林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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ビートルズの日

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六月二九日はビートルズの日らしい。一九六六年六月二九日に来日したことにちなむ。EMIミュージック・ジャパンが決めたそうだ。むろん日本だけ。

イギリスのビートルズファンクラブのサイトによれば、リバプールとハンブルグでは七月一〇日がビートルズの日(Beatles Day)とされている。一九六四年七月一〇日に映画「A Hard Day's Night」のプレミアのためにリバプールに四人が戻って来た日だとのこと。


一九六六年六月の前後、ビートルズはどういう状態だったか、ざっと拾っておく。

前年十月に女王エリザベス二世よりMBE(Member of the Order of the British Empire)を授けられている。十二月にシングル「We Can Work It Out/Day Tripper」発売。ひきつづき英国ツアー。明けて六六年一月にジョージ・ハリソンはパティ・ボイドと結婚。三月、ジョンが雑誌のインタビューでビートルズは「キリストより人気がある more popular than Jesus」と発言して物議をかもす。四月〜六月は「Revolver」のレコーディング。六月一〇日にシングル「Paperback Wrighter/Rain」がリリースされる。六月二四日〜七月四日、ドイツ〜日本ツアー。八月には最後のアメリカ・ツアー。八月五日、シングル「Eleanor Rigby/Yellow Submarine」とアルバム「Revolver」同日発売。十一月九日、ジョンはロンドンのインディカ画廊(Indica Gallery)でオノ・ヨーコに出会う。十一月から翌年四月にかけて「Srg. Pepper's Lonely Hearts Club Band」のレコーディング。

(Kenneth Womack『The Beatles Encyclopedia: Everything Fab Four』ABC-CLIO, 2016、の年表による)

人気絶頂というか、ジョンがヨーコに出会って、終りの始まり、が感じられる時期だった。

以前はビートルズのCDは廉価版で揃えていたが、目下見当たるのは上の二点のみ。シングル盤「LET IT BE」は高校時代に求めたもので、当時は、毎朝、学校へ出かける前に聞いていた。

CDの方は「LET IT BE… NAKED」(EMI RECORDS LTD, 2003)。フィル・スペクターによって編集されたアルバム「LET IT BE」(1970)が気に入らないポールが主導、リミックスしてリリースされたもの。セッション中の会話も録音されたボーナス・ディスク付き。映画のシーンが印象的な「ゲット・バック」はときどき無性に聞きたくなる。







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by sumus2013 | 2018-06-29 21:44 | おととこゑ | Comments(4)

ゼフィルス

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平山修次郎『原色千種續昆蟲圖譜』(三省堂、昭和十二年六月五日)。以前原色千種昆虫図譜』を紹介した。その続巻。先日、FBに時里二郎さんが次のように書いておられたので「ゼフィルス」を調べて見たのだ。

俗に〈ゼフィルス〉と呼ばれるミドリシジミ族のチョウは、森に棲む。樹上で生活するチョウ。この国には25種いる。共通しているのは、年に一回、初夏から盛夏にかけて現れ、卵で越冬する。面白いのはほとんどが、この雨季すなわち梅雨の頃に出現して雄と雌が出会うこと。よりによって雨の多い、チョウにとってみれば厄介な季節を選んで現れること。
 それに、一日一回、活動する時間帯が決まっていること。その時間帯は種によって違う。この時とばかり、雄はテリトリーを張って占有行動をとり、盛んに他の雄と空中戦を繰り広げる。そのときの雄の翅の色ー多くが金属光沢のある金緑色、青、橙、銀など多彩な翅色をきらめかせて螺旋を描いて飛び回る光景はなんとも言えない。
 ちなみに〈ゼフィルス〉と呼ばれているのは、元々このミドリシジミ族の学名が〈Zephyrus〉だったことによる。(今は Thecliniと言うらしい)》(2018年6月26日)

6月のチョウ~アサギマダラ、ミドリヒョウモンなど

実際の森に分け入るというのは、小生には、考えられない。よって書物の森へ……である。上に掲げた図版で学名にゼフィルス(Zephyrus)が付いているのは 6、7、12、13、14、15、16、17。下図では 2、3、4、56、7、12、13、14、15、16、17 で台湾の蝶もまじっている(茶色の数字、例えば 56 はタイワンクロボシシジミの雄の表・)。

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ウィキの「ミドリシジミ Neozephyrus japonicus」を見てみると、現在は以下のような分類になっているようだ。

:チョウ目(鱗翅目) Lepidoptera
上科:アゲハチョウ上科 Papilionoidea
:シジミチョウ科 Lycaenidae
亜科:ミドリシジミ亜科 Theclinae
:ミドリシジミ族 Theclini
:ミドリシジミ属 Neozephyrus
:ミドリシジミ N. japonicus

『原色千種續昆蟲圖譜』には「ミドリシジミ」という図は出ていない。エゾミドリシジミ、アイノミドリシジミ、フジミドリシジミ、ジヤウザンミドリシジミ、ヒサマツミドリシジミ、ウラジロミドリシジミ、のみ。説明文中に「オホミドリシジミ」という名前が比較のために頻出するのだが、肝心のオホミドリシジミの図版は見当たらない。例えばこういうふうな記述。

2. ジヤウザンミドリシジミ(雄) シジミテフ科
Zephyrus diamantinus Obertür
6-8-1932 群馬県赤城山産

3. 同 (雌)(裏面)
6-8-1932 群馬県赤城山産

雌雄ハ全ク異リ、雄ハ緑色ニシテ金属光沢ヲ有シ、雌ハ暗褐色ナリ。本種ハオホミドリシジミエゾミドリシジミニ似ルモ雄ハ翅表、後翅外緑ノ黒帯エゾミドリシジミニ比シテ狭ク、尾状突起ハ長シ。後翅裏面ノ橙黄色紋ハ内側ニ於テ連続スルガ如クナル。雌ニテハ翅表、後翅、外縁及内縁角ニ細キ藍白色ノ線条アリテ裏面ハ稍々赤味ヲ帯ビ、前翅ノ後縁角近ク橙黄色斑ヲ装フ。オホミドリシジミニテハナシ。本州ニテハ山地ニ産ス。
 北海道、本州、朝鮮ニ産ス。

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原色版図版もなかなかに上品な仕上がりである。解像度は劣るにしても古雅な彩になっているように思う。

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by sumus2013 | 2018-06-28 19:57 | 古書日録 | Comments(0)

アピエ vol.30

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『アピエ』vol.31(アピエ、二〇一八年六月五日)「テーマ:小説と食卓」、および『いつもより本が多いーー金沢一志の出張本棚』(アピエ、二〇一八年五月)。

「小説と食卓」は絶対面白いテッパンの特集だろう。食の小説にはことかかない。

巻頭、千野帽子氏がペトロニウス『トリマルキオの饗宴』を取り上げているのは王道だ。食卓小説の嚆矢(かどうかは断言できないが)にして最高傑作。金沢一志氏はジェームズ・ボンドの朝食。成瀬義明氏はエルキュール・ポワロは晩餐に何をたべたか。

他にも、武田泰淳『もの食う女』、吉行淳之介「食卓の光景」、織田作之助『夫婦善哉』、谷崎潤一郎『美食倶楽部』、このあたりは手堅いが、高田郁『銀二貫』、中島京子『妻が椎茸だったころ』とか川崎彰彦『夜がらすの記』を挙げておられる方も。ウサギやウミガメもあの作品やこの作品に。パート2も期待したくなる。

善行堂の連載はジャズ喫茶と現在進行中らしい名文集について。なるほどな、とあらためて思わされる。

金沢氏の出張本棚『SLIGHTLY MUCH BOOKS THAN USUAL』はいつもながらデザインセンスの光る一冊。金沢氏の書物体験がつづられていてじつに面白い。『ありえざる星』の表紙を描いた金子三蔵なんて全然知らなかった。この表紙に目をつけるとは、むむむ、唸らされる。巻末「出張書および随行者」リストのなかに林哲夫『読む人』(2006年 みずのわ出版)を見つけてニンマリとする。

Apied アピエ Cafe & Book | Cafe


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by sumus2013 | 2018-06-27 21:16 | おすすめ本棚 | Comments(0)

マチマチ書店カタログ第1号

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『マチマチ書店カタログ』創刊号(マチマチ書店、二〇一八年六月四日)特集・欧米のグラフィック・アート、が届いた。マチマチ主人は山崎書店の番頭さんだった中嶋くん。昨年から一本立ちし、京都マルイ二階に出店している。

マチマチ書店

A4判24頁フルカラーというのもいいが、英米仏の洋書・洋雑誌で特集したというのもいい。城戸みゆき、高田裕美、高橋麻帆の各氏がエッセイを寄稿しているのもいい。財布の軽さを無視するなら、ジャック・タチ「ぼくのおじさん」プレスブックが欲しいな。海外の古書目録などによくあるように値段表が別刷プリントになっているのも、いい……かどうかは分らない。

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by sumus2013 | 2018-06-25 21:02 | 古書日録 | Comments(0)

歌切れ

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手近にあった歌切れをアップしてみた。かなり傷んでおり、読み難い。どなたからもコメントないなと思っていたら、某氏が源氏物語「朝顔」ではないですか? と教えてくださった。さっそく検索してみると、その通りであった。

 あさかほ

 みしおりのつゆわす
 られぬあさかほの花
 のさかりハすぎやし
 ぬらん

「見しおりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん」

これは見事な筆つかいだ。裏打ちは明治時代かと思われる洋紙なのだが、本紙の方は文様も古雅、それなりに時代があるように思う。

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by sumus2013 | 2018-06-24 20:20 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

榎忠展 [MADE IN KOBE]

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榎忠展[MADE IN KOBE]を見ておきたくて神戸まで出かけた。雨のなか遠出しただけの価値はあった。今もっともパワフルな作家であろう。ギャラリー島田の三会場をすべて使っている。メインは地下の武器庫だが、一階の金属部品都市も見応えがあるし、隣の部屋はこれまでのめぼしい作品を回顧的に展示している。榎忠をコンパクトに体験する(まさに体験だ)絶好の機会である(七月二日まで)。

榎忠展[MADE IN KOBE] ギャラリー島田

大量の薬莢は米軍が演習に使用したものとのこと(おもいやり予算の成れの果て……)。大砲やマシンガン(AK-47とM16)を鋳造した鉄の塊も。

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多数のフィルム・ケースを並べて額装したり、アルマンのように圧着して固めたりした旧作もなかなかに美しい。UFOが神戸の建築を破壊するモノクロ写真コラージュは漫画的で面白いし、初期の油絵の自画像(鴨居玲に師事していたそうだ)もちょっと普通じゃない。

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by sumus2013 | 2018-06-23 20:45 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

パリの並木路をゆく

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高橋豊子『パリの並木路をゆく』(學風書院、昭和二八年二月二五日)を頂戴した。深謝です。著者は女優(明治三十六年生まれ、高橋とよ、高橋豊)、戦前は新築地劇団などで、戦後は松竹の名脇役として活躍、小津安二郎作品の常連だった。

東京物語(1953)

高橋豊子がパリに着いたのは一九五二年十月(と文中にある)、翌春頃まで、途中旅行をはさんで、滞在していたようだから、この本は滞在中に発行された、ということになる。当時パリに暮らしていた人物模様に興味は尽きない。佐野繁次郎、植村鷹千代、関口俊吾、中原淳一、岡本クロード・トヨ、藤田嗣治夫妻、黛敏郎、高峰秀子、高英男、アベ・チエ、マダム・アサダ等。カバー写真は高橋とフランソワーズ・ロゼエ(女優、「外人部隊」などに出演)。

なかでは佐野繁次郎が登場しているのが貴重。マダム・アサダの告別式で佐野に会う。

《「やあ、今日は・……築地小劇場時代に僕の舞台装置で高橋さん出たことあつたね。あゝあの時分の訳者はうまかつたよ。友田はいゝ訳者だつた。秋ちやん(田村秋子)はどうしてるかね。丸山は味のある訳者だつた。あゝ、築地で苦労した者はパリへ来ても大丈夫だよ。何しろ十銭の弁当で暮したんだからナ」と一息に話しかけられたのを見ると、佐野繁次郎氏でした。氏はギリシヤ劇よろしくの身振りで、マダム・アサダの霊に一礼すると、何ともつかないてれたような笑いを浮かべながらさつさと帰つて行きました。》

この後もう一度、ラファイエット(デパート)で出会ってコーヒーを一緒に飲んでいるが、高橋の筆つきが活き活きしており、佐野のせっかちな様子が目に見えるようである。マダム・アサダというのがまた不思議な女性。パリで多くの日本人を世話して「おすまさん」と親しまれたそうだ。

《マダム・アサダは屋根裏に住んでいて、階下の台所を借りて一食五十フランで、日本人に食事を提供したり、時には家政婦に行つたり、洗濯や継ぎ物などの世話をして暮していたので死後皆なで彼女の部屋を探しても何も出てこなかつたそうですが、唯、大阪船場のさる良家に嫁いで息子が一人あること、一九四九年にパリに来たがその目的は何であるか判らない、英語フランス語も達者で相当教養のある婦人だつたこと、旅行も外出も余りしないで殆んど家にばかり居て編物や縫物をして暮していたことなどを人々は語りあつていました。》

本文の紹介はこれだけにして、挟んであった八頁の栞『學風』第十号(一九五三年三月)から、社主である高嶋雄三郎の「小出版社のあけくれ」を少し引用しておく(旧漢字は改めた)。

高嶋は府立五中出身。一年先輩に村上浪六の息子村上信彦がおり、同じ雑誌部員だった。村上信彦には『出版屋庄平の悲劇』(西荻書店、一九五〇年)がある。創業以来三年《道なき道を血みどろになつて茨をかきわけて進んでいる》。日頃の指導を創元社・小林茂に仰いでいる。

《私が今非常に楽しみにしている会がある。それは元中央公論社の飯をくつたもので、今日一社を経営している者だけが毎月十七日に集つて一夕歓談することになつている通称十七日会のことである。集る面々は、会長格の牧野武夫氏(乾元社長)藤田親昌氏(文化評論社長)小森田一記氏(経済新潮社長)野口七之輔氏(再建社長)出口一雄氏(東京都出版物小売業組合理事・第一書店社長)と私。最近仕入捨三氏も加わられた。昨年七月野口さんの肝入りで第一回を乾元社で開いた時は、共に一社を経営する苦労を負うた者同志[ママ]、話は深刻にいつ果てるとも知らず、階上に御病臥中の牧野夫人をおいて遂に夜を徹して語り合い遂に朝帰りとなつてしまつた。》

《この間終始この会合に絶大な魅力となつているのは何といつても牧野さんの永い間に亘る出版界についての体験談である。乾元社は知る人ぞ知る理想出版を行つて居る得難い出版社である。富貴も淫する能わずといつた気魄は牧野さんの眉宇にあふれている。牧野さんの不撓不屈な面魂がわが出版界の堕落を辛じてさゝえているかのように実に頼しく、たまにお会いするだけに何だか死んだ親父に会うような懐しさすら感じられるのである。》

牧野武夫(明治二十九1896〜昭和四十1965)は以下のような出版人。

《出生地奈良県田原本町/学歴〔年〕奈良師範卒/経歴婦人新聞、改造社に勤めたが、嶋中雄作に請われて中央公論社に転社。出版部を創設し、E・M・レマルクの「西部戦線異状なし」を刊行、書籍出版の基礎を築いた。昭和14年退社、牧野書店を創立、戦時統合で乾元社と改称。戦後両社を再興し、「南方熊楠全集」などを刊行した。ラジオ技術社専務、電通顧問。著書に「雲か山か―雑誌出版うらばなし」などがある。》(コトバンク)

肝心の高嶋雄三郎についてはよく分らない。一九六〇年代までは活溌に出版を続けていたようだが……。

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by sumus2013 | 2018-06-22 20:43 | 巴里アンフェール | Comments(0)

橄欖 第四号

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マン・レイ石原氏より『橄欖』第四号(瀧口修造研究会、二〇一八年七月一日、装幀=カヅミ書林)を頂戴した。深謝。第三号から三年経過している。その分、内容の充実ぶりは211頁という厚さに現れているようだ。これまでと違って表紙がミラーコート(ピカピカの光沢)になっていること。これはこれでいい感じ。

『橄欖』第4号 マン・レイと余白で

石原氏は「マン・レイと宮脇子、そして、もちろん……」と題して、宮脇子の画廊展カタログを中心に紹介しながらマン・レイ、宮脇、瀧口の交流を紡ぎ出しておられる。ミニマ画廊、東京画郎、ベルタ・シェーファー画廊、ステンフリー画廊……冊子好きにはたまらない。ここで紹介されているカタログの一部は ART OFFICE OZASA の「瀧口修造・宮脇愛子 ca.1960」(〜6月30日)に出展中である。

永井敦子「シュルレアリスト研究誌『メリュジーヌ』の日本特集について」も興味深く読んだ。『MÉLUSINE』は一九七一年に創刊されている。パリ第三大学のアンリ・ベアール(Henri Béhar)が編集責任者だった。二〇一七年に紙媒体での発行は終了し、現在はシュルレアリスム研究所のサイトが活動の中心となっているようだ。日本特集は二〇一六年に永井氏とマルティーヌ・モントー氏の編集によってまとめられた。

《ちょうどこの特集号の刊行以降に、フランスでもヨーロッパ前衛芸術の日本における受容に関する主要な史学・芸術社会学的研究が複数発表されたので、そうした成果も取りこみつつ、今後も日仏、そしてもちろん中国や韓国をはじめ、それ以外の地域も含めた研究者による共同研究が、ますます活発化することが期待される。》

スシ、ラーメンだけじゃない、日本へのより深い興味が高まっている、ということであろう。

野海青児「瀧口修造と郷土の悲しい宿縁ーーコレクションは残ったが……」は瀧口と郷里・富山との具体的な関係について考えさせてくれる内容。以下かいつまんで紹介しておく。

瀧口修造が亡くなってから先祖代々の墓も菩提寺もなくなった。瀧口修造自身の墓碑は残っており、妻の綾子も眠っている。しかし墓守となる子孫がないため無縁仏のような状態である。

菩提寺である曹洞宗龍江寺は瀧口家三代が元禄年間に寄進建設したと伝わる。墓地整理とともに本堂も解体された。再建に合わせて瀧口本家の墓も建立し直す予定とのことだが……。

瀧口修造の墓に参りました

《修造の生まれた実家は修造の治安維持法違反容疑による検挙がきっかけとなって郷里から疎外され、屋敷は言うに及ばず田畑まで終戦前後に売られてなくなっていた。父・四郎の遺品を持っていた集落はずれの家庭薬配置業者も亡くなった。
 しかし、本家の修造に憧れていた英子さんは本家に対して深い思い入れを持っていた。英子さんの夫は歌人として名高い宮柊二であった。》

宮英子は修造の「また従姉妹の娘」とのこと。菩提寺も瀧口本家もなくなったが、瀧口のコレクションは現在富山県立美術館三階に展示されている。オブジェなど数千点。没後、西落合の瀧口アトリエからごっそり移された「夢の漂流物」である。綾子夫人が引き取ったごく一部の他は全て保管されている。

瀧口生前、当時の中田県知事が再三訪問し、近代美術館の初代館長就任を要請したが、瀧口は断った。その代りに(?)知事は瀧口コレクションの寄贈を依頼したとされるが、詳しい経緯は分らない。瀧口は

《『郷里といっても私は無縁に生きてきたし、ひとがいわば身銭を切って集めたものを全部ひきとるなんて無礼な話ですよ』》(針生一郎「拒絶のアプリケーション」より、『コレクション瀧口修造』十二巻月報)

ともらしていたという。思想犯容疑で検挙された時(昭和十六年)によほど悔しい思いをしたのであろう。戦後、大学教員に誘われたが、これも拒絶している。

《戦後の瀧口家の家計の流れも戦中の延長上にあるようだ。ことに、一九六〇年代に入って瀧口が美術雑誌にあまり寄稿しなくなってからの、綾子夫人のご苦労はいかばかりだったろうか。そんな状態だったのに、瀧口家に来客があれば、当時の季節の果物が机の上に並べられた。綾子さんは自分が食べる物がなくても、お客には心からもてなすことを怠らなかった。
 瀧口修造のコレクションは、そんな瀧口の生活の身銭の喫水線に成り立っていたのではなかろうか。瀧口修造を顕彰すると共に綾子夫人の陰の力をもっと顕彰すべきではないだろうか。》

晩年の瀧口は美術家であろうとしたし、実際に一流のアーティストだったわけだから、しっかり者の奥方は必要欠くべからざる存在だった。そして、瀧口は気に入らないかもしれないが、「夢の漂流物」が富山県美にまとめて収蔵されていること、何よりの僥倖である。


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by sumus2013 | 2018-06-21 21:33 | おすすめ本棚 | Comments(2)

改正物理全志

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宇田川準一訳『改正物理全志』(煙雨楼、明治十八年一月再版)。画像は大日本レトロ図案研究所より提供いただいた。というのも、扉の裏面に珍しい検印紙が貼られているから。明治初期の教科書などで扉に貼られている例は時折見るが、この位置というのは珍しいかも(すぐ下の角印は版元印「煙雨楼蔵板」、その脇に?)。

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よく見ると、右側に「モロクヅ」左側に「フクダ」と記されている。描かれている器具、前面のふたつは、折り込み図版に出ている第百二十一図と第百二十二図のようである。奥の器具は第百十八図の「アルキミヂス氏ノ発明」した汲み上げ器械。

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百二十一図は空気の弾力性を証明する実験に用いるようだ。

《此二性アルコトヲ同時ニ験証スベキ絶奇ノ装置アリ即チ第百二十一図ノ如ク長円形ノ玻璃器ニ水ヲ満盛シ彩色玻璃ヲ以テ中空ニ製シタル物 其製ハ下底ニ小孔ヲ穿チ水上ニ浮泛センコトヲ要ス而シテ其形ハ人獣魚虫船舶随意ニテ可ナリ ヲ器内ニ入レ薄キ護謨ヲ以テ器口ヲ密封シ外気ヲシテ交通セザラシム今指ヲ以テ護謨ヲ捺スナラハ器中ノ水直チニ玻璃船底ノ小孔ヨリ内気ヲ圧縮シテ其中ニ浸入スルカ故ニ玻船ノ重量増大シテ遂ニ沈降ス又其指ヲ放ツナラハ内気自己ノ弾力ニ由リ直チニ浸入ノ水ヲ圧出シテ故積ニ復スルガ故ニ玻船ノ重量減少シテ上昇ス或ハ捺シ或ハ放シテ息マサレハ玻船ノ一降一昇スルコトモ亦止マサルナリ》

また第百二十二図の方も空気に圧力があることを証明する試験器具のようである。


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内容はカッケンボス及びガノーの「ナチュラルフィロソフィー」を折衷して訳したものだそうだ。おそらく下記の書物だろう。

Quackenbos, A. M.『A Natural Philosophy Embracing the Most Recent Discoveries in the Various Branches of Physics』

Adolphe Ganot『Introductory Course of Natural Philosophy For the Use of Schools and Academies. Edited From Ganot'S Popular Physics, by William G. Peck.』

訳者の宇田川準一(弘化五1848〜大正二1913)は物理学者。父は洋学者・宇田川興斎(文政四1821〜明治二十1887)、興斎は美濃大垣の医師飯沼慾斎の三男で宇田川榕菴(寛政三1798〜弘化三1846)の養子に入った。榕菴は大垣藩の江戸詰め医師江沢養樹の長男で宇田川玄真(明和六1770〜天保五1835)の養子になった。玄真は伊勢国安岡家に生まれ、杉田玄白の私塾・天真楼、その弟子大槻玄沢の私塾・芝蘭堂で学び芝蘭堂四天王筆頭と称された。宇田川家の当主として養子に入りその跡を継いだ。養父は宇田川玄随(宝暦五1756〜寛政九1798)。

……なるほど、江戸の医家・蘭学家が優秀な人材を養子に迎えることで家学を絶やさぬよう努めた様子がよく分るような気がする。

出版人の諸葛政太は諸葛信澄(一郎)の長男。信澄は嘉永二年(一八四九)生まれ、画業をもって長府藩に仕えたが、後、奇兵隊、報国隊などに参加。維新後、開成学校から文部省に入り東京師範学校長、大阪師範学校長、東京株式取引所肝入役などを歴任、明治十三年歿。政太の歿年は明治三十六、生年は不明。(中山光勝「乃木希典日記ーー明治八年ーー(一)」より)

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by sumus2013 | 2018-06-20 20:46 | 古書日録 | Comments(0)

漢詩扇面

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午前八時前の地震にはヒヤリとさせられた。かなり揺れた、のだが、意外と棚の上の本などは落ちなかった。ひと安心。大阪では本棚の下敷きになって亡くなられた方がおられたと聞く。人ごとではない・・・余震もありそうだし。

***

こんなときにも、こんなときだからこそ(?)漢詩の扇面でも読み解いてみたい。とは言え、最初の字でつまずく・・・

 蕪園是百花
 細菊独驕誇
 誰似陶元亮
 盆光才可嘉
   節堂居士

いただいたコメントも参考しつつ以上のように読んでみた。蕪園は「乱雑な花園」。元亮は陶淵明の字(あざな)。細菊と陶淵明の「飲酒」にあるよく知られた《采菊東籬下》を結びつけているのだろう。結句は「盆光」と読むのが妥当なような気がするが、そうだとすると意味は……

などと考えていたら、コロンビア戦、日本がPKで一点取った。なんというラッキーな展開。そして……最後までラッキーが持続して勝利した。持続するラッキーは実力か。

誰似陶元亮は、陶淵明みたいな人はいない、これはいいとして「盆光」が問題。字形は盆に見えるが、それならば、その意味は「あふれる」だろう(用例としては『後漢書』に「盆湓」があるようだ)。あふれる光(のような)才はほめるべきだ。


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by sumus2013 | 2018-06-19 21:20 | 雲遅空想美術館 | Comments(6)