人気ブログランキング |

林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
巴里アンフェール
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
more...
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
閑でした。コピペしたので..
by sumus2013 at 19:48
『正岡子規と美術』図録は..
by epokhe at 18:45
有難うございます! 蔵澤..
by sumus2013 at 08:06
すっかりご無沙汰しており..
by epokhe at 00:39
どなたかご存知の方がいら..
by sumus2013 at 07:58
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:おすすめ本棚( 310 )

装幀者・菊地信義

f0307792_16584500.jpeg

『詩と批評 ユリイカ』令和元年12月臨時増刊号(青土社、二〇一九年一一月一五日、装幀=水戸部功)。総特集 装幀者・菊地信義。菊地氏と、本を作る人々を追ったドキュメンタリー映画「つつんで、ひらいて」の公開に合わせた特集らしい。

本書の装幀を担当している水戸部功が「生業」という菊地の初期作品を紹介している文章を興味深く読んだ。水戸部氏は菊地氏の押しかけ弟子のようである。

先日、和田誠が亡くなって、和田本を一冊でも紹介しようと、かなり探したのだが、一冊もなかった(探し得た範囲内では)。そんなことあるのかなあ、と思ったが、それは多くの和田本を処分してしまったことを意味するのだと気付いた。

菊地本はどうか、と思ってそう広くもない書棚を眺めると、講談社文芸文庫が菊地装幀であることを思い出し、それなら何冊かはあったし(以前は一棚全部くらい持っていたがすっかり売り払った)、水戸部氏がエッセイで言及している平出隆の雑誌『書紀』もあるし、菊地の著書『わがまま骨董』(平凡社ライブラリー、二〇一四年)も見つかった。だが、それ以外には・・・案外ない。要するに文芸書が少ないということだ。と思ったら、一番目立つところに飯島耕一『冬の幻』(文藝春秋、一九八二年)が挿してあるではないか。この本が好きでこれまでも何度も装幀の参考にさせてもらった。とりたてて菊地信義っぽいわけではないが、微妙な文字の扱いは独特の神経が通っている。

f0307792_16585866.jpg

稲川方人との対談で菊地氏はこう述べている。

《私が装幀で実現したいのは、目にしててにした人が一瞬にして本(作品)の消費者から作品の生産者に変わる装幀です。物語ではなく文の言葉へ人を誘うことです。物語を読むのは消費ですが、言葉を読むということは、読む人自身を読むこと、己を探すことです。》

ブランショ『来るべき書物』との出会いがベースにある言葉。個人的には、装幀は本の内容を微妙に変えると思っている。もし『冬の幻』を和田誠が装幀していたとしたら、それはまったく別の「本」になるのではないだろうか・・・要するに物質としての本は作品それ自体も読む人もどちらも変える力がある、むろん読者を生産者へと変える力も。

by sumus2013 | 2019-12-10 17:32 | おすすめ本棚 | Comments(0)

昭和前期蒐書家リスト

f0307792_20060787.jpg

『昭和前期蒐書家リスト 趣味人・在野研究者・学者4500人』(編集発行:トム・リバーフイールド、2019年11月24日)を頂戴した。これはちょっと凄いリストである。

《本稿は『日本蒐書家名簿』(日本古書通信社、1938)など6種の蒐書家名簿のデータを統合し、見出し人名の五十音順に排列したものである。収録した見出し人命は延べ4,943人だが、同一人物と思われる重複も厭わず掲出した。重複を省くとおよそ4,400人となるので、副題を「趣味人・在野研究者・学者4500人」とした》(凡例)

項目は、名前(ヨミ)、居住県、住所、典拠、蒐集分野。都道府県別の人名一覧も備えている。香川県からは二十七名が挙がっているが、小生に見当がつくのは宮脇千代くらい。以前ここでも取り上げた。

四国古書通信

さらにざっとめくっていてふと目が止まったのが肥田弥一郎。住所が大阪市南区久右衛門町12となっている。出典は「1935千里」で、これは集古会会員名簿の『千里相識』(集古会、一九三五)。蒐集分野は空欄。これは肥田渓風であって肥田皓三先生の父上。いやあ、便利だ。

例えば試しに、前に取り上げた『陳書』第十四輯の目次の人物を引いてみると、黄土色にした人名が見えないだけ。十人のうち六人の基本情報が分かったし、松井佳一が有名な蒐集家だったことも判明する(重複して収録されている)。

忍頂寺静村
松井佳一
鷲尾正久
川嶋禾舟
柳田義一
増谷石上麿
杉田顕誠
鷲尾三郎
前川清二
岡部文蔵

解説として収められている書物蔵「昭和戦前期蒐書家リストの構成と活用法、そしてこれから」も人名検索について非常に参考になる。今後もまだまだ増補されて行くようなので、それも楽しみだが、まずはこのリストを活用させていただこう。

by sumus2013 | 2019-12-09 20:48 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ペガーナ・コレクション第2巻:芸術論

f0307792_16143453.jpg

ダンセイニ卿『ペガーナ・コレクション第2巻:芸術論』(稲垣博訳、書肆盛林堂、二〇一九年一一月二四日、表紙デザイン=小山力也)読了。

芸術論というタイトルから感じられるほど小難しいものではなく、どちらかというと単純な論理で、読みやすかった。アイルランドや英国の文学に詳しければ、なおさら面白く読めるだろう。

ダンセイニ卿が今日の文章表現について憤慨していることがふたつある。ひとつ、名詞の過剰な使用。もひとつ、カンマの濫用。後者の一部を引用してみる。

《私は王立文学協会の絵画室におり、一枚の絵画を眺めているところを想像している。その絵は協会に寄贈された一枚だ。そこで私は絵画の変質を認め、そこにハエがついていると言う。ハエなど絵画からいつでも取り除けるものだ。しかしそれは、厄介なものであり、そのいくつかは永遠にそこにとどまるのだ。私がここで比喩としてお話ししたものは、「カンマ」であることはご理解いただけるはずだ。それは印刷屋のオフィスやタイピストの間で蔓延し、そのみすぼらしい滴下物で作家の原稿を汚すのである。すべての小さくてうるさいものと同様、カンマも好みを有しているのだ。ハエが目尻や手の傷などに来るように、カンマは「多分」(perhaps)という言葉の周囲に群がって来るのだ。この有害なペスト菌は、ほかにも多くの、速攻を仕掛けるべき言葉を知っている。しかし私は、この言葉以上に害を及ぼす言葉を知らないのである。もしあなたが「私は多分明日、ロンドンへ行く。」("I am going to see London, perhaps tomorrow.")と書いたとする。あるいは、「私は明日、多分ロンドンへ行く。」("I am going to see, perhaps London tomorrow.")と書くかも知れない。このどちらを書くにせよ、世代を超えてカンマを産み、育んで来た軒先から、一対のカンマが降りてきて、「多分」(perhaps)という言葉の両側に張り付くのである。そしてそれは、鉛筆文字が書かれたノートの上に落ちたハエのように、文章を不明瞭なものとするのだ。》(廃墟のなかで)

先日引用したオーウェルも蝿を嫌っていた。英国はよほど蝿の多い国だったのか(むろん日本も昔は蝿だらけだったが)。

《アフリカの旅行者と彼の旅行目的の間には、恒に目に見えぬ虫のベールが懸かっているのである。それは通常、ただ癪に障るだけのものであるが、時に旅行計画を破綻させるものなのだ。同じように作家と読者の間にも、湿地で育ったハマダラカではなく、印刷会社の事務所で育ったカンマという微小な虫が常に存在しているのである。その虫にとって、いくつかの単語は蜜のようなものであり、例えば perhaps(多分)という単語を使う作家には、その虫が大挙して群がり来るのである。》(ドネラン講義、芸術の三つの形態 I 散文)

《印刷屋の見えざる手が意味を歪めてしまうのは無論であるが、このように一定の単語の前後にカンマを打つことは破壊的な行為なのである。》(同)

《印刷工にとってニュアンスや意味などは皆、同じものであり、それはパチンコを持った悪童にとっての窓ガラス同様、尊いものではないのである。》(同)

《多分印刷工は文章を最後まで読まないのであろう。そして今のように印刷工との共同作業が続く限りはこのような意味破綻はなくならないであろう。》(同)

印刷工は毛嫌いされたものだ。誤植読本に増補したい文章である。また、シェイクスピアについて次のように書いているのが印象に残る。

《かつて私は彼の正体を覗き見たと思えた時があった。それは『テンペスト』が彼の遺作であると知った時である。その作品では嵐を呼ぶ魔術師のことが語られる。その魔術師は自分の娘の恐慌を鎮めるために嵐を和らげるのだ。そして作者は遺作の最後の頁で魔術師みずからの杖を大地のなか、何尋もの深さに埋める準備をさせる。魔術師は錘も届かぬ海中深くに沈めるのだ。そこに私はシェイクスピア自身の隠れた一面を見たように感じたのである。それは少なくとも彼自身の内なる感情であり、彼は休息を渇望しており、そこにはもう二度と戯曲を書かないという決意が込められているのである。》(ドネラン講義 II 詩)

もうひとつ「ウェントワース婦人の詩 時代に見過ごされたもの」の末尾に【参考掲載】としてウェントワース婦人のチェスの詩が挿入されている(下記)。レイディ・ウェントワースは16代ウェントワース男爵夫人で詩人、アラブ馬のブリーダーでテニスプレーヤーだったそうだ。彼女はバイロンの曽孫にあたり、父のウィルフリット・ブラントも詩人、作家であった。ダンセイニはこの文章でその忘れられた詩人を《彼女の詩は、まわり一面何もない砂漠の真中に屹立しているのである》と激賞している。


 LIFE AND TIME

Life is a game of chess we play with Time,
Who cannot err. Our Royal pawns begin.

But overset in turn by craft sublime
There is no gambit known by which we win.
Our Knights of love, our castles in the air,
Time takes them every one, for all our skill.
Entrapped or forced to some more dangerous square,
Our pieces fail us, play them as we will.

The game goes on. Awhile there is a word
Of check and counter check in brave display;
A moment our defences hold the board,
A moment yet and they are swept away;
Till over-matched, in desperate case we wait
Alone upon the board the last Checkmate!

人生を人と時の対局とみたてた内容だが、チェス用語がたくみに用いられているところが注目すべき点だろう。じつは、ダンセイニ卿はそうとうなチェスの腕前を持っていた。ウィキによれば、なんとカパブランカと対局して引き分けたというではないか。チェスでは勝敗より引き分けの結末の方が圧倒的に多いが、それでも天才カパブランカと対等に渡り合ったのは立派なものである。ということで、この詩はダンセイニ卿をいたく喜ばせたことだろう。

最後にこんなことも書いている。

《すべての芸術は理解されるものではなく、感じられるものなのである。》(ドネラン講義、芸術の三つの形態 I 散文)

by sumus2013 | 2019-12-08 17:46 | おすすめ本棚 | Comments(0)

新編 左川ちか詩集 幻の家

f0307792_20135631.jpeg

紫門あさを編『新編 左川ちか詩集 幻の家』(えでぃしょん うみのほし、東都我刊我書房、二〇一九年一二月一五日、装幀=YOUCHAN)読了。前作『前奏曲』品切れのため新たに編成し直して増刷されたとのこと。

新編 左川ちか詩集 前奏曲

《今回の『新編 左川ちか詩集 幻の家』においては、昭森社版『左川ちか詩集』や、森開社版『左川ちか全詩集』とは、いささか収録内容にちがいがある。それは極力初出での収録をめざしたということだ。なかには編者の判断によっていくつかあるヴァリアントのなかから、編者未確認をのぞいて、最適と思われるものを撰んでいるものがある。そして無辜なる新しい読者たちに届くようにと、新かなづかいによって収録することとした。詩篇であるが、昭森社版しか確認できぬものは、それによっているものがある。》(はしがき)

明治四十四年二月十二日北海道余市町生まれ、昭和十一年一月七日世田谷で死去。ちょうど二十五年の生涯である。収録されているのは昭和五年から十年までの五年間に発表された八十三篇。シュルレアルなイマージュをちりばめた黙示録的な描写がとくに初期の作品にははなはだしいが、それは短い時間に熟成して、なかほどから後半になると、表現はかえって象徴主義的な深まりを見せる。さらにあと何年か成長をみたいと思わないでもないが、左川ちかはこれでいいのだろう。

  The street fair

舗道のうえに雲が倒れている
白く馬があえぎまわっている如く。

夜が暗闇に向かって叫びわめきながら
時を殺害するためにやって来る。

光線をめっきしたマスクをつけ
窓から一列に並んでいた。

人々は夢のなかで呻き
眠りから更に深い眠りへと落ちてゆく。

そこでは血の気の失せた幹が
疲れ果てた絶望のように

高い空を支えている
道もなく星もない空虚な街

私の思考はその金属製の
真黒い家を抜けだし

ピストンのかゞやきと
燃え残った騒音を奪い去り

低い海へ退却して
突きあたりうちのめされる

(全文、『椎の木』昭和七年十月号)



  夜の散歩

 誰れも見ているわけではないのに裸になっているように
私は身慄いする。街路樹には葉がなかった。触ると網膜が
破れそうだ。今まで私をとらえていた怪物の腕はなお執拗
に強制する。信じさせようとしたり、甘やかそうとしたり
する心を。あれは無形の組立をおえたばかりの虚偽なので
あろう。いつまでも失ったものを掘りかえそうとしている
おひとよしな女への冷酷な鞭である。だから再び清麗な反
響は聴えない。成熟した日光の匂も其処にはなかったから。
内臓の内臓を曳き出してずたずたに裂いても肉体から離れ
てしまった声は醜い骸骨を残し、冬の日の中に投げ出され
ている。
 私は嵐のような自由や愛情にとりまかれていたかった。
それなのに絆は断たれた。もはや明朗なエスプリは喪失し、
大地はその上に満載した重さに耐えられぬ程疲労している。
低音を繰返し苛立たしい目付をして。ただ時々閃く一條の
光が私が見たただひとつの明日への媚態であった。

 (部分、『椎の木』昭和十年三月号)

by sumus2013 | 2019-12-03 20:50 | おすすめ本棚 | Comments(0)

冷蔵庫の中の屍体

f0307792_17005724.jpg

楠田匡介『事実探偵小説 冷蔵庫の中の屍体』(暗黒黄表紙叢書、東都我刊我書房、二〇一九年一一月三〇日)、面白く読了。

昭和二十七年、雑誌『読物と講談』に連載され『犯罪の眼』(同光社出版、一九五九年)として単行本化された。警視庁の吉川と宇野という二人の刑事が次々と殺人事件を解決してゆく(TVドラマの「相棒」みたいな感じです)。その『犯罪の眼』では連載時と配列が異なっているそうだ。そこで

《今回は、雑誌を連載順に追うことで、ひとつの流れが感じられたので、単行本の掲載順から、あえてもとに覆した。というのも、連載にしたがうことで、吉川、宇野の両刑事の同僚[バディ]としての時間や、季節の動きなど積み重ねて成長して行く過程が感じられたためだ。》(善渡爾宗衛「風俗小説としての楠田匡介の探偵鰤」)

《また、売春防止法が、施行されるまえの風俗が描かれ、東京を軸にして、千葉、神奈川といった時代の風俗に密着して書かれていて、昭和二十年代後期の戦後の復興期の熱量が感じられる表現が随所に見られるのである。》(同)

まさにその通りで、アプレゲール風俗を読み解くのも、今となっては、この小説の醍醐味のひとつになっている。

例えば、屍体が柳行李に詰められていたり、トンコ節が流行っていたり、米穀配給所や米穀台帳があったり・・・。江戸川区小岩に《東京で戦後有名になった例のパレスがある》という表現が出てくる(p39)。《例のパレス》としか書いていないから誰でも知っていたのだろうが、何のことだか分からない。検索してみると、これは「東京パレス」という進駐軍向けの慰安所を指すということが判明した。

または《ポーラの背広》という表現も出てくる。ポーラというのはイギリスのエリソン社の商標で夏物のスーツ服地。村上春樹なら《アルマーニのネクタイとソブラニ・ウオーモのスーツ、シャツもアルマーニだ。》(『国境の南、太陽の西』)とか書くところ。

道玄坂近くの印刷工場跡地で空地になっていた場所で屍体が発見されるというくだりに《ここはよく、アベックのやって来る場所であり、また肉の切り売りの渋谷の皇居前広場[五文字傍点]でもあったので》という文章が出てくるが、どうも意味がよく取れない。やはり検索してみると、実は敗戦直後の皇居前広場はアベックがデートする場所として知られていたそうで、屍体発見場所は渋谷の「皇居前広場」みたいな所だったと言いたいのだろうと思われる。《肉の切り売りの》が文字通りなのか比喩なのか小生には判然としないが。

また墨田区の吾嬬町(この町名は現存せず)の中川の岸で屍体が見つかる事件があるが、中川には《上げ潮でゴミが一ぱい浮いていて、体についたゴミを洗っていたんだね》という種明かしの発言が出ている。昭和二十年代、すでに東京の川はひどく汚かったことが分かるではないか。

三国人という言葉も出てくる。この時期には普通に用いられていたようだが、時代とともに死語となっていた。ところが、なぜか、石原都知事が二〇〇〇年に演説のなかで復活させ物議を呼んだことがあった(もう二十年近く前になるのか)。

《『さあ、無口な野郎でね、それに、日本人じゃねえもんですから……』
「三国人かい? 本名は知っているかい?』》

ここでは特段の侮蔑のニュアンスは感じられない。他にも《自由学校の五百助》とか《日曜娯楽版》《トンデモハップン》《鳩の街》などアプレゲール風俗を代表する(?)言葉満載。もちろん犯罪のプロットも、犯罪現場の描写も、今でも十分に楽しめるレベル。科学捜査も登場するのだけれど、どちらかと言うと刑事ドラマというより、捕物帳の感じではある。

by sumus2013 | 2019-11-21 17:17 | おすすめ本棚 | Comments(0)

門司の幼少時代

f0307792_17270751.jpeg

山田稔『門司の幼少時代』(ぽかん編集室、二〇一九年一〇月一七日)読了。まず何より、本のたたずまいがいい。装幀は西田優子、イラストは平岡瞳。真治彩、またやってくれた。この造本には、ちょっと参ったというか、やられたな、という感じである。そして、いかにも『ぽかん』らしい雰囲気。真治さんのメモによれば、その装幀データは以下の通りである(写し間違いがあればごめんなさい)。

角背糸かがりドイツ装ホローバック仕上げ
表紙:ビオトープGA-FS ナチュラルホワイト 四六判120kg
背 :イニコットン No.400-65
箔 :村田金箔つや消し 金 No.108
見返:モフルショコラ 四六判90kg
別丁扉:はまゆう 四六判26kg
本文:ニューシナオンクリーム 四六判77.5kg

別丁扉というのは本文とは別の紙を使った扉のことで、見返しと本文扉の間に挟み込む。本書はここに半透明な薄い紙「はまゆう」を使ってある。「はまゆう」にはイラストだけを特色(ブラック以外の色、本書の場合は水色)で刷り、本文扉の文字がイラストの背後に透けて見えるという、心にくい仕掛けである。表紙のタイトル枠にも空押しがしてあるなど、細かいところまでこだわりがうかがえる。本文組みも10ポで38文字14行、ゆったりと読みやすい。申し分ない仕上がりだ。

申し分ないのは装幀だけではもちろんない。山田さんの随筆もこれ以上ないくらい澄み切って、しかし例によってイロニックな調子も底に残しながら、センチメンタルではない、センチメンタルジャーニーを堪能させてくれる。氷屋だとか紙芝居の描写にはしびれるが、ここでは、本ブログの性格上(?)、書物や書店の登場する部分のみを少しばかり引用しておきたい。

《しだいに家に引きこもるようになった私は、部屋で寝ころんで読みあきた少年倶楽部や講談社の絵本、『正チャンの冒険』、『のらくろ』、『冒険ダン吉』などの漫画のページをめくった。》

山田さんは昭和五年生まれ。昭和十六年まで門司で育った。

《うちには何冊かのアンデルセンやグリムの童話集のほかは、少年少女世界文学全集のたぐいはそろっていなかった。私は一生その種の文学全集とは無縁だった。そもそも本好きの子ではなかったのだ。それでも子供向けの『巌窟王』、『宝島』、『家なき子』といった本はあって読みはしたがよく憶えていない。そんなものよりも私の愛読書は南洋一郎の『密林の王者』、『吼える密林』、山中峯太郎の『敵中横断三百里』、『亜細亜の曙』などの冒険小説、軍事小説だが、そのいずれもすでに読み飽きていた。
 ある日、たまたま茶の間の戸棚に、平田晋策という人の書いた『われ等若し戦はば』という緑色の表紙の本を見つけた。戦う相手はアメリカだった。》

《しかし何より胸をときめかして読んだのは家庭医学書の「赤本」だった。母にかくれて盗み読みしたからいっそう魅力的に思えたのだろうか。「赤本」のことはすでにほかの所で詳しく述べたので繰り返さない。

これは『特別な一日』に収められている。また、父上の趣味について次のようなことも書かれている。

《当時父は大阪に本社をおく会社の門司支店に勤めていたが、休みの日など、二階の部屋で何をしていたのか。たぶん本や雑誌、たとえば中央公論などを読んでいたのだろう。後日わかったことだが、父には漢詩や書の趣味があった。江戸後期の儒学者で漢詩人の頼山陽の詩をみずから墨書したものを表装して掛軸にし、床の間に掛けて楽しんだりしていた。そいういえば大きな硯があって、墨(変った形の箱に入った支那墨)をするのを手伝った憶えがある。
 それらの掛軸は戦後間もなく父が死んで一家が窮乏に陥ったとき、物々交換の有力な品となった。掛軸なら何でもと、進駐軍がいい値で買っていったのだ。一本でも残しておいてほしかった。だが、こうして交換された食料、米、油、砂糖などのおかげで生き延びられて、いまここにいる。》

喫茶店も登場しているのでメモしておこう。『特別な一日』(朝日新聞社、一九八六年)が刊行された直後、未知の人物からもらった手紙について書かれたくだり。二歳年長、門司の人で、京都にも短い間だけ住んで、小説も書いていたという。その手紙はずっと机の奥にしまいこまれ、忘れられていたが、門司の思い出を書き終わったころ、ひょっこり現れた。

《あのひとはわずかな間でも京都に住んでいたのなら、「詩人の魂」を聴いたシャンソン喫茶というのは、私も当時ときどき足を運んでいた四条河原町界隈の「再会」、「築地」あるいは「夜の窓」のどれかだったのではあるまいか。ひょっとしたら、あのひとと私は同じ店の同じレコードでこの歌に耳を傾けたのでは……などと空想を楽しんだのである。

山田さんは懐かしくなって、その手紙に書かれていた番号に電話をかける。呼び出し音が鳴る・・・と、さて、どうなるでしょう。

by sumus2013 | 2019-11-08 20:37 | おすすめ本棚 | Comments(0)

女王の肖像

f0307792_17253682.jpeg


四方田犬彦『女王の肖像』(工作舎、二〇一九年一〇月三〇日、エディトリアル・デザイン=佐藤ちひろ)読了。切手コレクションの世界も広く深い、実感させられる一冊。角背上製、濃い赤の表紙に貼り題簽という造本が「女王の肖像」と呼応しているように思える。

四方田氏とは同世代なので、切手ブームというのは、よく覚えている。中学一年のときのクラスに熱心に集めている友達がいた。小生も瞬間的に影響された。少年雑誌の広告を見て、使用済み切手のパッケージを通販で買った記憶がある。ただし、その一度で満足したというか、懲りたというか、幸いにも深入りすることなく、今日にいたっている。

著者は、小学校に上がって間もない頃、祖母から、祖母が若い頃買い求めて保存してあった皇太子殿下御帰朝記念切手(一九二一)をもらった。そのことがきっかけとなって切手に興味を持ち、自動車販売を手がける父のもとへ世界中のあちこちから到来する郵便物の切手を剝がすことから蒐集に入って行ったのだという。

《わたしはこうして切手の蒐集を開始した。折しも日本はもうすぐ東京オリンピックを迎えようとしており、郵政省は寄付金付きの菱形切手を売り出しては、子供たちの切手への情熱をしきりと煽った。切手蒐集はプラモデルの製作やワッペン、シールの蒐集と並んで、男の子たちが実践すべき必修科目のひとつと化した。お菓子を買うと美しい蝶を描いたルーマニアの切手が入っていたし、文房具屋ではビニール袋に包まれて、英連邦諸国から旧フランス植民地までさまざまな切手が売られていた。少年雑誌にはスタンプ会社の広告が満載されていた。子供たちは記念切手の発売日には郵便局に並び、新しい切手を一枚か二枚買ってから学校へ駆け出して行った。教室では休み時間に、熱心な交換会が開かれていた。》

そうそう、ここを読んで思い出した、クラスの友達から「初日カバー」というものを教えられたんだった。本書ではこう説明されている。

《「初日カバー」というものがある。英語ではFirst Day Cover、略してFDCという。これは切手がまさに発行された当日に、しかるべき郵便局に赴き、切手を貼った封筒にその日の消印を押してもらったもののことだ。》

似たような説明を友達から聞いて、どうしてそんなことをするのか、全く理解できなかった。要するに、その当時からコレクター気質には無縁だったのである。

一方、著者は半世紀以上にわたって切手を集め続け《今でも月に一〇〇〇円とか二〇〇〇円とか、海外で面白そうな新切手が発行されると、註文して取り寄せている。外国に出るときには思い切って切手商の扉を開き、いろいろなものを見せてもらい、何かしら、おしるし程度に買って帰る》、だが《要するにわたしの蒐集はどこまでも小学生時代の延長であって》《小学生時代の心に戻りたくて、いまだに蒐集をやめられずにいるということである》と書いておられる。とは言え、本書ではそのとても小学生の延長とは思えない蘊蓄の披瀝が読みどころのひとつである。とくに中国、ソ連、各地の植民地などで発行された切手についての記述にはささまざまなことを教えられる。

凹版、目打と無目打、エラー切手、加刷などの切手こだわりトピックもあり、切手を描く画家(ドナルド・エヴァンズ、平出隆氏の紹介で知られる)や切手小説(ベケットの「モロイ」)、切手の登場する映画まで飽きさせない内容。なかでも、最も引き付けられた描写は世界各地の切手商とのやりとりである。「「ペニーブラック」を買う」はロンドンのギボンズ詣での顛末、マドリードの切手商の表情、サイゴンで買ったストックブック、クロアチアのザグレヴの「フィラテリア」、九龍半島の尖沙咀の土産物屋、東急文化会館にあった小さな切手屋、ラバトやマラケシュの店、パリのパッサージュで親しくなったラカン博士のような風貌の切手商・・・切手を求めて世界をめぐった、わけではないにしても、このメトロポリタンぶりには驚く他ない。きわめつきは「キューバ青空市での奇跡」である。そこで著者は大収穫を手にする。それが何なのかは本書でたしかめていただきたいが、

《民宿に戻ったわたしは、けっして彼らを騙したわけではなかったが、持ち前の小心さから、微かに罪悪感の交じった興奮に囚われていた。これでよかったのだろうか。彼らが翌日になって切手を取り戻しにきたりはしないだろうか。》

という心配をするくらい貴重な切手だった(巻末に図版あり)。なんとも凄い掘り出し。

その小心な著者には《それを考え出すと夜になっても眠りに就くことができないような心配ごとがある》そうだ。それは・・・まあ、それも本書でお読みください。切手を集めたことがなくても、面白く読める一冊である。

f0307792_17254413.jpeg

by sumus2013 | 2019-10-29 19:10 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ぎゅっとでなく、ふわっと

f0307792_17222474.jpeg


夏目美知子さんの新詩集『ぎゅっとでなく、ふわっと』(編集工房ノア、二〇一九年一一月一日、装幀=森本良成)が届く。『私のオリオントラ』(詩遊社、一九九六年)、『朗読の日』(編集工房ノア、二〇〇四年)についで三冊目。『朗読の日』は小生が装幀をさせてもらったし、『カンラ』という夏目さんの個人雑誌や、同人になっておられた詩誌の表紙などを担当して、もう長いおつきあいである。と、同時に小生の好きな詩人のひとりでもある。

『朗読の日』以来だから、早いもので、もう十五年が経過したわけだ。その間に成されたであろう二十篇の作品が収められている。ごくごく身辺の事柄をモチーフにしたものが多く、その描写は繊細でリアリスティックである。しかし、詩そのものはリアルから浮揚してゆく。カフカ的な、いや、チェーホフ的なディスコミュニケーション・・・事物のズレがあらわにされる。

小説を読むことをモチーフとしたちょっと珍しいと思われる作品「小説読み」がその良い作例だろう。

f0307792_17191950.jpg

f0307792_17192543.jpg

上は最初の二ページ、さらに二ページつづき、最後のページは次のように終わる。

 カードは無数にあるのだ、こちら側にも。
 幾つもの事象が私に触れては消え、また、現れる。点在
 するそれらを、どう紡いだらいいのだろう。
 バラバラに私は生き、そこに筋書きはない。
 脈絡のない落ち着かない自由。私は早く知りたい。つま
 るところ、私はどうやって終わりにたどり着くのか。

 きっと、城壁の向こうに毒されているのだろう。

あるいは「丸投げまでの菜種梅雨」にはこうもある。

 自分の感覚で判断し解釈し、希望し、刻むように毎日が
 過ぎていくが、そこにどんなに沢山の的外れがあるだろ
 う。誤差は、談笑や問いかけや沈黙や放心や鼻歌の陰に、
 隠れている。それでも支障はなく平穏なままだけれど、
 全てが少しずつズレて、私達はその上にいる。ズレは大
 きくなるかもしれない。先に私が壊れるかもしれない。

またはこういう二行も。「歩く、歩く秋」より。

 「祈りは独り言ではありません」と言われる。
 日曜礼拝の説教で。

祈りというはなはだしいディスコミュニケーション。しかし、それは次のような感覚にも通じるのかもしれない。「境にドアがあるケース」より。

 道ですれ違った人との間に起きる微かな風。これを土産
 のように、私はずっと持っているだろう。
 本屋の棚の前で横移動する時、同じような人がすぐ傍に
 来た瞬間、そんなわけもないのに寄り添われたと感じて
 覚える懐かしさ。これも私は忘れずに持っていよう。

本屋の棚の前で横移動する時の微妙な感じを詩にできる人がいるとは思わなかった。表題作より。

 ふわっと関わる。
 ぎゅっとはいけない。

 風が吹く。
 過ぎて来た日のことを考える。
 
 ここから道は、急な坂になる。
 荷物を全部下ろさなければ、
 登ることは出来ないような気がする。


『朗読の日』はこんな表紙です。

f0307792_17221826.jpeg

by sumus2013 | 2019-10-28 20:08 | おすすめ本棚 | Comments(0)

中松商店の本

f0307792_16210009.jpeg


銀座・中松商店より『北園克衛 栞と樹木そして茶碗』(中松商店、2019年11月3日、限定100部)届く。北園克衛のペン画3点、紀伊國屋書店洋書部海外雑誌カタログ(一九五七、装幀:北園克衛と推定)、および中村書店の栞、が掲載されている。中松商店にふさわしいコンパクトな、そして渋いチョイスだ。

北園克衛 栞と樹木そして茶碗展
2019年11月6日〜16日 13:00〜18:00(11日休)
〒104-0061 東京都中央区銀座 1-9-8 奥野ビル313号室
tel.03-3563-1735

f0307792_16205697.jpeg


f0307792_16205123.jpeg


f0307792_16204426.jpeg



*****


f0307792_20355551.jpg


銀座・中松商店より『マッチ箱の銀座』(中松商店、2019年6月12日)届く。銀座の老舗三十数店ほどのマッチの写真が収録されている。昭和三十年代だろうと言うことだが、戦前の雰囲気を感じさせるものもあるし、五〇年代のモダニズムを反映しているものもある。さまざまな傾向のデザインが混在していながらも、どこか統一感もある。見飽きないのだ、不思議に。

佐野繁次郎のレンガ屋マッチ、洒落てる!

f0307792_20360145.jpg

f0307792_20355843.jpg


*****



f0307792_20014644.jpg


f0307792_20014952.jpg


f0307792_20015214.jpg


銀座・中松商店より『鈴木信太郎いろいろ』(中松商店、2019年5月24日)届く。展示はもう終わってしまったが、この図録を見ると、鈴木信太郎のさまざまな仕事の断片が集められた好ましい展覧会だったようだ。挿絵原画、スケッチ帳、色紙、葉書、マッチ、装幀本、陶器など、じつに楽しい雰囲気。鈴木信太郎ファンは必見です。購入は中松商店まで。

銀座 中松商店
〒104-0061 東京都中央区銀座 1-9-8 奥野ビル313号室
tel.03-3563-1735

f0307792_20015594.jpg

by sumus2013 | 2019-10-24 16:36 | おすすめ本棚 | Comments(0)

現地嫌いなフィールド言語学者・・・

f0307792_16325174.jpg

吉岡乾『現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき。』(創元社、二〇一九年九月一日)読了。フィールド言語学者がどういうものか、よ〜く分かった、ような気がする。言語というのは生き物、というかナマ物(何しろ話している人間がナマだし)。それを音として、文字として記録し(著者が研究対象としている言語にはほとんど独自の文字がないそうだ)、分析するのだから並大抵の苦労ではなかろう。しかも何やら様々な意味で厄介そうな地域において。フィールドワークと言っても植物や動物を相手にするのとは、また少し違った、人間相手の難しさもあるようだし。それらのことが本書からひしひし伝わってくる。

本書のいちばんの特徴は、一般的な言語学について解説やフィールドワークにおける苦労話にあるというよりも、著者である国立民族学博物館准教授・吉岡氏のちょっと風変わりな文体にあるのではないか、と思う。それを感じるには読んでもらうしかないが、ほんの一例として「はじめに」の終わりの方の文章を引いてみる。

《僕はフィールドワークをする言語学者だ。この本では、フィールドワークとは何か、言語学とは何をする学問か、どうして三週間で五kgも痩せるのか、どのように踏み誤ったのか、冒頭の疑問はなぜ生じるのかなどを、ときに分かりやすくときにこっそりと解題していこうと思う。そうすることで、無垢な幼い子供たちがむやみやたらと学者に憧れを抱くの阻むことができるし、それによって不幸な人を減らすことができて、研究活動を知らしめるというアウトリーチが達成されるのだから、本音で語りたい。》

と書かれているわけだが、この書き振りからも、著者のユニークな文体というか考え方がうかがえるように思う。しかも、なにゆえにか、この「はじめに」は普通「あとがき」を収めるべき巻末に置かれている。ふ〜む。

吉岡氏の調査フィールドをおおざっぱに地図上で示せば、下記の四角の範囲内になるようだ(正確には本書所載の地図で確認してください)。インドとパキスタンにまたがる山岳地帯である。帯に書かれているような少数言語を話す人々が暮らしている。政治的にはなかなか難しい地域のようで、いろいろ危ない目にも遭っておられるようだ。

f0307792_17093262.jpg
EVERYMAN'S ENCYCLOPEDIA
EDINBURGH WORLD ATLAS
J.M.DENT & SONS INC, 1958


個人的に最も有り難かったのは「茶」という言葉が、言語系統とは関係なく、各国語で似た発音で用いられている、それら各国語の「茶」を正確に記述してくれているページがあること。茶を意味する広東語のチャーとミン)語のテがそれぞれ伝播してチャやチャイ、シャイなどになり、ティーやテになったのである。むろん中国語由来の言葉を使わない言語もあるにはあるが。茶にはそれだけのインパクトと独自性があったという証拠だと思う。

f0307792_16325416.jpg


《現地が好きなのか嫌いなのか、熱意があるのかそうでないのか、ああ、やっぱり分かりにくい。分かりにくいけれど、嘘がないことだけは分かる。嘘がないことは、吉岡先生が考える研究者のあるべき姿かもしれない。》(内貴麻美「あとがきに代えて」)

目に余る嘘がまかり通る世の中、嘘がない、これ以上にほめられるべきことがあろうか。

by sumus2013 | 2019-10-07 20:19 | おすすめ本棚 | Comments(0)