林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
巴里アンフェール
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
「わ」かとも思ったのです..
by sumus2013 at 17:03
「さはかり(然許り)」は..
by epokhe at 06:38
かなり悩みました。
by sumus2013 at 20:12
この短冊は難しく感じます..
by epokhe at 13:26
そうですねえ・・・大月さ..
by sumus2013 at 20:08
時の流れに驚きます。一周..
by tobiranorabbit at 10:32
今後も定期的に漢詩および..
by sumus2013 at 20:33
「雲臥」で良いと思います..
by epokhe at 19:20
「雪臥」のところは「雲臥..
by sumus2013 at 10:56
恥ずかしながら南岳さんを..
by epokhe at 23:31
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
ルーベンスの故郷、ヨーロ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
視聴率に関係なく選んだ2..
from dezire_photo &..
宝石のような輝をもった印..
from dezire_photo &..
ルネサンス美術の巨匠・ピ..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
過去に来日した傑作を回顧..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:おすすめ本棚( 257 )

序文検索2箇目

f0307792_20084107.jpg

かわじもとたか『序文検索2箇目 序文跋文あれこれ』(杉並けやき出版、二〇一四年七月一五日)を頂戴した。深謝いたします。著者紹介を見ると古書目録を主なソースとして、追悼号書目、死に至る言葉、畸人伝、水島爾保布著作書誌、すごろく、装丁家で探す本、などのテーマで著書を刊行しておられる。

二〇〇八年頃から序跋を本格的に調べ始めて前著『序文検索』(杉並けやき出版、二〇一〇年)を、そしてさらに本書を完成させたという。本書は623頁の厚冊。そこに古本好きなら必ずどこかでひっかかっている著者たちの名前が有名無名(昔有名今無名も多し)にかかわらず心の赴くまま(?)取り上げられ、検索した結果が報告されている(古書価も折り込んであるのがミソ)。それが100章プラスおまけ14章という数になるのだから623頁も致し方なかろう。どこから読んでもためになるし、教えられることも多い。

かわじ氏は一般の読者は序文を読まないと書いておられる。しかし小生自身について言えば、序跋しか読まない本がほとんどである。というのも内藤湖南が「序結はていねい、目次はななめ、本文指でなでるだけ」と笑いながら語ったという逸話を読んで(青江舜二郎『竜の星座』中公文庫、一九八〇年)、なるほどそれなら立ち読みでも本の内容をかなり正確に判断できるなと感じ入ったことがあったからである。実際、本書も「はじめに」と「あとがきにも似た一文 いつも書きかけで」および「著者紹介」だけからでも書評は充分できるように思ったのだが、ところが目次を見て拾い読みし始めると、これがたいへん面白い。かわじ氏の語り口も、饒舌体の一種なのだろうか、おしゃべり口調が心地よくなってくる。

例えば25の紅茶・珈琲の序跋では《井上誠の本を探そうと思えばなかなか見つからない。一冊を見つけるために遠くの図書館まで通ったりした》とあるのに驚いた。小生が『喫茶店の時代』を書いていた頃(二十世紀の終り頃)には井上誠の本は均一台の常連だったように思うからである。

66の青山南の本では長田弘が兄だと教えてもらった。この人たちの本は全く持っていないが、これは腑に落ちた。その引用に《この本では、英語の正しい発音法にしたがって、「ブルーズ」とした。だれがはじめたかは知らないが長らくつづいてきた「ブルース」というまちがいを、そろそろ正してもいいころではないか》というのがあって、膝を打った。ブルーズだよね、だよね。

青山南ではもうひとつ「Paul Theroux」の発音についてポール・セルー(阿川弘他訳)が正しく、ポール・セロー(村上春樹訳)は誤りだという指摘の引用も、へへえと思う。著者本人に確かめたそうだ。セルーの父親はフレンチ・カナディアンだから「ou」を「ウ」とフランス語的に発音するのだろうか。ただ一般のアメリカ人がこの名前をどう発音するのか、という別の問題もあるかもしれないが。

107の澁澤龍彦の序跋についてでは『さかしま』原著の序文を翻訳しなかった話に惹き付けられた。『マルジナリア』所収の「大岡昇平さんのこと」からの引用(ということは小生も大昔読んだはずだが、これっぽっちも記憶に残っていなかった)。

《大岡から電話がかかってきてユイスマンスの『さかしま』には序文があり富永太郎がその序文の抜書きをしていたが、あなたの訳には序文がないではないか、とのこと。それは晩年に作者が旧作を回顧した文章なので、小説が発行されたときにはもちろんなかったので「つい無精をきめこんで訳さなかったです。」というと「それじゃダメじゃねぇか。」と大岡が言ったとあった。

富永太郎が『さかしま』を読んでいたというのも目からウロコ。ただ、この序文は一九〇三年という日付がある「小説の二十年後に書かれた序文」という題名で(『さかしま』の発表は一八八四年)、私のように一旦発表した作品は二度と読み返さない作家は云々と始められており、澁澤としては「つい無精をきめこんで」というのではなく実際的な意味でこれを冒頭に置くのは適当ではないと判断したのだろう。先入観のない読者が先ずこの序文を読んでしまうと混乱する恐れが大いにある。もし挿入するとすれば巻末が適当かもしれない。大岡昇平に向かって反駁するわけにもいかなかった……たぶん。

104は「寺島珠雄という御仁」。寺島さんにまで目配りが及ぶとは、これにも驚かされた。しかし考えてみれば冒頭に月の輪書林目録が写真入りで掲載されており(太宰治と三田平凡寺)、内容についての言及もあるのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。これがなかなか充実した書誌になっている。

他にもまだまだ読みどころがいたるところにある。夏中楽しめる、いや、納涼古本まつりまでに読破してしまえば、会場ではもう目があちこち泳いで大変なことになりそうだ。古本トリヴィアの泉と言うべき一冊。

杉並けやき出版
http://www.s-keyaki.com


[PR]
by sumus2013 | 2014-07-31 21:19 | おすすめ本棚 | Comments(4)

膝で歩く

f0307792_19424632.jpg
季村敏夫『膝で歩く』(書肆山田、二〇一四年八月八日、装幀=間村俊一、写真=鬼海弘雄)。栞として挟み込まれている「往復書簡 赤坂憲雄/季村敏夫」に季村さんはこう書いている。

《さて昨年八月の福島の駅前通り、赤坂さんたちが企画しておられる市民によるミュージアム構想(このように受けとめて出掛けました)の会合でのこと。自己紹介でわたしは、突如家内を襲う病という事態を日本の病巣である福島原発事故に重ねて思考したいと語りました。いかにも唐突なものいいでしたが、ハラワタをねじりあげた積もりです。
 二足歩行の発想を変える、生きてきた軌跡がうち砕かれ、瓦礫に放り出されたわたしの出発点です。関西と東北を襲ったカタストロフィー。日本人の生き方は根底から変るだろう、そういわれたが現状はどうか。「膝で歩く」は、病で一変した生活をひき受け、何とか立ちあがろうとする息の様態でもありますが、山は峻険、谷は予想以上に深く、今後も試練の連なりだと覚悟します。病妻ものをしたためたかつての私小説家をおもうと、やさしさとは何かが真っ先に問われ、隠されている酷薄さに滅入りますが、もはやきれい事ではすまない。「膝で歩く」思考をたどり、歩行に関する自明性を疑い、わたしの片すみから目覚めたく存じます。》

小生、現存の詩人としてはもっとも多く季村さんの詩を読んでいる……に違いない。というのも上梓するたびに詩集を送ってくださるし、また精力的に作品集を刊行されておられるからだ。

季村敏夫『日々の、すみか』

季村敏夫『災厄と身体 破局と破局のあいだから』

季村敏夫『豆手帖から』

新しい詩集を頂戴する。『豆手帖から』

季村敏夫『ノミトビヒヨシマルの独言』

季村敏夫『ノミトビヒヨシマルの独言』

季村さんの詩集『木端微塵』

これ以外にも『わが標なき北方に』(蜘蛛出版社、一九八一年)と『つむぎ唄泳げ』(砂子屋書房、一九八二年)は古書で求めている(『わが標なき北方に』は扉野氏へ行ったが)。そうそう『spin』08(みずのわ出版、二〇一〇年)は季村敏夫特輯でもあった。

たしか『たまや』の間村さんとの関係で『木端微塵』を頂戴したのが二〇〇四年だから、その頃から徐々に親しくお付き合いさせていただくようになったのだろう。『馬町から』という父上の事蹟をまとめられた著書の装幀をさせてもらったのが二〇〇六年。その少し前に突然電話がかかってきて、いきなり「林さんに本を作ってもらいたいのです」みたいな口調で(これは今もそう変らない、単刀直入な話し振り)用件を告げられ、梅田の阪急ホテルのロビーでお会いしてそこの喫茶室で具体的な内容をうかがった。ホテルで待ち合わせというのが新鮮だったことを思い出す。

具体的な本造りはみずのわ氏に任せることになってその顔合わせをしたのがなぜか中之島で、季村さんと瀧克則さんと四人で喫茶店に入ってあれこれ雑談した(打ち合わせはすぐに済んだ)。瀧さんともこのとき初めて親しく話をさせてもらった(お会いはしていたと思うが)、後に『spin』の宇崎純一特輯に寄稿していただいたり、与謝野晶子記念館でご一緒して宇崎純一のトークショーを行ったりすることになろうとは、当時は思いも寄らなかった。『山上の蜘蛛』と『窓の微風』という大著がみずのわ出版から発行されたのも元をたどればこのときの出会いによるものだ。善きにつけ悪しきにつけ八年ほどの間になんという変りようであろうか。

本詩集もその時間の流れを強く感じさせる。時間や物事の盛衰に抗うことはできないが、詩の言葉としてわずかな抵抗を示すことができるのではないか、そんなふうにこの作品集を通読して思っている。本書より一篇引用させてもらう(全文)。

  

   自転車の息



枯れ葉は動かない
バス停の裏の湿地
行き止まりに沈む数枚


こんな夢の残像をかかえ
めざめる


チャーリキ、チャーリキ
 スチャラカチャン
 切られて切られて
 血がだアらだら*


自転車にまたがり
四方八方の陽を浴び
ゆきづまりを打開しようとした


錆びたダクトから噴出する白煙
自転車[ちゃりんこ]のチリンがすりぬける


だれにも呼ばれない
それでもペダルを踏みこむ


土は冷える
枯葉数枚
空に舞いあがり
車輪の風と衝突


これから弔いだ
だれかに
回転するだれかに呼びかける




戦前の神戸のバラケツ(不良少年)が三ノ宮などの盛り場で
「よう歌(うと)てたんや」、「海がえらい荒れてるなア。今日なんか舟
に乗ったらしごかれるでエ」、島尾敏雄は開高健に語った。
健の耳はこのときも勃起したのであろうか。





[PR]
by sumus2013 | 2014-07-26 21:02 | おすすめ本棚 | Comments(0)

『高橋新太郎コレクション』のこと

f0307792_16154608.jpg

〈 高橋新太郎さんのことを、みな「シンタロウさん」と呼んだ。私のように年若な古本屋も、年長の先生も、それは同じだった。
 一九八五年に、若手の古本屋が中心になって『彷書月刊』という雑誌をはじめた。
 今は沼津に引っ越した自游書院の若月さんが呼びかけ、当時で還暦だった堀切利高さん(荒畑寒村の研究者)が顧問役。編集長はなないろ文庫の田村治芳さんで、私は雑事手伝いだった。

 猿楽町の事務所には同好の本の虫がよく訪ねてきた。新太郎さんもそうだった。何十年と古書展に通い、まるでそこを教場のように学んできた人たちだ。若造の古本屋よりよほどキャリアも豊富だ。うっかりすると、事務所がインナーな溜まり場になりかねない。でも、そうはならなかった。堀切さんの清廉な人格、そして新太郎さんの凜とした品性が、いつもその場所を風通しのいい、豊かなものにした。〉……

『高橋新太郎セレクション』のこと 内堀弘
http://www.kosho.ne.jp/melma/1407/index-1.html

笠間書院
http://kasamashoin.jp/2014/05/1_28.html

f0307792_16074921.jpg


[PR]
by sumus2013 | 2014-07-25 16:10 | おすすめ本棚 | Comments(0)

清宮質文のガラス絵

f0307792_20204183.jpg

「2015 CALENDAR 清宮質文のガラス絵」(呼友館ミウラ・アーツ、二〇一四年、デザイン=安藤剛史)を頂戴した。深謝です。もう来年のカレンダーが届く時期なのか! たしかに、あれよあれよと言う間に半分以上過ぎてしまった。駒隙もいいところ。

それにしても清宮質文のガラス絵は素晴らしいの一言。版画や水彩画とはまた違った流動感と発色にうっとりしてしまう。数字の並べ方も安藤氏らしいシンプルな落ち着きをもっていて、使いやすそうだ。ミウラ・アーツで購入できる。

f0307792_20204976.jpg
f0307792_20211262.jpg

f0307792_20205681.jpg

清宮といえば『愛について』や『俘虜記』といった新潮社の大岡昇平作品がすぐに思い浮かぶ。新潮文庫の『俘虜記』の表紙は好きなもののひとつ。古本屋でも最近あまり見かけなくなった。小説そのものは別の表紙に変って発行され続けているが。

f0307792_20415818.jpg





[PR]
by sumus2013 | 2014-07-21 20:46 | おすすめ本棚 | Comments(0)

貧乏は幸せのはじまり

f0307792_20410441.jpg

岡崎武志『貧乏は幸せのはじまり』(ちくま文庫、二〇一四年七月一〇日)。単行本のときに読んだはずだが、ほとんど忘れていて、面白く読了した。

あなたより貧乏な人
http://sumus.exblog.jp/12182683/

荻原魚雷氏と古書ますく堂店主・増田啓子さんへの貧乏インタビューが文庫スペシャル。これはどちらも一読の価値がある。魚雷氏はべつに貧乏どころか節約上手の素敵な奥さんみたいな生活だ。ますく堂さんも本のためにすべてを捧げている、最大限自分に忠実なスタイルで。そうすると一見貧乏ふうに見えるかもしれないが、貧乏どころか裕福だと言っても過言ではないだろう。いい話を読ませてもらったという爽やかな読後感が残るインタビューだ。

《魚雷くんは、今でこそ複数の著書を持ち、雑誌や新聞に連載を持つ、売れっ子の書き手だが、二十年前は、私同様、一般社会からあぶれた感じで、さすらうように生きていた。
 その頃に培った、貧乏者としてのライフ・スタイルは確立されていて、功成り名を遂げた今でも、基本的にそのスタイルは維持したまま。一種の芸風とも呼ぶべき完成度で、話をしていて楽しかった。
 次に登場してもらったのが、池袋の路地裏で住居兼店舗の古本屋「ますく堂」を営む増田啓子さん。彼女も私や魚雷君と同じく上京組。「本の雑誌」の別冊「古本の雑誌」でも、インタビューさせてもらったのだが、貧乏をテーマに再度話しを聞くと、まあ出てくる。この五年で買った服は靴下だけ……と、独身女性にあるまじき暴言もいただき、貧乏の奥深さをあらためて思い知ったのだった。》(文庫版あとがき)

ほんとうの貧乏は理不尽なものだと思うが、この本に詰まっているのはまさに幸せのはじまりにあるような楽しいアイデアばかりである。なかで本書で語られる稲垣足穂の生き方は「幸せとは何か」と考えるうえでもっとも深いところに触れているような気がする。

《「金は、そらあったら便利だけど、っていってますけどね。本人が金をもうけてどうしようという気はないんです。金がなくて自分が生きられなかったら、生きなくてもいい、という考え方」だったと、志代夫人は語る。》

《たまに原稿依頼があっても、自分が気に入ったものしか引き受けない。それは原稿料の多い少ないに関係なかった。そのくせ、原稿依頼書に入っている返信用封筒の切手は、水につけて剥がしてまた使っていた。》

《部屋には小さな机が一つあるきり。机の上には、使い古した広辞苑がのっていた。「原稿用紙は、新聞に入ってくる広告のちらしの裏面に墨で罫を引いたもの。鉛筆は、花かつおの付録の『みんなにこにこおべんきょう』式の丸い絵入り鉛筆だった」。その鉛筆も短くなるまで使い、短くなったのは二十本ぐらい、輪ゴムで束ねてあったという。》

要するに断捨離なのだ。断捨離とは自分を捨てるところへ落ち着く、またはそこから始まるもののようである。





[PR]
by sumus2013 | 2014-07-11 21:34 | おすすめ本棚 | Comments(2)

菊地信義とある「著者11人の文」集

f0307792_21270054.jpg


神奈川県近代文学館で開催中(〜七月二七日)の「装幀=菊地信義とある「著者50人の本」展を記念して刊行された『菊地信義とある「著者11人の文」集』(県立神奈川県近代文学館、二〇一四年五月三一日、造本・装幀=菊地信義+水戸部功)。

f0307792_21262279.jpg

でました! スイス式製本。

f0307792_21261568.jpg

菊地信義と言えば、個人的にはこの見開き、澁澤龍彦の二冊ですっかり参ってしまった。『高丘親王航海記』(文藝春秋、一九八七年)と『マルジナリア』(福武書店、一九八三年)。どちらも発行後間もなく買って(もちろん古本ですが)長らく持っていたが、いつだったかふとした気の迷いで手放してしまった。今でもそんなに珍しい本というわけではないのでたちまち買い戻せるわけだが、まだ積極的にそうしようという気にはならない。だが、いずれもういちど机辺に置いて撫ぜ廻してみたいとは思っている。




[PR]
by sumus2013 | 2014-07-04 21:38 | おすすめ本棚 | Comments(2)

えむえむ第七号

f0307792_20261827.jpg


『えむえむ[熊田司個人誌]』第七号(二〇一四年五月三一日)、留守をしていたためようやく拝見できた(郵便、メール便ともに取り置きを依頼)。今号もヴァラエティに富みながら発行者の趣味に貫かれており、頁を繰るたびに「う〜む」と唸らされる。

青春伝「一九六八年前後・神戸月見山界隈」には加藤一雄が登場。友人が編集者として働いていたD社(同朋舎であることは図版から分る)に熊田氏は畏敬する大学の恩師・加藤一雄の著作集の企画を持ちかける。

《加藤先生ご自身には無断で、このような企みをするとは不躾千萬、今考えると冷や汗ものであるが、加藤一雄の何たるかを知って貰おうと、三彩社が出していた新版『無名の南画家』をYm君に貸すと、早速感銘を受けた旨の連絡があった。》

加藤に出版社が打診すると、いきなり著作集ではなく、まずPR誌に連載でもしましょうという返事があった。

《こうして、かすかに希望がふくらむ昂揚した気分で、その夜は過ぎていったが、たしかその翌日である、今度は大学の研究室から電話が入った。加藤一雄先生の急逝を伝える一報である。まともな返事もできぬほど驚いて言葉を失ったが、それは急ぎ用件を伝えたYm君の反応でもあった。何となく殺伐として、息苦しく生きにくい世間の空気の中に、窃かに得たと思った「暖」のぬくもりが、秋の冷たい現実にさらされて突如喪われてしまった感を強くした。この「暖」は、私とYm君の共通感覚のみならず、加藤一雄先生にも共有されていたのではないか、と思えるのが唯一の救いであり、また痛恨事でもある。その夜先生は殊のほか上機嫌で、いつもの御酒をすこし過ごされたと伝え聞いた記憶がある。


小特集は「鉄路・車両・架線」。この着眼には予想以上の広がりがあるようだ。

f0307792_20251881.jpg

その図版のなかに教科書出版書肆「集英堂」の絵があった。住所は東京市日本橋区通旅籠町十一番地、小林八郎が発兌人である。店の表中程に「書肆 小林八郎」という看板が上げられているのが見える。

国会図書館のデジタルライブラリーで調べると明治初期に栃木で山中八郎がやっていた版元に同じ名前の「集英堂」があり、また小林集英堂で修業した内山港三郎は宇都宮支店を任されていたが、明治二十三年の支店廃止にともなってそれを譲り受けて集英堂として営業を続けていた。こちらはおそらく本家より後まで残ったと思われる。

f0307792_20252681.jpg

他にも堀尾貞治、坂本繁二郎、小出楢重の作品などが登場。隅々まで楽しめる稀有な個人誌である。


[PR]
by sumus2013 | 2014-07-04 21:20 | おすすめ本棚 | Comments(0)

北園克衛 記号説

f0307792_21231131.jpg


北園克衛『記号説 1924-1941』(金澤一志編、思潮社、二〇一四年六月六日)。

f0307792_21244106.jpg

f0307792_21244874.jpg


f0307792_21245588.jpg


f0307792_21250152.jpg

留守中に金澤一志編による北園克衛の作品選集が二冊届いていた。小生も北園克衛の装幀が好きなので目に付けばできるだけ求めるようにはしているが、北園の詩集となると貧生にはよほどの幸運でもない限り手に入らないため架蔵していない。全写真集も欲しいなあとか、金澤氏の『カバンのなかの月夜 北園克衛の造型詩』(国書刊行会、二〇〇二年)もいいなとか、これらも涎をたらしているだけでまだ求めてはいない。

ただし『SD』431(二〇〇〇年八月一日、鹿島出版会)と『異色の芸術家兄弟橋本平八と北園克衛』(三重県立美術館・世田谷美術館、二〇一〇年)図録くらいは持っている。これらは装幀家・北園克衛を知るにはたいへん便利なのだが、詩作品も含めた全体像となると、まったく何も分らないに等しい。

その欠点を補ったのが今回の二冊本であろう。詩人としての北園の仕事と造型作家としての仕事を通覧しつつ、その精髄に触れる、そういった北園を知り尽くした編者ならではの練り抜かれた選集のように思う。

詩…文字の連なり…文字…記号…絵…写真…立体…それらは別々の仕事ではなく、その境界が不分明な北園を包む成層圏のようなあり方で北園のポエジィを表象している。それが手に取るように分る編輯である。

それぞれの巻に金澤氏の解説文が掲載された栞が挟まれている。

《また「記号説」の発展形であり、早すぎたヴィジュアル・ポエトリーの達成として知られる「図形説」が絵画的な線ではなく鉛の活字に託されていることは、この詩人の作品をグラフィックとして眺めるときに欠かせない特異なフェティシズムを示すものだろう。北園克衛にとって詩の正体とは、まず印刷された紙でなければならなかった。》(金澤一志「前衛の憂鬱」より

この解説、ある意味、あまりにも的確で、読まない方がいいかもしれないとさえ思える鋭い内容だ。

[PR]
by sumus2013 | 2014-07-03 22:08 | おすすめ本棚 | Comments(0)

北園克衛 単調な空間

f0307792_21140843.jpg


北園克衛『単調な空間 1949-1978』(金澤一志編、思潮社、二〇一四年六月六日)。

f0307792_21143602.jpg


f0307792_21144473.jpg


f0307792_21145193.jpg


《伝えかけの情景が置き去りにされた空間はたしかにあるのだろうが実体は見えず、進行もあやふやにごまかされている。これは注意深く意味伝達を排除した反詩であり不能の詩である。》(金澤一志「白い孤独の白い装置」より)





[PR]
by sumus2013 | 2014-07-03 21:22 | おすすめ本棚 | Comments(0)

暗視の中を疾走する朝

f0307792_19125944.jpg


『清水昶詩集 暗視の中を疾走する朝』(築地文庫、二〇一四年五月三〇日)が届いた。清水昶の最初の詩集、私家版、その復刻版である。「栞」に佐々木幹郎氏が刊行の経緯を書いておられる。

《築地文庫の湊準二郎さんの話によると、湊さんが関東学院大学の生協で仕事をしていたとき、同志社大学を卒業したばかりの清水昶が職員として赴任。親しくなって、もはや絶版になっていた『暗視の中を疾走する朝』の謄写版の版下原稿を譲り受けたのだという。それを半世紀近く大切に保管していて、今回の復刻につながったらしい。

原本は「謄写ファックス」、復刻版はリソグラフだが、《限りなく原本そのものに近い感触に仕上がっている。》そうだ。


f0307792_19274692.jpg



f0307792_19275830.jpg



  吊した舌に激しい痛み 海草のような神経を
  はいあがり いきなり海 例えば街でも良い
  消えて行く ジャズ 闇の部分にシャム猫の
  眼 少女の唇その光りの流れに 紙飛行機浮[ペーパープレイン]
  び 墜ち行く先は女の嗤い ハッハッジャズ
  ブラックコーヒーに溶けた僕の顔 店内は長
  くて昏く 西陣の家は長くて暗く 汚れた便
  器にあくび吹き込み ジャズジャズ流れちゃ
  うジャズ 失踪した男が聞く朝のジャズ 僕
  かも知れない たしかに僕は 瀑布の飛沫に
  濡れゲラゲラ笑いたかった[以下略]



f0307792_19283012.jpg



f0307792_19285690.jpg



f0307792_19291864.jpg



f0307792_19295162.jpg


『暗視の中を疾走する朝』は、清水昶の「アキラ調」とも呼べる粘りつくような呼吸法と、土俗的な美意識に包まれた言語感覚が誕生する前の、詩の文体がまだ未成立の段階の習作詩集である。しかし、そのことがより一層、一九六〇年代中期の日本の典型的な青春像を浮き彫りにしていて、初々しい魅力を持っている。ジャズと革命と恋と学生運動が一体になっていた時代の匂いを、紫煙のように立ち上らせている。

と佐々木氏が述べておられる通りだと思う。むせかえるくらいだ。自筆手書きの詩がほとんどなのだが、その字体に触れたこういう指摘が注意をひく。

《ちょっと説明しておくと、六〇年安保闘争以降の京都の学生運動の諸党派は、それぞれ大学ごとに、タテカンに文字を書く係の学生を決めていたため、文字を見ればその内容を読まなくてもどこの党派かわかった。また、キャンパスで配られるビラの書体もレイアウトも(当時ビラはすべて謄写版印刷だった)党派ごとに異なっており、その書体は先輩から後輩へ引き継がれ、新左翼運動特有の文字文化が代々続いていたのである。》

なるほど、そういうものか。六〇年安保のビラなんだか面白そうだ。

《京都の学生詩人たちが出す詩誌のほとんどは京都市役所の近くにあった双林プリントで印刷されており、印刷人はそこで働いていた詩人の大野新であった。大野さんは清水昶の兄である詩人の清水哲男と一緒に、同人誌「ノッポとチビ」を刊行していて、京都の学生詩人たちは大野新を畏敬していた。

そして清水昶の第二詩集『長いのど』は文童社から出たそうだ。文童社は言うまでもなく双林プリントで詩集などの出版をするときの社名である。佐々木氏は触れていないが、経営者は山前実治で住所は山前の自宅になっている。

《わたしは「文学研究会」で出していた同人誌「同志社詩人」の印刷と校正のために、大学時代は双林プリントに頻繁に通っていた。大野新さんと親しくなって、「首」や「ノッポとチビ」の例会にも誘われた。その頃の京都には、詩の巨匠として天野忠がいて、異端児の中江俊夫がいた。京都詩壇の黄金期だったように思う。

『暗視の中を疾走する朝』元版は限定三〇部。この復刻版は三〇〇部である。実に丁寧な仕事ぶりだと思う。






[PR]
by sumus2013 | 2014-05-24 19:48 | おすすめ本棚 | Comments(6)