林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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50 BEST MAN RAY

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マン・レイスト石原輝雄さんのプライヴェットプレス「銀紙書房」の新刊『50 BEST MAN RAY』(SILVER PAPER PUB., November 18, 2017)を入手した。今回は限定五十部と、銀紙書房としてはかなり多い方なのだが、即日完売のようである。

『50 BEST MAN RAY』刊行のお知らせ

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石原コレクション(正確には石原輝雄・純子コレクション)のなかから自撰の五十点。写真、版画、オブジェ、ドローイング、本、ポスター、エフェメラ、そして油彩画まで。見れば見るほど奥深さが伝わってくる構成になっている。氷山の頂ではあろうが、ここまで到達するために氏はどれほどの苦悩と悦楽をくぐってきたのだろうか、思わず手を合わせてしまう。

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by sumus2013 | 2017-12-04 17:28 | おすすめ本棚 | Comments(2)

介川緑堂さらに

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[楽只]
純陽四月吾同物

堪愧僲凡美性

唯君一肉略相似

生在儒家過大平

 呂洞賓
  七十小竹老人
     [?][?]



金森正也『「秋田藩」研究ノート』(無明舎出版、二〇一七年五月一〇日)を頂戴した。深謝です。無明舎出版のホームページに連載されたエッセイをまとめたものだそうだ。著者の金森氏は「介川緑堂日記」を読み解いておられる研究者の方である。介川緑堂については以前の記事を参照していただきたいが、本書によって、さらに情報を補っておきたい。

新園雨足更幽恬

介川緑堂ふたたび


「改革派官僚の肖像(3)介川東馬」より

安永九年(一七八〇)生、弘化四年(一八四七)没。実名[じつみょう]は通景[みちかげ]。詩文にすぐれ、緑堂[ろくどう]の号を持つ。先に紹介した金易右衛門の書簡の中で、金の殖産策に反対する一派に知恵を授けた黒幕として書かれていた人物である。寛政七年(一七九五)、十六歳で大番入りし、同八年藩校勤学、文化元年(一八〇四)副役(奉行の補佐)、同七年財用奉行、同九年勘定奉行の経歴を持つ。文化十三年に家督を継いだ時点での禄高は六六石で、典型的な諸士であるが、文政十年(一八二七)には一代宿老席に列せられる。

介川は、文化十三〜十四年、文政九〜十年、同十二年、天保三(一八三二)〜同六年、同九年と、五度の大坂詰を経験している(なお、江戸時代は、大阪は「大坂」と記されることが多いので、ここで大坂を用いる)。

何度も大坂へ派遣されるということは、それだけ優秀で大坂商人たちとの粘り強い交渉力を持っていた証拠である。接待のための酒席が連続する、まさにエリート商社マンのような働きぶりであったという。そして文人としての付き合いも広かった。「文人・介川緑堂」より。

大坂に詰めていたときの、介川の文人としての側面は、頼山陽との出会いにもっともよく示されている。頼山陽は、江戸後期の儒者であるが、詩文にすぐれ、能書家であった。初めての出会いを、介川はその日記に次のように書いている。

頼久太郎[号山陽、名譲、字子歳[ママ、子成]京師ニて当時高名の儒者、詩文もよくいたし候ものニ付兼て逢申したく存居候へとも間違逢い申さず、今朝山下十五郎をもって申達候所、何時也御目にかかり申すべきの段申越候ニ付、今夕参候。対種々閑話いたし黄昏に及ぶ。屏風一双頼まれ認置候分のよし見せ候。七絶十二節、日本高名の婦人ばかりを詠し候作、いつれも面白く相見候。拙者旅中の作等も永(マゝ)し候へき、自今篤く交り申したく互ニ置候。

《京都に登る機会があるたびに、介川は頼山陽のもとを訪問している。山陽の妻も酒の相手をしたりしている。佐竹義和を編著者とする『別号録』が出版されたときは、さっそく山陽にも献呈している。

いきなり山陽と意気投合した様子が手に取るように分かる。貴重な日記である。ということで、介川緑堂に関係したものを掲げたいと思ったのだが、さすがに何も無かったため、何ヶ月か前に入手した篠崎小竹の扇面を出してみた。山陽の親友なのだから、むろん緑堂とも面識はあったろう。呂洞賓(りょどうひん、中国の仙人、七九四年生)の詩を写したものかとも思うが、検索しても手掛かりは得られなかった。冒頭の「純陽」は呂洞賓の号でもある。例によって字句の正誤とともに乞御教示。


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by sumus2013 | 2017-11-28 20:16 | おすすめ本棚 | Comments(0)

左川ちか資料集成

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紫門あさを編『左川ちか資料集成』(発行:東都我刊我書房、発兌:えでぃしょん うみのほし、二〇一七年一二月二四日、装幀=小山力也、本文レイアウト=夏目ふみ)。新編 左川ちか詩集 前奏曲』に次いで本書が刊行されたことはまさにひとつの事件と言っていいだろう。前著の「はしがき」で紫門氏は《極力初出での収録をめざした》と書いておられる。本書はさらに徹底して、なんと初出の版面をそのまま複写して掬い取った、まるで左川ちかをモチーフとした造型作品、そう、パピエ・コレのような一冊である。

原資料については、極力鮮明なものを得ようとつとめ、ダイレクトに原誌からのテキストを採るようにした。そのために同じ作品のヴァリアントひとつでも、数回にわたって複数の個人、所蔵先などに依頼して複写を行い、最良のテキストを得られるようにつとめた。
 詩は、「もとのままがよい」といいながら、蒙昧な本を盲信する読者のため、ほぼありのままの姿を紙面に反映させた。これによって「左川ちか詩集」と掲載誌の間でどのような変化があったのか、その眼で確かめることが出来よう。》(編者の説明文より)

これは容易そうでいて、なかなかできることではない。資料集成とはいいつつ実際のところ「左川ちか全作品集」の体をなしているわけである。さらに「えでぃしょん うみのほし」では今後本書とは別に全集も予定しておられるそうだ。とにかく「凄い!」という一語に尽きる。小山氏のミラー装幀も冴えている。

左川ちか資料集成
The Black Air: Collected Poems and Other Works of Chika Sagawa

著 者 左川 ちか
編 纂 紫門 あさを
装 幀 小山力也(乾坤グラフィック)
本文レイアウト 夏目ふみ
発 兌 えでぃしおん うみのほし
発 行 東都 我刊我書房


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また、別冊として付されている島田龍『左川ちか関連文献目録稿』(中綴じ五十頁)、これもまた非常に充実している。

左川ちかーー。その存在は、女性詩人として、モダニズム詩人として、北海道出身の文学者として、翻訳家として、伊藤整の秘めた恋人として、早逝詩人として、多彩に表象されている。その詩は、シュルレアリスム詩として、都市詩として、風土詩として、恋愛詩として、青春詩として、種々に解釈されている。そのイメージは、創作詩歌、声楽作曲、人形造型、豆本制作などと、事事物物に触発されている。
 今後もどのような文脈でちかが語られていくのか、想像はつかない。そのため如何に取捨選択し、掲載するか否か浅慮を重ねたが、今回はちかの名が出てくる(稿者の実見した)総てを、あえて予断なく採録した。言い方を変えれば、批判を承知で節操なく収録した。「関連文献目録」と題した所以である。》(島田龍左川ちか関連文献目録稿・解説」より)

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たしかに、さまざまな文献が網羅されていて驚かされる。ただ、これは妄想に過ぎないのだが、古本者として、もしあったら素晴らしいな、と思うのは古書目録における「左川ちか」である。古書価の変遷とか調べると、かなり面白いだろうなあ・・・(個人的な趣味です、あしからず)。

古本関係でもうひとつ、別冊42頁に《J・ジョイス『ユリシーズ』の出版元でもあったこの書店は、セーヌ川左岸に今も佇む。》とあるのはどうなのだろう。現在のシェイクスピア・アンド・カンパニー書店とシルヴィア・ビーチの同名書店とは名前が同じ(ビーチから譲ってもらった)というだけで元来の『ユリシーズ』の版元ではないはずだが。

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by sumus2013 | 2017-11-27 21:33 | おすすめ本棚 | Comments(0)

三上於菟吉を知っていますか?

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『北方人』第28号(北方文学研究会、二〇一七年一一月一五日)とともに『夏季展示(第57回)初代直木賞選考委員三上於菟吉を知っていますか?』(春日部市郷土資料館、二〇一七年七月二二日)図録を頂戴した。深謝申上げます。

三上於菟吉は、明治二四年(一八九一)、庄和地区の木崎[きさき]に生れ、旧制粕壁中学校(現県立春日部高等学校)に進学し、作家となる夢を育みました。上京後、女流劇作家として知られていた長谷川時雨と結婚し、苦節時代を経て、昭和初期には売れっ子作家となり大成功します。しかし、まさに絶頂期であった昭和一一年(一九三六)に交通事故に逢い、その後は病気がちとなり創作は衰えます。郷土の知己を頼り昭和一八年(一九四三)、幸松[こうまつ]地区の八丁目に疎開し、翌年、当地で五十三年の生涯を閉じました。伴侶の長谷川時雨は、於菟吉の死に先立ち昭和一六年(一九四一)に六一歳で亡くなっていました。郷土の風景や故郷の人々との親交は、晩年の於菟吉にとって心の支えとなっていたことでしょう。》(植竹英生「あいさつ」より)

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三上於菟吉


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長谷川時雨


二人の写真はいずれも東京の市谷左内町(現新宿区)にあった自宅で撮影されたものと思われる。上掲の表紙に二人が将棋をさす写真が出ているのに注意をひかれた。昭和七年のことだそうである。十二ほど年上だった時雨は於菟吉の売り出しに奔走し、於菟吉を売れっ子作家へと育てたという。

昭和三年(一九二八)、女性作家を集めた雑誌『女人芸術』を創刊すると、三上於菟吉は資金援助してその恩に報いています。時雨は、「滾々[こんこん]たる泉の水は、汲めばくむほど、掘りさげれば堀さぐるほどよき質を見せ掬すべき味を示すと。」(昭和五年「大衆文学月報」)と、あふれ出る於菟吉の文才を認めています。》(本文解説より)

初め、於菟吉は海外小説の翻訳などを手がけながら糊口をしのいでいた。ゾラ『獣人』(改造社、一九二九年)やデュウマ『モントリスト伯爵』(新潮社、一九二〇年)などの翻訳があるが、後者は於菟吉の代表作「雪之丞変化」(昭和九年十一月より朝日新聞連載)の粉本となった。その「雪之丞変化」が発表されるや、すぐに林長次郎(長谷川一夫)主演で映画化されて大人気となり、於菟吉の文壇での地位も確立。昭和十年に於菟吉は「サイレン社」という出版社を設立する。昭和十三年まで活動はつづけられたようで、自著である『雪之丞変化』『随筆わが漂泊』、時雨の『近代美人伝』『草魚[そうぎょ]』などの他、国会図書館で検索してみると、けっこう面白そうな本を出していることがわかる。

本は買ったことがあったかもしれないけれど、何か三上於菟吉の作品を読んだなあ、という印象は不思議とないのだ。これから少し注意してみようかなと思ったしだい。

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by sumus2013 | 2017-11-24 19:58 | おすすめ本棚 | Comments(0)

編む人

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南陀楼綾繁『編む人 ちいさな本から生まれたもの』(ビレッジプレス、二〇一七年一一月一二日)

大学を卒業して、なんとなく足を踏み入れた出版の世界。
 はじめは大学院に受かるまでのつなぎのつもりだったが、いつの間にか、こっちの方が面白くなって、いまに至る。
 めざして入った世界ではないからか、いまだにプロの編集者なりライターだという自覚を持てないでいる。その分、やじうま根性は旺盛で、仕事にかこつけて、それまで読者として接してきた書き手や編集者に会いに行った。
 本書は、そうやってお会いした人たちとの対話の記録だ。》(はじめに)

その人たちとは、小西昌幸、竹熊健太郎、堀内恭、村元武、大竹昭子、本間健彦、牧野伊三夫、小林弘樹、山崎範子の各氏。かなり濃〜いメンツである。だから面白い。『ぐるり』『雲遊天下』に掲載されたインタビューのなかから出版に関するものを集め、谷根千工房の山崎さんのお話を加えてまとめられている。

こんな素敵で刺激的な〈編む人〉がいるうちは、「出版業界」が行きづまったとしても、「出版」という行為にはまだまだ可能性はあるはずだ。




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by sumus2013 | 2017-11-14 20:23 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ディケンズ二題

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Charles Dickens"Night Walks" PENGUIN CLASSICS,2010


『時刻表』第二号(「時刻表」舎、二〇一七年一〇月二〇日)を中島俊郎氏より頂戴した。たかとう匡子さんを編集発行人として創刊された詩と散文の同人誌である。同人は二十人ほど。中島先生(牛津先生です)は「ディケンズとウォーキング」という論考を発表されている。

先生によれば、ウォーキングと文学の創作という関係をたどっていくとイギリス文学がぐっと面白くなるそうだ。ウィアム・ボールズ『ソネット集』(一七九八)、シェリー夫妻の旅行記、ウィリアム・ワーズワース、サミュエル・ティラー・コールリッジ『覚書』(一七九四〜一八〇四)、ジョン・クレア「日曜日の散策」、そしてディケンズ。

ディケンズの日常生活は、執筆とウォーキングで二分化されていた。若い頃は乗馬も加わっていたが、後年はウォーキングのみであった。文筆活動に集中してしまい過度に自分を追い込んだ結果、重い不眠症に陥った。横になってもすぐに目がさめてしまう。その対処療法として、明け方までウォーキングを励行するようにした。「執筆に集中した昼間から午前二時にベッドを抜け出して、往復五十キロほどの道のりを歩きつづけ、わが家にもどり朝食をとるのを常とした」とは、デイケンズ自らの述懐である。

往復五十キロって……小生の住所地(京都市内)からだと、直線距離で、西なら大阪府高槻市、東なら滋賀県の守山市まで行って帰るということになる。ディケンズはただ歩いただけではなかった。この長時間の散策によって夜のロンドン、裏社会を知悉するところとなったそうだ。なるほど、たしかに『オリヴァー・ツイスト』(一八三八)などはその知識が注ぎ込まれているに違いない。

興味深いことに、ディケンズは自ら歩いた距離と環境をことごとく手紙に書き残している。燃えるような夏の炎天下で四時間半、ほぼ三十キロ歩いたと友人に報告しているかと思えば、晩秋のイタリアで悪天にもかかわらず二十キロも山中を歩き回り、また脱稿したうれしさから夕食前に二十五キロも歩いたと報告している。これは相当な健脚である。

ディケンズのウォーキングをいちはやく認めたのはフラヌール(遊歩者)ことヴァルター・ベンヤミンだった。『パサージュ論』のなかに「歩く人」ディケンズへの言及がある(小生も昔読んだはずだが、忘却の彼方なり)。

最後に、ディケンズの先人として詩人ジョン・ゲイ『トリヴィアーーロンドン遊歩術』(一七一六)を取り上げてまとめておられる。ローマ詩人たちへの言及・引用・暗示が頻出する『トリヴィア』は《古代ローマより脈々と流れる詩の伝統の末尾につなげることで、ゲイは英詩の伝統をより活性化しようと目論んでいたのである。小説家ディケンズも明らかにこうした文学的な系譜に属している。》とのことである。

The full title of the poem is Trivia, or The Art of Walking the Streets of London


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友人たちを前に『鐘』を朗読するディケンズ


たまたま、ディケンズについては、つい最近次のような記事を読んだところだったので一層興味深く感じられた。アルヴェルト・マングェル『読書の歴史』(原田範行訳、柏書房、一九九九年)より、上の図も。

一九世紀にはいると、ヨーロッパ全土にわたって、作者による朗読は黄金時代をむかえる。イギリスでこの朗読会の花形だったのは、チャールズ・ディケンズである。

クリスマス・ストーリーの第二作『鐘』の朗読に際し、欣喜雀躍とした彼は、次のように記した書簡を妻キャサリンに送っている。「私が朗読している間、ソファに腰を下ろして、本当にすすり泣きの声を上げているマクレディ(ディケンズの友人の一人)の様子を君が見ていたならば、私自身も感じているように、この朗読がなんと影響力のあるものであるか感じ取ってくれただろうに。」

ディケンズは、朗読や身振りの工夫に少なくとも二ヶ月を費やしていた。そして、どんなふうに朗読するのかを逐一書き留めている。自ら朗読旅行用に編纂した彼の「朗読用テクスト」の余白には、「愛らしく」とか「厳しく」「哀愁を帯びて」「神秘的に」「急いで」などといった調子に関するもの、あるいは、「手招き」「指さし」「震えて」「ざっとしてあたりを見回す」などのような身振りに関するものなどの覚書きが記されている。

ディケンズは朗読を終えると、ただお辞儀をし、壇上を離れて、汗でびしょびしょになった服を着替えたという。ウォーキングにしても朗読にしても徹底的にやらないと治まらない性格だったようである。





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by sumus2013 | 2017-10-29 20:31 | おすすめ本棚 | Comments(0)

名画座手帳2018

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『名画座手帳2018』(往来座編集室、二〇一七年一〇月二二日)。企画監修=のむみち、編集=朝倉史明、本文デザイン=戸塚泰雄(nu)、表紙レイアウト=往来座編集室、発行人=瀬戸雄史。

名画座手帳2017

映画手帳と名づけられているのだが、べつに映画鑑賞だけに使う必要はない。スケジュール手帳としていかにも便利そうだ。映画関係者の生没年がカレンダーの下の部分に記入されている。例えば、本日、10月25日はシブイ、三浦光雄、斎藤良輔、池広一夫が生れ、棚田吾郎、池谷仙克が歿している、というぐあい。他の附録記事も「"あの時代"の物価表」などいろいろと役に立ちそう……(たぶん)。


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右が、『名画座手帳2018』と同じく、のむみち氏製作の『月刊フリーペーパー 名画座かんべ』通巻70号(二〇一七年一〇月)、左は『おあしす増刊号』(嵐くすぐる、往来座編集室)。『名画座かんべ』のエネルギーには圧倒されます。

のむみち (@conomumichi) | Twitter

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by sumus2013 | 2017-10-25 20:10 | おすすめ本棚 | Comments(0)

定本市島三千雄詩集

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『定本市島三千雄詩集』(市島三千雄を語り継ぐ会、二〇一七年一一月一〇日)が届いた。市島は新潟の詩人で齋藤健一さんたちが熱心に顕彰につとめておられる。小生も新潟へ出向いたときには、いろいろ縁の場所を案内していただいた。なつかしい新潟の雪、傾く防風林、詩碑。下の白い冊子は『詩誌「新年」への想い』第五号(市島三千雄を語り継ぐ会、二〇一七年一一月二〇日)。

「詩誌「新年」と新潟の4人の集まり展」

市島三千雄の作品を一篇だけ引いておく。全文。


   痩せて悪智慧がある

 痩せてゐる
 其の上悪智慧があつて
 母はいつも泣く
 上等なペンと時計を買つてくれた。

 試験の點を言われてのち、一時間の課業をつぶして
 先祖代々の履歴をぬいて、母をぬいて先生にしかられて
 
 其の意氣を持つて其の意氣を持つて
 此の暴風[あれ]た堤を横にくたばれ
 貧弱に痩せてくたばれ。


《平生の暮らしの中、市島三千雄は踠き忍耐した。いらだち、せいて気をもむのであった。
 若さが有する道理上からもあったのだろう。彼は専心し、詩を書いた。生涯における二十一篇の作品。身体の全部であった。
 文字に残らずにおわった思考と実験。不可思議な実体が絶えずして忘れることをおさえとどめるのである。》(齋藤健一「後記」)

定価2500円(税込・送料無料)、御注文は「市島三千雄を語り継ぐ会」まで
950-0051 新潟市東区桃山町2-127 齋藤健一方

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by sumus2013 | 2017-10-18 20:33 | おすすめ本棚 | Comments(0)

躍るミシン

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伊藤重夫さんの『踊るミシン』(初版は北冬書房、一九八六年一一月三〇日)が復刊された。伊藤さんには『ARE』八号(一九九七年六月一日)「すべてはマンガのために生きている」特集で大西隆志さんとふたりしてインタビューさせていただいた。その記事のために『チョコレートスフィンクス考』(跋折羅社、一九八三年八月)とともに二冊手に入れ、今も架蔵している。最近ではかなりの古書価になっていた。しかしやはり復刊は目出たいです。

伊藤重夫『踊るミシン』

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by sumus2013 | 2017-10-18 19:57 | おすすめ本棚 | Comments(0)

鑛物標本

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『鑛物標本』(大日本レトロ図版研Q所、二〇一七年二月二七日)が届く。昭和十年代末に作られた木箱入り鉱物五十種集合標本の鉱物をひとつひとつ同時期の鉱物図鑑の図版とともに紹介する、という凝った造りの図録である。鉱物好きにはたまらん。小生、さほど理科は得意というわけではなかったが、岩石や植物の美しさには魅了されてきた。この五十種集合標本は見事だ。思わずジョゼフ・コーネルを連想するほど。

《本書に掲載した標本及び図版出典文献は、すべて大日本レトロ図版研Q所の所蔵資料です。またその撮影も当研Q所で行いました。また参考資料につきましても、古い書籍に関しては当研Q所架蔵のものがいくつもあります。当研Q所では、主として西暦一八六〇年代後半から一九二〇年代前半に日本国内で刊行された、自然科学・医学・薬学・地理学・女子教育・名所案内・商業デザインなどの分野の魅力ある図版を含む書籍・雑誌類や器械カタログ類、新語流行語を含む日本語の字書辞典類などを中心に、独自の視点で資料を蒐集しております。》

今後もさまざまなテーマのヴィジュアル資料を編纂するとともに資料公開も予定しているそうだ。大日本レトロ図版研Q所の活動に注目すべし。販売などについての問い合わせは下記へ。

大日本レトロ図版研Q所Lab4RetroImageJP

大日本レトロ図版研【きゅー】所




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一昨年から構想していた、昭和初期から明治期まで、化学実験に使う器械類の図版をひとつひとつ眺めてみよう、という「図鑑」の第1冊。  紙の焼け色や染み・汚れなども含め、なるべく再現して古い印刷物の雰囲気を味わっていただくべく、相変わらず全ページフルカラーで作っていく。  まずはシンプルなガラス類から、と思って取り掛かってみたところ、思いの外色々と調べることが出てきてなかなか先に進まないが、マイペースでじわじわやっていく積もり。  前回の既刊『鑛物標本』は、「なるべく早めにとにかく1冊拵える」というコンセプトだったが、今回はできるだけ制約を設けずに思うさま作りたいので全体の構成や総ページ数なども敢えて決めていない。  取り敢えず、だいたいできたところまで暫定公開。


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by sumus2013 | 2017-09-28 08:11 | おすすめ本棚 | Comments(0)