれば、休、いかにもそれにて候と答う。一座の人々、古織の執心ことに感じ申されき。

ぎぼうしの良し悪しに気づいた利休はやはり目利きだろうし、これもまた「trouvaille d'objet」と呼んでいいかもしれない。そして古織(古田織部)はそれを聞いてすぐに、わざわざ瀬田まで(京都市内からざっと二十キロメートル以上はあろうか)早馬を飛ばして確認して戻ったわけだが、なんとも酔狂ではないか。利休の死後、織部が第一人者になる素質がここにうかがえるような気がする。

要は、利休はブルトンに通じるというのが今回の小生の言いたいことなのだが、『茶話指月集』にはオートマティスムに似た考え方も登場している。

《休、手水鉢の前の捨石は、下人が目を閉[フタ]がぜ、ごろたを物にいれてからりと捨てさせ、外へころびたるを、少し杖にてなおし、そのまま置くがよし。わざと捨つれば悪ろしという。》

手水鉢(蹲居[つくばい]ともいう)の手前の水を捨てるところに石を転がす、その置き方を作為的でなく目隠しした召使いにやらせるのがいい・・・。

もうひとつ、「カッコ悪い」という言葉が登場しているのに、オッと思った。千鳥の香炉の足の高さが違うのに利休の妻(宗恩)が気づく。

《しばし見て、足が一分高こうて恰合悪[カツコウア]しし。截[キ]り給えという。われも先程よりさおもうなり。》

恰合悪し、いつの世も、これこそもっとも大事な判断基準なのである。



by sumus2013 | 2019-02-16 20:54 | 古書日録 | Comments(0)