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チ-ポ-ハ-のポスター展

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フランチシェク・スタロヴィエイスキイ 映画「聖ペーテルの傘」
ハンガリー、チェコスロヴァキア 1965頃


所用あって北山通方面へ出かけた。長めの待ち時間ができた。ふと思い出して、京都工芸繊維大学美術工芸資料館で開催されている「チェコ ポーランド ハンガリーのポスター展」(〜8月11日)を見た。

ポスターというのはひと目見れば分る……はずなのだが、ここに並んでいるポスターの多くはいったい何が言いたいのか、文字が読めればまた別の感想もあるのだろうが、とにかくパッと見ても意味が解らない。しかしそれらのデザインというか絵柄そのものはどれも非常に刺激的でいいなあと思うものが多かった。(ここに掲げたのはちらしから引用したので、実際にはもっと気に入った作品が他にたくさんありました)

ちらしの説明文によるとソ連の影響下にある社会主義体制では自由に芸術活動が行えなかった。そのため芸術家たちは

表現の場を求め、あるいは生活の糧を得る手段として、絵本やエディトリアルデザイン、演劇や映画、展覧会、コンサートなどの催しを告知する文化ポスターなどのグラフィックデザインの分野で活躍しました。社会主義体制下の国々では、資本主義国に見られる商業ポスターが存在せず、このような文化的なポスターなどの広告が著しく発達を遂げました。

ということである。文化ポスターなので意味不明でも不都合ではなかったのだ。いや、あるいは意味不明の方が都合がよかったのかもしれない。


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シラス・ジョーゾー 映画「ドン・ガブリエル」
ポーランド 1967


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コヴァーチ・ヴィルモシュ 映画「裸の羊飼い」
チェコスロヴァキア 1967


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マーテー・アンドラーシュ 映画「未亡人の花嫁たち」
ハンガリー 1964



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バログ・イシュトバーン 「バルトーク・ベラ記念コンサート」
ハンガリー 1966




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工芸資料館のちらしテーブル(各地の美術館その他で開催される催しのチラシをまとめて並べてある)で『ART FOR ALL 17』(トーキョー カルチャート by ビームス、二〇一七年六月三日)というフリーペーパーを手に取った。A4の紙をタテに半分に折り、それを四つに折って、裏表十六ページになるようにレイアウトしてある。裏面は開いて見る形で、デザイナー・映画監督のマイク・ミルズのインタビューおよび東京を撮った写真作品(すべて iPhone で撮影)を掲載。表面は表紙(イラスト=マイク・ミルズ)、ディスクガイド二頁、奥付一頁、そして「どうして人はアートを買うのか」第十七回というインタビューが四頁。

「どうして人はアートを買うのか」は渡紀子という人(深川にあるショップ『watari』店主)が無名の作家の絵を買うことについて語っている。文中2枚とあるのは「佐藤正實」および「Seiji F.」とサインの入っている二枚の油絵のこと。

ーー普通は誰が描いたかってわりと大事に思いますよね?
 ああ、でも感じがいいなと思って買っただけなので。有名な人の絵や版画も買ってはいるんです。柚木沙弥郎さんとか畦地梅太郎さんとか。あとセリーナ・ミトニク=ミラー。
ーーこの2枚は、いまどこに飾っていますか?
 ふたつとも自宅に。わりと静かな感じのものが好きなので、畦地さんとかもずいぶん前に買ったし、値段はぜんぜん違うけど、自分の中では同じような感じですね。家にあるものはだいたいそういう感じです。
ーーちなみにおいくらだったんですか?
 2枚で3千円でした。思ったより安かったです。でも、おまけしてくれたのかもしれません。
ーー誰のかわからないけど、調べる気もないというところをもう少しうかがいたいな。どんな人だったんだろうとか、ぜんぜん気にならない?
 気にならないです。もともと有名だから買いたいというのはないんです。

では柚木や畦地の絵を買う時はどうですか? と問われてこう渡さんは答えている。

畦地さんの絵がすごくいいなと思って買うのって、畦地さんという名前も知っているから、それを欲しいなというのがある。そうじゃなきゃ、高い値段を出して買わないですし。ただ、買う時の動機はちょっと違うかもしれないけれど、絵が自分の家に来ると同列というか、いや同列とは言えないか、まあ同じような感じになります。

小生も最近は無名人の絵を買うことがしばしばあるので(とにかく無名というだけでむやみに安い、だから贋作があふれるのだ、有名作家のサインさえあればそれなりの値段を付けられる)渡さんの意見には素直にうなずける。絵を買うって楽しいよ。

by sumus2013 | 2017-07-31 21:16 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

日常学事始・人生散歩術

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荻原魚雷『日常学事始』(本の雑誌社、二〇一七年七月一四日、カバーイラスト=山川直人、デザイン=戸塚泰雄)そして岡崎武志『人生散歩術』(芸術新聞社、二〇一七年七月二五日、デザイン=美柑和俊+中田薫)を読了。

二冊はなんだかよく似ている。まず、見た目。どちらも漢字五文字のタイトルである(ちなみにどちらの版元も五文字で神田にある)。どちらも並装でカバー・帯が二色刷りである。マットな上質紙を使っている(光沢紙ではなくコーティングもない)。どちらもカバーに人物イラストがある(表紙にもイラストがある)。装幀や装丁ではなくデザインという言葉を使っているのも共通だ。

そしてコンセプトも似ている、というか同じだな、これは。

お金はないけど、無理せずのんびり生きていく
こんなガンバラナイ生き方もある

そして、そして、何より、どちらもWEB上で連載された文章をまとめたものなのである。

ということで刊行日の早い魚雷本から紹介するが、これは間違いなく魚雷本のなかのベストじゃないか。編集者の宮里潤氏が「洗濯ネットみたいな話を書いてみませんか」と提案したことがそもそもの発端だという。宮里氏、さすがだ。これまでの魚雷本はほとんどが本と自分の関係について書かれている。それはそれでユニークな視点を持っているが、本書はリアルな実生活がテーマであり、日々さまざまな生きるという難問をくぐりぬけていく、その魚雷哲学とも言うべきその方法論が展開されていて感心させられることしばしば。

ミコーバー派とか割り勘の不条理話も印象に残るが、やっぱり本の話。「「捨てたい病」の研究」。むしょうに物を捨てたい衝動にかられるときがある。誰しも、あるはず。

わたしは古本好きの仲間うちからは、キレイ好きだといわれる。しかし、からだを横向きにしないと部屋を行き来できないような住居に暮らす人たちに褒められても嬉しくない。古本関係以外の知人が、家に遊びにくると、「倉庫みたいだね」と笑われる。
 片づけても片づけても本と紙の資料が減らない。二、三百冊ほど本を売っても、これっぽちもビフォーアフター感を味わえない。

床に積まれた本を手にとり、「もし必要なら、本棚にいれる。それが無理なら売る」と自分にいいきかせる。すると、今、本棚にある本をどれか一冊抜かないといけない。それで迷う。いつまで経っても片づかない。

そうそう、整理ということではこの難関が待っている。

今はなるべく考えないようにしているが、親が暮している乱雑きわまりない田舎の家のことをおもうと気が滅入る。帰省するたびに、「誰が片づけるとおもってんだよ」と文句をいいたくなるのだが、当然、その言葉は今の自分の住まいにも跳ね返ってくる。

みんな通る道だよ……。次に書く本は決まったな、親との付き合い方(魚雷版『シズコさん』!)、これ絶対面白い本になるはずだ。期待してます。

岡崎本はあこがれのアイドルたちの伝記である。井伏鱒二、高田渡、吉田健一、木山捷平、田村隆一、古今亭志ん生、そして書き下ろしの佐野洋子。シブイ渋いアイドルたち。

いずれも、なるべく肩の力を抜いて、風にそよぐままに生きた人たちのように思う。私は、彼らの著作や仕事から多くのことを学んだ。その意味で、井伏鱒二の小説も。高田渡の歌も、田村隆一の詩集も、私にとっては、人生の「実用書」なのである。》(あとがき)

肩の力を抜いてというのは読んでいても感じられる。次のようなくだりは漱石かと思うような名文。

人間なんて、ずいぶん窮屈な動物だと思うことがある。国籍や人種、あるいは身分に縛られ、法律に規制され、お金がなくては生きていけない。服も着なくちゃいけないし、視力が弱るとメガネも必要だ。歯医者にも通ったりして。しかも、長生きだと百歳近くまで生きなければいけない。一説によるとほかの動物なら、犬ネコで十四〜十五歳、ゴリラが三十五歳、キツネが七歳、ハムスターなら三歳、だという。これだけめまぐるしくいろいろなことをこなした上での、人間の百歳は長過ぎる気がする。
 しかし、ときに古今亭志ん生みたいな人が現れて、その窮屈な部分を打ち破ってくれる。いろいろ頭でっかちになって考え過ぎて、自分で作る壁を、最初から作らないというのか、生きる「幅」みたいなものを広げてくれる人だと思うのだ。》(古今亭志ん生

古今亭志ん生は高座で居眠りをしたそうだ。

起こそうとする客に、別の客が「寝かせといてやれ」と声をかけた。喋らないで、寝ている姿だけで客は楽しみ、満足したのだ。》(同前)

眠るといえば高田渡。同じくライブ中に酔っぱらって眠ってしまったことは伝説となっている。ところが本当に岡崎氏がインタビューしている目の前で高田渡は眠ったのだ!

その伝説を目撃できた。かなり酒が進み、言葉が途切れて沈黙したかと思うと、身体が傾き、やがて小さないびきが聞こえ始めたのだ。ライター生活、この時十年目で、何百と取材をこなしてきたが、取材対象が眠ったのは初めて。しかし、うれしかったなあ。》(高田渡)

……すごい、というのかほんとにガンバラナイで生きているのかもしれない。あるいは単なる飲んべえなのかも。飲んべえと言えば、岡崎氏が取り上げている男たちは全員大酒飲みだ。岡崎氏自身も酒を休む日はないという暮らしのようである。また魚雷氏もよく飲んでいるようだ。なんだかんだ理屈をつけてみても、結局、酒こそが、とりあえず、ひととき「のんびり生きる」ための魔法なのではないか。

魚雷本の「あとがき」にこうある。

生活を疎かにすると、気持ちが荒む。かといって、過度にストイックな暮らしは長続きしない。のんびり寛げる環境を作るのは簡単なことではない。
 無理のない快適な生活ーーそれこそが「日常学」の目標だとおもっている。

二冊は似ていると書いたが、岡崎本は日常を逸脱した酒豪伝だ。その意味では対極にある内容とも思えるのである。


by sumus2013 | 2017-07-30 21:17 | おすすめ本棚 | Comments(2)

詩草

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菊池蘭蔵藁『詩草 岐山木蘇先生批』。久し振りの漢詩集、というか詩稿を入手した(三月の三宅三郎(半聾)『片仮名付百人一詩次韻集』以来

木蘇岐山は大正五年歿、美濃の人。名は牧、字は自牧、別号に三壺軒主人、五千巻堂主人。晩年には大阪毎日新聞の詩欄を担当した。

菊池蘭蔵については『ふるさとの人物』(珠洲市、一九六八年)に略伝が出ている。ほぼ独学の人のようだが、なかなか面白い生涯を送ったようである。

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菊池蘭蔵は日清戦争に従軍したそうだから、上の「攻撃平壌之夜」「題裘」から「従王師於冰雪中墮武敏」「二月四日」「招魂」と続く諸篇はその時期に作られたのか。伝によれば戦地から郷里に送った詩稿を

木曾岐山(漢詩をよくした画家)に見せたところ、支那の大家の物したものだろうといってきかなかったという。

とあるが、もしこのノートの朱が岐山によるものと考えるなら、はたくさん付いているものの添削も甚だしいので、そこまで礼賛したものかどうか。

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「回文」と題された作があり《円転滑脱、如珠走盤、是為回文正躰/丁酉夏七月初二》と達筆の朱が入っている。丁酉は明治三十年。とすれば日清戦争(明治二十七、二十八)から三十年までの間に作られたノートということになるのであろう。

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「名 鼎」と「字 子〓[タン;髪のたれさがるさま]」と題された七言絶句。自分自身の幼少を歌ったと思われる。とすれば《壬戌予生海隅》の「壬戌」は文久二年(一八六二)である。明治三十年には三十五歳ということになる。伝には六十で歿したとあるので歿年は一九二二年(数えなら一九二一年か)。

by sumus2013 | 2017-07-29 20:16 | 古書日録 | Comments(2)

紫水晶第13号

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佐々木桔梗発行の書物誌『紫水晶』第十三号(プレス・ビブリオマーヌ、一九六三年十二月)を頂戴した。頂戴してばかりで恐縮、深謝です。中綴じ十二頁。本文は手漉和紙(耳付楮紙)、活版刷(仁川堂川橋得三郎)、図版は別刷り貼り込み。限定130部。特集「愛書巴里・東京」と題して発行者架蔵の珍書を紹介している。ジャン・コクトオのデッサン集『おかしな夫婦 DRÔLE DE MÉNAGE』、神戸で発行されたシュルレアリスム詩誌『海盤車[ヒトデ]L'ÉTOILE DE MER』の「ポオル・エリュアール頌」(一九三二年)。近岡善次郎の『唖の画家 PEINTRE MUET』(私家版、一九五九年)、都筑道夫・真鍋博『クレオパトラの眼』(朝日出版、一九六一年)など。他に八木福次郎「荷風本二、三」の寄稿もある。

ここまで自慢できるほどの本は持っていないけれど、ちょっとこの真似をして粋な冊子を作ってみたいな、と思わせる一冊である。

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巻末「アメチスト・サロン」という雑報欄がまた興味深い。

熱田図書館で松尾禎三コレクションの「ぼく東綺譚展」/みちのく豆本から斎藤磯雄『ふらんす詩選』/水曜荘主人酒井徳男『蕎麦猪口版画集』/宮崎大学図書館で山下イワオのコレクション「一字題名本展」開催/花柳章太郎『わたしのたんす』(三月書房)/関西ライカクラブの機関誌『LEICA CLUB KANSAI』/池田満寿夫個展(日本橋画廊)パンフレット/北川冬彦詩集『蟇仙人』限定版/庄司浅水『わが愛書の記』限定版(帖面舎)……などなど。

池田満寿夫個展パンフレットに瀧口修造が寄せた詩「朝食のときから始まる池田満寿夫についての言葉」を著者は引用している(最後の部分だけ)。ネット上には出ていないようなので引き写しておく。ただし小生が適当と思うところで改行した。

………かれは鳥である。
ちょうど壁の前に降りるように
金属板の上に降りてきた鳥である
かれが鳥に似ているって?
私は似ていることを望みたい、すくなくとも。
ある行為をする鳥。恋をする鳥。ふたたび恋をする鳥。
あなたであり、私であり、同時に私たちの前にいる画家であるMであり、Iである鳥


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奥付のカットは北園克衛だそうだ。

by sumus2013 | 2017-07-28 21:42 | 古書日録 | Comments(0)

テニスの仕方

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針重敬喜『硬球・軟球 テニスの仕方 アルス婦人叢書』(アルス、一九二四年八月一五日)を頂戴した。深謝です。これは意外な珍本かもしれない。

著者の針重敬喜(1885-1952)は山形生れ、米沢中から早稲田大学英文科に入り本格的にテニスを始めた。卒業後、読売、東京日日を経て明治四十五年に押川春浪の武侠世界社に入社。押川亡き後は実質上の社主を務めた。大正十二年に退社しテニス雑誌『ローンテニス』を発行。日本庭球協会の理事・顧問。プレーヤーとしても活躍。画家の小杉放庵とダブルスを組んだという(以上ウィキを要約)。とすれば本書は武侠世界社を辞めた直ぐ後に執筆した本ということになる。

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アルス婦人叢書だから巻頭口絵には女子選手の写真が掲載されている。テニスの歴史にはまったく不案内なのでこころもとないが、羽仁は自由学園の羽仁説子、梶川は女子の草分け梶川久子かと思う(本書には名字だけしか記されていない)。また一番多く九枚の写真が使われている黒井選手は大正十三年の第一回全日本女子選手権で優勝した学習院の黒井梯子であろう。当時の花形だった。それにしてもこのスカートの長さ……

学習院大学硬式庭球部 部の歴史

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男子では熊谷選手(熊谷一弥、大正九年アントワープ五輪で銀メダルを獲得=日本スポーツ界初のオリンピック・メダル)と福田選手(福田雅之助、大正十一年全日本選手権初代の覇者)のプレー写真が掲載されている。

テニスは最初英国で創められたものであります。只今のものとは様式が違つて居りますが、それが時を経るに従つて現在のものゝやうに変つて来たのであります。日本に伝はつたのは明治十二年頃とも云ひ、十八九年頃とも云ひ、伝へた方は東京高等師範の教授でもう故人となられた坪井玄道氏とも云はれ、又他に二三の人が数へられますが、判然した事は解りません。何れにしましても早くから東京高師、並に今の一ツ橋の商科大学(元の東京高商)などに広く行はれ、それから慶應、早稲田、各種専門学校から各地方の学校に行はれるやうになり、更に個人、倶楽部などにも流行するやうになりまして、現在では都鄙到る所行はれない所は無い位普及して居ります。》(テニスの大要)

日本へのテニス伝来(日本テニス協会)

本書の奥付に見える発行所住所は東京市小石川区表町一〇九番地。アルス婦人叢書」は大正十二年に創められ昭和三年刊までは確認できる第三篇『新しい編物』(大正十二年五月十日発行)奥付に記された住所は京橋区尾張町新地五号である。

アルスは大正十一年三崎町通りの割烹学校の二階にあったと柴田宵曲が書いているらしいが、それは当時のアルスの奥付によると神田区中猿楽町十五番地で、大正十一年の中頃(?)にはそこから銀座尾張町に引っ越したと思われる。そして関東大震災によって小石川へ移転した。

検索してみると中猿楽町十五番地は日東通信社所有の建物だった。それを大正十年七月に日華学会が購入している。三階を借りていた東京割烹学校は移転を余儀なくされたらしい(日華学会第五回報告)。アルスについてこの報告書には書かれていないようだが、さて?

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by sumus2013 | 2017-07-27 20:50 | 古書日録 | Comments(0)

働く人

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先年、日本でも展覧会のあったカイユボット作「建物のペンキ塗り」(一八七七年)。パリだろうと思うが、このだだっ広い通りはどこだろう? さて、この絵から百四十年を経て現在のパリで働く人たちは……と思うと、ほとんど変ってないかも。

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サン・メリ通り Rue Saint-Merri


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ボーヌ通り Rue de Beaune


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BHV(べアッシュヴェ=百貨店)のハンバーガーショップ



by sumus2013 | 2017-07-26 19:58 | 巴里アンフェール | Comments(0)

岩淵龍太郎先生を偲んで

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今年の一月五日に催された「岩淵龍太郎先生を偲んで〜コンサートと感謝の会」での演奏がCDにまとめられた。そのパンフレットに続いてCDのジャケット、冊子、盤面のデザインもさせていただいた。CD製作サイトというのを初めて使ったのでちょっともたついたが(冊子はイラストレーターで面付けしないといけなかった)何とか仕上がりました。

岩淵龍太郎先生を偲んで〜コンサートと感謝の会

by sumus2013 | 2017-07-26 19:38 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

第51回造本装幀コンクール

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「花森安治装釘集成」が、第51回造本装幀コンクール日本書籍出版協会理事長賞(専門書=人文社会科学書・自然科学書等=部門)を受賞しました。とりいそぎ、ご報告いたします。


by sumus2013 | 2017-07-26 17:35 | 装幀=林哲夫 | Comments(2)

開店いたしました!

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麥書房の開店チラシ。某書店さんより頂戴した。深謝です。ガリ版刷りの一枚(タテ183ミリ)。裏面は白。小田急梅が丘駅下車三分。羽根木公園に接して店があった。ただし山下武『古書のざわめき』によればそれ以前(昭和四十年頃)には中目黒の商店街で店を出していたようである。

梅ケ丘の店舗は公園の土手に面したさびしい場所で、昼でもまったく人通りのない、およそ商売には不向きな場所だった。店主もそこのところは百も承知で移転したはずで、まもなく「サロン・ド・ムギ」という通販目録を発行し始めた。A5判の瀟洒な孔版刷ながら、蒐書傾向に独特な味がある。値付けは他店より二、三割高。しかし面白い物も出るので毎回のように注文したが、顧客も多いとみえクジに外れることのほうが多かった。

そのうち彼は立原道造の著作の刊行に熱中して古本屋稼業の方は開店休業の有様となり、いつしか店も閉めてしまった。
 その兆候が最初に表われたのは、店の棚の半分以上を新聞紙で包んだ文芸雑誌のバックナンバーが埋めるようになった頃からである。呆れ顔で棚を眺めている僕に向って彼の言った言葉がいまも耳に残っている。
「単行本より雑誌が貴重です。単行本は売ってもまた手に入りますから」
 ほどなく彼が道造の著作集や書誌類の出版を始めたことで、その理由がはじめて納得いったことだった。

麥書房堀内達夫については田村七痴庵が『古書月報』404号にその伝を執筆しているようだが、今手許にないので、このくらいの紹介でお茶を濁しておく。



by sumus2013 | 2017-07-25 20:00 | 古書日録 | Comments(2)

ラ・エー(垣根)

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パリで頂戴したDVD「LA HAIE(垣根)」(2011)。じつに面白い作品だと思った。アラン・ドゥアイー(ALAIN DHOUAILLY)氏のシナリオ、撮影、監督。奥さんのキョウコ(KYOKO NAGASAWA-DHOUAILLY)さんも協力されている。そう、お二人は古本屋さんである。だから知り合った。いや、もともとアランさんはテレビ局で番組制作に携わっていたそうで(一九七〇年代〜八〇年代)、そちらが本業と言えば本業なのだ。

フランス中央部にあるクルーズ(CREUSE)という地方が舞台。農耕には適さない土地柄で昔からおもに牧畜で支えられてきた。その片田舎で隣り合わせに農業を営むロジェとセルジュの物語。ロジェは引退した老農夫で一人暮らし、セルジュは意欲的な若い農夫で恋人と住んでいる。セルジュはロジェに機械を入れて大々的にバイオ燃料用の菜種を作るから土地を売ってくれという。しかしロジェはうん(ウィ)と言わない。バイオ燃料は環境を破壊するからだ。

ロジェは二人の農地の境に垣根を作ろうと決心する。それは金網や有刺鉄線ではなく、境界沿いに生えている灌木をそのまま利用して編み上げる自然の垣根である(これは生きた竹を折り曲げて垣根に使う桂垣と類似したやり方)。ロジェは村人たちに援助を頼むが、どの家もいろいろな理由で(主に老齢化)断り、誰も手伝ってくれない。おそらく昔は村の皆が互に助け合ってそういう作業を行ったものであろう。ロジェはひまをみては少しずつ垣根を作って行くが春までに間に合うのだろうか……

垣根を作っている間にもさまざまな事件が起きる。それは事件というほどでもない、しかし本人にとっては大きな出来事、例えば飼い猫の死、例えば昔から知合いの女友達にいっしょに暮そうと言われるとか、セルジュの恋人が都会へ去ってしまうとか……

映画というよりもTVのドキュメンタリー番組を見ているようであり(むろん出演者はみなコメディアンで、素人ではない)、また撮影しているアランさん本人もロジェの映画を撮りたいとやって来た監督としてチラリと登場するというメタ・フィルムのような仕立てにもなっている。頑固な老農夫をユーモラスに描きながらフランスの農業問題や環境問題を正面からリアルに捉える意欲作である。

「ラ・エー」はコメディである。そのいちばんの狙いは笑いを誘うことである。だが、コメディにおいてはしばしばそうであるように、笑いの裏に、われわれ皆に関わりのある重い主題が感じられる。》(ジャケットより)

【ほんのシネマ】
ロジェ(俳優はルネ・ブールデ RENÉ BOURDET)が打合せに来た監督に自分の本棚と亡妻ミレイユの本棚を示す始まってすぐの場面。英語字幕のついているヴァージョン。

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アランさんは久々に新作に取り組んでおられる。ブラッサンス公園で店番している間にもPCに向ってシナリオに手を入れておられた(のだと思う)。どんな作品になるのか、楽しみに待ちたい。本格的に撮影にかかれば古本屋はお休みするようだけど……


by sumus2013 | 2017-07-24 21:45 | 古書日録 | Comments(0)