林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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<   2014年 08月 ( 33 )   > この月の画像一覧

古本屋創刊号

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ヨゾラ舎さんに「『ちくま』の連載は本にならないんですか?」と尋ねられた。「ならないんです」と即答(筑摩書房さんにはきっぱり断られました)。

林「今はもう古本の本はどこも出してくれないですよ」
ヨ「でも、古本屋の本は出てますよね」
林「古本屋の本、そんなに出てますか?」
ヨ「『那覇の市場で古本屋』(ボーダーインク、二〇一三年)とか、ほら『西荻窪の古本屋さん 音羽館の日々と仕事』(本の雑誌社、二〇一三年)だとか」
林「そうか、そうですね、『わたしの小さな古本屋~倉敷「蟲文庫」に流れるやさしい時間』(洋泉社、二〇一二年)もありました。内堀さんの『古本の時間』(晶文社、二〇一三年)も」
ヨ「最近『荒野の古本屋』(晶文社、二〇一四年)というのも出たそうですよ」
林「へえ、知らなかったなあ」

『荒野の古本屋』は森岡書店主の著書で晶文社の「就職しないで生きるには」シリーズの21だ。晶文社いいところ狙って復活している。

とそんな話をして、ヨゾラ舎さんの棚から求めたのがこの『古本屋』創刊号(青木書店、一九八六年一月)。冒頭「発刊のことば」にこう書かれている。

《評論家、研究者、好事家主導の「古本雑誌」で古本屋不在は当分続くものと思われる。
 何故、古本屋は沈黙を守っているのだろうか。しょせん小売業者の客に対する配慮なのか、又は外部の人々の一知半解を黙殺しているのか、或は業者の不勉強と怠慢がなせるわざなのか。》

《今、「古本屋」を発刊する心情には、屋上屋を架し、業者の独善を示す意は毛頭なく、古本屋を含めたあらゆる人々に、因襲を温故に、改革を知新と意図して投じた一石に外ならない。》

と少々悲壮な決意が語られているのが今となっては意外なくらいである。『古本屋』創刊号からおよそ二十年後、二〇〇五年には「古本屋の書いた本」と題した展覧会が東京古書会館二階で開催され目録も作られている。きっとこの間に大きく時代は変わったのだろう。

それはそうと、この表紙には献呈の署名がある(たぶん筆ペン)。

《今木敏次様 蒐文洞生》

蒐文洞は尾上蒐文洞である。この情熱的な人物については青木氏の著書『古本屋奇人伝』にかなり詳しく語られている。

青木正美『古本屋奇人伝』
http://sumus.exblog.jp/18314876/

今木敏次が誰なのかとっさに思いつかなかった。検索してみると古書さろん天地の主人で『紙魚放光 尾上蒐文洞古希記念』(詠品会/南柯書局・製作、一九八一年)にも今木は「経典絵巻考」を寄せている。谷沢永一と親しかったようで谷沢には「交遊、五十五年」という今木追悼文がある。

『古本屋』創刊号に出久根達郎が「目録殺し」という文章を寄稿しているのでざっと目を通した。内容はともかく筆の達者なことはあらためて強調するまでもないが、出久根氏は自ら作っていた長文の解説付きの目録、その失敗についてこのように述べている。

《古本あさりの楽しみは、ひとつに、「自分だけしか知らない」本を掘り出す快感を味わうことである。》

《万人が認めるところの名著に真の名著はない、と断言する時点から熱心な古本屋まわりの客となる。こういう客はないものねだりのへそ曲りが多く、だからこそ掘りだしものに血まなこになるわけである。あるじの講釈に釣られて本をあがなうほど自分は藤四郎じゃない、ーーといわば目録の賑やかなお節介が客の自尊心をいたく傷つけたのに違いない。》

《客より優位に立ってはならぬ。少なくとも表向きはそう見せねばならぬ。本の講釈は本来客がすべきなのであって、古本屋が客の位置に坐ってはまずいのである。》

こういう古本者の意識が絶対にないとは言えない。ただ古本屋が客より知識が豊富というのはどうなのか。古書通には恐ろしい人がたくさんいる。そういう客にもまれて古本屋も賢くなるのじゃないのか。ただし最後にこう書かれているのには全面的に同感だ。

《くだくだしい本の説明なぞ、そんなもの一切必要ないのであった。なぜなら、一等最後に記した、その本の「売価」こそが、その本の「解説」なのであるから。「売価」こそはあるじの知識の結晶であり、あるじの思想の吐露なのである。》

むろん、昨今の次々出ている古本屋の本はそんな古本ウンチクや熱い競争意識とはあまり関わりのないものかもしれない。もっと身近な等身大の内容になっているような気がする。善くも悪くも。




by sumus2013 | 2014-08-31 20:32 | 古書日録 | Comments(0)

ウプサラ、ピポー叢書の夢

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金澤一志さんの「bulletin」新作が届いた。『ウプサラ、ピポー叢書の夢』(JAGON BOOOKS、二〇一四年八月)。またまた新たな形象詩の実験が行われている。前半に掲載されているのは、みそひともじ(三十一文字)ならぬ「むそふたもじ」(六十二文字、正確には五十文字の列に漢字が含まれるので音数で言えばもう少し多いものもあります)にはちょっと驚かされた。これくらいの文字数でもそこはかとなく短歌の味わいを残しているところが腕の見せ所なのかもしれない。

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巻中に挿入された写真もスタイリッシュ。レイアウトも決まっている。下は裏表紙。金澤氏が百窓市に出品されていた洋書の品揃えを思い出しながら、そのデザインセンスの源泉の豊かさについて考えた。

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金澤一志『毛むくじゃらのナナ』

by sumus2013 | 2014-08-31 17:33 | おすすめ本棚 | Comments(0)

かんたん四方帙

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豪雨は京都でも深刻だった。わが家は大丈夫だったものの、以前にも書いたように桂川からそう離れているわけではないため、備えだけはしておきたいと、一階に置いてある個人的に大事な本を二階へ移動させたり、ビニールで梱包したり。ついでにユニテに出品してもいいと思うものを選り分けながら。

そうすると、こういう函に入った本が何冊か見つかった。すっかり忘れていたが、昔、製本講座をかじったときに、この簡易的な四方帙の作り方を教わって、帰宅してから嬉しげに何冊分かの帙を作ったことがある。たしかにこれは保護という点ではなかなかいい方法だと思う。

あまり几帳面な方ではないため、雑な作りになっているが、参考までに構造が分るように写真を撮ってみた。

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要するに長方形のしっかりした紙(この場合は洋菓子箱を解体したもの)二枚を十字の形に張り合わす(両面テープでよし)だけ。それぞれ本の寸法に合うように計測して折り目を付けておかなければならないけれども、そこだけ丁寧に(紙の厚みも計算に入れておくこと)やっておけば簡単にできる。

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両面テープは紙の交差した部分(本の本体寸法に相当)のタテに二本(最後の写真では左右方向になる)、折り返し部分の差し込みのある方は邪魔にならないようにやや中心寄りに貼って接着させればよし。この例では白い紙の折り返しの長さが違うが、とくに意味はなく、同じ長さで問題ないと思う。

***

買物のついでにアスタルテ書房へ寄る。まだ休業がつづいている。少し心配だ。久しぶりにヨゾラ舎さんへ。CDがすっかり充実して、ジミヘンのフィギュアなども陳列されている(もちろん売り物です)。ヨゾラ舎さん、善行堂以上に話好きでいろいろな話題で楽しい時間を過ごす。トートバッグを作られたそうだ。




by sumus2013 | 2014-08-30 21:05 | 古書日録 | Comments(0)

華洲と瓢水

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夜の気温が下がってはっきりと秋らしい空気を感じる。ということで多少早いがお月見の短冊を出してみた。署名も印章もともに「華洲」。もし船川華洲だとすれば円山派の画家で山本春挙の弟子、京都の人。

と、これ一枚では寂しいのでもう一枚。こちらは瓢水とあるが、おそらく瀧瓢水(たきのひょうすい)であろう。kotobankによればこのような人物である。

生年: 貞享1 (1684)
 没年: 宝暦12.5.17(1762.7.8)
江戸中期の俳人。通称は,叶屋新之丞のち新右衛門。別号は富春斎,一鷹舎,剃髪して自得。播磨国別府(兵庫県加古川市)の富裕な船問屋。一代で没落させた。俳諧においては,小西来山系の前句付作者として出発,のち松木淡々に師事。おおむね郷里を中心として,雑俳点者の地歩を固めていった。『続俳家奇人談』は,「俳事に金銀を擲ちて後まづしかりしも,心にかけぬ大丈夫」と,その人品を伝える。『五百韻』『播磨拾遺』など,編著は多い。画事もよくしたという。<参考文献>長谷川武雄『俳人滝瓢水』 (楠元六男)

『近世畸人伝』ではその人柄をこのように描いている。

播磨加古郡別府村の人、滝野新之丞、剃髪して自得といふ。富春斎瓢水は俳諧に称ふる所なり。千石船七艘もてるほどの豪富なれども、遊蕩のために費しけらし。後は貧窶になりぬ。生得無我にして酒落なれば笑話多し。酒井侯初メて姫路へ封を移したまへる比、瓢水が風流を聞し召て、領地を巡覧のついで其宅に駕をとゞめ給ふに、夜に及びて瓢水が行方ヘしられず。不興にて帰城したまふ後、二三日を経てかへりしかば、いかにととふに、其夜、月ことに明らかなりし故、須磨の眺めゆかしくて、何心もなく至りしといへり。又近村の小川の橋を渡るとて踏はづし落たるを、其あたりの農父、もとより見知リたれば、おどろきて立より引あげんとせしに、川の中に居ながら懐の餅を喰ひて有しとなん。京に在し日、其貧を憐みて、如流といへる画匠初、橘や源介といふ。 数十張の画をあたへて、是に発句を題して人に配り給はゞ、許多の利を得給んと教しかば、大によろこび懐にして去りしが、他日あひて先の画はいかゞし給ひしととふに、されば持かへりし道いづこにか落せしといひて、如流がために面なしと思へる気色もなし。所行、大むね此類なり。はいかいは上手なりけらし。おのれが聞ところ風韻あるもの少し挙。》(滝野瓢水

上記文のあとに代表作とされる俳句もいくつか引用されている。

 消し炭も柚味噌に付て膳のうへ

 手に取ルなやはり野に置蓮華草

 さればとて石にふとんも着せられず

 有と見て無は常なり水の月

 ほろほろと雨そふ須磨の蚊遣哉

もうひとつ、別のサイトで引用されていたものを。

 浜までは海女も蓑着る時雨かな


禅のディアレクティックか。悪くない。「石にふとんも着せられず」は耳にしたことのあるフレーズだ。

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ということで、これが読めないのだが、例によって読めるところまで読んでおくので、読者の皆様、ご教示よろしく。

 在竹老人を
 いたみて

 娑婆はみな別れてまさる[?]かな  瓢水

【ご教示いただきました。「?」のところ、漢字「寒」ではないかと。たしかにそうですね、季題にもなりますし、寒(さむさ)で決まりです】

瀧家の探墓を行っているブログもあった。石にふとんも着せられず」の「石」を見つけ出した。これは興味深い。

滝瓢水研究①

by sumus2013 | 2014-08-29 21:19 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

変わり栞

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雨模様の一日、ごそごそと探し物をしていたところ、栞を溜め込んでおいた小箱が現れた。玉手箱かパンドラの箱か、とにかく「開けてはいけない!」と思いつつ、フタを開いたのが運のつき。手に取りはじめるとキリがなく、結局は全部ひっくり返して見直すことになった。栞は本当に様々なデザインと材質があり、それによって時代の鏡ともなっているようだ。

善し悪しは別にして、オオッと思ったのが上の二枚。魚型は桜の樹皮とコルクを張り合わせたもの。こけし型の方は津軽こけし館「純金のこけし」。これはまさか金ではないと思うが、それにしても何という趣味だろう。

《純金こけしは、市民が応募したアイディアに基づき、ふるさと創生資金1億円で制作され5年後には換金し、「まちづくり市民財団」の基金として、人材の育成などを図る予定です。》

と書かれている(ふるさと創生資金は竹下内閣のもと一九八八〜八九年にかけて全国各市区町村にばらまかれた)。原形は盛秀太郎。津軽随一のこけし作りだ。《5年後には換金》としてあるけれども、純金こけしは現在も健在のようで、お友達の純銀こけしも隣に並んで展示されているらしい。本日の金地金の買取価格はグラム当たり4300円前後、ということは二十五年前に1億円だったこの純金こけしは目下2億5千万円くらいにはなっている。

他に古そうな栞をいくつか。立川書店の『熟語正解漢和大辭典』は一九三四年一月発行。チャーチルの『第二位世界大戦回顧録』は毎日新聞社が一九四九年に発行開始しているので《明春三月発売》を信じれば一九四八年のもの。銀座一丁目六の銀座書店については不詳。

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続いてもう少し新しいところを三枚ほど。サガンの『悲しみよこんにちは』(Bonjour Tristesse)は一九五七年映画化。タカラミシンは《宝島上映記念》と記されている。この「宝島」はおそらくディズニー映画だろう。ならば一九五〇年公開(日本は翌年)。

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左の青森の栞はカレンダー付き。一月一日が土曜日で二月が二十八日、というのはこの栞の雰囲気からして一九八三年(昭和五十八)ではないかと思う。


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まだまだいくらでもあるが、ひとまず最後はご当地京都嵐山。写真の写が旧漢字なので昭和三十年代だろうかとも思うが、はっきりしない。

発見(というか再発見)は以前(十三年前です)大貫伸樹さんからちょうだいしたファックス。栞といっしょに保存されていた。それによれば大貫さんが所蔵しておられる最古の栞は(むろんその当時ということですが)明治四十四年の『辞林』の「志を里」だそうだ。与謝野晶子・山川登美子らの『恋衣』に挟まれていたという。







by sumus2013 | 2014-08-28 21:52 | 古書日録 | Comments(0)

額縁作り


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いつものことながら新作油絵には額縁を用意しなければならない。個展まであと二週間になったので、絵もまだ仕上げていないものもあるのだが、とにかく額がないと話にならない。この仮額縁は展示のためだけでなく安全に運搬するためにも必要なのである。

これまでも紹介してきたように、シナベニヤの裏板に角材を貼付けて箱状にするだけ、じつにシンプルな構造。しかも、あんがい堅牢である。

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塗りはジェッソという下塗り用の水性塗料を使用する。白、赤、黒と三層に塗り重ねる。時間が許せば黒の上にもう一層、今度は油絵具を塗る。色はブラックを基調にして茶系の色を少し混ぜてニュアンスを出す。ただし油絵具はとりあえずの乾燥に一週間はみておく必要があるので時間的に切迫していると水性塗料だけで仕上げざるを得なくなる。他にはテンペラ絵具を使うこともある。これはいい風合いが出るが、卵と乾性油で溶剤を作るのが多少面倒なので、最近はもっぱらジェッソ+油絵具という組み合わせにしている。油絵具の代わりにニスを塗るのも速乾性という点ではいいのだが、やや安っぽくなってしまうようだ。実際安っぽい作りではあるにしてもそこは手作りの良さが出て欲しいというわけである。

daily-sumus では何度も紹介しているので参照。

まず、テンペラの溶液をつくる

額縁製作

ウンチク流仮額縁の製作手順

by sumus2013 | 2014-08-27 20:13 | 画家=林哲夫 | Comments(2)

フライド・グリーン・トマト

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【ほんのシネマ】
昨日のカポーティからの連想で南部の暮らしをコミカルかつリアルに描いた佳作「フライド・グリーン・トマト」(Fried Green Tomatoes、ジョン・アヴネット、1991)を思い出した。

老人施設に暮らすジェシカ・タンディの昔話に倦怠期の妻キャシー・ベイツが引き込まれて行くという筋立て。アラバマの小さな町で暮らす少女イジーはちょっと変った子どもだった。最愛の兄を事故で亡くし、その恋人だったルースと友情を結ぶ。ところがルースはとんでもない男と結婚してしまう……。

結局はその暴力夫からイジーがルースを引き離して二人は差別のない食堂「ホイッスル・ストップ・カフェ」を経営し始める。そこへひつこく現れていた元夫が突然姿を消してしまう。何年かが経ち、洪水の後で男の車が河の底から現れ、殺人容疑がイジーにかけられる。

上は裁判のシーン。牧師が証言に立つ場面。裁判所の聖書ではなく自分がいつも使っている聖書に宣誓させてくれと頼んでいるところ。そして牧師はイジーの無実を保証する。当時、南部で牧師の地位は非常に高かったことが分るのだが、元々証拠不十分なところにもってきて牧師の証言があったためイジーは無罪となる。

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裁判が終わった後、ルース(左=メアリー=ルイーズ・パーカー)とイジー(メアリー・スチュアート・マスターソン)の会話。牧師はさすがに聖書に誓って偽証することはできないので『白鯨』を聖書と見せて使ったのだ。『白鯨』は実際に主人公の名前やエピソードからして聖書の内容がちりばめられている。ほとんど聖書に匹敵する本だった(?)。

原作はファニー・フラッグ(1944-)の小説『Fried Green Tomatoes at the Whistle Stop Cafe』(1988)。ファニーは女優であり、七〇年代にはTVのゲーム番組のパネリストとして知られた女性。テレビや映画にも脇役でいろいろと出演している。難読症(dyslexia)を克服して小説を書き続けているそうだ。この映画の脚本でアカデミー賞脚本賞にノミネートされた。アラバマ州バーミンガムの生まれ。






by sumus2013 | 2014-08-26 20:29 | 古書日録 | Comments(2)

誕生日の子どもたち

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トルーマン・カポーティ『誕生日の子どもたち』(文藝春秋、二〇〇二年五月一五日、装丁=坂川栄治+藤田知子)。

春頃、カポーティについて何か書いて欲しいという原稿依頼を受けた。そのときにはカポーティと聞いてすぐに思い出すのがアンリ・カルチェ=ブレッソンの撮ったポートレートだけという始末で『アラバマ物語』も『冷血』も読んでいないし、ただ『ティファニーで朝食を』は出だし三頁くらいは英語で読んでいたが、無知もはなはだしかった。ということで結局、依頼は断らざるを得なかった。

そのブレッソンの写真はこちら。ニューオリンズ、一九四七年。カポーティ二十三歳。『遠い声 遠い部屋』を出版し天才作家出現として騒がれたころだ。いい面構えをしている。この顔がずっと印象に残っていた。

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ところが、依頼を断った次の日か、あるいは数日以内だったと思うが、本書『誕生日の子どもたち』を百円均一の箱のなかで見つけたのだ。これはいい機会だと思って買わせてもらって、もう一軒回ったところ、そこでは『おじいさんの思い出』(文藝春秋、一九八八年)が二百円だった。あ、そうか、この本は持っていた。持っていただけではなく、たしか読んだ記憶がある。当時、これがカポーティだという意識はまったくなかったのだ。というような次第で『誕生日の子どもたち』を読み始めたら、これが面白い。どう面白いかは読んでのお楽しみ、訳者村上春樹の語り口が心地よいというのもひとつあるだろう。村上の解説にはこうある。

《そこに描かれたイノセンス=無垢さはある場合には純粋で強く美しく、同時にきわめて脆く傷つきやすく、またある場合には毒を含んで残酷である。誰もが多かれ少なかれ、人生の出だしの時期にそのような過程をくぐり抜けてくるわけだが、中には僅かではあるけれど、成人して歳を重ねてもその無垢なる世界をほとんど手つかずのまま抱え込んでいる人もいる。トルーマン・カポーティはまさにそういうタイプの人であり、作家であった。》

高校時代、村上春樹は本書に収められている「無頭の鷹」に出会った。

《その文章の比類のない美しさに打たれて、すぐにペーパーバックを買ってきて全文を読んだ。それからしばらくのあいだ熱病にかかったみたいにカポーティの文章を英語で読み漁ったことを記憶している。そういう意味では『無頭の鷹』は僕にとって特別な意味を持った作品であると言ってもいいだろう。ほぼ十年ぶりに読み返してみても、古いと感じるところはひとつもなかった。

絶賛である。たしかに、本書に選ばれている短篇のなかでは最も仕上がった「作品」になっている。とくに前半はよく書けている。街の描写が見事。ただし、後半、幻覚のようなシーンが連続して終焉へ向かうのはいただけない。映画的とも言えるかもしれないし、こういうのが好きな人にはいいかもしれないが、この終わらせ方ではせっかくの前半が台無しだ。ただ村上春樹がこの作品を偏愛するというのはよく分る。無頭の鷹』の両義性は村上春樹の創作に直結するだろう。

アメリカ南部の食べ物がいろいろと出てくるのが興味深い。「感謝祭の客」から驚くべき朝食。

《朝食はきっかり五時半に用意され、量は常に食べきれないくらいたっぷりあった。今でも僕は、あの未明の豪勢な料理のことを思うと、ノスタルジックな食欲を身のうちに感じることになる。ハム、フライド・チキン、フライド・ポークチョップ、なまずのフライ、リスのフライ(季節が限定される)、目玉焼き、グレイヴィー・ソースをかけたとうもろこしのグリッツ、ササゲ、煮汁を添えたコラード、それをはさんで食べるコーンブレッド、丸パン、パウンドケーキ、糖蜜つきパンケーキ、巣に入ったままの蜜蜂、自家製のジャムとゼリー、甘いミルク、バターミルク、チコリの香りのする地獄みたいに熱々のコーヒー。》

もちろんこれらは農場で働く十五人くらいの人達の朝食である、念のため。チコリー・コーヒーは南部の名物。「クリスマスの思い出」にも出てくる。

《クイーニーはコーヒーを入れた鉢にスプーンと一杯分のウィスキーを入れてもらう(クイーニーはチコリの匂いのする強いコーヒーが好きなのだ)。》

「感謝祭の客」には感謝祭のパーティのごちそうが並べたてられている描写がある。ホストは詰め物をした七面鳥を充分な数だけ用意する。来客がいろいろな料理を持って来るのだ。透き通ったオレンジのスライスとすりつぶしたココナッツを一緒にした果物のデザート、レーズン入りのスイートポテト、瓶詰めの色とりどりな野菜、冷たいバナナ・プディング……。

「クリスマスの思い出」のフルーツケーキもじつにうまそうだ。ピーカンを集めるところがいい。

《十一月のある朝がやってくる。すると僕の親友は高らかにこう告げる。「フルーツケーキの季節が来たよ! 私たちの荷車を持ってきておくれよ。私の帽子も捜しておくれ」と。》

《僕らはふたりで専用の荷車(実はおんぼろのうばぐるま)を引っ張って、庭に出て、ピーカンの果樹園まで行く。その荷車は僕のものだ。つまり、それは僕が生まれたときに買われたものだ。》

《三時間後に僕らは台所に戻って、荷車いっぱい集めたピーカンを剥いている。自然に風で落とされたものに限られているから、それだけの数を集めるのはけっこう大変だ。背中がずきずき痛む。葉っぱの下に隠されたり、霜のおりた草の陰に埋もれたピーカンの実を捜すのは簡単ではない。おおかたの実はとっくに枝から振るい落とされて、果樹園の持ち主の手で売り払われていた(要するに、僕らはそこの持ち主ではないのだ)。カチイイイン! 殻の割れる気持ちのいい音が、小ぶりの雷鳴のようにあたりに響きわたる。甘くて脂分を含んだ象牙色の果肉のまばゆい山が、乳白ガラスの鉢に盛り上げられていく。》

ピーカンはペカンとも。発音はさまざまのようだ。

The pecan (/pɪˈkɑːn/, /pɪˈkæn/, /ˈpiːkæn/, or /ˈpiːkɑːn/)




by sumus2013 | 2014-08-25 20:45 | 古書日録 | Comments(2)

パリ改造計画

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『BRUTUS』第五巻第十九号(マガジンハウス、一九八四年一〇月一五日、表紙タイトル/デザイン=堀内誠一、写真=田原桂一)。パリの裏・表を取材した、おそらくこれ以前にはほとんどなかった(戦前いろいろ出ていたパリ裏面本以来?)リアルなパリ案内になっているようだ。

冒頭の言葉はガタリ。シラク市長によるパリの再開発をパリ破壊だと糾弾している。

《アーティストや知識人とはまったく違う人々、アウトサイダーはこの情況を楽しんでいるのだろうか? ちょっとした空間さえあれば、それを開かれたものにしてしまう彼らの力、それさえもうおしまいだ。レ・アールがまだ巨大な穴ぼこだった頃には、あの穴の中に素晴らしい文化活動があった。その穴も、ガラスとアルミの建物で塞がれてしまった。
 最悪なのは、犬の糞を処理するために登場したオートバイ・ロボット人間だ。まるでSF映画。清潔さと安全、というやつだ。
 こんな愚かさとは無縁に生きているように見える移民労働者たち。彼らの植民地的地区、例えば黒人街には希望が見えているのか。これさえいつまで残るかわからない。犬の糞を洗い流すように、移民も洗い流されようとしているのが現実だ。》

そして最後に権力の手が及ばずに残っているのは地下世界だけだと続ける。パリの地下には300kmもの地下道、カタコンブ(地下墓地)が眠っており、今でもカタフィルと呼ばれる地下墓地マニアが暗黒の都会を求めて骸骨の間をさまよっているらしい、と書き、こう締めくくる。

《国家権力の都市パリ、古くなって活動を停止した「機械」パリ。パリはもう死んでいるのだ。死者たちの迷路から何が生まれてくるのか、私にはわからない。》

ガタリのここで述べていることは半分当たっているようで、半分は的外れではないだろうか。パリは三十年を経て国家の規制にもかかわらずますます異邦人たちの街となっているように思うし。下はこの雑誌に掲載されているパリ市内の移民たちの居住区域を示す略地図。

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ポルノとゲイカルチャーもかなり熱心に紹介されている。当時売り出し中だったアーティストたちも何人か紹介されており、ジャン・ピエール・レイノー(白タイルみたいな作品で知られる)も出ているが、たぶんピエール・エ・ジルが最もビッグになったデュオだろう。当たり前ながら二人がめちゃ若いのに驚く。

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個人的にはジャン・シャルル・ブレという画家が思い出深い。

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この雑誌発行より七年後になるが、一九九一年に銀座の佐谷画廊でブレの個展を見るチャンスがあって、それはかなり印象的な作品群だった。探してみるとその案内葉書を保存してあったのでここに掲げておく。

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もうひとつ美術関係で伊東順二(ウィキで経歴を見ると一九八〇年に早稲田の修士課程修了、パリ大学などで政府給費留学生として学んで、八三年に帰国している)が『art press』というカトリーヌ・ミレーの編集する美術雑誌を紹介していた。ミレーがフランスでのニュー・ペインティング紹介に影響力をもったこと(「バロック・81」展)、西武美術館でのフランス現代美術展の企画をしていることについてなど。

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彼女の経歴をネットで調べるとウィキに写真も載っていた。

Catherine Millet
http://fr.wikipedia.org/wiki/Catherine_Millet

二〇〇一年に『La Vie sexuelle de Catherine M.』(Seuil, 2001)という自伝を発表してなんと二〇〇五年末までに二百五十万部以上を売ったそうだ。


by sumus2013 | 2014-08-23 22:14 | 古書日録 | Comments(0)

気ままなる旅

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司修『気ままなる旅 装丁紀行』(筑摩書房、一九八六年年一一月二〇日、装丁=中島かほる)。装幀は中島かほるながら、カバーおよび表紙、扉の画、そして挿絵は司修の作品。

副題にもあるように司が自作装幀本にまつわる取材話などを『静岡新聞』に連載し、そこに書き下ろしを加えて一冊にまとめたもの。

《本の装丁を、生活のカテとして始めてから、かれこれ二十年になる。絵を描いているだけでは生活できないので、小説や童話の挿絵を描いていたが、そのことがきっかけで装丁をするようになった。一時途絶えていた読書が始まったのも時を同じくしている。
 そのころはまだ、絵かきが挿絵を描くということは、技術上、また精神衛生上好ましくない、とされていた。挿絵を描いている絵かきは、陰で軽蔑され、有名であればなお、その画家の描く「純画」(純粋絵画を勝手に略したのだが、実際にはない言葉である。こうすると、純粋がもろくも崩れているように見える)は悪くいわれた。》

《ぼくは新前だったからいいことにされ、挿絵画家をさげすむのを横で聞くことが多々あった。お前も早くやめないとこういうことになるぞ、といわんばかりだった。そういう人たちは、家作があったり、学校の先生をしたり、家が良かったりして、生活に困ることのない人たちであった。ぼくは、娘が生まれたばかりで、職もなく、売れない絵を描いているだけでは飢え死にしてしまうので、何といわれても挿絵をやらなければならなかった。家でできる仕事で、金銭的にも割りがいい挿絵は、売れない絵画製造者にはもってこいだった。ぼくは、挿絵を描く自分を、ぼくという絵かきのスポンサーにして、売らなくてもいい絵を描き続けようと思った。どうせ悪口をいわれるのだから、逆手をとって文学的な絵を描いてやれ、と思ったのだ。》

《挿絵がイラストと言われ、カッコよく迎えられ、「純画」がその分野も取り入れるようになった。イラストレーターは若者の目ざすところとなった。
 そうなってくるとまた、ぼくはヘソを曲げて、挿絵は描きたくなくなって、ついにはやらなくなってしまったが、装丁はいまだ続けている。装丁といっても、ぼくのは数をこなしているだけで、その専門的な理屈や技法はなく、始まりと何ら変らない。つまりいまだ素人に毛が生えたようなものである。ただ、本の中にのめり込んでいき、行く必要があれば、書かれてある場所へ行き、時間さえあればじっくりとその場所で付き合っていたくなる本来の性格があって、相手(編集者)が許してくれると、いつまでも本にならないということにもなる。》

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カバーの裏表紙側から折り返しにかけて。こういう細工は嫌いじゃない。

司修その人の装幀本もなかなかいいものが多い。自身も自覚しているように絵描きの装幀だから、そんなに凝ったレイアウトではないが、絵の強さというか、シュルレアリスムをベースにした作風はたしかに文学的と言えるもので、他の画家あるいは装幀作家にないインパクトを備えている。女性の顔もよく描くが、それがちょっと甘ったるくて、しかしギリギリ節度を保っている。

下は司修装幀になる大江健三郎の『同時代ゲーム』(新潮社、一九七九年)。大江健三郎作品の多くを手がけている。

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『気ままなる旅』と比較してみると、文字配りに明らかな相違が見られる。中島かほるは文字を中心にして絵を選んでいると思われるが、『同時代ゲーム』は絵がまずあって、文字は型通り中央に置いただけのように見える。これが装幀を専門にしている者と絵描き装幀家との決定的な違いだろう。

装幀とは関係ないこと。「かほる」という名前。歴史的仮名遣いで「かほ」は「顔」(容、貌)という意味である。もし「薫」なら「かをる」のはずだが、検索してみると定家仮名遣いその他では「かほる」「かほり」と書かれるのが常だったらしい。

仮名遣異同表
http://www.kotono8.com/wiki/仮名遣異同表

「を・お・ほ」とそれぞれ似ていながら微妙に異なっていた音との対応は時代によって変化もしたろうし、音が変化した後でも書かれる文字の表記は変化しにくいものだ。定家よりも古い時代にはまた違った表記だったわけだからいずれが「正しい」か判断するのは容易ではない、というか、少なくともどうしてそれが正しいかという根拠は稀薄であろう。みんなで使えば正しくなる、というところ。


by sumus2013 | 2014-08-22 21:05 | 古書日録 | Comments(0)