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<   2013年 10月 ( 8 )   > この月の画像一覧

第3回「ユニテのセレクト古本市」

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知恩寺から出て百万遍の交差点よりバスで東山二条下車。水明洞まで歩く。さらに「ユニテのセレクト古本市」へ。これがゆったり見られてよかった。小生が入ったときにはほぼ独占状態。初日だけにいい本ありましたよ。

写真集と詩集を中心に並べた「books+コトバノイエ」のコーナーはちょっとしたものだった。欲しい本は多かったが一冊だけにしておく。「ロシナンテ」も値ごろ感のある渋い本が出ていた。わざわざ立ち寄ってよかった。朝っぱらから大仕事した感じでどっと疲れが出る。コーヒーを注文。ご主人としばし歓談。ほっこりしたところで帰途に着いた。
by sumus2013 | 2013-10-31 20:10 | 古書日録 | Comments(0)

第37回秋の古本まつり

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暑くも寒くもないちょうどいい古本日和だった。三十年前から通っているが、当時はガタガタ震えるくらい寒い日もあった。バイトもしたこともある。夜なんか凍えそうだった。それを思うと、温暖化、たしかに進行している。

百円均一テントが取り払われてもう何年にもなる。それでも「あ、今年もないのか」と気付くとやっぱり拍子抜けする。一部店舗に百円均一の台が出ているくらい。多くは三冊500円、一冊200円がバーゲン本の価格である。

和本三冊500円のところにひと山五十冊くらいを独占してチェックしている青年がいた。おじさんが「それ、あんた、見てんの?」と質問(というか詰問かな)すると「あ、あ、すみません」と片言。「買うんかいな?」と畳み掛けると、「これ、かう」と両手でひと山抱え込むしぐさ。おじさん苦笑い。中国の青年のようであったが、購買力は衰えていないようだ。

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昼食は少し早めに善行堂やMさん、デコさんらと進々堂へ。鹿児島買い取り旅行の話、京都新聞連載の苦労話など面白く聞く。

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こちらはまだ知恩寺が開いていない時間帯の臨川書店の店頭である。明らかに通行が妨げられるくらいの黒山の人だかり。古本猛者の皆さん勢ぞろいの感あり。Uさん軽い脳梗塞やったらしい。「死ぬときは死ぬんや」と達観した様子。

むろんみんなとびきり安かったけれども、個人的には今年は意外と買いたい本がなかった。一冊のみ。後で知恩寺の会場で聞いたところによると『辻馬車』が紛れていたとか。へえ〜と思う。
by sumus2013 | 2013-10-31 19:57 | 古書日録 | Comments(6)

田端抄 其伍

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矢部登さんの『田端抄 其伍』(書肆なたや、二〇一三年一一月)が届いていたのだが、あれこれ読まねばならない本、紹介しておかなければならない本に追われたため、今日になってようやく読了できた。これまでも毎号紹介してきたが、こうやって好きな作家や画家のことを調べ、その旧跡を歩き、文章につづり、冊子を作って同好の士に配る、なんともアナクロおよびアナログ。しかし、絵好き、本好きにとってこれ以上の悦楽はないとも思う。

今回は谷中安規、清宮質文、古川龍生、小杉放菴、結城信一、村山槐多、佐藤春夫、中戸川吉二らが登場。古書探索や文学散歩もあいまって彼らがじつに身近な存在として描かれている。なかでも小杉放菴にはかなり紙幅が割かれており、小生としてはこれまであまり注意してこなかった画家だけに興味深く読ませてもらった。注意していなかったと言っても、大阪の出光美術館で放菴展を見たことは印象深く記憶している。まとまって放菴に接して、端倪すべからざる作家と思ったのは間違いない。そのときに買ったのかもしれない、忘れてしまったが、上の絵葉書は出光美術館製である。「荘子」と題されている。

矢部さんは放菴の邸宅(現在は田端区民センターなどになっている)について詳しく書いておられ、そこにこのように言ってある。

《放菴邸は、南側の谷田川と北川の道路に区切られた一廓で、敷地は二百坪あった。道路側の網代垣の中央に門があって、なかにはいると、井戸があり、右手の玄関をまんなかに南側は住居、北川には画室が建つ。いずれも日本家屋の建物で、住居の一部は二階家であった。門の左手にもうひとつの入口があり、目かくしの垣根にしきられた二軒の平屋の家作が南北にある。谷田川に面した庭は敷地の三分の一ほどを占めており、石榴の木のしたに石がすえられている。放菴が男鹿半島への旅でみつけて気にいり、送ってもらった大石である。池が掘られ、ポプラの木が多く植えられていた。その庭さきから川へおりられる。川のむこうには畑がひろがっていた。》

東北本線の王子駅の近くということなのだろうか、この辺りの地理にうといのではっきりとはイメージできないが。それよりもこの「大石」である、問題は。矢部さんも

《またあるときは、石に腰かけた黒衣の《良寛》であった。
 ごぞんじ、芥が龍之介の「東京田端」に「竹の葉の垣に垂れたのは、小杉未醒の家」とある。竹が植わっている傍の大石にこしかけた旅すがたの放菴の写真が木村重夫『小杉放菴伝』のなかにあったっけ》

とこのように書いているが、どんな大石だったのか写真を見てみたい。「荘子」が座っているこの石のようなものだったのだろうか。

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そしてもうひとつ教えられたのが谷中安規の版画「動坂」についてである。図録『谷中安規の夢』(渋谷区立松濤美術館、二〇〇三年)において瀬尾典昭氏が「動坂にショーウィンドーの剥製はあったのか」と題した「動坂」に関するエッセイを寄せておられるが、瀬尾氏は結論として《どうも、この動坂のこの場所にはなかった可能性が強いというのが調査の結果である》と書いておられる。矢部氏はその発言を踏まえつつ、弥生坂にある鳥獣剥製所に言い及ぶ。

《その日は、鳥獣剥製所の白い看板とショーウィンドーのまえにたちどまり、あらためて見入った。八十年前、谷中安規の幻視した《動坂》が眼のまえにあることに驚愕したのだった。不況からぬけだせぬ平成の時代に、谷中安規は甦り、街なかをほっつきあるく。そのすがたが、ふと、よぎる。弥生坂の鳥獣剥製所あたりで、まぼろしの安規さんと袖すりあわせていたかもしれぬ。》

この鳥獣剥製所は小生も覚えている。たしか弥生美術館を訪れたときに、この前を通り、「へ〜、こんな店があるんだなあ」と驚いたのである。それがすぐには谷中安規にはつながらなかったけれども、おそらく十年ほども隔てた今ここで矢部さんの導きによってつながった。なお、矢部さんも、弥生坂の鳥獣剥製所は戦後にできたもののようだから安規のモデルではなかっただろうと言う。
by sumus2013 | 2013-10-30 20:47 | おすすめ本棚 | Comments(4)

閉店する海文堂書店

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ギャラリー島田の『INFORMATION』二〇一三年一一月号の「蝙蝠日記」(島田誠)に海文堂書店の閉店時の写真が載っていた。

《29日、30日と閉店1時間前から、名残を惜しみ、立ちすくみました。取り囲んだ300人はいた人々の輪から離れて、奔流する想念にただ身を任せていました。亡き悦子[島田氏夫人]の生まれそだった地であり今の海文堂書店は二人の作品でもありました。》

《かくも多くの方が惜しんだということは、町の本屋が閉店するということに止まらないなにかが海文堂にはあったという気がします。ネット時代で書店に立ち寄ることが少なくなった今、みんなが「大切な場所だった」という刻みこまれた記憶に、かけがえのない「文化」のもつ力がありそうです。》

「大切な場所だった」というのはまさにそう思う。十二月に出る予定の『ほんまに』15号(くとうてん)が「新刊書店と本の話/[街の本屋]海文堂書店閉店に思う]という特集をやる。小生も原稿を書いているので、無事に出たら、また紹介したい。
by sumus2013 | 2013-10-30 19:28 | もよおしいろいろ | Comments(0)

パン語辞典

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ぱんとたまねぎ著・荻山和也監修『パン語辞典』(誠文堂新光社、二〇一三年一〇月二〇日)が届いた! 四月に著者のばんとたまねぎこと林舞さんが来宅。パンをデッサンの消しゴム代りに使う実演を取材してくれた。本書では「けしごむ」の項目に制作中の写真入りで登場。髪の毛が伸びていたためシェーのイヤミみたいなキャラになっている(笑、気になる方はぜひお確かめください。写真はもう一枚、埋草みたいに使ってもらってます)。

当たり前ながら全編パン、パン、パン、パン、パンのオンパンレード。ふんだんに盛り込まれたイラストも軽妙で分かりやすくアール・アバウト・パン(ブレッドですかな)を図説、ついついつりこまれて読んでしまう。南陀楼綾繁氏や遠藤哲夫氏、『らくたび文庫 京都のパン物語』にも登場していたガケ書房の山下賢二氏らのエッセイもある。

パン好きの妻に「こんな本できたよ」と見せた。しばらくして返されて来た本には付箋がふたつ。ひとつは「パンの作り方 町のパン屋さん編」の頁、そしてもうひとつは「焼き網」(パンを1分間でおいしく焼くことのできる奇跡の網。京都・金網つじの初代当主・辻賢一さんが考えだしたもの)。なに、作って焼きたいということ(?)

「パンの食卓 ことわざ」という中綴じもある。《愛はバターと一緒、パンがあってこそうまくいく(ユダヤ)》とか《粉と水の夫婦(ポルトガル)》とか《パンと葡萄酒で道を歩く(スペイン)》とか《仕事は辛いがパンはおいしい(ロシア)》とか、お国柄も出ていて面白い……おや、フランスのことわざがないな。

と思って調べてみた。パン(日本語のパンはポルトガル語からきているが、フランスでも「パン pain」で通じる)を使った慣用表現はたくさんあり、ありすぎるくらいだが、ことわざとなると案外少ないかもしれない。

A pain dur, dent aiguë
堅いパンには鋭い歯(適材適所?)

Les mains noires font manger le pain blanc
黒い手が白いパンを食べさせる(稼ぐに追いつく貧乏なし?)

Mettre le pain à l'envers empêche les amours
逆さま(裏返し)にパンを置くと恋人たちが別れる(トゥーレーヌ地方の迷信)

昔、パンの出て来る文章を集めていたことがある。久し振りにファイルを取り出してみた。ユゴー『レ・ミゼラブル』にはこんなことが書かれている。

《半年分のパンをつくり、乾いた牛糞で焼きます。冬は、このパンを斧で割り、食べられるようにするには一昼夜の間、水にひたします。》

パンの国フランスも昔はこんなふうだったのである。日本で鏡餅を水に浸けておくというのと少し似ているような気がする。

《私の家ではたまに日曜日の朝パンを食べたが、父の生きていた時のように生の食パンだった。その時私はトーストという言葉を知らなかった。「丸いフランスパンか、生の食パンの方が好きだわ」と思った(そう思ったのに、次の年頃から家では火鉢に餅焼網をのせパンを焼くようになった)。》(三宅艶子『ハイカラ食いしんぼう記』)

昔(これは戦前の話)は焼き網でトーストしていたのである。

《やがて好い香のするトーストと濃いけむりを立てるウーロン茶とがお延の手で用意された。》
《下女が皿の上に狐色に焦げたトーストを持つて来た。「お延、叔父さんは情ない事になつちまつたよ、日本に生れて米の飯が食へないんだから可哀想だらう」》(夏目漱石『明暗』)

漱石の描くトーストも餅焼網で焼かれたのだろうか?

《すぐに人が真似をいたしませんでしょうか。戦争の跡に出来たロシア麪包のように》(森鴎外『青年』)

本書『パン語辞典』によれば日本初のパン屋は横浜に一八六四年(元治元年)にできたヨコハマベーカリー(のちウチキベーカリー)だそうだが、日露戦争や第一次大戦(およびロシア革命)によって普及し始めたようである。フロインドリーブもたしか捕虜だった。

《与謝野寛が「パンパンとわろき売り声、ロシヤパン売りの悲しさよ」といふ詩を作つてゐる》(森銑三『砧』)

《大正時代にはロシア革命で日本に亡命していた白系ロシア人がロシアパンというものを売りに来たし、関東大震災の直後には「玄米パンのホヤホヤー」と呼び歩く行商などを見かけたが、チャリ舎のパンは箱型の馬車を驢馬に輓かせていた。》(野口冨士男『私のなかの東京』)

『パン語辞典』で「ろばのぱん」の項目を見るとこうある。

《昭和6年頃、札幌の『ロバパン石上商店』(現ロバパン)がロバに荷車をひかせてパンを売り歩いたことが始まり。昭和30年代になると、京都を中心にオリジナルの歌とともにロバに四輪馬車をひかせて蒸パンの移動販売がはじまりました。》

昭和30年代、小生の田舎でも歌とともにロバのパン屋はやってきていた。たしかにロバがひいていたような気がするが、戦前からあったものなのだ。ガッテン、ガッテン。

パンの文化史、面白い。一家に一冊『パン語辞典』! 原画展、トークイベントなどが催されるようだ。下記ブログなどでチェックされよ。

誠文堂新光社 パン語辞典
http://www.seibundo-shinkosha.net/products/detail.php?product_id=3962

ぱんとたまねぎ パン語辞典
http://d.hatena.ne.jp/pantotamanegi/20131001/p1
by sumus2013 | 2013-10-29 22:03 | おすすめ本棚 | Comments(5)

ぼくの創元社覚え書

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高橋輝次『ぼくの創元社覚え書』(龜鳴屋、二〇一三年一〇月一〇日、表紙イラスト=グレゴリ青山)読了。高橋さんらしい追記の連続で、おいおい、ちゃんとまとめてから書いて下さいよ、とツッコミたくなるわけだが、それがマイナスではなくプラスに作用しているところが、人柄というのか、ビートたけしのつんのめり芸のような文体になっているから、あら不思議と思うのだ。

高橋さんを直接知らない人たちのなかには、こういうスタイルをうとましく感じる人もいるかもしれない。しかし実際に付き合ってみると、非常に純粋な古本魂を持った人物だということがすぐに分るだろう。そして名もなき作家や編集者を愛おしむことにかけては他に例を見ないほどの熱心さ(無償の愛といっていい)を示す。その態度や目の付け所には小生自身もこれまでいろいろと教えられて来た。黒子である編集者を主人公にしてその観点から出版や文学を語るという手法は、高橋さんの独創とは言えないとしても、それを普及させたという意味では高橋さんの手柄は大きいような気がしている。

《本書は自伝的、仕事史的な内容ではない。あくまで古本を通して見た、創元社の歴史のある側面を私なりにざっとスケッチしたにすぎない。》

《それでも、所々に私的な回想をまじえて書いており、読者には余計なことかも知れない、とおそれている。ただ、ペースメーカーを入れ、七十歳に近づく年齢になってくると、自分が元気で働いていた頃のことが無性に懐かしく思い出される、というのが正直なところである。そのため少々甘い記述になったのは自覚しており、読者にお許しを願おう。》

小生の感想は逆である。もっと回想をしっかり書いて欲しかった。作家たちが書き残した創元社の編集者たちの思い出、そのコレクションも興味深いものがあるし、丸山金治という創元社で働いていた小説家について、その友人の青井辰雄(洲之内徹との関係で小生が興味をもっている人物)、また創元社から飛び出した二人の社員が始めたのが六月社だったこと(六月社は山内金三郎『うまいもん巡礼』などを出しているので、『sumus』あまから洋酒天国特集とも関係してくる)、あるいは日産書房について(青山二郎装幀の小林秀雄『文芸評論』などを出している)などの記述にも大いに啓発された。しかし、それでもやはりもっとセンチメンタルな思い出話が登場してもよかったのかな、と思ったことは正直に書いておく。

《私は今でもときおり憶い出す。大阪市北区樋上町にあった木造二階建ての旧社屋のことを…。当初、正面玄関のすぐ左に営業部があり、その奥に小倉庫があった。横幅のある急傾斜の階段をミシミシ音たてながら登ると、すぐ左側に南側が道路に面した編集部があり、右側には社長室の扉があった。その階段はむろんお客や著者たちが上り下りしたが、私どもは大抵、裏口の倉庫の横から狭い階段を登って編集部へ入ったように思う。しばらくして一部改築され、営業部や制作部も二階へ移った。私の在籍した後半に再度増築され、一部鉄筋の四階建て(?)となり会議室などに使われた。当初の編集部は旧い造りで中央辺に大きな柱があったように覚えている。改築するまで、種々の会議は社長室で、足らない椅子をもちこんでやられていた。隅の本棚には、昔の創元社の文芸書もいろいろ並べられていたが、むろん、じっくり拝見したことはない。》(あとがきに代えて)

こういう細かいところ、これは高橋さんでなければ誰も書き残すことはできない。その点からも名著である大谷晃一『ある出版人の肖像 矢部良策と創元社』を補完する一冊として大切な仕事であろう。

龜鳴屋
http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/

by sumus2013 | 2013-10-28 20:46 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ぽかん 03

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留守中あれこれ届いたなかに『ぽかん 03』(ぽかん編集室、二〇一三年一〇月一七日)があった。今年の四月、メリーゴーランド京都での個展の折に真治さんが「次のぽかんの表紙にコラージュ使わせてもらっていいですか?」というので二つ返事でオーケーした。そして九月の後半になってコラージュのデータ等を提供した。もうそろそろ出来あるころかな、と心待ちしていたところである。

今回はまたはりきった内容で驚かされた。あとがきなどを読むと、すべて思いつきでパッパとやってしまっているようだが、それがこんな風な形になって提供されてみると「編集人・真治彩おそるべし」の感を強くする。レイアウト担当の西田優子さんのセンスにも目をみはる。とくに本誌『ぽかん 03』のこの余裕というか落ち着き払ったレイアウトぶりは見事。

ぽかん編集室
http://pokan00.blogspot.jp

本誌の執筆陣が山田稔、外村彰、澤村潤一郎、中野もえぎ、真治彩、福田和美、内堀弘。これはもう何をかいわんや。「編集人・真治彩おそるべし」を繰り返すしかない。

内堀さん寄稿の「千代田区猿楽町1-2-4(其の一)」は『彷書月刊』について。若月隆一氏のこと、そして田村治芳との出会いから終刊の周辺が語られ、当事者としての内堀さんの動き(心の動きも)が回想されている。(其の一)となっているが、このテーマはじっくりと取り組んでもらいたいものだ。正直、不定期刊の『ぽかん』の連載には似つかわしくないと思う(真治さんは「年三回くらいは出すことを予言したい」と編集後記に書いているので、もしそうなったらこの発言は撤回しますが)。

付録(といっても付録の方が本誌より大きいのです)・秋葉直哉「ぼくの百」にビックリ。

《また、これまでの号にもあった、「ぼくの百」。
とんでもない量です。本誌に流し込んだら、それだけで30ページくらいになりました。
「純粋散文雑誌」とは遠いものになってしまいます。
そこで、ポスターみたいにしようというアイデアが浮かびました。
A1サイズ両面に、カラーで、書影もたっぷりの読み応えあるものに仕上がりました。》(ぽかん編集室)

というような次第で本誌とは別に「ぼくの百」ポスター用にコラージュ制作の依頼があった。ちょうどギャラリー島田の展示用に作っていた時期だったのでとりかかるのに問題はなかった。ただしA5サイズと大判だったため少々難渋した。なんとか2点出来たので「どちらでも」と提供したら「両方使います」ということでこうなった。

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A判全紙の表裏に秋葉氏の選んだ百冊のコメントが書影とともに印刷されている。秋葉氏の選んた本が渋い。事前に内容は知らされていたものの、内容に即したコラージュというわけではない。ランボーと中原中也の肖像がわずかに直結するけれど、それ以外のイメージは行き当たりばったりである。

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それからもう一冊『のんしゃらん通信 vol.1』(ぽかん編集室、二〇一三年一〇月一七日)も付いている。

《原稿もすべて集まって、3号の全体像が見えたとき、ベッドでごろんと横になっていたわたしは、不安にかられました。
これは、ちょっと渋すぎて、かっこよすぎやしないかと。
そうして、わたしに「ノンシャラン」という言葉が降ってきたのです。ああ、そうだ、気楽に読める、ライトなエッセイも、自分が作るものには欠かせないんだと。

それで、急に、付録をつけようとおもいたったわけです。
題して、「のんしゃらん通信」。ねころんで読んでも、電車で読んでも、楽しい、愉快な、かろやかなものに仕上がりました。》(ぽかん編集室)

執筆陣も本誌とは違った意味でナイスな人選である。イラストは「糸巻きパレットガーデン♪」の toti さん。 toti さんはアート系の人気ブロガーと言っていいだろうが、イラストレーターではもちろんない。しかしそれゆえに新鮮な無邪気さとそれに見合ったクオリティをもっている。そこに目をつけるとは、ここでもまた「編集人・真治彩おそるべし」とつぶやくしかない。

糸巻きパレットガーデン♪  ぽかん
http://daikatoti.exblog.jp/19878082/

また、読者カードと奥付(二種類)というこだわりも本好きならではのアイデアであろう。とにかく入手しておいて損はない。


ぽかん02
http://sumus.exblog.jp/17115418/

ぽかん 01
http://sumus.exblog.jp/14470897/
by sumus2013 | 2013-10-27 17:01 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

僕、馬

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『藤井豊写真集 僕、馬 I am a horse』の発刊記念展がメリーゴーランドで開催されたときに求めた作品が届いた。いい写真だ。ほんとは他にもう四五枚欲しかった……。藤井氏の手紙が添えられていた。

《林さんのブログを見て「僕、馬」を買って恋人(?)にプレゼントしたという方が、東京の個展に二人でいらっしゃいました。
二人はすべてのカットを収めたコンタクトシートブックをゆっくり見て、これが良かったと これが見れた良かったと、三人で長いこと話をしました。
ゆっくりですが、たしかに「僕、馬」が届いているという実感があります。》

届いてますよ!
by sumus2013 | 2013-10-27 16:53 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)