林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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『戀愛譚』出版記念展

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アトリエ箱庭さんで開催された「『戀愛譚 東郷青児文筆選集』出版記念展」(本日まで)を見る。編者の野崎さんと箱庭の幸田さんの東郷青児コレクション。書籍を中心に包装紙、紙袋、絵皿、マッチ箱などざまざまなグッズが展示されており、東郷の活躍した時代が甦るようであった。

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装幀作品のなかでも珍品は、スウヴェストル・アラン『幻賊』(田中早苗訳、白水社、一九三一年)だそうだ。『幻賊』とは要するに「ファントマ」のこと。

野崎さんにいろいろなお話をうかがっていると、久し振りに会う顔がつぎつぎと来場、書物談にしばし花を咲かせた。窓から見る緑がまぶしく、さわやかな陽気、そして何十年かの時間の濾過作用を経た東郷作品からも、独特の気品と稚気が漂ってくるようで、気持のいい半日を過ごせた。



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by sumus2013 | 2018-04-30 20:11 | 古書日録 | Comments(2)

白梅の空

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季村敏夫『白梅の空 悼伊藤晃治』(如月舎、二〇一八年五月一二日、制作・装釘・印刷・水墨挿絵=御影黄昏書局 戸田勝久、十部刊行)。本文が四頁(すなわち一枚の紙の両面に印刷して二つ折)、および表紙、という薄冊である。メモによれば《湯川さんがのこされた越前和紙、正調明朝体金陵の字体でフランスの刺繍糸》を使用しているとのこと。薄くてもずっしりと重い(思い)。

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旧友、亡くなったひとに捧げたもの。
 冊子は薄く、足穂の薄板界を想起。
 そこに、拙い感慨をしたためました。
 白梅の挿画、
 いとおしく、優雅。

「薄板界」というのはタルホが「タルホと虚空」のなかで語っている世界である。

一体僕が考へてゐるのに、この世界には無数のうすい板がかさなつてゐるんだ。それは大へんにうすく、だからまつすぐに行く者には見えないが、横を向いたら見える。しかしその角度は最も微妙なところにあるからめつたにわからぬ。そして、この現実は吾々が知つてゐるとほり、何の奇もないものだが、薄板界は云はゞ夢の世界といふもので、そこへはいりこむと、どんなふしぎなことでも行はれる。》(「薄板界の哲学」より引用)

要するに「薄板界」とは、文学、というか「本」のことだろう。季村さんの連想になるほどと思わされた。

本文はこのように始まる。

《そのひとがなくなってから、つきあいが始まる。この世に居ない者と生きる者との対話、記憶を遡り、現在を省みる旅といってよい。
 五十一年前に京都で出会った伊藤晃治さんをおもい、記憶の旅ははじまったが、そこには悔恨があり、ノスタルジアは微塵もない。あるグループで偶然に出会ったものの、親密な関係には至らなかったからである。
 ところが十年前、死を告げられてから様相が変わった。日々の時間に、おもいがけず面影が想起、ときに、うずくように現われた。ああいえばよかった、こうすれば。若年の狼藉を詫びたい気持は隠せなかった。何も果たせないまま、また悔恨すら忘失する時間を過ごしたことも事実である。生きることはある意味で酷薄、ときに他者をおろそかにすることは避けられない。》

「わたし」は伊藤未亡人を訪ねる。歓談を終えて玄関を出たとき白梅が空に光っているのを見た。亡くなった人からの挨拶だとさとった。神戸に戻った夜、夢にも白梅が現われた。夢にうながされて一句。

  白梅や焼香すみし午後の庭

以下、若き日々に関する断片的な印象がつづられる、が、他者には立ち入れない描かれ方である。伊藤氏が愛読したマックス・ウェーバーの文章が引用されて季村さんの「薄板界」は終っている。引用部分の末尾。

《美しくもなく、神聖でもなく、また善でもない代りに真ではありうるといふこと、否、真実でありうるのはむしろそれが美しくも神聖でもまた善でもないからこそである。》

過去はうつくしくも神聖でも善でもないということなのだろうか。

試しに、この言葉を検索してみると、ある論文にウェーバーは近代を「神々の闘争」の時代という。キリスト教の価値観が、学問によって相対化されたことを言っている》(深層心理学に基づく臨床心理学からのウェーバー、ニーチェの心理と精神障害について)と書かれていたが、「真」というのは、どちらかというと、お金(資本主義)にぴったり当てはまるな……などと、いらぬことを考えた。

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by sumus2013 | 2018-04-29 20:36 | おすすめ本棚 | Comments(0)

上海ラヂオ

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ART OFFICE OZASAさんの吉増剛造展を見て(銅板文字と写真作品、5日に御本人のパフォーマンスあり。展示の様子はマン・レイ石原さんのブログにて→http://d.hatena.ne.jp/manrayist/20180428)、その後、北の方で急用があったのでそちらへ向う。その用事を済ました帰途、出町枡形商店街の上海ラヂオをちらりとのぞいた。店の内外に活気があふれ、お客さんもひっきりなし。ゆっくり滞在したら山ほど買いそうだった。本日は一冊だけ。

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フランソワ・カラデック『レーモン・ルーセルの生涯』(北山研二訳、リブロポート、一九八九年六月二六日)。

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by sumus2013 | 2018-04-28 21:46 | 古書日録 | Comments(0)

錯乱の論理 初版

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いずれ入手したい、と書いた花田清輝『錯乱の論理』初版(眞善美社、一九二七年九月二五日、装幀=高橋錦吉)、意外と早く手に入った。傷みが見だつため安かった。とりあえず、これで十分だ。再版の奥付には

昭和22年11月10日發行
昭和23年2月15日再版

と記されているが(横書き)、初版の奥付には《昭和二十二年九月二十五日発行》(縦書き)と印刷されている。装幀、扉、目次および奥付は初版とは明らかに異なる。本文は同じ(同じ紙型かもしれない)。ただし再版の方が鮮明に印字されている。初版はかなりかすれて読みにくい。

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カバーの絵についても、扉の挿絵についても何も記載がない。カバーはデ・キリコだとして、扉は高橋の筆になるのだろうか?

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自「跋」にこう書かれている。

《前半の「自明の理」は戦争中に書いたものです。戦争中に戦後の錯亂について考へることは、少々、さきくぐりの觀がないではありませんが、いつの日か、戦争といふものは必ず終るものであると思つてゐたので、構はず書きつづけました。》

《「復興期の精神」の讀者は、そこではレトリックを大いにふりまはしてゐる私が、ここではレトリックを排撃し、ばかにロジックに執著してゐるのをみて、不思議に思はれるかもしれません。》

「自明の理」を戦争中に書いたとすれば、「自明の理」とは、花田にとって、イコール「敗北」という意味だったに違いない。本書に収められた諸作は、論理もレトリックも『復興期の精神』よりも荒削りでヴァラエティがある。評論よりも創作を(評論とか創作という垣根を取り払うことを)目指していた気配が濃厚だ。エルンストのコラージュにいたく執心で何度も言及されているが、文章において、そういう作品を目指していたようである。小林秀雄が意識されていることも端々から伝わるように思う。

表紙になったデ・キリコも登場する。

《薄曇つた冬の午後、ーーさうだ。あの日もやつぱり曇つてゐた。僕が氣をくさらせてゐたせいか、それとも街自身のもつ中世紀的雰圍氣のためであらうか。或ひはまた僕に強い印象をのこした事件當時の季節の結果にすぎないのか、僕の追憶にうかんでくるあの土地の風景の大部分は、いつも重くるしく雲の垂れた空の下で、すべてが澱んだもののやうに、ぢつと静止してゐる。それはまるで突然あらゆる存在が化石してしまつたやうな状態を描く、キリコの形而上學的な作品をみるやうだ。いふまでもなく、その明るい色彩はうかがふべくもないが。さういへば、その頃の僕は、エルンストほどではなかつたにせよ、このギリシア生れの畫家を大へん好きだつた。かれの作品に、なんの變てつもないソフア戸棚の背後に、壁に立てかけられ、巍然として聳えたつてゐる岩山の繪がある。あれはかれの傑作のひとつであらうが、ーー僕は今、薄曇つた冬の午後、僕がメエ・オンを山に誘ひ出した話をしやうとして、ふとキリコのその繪をあざやかに思ひうかべた。》(悲劇について)

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エルンストのコラージュについて書かれた「赤づきん」のあるページに挟まれていたマッチの軸。さまざまなものを本は飲込んでいるにしても、マッチ一本は初めて出会った(ような気がする)。

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by sumus2013 | 2018-04-27 20:59 | 古書日録 | Comments(0)

書物の庭

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神戸元町の1003さんで拝見した戸田勝久さんの「書物の仕事/挿絵・装釘」展図録とも言える『書物の庭』(The Twilight Press/黄昏書局、二〇一八年二月二〇日、限定350部、著・撮影・装釘=戸田勝久)が届いた。戸田さんの書物への深い想いが溢れる内容である。

初めて自分で本を作ろうと思ったのが、高校時代に立原道造詩集の複製を見た十八歳のときだそうだ。立原の手製詩集を知ったのである。早速自ら手書き詩集『神戸』を作った。二十歳の記念にその本文を青焼コピーで刷り、十部を製本したという。本造りの楽しさを知った。

《その後、銅版画を山本六三先生に習い始めて本格的な書物と出会います。
先生の書架には見たことも無い美しい書物が並んでおり、
古今東西の詩集、小説、画集を解説付きで拝見出来ました。
装釘のこと、挿絵の技法のこと、紙のこと、製本のことなど
書物に関するあらゆる事柄を銅版画と共に学べたのです。
この経験が無ければ今のように本を作ることはできなかったでしょう。
「古い書物を多く見て触って、それを土台として新しい書物を造る。」
これが美しく読みやすい書物を作る道だと教えて頂きました。

私の画家としての初仕事は、1978年龍膽寺雄氏の短篇小説『塔の幻想』です。
6枚の挿絵を銅版画で描きました。24歳の夏のことでした。
書物に関わることで絵の道をスタートで来たのは、幸いでした。

それから40年間さまざまな挿絵と装釘をすることができました。
この冊子は、私の書物のささやかな花が咲いている庭です。》

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スケッチから特装本まで戸田さんの本造りがよく分かる写真が満載である。なかでも、小生は、会場でも手に取って見ることのできた加藤一雄『蘆刈』(蘆刈十三部本刊行会、二〇〇一年)が、……欲しい。

十三部本というのは古書店を巡って『蘆刈』十三冊を集め(ようやく十三冊集ったということです)、それを特別な装幀で飾るという趣向である(そう言えば、湯川さんから、見つけたら知らせてくれと頼まれたことを覚えてます)。湯川さんと戸田さんが苦心と工夫を重ねたもの。著者サイン入が三冊ある。表紙の墨画は戸田さんの直筆。琳派ふうの函がまた凝っている。思い出すと欲しくなる。

今後もいっそう種々の花が書物の庭に咲き乱れんことを期待する。

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by sumus2013 | 2018-04-26 21:19 | おすすめ本棚 | Comments(4)

パリの素顔

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新潟から戻ると届いていた一冊がこちら、『パリの素顔』(岩波写真文庫194、岩波書店、一九五六年七月二五日)。監修は美術史家の柳宗玄(柳宗悦の次男)。一九五〇年代の典型的なパリの姿がとどめられており、すこぶる興味深い。【本書は復刻版が出ており、今でも入手できるそうです。北書店の佐藤氏が教えてくれました】

例えば、少し前に紹介した『対談ジャコメッティについて』(用美社、一九八三年)に語られている矢内原伊作がジャコメッティのモデルになった話は一九五五年のことである。まさに、この写真文庫に写し取られているパリがその背景となっていた。田村泰次郎『人間の街パリ』(大日本雄弁会講談社、一九五七年)も同時代。

ジャコメッティについて

人間の街パリ


なにはともあれ古本屋を探す。セーヌ河岸のブキニストが二度登場。ただしそれ以外の古書店も新刊書店も無視されているのは少々寂しい。

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鳩爺さんなんて呼ばれる名物男がいたんだ。それにしてもこの古本箱は相当な年代物。革命時代あたりまで遡るのかもしれない。現在はここまで古い箱はないと思う……たぶん。後ろの建物はルーヴルだろう。とすると、ケ・ド・コンティ(Quai de Conti)あたりか。最初の写真はノートルダム・ド・パリがシルエットになっている。


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新聞雑誌の販売店。今もいたるところにあるが、多少おもむきは異なる。路上のアーティストも禁止されているのか、最近は見た記憶がない(ポンピドゥーの前で誰か描いていたかも……)。落書きは今も昔もいたるところにある。


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一九五〇年代のモナ・リザの展示。小生が一九七六年に初めて見たときには、すでにガラス張りのケースに入っていた、と思う(多少あいまいな記憶ですが、八〇年には間違いなく入ってました)。

ウィキペディアの「モナ・リザ」を見ると、一九五六年に観客によって酸が浴びせられるという事件があったらしい。とすると、この写真はその事件の直前に撮られたのかもしれない。額縁にガラスは入っていなかったということになる。しかも見やすいように踏台まである。

現在でもたいていの作品はガラスのないままむき出しで展示されているから(観賞するには有り難い措置ですが、無数の来場者による被害も少なくないでしょうね)、専用ルームで防弾ガラスによって守られているモナ・リザの場合は異例中の異例だろう。

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by sumus2013 | 2018-04-25 21:17 | 巴里アンフェール | Comments(0)

北書店にて

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新潟絵屋で展示を終えた後(と言っても、展示をやってくれたのは大倉宏さんです。絵の掛け方にもその人ごとに流儀があるようです。じっくり納得の行くまで並べ替えるのが大倉流)、北書店へ向う。自家用車で来ているので、移動はラクチン。絵屋からだと十分とかからなかった。

久し振りの北書店(https://sumus.exblog.jp/14927447/)佐藤氏と立ち話。最近、南陀楼綾繁氏が新潟で雑誌の仕事をしており、定期的に通っていると聞く。棚を眺めてみると、拙著をもっとも多く置いてくれている店ではないか、と嬉しくなる反面、申し訳なくも思う。sumus 同人の本も多い。

『ほんまに』19号も並んでいた。特集は「わたちの少女文化」。石阪春生×高橋真琴の初対面レポはちょっとした読みモノ。お二人の並んだ写真が貴重。あのまきまきヘアーとキラ星またたく大きな瞳の高橋先生ってこんな方だったのか……。

小生は「日本女性、パリで古本を売る(2)」と題して、パリのテロ戒厳状況について、とそのなかでも自然体で古本を売るK子さんら古本屋さんの様子を書かせてもらった。いつもながら、高橋輝次さん、中島先生らの本好きメンバーの連載も読み応えあり。最新の兵庫県古書店MAP(2018年2月)も役に立つ。神戸周辺にはまだまだ古本屋さんが頑張っている。

ほんまに 好評発売中

新潟市内に古本屋がなくなったことは以前書いたかもしれないが、新しく何店舗かできているということを複数の古書通から聞いた。今回は車なので、回れないこともなかったが、日程がタイトだったため、結局どこも訪問せず。今検索してみると、丁寧に紹介されているページがあった。

新潟にあるオシャレな古書店5選



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北書店では丸亀市立猪熊弦一郎現代美術館監修猪熊弦一郎のおもちゃ箱 やさしい線』(小学館、二〇一八年三月三日)を求めた。猪熊はうどん県出身ということもあるのだが、かなり前に目にして入手できなかった『画家のおもちゃ箱』(文化出版局、一九八四年)が忘れられず、本書にはそのダイジェスト版のようなおもむきも少しあるので、これは買わなくちゃ、ということで。

猪熊の画家としての生涯がやさしい語口で説明されており、評伝としても読めるし、作品図版も多く、加えてオブジェなどのコレクションの紹介にも多くのページが割かれている。猪熊自身のエッセイもむろん収められている。一冊あれば猪熊の全体像が分かる、お得な内容だ。

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猪熊弦一郎は『小説新潮』の表紙を長らく描いていた。一九四八年から八七年までの四十年間。今でも古書店で目にすることがある。ニューヨーク、ハワイと移り住んだのだが、その間もずっとこの仕事を続けたのである。


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『画家のおもちゃ箱』から再録されているページ。アメリカインディアン(現在はこういう表現はしないようですが原文のママ)の「カチナドール」。右頁にある画家のエッセイによれば、アメリカに住むようになって最初の買物だったそうだ。アラン・シエナーに誘われてアリゾナ砂漠を旅行した。

《国道らしきものでない旧道を朝早くから走り続けた。そしてついに5日目にサンタッフェにたどりついた。いよいよアランと別れねばならぬ日がやって来た。》《それから先はサンタッフェで初めて会った青年に街を案内された。インディアンの家、ミュージアム……。その時に、この写真のカチナドールの一番大きいのと、小さいのと二つを手に入れた。これが私達のアメリカでの最初のコレクションである。右方にあるカチナドールは今は故人になられたアントニオ・レーモンドさん(建築家)がイサム・ノグチにことづけて、贈ってくださったものである。レイモンドさんの思い出の形見である。前方にある二つの石は左方はインディアンが、色の土をすりつぶして、顔等にデコールを描く色を作ったものと思われる。》

コレクションにもセンスが感じられる。交友関係にもすごい名前が出てくるのでビックリ。楽しい一冊だ。

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by sumus2013 | 2018-04-24 21:21 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)

荒海や

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北陸自動車道のSAやPAには芭蕉の句碑が建っている。上の写真は米山サービスエリア(新潟県柏崎市)の下り線。あまりに有名なこの句が、日本海を背景に設置されていると、やはり写真を撮りたくなる。

 荒海や佐渡に横たふ天の川

元禄二年(1689)六月から七月にかけて芭蕉は

《象潟から酒田に帰つて、又こゝに数日の泊を重ね、二十五日に越後路をさして出発した。羽前と越後との境である鼠の関を二十七日に越え、七月二日に新潟着、三日は弥彦泊、四日は寺泊を経て出雲崎泊。五日は鉢崎泊、六日・七日は今町(直江津)泊、八日・九日・十日は高田泊、十一日は能生[のふ]泊、十二日は市振[いちぶり]泊と宿を重ねた。》(「芭蕉講話」『潁原退蔵全集』第九巻、中央公論社、一九七九年

新潟は素通りしていたのか。それにしても昔の人はよく歩く。

《この間に出雲崎で、
  荒海や佐渡に横たふ天の川
の吟があった。紀行には句だけしか記していないが、別に次のやうな詞書のついたものもある。

 越後の国出雲崎といふ処より沖の方十八里に佐渡が島見ゆ。東西三十余里に横折りふしたり。昔よりこの島は黄金多く湧き出でて世にめでたき島に侍るを、重罪朝敵の人々を遠流[おんる]の地にて、いと恐しき名に立てり。折節初秋七日の夜、宵月入果てて波の音とう〓[繰返し記号]と物凄かりければ、

 句は眼前に日本海の荒波を望み、空には銀河が遠く佐渡が島まで横たはつて居る雄大な景色をのべたのであるが、右の詞書によつても分る通り、この荒海の果に幾多の哀史を秘めた佐渡が島に対して、悲愁の情を籠めて居る事を見のがしてはならない。》(同前)

詞書の文中に七日とあるのは(実際は四日)天の川にひっかけたかという(潁原説)。悲愁の情かどうか……。当然ながら佐渡は見えない、見えないのを見えるかのように詠んだところがポイントだろう。

とりあえずこの日は曇天にて佐渡島は見えず。句碑の説明文にこうあった。

《当時、芭蕉は、北陸路において、新潟、富山、石川、福井と日本海沿岸を行脚し、岐阜、大垣を「奥の細道」の結びの地とした訳ですが、この行程は、北陸自動車道とほぼ同じ道をたどっているところから、これを記念し、芭蕉、北陸路ゆかりの地の近くの当米山サービスエリアに碑を建立いたしました。
(句碑の建立には、柏崎市の御協力を得又碑の書体は書道家、白倉南寉先生による)
   東日本高速道路株式会社》

句碑めぐりなど考えも及ばなかったのだが、休むところどころに芭蕉の句碑があったので写真だけは撮っておいた(芭蕉以外は略す)。

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ふるき名の角鹿[つぬが]や恋し秋の月
(杉津PA下り線)



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むざんやな兜の下のきりぎりす
(尼御前SA下り線)



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早稲の香やわけ入る右は有磯海
(有磯海SA上り線)



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庭掃いて出ばや寺に散る柳
(賤ヶ岳SA上り線)


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by sumus2013 | 2018-04-23 21:16 | 古書日録 | Comments(0)

新集古書販売目録

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金沢文圃閣で求めた『古今内外の文献蒐集 新集古書販賣目録 古本屋八號附録 銷夏讀書奨励號』(荒木伊兵衞書店、一九二九年七月二〇日)。

開巻一頁目に掲げられている写真二点、「弊店『書芸洞[シヨウインドウ]』と久良岐氏筆暖簾」「弊店洋書部の陳列場と応接室の一部」。

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表紙裏(表2)には店主の一文「内田魯庵先生追悼號(古本屋増刊)發行に就いて」。

《何から何まで、御教示と御鞭撻をいたゞいて居りました私には、丁度生まれて間もない子供が親に先だゝれた氣持ちです。殊に、雜誌『古本屋』は先生に一等可愛かられました。原稿料などは一度もお拂ひした事のないこの雜誌には、お忙しい時でも心よく書いて下さいました。私が月一度の上京を楽しみにして下さつたのも先生です。
今度のはよく出來ましたとほめていただいたのも、こゝはこうした方がよかありませんかと、書斎に積みかさねてある多くの本の中から、さがし出して教へて下さつたのも、今は哀しい思出の一つになりました。》

表紙(表4)には「荒木書店行進曲」の歌詞が掲げられている。作者は吐露平(山本吐露平か)。同書店の様子が細かに描かれていて貴重であろう。

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内田魯庵蔵書売立 魯庵の死は昭和四年の六月末、売立はその九月に大阪で行われました。故人と親しかった荒木伊兵衛書店が委託を受けたのでした。出来高約一万円。書物通として知られた人だけに、蒐書は書誌関係のものが多く、古典籍と洋装本と洋書の混合でした。主力は古本、全体の六、七十パーセントを占めて居りました。》(反町茂雄『蒐書・業界・業界人』八木書店、一九八四年)



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by sumus2013 | 2018-04-22 20:45 | 古書日録 | Comments(0)

堀江芳介壬午軍乱日記

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堀江芳介壬午軍乱日記
2018年5月1日発行

編者 西村榮雄
発行 みずのわ出版
装幀 林 哲夫
印刷 山田写真製版所
製本 渋谷文泉閣

上製 194×133mm

カバー ハンマートーンGA ホワイト 四六判Y目130kg 黒箔押+スミ1°
表 紙 ハンマートーンGA ホワイト 四六判Y目100kg スミ1°
見返し NTラシャ べんがら 四六Y目130kg


内容は、明治十五年、朝鮮で起きた壬午軍乱に際し、日本政府は居留民保護と公使の護衛の目的で軍艦を釜山へ送った、そのときに派遣された軍人の一人、陸軍歩兵大佐・堀江芳介(編者の祖父)の日記を活字にしたものである。

《八月二日新橋駅から汽車で横浜に行き、玄界丸に乗船し、神戸、下関に寄港した後、八月一二日朝鮮西岸の月尾島に上陸した。現地では、高島少将の下で花房公使の護衛に当っていたが、八月三〇日に済物浦条約が結ばれて事件は解決し、九月二〇日に任務を終えて帰国した。この日記は、その間の行動を記録したものであった。》(まえがき)

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by sumus2013 | 2018-04-22 20:12 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)