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林哲夫の文画な日々2
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<   2014年 09月 ( 47 )   > この月の画像一覧

犬林檎書房

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本日は京都市内某所にある犬林檎書房を訪問した……と言ってもこれは古書店でも新刊書店でもない。町家を改造した某氏の書斎である。奥の坪庭につややかに実った犬林檎(ヒメリンゴとも)が眩しかった、というところから小生が仮にこう名付けてみただけのこと。

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トワイヤン、エルンスト、ブルトンらを中心としたシュルレアリスム関係の書籍を多年にわたって蒐集しておられる。瀧口修造やマルセル・シュオブ、ヘンリー・ミラーあたりも興味の対象とのこと。寺山修司を追求した時期もあるそうで、五百冊以上の寺山関連書が整然と並べられている。

少々自慢、どころかお宝本が次々目の前に繰り広げられ、当方は目をパチクリさせつつ、当主のお話に耳を傾けるばかり。それらを余すことなくここで紹介するのは不可能ながら、なかのほんの一部、まずは瀧口修造略説『虐殺された詩人』(湯川書房、一九七二年、鶴岡善久+政田岑生編、叢書溶ける魚第三回配本、限定三百部)を掲げてみたい。

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湯川さんらしい紙の使い方、函の造作だと思う。神保町の某書店のレッテルが貼ってあった。

もう一冊、六月にパリで入手したトワイヤンとラドヴァン・イヴシックの詩画集『TIR』の内容見本について以前触れたのだが、なんと、その『TIR』の特装版(オリジナル銅版画二点入り)そのものを間近に拝見できるとは思いも寄らなかった! 

詩画集『TIR』
http://sumus2013.exblog.jp/22286201/

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ジャンヌ・モローとボリス・ヴィアンのレコードがさり気なく飾られている。若きジャンヌ・モローの愛らしさ!


そしてきわめつけはアンドレ・ブルトン『Ode à Charles Fourier』(Éditions de la Revue Fontaine, 1947) 。この詩集だけならそう珍しくはないかもしれない(それでも今の相場では数百ユーロ)。しかしこのコピーにはアンドレ・ブルトンの献呈署名が入っているのだ。そうなると価格はグンと跳ね上がるし、何と言っても署名そのものを拝めるのも有り難いことである。

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他にも稀覯写真集の数々を拝見したが、また機会を見ていろいろ紹介できるかもしれない。御期待を。


by sumus2013 | 2014-09-30 20:36 | 古書日録 | Comments(0)

阿羅野

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『俳諧七部集 阿羅野附員外 七』(筒井庄兵衛+中川藤四郎+野田治兵衛、寛政七年春三月=一七九一年再刻)。芭蕉展を見たので何か芭蕉にまつわるものはないかと探し出してみた。『俳諧七部集』は享保十七年(一七三二)頃に佐久間柳居による編で成立。安永三年(一七七四)に子周編の小本二冊本が刊行されて以後流布するに到ったという。

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内容は活字本でも容易に読めるが簡単に説明しておくと、貞享五年(元禄元年=一六八八)九月半ば深川芭蕉庵にて興行された連句「雁がねの巻」(本書には「深川の夜」の題がある)すなわち芭蕉と越人の対吟、その他が収められている。ここで芭蕉に対した越人とはこういう人物である。安東次男『風狂始末』(ちくま学芸文庫、二〇〇五年)による。

《越智氏、通称十蔵、槿花翁・負山子とも号す。明暦二年(一六五六)北越の生れ、流浪して名古屋に到り、野水、杜国、重五らの庇護を受けて染物屋を業とした。延宝・天和の交か。俳諧は荷兮に学び、入集は『春の日』(荷兮編、貞享三年刊、七部集の第二集)の十句が初見。貞享元年『冬の日』興行のとき名古屋連衆に付して直門に移ったと思われるが、芭蕉に親炙したのは貞享四年十一月、杜国の謫居を慰めるべく、鳴海から三河伊良胡崎に案内して以来のことである。

安東によれば越人は『阿羅野』のホープだった。実際、芭蕉と見事な掛け合いをしていて驚かされる。まあ、それはどうでもよろしい。興味を惹かれるのはこの蔵書印である。

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「巨鳥房」……巨鳥は鳳だろうが、検索してみると印田巨鳥(いんだきょちょう)という歌人が三重県にいたことが分った。明治二十七年生、昭和五十四年歿。大正八年、橋田東聲の覇王樹社に入社。昭和十一年に歌誌『志支浪』を、昭和三十九年に『覇王樹三重』を創刊。歌集に『壱師』(覇王樹社、一九七六年)など。名古屋の越人、三重の巨鳥ときて、そして奥付を見るとこんな書き入れがある。

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大石村/兵右衛門主。巨鳥から考えてこの大石村は三重県飯南郡(現松阪市)の中部、櫛田川の中流左岸にあたる地域かとも思う。むろん確証はない。ちなみにこの一書はネットで東京大森の某店から購入したもの。




by sumus2013 | 2014-09-29 20:58 | 古書日録 | Comments(0)

BOOKS+コトバノイエ

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秋日和の本日は、兵庫県川西市にある古書店「BOOKS+コトバノイエ」を訪問した。阪急電鉄の川西能勢口から能勢電鉄に乗り換え(上の写真のように阪急電鉄と同じ車両を使っている。筆頭株主は阪急で98.51%を保有)一の鳥居駅下車。

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ゆるい坂道を登りながら秋の風情を楽しむ。

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一帯が丘陵になっているのだが、その斜面はほぼ住宅で覆われている。昭和四十年代に開発されたという住宅地のなかにときおり建築事務所などのモダンな建物が散見される。およそ十分余りで、ユニークな木塀で囲まれたBOOKS+コトバノイエに到着。玄関前に鮮やかなブルーのプジョー。

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柱や壁のほとんどが本棚! 要するに本棚で家を支えている。むろん本がビッシリ。本好きにとっては理想の建物。

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本棚の家をとりまくようにウッドデッキがめぐらされ、デザイナーズチェアがさりげなく配置されている。のんびりと秋のやわらかい日差しを受けながら読書にひたることもできる。


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ごく一部しか取り上げていないが、品揃えはもっと広く、アート系、文学書もご主人の趣味を反映したかたちで充実しているように見受けられた。

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ご主人からいろいろと昔話をうかがいながら茶菓まで頂戴する。これは手ぶらでは帰れない(笑)。『マン・レイの映画 知的遊戯の実験』(企画制作=久保木泰夫、一九八九年)の折帖になったパンフレット二冊など求める。ちょっと真似したくなる作りである。

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BOOKS+コトバノイエ
http://kotobanoie.com


能勢電で川西能勢口まで戻り、JR川西池田駅まで歩いてそこから伊丹まで(駅ふたつ目)。柿衞文庫の芭蕉展を見る。かの古池やの短冊(稀少な真蹟とか)など芭蕉時代の雰囲気にひたる。短冊より消息の字が好きだった。棟続きの伊丹市立美術館ものぞく。ギルレイとドーミエには見入ってしまった。

柿衞文庫
http://www.kakimori.jp





by sumus2013 | 2014-09-28 20:48 | 古書日録 | Comments(0)

本の手帖

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少し前に『本の手帖』(昭森社)を二冊(絵入本特集、美術家画文集特集)頂戴していたのだが、架蔵分と比べてから紹介しようと思っていたら、すっかり遅くなってしまった。書棚の奥から探し出した同誌は二十冊ほどしかなく、お送りいただいた号も持っていなかった。深謝です。

創刊号は昭和三十六年三月一日発行の「フランス特集」。下の第八十号が「総目次」昭和四十四年一月一日発行。この表紙に刷られているのが創刊号の表紙。鳥海青児のデッサン。

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《「本の手帖」の八〇冊並んでゐる姿は正に偉容だと思ふ。まつたくさう思ふ。皆さん、さう思はないか。これは偏へに過去数百人の筆者の方々に負ふところもちろんである。
 昨夏の入院手術といふ初めての経験がぼくの信念を大いに揺るがしたことは事実だ。現に決して体調は軽快とはいへない。従来の三十年間生存といふ自信にはやや罅がはいつた感じだが、いとせめてあと二年生き伸びて百号記念号は編んでみたい。これが現時点での最低の念願である。おお神さま!このはかない望みをば叶へさせたまへ。》

とこのように森谷均は八十号の「dessert」(編集後記)に書いている。しかしながら、森谷は昭和四十四年三月二十九日、日本大学駿河台病院にて他界。『本の手帖』は「総目次」の後、「現代詩特集」「外国文学とキリスト教特集」そして「瀧口修造特集」の三冊が出たところで終刊となった。他に創刊一周年記念『夢二肉筆画展図録』が昭和三十七年三月に、森谷均追悼文集・昭森社刊行書目総覧』が昭和四十五年五月一日に発行されているため八十五冊が大揃いということになるのだろう。

今年はシェイクスピア生誕四百五十年。『本の手帖』には生誕四百年記念特集号があった。この表紙画は西脇順三郎の筆である。

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森谷均が自負する通り、なかなかこれだけの雑誌は他にそうざらにはないように思うし、八十冊以上も出しつづけるというのは色々な意味で骨が折れたに違いない。全冊揃えたい…などという気持ちはさらさらないが、安いのが見つかればもう少し買ってみたいとも思う。

by sumus2013 | 2014-09-27 20:12 | 古書日録 | Comments(0)

scripta 33号

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『scripta』通巻33号(紀伊國屋書店出版部、二〇一四年一〇月一日)。毎号頂戴している。この雑誌が刊行され始めて間もない頃、一度だけ原稿依頼があって、印税のことを書いたと思うが、それ以来欠かさず送ってくれる。内堀弘さんの連載がなくなって少しさびしいが(単行本になるのはいつのことでしょう?)、平出隆氏と荻原魚雷氏の連載は楽しみに読んでいる。

上は平出氏の「私のティーアガルテン行」第十三回「魚町、鳥町、けもの町」から。このレイアウトにちょっとショックを受けた。書体も組み方も図版の配置もただのPR雑誌ではこうはいかない…とおもいきや、平出氏以外の頁はまあ人並みなレイアウトである。平出氏自身によるものだろうか?

回顧的な物語がつづくなか、今回は学生時代から通っていた「金榮堂書店」を中心に浪人時代に友人たちと出し始めた雑誌『休暇』について書かれている。詳しくは本書を参照していただきたいが、書店の記憶としても特筆に値する内容と思う。『休暇』第三号は一九七〇年一〇月発行。そこに金榮堂書店の店主柴田良平さんが出した広告「わりかし宣伝の足らない新刊一社一選」を掲げておく。訳者名は省いた。

ボリス・ヴィアン『心臓抜き』白水社
ミラン・クンデラ『冗談』みすず書房
ジェームズ・クネン『いちご白書』角川書店
寺山修司『白夜評論』講談社
埴谷雄高『姿なき司祭』河出書房
天沢退二郎『詩集 血と野菜』思潮社
秋山清『近代の漂泊 わが詩人たち』現代思潮社
佐藤信『あたしのビートルズ』晶文社
大島渚『解体と噴出』芳賀書店
現代日本映画論大系『個人と力の回復』冬樹社
日沼倫太郎『我らが文明の騒音と沈黙』新潮社
安東次男『与謝蕪村 日本詩人選』筑摩書房

《相手を正確に見定めたリストともいえるだろうが、すべてをとおして眺めなおせば、柴田良平さんご自身の、同時代への読み筋が浮かびあがるかもしれない。》と平出氏は註釈しておられるが、まったく同感である。

scripta
http://booklog.kinokuniya.co.jp/scripta/


by sumus2013 | 2014-09-27 17:37 | おすすめ本棚 | Comments(0)

表札など

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石垣りん詩集『表札など』(思潮社、一九六九年五月一日再版、装幀=吉岡実)。いつも珍しい本を探し出して送ってくださるUさんより頂戴した。この詩集、一体どこが珍しいのか? その解説はUさんのメモに任せる。

《同封の一冊、またまた荻窪ささま書店の105円均一棚から得ました。再版で、状態ももう一つの感がありますが、ご覧の通り、正誤表がついていて、旧蔵者?によって該当箇所がエンピツで訂正されています。

「表札など」は初版も持っているのですが、そちらにはこの様な誤植はありません。当時の印刷事情がわかりませんけれど、H氏賞受賞詩集となったので、組み直したということでしょうか(カバーの西暦も、1968から1969に変更されています)。》

たしかに珍しい! 再版で誤植を訂正するというのは何ら不思議でもなんでもない、普通によくあること。しかし、初版にない誤植が再版に現れるとはちょっと妙である。Uさんのご指摘の通り、活字をイチから組み直したときに校正が不十分だったのであろう。ただ、活版時代にはよく言われたが、赤字を入れて再校が出ると、初校で間違っていなかったところが組み直しによって間違うケースがよくあると。とにかくこの本は『誤植読本』ものである。

誤植読本
http://sumus.exblog.jp/20652920/

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「くらし」が「しらく」になって誰も気付かなかったのだろうか。気付かなかったのだ。「みえない父と母…」も罪は重い。「みえない、父と母…」では大違いである。まあしかし誤植とはそうしたもので、本が出来上がって手許に届いたとたん、こういう間違いがいきなり目に飛び込んでくる。あれはどうした理由からだろう。何度も何度も確認したはずなのに……。

詩のタイトルが間違っているくらい屁でもない。というわけでもないけれど、書名が間違っている本だって決して少なくない。著者名だって間違われる(イシワカ・ジュン)。最近「Mさんの日記」(mixi)に足立巻一『宣長と二人の女性』(佃書房)の誤植が話題に登った。一九四三年の初版は『宜長と二人の女性』になっているという。宣長(のりなが)が宜長(ぎちょう)に。これでは別人である。足立の『やちまた』に次のように書かれているらしい(Mさんによる引用の孫引き)。版元の主が、

やや頭に抜ける枯れた声で、「印刷にかかってる。ちょっとした本になるで」といい、わたしを広間に案内した。抜けそうな板張りの床に、まちまちの木机をつらね、本がいっぱいに並べてある。佃はその一つにつれていって、「これや」と指さした。白地に赤と緑との線をかこみ、赤字で書名が刷ってある。かれは「すっきりしとってええやろ」と、笑いかけた。
 が、わたしは内心、大声をあげそうになった。「宣長」が「宜長」になっている。
 しかし、すぐにはそれを告げる気にならなかった。佃が「四六版で二百八十ページになった。初版三千部や」といったとき、はじめて明かした。

再版本の奥付写真もMさんは掲げておられるが、著者名の足立巻一の脇に「あだちかんいち」とルビがふられている。「けんいち」ではないですか。

『表札など』にもどると、この訂正が石垣りんの自筆だったりしたら、これはちょっとしたものなのだけど。スケベエ心を出して石垣りんの筆蹟をネットで探してみた。う〜む……やはり違いますね。




by sumus2013 | 2014-09-26 19:58 | 古書日録 | Comments(6)

マルドロオルの歌

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有本芳水と青柳瑞穂のつながりが書かれているかもしれないと思って青柳いづみこ『青柳瑞穂の生涯』(平凡社ライブラリー、二〇〇六年一一月一三日)を繙いてみた。有本は明治十九年(一八八六)生まれ。

早稲田大学を卒業後、実業之日本社に入り、「日本少年」主筆として活躍した。1905年車前草社に入り、若山牧水、正富汪洋らと作歌。薄田泣菫、与謝野鉄幹、晶子らの先進を敬慕しつつ、「日本少年」に毎号発表した少年詩は少年の読者に愛誦され、文学者に多くの影響を与えた。》(ウィキ)

大正初期の児童雑誌として大きな影響力をもっていた「少年世界」、「日本少年」、「少年」などに、厳谷小波の新作お伽話や有本芳水の少年詩が発表され、子どもたちに好評を博していたという事実(『横谷輝児童文学論集1

ということだから明治三十二年(一八九九)生まれの青柳はすでに中学生だった頃ではないだろうか。青柳が芳水ファンだったと考えるには年齢的に少しズレている気がしないではない。『青柳瑞穂の生涯』には少年時代の読書についての言及は全くなく、骨董好きの萌芽が見られるエピソードが中心だ。

《大正六年(一九一七)に県立甲府中学校を卒業した瑞穂は、高等学校には進学せず、初恋を経験したり、詩作のまねごとをしたり、暁星中学校発行の文法書でフランス語を独習したりしていた。》(『青柳瑞穂の生涯』)

この後、慶応義塾大学の仏文に入学し永井荷風の指導を受ける。卒業後には堀口大学の門に入り、創作も発表したが、やがて翻訳に専念するようになる。青柳の翻訳単行本としては三冊目になるのがロートレアモン『マルドロオルの歌』(椎の木社、一九三三年一月一日)だ。下の写真は六年ほど前に思い切って買ったもの。状態が悪い(カバーもない)のでそう高くはなかったけれど、安くもなかった。

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青柳は全部で五十九章あるテクストから六章を選んで訳している。昭和二十二年に青磁社から、二十七年に木馬社(版画=駒井哲郎)から同じく『マルドロオルの歌』を刊行しているが、最終的には十二篇を翻訳して発表した。

《五十九章に対して、わずか十二章しか訳し得なかったのは、原文が難渋で、日本語に移りがたいものが大部分を占めているに由る。しぜん、平易なものを選んで訳したことになるが、この十二篇は全巻中でも著名のものであったのは、偶然ながら、よろこばしい。》(青柳瑞穂「ロオトレアモンに関する断想」講談社文芸文庫版『マルドロオルの歌』より

同じ断想でこうも述べている。

《かつて長いあいだ人々は「私の心は小鳥のようである。」と、類似による比較をよろこんだ。》《併しこれはあくまで比喩であるが、これを省略し、極限にまでもついていって、「この小鳥は……」として、一つの言葉で一つのイメージを表現しようとする。これがロオトレアモンの筆法である。》

単に「小鳥」という言葉が出てくるというだけなのだが、有本色紙が連想されてギョッとする。

小とりよ小鳥
http://sumus2013.exblog.jp/22957858

そしてまた『マルドロオルの歌』にも小鳥の逸話がある。椎の木社版には見えないが、戦後版では訳出している。「溲瓶の王冠」というタイトルになっている。原典にはタイトルはない。第六の歌の第五章。パレ・ロワイヤルの中庭で狂人に出会ってその物語をつむぎだす。

《おれが一羽のカナリヤを買ったのは、三人の妹のためだつたのである。彼女たちは、それを軒の鳥籠に入れた。通行人たちは、毎度、立ち止つては、小鳥の歌に聞き入り、そのはかない美しさを褒め、その利口さうな姿を観察しようとした。一度以上、親父は、鳥籠とその内容を何処かへ遣つてしまふやうに言ひつけた。それといふのも、カナリヤは歌手としての才能を揮つて、囀るやうな短抒情調の恋歌を投げつけるので、親父は自分が馬鹿にされてゐると思ひ込んだのである。》

そして親父は鳥籠を踏みつぶす……と、こんなロートレアモンの残虐な物語に執着した翻訳者青柳瑞穂が、芳水の小鳥の色紙をもらったとき(もらったと仮定してだが、もちろん)、どんな気持ちがしただろうか、などとあらぬ空想をたくましくしてみた。




by sumus2013 | 2014-09-25 21:18 | 古書日録 | Comments(2)

ほんまに16号

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『ほんまに』vol.16(くとうてん、二〇一四年九月二〇日、表紙=イシサカゴロウ)が出来た! 「続・神戸の古本力」特集。これがじつによくできている。

ほんまに
http://www.honmani.net

後藤書店の閉店によっていきなり暗くなった神戸の古書界だが、それは一時的なことだった。トンカ書店という救世主が現れ、新しい古書店もつぎつぎと出現、神戸の古本力はじわりと高まっていることがよく分る。そんなこれからの神戸を担う若手インディーズ古書店主たちの座談会が掲載されている。なかで印象に残る小西池氏(エメラルドブックス)の発言。

《小西池 もう少し売り上げを出したいけど、必要以上に儲けたいというのはないですし、楽しくお店をやって、生きていけたらそれ以上望むことはないですね。》

もっと気張ってくれよと思わないでもないが、マイペースで続けて行ってもらえれば、われわれにとっても有り難いことではある。若手のみならずミドルエイジ古書店主として倉地直樹氏、ベテランとして山田恒夫氏へのインタヴューもあり、古書市場のレポートもあって、たしかに神戸の古本力を実感できる構成だ。

ほんまに日記
http://hiranomegane.blogspot.jp


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「続・神戸の古本力」というのは、小生と高橋輝次氏、北村知之氏の共編著『神戸の古本力』(みずのわ出版、二〇〇六年一二月一日、装幀=林哲夫)の続編という意味である。この本は小生がみずのわ出版で企画した本のなかでは売れ足の早かった一冊。ただし増刷はしなかった。よって貴重ですぞ。


『ほんまに』vol.16には小生も「パリ古本紀行 死骸の値段ーサンシュルピス青空古本市」というこのブログでもずっと紹介した記事をまとめ、もう少し詳しく細部を書き込んだ原稿を寄稿させてもらった。牛津先生こと中島俊郎氏は「欧州ぐるっとグルメ本1」でお得意の『ビートン夫人の家政書』を紹介しているし、話題の夏葉社島田氏の寄稿もある。かなり盛りだくさんでしかも散漫にならず、ちょうどいい具合に盛り合わせた丼物、思わずよだれをゴックンするような雑誌に仕上がっている。オススメです。




by sumus2013 | 2014-09-25 17:47 | 文筆=林哲夫 | Comments(2)

昨日も今日も古本さんぽ ありの文庫

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『日本古書通信』一〇二二号(日本古書通信社、二〇一四年九月一五日)、岡崎氏の連載「昨日も今日も古本さんぽ」第四十七回は「京都「ありの文庫」天国への階段はくたびれた」と題して先月十一日に小生が案内した「ありの文庫」について軽妙に書かれている。

《息切れしてたどりついた一室はこじんまりした白壁の空間で、本の量はそれほど多くはないが、よく選ばれた品揃えであるのはすぐわかる。ガロ系のマンガがあったり、現代詩の詩集もあったりで、なんだか同年輩の人の店のようだが、きりもりするのは若者の男性。友人の女性と五年前に始めたという。ちょうど「善行堂」「はんのき」「カライモブックス」が同じ時期のオープン。申し合わせたわけではないだろうに、おもしろい現象だ。》

地図の上部に描かれている二人は小生とありの文庫氏なり。

***

同じく連載の出久根達郎「本卦還りの本と卦」(90)は「牧羊犬」と題して村岡花子の話題。『赤毛のアン』のタイトルについて。原題はご存知の通り「Anne of Green Gables」。これは「緑の切妻屋根」という意味だが、要するにアンを養女に迎えるカスバート家の屋号である。

《村岡は、「窓に倚る少女」、あるいは「夢みる少女」などを考えていた。村岡の原稿を本にしてくれた三笠書房の社長が、「赤毛のアン」はどうだろう? と言ってきた。村岡は、「ゼッタイいやです」と即座に断った。
 そのいきさつを大学生の娘みどりに語ると、「赤毛のアンがいい。『窓に倚る少女』なんておかしい」と言った。そこで村岡は三笠書房主に謝まり、『赤毛のアン』に決定したという。

出久根氏は三笠書房主としか書いていないが、これは竹内道之助だろう。竹内については以前に触れたことがある。自らも翻訳を手がけていたこともあり、タイトルの命名にはこだわっていたようだ。

竹内道之助
http://sumus.exblog.jp/6521068

それにしてもオリジナル・タイトルでは「緑…」なのに邦訳では「赤…」になってしまう。これこそ、ある意味、翻訳の醍醐味か? 

ところで出久根氏は村岡以後の翻訳者が同じ『赤毛のアン』というタイトルを踏襲していることについて《商標権はあるが、書名権は無い》と書いておられる。そうだろうか。かつて『人間失格』を野島伸司が使ったときにクレームがついて『人間・失格』となったという前例がある。これを書名権が認められた例だと考えてもいいような気がする

『人間失格』(1994年、TBS系)は太宰治の『人間失格』と完全に一致していたため、放送開始前に太宰家の遺族から苦情申し入れがあり、結果、中黒を挿入し一文追加した『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』と改題された(『たとえばぼくが死んだら』は森田童子の曲名)》(ウィキ)

竹内のところで引用した『風と共に去りぬ』の例でも分るように、戦前においても既存の訳書がある場合にはそれと全く同じタイトルではマズいと翻訳者たちも考えていた。『赤毛のアン』の場合も訳者および出版社から許諾を得たと考えるのが自然ではないだろうか。

by sumus2013 | 2014-09-24 16:41 | 古書日録 | Comments(2)

さらば、松本八郎さん

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『sumus』7(二〇〇一年九月三〇日)裏表紙


松本八郎さんが亡くなられた。扉野良人氏より留守電が入っていたが、ばたばたしていたため聞いていなかった。今日、個展会場で岡崎氏のブログに書いてありましたと教えられた。松本さんの体調が思わしくないとは聞いていた。しかしまだ急なことではないだろうと希望的に思い込んでいた。今朝、それとも知らず、古本マルシェ用にとスムース文庫の『加能作次郎 三冊の遺著』(二〇〇五年九月一〇日)を会場へ持参したのも虫の知らせだったか……。(後日、九月十九日午前二時十一分に亡くなられたと中尾氏よりお教えいただいた)

上掲の『sumus』第七号には松本八郎さんへのインタビュー記事が掲載されている。小生と山本善行、扉野良人の三人で生い立ちから学生時代、独立するまでの疾風怒濤時代、そして少々自慢の稀覯本についてうかがった。まるで昨日のことのようだ。二〇〇一年六月二五日の日記を引用する。

《9:10の電車で町中へ。10:00少し前に京都ホテル1Fロビー着。松本氏待っていてくれる。そこへ扉野君来る。15分ほどおくれて山本氏。湯川書房に電話してみたが、さすがにまだ出ていないようなので、結局、山本氏宅へ直行することに。タクシーで1280円。松本氏あらかじめ送ってあった宅急便から「エディトリアルデザイン事始」を取り出し三人にくれる。他に中村屋の月餅のおみやげ。こちらは妻の買ってきた黒七味(一子相伝!)と、細川書店の伊藤整「典子の生きかた」をさしあげる。ちょうどどこか目録でハズレたところだったそうでよろこんでもらえる。扉野君には6号20冊と深尾須磨子詩集(一條書房)、「水平の人」。山本氏には文庫大全用の山本文庫原画、「水平の人」。松本さんの少年時代からの話をうかがう。途中13:00ころにおめんで昼食、午後は松本さんの少々自慢としてダヴズプレスの失楽園、FAUST、ヴァンデヴェルデ装本のECCE HOMO(ニーチェ、インゼル)などを見ながら、あれこれ。16:30ころまで。タクシーで三条河原町まで、山本氏は、もう出ているという岡崎さんのチーズとバターを論じた(初版8千部、発行前に1万部増刷が決定したとのこと!)データハウスの本を探しに。四条で、扉野氏と林は下車、松本氏は京都駅まで行って神戸へ向かう。(戸田氏、須川氏と会うそうだ)》

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山本宅の玄関までのアプローチにて(2001)


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2003年2月23日、明倫小学校の談話室にて。
小野高裕氏がドイツで買い求められた
プライベート・プレスの出版物を見せてもらう集り。
参加者はそれぞれ自慢の一冊を持参することになっていた。


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松本さんの自宅書庫。
ゆうパックの段ボール箱が本の収蔵にピッタリだ
とおっしゃってずらりと並べておられた。
松本さんらしいなあと感嘆したことを覚えている。
この書斎が灰と化してしまったというのは何とも残念でならない。
2003年11月18日にお邪魔した。

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2001年11月28日、高田馬場「ねぎし」にて


《[河上進氏とともに]16:15くらいにEDIへ。松本さん「游牧記」4冊を石神井さんより7万円で買ったといって机の上において待っている。若くして死んだ詩人平井功の編集、遺作の第二詩集コピーを出版する資料として購入したというが、なかなか状態のいいもので松本さんコーフン気味。その他中戸川吉二研究者のコピー原稿などをさかなに談論。岡崎氏より直接ねぎしへ向かうという電話。妻より確認の電話。ひぐらしで買った青磁社の本を差し上げる。松本竣介展(神奈川近美、1991)の図録と「少々自慢〜」を一冊もらう。他にEDI叢書の山下三郎も。

17:30に事務所を出てタクシーで高田馬場へ。白夜書房のビルがあり、今はパチンコ本で売っているとのこと。松本さんところへもパチンコ雑誌の編集の話が来たが、ことわったことなど。車中の話。稲門ビルの前で降りたらちょうど妻が来たところだった。階上のねぎしへ。しばらくして岡崎氏来る。塩タン、大根サラダ、ミニピリカラギョーザ、オックステール、コロッケ、むぎめし、とろろ、生ビール。

席上はほとんど松本さんの独演会。パリへ行った話、アメリカへ留学した息子の話、ムサビ助手時代の話。村上龍、長谷川集平がいたころなので当然、妻がいたとき。村上龍の強制退学に挙手したこと。村上、長谷川、と妻の退学者の名前が貼り出されていたと妻。長谷川堯さんを呼んで学生たちの東京建築案内をたのんだこと。単にファンだったからたのんだそうだ。などなど。21:00ころまで。5人で1万4千円で松本さんが1万円払ってくれる。ねぎしはずっとすいていたが20:00をすぎると少し混み出した。ねぎしの入口で写真とる。解散。》


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一九九八年の七月、松本さんが須川バインダリーを訪ねたときにご一緒させてもらった。このとき、扉野良人氏が見つけた(たしか二百円で)加能作次郎の稀覯本『處女時代』を松本さんに自分が見つけたような顔をして渡し、大いに喜んでもらったのが忘れられない。EDIアルヒーフの「大田英茂」をもらったが、亀山巌が欲しかったんですけど…ともらしたら、後日すぐに送ってくれた。そのとき挟まれていた礼状。

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一九九九年六月の日記を引用する。このとき小生は銀座の空想ガレリアで個展をさせてもらっていた。洲之内徹の現代画廊にいた肥後静江さんの画廊である。六月一日。

《松本八郎さん来廊。保昌正夫さんの「滝井孝作抄」というEDIの新刊と、ムサビ時代の同級生(?)の方の作品集をいただく。いずれもピシッとした装本になっている。兵庫県の製本師の人にたのんでいて、東京ではもうできないし、できても高くつくとのこと。こんど文芸文庫にも入らないような作家の作品を集めて叢書化するという企画を進行中で、まず加能作次郎集(保昌さん解説)を出す、他に紅野敏郎氏の編も考えており、ついてはもっと若い人にも編、年譜、解説をと思っているが、文学研究者は読んでもちっとも面白くない、AREの3K特集みたいなのがいい、という話になって、林さんの方で、どなたかやってもらえませんかと来た。それなら今度sumusを創刊しますから、そのグループで相談してやってみましょうということになる。滞在中、一度、面影橋のEDI事務所をたずねてみることにする。》

そして六月八日の午前中にEDI事務所を訪ねた。豪華なのにビックリ。

《[地下鉄]早稲田で下車、穴八幡のところで岡崎さんを待つ。10:00合流。面影橋のパストラルハイムへ。10分少々の歩き。豪華マンション、段々畑式にすその方が平たくつくってある。601のEDIへ。松本八郎氏の事務所。出版物「結城信一と清宮質文」他いくつかいただく。DOVES PRESS のFAUST(並装、ベラム)とPRADISE LOST(生田耕作氏旧蔵)を見せてもらう。新しい叢書の企画書コピーもらう。リリオムのコピーさしあげる。日本全国の国鉄の駅について調べ上げた2巻本(JTB)を見せてもらう。庄司浅水さんと親しかったことをうかがう。11:30ころ退出。岡崎氏は早稲田古本街をまわるというので別れて銀座へ。》


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二〇〇〇年の四月には梅田でお会いした。四月二三日の日記を引用する。『sumus』第三号から松本さんは同人となる。

《15:48分の電車で梅田へ。梁山泊の100円均一でいくつか掘り出す。17:20ころ、加藤京文堂の前で松本さんと会う。しばらくして戸田勝久氏、小野氏と合流。阪急17番街のビル5Fにあるギャラリーアクシズへ。戸田さん、以前個展したことがあり、加藤京文堂の息子さん加藤雄三氏の経営で、紹介される。そこの画廊の女性に教えてもらったイタリアンレストランへ。日ようなのでほとんど閉っていたが、ここだけ開いて、3000円のコースとグラスワインを注文。松本氏には柳原氏の本を差し上げる。松本氏三人に浦安の海苔持参。戸田氏はウィーンの古本屋で買ったジャムの絵本、空中線書局のパンフレット、など出す。さまざまな本の話、印刷の話、小野氏はプラトン社についていろいろ。デザートはなかったので、場所を近くの喫茶店へ移して1時間ほど。エリック・ギルの話題など。凸版印刷の博物館に松本氏はかかわっているそうだ。21:30ころに解散する。》

ああ、この日のことはよく覚えている。阪急梅田駅のエスカレータを降りたところの飲食街の情景がみょうに暗く侘しかった印象だった。なるほど、それは日曜で休んでいた店が多かったせいだったのだ。よくも本の話ばかりを何時間も続けられたものだが、それでもまだ話足りないような気持ちのたかぶりがあった。松本さんの書物と文学への情熱はとにかく熱かった。




by sumus2013 | 2014-09-23 22:10 | 古書日録 | Comments(8)