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<   2018年 08月 ( 28 )   > この月の画像一覧

名曲喫茶〈らんぶる〉の時代

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『scripta』no.48(紀伊國屋書店、二〇一八年七月一日、デザイン=磯田真市朗)に興味深い記事が載っていた。

稲葉佳子「特別企画 名曲喫茶〈らんぶる〉の時代 『台湾人の歌舞伎町』後日談」。同氏は著書『台湾人の歌舞伎町』(二〇一七年)において戦後の歌舞伎町にあったスカラ座、カチューシャ、でんえん、などの喫茶店の多くが台湾人経営だったことを明らかにしたが、「らんぶる」の創業家への取材がかなわなかった。ところが刊行後の一八年三月に二代目経営者の呂明哲氏に話を聞く事ができたということで、その内容をまとめてある。

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《戦後〈風月堂〉の隣に、新宿で最初の本格的な名曲喫茶〈らんぶる〉を開いたのは台湾・台中出身の呂芳庭である。実家は台中郊外の地主だった。》

昭和十四年頃、呂家は内地へ来て神田三崎町で中華料理屋を始めた。芳庭は中央大学へ進み弁護士を目指していた。戦後、外国人は弁護士になれなかったため、亀戸に石鹸工場を作り成功、数年で工場を売り払って飲食店などを手広く経営したという。新宿三越裏に土地を買ったのが昭和二十三、四年頃、二十五年に〈らんぶる〉が誕生した。最初からLPレコードが売りの名曲喫茶だった。進駐軍からレコードを入手していた。客が殺到し、月二回はオールナイト。昭和三十九年頃までそういう状態がつづいたという。

以下、呂ファミリーについて詳しく語られるが、それは本書をお読みいただくに如くはない。

《昭和五〇年(一九七五年)に現在のビルに立て替えられた。最盛期は〈らんぶる〉と姉妹店〈琥珀〉など都内に一〇あまりあった店は、新宿駅東口と歌舞伎町を残して閉店した。今も喫茶店として残っているのは新宿駅東口の中央通りの店だけだ。》


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世田谷文学館で内堀弘さんの「されどわれらが日々」な本棚という展示が行われているらしい。会場写真を頂戴した。〈古書店主の○○な本棚〉volume2だそうだ。

《古本屋、コレクター、小さな出版社や小さな雑誌、そっと消えた詩人、飄々とした私小説家、夭折の歌人…。こういう古本が大好きで、いつも(今も)身の回りに置いてきました。どのページから読みはじめても面白い本、冊子ばかりです。》

青猫書房古書目録、大塚晴彦追悼集、古本はこんなに面白い彷書月刊総目次、関口良雄さんを憶う・・・・

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by sumus2013 | 2018-08-31 21:28 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

魔群の通過

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以前かわじさんから頂戴した古書目録のうちの一冊、『近代日本文学の稀覯本をあつめて 初版本/限定本 古書逸品展』(日本橋三越、昭和五十二年八月)。かわじさんのコメント付き。

《もう最近では文学書も目録から消えようとしています。S52年にはデパートでこんなものをやっていた時代があったという資料ですねえ……いまとなっては》

『武蔵野』『十二の石塚』『蓬莱曲』『高野聖』が巻頭一頁目、つづいて夏目漱石初版本一括、『月に吠える』『破戒』『あこかれ』『一握の砂』『悲しき玩具』……とたしかに教科書通りの感じである。

で、その四頁目にこんな図版が載っていた。一昨日話題にした『魔群の通過』オビ付き!

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《218 魔群の通過 三島由紀夫著/昭和二四年刊 一冊 一五〇,〇〇〇
河出書房刊 初版 帯付。表題作他一一篇の小説と戯曲を収録 ビアズレー風の画を緑色で描いた表紙、高橋錦吉装。黄色の帯は珍しい。極美。写真版参照。》

昭和五十二年では極美で十五万だから、高額伝説(新車が買えるとか)からすれば、そう高いというわけではない。お買い得な一冊だったか。

by sumus2013 | 2018-08-29 17:37 | 古書日録 | Comments(0)

地図と領土

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Michel Houellebecq『La carte et le terrritoire』(Flammarion, 2010)なんとか読了。フランスの友達が送ってくれた。面白かったから読んでみて、写真家が主人公だよ、と。検索してみるとミシェル・ウエルベック『地図と領土』(野崎歓訳、ちくま文庫、二〇一五年)として翻訳されている。

ミシェル・ウエルベック(本名ミシェル・トマ Michel Thomas)、一九五六年(五八年とも)にレユニオン島(La Réunion マダガスカル島の東方にあるフランスの海外領土)のサン=ピエールで生まれた作家、詩人、エッセイスト。本作によって二〇一〇年のゴンクール賞(フランスの芥川賞みたいなもの)を受賞、二〇一五年にはその全作品に対してBnF賞(二〇〇九年にフランス国立図書館によって創設された文学賞)が授けられている。二〇一五年に刊行した第六作『Soumission 服従』は二〇二二年フランスにムスリムの大統領が誕生するという近未来政治SFだが、発表当日(一月七日)にシャルリー・エブド事件が起きたことで話題となった。日本でもニュースの時間にこの小説についての報道があったと記憶する。ウエルベックの古書価としては、小説はまだそう高くはないが、少部数の詩集『La Poursuite du bonheur』(Editions de la Différence, 1991)あたりは1500ユーロほどもしている。

エンタテイメント系の描写に純文学的な味付けのある不思議なタッチ。文章は軽くてダラダラしており理屈っぽいところもあってスカッとはしないけれども、長い冬を暖炉の脇で読むならこんなものでもいいかなというような感想を持った。

内容もちょっと不思議。自分自身の出自が色濃く投影されているのは間違いないだろう。一言で表せば一人の写真家の成功物語。写真家としてスタートするが、ミシュランの地図を撮影して作品にするという手法で認められる。次に絵画に転向、有名無名の働く人を描いてこれまた大成功。最後は森を無作為に延々と撮り続けるヴィデオ作家として生涯を終える。

その間に恋愛あり、別れあり、引退した有名作家(ウエルベックの名前で登場)との交流と事件があり、父の死がある。フランスの美術界(画家や画廊の活動)がどのような仕組みになっているか、ごく一部分ながら、覗けるようで参考になった。

しかし一番引き込まれたのは文中に登場するパリの街路の名前である。ウエルベックは相当な古本通と見た。というのは、前半のパリが主な舞台になっている物語の展開のなかで登場人物の住んでいる場所(通り)のすぐそばには必ず古本屋があるのだ。

主人公ジェドが住んでいるのはゴブラン大通り、ロシア人の恋人オルガが住んでいるのはギュイヌメール通り、二人が初めて食事するレストランはアラス通りヴァヴァン通りのカフェも出てくればサン・シュルピス広場も登場する。ジェドの専属画廊があるのは国立図書館の近所、などなど・・・・とは言え、パリには古本屋が多いだけという見方もあるか、はは。

とにかくそういう細部(例えば、自動車だとか、ワインだとか、レストランなど)に意味あり気な描写を惜しまないブランド小説、こだわり小説とも言えるし、そこが軽いとも言える。作中人物が読んでいる本も、ペレック、ドリュー・ラ・ロシェル、ネルヴァル(……とこれまたパリをうろつく作品を残した作家たち)と、これはなかなかいい趣味してる。

by sumus2013 | 2018-08-28 21:12 | 古書日録 | Comments(0)

本の袋

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クリアファイルから「本の袋」を取り出してみた。というのは、こちらの記事を読んだから。


これらはたしか在りし日の水明洞で買ったもの。百円均一の箱のなかにまとめて何十枚も出ていたのだが、一枚百円なので、全部買い占めるわけにもいかず、結局、びわこのなまず先生らと分け合うようなことになった。上の写真に写っているのは以下の六点。

・『博物新編』再刻全三冊 明治五年
・皆川淇園『習文録』二篇 五車楼 明治九年
・『文章軌範文法明辨』武蔵屋惣五郎
・『高等/小学 漢文記事論説文例』二冊 山中書屋 明治十五年
・漁洋王士正『古詩平仄論』宝書閣 明治二十七年
・斎藤昌三『句集 前後三十年』青燈社 一九四三年

袋というのは徳川時代後期から存在していたようだ。

《江戸後期には紙袋で覆って売り出すようになってくるが、その外袋にも書名が入る。たいていは見返しと同じ版であることが多い。ただし、この袋はなかなか残らない。袋つきのまま今日まで保存されているのはほんの一部で、市場にもめったに出ないものである。》(橋口侯之介『和本入門』平凡社、二〇〇七年六刷)

《江戸時代に書店で売り出すときは、書名などを印刷した外袋でくるむことを紹介したが、これは店先での商品の飾りのようなもので、袋とはいうが、上図の右のように本の周りをぴったりくるむ形である。そのため買った人が読むたびにはめたり、はずしたりするのは不便である。とくにはめるときは苦労する。せっかちな江戸っ子が毎回これをやったとは思えず、ほとんどは買ったあと捨てられてしまったのではないだろうか。》(同前)

本より袋の方が価値があるわけだ。帯にもそういった珍品があるらしい、『本の虫の本』にはこうある。

《三島由紀夫の『魔群の通過』(河出書房、一九四九年)は帯紙付美本が八十万円、帯なしは数万円。こうなると、本より帯のほうが価値があるといっても過言ではない。》(オギハラフルホングラシムシ「帯と函」)

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ここにあるのも、橋口氏の書いておられる通り、文字通りの「袋」ではなく、くるみ紙である。日本流(中国には?)ダスト・ジャケットと言っていいだろう。糊をはがしていないものも二点ある。タイトルからして二冊か三冊まとめて包んでいたらしい。

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ただ、最も新しい斎藤昌三『句集 前後三十年』は、文字通りの「袋」。目下「日本の古本屋」に四点出品されているが、袋付と明記してあるのは二点のみ。

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読者の方よりコメントいただいた。

明治期のもので底つきの「袋」は、やはりあんまりなさそうですね。帯もなかなか手に入りませんが、松本昇平『出版販売用語の始まり』(1992年初版 ビー・エヌ・エヌ)をみると「明治三十三年、民友社が『自然と人生』につけたのが元祖である。」とありますので、意外と古くからあるものなのだなぁ、と思いました。買い切り制で定価販売も強いられていなかった頃は専ら白地で、委託制になってから色地のものが出始めた由。

また橋口氏はこうも書いておられる。

《本を大事にした人は、この袋に裏打ちをするか、厚い紙に袋の印刷部を貼り込んで本をくるみ、笹爪[ささづめ]といわれるこはぜ[三字傍点]のような爪で、合わせ目を止めるように作り直した套[たとう]を作っていた。これは書店側で用意するのではなく、所蔵者が作ったようだ。
 これをさらに厚く硬い紙(たいていはボール紙)に裂[きれ]を貼り合わせて、象牙などで作ったこはぜ[三字傍点]をつけたものを帙[ちつ]という。中国では古くからあったが、日本では基本的に明治以降になって普及した。現代でもこれをあつらえることが多い。》(『和本入門』)

日本では基本的に明治以降になって普及した」とは知らなかった。植村長三郎『書誌学辞典』の「チツ」の項には以下のように説明されている。

《安斎随筆に「帙子と帙簀と異なり、二つ共に書を包むものなり、漢土より来る書のぢすは紙を厚くのりして重ねて芯にしたる物なり、表も紙、或は羅、絹など用ふるなり、此方の帙簀は簾を心にして表を錦、綾にて包むなり」とある。》《図書が冊子形となつても、数冊を同時に包むために帙を使用するが上述安斎随筆の内に見える漢土より伝来のものが現代広く用ひられつつある帙である。紐は爪に進歩し、簀は何時しか廃れてボール芯に置替へられ、布貼りのものとなつた。》(植村長三郎『書誌学辞典』教育図書、一九四二年)

ぢすは帙の古語、源氏物語などですでにこう呼ばれている。植村の現代広く用ひられつつある帙である」という表現もちょっと引っ掛かるが・・・、安斎随筆(伊勢貞丈, 1717-1784, の随筆)の時代には厚紙の帙も使用されていたのではないだろうか。実際、田能村竹田(1777-1835)らの絵を見ても明らかに帙に包まれた書物が描かれている(李朝の文具図では本がきっちりと帙に包まれているのは印象的)。まあ、橋口氏の言うところは「広く普及した」という意味かもしれない。

by sumus2013 | 2018-08-27 21:39 | 古書日録 | Comments(0)

本棚

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ヒヨコ舎編『本棚』(アスペクト、二〇〇八年一月三一日)除籍本。後に本書と『本棚2』(二〇〇八年)とから再編集された『作家の本棚』(アスペクト文庫、二〇一二年)が刊行されている。

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写真のクオリティがバラバラで見苦しさもなきにしもあらずなれど、やはり他人の本棚をのぞくというのは楽しい。個人的に気になった頁だけ拾ってみる。


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中島らも。インタビューに答えているのは美代子夫人。ここに掲載されている本は震災後に残ったもので、かつての十分の一ほどに減ったとのこと。

《本を大事にするっていうのじゃなくて、読んだ本は置いておくけど、この本が値打ちだとか言って集めたりはしないんですね。だから本はけっこうぼろぼろで、日に焼けようが気にしなかった、読めたらいいって感じで。食べながら読んだりもするから、シミがついてたり。》


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宇野亜喜良。

《例えば本の形をとってるんですけど、実は雑誌の『EROS』というちょっとエロティックなものがあって、このレイアウトが面白いんです。1962年のものですが、黒人と白人のエロティックな写真を載せたりとか、いろんなことで廃刊になっちゃって四冊しかないんですけど。ハーブ・ルバーリンという有名なグラフィックデザイナーの作ったものだから、文字組がきれいなんですよ。》

《これは見本を本屋のおばさんが持ってきて、日本で申し込んで買ったんです。契約だけその人にしてもらって物はアメリカから送ってもらったのかな。店を持たないでいろんなところに回って本を売る、そういう本屋のおばさんがいたんですよ。》


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川上未映子。

《書店行ってとりあえす買っとくみたいなことが、あんまりないです。本当に読みたい本しか買わないです。だから積ん読本もほとんどない。
 今は本はネットで買います。書店は行くと苦しくて。目に入ってくるし、なんでも。文字がすごいから雑誌のコーナーとか行けない。見たいものしか入ってくるなっていう気持ちのときがときどきあるから、最近は書店には行けなくて、つまらないです。》


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喜国雅彦。

《棚は「見た目重視」で並べるから、カバーのないものは、持ってる友人にカラーコピーさせてもらったり、パソコンで自作したり。最近の本は、表紙がコーティングされていて、古書と並べて置くと、チグハグ感が生まれたりするから、自作のカアーをかけてやって、背表紙を統一させたりもします。こういう作業は楽しいですね、特に仕事の締め切り前は。》


ついでに『エル・ジャポン』五月号(二〇一八年三月二八日)よりファッション・デザイナーたちの書棚。

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もひとつ、FBより。書斎のローレンス・ファーリンゲティ(九十九歳!)


by sumus2013 | 2018-08-25 21:12 | 古書日録 | Comments(0)

du 241

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『du』241(Conzette & Huber, März 1961)よりヴィターリ(Lamberto Vitali)の寄稿「GIORGIO MORANDI」。『du』はチューリッヒで発行されているドイツ語の文化雑誌。一九四一年に Arnold Kübler によって創刊された。この号の編集長 Manuel Gasser(1957-1974)は二代目で著名なジャーナリストらしい。

ヴィターリはモランディの友人であり研究者、カタログ・レゾネ(全作品集)も手がけている。ドイツ語なのでまずほとんど読めないが、モランディ資料として無理なく手に入るものは手に入れるというゆるい基準で購入した。マチマチ書店の目録より。

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カラーの色調がいい。雑誌そのものが古いということもあるかもしれない。けれどもこれはやはりスイスらしい(フランスとも少し違う)渋さではないだろうか。

by sumus2013 | 2018-08-24 20:35 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

書肆季節社本

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松林尚志『詩集 木魂集』(書肆季節社、一九八三年九月、装訂=政田岑生)を頂戴した。深謝です。松林氏は下記のような略歴。俳人であり著書も多い。

1930年、長野県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。現代俳句協会、現代詩人会、日中文化交流協会の各会員。俳誌「澪」及び「木魂」代表、「海程」同人

文人碁会2015の優勝者は松林尚志氏

松林尚志「汗冷める老人に席譲られて」(「木魂」第254号)・・

政田岑生らしいキッチリとした作り。《本書は政田岑生氏の熱心なお薦めがなかったらいつ日の目をみるかわからないところであった。》と「後記」にある。

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巻頭のあそび紙に自筆句入り。本文組みも美しい。

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政田岑生の出版物をもうひとつ紹介しておく。『詩集かるそん』復刻版(書肆季節社、一九九三年一月一日)。元版は昭和三十八年一月一日発行、発行者は金田弘・羊歯三郎となっている。発行所は姫路市本町FLORA植物園。

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栞に掲載された鈴木漠「菫色のカルソン 水精[ニンフ]と羊飼は再び踊らず」によれば、一九五〇年代も半ばの頃、播州には西脇順三郎に親炙する詩人たちがいた。金田弘(かなだひろし)、羊歯三郎(しださぶろう)、羊歯の実兄・皆光茂(かいこうしげる)。時代は革新の機運にあふれていたという。

《一九四〇年代の終り、金田弘と、皆光茂、羊歯三郎兄弟はそれぞれに、西脇順三郎詩集『旅人かへらず』(一九四七年刊)と運命的な出会いをする。以後、西脇順三郎の懇ろな知遇を得る一方、同人誌『天蓋』や『Galant』等を順次刊行し、わけても『天蓋』七号(一九五三年)では他誌にさきがけて西脇順三郎特集を組み、『旅人かへらず』以後の西脇詩を逸早く世に紹介している。

《詩集『かるそん』は、そのような背景のもとに上梓されている。著者「ハーフ&ハーフ」とは、形の上では金田弘と羊歯三郎の二人を意味するのであろうが、実質はそれ以上のもの、西脇詩との交感による相乗効果と相まって別人格にまで昇華されているというべきであろう。さらにまた、これらの詩篇はすべて、連句に似た手法でもって共同制作されていたのである。

ところが羊歯三郎は突如として詩作をなげうった。「死亡通知」を各方面に発送したために『詩学』誌上に追悼記事が出たという。

《詩集『かるそん』は、詩を断念したかに見えるそのような羊歯三郎を鼓舞するために、心友金田弘が仕掛けたシュールな「対話篇」なのであった。

《風の噂によると「ハーフ&ハーフ」の一人羊歯三郎は、その後市井に隠れ棲み、植物の女神(フローラ)達と戯れる毎日だという。

発行所「FLORA植物園」は羊歯の店(?)なのだろうか。検索すると羊歯三郎のサイトが見つかった。経歴などについてあまり詳しい記載はないが、写真アルバムが大変貴重。『詩集かるそん』の刊行記念パーティの様子もよく分る。

羊歯三郎の世界

金田弘は西脇の評伝『旅人つひにかへらず』(筑摩書房、一九八七年)を上梓し、西脇から離れて仏門に入った皆光茂は東京にあって水墨画と漢詩の世界に遊んだ。

《ちなみに、西脇順三郎余技の絵はつとに有名だが、その画風はむしろ皆光茂の影響いちじるしいといわれている。

これは少々気になる発言である。検索してみると(何でも検索するもんです)皆光茂は蘭の栽培家としても知られていたようで以下のような短い評伝を見つけることができた。

東洋蘭やエビネ関連の書物で一寸難解な随想などを書かれており、只者ではない人に感じて興味が湧き、その人物像を探ってみました。本名は田中茂、皆光の雅号は母親の実家の寺名「皆光寺」に因んだ異能の文人で、生涯を野人で貫き通し、それを矜持とした人でした。

昭和27年の上京後は後にノーベル賞候補にもなった偉大な詩人「西脇順三郎」に帥事、西脇も氏の資質に共鳴、頻繁に練馬のあばら家に出向いては、「皆光寺の坊主」と呼んで、まるで寒山拾得のように笑いこけながら水墨画を描き合い、芭蕉論に興じたと言います。

蘭と人の話(2)

西脇の絵については下記を。

小千谷市立図書館 西脇記念画廊



by sumus2013 | 2018-08-23 20:37 | 古書日録 | Comments(0)

なぜ花は匂うか

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『牧野富太郎 なぜ花は匂うか』(STANDARD BOOKS, 平凡社、二〇一七年一〇月二〇日六刷)読了。牧野植物図鑑は以前架蔵していたが(今は持っていない)、エッセイを読むのは初めて。本書は短いエッセイを集めてちょうど牧野入門にもってこい。なんとも面白い人物である。

いちばん興味深く思ったのは、植物名の由来や、漢名との一致にシビアなところ。分類というのは命名ということにほぼ等しいわけだから当然と言えば当然なのだが、一般に通用している呼び名にも容赦はない。例えば「ツバキ」。

《ツバキを通常椿として書いてあるがそれは漢名ではなく、これは日本人の製した和字であるということを知っていなければならない。》

《椿の字はむろん支那の植物にもある。その植物は今は日本にも来ていて諸所に植えられてある樹で、わが邦ではこれをチャンチンとよんでいる。》

《全体どういうわけでそれをチャンチンというかと言うと、これはじつはヒャンチンの転訛でもと香椿の支那音である。》

《このチャンチンの椿は落葉灌木で大なる羽状葉を有し、梢に穂をなして淡緑色の細花を綴り、ツバキとは似ても似つかぬ樹なのである。》

《ツバキと姉妹の品にサザンカがある。》

《昔の人がこの木に山茶花の漢名をあてたことがあるので、たぶんそれからサザンカの名を生じたのではないかと思う。すなわち山茶花のサンサカが、音便によってついにサザンカに転化したのであろう。しかるに右の山茶花[さんさか]は元来ツバキの漢名であるから、これをサザンカに適用するのはまったく誤りである。

「菫」も槍玉に挙げられている。「菫」も「菫菜」もスミレとは縁がない。支那では「」がスミレであって、単なる「菫」や「菫菜」が指すのはセロリなのだと(芹、芹菜とも)。

カキツバタも「杜若」や「燕子花」と書くのは間違い、「杜若」はアオノクマタケランであり「燕子花」はオオヒエンソウである、と。

《右のように従来わが邦で用いられている漢名には、その適用を誤っているものがすこぶる多い。かのケヤキに欅の字を用い、アジサイに紫陽花を用い、ジャガイモに馬鈴薯を用い、フキに欵冬あるいは蕗を用い、ワサビに山葵菜を用い、カシに橿を用い、ヒサカキに柃を用い、ショウブに菖蒲を用い、オリーブに橄欖を用い、レンギョウに連翹を用い、スギに杉を用うるなど、その誤用の文字じつに枚挙するにいとまがない。この悪習慣が一流の学者にまで浸潤し、どれほど世人を誤っていて事体を複雑に導いているか、じつにはかり知るすべからずである。こんなわけであるから古典学者などは別として普通一般の人々は、植物の名はいっさい仮名で書けばそれでよいのである。》(カキツバタ一家言)

俵浩三『牧野植物図鑑の謎』(平凡社新書、一九九九年)によれば『植物図鑑』を改訂し『日本植物図鑑』とするときにも、その凝り性のため、改訂の仕事は遅遅として進まなかったという。

《ところが牧野は、ここでも凝り性を発揮した。学名ひとつにしても分厚い洋書を精読して、じっくり検討するのである。牧野は『植物図鑑』を改訂するとき、例えばコナラの学名が、それまでの図鑑や学術書で Quercus glandulifera Bl. とされていたことに疑問をいだいた。そこでツンベリーの『Flora Japonica』(『日本植物誌』一七八四)をじっくり読み返してみると、それまでクヌギの学名として使用されてきた Quercus serrata Thunb. こそがコナラの学名であることに確信をもち、そのように訂正したという。(『植物分類研究』下巻)

また牧野は校正にも徹底的に赤字を入れて補筆・訂正することでも有名だった。

《そういう実情だから、北隆館では『日本植物図鑑』の校正は牧野には見せなかったらしい。校正段階で大幅な手直しがあれば、さらに発行が遅れてしまうからである。

校正を著者に見せないほど、急いで出版する必要があったのか(じつはあったのです)と思ってしまうが、大正十四年九月に発行された『日本植物図鑑』には三十四ページからなる冊子の訂正表が付けられたそうである。植字工が活字を拾っていた時代だから誤字・誤植のリスクは今よりも何倍も大きかった。それにしても三十四ページの正誤表は横綱クラスであろう(第四版から訂正されたという)。

平凡社STANDARD BOOKS 第I期

by sumus2013 | 2018-08-22 21:14 | おすすめ本棚 | Comments(2)

中井先生の

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木版摺りの扇子。《中井先生の八十年賀に》と前書きがある。傘寿の配り物か。多色で摺られている肖像がその中井先生と考えていいだろう。《明治庚戌中夏》としてあるから明治四十三年(一九一〇)。「難波潟」の歌枕からして中井先生は大阪の人、だとすれば懐徳堂の中井竹山の系統か?

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署名は「菊洲孝重」と読めるように思うが、どうでしょう? しかしこの名前では何も出てこない・・・

by sumus2013 | 2018-08-21 20:32 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

ジゼル・フロインド

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『Gisère Freund』(Schirmer Visuelle Bibliothek 14, Schirmer-Mosel, 1989)。ジゼルは一九〇八年ドイツのベルリン・シェーンベルグに生まれ、二〇〇〇年にパリで歿している。社会学者であり肖像写真家として知られた。

収集家だった父からライカを買い与えられて青年期から写真を撮り始める。カラー写真の肖像ではパイオニアの一人でもある(一九三八年から)。「十九世紀フランスにおける写真」という研究に手をつけていたが、ユダヤ人でコミュニストグループにも属していた彼女はヒトラーのドイツから逃れてパリへ移る。一九三六年に結婚してフランス人となった。友人アドリエンヌ・モニエの紹介で多くの有名人たちの肖像写真を撮影した。

第二次大戦中はヴィクトリア・オカンポの招きでアルゼンチンへ逃れた。ボルヘスらをはじめとするオカンポ主宰の文芸雑誌『SUR』(一九三一〜六六)の仲間たちと親しく交際した。一九四六年パリに戻り、四八年からはマグナムの報道写真家として活動(〜五四)。一九九一年にはポンピドゥーで回顧展も開かれた。モンパルナス墓地の12区に埋葬されている(以上は仏語のウィキより)。

本書にはベンヤミン、ジイド、ヴァレリー、アドリエンヌ・モニエ、コレット、ジョイス(表紙)、バーナード・ショー、ヴァージニア・ウルフ、T.S.エリオット、コクトー、ブルトン、アラゴン、エルザ・トリオレ、マルロー、サルトル、ボーヴォワール、ジャン・ポーラン、マチス、ボナール、デュシャン、ル・コルビュジェ、ヘンリー・ミラー、スタインベック、ベケット、ヘッセ、フリオ・コルタザール、パブロ・ネルーダ、リヴェラ、フリーダ・カーロ、ボルヘス、ソルジェニーツィン、ユルスナール、その他の著名文化人の肖像が収録されている。

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アドリエンヌ・モニエ、一九三八
https://sumus.exblog.jp/12740647/


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ヴィルダヴレー(Ville d'Avray)一九三七
左より、シルヴィア・ビーチ、チャーチ夫人、ナボコフ(立っている)、
モニエ、ポーラン夫人、ヘンリー・チャーチ、アンリ・ミショー、
ジャン・ポーラン(立っている)、ミシェル・レリス


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シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店、一九三八
ジョイス、シルヴィア、アドリエンヌ
https://sumus.exblog.jp/13116065/


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蚤の市でのアンドレ・ブルトン、一九五七


ここに引用したものはそうでもないけれど、これら以外の写真はどちらかと言うと素人っぽさの残る撮り方である。ただ、それがかえってアンティームな雰囲気を醸していると言えるようだ。


by sumus2013 | 2018-08-20 21:10 | 古書日録 | Comments(0)