林哲夫の文画な日々2
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<   2017年 11月 ( 22 )   > この月の画像一覧

船川未乾「静物」

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先週、船川未乾の「静物」(一九二五、F12号)がヤフオクに現れ、昨日二十九日に落札された(もちろん小生が落としたのではありません、誤解なきよう)。出品者は神奈川の古物商。古道具が中心だが、絵画や版画なども多数出品している業者である。500円スタートで結局のところ絵の値段としてもそこそこの金額になった。画面全体にカビが生じており、あまりいい状態ではないのだが、このくらいならクリーニングでかなり良くなるようにも思う。サインは画中左下に「Mikan」、裏面に作家自筆(?)で「静物/一九二五春作」と記されたシールが貼られている。

未乾の一生

ヤフオクにも時々こういうものが出てくる。侮れないです。

by sumus2013 | 2017-11-30 20:32 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

古書目録の左川ちか

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左川ちかが古書目録でどのように扱われているのか? それを調べ上げるなどということは、小生には無理なので、とにかく手近にある目録からいくつか拾ってみた。まずは何より『石神井書林古書目録』、と思ったのだが、手許には十数冊くらいしかない。そのなかで古い方の35号(一九九五年二月)には二点出ている。

1733 左川ちか詩集 特製50部 函 写真15-C参照 昭森社 昭和11 350,000
角背継表紙上製本。本文鳥の子紙。挿絵装幀三岸節子。限定350部内特製50部本保存に恵まれた一冊。 
1734 左川ちか全詩集 限定550部 函カバ 森開社 昭和58 15,000

44号(一九九八年二月)には三点。

2315 左川ちか詩集 限定350部 遺稿詩集 函 昭森社 昭和11 80,000
2316 左川ちか詩集 限定350部 昭森社 昭和11 30,000
遺稿詩集。三岸節子挿画。背痛みあり。
2317 左川ちか全詩集 限定550部 函カバ 森開社 昭和58 15,000

48号(一九九九年七月)には44号の三冊に加えて『室楽』が登場している。

2553 室楽 椎の木社 限定300部 左川ちか訳 昭和7 35,000

51号(二〇〇〇年七月)には「書痴版」なるものが掲載されている。49と50号は手許にないため確かめられないが、どちらかの号で初登場したのではないだろうか。

2709 左川ちか詩集 限定350部 昭森社 昭和11 30,000
遺稿詩集。三岸節子挿画。背痛みあり。
2710 左川ちか詩集 書痴版限定5部本 函 昭森社 昭和11 1,200,000
特製50部の内書痴版として五部作られたもの。三岸節子肉筆デッサン入(サイン入)継表紙面取装。本文特漉鳥の子紙。黒紙貼函、薄青色元題簽。極稀本。極美。
2711 左川ちか全詩集 限定550部 別刷栞付 函カバ 森開社 昭和58 15,000


* * *


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田村書店の『近代詩書在庫目録』(一九八六年)には二点掲載。

466 左川ちか詩集〈特製〉 昭和11年11月25日 昭森社
四六判 上製継表紙 一七六頁 特製四五部記番 「詩集の
あとへ」百田宗治 「左川ちか詩集覚え書」(刊行者)「小伝」
装画、挿画(四葉)・三岸節子 本文特漉鳥の子紙使用
■該書は仮箱付 九〇、〇〇〇

467 室楽 (ジョイス) 左川ちか譯 昭和7年8月10日 椎の木社
菊半截判 仮装 三六頁(限定三〇〇部)
■該書は標題他刷込みの三方折込パラフィン・カバー付 三五、〇〇〇


* * *

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『扶桑書房古書目録 近代詩特集号』(扶桑書房、二〇一〇年九月七日)には椎の木社の刊行書六十一冊が掲載されている(No.100)。そのなかに『室楽』も含まれている。ただこれは一括一八〇万円となっているので、個々の価格は分からない。また『左川ちか詩集』も掲載。

255 左川ちか詩集 森谷均編 一六〇、〇〇〇円
昭和11年11月20日 昭森社 特製50 函 見返献呈者名消

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* * *


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古書目録ではないけれど、書物誌『初版本』の創刊号(人魚書房、二〇〇七年七月三〇日)には椎の木社の刊行書についての論考、征矢哲郎「「椎の木社」の本」が掲載されているので参考までに掲げる。

17 ジョイス 佐[ママ]川ちか訳『室楽』(印字糊付パラフィン・カバー)

この中で17の『室楽』は左川ちかの第一著書で、かつ生前唯一の書籍でもあり、現在、椎の木社の書籍の中でも最も人気の高い一冊であろう。

椎の木社の本には印字付きのパラフィン・カバーが多いそうで、それが良い状態で残っているのはかなり珍しいという。パラフィン・カバー付完本はもちろん高額になる。

以上は手許にある目録のみを参照しただけである。もっと古い資料を当るなど探求の幅を広げて行けば、色々面白いことが分かってくるだろう。昭森社版だけでも少なくとも三種類あるのだから・・・というか、書痴版の五部本はそれぞれ肉筆デッサン入、すべて違う本と見るべきかもしれない。いったい何冊残っているのか、興味は尽きない。

by sumus2013 | 2017-11-29 20:07 | 古書日録 | Comments(0)

介川緑堂さらに

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[楽只]
純陽四月吾同物

堪愧僲凡美性

唯君一肉略相似

生在儒家過大平

 呂洞賓
  七十小竹老人
     [?][?]



金森正也『「秋田藩」研究ノート』(無明舎出版、二〇一七年五月一〇日)を頂戴した。深謝です。無明舎出版のホームページに連載されたエッセイをまとめたものだそうだ。著者の金森氏は「介川緑堂日記」を読み解いておられる研究者の方である。介川緑堂については以前の記事を参照していただきたいが、本書によって、さらに情報を補っておきたい。

新園雨足更幽恬

介川緑堂ふたたび


「改革派官僚の肖像(3)介川東馬」より

安永九年(一七八〇)生、弘化四年(一八四七)没。実名[じつみょう]は通景[みちかげ]。詩文にすぐれ、緑堂[ろくどう]の号を持つ。先に紹介した金易右衛門の書簡の中で、金の殖産策に反対する一派に知恵を授けた黒幕として書かれていた人物である。寛政七年(一七九五)、十六歳で大番入りし、同八年藩校勤学、文化元年(一八〇四)副役(奉行の補佐)、同七年財用奉行、同九年勘定奉行の経歴を持つ。文化十三年に家督を継いだ時点での禄高は六六石で、典型的な諸士であるが、文政十年(一八二七)には一代宿老席に列せられる。

介川は、文化十三〜十四年、文政九〜十年、同十二年、天保三(一八三二)〜同六年、同九年と、五度の大坂詰を経験している(なお、江戸時代は、大阪は「大坂」と記されることが多いので、ここで大坂を用いる)。

何度も大坂へ派遣されるということは、それだけ優秀で大坂商人たちとの粘り強い交渉力を持っていた証拠である。接待のための酒席が連続する、まさにエリート商社マンのような働きぶりであったという。そして文人としての付き合いも広かった。「文人・介川緑堂」より。

大坂に詰めていたときの、介川の文人としての側面は、頼山陽との出会いにもっともよく示されている。頼山陽は、江戸後期の儒者であるが、詩文にすぐれ、能書家であった。初めての出会いを、介川はその日記に次のように書いている。

頼久太郎[号山陽、名譲、字子歳[ママ、子成]京師ニて当時高名の儒者、詩文もよくいたし候ものニ付兼て逢申したく存居候へとも間違逢い申さず、今朝山下十五郎をもって申達候所、何時也御目にかかり申すべきの段申越候ニ付、今夕参候。対種々閑話いたし黄昏に及ぶ。屏風一双頼まれ認置候分のよし見せ候。七絶十二節、日本高名の婦人ばかりを詠し候作、いつれも面白く相見候。拙者旅中の作等も永(マゝ)し候へき、自今篤く交り申したく互ニ置候。

《京都に登る機会があるたびに、介川は頼山陽のもとを訪問している。山陽の妻も酒の相手をしたりしている。佐竹義和を編著者とする『別号録』が出版されたときは、さっそく山陽にも献呈している。

いきなり山陽と意気投合した様子が手に取るように分かる。貴重な日記である。ということで、介川緑堂に関係したものを掲げたいと思ったのだが、さすがに何も無かったため、何ヶ月か前に入手した篠崎小竹の扇面を出してみた。山陽の親友なのだから、むろん緑堂とも面識はあったろう。呂洞賓(りょどうひん、中国の仙人、七九四年生)の詩を写したものかとも思うが、検索しても手掛かりは得られなかった。冒頭の「純陽」は呂洞賓の号でもある。例によって字句の正誤とともに乞御教示。


by sumus2013 | 2017-11-28 20:16 | おすすめ本棚 | Comments(0)

左川ちか資料集成

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紫門あさを編『左川ちか資料集成』(発行:東都我刊我書房、発兌:えでぃしょん うみのほし、二〇一七年一二月二四日、装幀=小山力也、本文レイアウト=夏目ふみ)。新編 左川ちか詩集 前奏曲』に次いで本書が刊行されたことはまさにひとつの事件と言っていいだろう。前著の「はしがき」で紫門氏は《極力初出での収録をめざした》と書いておられる。本書はさらに徹底して、なんと初出の版面をそのまま複写して掬い取った、まるで左川ちかをモチーフとした造型作品、そう、パピエ・コレのような一冊である。

原資料については、極力鮮明なものを得ようとつとめ、ダイレクトに原誌からのテキストを採るようにした。そのために同じ作品のヴァリアントひとつでも、数回にわたって複数の個人、所蔵先などに依頼して複写を行い、最良のテキストを得られるようにつとめた。
 詩は、「もとのままがよい」といいながら、蒙昧な本を盲信する読者のため、ほぼありのままの姿を紙面に反映させた。これによって「左川ちか詩集」と掲載誌の間でどのような変化があったのか、その眼で確かめることが出来よう。》(編者の説明文より)

これは容易そうでいて、なかなかできることではない。資料集成とはいいつつ実際のところ「左川ちか全作品集」の体をなしているわけである。さらに「えでぃしょん うみのほし」では今後本書とは別に全集も予定しておられるそうだ。とにかく「凄い!」という一語に尽きる。小山氏のミラー装幀も冴えている。

左川ちか資料集成
The Black Air: Collected Poems and Other Works of Chika Sagawa

著 者 左川 ちか
編 纂 紫門 あさを
装 幀 小山力也(乾坤グラフィック)
本文レイアウト 夏目ふみ
発 兌 えでぃしおん うみのほし
発 行 東都 我刊我書房


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また、別冊として付されている島田龍『左川ちか関連文献目録稿』(中綴じ五十頁)、これもまた非常に充実している。

左川ちかーー。その存在は、女性詩人として、モダニズム詩人として、北海道出身の文学者として、翻訳家として、伊藤整の秘めた恋人として、早逝詩人として、多彩に表象されている。その詩は、シュルレアリスム詩として、都市詩として、風土詩として、恋愛詩として、青春詩として、種々に解釈されている。そのイメージは、創作詩歌、声楽作曲、人形造型、豆本制作などと、事事物物に触発されている。
 今後もどのような文脈でちかが語られていくのか、想像はつかない。そのため如何に取捨選択し、掲載するか否か浅慮を重ねたが、今回はちかの名が出てくる(稿者の実見した)総てを、あえて予断なく採録した。言い方を変えれば、批判を承知で節操なく収録した。「関連文献目録」と題した所以である。》(島田龍左川ちか関連文献目録稿・解説」より)

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たしかに、さまざまな文献が網羅されていて驚かされる。ただ、これは妄想に過ぎないのだが、古本者として、もしあったら素晴らしいな、と思うのは古書目録における「左川ちか」である。古書価の変遷とか調べると、かなり面白いだろうなあ・・・(個人的な趣味です、あしからず)。

古本関係でもうひとつ、別冊42頁に《J・ジョイス『ユリシーズ』の出版元でもあったこの書店は、セーヌ川左岸に今も佇む。》とあるのはどうなのだろう。現在のシェイクスピア・アンド・カンパニー書店とシルヴィア・ビーチの同名書店とは名前が同じ(ビーチから譲ってもらった)というだけで元来の『ユリシーズ』の版元ではないはずだが。

by sumus2013 | 2017-11-27 21:33 | おすすめ本棚 | Comments(0)

神戸とコーヒー

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神戸新聞総合出版センター編『神戸とコーヒー 港からはじまる物語』(神戸新聞総合出版センター、二〇一七年一〇月三〇日)。執筆者の田中慶一氏より頂戴した。深謝です。田中氏は『甘苦一滴』(甘苦社)を発行し、地道に関西のコーヒー文化を掘り起こしている方。本書は神戸とコーヒーが生み出してきた歴史が手際よくまとめられた労作である。目次およびその章に登場する主要な喫茶店および関連商店の名前を挙げておく。

第1章
西洋化〜「ハイカラ文化」から生まれたコーヒータウン
月下亭、外国亭、放香堂、オリエンタル・ホテル、ヒョーゴホテル、明治屋ストアー、藤井パン(ドンク)、二宮盛神堂、神戸凮月堂、いろは商事、

第2章
大衆化〜戦前のコーヒー隆盛期[1908〜1945年]
カフェーパウリスタ、神戸パウリスタ、ユーハイム、フロインドリーブ、藤井パン、神戸凮月堂、三星堂ソーダファウンテン、ビーハイブ、本庄、伊藤グリル、中西コーヒー店、ビクトリヤ、日輪、ミルクホール、オリオン、ホワイト、ビクトリー、珈琲フレンド、石光商事、エキストラ珈琲、サンパウロ、萩原珈琲、カフェブラジル、UCC上島珈琲、カフェーブラジレイロ

第3章
復興と隆盛〜神戸独自のコーヒー文化の進展[1946〜2017年]
ホワイト、サントス、喫茶エデン、茶房歌舞伎、モノタロー、リリック、にしむら珈琲、喫茶マルオー、エビアン、喫茶ロビン、G線、ドンク、ソネ、JAVA、ベラミ、白馬車、トラヤ、スイス、茜屋珈琲店、

***

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『神戸とコーヒー』以外にも喫茶店本をいくつか頂戴したのでまとめて紹介しておく。まずはダ・ヴィンチ編集部編『東京 本好きさんのためのコーヒーのお店』(KADOKAWA、二〇一六年三月二五日)。二十店が紹介されていて、そのインテリアやカップの写真がシブい。目玉は大坊勝次(大坊珈琲店店主)×片岡義男のコーヒー本格派対談。

***

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大竹敏之『名古屋の喫茶店』(リベラル社、二〇一一年九月一九日再版、初版二〇一〇年一〇月二二日)。こちらは単なる店舗紹介にとどまらず、名古屋の喫茶店をとりまく情報がびっしり詰まっている。オールアバウト・ナゴヤ喫茶店という感じで、お得感のある仕上がり。

***


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オオヤミノル『珈琲の建設』(誠光社、二〇一七年一一月一〇日)。「反=珈琲入門」と帯に刷られている通り、珈琲について考えぬいた哲学的な一冊。その哲学は鋭い感覚に支えられている。どういうふうかというと

はんなりした味

オオヤコーヒーの豆っていうのは非常に一粒の豆が持つ個性が弱い。農作物としての個性が豊かじゃない。なんでかっていうと軽くしたいから。それは味じゃなくって口に当ったときの感覚。基本的には軽くってナンノコッチャわからないみたいなところから飲み進めていくとエチオピアの味がする、ってわかるようなのがいいと思ってる。そこからさらに個性を出す時に材料をたくさん使う。お金かかるじゃんって話なんだけど、それがいいと思っているのがオオヤコーヒー。よく個性的って言われるのは俺の人間性と、深焼きだって言うこと。ハゲた鮨屋が光り物切らしてる時に客から注文受けて「今日はコレだけです」ってハゲた頭見せるみたいな感じ?

というような感じ。コーヒーも喫茶店も奥が深い。



by sumus2013 | 2017-11-26 21:05 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

APIED VOL.30

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芸誌〈アピエ〉』30号(アピエ、二〇一七年一一月一五日、表紙装画=山下陽子)が出来た。特集が「101 夏目漱石/『夢十夜』『三四郎』他」。

APIED

以下は金城静穂さんの「編集後記」より。

「APIED」は今号で30号になります。2002年の春に、カフカの「変身」をテーマに創刊号を発行しました。16年間に30冊の仕上げなので結構ゆったりした本作りですが、長くは続けてきました。毎回の気まぐれな特集にもかかわらず、寄稿していただいた書き手の方々、取り扱い書店さん、読者の皆さんのおかげです。ありがとうございました。もちろん、写真や絵の掲載を快諾してもらえた方々、印刷所の協力なしでは薄い本も作れません。改めて感謝とお礼を。

今後もテーマにしたい作家や小説は色々ありますし、30号を一区切りにして気分リフレッシュ、怠けゴコロを叱咤激励しながら本作りをしていきたいと、心身ともにヨロヨロしつつ弾んでいます。もっと大胆な編集と文章を!と自分を鼓舞していますが難しくて。それでも本誌の発行なしでは私の真ん中が錆びついてしまいます。はい、ひとえに自分のための「APIED」です。こんな狭量な志で面目ないですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

去年は夏目漱石の没後100年でした。朝日新聞と岩波書店が力を入れたイベントや記事、文学館や美術館の展示の影響下で、たくさんの漱石関連本が出版されました。今年は没後101年、それで本誌のタイトルは「101 夏目漱石」にした次第です。なんだか安っぽい暗号みたいな101ですが2017年に書いてもらったことを強調して、ほんの少し新しい響きも期待しての101です。

ということで、およそ二十人の漱石が勢揃いしている。さすが漱石、誰にとっても、どこかにひっかかりがある作家なのだな、と改めて感服した(善行堂の連載だけが、なぜか植草甚一である)。街の草の加納さんなんか、漱石と縁側について書いている。なるほど、そういう見方もできるか。個人的には出版人に興味があるため、藤井祐介「草野柴二とその時代」が面白かった。簡単に内容をメモしておく。

明治三十五年、漱石が若杉(能勢)三郎に「モリエル全集の翻訳と云ふ奴を御出しなさい」と手紙で勧めた。若杉は明治八年、岡山県生れ。仙台二高から東京帝国大学に入り漱石と出会った。モリエルの翻訳を続けながら、草野柴二という筆名で小説を書いた時期もあったが、大正九年、名古屋の第八高等学校に就任し英語・英文学を講じた。

若杉は明治四十一年に金尾文淵堂から上中下三巻本の『モリエール全集』を刊行した。なぜか中巻だけが風俗壊乱を理由として発禁処分になった。訳者にとっても寝耳に水だったが、「姦婦の夫」という作品のせいだろうという。そしてそんな喜劇の弾圧には続編もあったのだ・・・そちらは本誌にてお読みください。

また、実証的な考察が好きなもので、中村真知子「漱石とジャムと夏蜜柑」も面白く読んだ。漱石はロンドン仕込みで朝食は紅茶にトーストだった。バターとジャムは欠かせない。一ヶ月で八缶のジャムを買って家計を圧迫したという。明治三十年代、苺ジャムの缶詰は三十銭だったそうだから、けっこうな値段である(たぶん今の1500円くらいか)。しかも糖度は100パーセントだったらしい。胃弱の漱石には毒だったんじゃないかなあ・・・とのこと。

今回も拙作コラージュ作品二点を提供させていただいた。漱石の肖像写真を使っているというだけのことで、あまり作品のイメージとは直接つながらない。

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寄稿もさせていただいた。「漱石の絵ごゝろ」と題して漱石の美術品とのかかわりについて少しだけ書いてみた。ちょうど中村不折の団扇絵(下図)を古本屋で見付けて喜んでいたところだったので、それにかこつけて。

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「101 夏目漱石」なかなかの充実ぶりである。

by sumus2013 | 2017-11-25 20:28 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)

三上於菟吉を知っていますか?

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『北方人』第28号(北方文学研究会、二〇一七年一一月一五日)とともに『夏季展示(第57回)初代直木賞選考委員三上於菟吉を知っていますか?』(春日部市郷土資料館、二〇一七年七月二二日)図録を頂戴した。深謝申上げます。

三上於菟吉は、明治二四年(一八九一)、庄和地区の木崎[きさき]に生れ、旧制粕壁中学校(現県立春日部高等学校)に進学し、作家となる夢を育みました。上京後、女流劇作家として知られていた長谷川時雨と結婚し、苦節時代を経て、昭和初期には売れっ子作家となり大成功します。しかし、まさに絶頂期であった昭和一一年(一九三六)に交通事故に逢い、その後は病気がちとなり創作は衰えます。郷土の知己を頼り昭和一八年(一九四三)、幸松[こうまつ]地区の八丁目に疎開し、翌年、当地で五十三年の生涯を閉じました。伴侶の長谷川時雨は、於菟吉の死に先立ち昭和一六年(一九四一)に六一歳で亡くなっていました。郷土の風景や故郷の人々との親交は、晩年の於菟吉にとって心の支えとなっていたことでしょう。》(植竹英生「あいさつ」より)

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三上於菟吉


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長谷川時雨


二人の写真はいずれも東京の市谷左内町(現新宿区)にあった自宅で撮影されたものと思われる。上掲の表紙に二人が将棋をさす写真が出ているのに注意をひかれた。昭和七年のことだそうである。十二ほど年上だった時雨は於菟吉の売り出しに奔走し、於菟吉を売れっ子作家へと育てたという。

昭和三年(一九二八)、女性作家を集めた雑誌『女人芸術』を創刊すると、三上於菟吉は資金援助してその恩に報いています。時雨は、「滾々[こんこん]たる泉の水は、汲めばくむほど、掘りさげれば堀さぐるほどよき質を見せ掬すべき味を示すと。」(昭和五年「大衆文学月報」)と、あふれ出る於菟吉の文才を認めています。》(本文解説より)

初め、於菟吉は海外小説の翻訳などを手がけながら糊口をしのいでいた。ゾラ『獣人』(改造社、一九二九年)やデュウマ『モントリスト伯爵』(新潮社、一九二〇年)などの翻訳があるが、後者は於菟吉の代表作「雪之丞変化」(昭和九年十一月より朝日新聞連載)の粉本となった。その「雪之丞変化」が発表されるや、すぐに林長次郎(長谷川一夫)主演で映画化されて大人気となり、於菟吉の文壇での地位も確立。昭和十年に於菟吉は「サイレン社」という出版社を設立する。昭和十三年まで活動はつづけられたようで、自著である『雪之丞変化』『随筆わが漂泊』、時雨の『近代美人伝』『草魚[そうぎょ]』などの他、国会図書館で検索してみると、けっこう面白そうな本を出していることがわかる。

本は買ったことがあったかもしれないけれど、何か三上於菟吉の作品を読んだなあ、という印象は不思議とないのだ。これから少し注意してみようかなと思ったしだい。

by sumus2013 | 2017-11-24 19:58 | おすすめ本棚 | Comments(0)

百年のわたくし

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徳正寺で行われた「百年のわたくし」の参加。昨年同様なかなか充実したいい朗読会だった。

「百年のわたくし」
http://sumus2013.exblog.jp/26430388/

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伊東静雄の詩を朗読する季村敏夫さん。ベオグラードの山崎佳代子さんも今年も参加しておられた。お二人は今月28日(火曜日)に神戸のギャラリー島田でトークショーを行われるそうだ。お近くの方はぜひお出かけいただきたい。

火曜サロン 食物と戦争と記憶ーーパンと野いちご

昨年とほぼ同じ感じで進行したが、二回目だけに手際が良くなっていたように思う。最後にお寺の蔵に眠っていたと言う秀吉時代の太鼓が披露されて、お開きになる。今年は「CAFEすずなり」での二次会にも参加。季村さんの近況や京都書院に勤めておられた方のお話を面白く聞く。


by sumus2013 | 2017-11-23 20:55 | もよおしいろいろ | Comments(0)

以文

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『以文』第二十三号(京大以文会、一九八〇年一〇月一日)。某氏より恵投に与った。本城格「パリでの古本漁りの思い出」が載っているのでご参考までとのこと。ありがたいです。本城格(ほんじょういたる)氏はフランス文学者。

1916年-1991年5月27日。京都帝国大学文学部仏文科卒。1957年京大文学部仏文科助教授、69年教授、80年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授。1976年にフランス政府から教育功労賞オフイシェ章を受けた。90年秋旭日中綬章受勲。ロンサールなどルネッサンス期の詩が専門。》(はてなキーワード)

一九六二年頃、パリに滞在していたときに体験した古書店のいろいろ。残念ながら店の実名が出ていない。氏がどういう本を古書店で買ったのかだけを拾ってみる。

サン・ジェルマンのD書店 
ドビニエ『レ・トラジック』テキスト・フランセ・モデルヌ版、四巻

株式取引所近くのある古本屋 
オリヴィエ・ド・マニ全集、ルメール版
アベ・グージエ『ビブリオテーク・フランセーズ』十八巻のうち二巻欠

B店
ジュル・ファブル『オリヴィエ・ド・マニ、その生涯と文学の研究』

他に版元を訪ねて雑誌のバックナンバーを買い求めているが、版元によって親切だったり、取りつく島もなかったりとさまざまな経験をしたようである。さもありなん。

D店のように在庫品の整理が行届いている古本屋は珍しい。私は後にサン=シュルピス寺院前の大きな古本屋の主人と昵懇になり、店裏の倉庫に入れてもらったことがあるが、足のふみばもないほど天上まで乱雑に書物が積み上げられていて、整理はおろか値段もつけられていない。欲しい本があればゆっくり探したらと言ってくれるが、ざっと表題に目を通すだけで弁当持ちで二・三日はかかるだろう。こうした店ではカタログに掲載された分だけが整理されているのだ。定期的にカタログを出していない店では、沢山の本を店に並べて客が勝手に探して買うようになっているのは言うまでもない。

サンシュルピス寺院前の大きな古本屋、今はもうないと思う。ただ、小生も一九九八年のパリではサンシュルピスの真ん前の古本屋に入った記憶がある。かなり奥の深い店だった。手前の方だけ見せてもらって、梯子を使って棚の上の方にあったコクトーの詩集を一冊だけ買った。たしか二軒くらいは古本屋があったように記憶しているのだが……。

『以文』第二十三号には松尾尊兊先生の文章も掲載されていた。「ハーバード再訪」。文部省在外研究員として一九七九年一二月から八〇年三月まで滞在した。

日本人のみならず日本語が氾濫していることも相変わらずであった。前記のポッターさんの如きは、たまに英語で話しかけると、「松尾さんは英語がお上手だからね」と皮肉る有様である。日本学専攻の学生ともなればすべて日本語で話しかけてくる。イギリスでは達者な筈の教授でも日本語で話したがらぬ人が多い。

ポッターさんは燕京図書館の館員。

フェアバンク・センター(東アジア研究所)内に相部屋ながら一室もらっていたが、年中出入自由で夜間、休日といえども煖房が通じているので助かった。図書館も平日は一〇時まで開いている。日本関係書は近年予算不足と聞いていたが、使用してみると充実ぶりが一段とよくわかった。日本近代史の分野では、特殊な資料だけ抱えて行けば論文を書くのに不自由しないくらい揃っている。京大にいると、付属図書館・人文研・法・経・教養、さらには農学部まで足を運ばないと揃わぬものが、ハーバードでは低い階段の四層を上下するだけで調達できる。京大ではマイクロ・フィルムさえない東京朝日新聞の縮刷版が、創刊号いらいあって、しかも帯出自由なのである。

アメリカにおける日本近代史研究が進むのも当然であると松尾先生は書いておられる。



by sumus2013 | 2017-11-21 21:22 | 古書日録 | Comments(0)

辻邦生 パリの隠者

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辻邦生、高輪自宅の書斎


「辻邦生ーーパリの隠者 TSUJI Kunio : Un anachorète à Paris」展が昨年(二〇一六)、ストラスブール大学とパリの日本文化館にて開催された。本月、恵比寿の日仏会館でも再現されたそうである。その図録とチラシを頂戴した。辻邦生はほとんど読んでいないが、湯川さんの処女出版だということで以前取り上げたことがある。

辻邦生『北の岬』(湯川書房、一九六九年二月二八日)

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同展図録(学習院大学史料館辻邦生小委員会、二〇一六年一一月一日、デザイン=人見久美子)。パリの「辻邦生ゆかりの地」がホテル住まいも含めて詳しく紹介されているのは非常に興味ぶかい。一九五七年にフランス政府保護留学生として渡仏して以来、転々としているが、一九五八年から六一年までまる三年間はカンパーニュ・プルミエール街8bis のアパルトマンに滞在した。その後何度かの巴里滞在を経て晩年(一九八〇年から一九九九年歿年)はデカルト街37番地に部屋を確保して何度も往復していたようだ。

マン・レイ歩きその一

アンリ四世校〜デカルト通り

昭和三十二年、美術史を専攻していた妻佐保子がフランス政府給費留学生となり、辻も私費留学生としてともにフランスに渡った。彼等が乗船したフランス郵便船カンボージュ号には岩崎力、平岡篤頼、加賀乙彦らも乗っていた。加賀と辻はとくに親しくなった。十月九日、マルセイユからパリのリヨン駅へ降り立った。

石造りの彫りの深い端正は町並みに、不思議と長く住んでいた場所に戻ってきたような気持を感じ「自分が本来生れるべき都市[まち]はここだったのではないか」とまで語っている。
しばらくはホテルを転々としていたが、ようやくモンパルナスのカンパーニュ・プルミエール街8番地に僧院に似た〈隠れ家〉を見つけ、国立図書館と往復しながら、本を繙き、ペンを走らせ続ける生活が始まる。
小説と正面から向き合い、ひたすら文学の可能性を摸索したパリでの日々が〈小説家〉としての骨格を形成したと言っても過言ではないだろう。》(冨田ゆり「辻邦生ーーパリで生き、パリで書く」)

高輪の書斎の写真は日仏会館ギャラリーでの展示チラシより。図録の略年譜によれば一九七一年(四十五歳)に港区高輪のマンションに転居している。

by sumus2013 | 2017-11-20 20:47 | 古書日録 | Comments(0)