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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


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向日庵消息

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『向日庵消息』の複写を牛津先生が送ってくださった。《寿岳先生の私家版に関する珍しい小冊子を見つけましたのでコピーを同封します。むろん現物は和紙に印刷されています》とのこと。深謝です。上は第二信で、《昭和八年八月二十七日、文章》《八月二十六日、しづ》と書かれている。コピーで判断する限り一枚刷りの表裏に印刷して二つ折り。四頁。内容は近況と「ブレイク稿本詩抄」。そして「私版だより」、ここでは『セルの書』の複製が完成した報告。印刷以外の彩色、綴じ、木版押しも夫婦で行った、表紙には苦心した、《題字に用いた書体は、私の尊敬する工芸家エリック・ギルが刻んだ活字にもとづいて私が書いたもの。能ふかぎり無用の粉飾を除き、美をその本源に還さうとするギルの精神は、彼の考案した活字にもよく現はれてゐると存じます。》

『エリック・ギルのタイポグラフィ』
http://sumus.exblog.jp/17694489/


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第四信。昭和九年八月二十五日、九月三日の日付あり。「私版だより」は『テオ・ファン・ホッホの手紙』が八月三十日に発行されたことを伝えている。『別冊太陽 本の美』(平凡社、一九八六年)に載っていたので引用しておくが、これは限定二百部のうち革装本十五部の一冊。それら以外は琉球芭蕉布で装幀されているそうだ。

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第九信。昭和十三年一月十七日付。有栖川宮奨学金を得て手漉紙業の歴史地理的研究にあてること、各地の紙漉場を実地踏査する旅に出ること、そして近刊二種についてとその広告。

先日紹介した『古本河岸から』もそうだったように(印刷や用紙は格段に違うが)本好きの作る紙ものは、いかに自慢げであっても好ましく微笑ましい。


by sumus2013 | 2015-03-31 21:27 | 古書日録 | Comments(0)

NabeQuest 2015 ナベ展 終了

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ナベ展終了いたしました。ご来場いただいた皆様、ご協力いただいた皆様に深謝申し上げます。展示物を搬出して見上げると月が輝いておりました。


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NabeQuest2015 Nabe-TEN(展)
2015年3月20日〜30日

ユニテ
http://www.unite-kyoto.jp


ナベツマブログ;NabeQuest(nabe探求)
http://nabequest.exblog.jp


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ナベ・カタログ『NabeQuest2015』
A5, 16pp

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会場でも販売いたしますが、トマソン社さんにて通販でお求めいただけます。
その他下記のお店でも扱っていただいております。


トマソン社 リトルマガジンのウッブショップ


カロ・ブックショップ&カフェ


町家古本はんのき


Ricochet リコシェ
「玉ノ井カフェ」「フォルモサの日」
「一軒家カフェikka&甘夏書店」「旅猫雑貨店」


by sumus2013 | 2015-03-30 08:27 | 画家=林哲夫 | Comments(4)

江藤淳と大江健三郎

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昨日はナベ展会場に遅くまでいたので少々疲れ、本日もまた昼間は会場に詰めていた。ということでブログも滞ったわけです。市中の櫻は三分ほども咲いていたように思った。

最近読了した小谷野敦『江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学』(筑摩書房、二〇一五年二月二五日、装幀=神田昇和)。神田昇和による文字だけのカバーがスッキリとしていい感じ。チェーンのような模様のある用紙(GAえんぶ)が本書の内容とうまく呼応しているようでもある。

小谷野氏らしく江藤・大江を軸とした戦後文学の状況をバッサバッサ切り分けており、とくに人間関係の方面において面白く読んだ。伊丹十三と大江健三郎の関係などきわめて興味深い。

その文壇人間関係でひとつ気付いたこと。著者が《江藤はなぜそう川端を嫌ったのか》といぶかっているところ。その答えは本書のなかにある。《江藤は古風な遊蕩的な文士、中でも舟橋聖一にあこがれていたのであろう》と小谷野氏は書いておられるが、舟橋聖一は川端を強烈にライバル視していたということをたしか雑誌『風景』の舟橋追悼の文章か座談か何か(?)で読んだ記憶がある。舟橋が好き(単純に好きだけだったのかどうかは分らないが、舟橋側にいる)ということは必然的に川端を遠ざけなければならない、ということになるのだろう。

本書はおおよそ、江藤に対しては厳しい指摘がつづき、大江については辛口ながら最大限の賞讃がなされている。二人を並べて評伝としたところに小谷野氏の深い意図があるだろう。

***

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『大和通信』が第百号を迎えた。巻頭は記念号にふさわしく山田稔「老いた閑人」。昔の教え子から頻繁に葉書が届く。それがほとんど読書感想文。初めは返事を出していたが、だんだん相手ができなくなる。と、しばらく前に関心のひかれることが書いてあった。

 《最近Y君は、電子書籍というものの「思わぬメリット」を知った、というのである。これのおかげで小熊秀雄や小出楢重、加能作次郎といった「ひそやかな人の小品」が読める。それで加能の「早稲田神楽坂」というのを読んだが、その近くに、自分の父がその数年後に学生として通ったはずの当時の東京物理学校があり、不思議な親近感をおぼえた。ーいい話である。
 「それはそれとして」と彼はつづける。「画面に写し出される文字を読み取っているという、この読書(?)の、空をかいているような落ち着かなさは何なんでしょうか」と。
 そこで私も少し考えこむ。電子書籍なるもので読む加能作次郎でも、あの「すがれた」味わいは伝わるのか。「空をかいているような落ち着かなさ」にもY君はすぐに慣れてしまうのか。

小熊秀雄と小出楢重は岩波文庫、加能作次郎は講談社文芸文庫に入っている作家である。電子書籍の効用を認めるにやぶさかではないが、電子書籍で初めて知るというのも正直寂しいような気もする。もちろんそれで読めるのだから喜ぶべき事だろう。

善し悪しの判断は措いて、こういう新旧交替に対するジレンマのような反応は、写本や木版刷り和本から活版印刷・洋本へと変っていった時代にもあったのではないだろうか。活版印刷の洋本なんか本と呼べるか、みたいなことを誰かが書いていたのを読んだことがある。時代の流れとはいつもそういうものだ。そのうち電子書籍なんて言葉も過去のものになる時代が来る。

富士正晴記念館では「サッちゃんと阪田寛夫と富士正晴と」展 IIが四月一日より始まるとのこと。

「サッちゃんの阪田寛夫と富士正晴と」展1

by sumus2013 | 2015-03-29 20:03 | おすすめ本棚 | Comments(2)

桜谷

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本日は温暖な一日だった。市中ではそろそろ花が開き始めているだろう。ということで、木島桜谷(このしまおうこく、一八七七〜一九三八)の文字通り桜の短冊。台紙が付いているところからすると、屏風か画帳に貼られていたのだろう。誰かが切り売りしたというわけだ。

木島桜谷、名は文治郎、字を文質。別号に龍池草堂主人、朧廬迂人。京の三条室町東入る御倉町で生まれた。師は今尾景年。山本渓愚に儒学、本草学、漢学を学んだ。大正時代には竹内栖鳳と京都画壇の人気を二分する作家であったという。

文学少年だった桜谷は「論語読みの桜谷さん」とあだ名されるほどの愛読家となり、昼は絵画制作、夜は漢籍読書の生活を送る。

昭和8年(1933年)の第一四回帝展を最後に衣笠村に隠棲、漢籍を愛し詩文に親しむ晴耕雨読の生活を送った。しかし、徐々に精神を病み、昭和13年11月13日枚方近くで京阪電車に轢かれ非業の死を遂げた。享年62。墓所は等持院(非公開)。

京都市北区等持院東町の財団法人櫻谷文庫は、木島桜谷の遺作・習作やスケッチ帖、櫻谷の収集した絵画・書・漢学・典籍・儒学などの書籍1万点以上を収蔵、それらの整理研究ならびに美術・芸術・文化振興のために桜谷が逝去した2年後の昭和15年に設立された。》(以上ウィキより)

かなり前に京都の近代美術館で回顧展を見た記憶がある。最近では泉屋博古館で開催されたようだ。今ちょうど櫻谷文庫が公開されている。

櫻谷文庫 2015春の公開・展示のご案内
http://www.oukokubunko.org/index.html


***

昨日届いた『第十回サンボーホール ひょうご大古本市目録』を見ていると街の草さんがガンバって出品しているのが目についた。なんと『水野仙子集』が格安で出ているではないか! と言ってもサッと注文するにはためらいを覚えるけれど「日本の古本屋」に数点出ているのから較べると格段に安い……。他には野呂邦暢『小さな町にて』もあった。

ふくしまと文豪たち 水野仙子ほか
http://sumus.exblog.jp/20105131/

ふくしま文学のふる里100選
43 酔ひたる商人 水野仙子 小説 大正八年(一九一九)
http://is2.sss.fukushima-u.ac.jp/fks-db//txt/47000.1994fukushima_bungaku100/html/00004.html


by sumus2013 | 2015-03-27 20:59 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

古本はこんなに面白い



中野智之『古本はこんなに面白い 「お喋りカタログ」番外編』(日本古書通信社、二〇一五年三月一八日)および『THANK YOU トモさん』(THANK YOU トモさん実行委員会)が届く。いずれも中野書店・中野智之さんの遺文集である。どこを開いても中野さんの語る声が聞こえるようで(ちょっと鼻にかかったようなソフトな声質だった)あらためて逝去が惜しまれる。後者はフルカラーの豪華版。先日のお別れ会のために作成されたようだ。文集の他に「トモさん写真館」として珍しい写真がたくさん収められており、晩年の一時期しか知らない小生にとっては、たいへん楽しいアルバムだ。どの写真を見てもたいていカメラ目線でニッコリしているのがサービス精神旺盛な中野さんらしいと思う。

『古本はこんなに面白い』から一篇紹介しておこう。題して「吾輩ハ我輩デハナイ」。中野さんは市場で夏目漱石の画讃「我輩はおさきまつくらの(猫)である 漱石戯(朱印)」を買った。(猫)のところに紙袋をかぶった猫が踊っているような絵がある。立派な二重箱に入っており表には「漱石画讃」、裏には「楽天珍蔵」と書かれている。おまけに金259円也という昭和九年の落札ふだまで付いていた。今なら百万円くらい。

《しかしながら、いけません。これは漱石の筆跡じゃない。いかにもそれらしいけれど、漱石がこんな戯れ句をつくった記録もない。》

《なら、何でそんなもの買ったんだといわれそうです。なんででしょう。むろんその時の買値はイケナイ品に相応しい値段でした。古書の市場ではいい加減な安札をヨタ札といいますが、つまりはそういう値段。売手も買手も、みんなペケと判断したわけです。
 でもこれ、面白くありません? 真偽は別にして洒落た画讃です。が、まずひっかかったのは「我輩」でした。ちゃんとした(?)偽物を作るならば「吾輩」でしょう。》

《洒落とか遊びの感覚でしょう。ついそんなところに惹かれてしまった。でも売立て会の札は本物みたい。このときこの値段で売買されたのは事実らしい。だとすれば罪な話ですが、いまさら致し方ありません。》

以上が前段。ニセだけど面白い、既成概念はそれとしてモノそのものを評価しようとする姿勢がいい。これに続く後段は、十年以上昔、とある古書市で漱石の一行書を落札したと語り始められる。署名がなく「漱石山房」印だけ。ちょっと不安もあったので同業者Aさんに見てもらった。

《「だめだよ、あんなの買っちゃ」
「なぜ? 筆跡は良いように見えたんだけど」
 実は彼、その漱石の一行書の複製を持っているのだと。そしてそれには落款が「漱石(朱印)」と入っていると。
 つまり私が買った品は複製を真似て書いた偽物だというわけです。》

ともかく見比べてみようという話になって、店でふたつを並べてみた。

《「ほうらね、複製は漱石の署名があるだろう……」と言いはじめたAさんの言葉がつまる。しばらく二人して幅を重ねるように、透かすように見比べる。やがて、ぽつりとAさん。
 「これ本物だ……」》

中野さんの買ったオリジナルを元に複製するとき、署名がないのが寂しいので別の作品から署名を流用したのだろうという。要するに自慢話なのだが、まったくイヤミなくさらりと語られている。これが人徳というもの。中野さんご夫妻のやっておられる演劇集団「ガザビ」ではトモさんが脚本担当だったそうだ。なるほど、その筆致がエッセイにも生かされている。

実は「ガザビ」の公演、一度だけ観たことがある。終った後で「正直な感想を言ってくださいね」と中野さんがおっしゃるので、正直な感想をずけずけと述べさせてもらった。いつもニコニコの中野さん、そのときには表情が硬くなり、やや憮然としておられた。穏やかな外面に包み隠した熱く負けず嫌いの性格を見たような気がしたのである。それだけ演劇に対しても本気だったという証拠だ。むろん小生も少々大人気なかった。お茶を濁しておけばよかったのだろうが、今となっては忘れ難い思い出である。

『古本はこんなに面白い』日本古書通信社から発売されている(1500円+税)。初版500部だよ!






by sumus2013 | 2015-03-26 21:17 | おすすめ本棚 | Comments(2)

筑摩書房の装幀の装幀

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『書影の森 筑摩書房の装幀1940-2014』、制作の最終段階へ入って少し遅れている(ご予約いただいた方には申し訳ない事ながら万全を期しておりますのでご容赦ください)。束見本、なんと三冊目! これはみずのわ氏の完全主義で念には念を入れるために作ってもらった。さすがに問題なし(帯の色目が違っていただけ……)。

本日はこの束見本を使って文字レイアウトにかかりきりだった。なるべくシンプルに。装幀の本だけに装幀しすぎないように心がけた。プルーフが出れば、お披露目いたします。



by sumus2013 | 2015-03-25 21:03 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

独習写真術

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竹内和一『独習写真術』(東京写真館、一九〇六年八月一五日)。発行所の東京写真館(東京市神田区旅籠町一丁目二十一番地)は竹内の経営していた写真館(写真店)である。竹内について詳しいことは不明。国会図書館に東京写真館発行のカタログが二種所蔵されている。

『東京写真館商品目録』(東京写真館、一八九八年)
『写真器械雛形 : 定価明細表』(東京写真館、一八九七年二月)

写真術といっても撮影法だけではなく機械の組立から暗室、撮影場(スタジオ)の構造、乾板、撮影、種板、印画焼付、鶏卵紙、現像液などの配合、用法……など写真術の全体にわたって解説されている。論より証拠、挿絵のあるページだけ紹介しておく。

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撮影法の注意点、第四はつぎのように言う。句読点を用いない表記法が珍しい(読点は使われている箇所もわずかにある)。

《家屋(たてもの)の側面(かわ)にて日光の直射(すぐあたら)せざる場所を選び被写体(うつるひと)の上部(うへ)に幕を張り若しくは茂りたる生垣美しき庭木雅致ある石燈籠等の傍(そば)に人物を置くも宜かるべし然ども何れの場合に於いても光線の分賦(くばりかた)は注意すること肝要(かんやう)なり》

ここを読んで思い出したのが尾崎紅葉「金色夜叉」(『読売新聞』一八九七年一月一日〜一九〇二年五月一一日、連載)。その中編第三章〜第四章、「写真の御前」なる有閑の変人が登場しているくだり。テキストは青空文庫より。

《赤坂氷川(あかさかひかわ)の辺(ほとり)に写真の御前(ごぜん)と言へば知らぬ者無く、実(げ)にこの殿の出(いづ)るに写真機械を車に積みて随(したが)へざることあらざれば、自おのづから人目を※【「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56】(のが)れず、かかる異名(いみよう)は呼るるにぞありける。》

《万足(よろづた)らざる無き閑日月(かんじつげつ)をば、書に耽(ふけ)り、画に楽(たのし)み、彫刻を愛し、音楽に嘯(うそぶ)き、近き頃よりは専(もつぱ)ら写真に遊びて、齢(よはひ)三十四に※【「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53】(およべ)ども頑(がん)として未(いまだ)娶めとらず。》

《殿はこの失望の極放肆(ほうし)遊惰の裏(うち)に聊(いささ)か懐(おもひ)を遣(や)り、一具の写真機に千金を擲(なげうち)て、これに嬉戯すること少児(しように)の如く》

《此方(こなた)の姿を見るより子爵は縁先に出でて麾(さしまね)きつつ、
「そこをお渡りになつて、此方(こちら)に燈籠(とうろう)がございませう、あの傍(そば)へ些(ちよつ)とお出で下さいませんか。一枚像(とら)して戴きたい」
 写真機は既に好き処に据ゑられたるなり。子爵は庭に下立(おりた)ちて、早くもカメラの覆(おほひ)を引被(ひきかつ)ぎ、かれこれ位置を取りなどして、
「さあ、光線の具合が妙だ!」》

紅葉が描いている時代がいつ頃なのかはっきりしないが、連載は日清日露間なので、「一具の写真機に千金を擲(なげうち)て」などは当時の写真術に対する考え方が投影していると見ていい。個人で写真機を所有して撮影するというのは金持ちの道楽だった。ただ上述したように東京写真館では写真材料のカタログも発行していたわけだから、それなりの需要はあったのであろう。あるいは他の写真館も顧客だったか。

ところが日露戦争が終った後、明治三十九年には本書のようなハウツー本(独習書)が必要になった。これは普及の面からすれば大きな進歩ではないだろうか。アマチュアの写真家が当たり前になるのもそう遠い未来ではない。大正時代の写真ブームについてはすでに紹介した。

『芸術写真(藝術写眞)』




by sumus2013 | 2015-03-24 21:25 | 古書日録 | Comments(0)

ホシナ大探偵

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書肆盛林堂
険奇探偵小説 ホシナ大探偵―押川春浪 ホームズ翻案コレクション―

押川春浪険奇探偵小説 ホシナ大探偵』の元本は大正二年に大学書院から刊行された。ながらく幻とされていたが、国会図書館の未整理本のなかから発見され横田順彌氏によって世に紹介されたのだそうだ。原作はコナン・ドイルの「レディ・フランシス・カーファクスの失踪」(『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』所収)で、人名・地名とも日本のものに置き換えられている。

「ハハア、京都だな」
 疾風(はやかぜ)のホシナと呼ばれた保科大探偵は、何んと思ったか凝乎(じっ)と僕の長靴を見詰めて居たが、唐突(だしぬけ)に此様な質問を発した。恰度(ちょうど)その時、僕は安楽椅子に凭り掛かって、ダラリと脚を投げ出して居たのだが、大探偵は一心に僕の長靴を見詰めて居るので、之はテッキリ長靴の問題だなと思い、少し首を擡げて、
「串戯(じょうだん)じゃないよ、之れでも舶来だぜ、巴里(パリー)で仕込んで来たのだよ」
と、僕が聊(いささ)かムッとして恁(こ)う答えると、保科大探偵は俄かに微笑を唇辺に湛え乍ら
「イヤ君浴(ゆ)の事だよ、京都の上方浴だろと言うんだ、君は何故粋(いなせ)な江戸名物の銭湯に入らずに、贅沢な、ハイカラな上方浴なんぞへ行くのだと聞くのだよ」》

……なるほど、シャーロックお得意の観察眼の鋭さを示す描写から入っている。小ネタで惹き付けておいて、いざそこから誘拐された令嬢の行方を追う旅が始まるという仕掛け。

もう一篇収録されているのは「武侠探偵小説 大那翁(だいナポレオン)の金冠」。『武侠世界』大正二年一月号から三月号にかけて連載された作品である。こちらもシャーロックの「ボヘミアの醜聞」と「赤毛連盟」の要素を組み合わせて新たなストーリーを作り出した翻案もの。パリで日本人の探偵が活躍するというのだから痛快きわまりない。

《本書は、日本でも有数のシャーロック・ホームズ研究家である北原尚彦氏に「盛林堂ミステリアス文庫でホームズを……」と相談したことから始まった。するとなんと押川春浪によるホームズの翻案があり、しかもそれらは復刊・復刻されておらず読むことが難しい状態にあるという。それでは是非に、と本レーベルからの復刊の運びとなった。》(あとがきにかえて)

正直、二篇ともストーリーや展開には古めかしさが隠せないものの(古すぎて新しいとも言えそうなくらい)、だからこそ、それはある意味、明治から大正にかけての日本人(の少年たち)がどんな物語、どんな野望にワクワクしたのか、ということをハッキリ教えてくれるドキュメントになっていると思う。


by sumus2013 | 2015-03-23 21:06 | おすすめ本棚 | Comments(0)

狛犬誕生

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塩見一仁『狛犬誕生』(澪標、二〇一四年一一月一〇日、装幀=高橋善丸)。狛犬といえば神社にはつきものだが、さて、どうしてこのような獣らしきものが神前に控えているか? その狛犬の来た道、コマイヌ・ロードをその起点(トルコ中部チャタル・ヒュユク遺跡)から懇切丁寧に辿って検証した労作。

《神社の社頭や参道の入り口に鎮座する狛犬のことが、ずっと気になっていた。寺院の山門に置かれた狛犬に初めて気がついた時は、すばらしい発見をしたように思った。この狛犬たちはいったいどこから来たのだろう、そんな素朴な疑問を解明しようとしたのが、本書の書き始めだった。》(あとがき)

それが三十年前のことだというから、塩見氏もそうとう執念の深い御方だ。必然的に非常に広範となった本書の内容をかいつまんで紹介することは不可能。よって目からウロコの事柄をふたつ紹介する。その一、狛犬は一対で神前に配置されているが、その二体がよく似ていながらそれぞれ違った特長をもつことを御存知だろうか? 仁王の阿形・吽形と同じように。そして古くは「獅子・狛犬」という一対をなしていた。

《仏教が伝来したときに日本に伝わったと思われる獅子は、仏の守護獣として左右一対の形をとることがすでに定着していた。伎楽や舞楽という、中国やさらにその西方にルーツを持つ芸能の中にも、王獣である獅子が取り込まれ、一対の仮面や一対の獅子舞が成立していった。そしてその左右一対の獅子を区別するために、一方の獅子の頭上に、本来はないはずの一角を設けるというようなことが行われたのかもしれない。もちろんその背景には、中国の霊獣で墳墓の守護獣にもなった「麒麟」や「辟邪」という魔除けの神獣の影響があったことは間違いないだろう。》

ここで五世紀、洛陽において釈迦の降誕祭に行われる行列の先導を「辟邪・師子」が務めたことを示す文献を引用してこう続ける。

《これは法隆寺聖霊会の行列とたいへんよく似ている。一角の獅子頭を「狛犬」と考えれば、中国での辟邪・師子」という一対の組み合わせが、わが国の「狛犬・獅子」という組み合わせに変っていった可能性が十分に考えられるのである。

以下の二枚の写真は小生が郷里の白鳥神社で撮影した狛犬。最初の一体は社殿に向かった右側にあり阿形でたてがみがカールし耳が寝ている。下二枚目のこれと対になる狛犬は吽形でストレートヘアーで耳が立っている。

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残念ながら台座には何も彫られておらず(よく調べたわけではありません)年代を特定できないのだが、このどっしりとしてシンプルな細部の造りからそれなりに古いものと思われる。これは参道の途中に置かれているが、鳥居の前に置かれた別の一対もある。こちらの台座には寛政十年戌午九月奉献、嘉永三年庚戌九月改造再献とある。一七九八年と一八五〇年。吽形の方はかなり傷みが激しいので寛政十年に奉納された状態に近いのだろうと思う。
 
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その二。こういった狛犬が神社に奉納されることは近世に始まったという。塩見氏は小寺慶昭「教材としての狛犬研究(一)」から全国一一五三九社の狛犬を調査し八一九〇対の寄進年を集計した数字を引用している。

《この表を見ると、神社への寄進が増え出すのは十八世紀の後半からで、とりわけ寛政年間から後は、幕末までずっと増加し続ける。中でも文化・文政から天保年間の増加はとりわけ著しい。狛犬の寄進数の変化は、同じ近畿地方でも府県によって異なるが、特に大阪府において、この傾向が強く見られる。このように、江戸中期から寄進数が増加していくいちばんの原因は、やはり寄進者である商人の経済力が大きく成長したことであろう。》

実例に照らしてなるほどと思う。本書のせいで、いやおかげで、今後も狛犬の前に立ち止まる日々が続くような気がしている。


by sumus2013 | 2015-03-22 10:23 | おすすめ本棚 | Comments(0)

今江祥智さん死去

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米朝死去の報が踊る、その脇に今江さん死去の記事が出ており驚かされた。『sumus 13』晶文社特集でアンケートをお願いしたところ素敵な手書き原稿を頂戴した。二〇一一年一月、徳正寺でのトークショーも思い出される。

宇野亜喜良レクチャー

今江祥智『冬の光 続・優しさごっこ』

by sumus2013 | 2015-03-21 09:06 | コレクション | Comments(0)