林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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菜譜

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19331210 菜譜 京都園藝倶樂部叢書第三輯
編輯兼発行者 京都園藝倶樂部 
代表者 香山益彦
印刷者 須磨勘兵衛 京都市北小路通新町西入
印刷所 内外出版印刷株式会社 京都市西洞院通七条南
発行所 京都園藝倶樂部 京都上京区衣棚通リ椹木町下ル今薬屋町三百十五番地(勧修寺方)
181×131mm 62+4pp 非 丸背上製 函

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均一で発見して喜んだら、この有様だった。


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《菜譜は大和本草花譜と共に貝原益軒先生晩年の著述なり》《本書は正徳四年(二三七四)の開き板にして半紙判上中下三巻より成る今翻刻に用ゆるものは勧修寺伯爵所蔵の初版本なり此他享保六年、同十九年、文化十二年等の板本数種あり内容何れも全く同じ唯享保十九年板より表題を諸菜譜となせるを異とするのみ世に再校本と称するもの即ち之なり。
 本書は京都園藝倶樂部創立十周年記念として特輯刊行すべき筈なりしも前刊叢書に倣ひ體裁装訂を整へ叢書第三輯として出す事とせり。》(解説より)

正徳四年は西暦一七一四年である。

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by sumus2013 | 2018-01-31 19:44 | 関西の出版社 | Comments(0)

浮き世離れの

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坂崎重盛『浮き世離れの哲学よりも憂き世楽しむ川柳都々逸』(中央公論新社、二〇一八年一月一〇日)読了。面白い。川柳都々逸なんぞの風流世界にはまったく縁が無いと思っていたのだが、案外と、人口に膾炙している句が多いのにビックリ。

《このワタシ、戦後、焼け跡育ちで、一日小づかい五円玉を握って駄菓子屋へ走り、割り箸にからめた水あめや、コッペパンの半分に黒蜜ぬったのを買い食いしてたガキだったが、思春期を迎え、ラジオの芸能番組、上野や人形町の寄席の高座で、柳家三亀松のお色気都々逸や女芸人の端唄、俗曲とともに都々逸を聞いたのが初め。
 つまり、昭和三十年から四十年代頃までは、生活の中に都々逸が生きていたのでした。》(「あとがき」にかえて)

しかしひと回り下の小生でも、しかも讃岐の片田舎でも、TVというものの普及によって、お色気はともかくも、落語や都々逸、端唄、小唄などはしばしば耳にし目にしたものである。少年時代から青年時代にかけてそういった演芸がオンエアされる比率はかなり高かった(「お好み演芸会」などなど)。今日まで続いているのは「笑点」くらいのものかもしれいないが(?)、それでも今なお川柳都々逸をレパートリーとした大喜利のような芸能番組は放映されつづけている(坂崎さんは悲観的な意見らしいけれど、そうでもないですよ)。日本人はよほど五と七のリズムが好きなんだな、と思うのである。

本書には坂崎好み、名品佳作がズラリのアンソロジー。洒脱な解説も過不足ない。例えば

 花は紅柳はみどり あしたはあしたの風が吹く

平山蘆江の『蘆江歌集』から。あしたはあしたの風が吹くって川柳(蘆江は「街歌」と呼んだ)だったのだ。「トゥモロー・イズ・アナザ・デイ!」

 戀という字を分析すれば 糸し糸しと言う心

こちらは都々逸だそうだが、昔はじめて聞いたときには、うまいこと言うもんだなあと感心した覚えがある。

そして坂崎翁の本領はやはりEROSの世界。といってもちっともいやらしくないのが不思議なくらい。ただし、ここでは引用するのがはばかられるため、ご興味おありの方はぜひとも本書をお求めいただきたい。哲学よりも、という命題通り、哲学的にオシャレな解説の奥義を少しだけ引用しておこう。第二章「いっそこのまま……世間も義理も」より。

 恥ずかしさ知って女の苦のはじめ

 野辺の若草摘み捨てられて土に思いの根を残す

 医者などに治せるものかと舌を出し

これらの歌を引用解説しつつ恋の病をまな板にのせ、次のように締める。

《古川柳は、そのへんの事情を見逃さず、
  「あれ、死にます……と病い癒え
 ということになる。「死にます」といって元気になるのだから人間とは不思議な生物ではあります。
 キェルケゴールではないが、「死に至る病」とは絶望のことをいうが(元ネタは「新約聖書」)、この娘の「死にます、死にます」は、最大級の生きる希望、歓喜の絶頂であったわけです。
 「シヌ、シヌ」は性の絶頂、生の歓喜の時の言葉なのですから、エクスタシーは「小さな死」、まさにバタイユ的エロティシズムと一致する。洋の東西、このことに関しては共通するところが嬉しいじゃないですか。性愛って本当にいいですね。

なんだか淀川さんみたいになってますけど、さすが坂崎翁であろう。以下、本に関する作品をふたつほど挙げて結びに代える。

 ながい話をつづめていへば光源氏が生きて死ぬ

ははは、こりゃ、たいていの物語に当てはまる。もう一句。

 うたたねの顔へ一冊屋根を葺き

これもうまい。

「屋根」は、つまり本ということ。それも、柔らかく軽い和本でしょうね。ゴロリと横になって本を読んでいたのだけれど、眠くなってしまったので、手にした本を開いたまま顔の上に乗せて、うたた寝をしているという図。

反権力の狂歌、鶴彬や竹久夢二の戦争川柳にも目配りは忘れない。回文のくだりも傑作揃い。ブックガイドにもなっているし、ちょいと引用するのにもってこいのガイドブックでもあります。

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by sumus2013 | 2018-01-30 21:47 | おすすめ本棚 | Comments(0)

荷亭秋點

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菊池五山は以前掲げた掛軸の他にこの色紙があった。

凋傷何必恨春

これがまた小生にとっては難物で容易には読めない。epokheさんかどなたかに御教示いただきたいと思う。


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[小釣雪]
荷亭点若湧  荷亭の点(鐘声)は湧くがごとし     
秋気已堪餐  秋気已(すで)に餐に堪ふ
氷簟就眠易  氷簟は就眠に易し
風荷書字難  風箋は書字すること難し
紅衣軽百冷  紅衣は百冷に軽し
雪羽照波寒  雪羽は波を照らし寒し
破困昧盃酌  困昧を破り盃酌す
碧簫也足歓  碧簫也(また)歓ぶに足る

荷亭秋点 五山 [池桐孫印] [池無弦父]

度々の御教示に深謝です。

ひとまずこれで解読できたように思う。餐に堪ふ……検索すると「秋色餐」という使われ方があった。その説明にいわく

堪:可;餐:吃。形容女子容貌秀丽动人或景色非常美

すなわち、文字通りの意味なら「食べられる」(可吃と同じ)だが、美人や美しい景色を形容する表現だとのこと。五山の「秋気已堪餐」は、秋の空気はすでに澄んで美しい、くらいの意味になろうか。


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by sumus2013 | 2018-01-30 15:05 | うどん県あれこれ | Comments(6)

地理教科書

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昨日の『地図の歴史』のつづきというか、手許にある明治時代の地理教科書をアップしてみる。どれもすべて均一棚で採集したもの。百円か二百円である。ただ、これだけ集めるのに二十年くらいはかかっていると思うが・・・


まずは『世界國盡 全』。奥付も封面もないので版元が分からない。むろん『世界國盡』といえば福沢諭吉が明治二年に刊行した世界地理の入門書である。本文も全部確認したわけではないが、出だしはまったく同じ。ただし版面は異なる。福沢版は頭注欄があり、全六冊。こちらには註はなく「全」とあるのだからそのダイジェスト版か。地図は破り取られたようで揃っていない。
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かろうじて残っている南米と太平洋の一部の図。大西洋には「あたら海」(由来についてはこちら)、太平洋には「太平海」という訳語が充てられている。


次は大槻修二編『日本地誌要略』(青山紅樹書楼、明治九年1876、六月)の折り込み「日本國全圖」。地図は銅板刷、本文は木版刷である。
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森孫一郎+豊岡俊一郎編『新撰小學地理書 四』(教育書房、明治二十一年1888五月六日訂正再版御届)の折り込み「欧羅巴之圖」。地図は銅板刷、本文はいまだ木版刷である。
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同じく森孫一郎+豊岡俊一郎編『新撰小學地理書 七』(教育書房、明治二十三年1890七月十日五刻出版)の「大日本全圖」。
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學海指針社編『日本地理初歩』(集英堂、明治二十六年1893八月十九日訂正再版発行)の「大日本全圖第二」。本文は活版刷になっている。地図はリトグラのような感じだが、版式は分からない。
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學海指針社編『萬國地理初歩 下』(集英堂、明治二十七年1894一月十日五刻出版)の「南亜米利加洲」。
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う〜む。地図の魅力には、たしかに抗し難いところがある。

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by sumus2013 | 2018-01-27 20:57 | 古書日録 | Comments(0)

地図の歴史

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織田武雄『地図の歴史』(講談社、一九七三年二月二五日)。先日少しばかり引用したが、概説書としてはよく出来ている。これまでこの手の本をあまり読んだことがなかったので、いろいろと啓蒙された。

例えば、アリストテレスは地球が球だということを知っていた。

アリストテレスは、月蝕の際に月面に映る地球の影が円形をなすのは、地球が球体をなしているからであり、また、エジプトで見える星の一部が、ギリシアでは水平線に没して見えなくなるように、地球上を南北に移動しただけで、天球に見える星の位置が変化することから、地球はあまり大きな球体ではないと論じている。

ルネサンスの意味とはこれだったわけか。

例えば「太平洋」はマゼランが名付けたこと。マゼランの船隊は一五二〇年一〇月二一日にマゼラン海峡を発見し、ゆっくりそこを通り抜けて太平洋へ出た。

《マゼランは太平洋をもっと小さいものと考え、香料諸島にもたやすく到着し得ると予測して西進したが、結果は三ヶ月以上を要し、食料や飲料水の欠乏と壊血病に悩まされた苦難に満ちた大航海となり、ようやく二一年三月一六日にラドロネス島を経て、フィリピン群島のサマル島に到着することができた。ただこの間、一度も荒天に遭遇することがなかったので、マゼランはこの太洋を太平洋[マール=パチフイコ](Mar Pacifico)と呼んだ。》

例えば「アトラス」はメルカトルが名付けたこと。メルカトルは早くから世界各地の地図を総合した世界地図帖を編纂する計画を立てていたが、容易には実現されなかった。

《一五九四年にメルカトルは没したので、世界地図帖は彼の死の翌年の九五年に、息子のルモルドによってイギリスその他のヨーロッパ諸国と、アフリカ、アジア、アメリカの諸国を加えた一〇七図より成る地図帖が完成し、メルカトルの遺志にもとづいて「アトラス」(Atlas)の表題をもって出版された。このメルカトルのアトラス以来、近代的地図帖はアトラスと呼ばれるようになったのである。

西方の世界図に日本が記録された最初は、十二世紀のアル=イドリーシーの地図である。イドリーシーはシチリアのノルマン王ロジュエル二世に仕えて世界の平面球形図を作成し、その解説書『ロジュエル王の書』を著した。そこに付された地図に「ワクワク」という名前が見える。

《フルダードビフは「シン(シナ)から先のところは、どのような土地かわからないが、カンツー(揚州)の向う側には高い山脈があって、金を産するシラと、やはり金を産するワクワクがある」と述べている。シラ(Sila)が新羅、すなわち朝鮮半島にあたるとすれば、「ワクワク」(Waku waku)は倭国、すなわち日本を指すものと解され、イドリーシーの地図ではアフリカの最東端に置かれている

ジパングの初出は、ポルトガル王アルフォンソ五世の依頼により一四五九年に完成されたフラ=マウロの世界図。フラ=マウロはヴェネツィアに近いムラノ島の僧院長だった。

《注目されることは、中国のザイトン(泉州)に接して isola de Zimpagu とある小島がみられるが、これはおそらくジパングであり、ヨーロッパの地図にジパングとして日本が記載された最初の記録であろう。》

こんなマメ知識を引用していたらキリがない。おおよそ五十年前に執筆されたこの著書、「むすび」に著者は近未来の地図についてこういうふうに書いている。

《それでは今後、地図はどのような発達をみるであろうか。地図の作成技術がますます進歩している今日では、技術的な問題とも関連して、簡単に答えることはできないが、とくに第二次大戦後は航空機の利用が盛んとなり、航空写真測量の発達がいちじるしいため、世界図のこのような空白の部分はまったく消失するのは近い将来のことであろう。》

航空機ではなく人工衛星だが、まあ、ほぼ予見されていると言っていいだろう。ただ、グーグル以前と以後で、いかに世界観が変わったかも考えさせられる。上記引用文中「空白」とあるのは南極大陸と北極地方の一部をさすのだが、今日「空白」というのは、見えない場所ではなく、見せたくない場所なのだ。見え過ぎちゃって困るの〜(ちょと古いCMソング)という世界になってしまった。




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by sumus2013 | 2018-01-26 21:01 | 古書日録 | Comments(0)

無花果珍寶EACH萼秘寶展観

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新春吉例、第三回 無花果珍寶EACH萼秘寶展観」の展示の様子。昨年につづいて今回も二点出品させてもらった。美術研究者の方々がほとんどなので、普段ではあまり見られないような、まさに珍宝が並んでいる。ご興味のある方はぜひご覧ください。本日より三日間です。

場所:小大丸画廊(小大丸ビル3階)
大阪市中央区心斎橋筋二丁目二ノ二十二 電話 〇六・六二一一・三〇二三

日時:平成三〇年一月二六日(金)~二八日(日)
時間:午後十二時~十八時(最終日四時三〇分)

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松井正「冬景」1934


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白瀧幾之助「スイス ベルン」1923


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新春吉例、第二回
無花果珍寶EACH萼秘寶展観

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by sumus2013 | 2018-01-26 09:34 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

第59回全国カタログ展審査員特別賞

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『花森安治装幀集成』(みずのわ出版、二〇一六年)が日本印刷産業連合会主催の「第59回全国カタログ展」において審査員特別賞(松永真賞)をいただきました。ありがたいことです。

全国カタログ展

《花森さんといえば仕事に厳しく向き合った生きざまが知られているが、自ら筆を執った作品には、こつことつ煮物を煮る母のような安心感としみじみとしたあたたかさに満ちている。生活そのものに対する実感力にあふれた人だったのだろう。デジタル漬けの現代のデザイナーにはこの感覚を何としても取り戻してほしい。この図録は、そんなぬくもりを感じる宝箱だ。》(講評より)


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by sumus2013 | 2018-01-25 13:30 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

雪中梅

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刺山……誰なのか分かりません。

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by sumus2013 | 2018-01-24 20:18 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

ツールの司祭

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バルザック『ツールの司祭・赤い宿屋』(水野亮訳、岩波文庫、一九四五年一一月三〇日)読了。いつ買ったのかも忘れてしまっていたが、ちょっと本を片付けようと思って手に取り、数頁読み始めてみると面白い、ついつい読んでしまった。

舞台はツール(現在ではトゥール Tours と表記される)。フランス中部の都市。時は一八二六年。ナポレオンが歿してまだ間もないころ。聖ガルシアン大聖堂の助祭ビロトーを主人公として物語は展開する。ガマール嬢が経営するアパルトマンの下宿に二人の僧、シャプルー師とトルーベール師、が住んでいた。シャプルーとビロトーは親友であり、シャプルーが手直したその居心地のいい下宿に住むというのがいつしかビロトーの念願となる。

《件のアパルトマンは美しい女が襤褸を着てゐる姿に似ていた。ところが二三年後のことだが、ある老婦人から二千フランの寄進にあづかつたので、シャプルー師はその金を槲材の書棚を買ひ込むのに用ゐた。書棚の出所はといふと、例の山師組合[バンド・ノワール]が寸断し細分したある城館[シャトー]の取毀しの際に出たもので、芸術家の嘆賞に値ひする彫り物が人の眼を惹く代物であつた。シャプルー師がこれを買ひ込んだのは、値段が格安なのに釣られたといふよりは、むしろこの書棚の大きさと廊下部屋[ガルリー]の広さが申分なく釣合つてゐることに惹かされたわけだつた。

山師組合[バンド・ノワール]はフランス革命のドサクサのなかで貴族から家屋敷を巻き上げて切り売りしたグループだそうだ。

《数人の信心深い人々の喜捨や、たとへ軽少にもせよ、彼がいつもその告白を聴いてゐた敬虔な女たちの遺贈などがあつて、わづか二年の間に、始めガラガラに空いてゐた件の書架の棚は、本で一ぱいになつてしまつた。最後にオラトリヨ会の僧侶だつた叔父が、八折り版の教父著作集と、ほかにも数冊、僧侶にとつては大切な、立派な書物を形見に遺してくれた。ビロトー師は、かつて裸同然だつた廊下部屋[ガルリー]が引き続き変態を重ねて行くのにいよいよもつて驚かされ、段々と、無意識的な渇望を抱くに至つた。

ビロトーは悪い人間ではないけれど、「シャプルーが死ねば、部屋は俺が貰へる。」と思う程度に、ごく凡俗な人物として描かれている。そしてその通りシャプルーは死に、遺言によって書棚や家具ともどもアパルトマンの権利をビロトーは譲られるのである。

さあて、気に入らないのはもう一人の下宿人トルーベールだ。彼は眺めの悪い部屋に居り、シャプルーの方へ移りたかった。ビロトーが二年ほど暮して下宿生活を満喫しつつ、大聖堂の参事会員に選ばれそうだということでウキウキしているときに事件は起きる。突然、下宿の女主人ガマール嬢の態度が冷たくなった。

これがなかなかの心理ドラマ。地方都市の社交界というのだろうか、権力争いの渦のなかにビロトーは巻き込まれて行く。そして本棚を取り上げられるはめになる。それは訴訟沙汰にまで発展し、シャプルーが遺した絵画や家具そして書棚の鑑定が行われる。パリ美術館(ルーブル美術館)の鑑定官だったサルモン氏が値踏みをするくだり。

《もと美術館鑑定官は、ヴァランタンの聖母像と素晴らしく美しい作品であるルブランの基督像を、一万一千フランと評価した。書棚とゴチック風の家具に至つては、かかる種類の品物に対する支配的な好尚が、パリでは日に日に募る一方なので、取り敢へず一万二千フランといふ価格を生むことになつた。

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本書挿絵、左からビロトー、ガマール、トルーベール


さて、ここから、もう一波乱があるわけなのだが、それを書いてしまうと面白くない、ご興味のある方はぜひお読みいただきたい(この岩波文庫は版を重ねているようなので現在も入手できるはずです)。善良で平凡な人間が必ずしも安穏に暮せるわけではない、その凡庸さが歯痒くなってくる不思議なテイストの作品だ。


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by sumus2013 | 2018-01-23 20:49 | 古書日録 | Comments(0)

本棚・本箱ギャラリー[日本篇]

「近代日本〈本棚〉史」(http://sumus2013.exblog.jp/29157273/)の継続という意味で本棚・本箱の画像を集めてみようと思う。

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漱石山房
『書斎』創刊号(書斎社、1926.2.15)口絵より

《書斎はなるべく二室欲しい、そして一は洋風一は和風としたい。洋風の方をやゝ手広く和風の方をやゝ小さくする、二室は襖の類いで隔てとする、共に南向きで和室を東寄りに置きその東側に向つても開放する。書架は洋室の方に工夫し、和洋書を十分置き得るやう、且つ場塞げにならぬやう壁の中に設けたい。》(「書斎の本領とその実際」市島謙吉)



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松浦武四郎の書斎「草の舎」(一畳敷の書斎)明治19年
『書斎』第三号(書斎社、1926.5.1)口絵より



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仏功徳蒔絵経箱(藤田美術館)平安時代
(蔵田蔵編『日本の美術No.16 仏具』至文堂、1967)



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三十帖冊子箱(仁和寺)平安時代
空海が唐より請来したもの 
(蔵田蔵編『日本の美術No.16 仏具』至文堂、1967)

巻子本の場合は経帙[きょうちつ]に巻くが、冊子本の場合は重ねて裂[きれ]で包んで経箱に収める。
経箱[きょうばこ] 経典をまとめて納める箱で、多くは蓋を備えている。一重のものもあるが、二重・三重になるものもあり、一定しない。また、香狭間[こうざま]形を透すものもある。金属製のものは金銅が多い。また木製の箱に漆をかけ、これに金銀の蒔絵、螺鈿などの技法によって装飾文様をかざる。




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洛中洛外図屏風 舟木本(東京国立博物館)元和初年(1615)頃
「五條通りの町並み」より本屋
(石田尚編『日本の美術No.132 仏具』至文堂、1977)



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禁裏守衛総督時代の徳川慶喜 元治元年〜慶應2
(『太陽 特集・徳川慶喜』平凡社、1998年4月)



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内田魯庵『文學者となる法』明治27(1894)
(特選名著複刻全集近代文学館、1974)


《『室内装飾』 文学者が意匠を凝す室内装飾に千種万様あり。その最も著じるしく人の注意を曳くに足るものは作者風の書斎なり。
作者風とは何ぞ。即ち文学者ブルを云ふ。一般にブルの必要なるは前に述べし如し。書斎に於ても亦大いにブラずんばあらず。》




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徳川武定(徳川武昭の次男)一家 大正6年2月
(『太陽 特集・徳川慶喜』平凡社、1998年4月)




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by sumus2013 | 2018-01-22 20:46 | コレクション | Comments(0)