林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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亞・35

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新潟で詩人のSさんが見せてくださった同人雑誌『亞』35号(亞社、昭和二年十二月一日、表紙絵=尾形亀之助)。終刊号。同人は安西冬衛、北川冬彦、三好達治、尾形亀之助、瀧口武士。発行所は大連市櫻花臺六八(安西勝 方)。

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尾形亀之助は「アラン酒(短篇)」を寄稿している。

アランといふのは、何かの小説に出てくる女の名であったかも知れない。もしさうであったら、それからこんな名がこの酒についたのだらう。
アラン酒をこっぷについだときに、私は何んとも言ひやうのない甘い匂ひを嗅いだ。女は、アラン洒の匂ひは何時嗅いでもいゝといふやうなことを言った。女は賣笑婦であった。

引用文中、促音「っ」となっているところは原文のママである。

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亞作品総目録



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by sumus2013 | 2018-05-31 20:34 | 古書日録 | Comments(0)

亜剌比亜綺譚ヴァテック

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ウィリアム・ベックフォード『亜剌比亜綺譚ヴァテック』矢野目源一訳、生田耕作補訳・校訂(奢灞都館、一九八八年四月)の裸本。古書ヘリングの表の均一にて。本来は函が付いているはず。

いくら裸本でも、この本が均一とは、と思うのだが、実は日比谷図書館の廃棄本。ハンコやシールがベタベタ。

東京都立日比谷図書館は明治四十一年開館、昭和二十年の空襲で全焼したが、再建された。二〇〇九年に東京都から千代田区へ移管され、二〇一一年一一月四日に千代田区立日比谷図書文化館として開館している。

……ということだから、移管時に蔵書の整理が行われ、この本はあえなく廃棄となってしまったわけだ。念のため千代田区立日比谷図書文化館で『ヴァテック』を検索してみるとボルヘス編『新編バベルの図書館3』(国書刊行会)にスティーヴンソン、ダンセイニらとともに収められている(当然ながら奢灞都館版はヒットしない)。

どこをどう辿って京都岡崎まで流れて来たのか、不思議と言えば不思議、古本の世界ではよくあること、と言えばよくあること、か。

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生田耕作は、本書巻末の「「牧神社」版 校訂者解説」を読むと、矢野目源一への興味から本書を評価しているように思える。

《すぐれた先人の苦心になる名訳が、時間的経過というたんなる外的理由によって、深く優劣を比較検討することなく、図書館の片隅にいたずらに埃をかぶったままで放置される矛盾は一日も早く改められたいものである。》

残念ながら本書は図書館の片隅で埃をかぶる機会さえ失ってしまった。埃をかぶっても図書館に架蔵されつづけるということは大きな意味を持っているはずなのだが……。

《仄聞するところによれば、昭和のはじめ、長マントをはおって、腰には短剣を吊るし、東京の巷を闊歩して衆人の目を見はらせたという、ベックフォードの系列につながる奇人伝中の人物、幻庵居士矢野目源一の〈イキ〉姿を今に偲ばせる、見事な訳文をも併せ堪能していただければ幸いである。
 今では古書店でもみったに見かけなくなった、同じ訳者による他の業績、『吸血鬼』『古希臘風俗鑑』(マルセル・シュオブ作)、『ド・ブレオ氏の恋愛行状』(H・ド・レニエ作)等の旧刊書も再び甦ってもよい時期であろう。それにしても予告されたまま刊行に至らなかった、エリファス・レヴィの『魔法史』、ライムンド・ルルリの『愛経』をはじめとする、数々の奇書の訳稿はいまいずくに眠っているのか。》

本書の底本は春陽堂文庫版(一九三二年)である。奢灞都館なき今、その再刊の遺志を継いでいるのが書肆盛林堂だということは明らかであろう(山田一夫の例でも分かるように)。書肆盛林堂より最新刊が届いた。『我もし参謀長なりせば』。これまた珍品。

《海野十三、大下宇陀児、甲賀三郎、蘭郁二郎、渡辺啓助、探偵作家の大家五人に、「科学知識」編集部が、昭和十四年に勃発した欧州大戦に、それぞれ『獨逸側』『英佛側』の参謀総長の立場を選ばせ、指揮をとらせて各々勝利へと導くにはどうすればいいか? と誌上での作戦をたてさせた本連作。その奇妙・奇天烈な作戦は、まさに科学探偵小説。ここに、全作を完全覆刻する。》

……たしかに奇天烈というか、ちょっと笑っちゃいます。



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by sumus2013 | 2018-05-30 21:16 | 古書日録 | Comments(0)

たはむれに

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五洞……でいいかと思うが、これもけっこう読み難い。しばらく首をひねってみる。表面にもやのように白っぽくかかっているのが、いわゆる雲母(きら)である。部分的にはげ落ちている。キラ引きの短冊、小生はこれまで見た事がなかった。


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 飯かしく それならなくに 竹の舎の 
 ふしよきいめを 見るそ楽しき 五洞

以上の解読コメントいただいたが、「舎」のところがどうだろう。「葉」? だが、竹の葉に節はないし・・・分からない。「舎」以外は問題ないと思います。

いめ(夢)は「飯かしく」と関連があって、おそらく「邯鄲の夢」にひっかけているのだろう。だから「たわむれに」なのだと思う。

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by sumus2013 | 2018-05-30 17:07 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

今宵はなんという夢見る夜

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柏倉康夫『今宵はなんという夢見る夜 金子光晴と森三千代』(左右社、二〇一八年六月三〇日)。柏倉氏の新著である。以前、プレヴェールの評伝を装幀させていただいた。

『思い出しておくれ、幸せだった日々を 評伝ジャック・プレヴェール』

『今宵は〜』も非常な労作評伝である。金子光晴と森三千代の関係を、その出会いから敗戦まで、詳細にたどっている。金子の自虐的な恋愛観、新しい女としての三千代の成長、それらをしつように追いかけて、筆は日本はもちろん中国、東南アジア、ベルギー、フランスへと走って行く。金子ってこんな男だったのか、森三千代の作品をもっと読んでみたい……と自然に思わされてしまう。折りに触れ詩などの引用もふんだんに盛り込まれているので金子を知らない人には入門書として役立つだろう。

金子光晴の三部作『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』(いずれも中公文庫)はかつて愛読したものだ。表現も巧みだが、とりわけ、こんなに率直な自伝ってあるのかなと感心した。しかし本書を読むと、少し見方が変わる。いくら率直でも金子も人並みはずれて自分勝手な人間だ、描写には歪曲された部分も少なからずあるのだ。本書と照らしながら三部作をもう一度読み返してみたいような気になった。

それはそうとして、戦前の最も「いやな時代」を「うしろむきのオットセイ」の態度で通した金子の生き方を、若い人たちにもっと知ってもらいたい、というのが読後感の第一である。現代もまた戦前とは多少違うとしても(しかし通じるところのある)「いやな」時代になっているから。

今宵はなんという夢見る夜 金子光晴と森三千代


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【用紙】
本 文 b7ナチュラル 四六Y71.5kg
カバー MTA+-FS 四六判Y目 135kg
表 紙 気包紙-FS(U) ディープラフ L判Y目215.5kg/K判T・Y目147.5kg
見返し ハンマートーンGA ダークグレー 四六判Y目 130kg
別丁扉 ハンマートーンGA スノーホワイト 四六判Y目 100kg
帯   ハンマートーンGA スノーホワイト 四六判Y目 100kg

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by sumus2013 | 2018-05-29 20:08 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

没後70年 松本竣介展

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ときの忘れもので開催中の「没後70年 松本竣介展」の図録を頂戴した。深謝です。《これまでほとんど展示されることのなかった作品8点を含むドローイング16点を紹介する》とのことで、近くならぜひ見たい展覧会である。16点とあるが、図録によれば、表裏にデッサンが描かれている作品が五点含まれている。

没後70年 松本竣介展

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おやっと思ったのはこちら。No.13、一九四二年の少女素描である。デッサンの線を鉄筆のようなものでなぞった跡が付いている。

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要するに、このデッサンは《裏面に木炭を塗って転写のために使ったとみられる「カルトン」》(大谷省吾「松本竣介の素描について」本書解説より)なのである。ついでだから絵の転写についてメモしておこう。

壁画などでは、下絵の輪郭線に添って小さな穴をズーッと開けて、そこに色粉をはたくと、下に輪郭が現れるという技法が用いられる。どこかの美術館で壁画の表面が剥がれて緑色(テールヴェルト)の点々で描かれた輪郭が見えているサンプルを見た記憶があるが、どこだったか失念。

または下絵にグリッド(格子)の線を引いて、キャンバス(や壁面)にも同じ数の線を引いて(拡大縮小は自由)、マス目ごとに線を目で見ながら移して行くという転写法もある(おおざっぱかつ極端に言えば、デジタルの画像コピーと原理としては同じです)。これだと下絵に格子模様が入ってしまうので、下絵がよくできていると、ちょっともったいない気もする。写真などを転写するときに向いているかも。

小さな画面ではトレーシングペーパーを用いる。美大生の頃、「ヤン・ファン・アイクはどうやって下絵をタブローに転写したのでしょうか?」と黒江光彦氏(当時、西洋画の技法書を執筆していた研究者)に直接尋ねたことがある。黒江氏は、薄い紙にロウをしみこませて半透明にしたトレーシングペーパーのようなものがすでにあった、という意味のことを教えてくださった。ヤン・ファン・アイクの絵は構図も厳格だし描写も非常に細かいのでそうとう精密な下絵を用意したことはまず間違いないが、トレペだったとは、当時は思いも寄らなかった。

竣介も、いつもこんなぶっつけな転写をしていたとは思えないけど(というのは下絵の素描が傷んでしまうから、できればやりたくない)、トレペの転写というのはちょっと面倒でもある。薄い紙をデッサンに重ねて線だけを引き写して、その輪郭を写し取った薄い紙(トレペでなくても、線が透ければいい)の裏面にカーボンを塗る(柔らかい鉛筆でも可)か、または下にカーボン紙を敷くかして、それをキャンバスの上に置く。それから、少し力をこめてボールペン程度の細さ・堅さのもので薄紙の線描をなぞる。そうするとキャンバスの上に輪郭線が写る。カーボンは絵具と混ざって少し濁ることもあるので、茶色の油絵具(バーンドアンバー)を薄く溶いてトレペの裏に塗り、しばらく乾かし(完全に乾かしては転写できなくなるので適当なところで)転写に用いるという方法もある。

いちばん簡単なのはキャンバスに直接描くことだが、これだと構図をイッパツで決めなくてはならない。構図が変更しにくい(できないわけではもちろんありません)。印象派が現れる前の画家たちは、おそらくそんな適当なぶっつけ本番はまずやらなかったろう(やっていないというわけではありません)。

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by sumus2013 | 2018-05-28 21:20 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

笹田弥兵衛

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『NEW NATIONAL READERS NUMBER 1』(積善館:花井卯助、明治三十年四月十二日三十版、明治二十二年二月十六日第一版発行)。タイトルは扉では「BARNES NEW NATIONAL READERS/NEW NATIONAL FIRST READER」奥付では「ナショナル第一」。かなり前になるが、第二を取り上げたことがあった。


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しかし、この本を求めた興味はもっぱらこちら。赤いレッテル。表2に貼られている。

〈や〉BOOK SELLERS
KYOTO JAPAN
Y. SASADA & Co.
 笹田彌兵衛
 京都 書林
 寺町通錦小路・北入西側

〈や〉としたところは菱形の中に「や」である。笹田彌兵衛は検索してみてもほとんど情報が出てこないけれど、『出版月評』(明治二十四年八月二十五日)に笹田栄寿堂という屋号で田中俊太郎『京都府管内地誌』の広告を掲載している。国会図書館には『京都祇園会図会』『京都名所図会』など十種程度の出版物が所蔵されているようだ。おそらくこのレッテルは新刊として貼付されたものだろう。

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by sumus2013 | 2018-05-27 20:35 | 古書日録 | Comments(0)

わが町・新宿

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田辺茂一『わが町・新宿』(旺文社文庫、一九八一年一一月二五日、カバー画=辰巳四郎)、産経新聞連載(一九七五〜七六年)の後、サンケイ出版から七六年に刊行された本の文庫化。紀伊國屋書店から二〇一四年に単行本として復刊されている。

本書の扉の裏にはこんなゴム印(?)があった。きっとたくさん謹呈したのだろう。

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この文庫は喫茶店資料(新宿・中村屋が登場)として求めたが、田辺が筆達者なのに驚かされた。テンポよく読ませる文章だ。本書に収められている「紀伊国[ママ]屋書店開店」から一部を引用してみる。

《昭和二年一月二十二日、新宿市電終点に、紀伊国屋書店は開業した。私の数え歳二十二歳の春であった。
 書店の夢は、私の七歳のときからであった。やっと素志を実現したのである。
 父の家業であった薪炭問屋も、盛業中であったので、惣領の私が転業することには、勿論、反対もあった。が、独[ひと]りっ子同様、我儘[わがまま]に育った私には、そんなことは問題ではなかった。》

大正十五年の春、慶應義塾の専門部を終え、尾張町(銀座一丁目)の近藤書店へ勤めた。半日だけ! 朝から出かけて昼飯どきになって「色々有難うございましたが、だいたいわかりましたので……」とあいさつして帰ったのだそうだ。それまでに新宿の本屋で手伝いをしており大体のことは知っていたらしい。それにしても……半日とは。

父親の薪炭問屋は間口九間だった。そのうち塀だった三間分の空き地同様の土地十八坪(奥行き六間)に木造二階造りを建てた。六千円だった。

《本の陳列場は、階下の十五坪だけで、階段下のクボミに事務所一つを置き、これが仕入部、その裏の二畳の部屋が、着替所兼食堂、それに一坪半の主人の部屋兼応接室があった。
 階段を昇[あ]がると、画廊であった。
 この画廊開設については、後述するが、私自身絵心なんて皆目ないほうだが、どうしてこういう思いつきになったのか、今もってわからない。》

問題がひとつあった。店で雑誌が売れないことが分かった。というのは、当時、距離制限というものがあって既存店から三百歩以内の近距離で新規開業した店では雑誌が扱えないという雑誌組合の規則があった。新宿終点の周辺ではすでに池田屋、文華堂、敬昌堂が営業していた。

店員は女学校出の女店員二名、近藤書店の年寄りの古番頭を帳場に、田辺を入れて五人だった。

《開店をすると、雑誌の棚がないから、その代わりに、白揚社、共生閣、叢文閣のプロレタリア思潮風のパンフレットを堆高[うずたか]く積んだ。
 私自身は三田の出身だったが、開店当時の仲間には、東大出身が多かった。
 美学の山際靖、ドイツ文学の伊藤緑良、北條憲政などが集った。》

《客には、竹久夢二、前田河広一郎、生物学の小泉丹、金田一京助など多彩であった。》

画廊は二階の十五坪。天井に曇りガラスをはめた。展示の壁には細い材木の板を何段かに並べ、モスリンの巾[きれ]で蔽った。布上から釘をさしたりした。会場の中央には大きな四角いテーブル、八つばかりの椅子を置いた。卓上には画集を何冊か(しかし画集の一部がはがされて持ち去られた)。

「第一回洋画大家展」は近所の美校出の知人のつてで大家に出品を依頼して回った。牧野虎雄、満谷国四郎、三上知治、南薫造、田辺至、高間惣七、安井曾太郎ら。二回目は持ち込みの「洋画四人展」で木下孝則、木下義謙(二人は兄弟)、林倭衛、野口弥太郎。

二科、一九三〇年協会の人々と親しくなった。里見勝蔵、前田寛治、児島善太郎、野間仁根、中川紀元、東郷青児、阿部金剛らである。パリ帰りの佐伯祐三の初めての個展も開催した。昭和三年春には『アルト』という美術随筆雑誌を発行した(同人は木村荘八、中川紀元、林倭衛、今和次郎、田辺)。赤字ながら二年つづけた。プロレタリア展なども開催した。

などなど引用していてはキリがないが、最後にひとつ、「東郷青児美術館」というエッセイは、新宿副都心に安田火災海上新本社ビル(一九七六年六月一八日竣工)四十二階に落成した東郷青児美術館についてと、東郷の叙勲祝賀会について書かれている。出席者には数々の政治家が並んでいた。田辺は東郷青児の政治家ぶりにあきれながら《東郷青児は独力で、芸術を、政治の上に置いてくれたのだ、と思った》と結んでいる。この辺り気配りの人ならではであろうか。

なお東郷青児美術館(東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館)は二〇二〇年に新美術館に生まれ変わるそうだ。損害保険ジャパン日本興亜の本社敷地内(東京都新宿区)に延べ床面積約4000平方メートル(東京・南青山の根津美術館とほぼ同じ規模)でオープンするとか。

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by sumus2013 | 2018-05-25 21:22 | 古書日録 | Comments(0)

現代アメリカ戯曲選集1

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『現代アメリカ戯曲選集1 EIGHT PLAYS FROM OFF-OFF BROADWAY』(竹内書店、一九六九年一二月一五日、デザイン=杉浦康平)。

ジャケ買いしてしまった一冊。黒い時代の杉浦康平が好きだ。

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見返し、グレーの上質紙にベタ写真を配して、アンディ・ウォーホルみたい。以下、扉は灰っぽいベージュ、折り込み口絵は黄色の用紙、そこにベタでハイキーな写真をレイアウトしている。劇作家のポートレートおよびオフ・オフの舞台写真。

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本文紙は手触りのあるラフな風合い。だからか、全体に活字がうまく乗っていない。それもまた新鮮だったのだろうか。目次もケイを使った凝った組み方。本文も戯曲のページは、天の余白を詰めて、下部にメモでもできるくらいマージンをとっている。

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劇作家八人の八作が収録されているが、恥ずかしながら、八人なかで名前を知っているのはサム・シェパードだけだ。「シカゴ」、短い作品なのでちょっと読んでみた。ま、不条理劇ですな(つたない筆ではとうてい説明できません)。他にはポール・フォスター「二つのボール」、こちらも不条理は不条理ながら全体の構図は明瞭で、死者と生者のすれ違いコミック。

オフ・オフ・ブロードウェイというものがどんなものか、マイケル・スミスの概説と鳴海四郎の解説が付されているので、おおよそのところは理解できる。具体的には、鳴海氏の体験談がいちばん分かりやすいので少し引用しておこう。

《番地をたよりにイースト・ヴィレジのとある建物の前に立つ。看板もポスターも表札も何もない。隣り近所の住宅とちっとも変わりがない。ひっそりしている。通行人をつかまえて尋ねると、なんだか知らないがこの中で芝居をやっているようだという返事だ。思い切ってドアを開くと、やっぱりそこだった。紹介してくれた人の名前を言って、ホールのカーテンをくぐると、人なつっこい感じの黒人女性が笑顔で迎えて、折りたたみ椅子の席に案内してくれた。》

《やがて、五、六十個の椅子がほぼ埋まったころ、さっきの黒人女性が来客の前に立って、手に持った小さなベルをチリリンと鳴らしてから、「こんばんは。〈ラ・ママ実験演劇クラブ〉にようこそおいでくださいました。今夜の出し物は……」とあいさつする。〈ラ・ママ〉の主宰者のエレン・スチュアートである。「……ついては、これから会費を集めますから、いつものように二ドルずつお出しください」。》

《集金が終ると、照明が入り、きゃたつ二個に椅子が四個だけの裸舞台で劇が始まった。〈ラ・ママ〉のグループは厳密な会員制度になっていて、会員以外は会員の紹介がなければ入場できない。しばらく前までは、毎週末一本ずつの戯曲を上演していたが、稽古や経費などの都合で、最近は二週間に一本のペースである。新聞に広告も出ないから、事務所の電話番号などもわからず、ほぼ口づてで会員が集ってくる。》

なかなか徹底している。これは一九六九年の一月から三月にかけての見聞だというが、その当時が全盛で五十六のグループが名を連ねていたそうだ。ほとんどが週末上演、二ドル程度の寄付金形式でまかなわれていた。

オフ・オフはもともと既成の演劇、体制社会に対する反抗が若い演劇人の発言の意欲をあおり、在来の演劇形式の打破と社会批判とに向かった、そういう由来をもつのだとか。

《ニューヨークの下町には、取りこわし寸前の古いガレージや、古い倉庫がふんだんにある。そのほか、商店の上階の物置や、教会や、図書館など、大広間はどこにでもある。大体はグリニッチ・ヴィレジの周辺、とくにその東側の二番街あたり、そして一四丁目の南側の一帯が、オフ・オフ演劇の根拠地になっている。いつでも演劇青年男女やヒッピー族がその界隈のコーヒー・ハウスやピッツァ店の中とか、その外の街路とかにたむろして芸術談義に花を咲かせている。
 その一画は、劇作家のサム・シェパードに言わせれば「アナキズムのにおいのするカーニバル的雰囲気の社会」であり、「そこは今にアメリカから分離して独立国になるのではないかと思われる」地域なのだ。》

ラ・ママ、シアター・ジェネシス、オープン・シアターなどの老舗グループはロックフェラー財団やフォード財団の補助を受けているが、ほとんどのグループはきわめて貧しく、大半はパトロンなしの自前公演だそうだ。

《それでも彼らは続続と新しいグループを組織して、オフ・オフに名乗りをあげていくのだ。ものすごい活気、ものすごいエネルギーである。》

そういった気分が杉浦康平のデザインにもこめられているのだろう。

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by sumus2013 | 2018-05-24 20:46 | 古書日録 | Comments(0)

初校ゲラ

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昨秋、企画が持ち上がって、年明けからかかっていた著作、ようやく初校ゲラが出た。著作と言っても、共著書で、執筆者は小生を含めて五人になる。本についての本。まだタイトルが決定しないのだが、「本の虫」が入ることだけは動かないようだ。

また、もう少し進めば、具体的に発表します。刊行は秋前になるかと。

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by sumus2013 | 2018-05-23 20:11 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)

夏ころも

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ずっと睨んでいたのだが、なかなか難しい。

 廬橘薫袖

 夏ころも立てさはかりひもへぬを
 そてはむかしににほふたち花 幻翁

「夏衣立て然許り日も経ぬを袖は昔に匂ふ橘」ではないかと思う。いかがでしょう。

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by sumus2013 | 2018-05-23 20:06 | 雲遅空想美術館 | Comments(4)