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カテゴリ:おすすめ本棚( 318 )

河口から VI

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『季村敏夫個人誌 河口から』VI(二〇二〇年五月三十一日、装幀=倉本修)が届く。今号も充実の内容。

 また會はむー悼松井純二十一句・・・・・・・閒村俊一
 時間差の雲ー松井純さんのこと・・・・・・・福田尚代
 池内紀さんの戦後に十年・・・・・・・・・・時里二郎
 『旅の重さ』再読・・・・・・・・・・・・・阿部日奈子
 あやめ草・・・・・・・・・・・・・・・・・季村敏夫
 二つの森と不適切阿一つの流れ(上)・・・・岩成達也
 静けさの鳴り響きについて・・・・・・・・・季村敏夫
 バウハウス周辺ーモダニズムへの視角・・・・水田恭平
 鳥たちの空、ベオグラード・コロナ日記・・・山崎佳代子
 十二歳のスペイン風邪 大伯母の百年前日記
 野田正子日記抄・・・・・・・・・・・・・・記扉野良人

巻頭、閒村氏の連作俳句は絶唱である。松井純氏の急逝については既報した。

松井純氏のこと

初めて盃を交はせしは洛中、人文書院編集者のころ
ブルトン全集未完蕗味噌舐めてをり

弔問、二月十三日白山
にんぐわつのなきがらひとつよこたはる

起きろよ
死んだ振りするのはやめよ桃の花

起きて來よ淋しすぎるぞ春の雨

君の編集になる装幀本、枚擧にいとまなし
ジョルジョ・アガンベン『開かれ』や夕霞

春月の花見小路でまた會はむ


巻末「十二歳のスペイン風邪」はすこぶる興味深い日記である。徳正寺の六角堂の奥から埃をかぶった六冊の日記帳が見つかった。扉野良人氏の大伯母「日野のおばちゃん」の日記(大正七年五月〜十一年九月、十二歳から十六歳)だった。そのなかから、当時、猖獗を極めたスペイン風邪についての記述を中心に抜き出し本書に掲載している。女学生の日常生活がよく分かる日記である。

だが、ここではあえてスペイン風邪には触れず、大正七年七月三十一日水曜日の本に関するくだりを引用しておこう。弟が学校の成績表をもらって帰った。父は中等位だなと笑っている。

《弟はよい点であったら何か買ってくれと母に云ふてゐましたので中等位と聞いて走つて母の所へ行つて何かだだをこねてゐましたがすこししてうれしさうに向のお医者様の武夫さんと云ふ六年の方と一緒に出ました。帰つて来て何を買ふたのと云つたら「本二冊」と云ふて幼年世界とトモダチと見せました。そしてこの二冊をもつてにこ〜〜して武夫さんと二階の部屋に行きました。》(p84)

『幼年世界』(1900創刊)は博文館で巌谷小波が主筆に迎えられて『少年世界』以降立て続けに刊行した児童雑誌のひとつ。『トモダチ』は二葉社の児童雑誌だが、詳しいことは分からない(海ねこさんに何冊か出ているが、なるほどのお値段)。

もう一カ所ビビッときたのは美術に関するところ。文展を見に行くというくだり。大正七年十一月三十日土曜日。

《午後和子さんと文展へ行き、美しく赤緑黄と巧に画かれた絵画を見て来た。玉舎さんのお父さんがお書きになつた収穫と云ふのも見た。帰りに沢山〜〜絵葉書を買つた。

文展で一番善かつたのは「ためさるゝ日」と云ふ[鏑木]清方さんのだつた。
[上村]松園さんの焔もよかつたが[栗原]玉葉さんや[島]成園さんや[木谷]千種女氏のも美しかつた。》(p96)

注がついていない《玉舎さんのお父さんというのは玉舎春輝であろう。

《玉舎春輝(1880-1947)は、岐阜県に生まれた日本画家。 原在泉に大和絵の教えを受け、山元春挙に写実的技法を学ぶ。早苗会展や文展で数々の賞を受賞。人物、風景画を得意とした。日本自由画壇を結成に携わり、早苗会の解散とともに耕人社の結成に理事として参加。名は秀次郎、号は臥牛、旧姓は清水。》

それにしても「ためさるゝ日」と「」が同じ会場に並んでいたとは思いもよらなかった。こういうところが日記の醍醐味だ。他に院展も家族といっしょに出かけている(和ちゃんと一度行って二度目)。

《院展は面白かつた。けれどくど〜〜した画であつていやらしかつた。父は院展の画は皆これだと云はれた。弟もわけもわからずにこれへたとかあれが上手とか云つてゐた。》(p90)

京都のファミリーの代表かどうかはおくとしても、なんとなく京都人の趣味嗜好が分かるような気がする。その他、大正時代の生活の細部についてさまざまに教えてくれる貴重な日記。まとめて翻刻刊行されると聞いた。


by sumus2013 | 2020-05-31 20:47 | おすすめ本棚 | Comments(2)

金沢文圃閣内容見本/北方人

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金沢文圃閣より古書目録『年ふりた……』24号および驚くべき内容見本がいくつも届いた。

・近代日本製本関係雑誌集成1 全七巻・別冊
・カストリ雑誌考【完全版】全一・別巻
・粋古堂・伊藤竹酔 全三巻・別冊
・台湾・新高堂書店 村崎長昶ーー事績と回想録 全一巻
・台湾ラジオ資料集 全六巻・別冊
・日本陸軍『各部隊文庫図書目録』 全一巻
・朝日新聞「ひととき」欄の三十年 全二巻・別巻
・『台湾子供世界』『台湾少年界』 全六・別冊

金沢文圃閣



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『北方人』2020年5月別冊(北方文学研究会、2020年3月15日)は「小松伸六年譜」。一九一四年釧路市生まれの文芸評論家である。

《小松は、文芸評論家として膨大な仕事を残しているが、書き残した随筆、解説などのなかから構成したのが、この書誌的な年譜である。》

とのこと。年譜だけでもびっしり三十頁、労作です。

by sumus2013 | 2020-05-21 20:27 | おすすめ本棚 | Comments(0)

モネ「睡蓮」の世界

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安井裕雄『図説モネ「睡蓮」の世界』(創元社、2020年4月20日)。

《モネの画業をごく簡単にまとめると、代表作にして出世作の《印象、日の出》でデビューし、その生涯をオランジュリー美術館の二部屋の「睡蓮」で締めくくったと言うことができる。》(「はじめに」p2)

モネは一八四〇年生まれ、一八七四年に「印象、日の出」発表、一九二七年(死の翌年)にオランジュリーの「睡蓮」公開。本書では「はじめに」の言葉のすぐ後に詳しい年譜がカラー図版入りで配されており、まずモネの生涯がおおよそ分かる構成になっている。これがいい。ふつう年表は巻末に持ってくるものだが、後半生の睡蓮に没頭するまでの流れを知っておいた方が、モネにとっての睡蓮の意味というものが理解しやすくなるように思う。

それによれば、モネがジヴェルニーに居を構えたのは一八八三年、四十三歳のときだった。パリから六十五キロメートルの距離でノルマンディーの入り口にあたる。セーヌ川とエプト川が合流する水の豊かな土地である。家を買い取り、土地も買い足して「水の庭」を造る。そして睡蓮を描き始める。

《川の水を引くことが許されてから2年後の1895年、「水の庭」の池には、「花の庭」を縦断する散歩道[グラン・ダレ]の軸線上に、日本の浮世絵から想を得た太鼓橋が架けられた。画家は早速絵筆を取ってカンヴァスに向かい、この年に描かれた3点の「睡蓮の池」(no1-3, W1392, 1419, 1419a)〔16-17頁〕が現存している。》(p15)

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最近、ジヴェルニーを訪れた某氏が、入場するのに長蛇の列で、一時間くらい待ったと教えてくれた。ゴッホ村もすごい人だったが(古本屋がなければ絶対行きませんでした)、ジヴェルニーにもそんなに人が集まっているのかと驚かされた。モネはそこで一八九五年から一九二六年にかけて数えきれないほどの「睡蓮」を描いたのだ。本書には確認できるno.308までの作品が全て収録されている。これは壮観である。これら以外にも数多くの作品がボツになっていたらしいから、総数ではいったい何点の「睡蓮」が描かれたのか分からない。しかも大体が大画面である。なんともエネルギッシュな画家であろうか。

三十年の間にはどんどん作風も変わっている。八十歳になると、もう、ほとんど第二次世界大戦後の抽象表現主義と変わらないような激しい筆勢の抽象的な作品になってくる。目が悪くなったことがかえって写実から遠ざかるきっかけになったようにさえ思える。「睡蓮」の連作では、おそらく、その時期が最も迫力に満ちていて、個人的には一番好きだ。

小生は、もう随分前になるが、オランジュリーには入ったことがある。当時は来館者が数人いたかどうか、ほぼひとり占め状態だった(たぶん一九八〇年)。数年前に前を通ったら表まで入館待ちの行列ができていた。あんまりな人混みなので美術館の前の小石をいくつか拾ってすごすごと宿に戻ったのであった(?)。

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よくも描きに描いたなと思いながら、前へ後ろへ頁を繰っていると、おや? と目が留まるのは、やはり学生時代に何度も通った国立西洋美術館の「睡蓮」(no.131)であり、旧ブリヂストン美術館の「睡蓮」(no.34)である。若い頃に食い入るように見たモネが完全に刷り込まれている。倉敷の大原美術館は一九三〇年以来「睡蓮」(no.65)を公開しており《日本で「睡蓮の画家」のイメージを形成してきた》と書かれているが、高校時代から何度か通ったけれど、なぜかこちらはあまり強い印象はない。最近では大山崎山荘美術館の地下展示室(安藤忠雄の)で見た「睡蓮」はけっこう荒い筆致だった。

本書によれば、日本国内の美術館には二十七点所蔵されているそうだ(画面の半分だけしか残っていない「睡蓮、柳の反映」no.274も含まれる)。個人蔵もあるだろうから「睡蓮」シリーズ総数の少なくとも一割ほどが日本に招来されていることになる。モネ好きな国民性だと見ていいだろう。所蔵先も判明する限り記載されているから、この本をたよりに「睡蓮」全作品鑑賞旅行などを企ててみたら楽しいかもしれない。まずは日本国内の作品から始めましょう(わが郷里うどん県にも五点あります=直島の地中海美術館)。

by sumus2013 | 2020-05-09 21:08 | おすすめ本棚 | Comments(0)

大阪圭吉自筆資料集成

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『大阪圭吉自筆資料集成』小野純一編(盛林堂ミステリアス文庫、二〇二〇年五月六日)。よくぞ、これを出版した、というのが初見の率直な感想。好きな人にはたまらないだろう。「らくがき帖その二」と題された創作ノート、自筆作品目録、原稿、メモなどを全ページをカラーで再現、大阪の息吹に触れる思いがする。読解と解説も丁寧に行われている。

書肆盛林堂

by sumus2013 | 2020-04-27 19:54 | おすすめ本棚 | Comments(0)

白河の詩人、阿部哲

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菅野俊之氏より『関の森文庫』第12号(室井大和、2020年4月20日)というB5判六ページほどの通信が届く。菅野氏が「白河の詩人、阿部哲」という文章を寄稿されている。阿部は明治三十八年白河町生まれ。萩原朔太郎の影響を受けて『北方詩人』などの詩誌に寄稿して活躍したが、昭和七年頃から筆を折り、昭和四十二年に亡くなっている。詩集に『生物』(抒情詩社、一九二四年)がある。菅野氏のメモによれば数十年前に某書林から入手したとのこと。また『みちのく春秋』2020年5月号には古関裕而と佐々木俊一という二人の作曲家について執筆しておられる。

天気がいいので古本屋めぐりにもってこいののだが・・・どうやらどこの店もほとんどが休業中のようである。これはさびしい、というか、酸欠みたいに苦しい。

by sumus2013 | 2020-04-25 20:32 | おすすめ本棚 | Comments(0)

〈美しい本〉の文化誌

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臼田捷治『〈美しい本〉の文化誌 装幀百十年の系譜』(Book & Design、二〇二〇年四月二十五日、ブックデザイン=佐藤篤司)読了。まさにブックデザインの教科書というべき内容である。

〈美しい本〉の文化誌 装幀百十年の系譜

ここ二十年ほどの間に装幀に関する展示や書籍が数多く出版されてきた。紙の本の終焉が叫ばれるのと歩調を合わせているようにも思われる。本書は、その成果をしっかりと踏まえ、これまでの著者による「美しい本」追求の総決算のような趣に仕上がっている。

《わが国の近・現代装幀史の光芒をたどる初の試みであると自負するものであるが、あらためてその裾野の広さと分厚い歩みに感銘を深める。》(あとがき)

《これまでの装幀が内にたたえていた、世界的にも並びないに違いない豊穣な本質を総合的に検証すべき時が来ているのであり、本書がその内実を明らかにすることで未来を見通す一助となることを願ってやまない。》(同前)

未来を見通せるかどうかは読者しだいかもしれないが、その材料は、これ以上ないくらいに開陳されており、ある意味、百十年間におけるさまざまな時代の考え方が、作例とともに「言葉」のエッセンスとして示されている。要するに、多くの人たちの装幀に関する発言を丹念に拾って、ここぞという部分を抜き出して教えてくれる。そこからおのずから近現代における装幀の変化とそれにまつわる言説の変遷を(あるいは変わらない部分を)知ることができるのだ。この腑分けのメスの確かさが本書の読みどころであろう。

小生も装幀史に関してはそれなりに注意してきたつもりだが、いろいろと教えられることが少なくなかった。

例えば、

《一九三二年に刊行された未来派のリーダー、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティの詩集『未来派の自由態のことば』は金属板へのリトグラフ印刷であり、それを金属チューブで綴じるという特異な造本である。》(p127)

というくだりを読むと、どうしても佐野繁次郎の金属板を貼付けた『時計』(創元社、一九三四年)や小石清の『初夏神経』(一九三三年)との関係を連想してしまう。マリネッティにそんな詩集があったのかと思って画像検索してみると、それほど直接的に佐野や小石に影響を与えたようには見えないが、金属板を書籍に使うという発想そのものが時代の尖端であったことは分かる。

また書籍の用紙について論じた「装幀は紙に始まり紙に終る」も勉強になった。たしかに紙を選ぶということはデザイナーにとって最も重要な決定の一つである。そういう自覚を持つ、恩地孝四郎、志茂太郎、長谷川巳之吉、亀倉雄策、江川正之、野田誠三、細川書店らをマテリアルへのこだわりの観点から論じてこう結論するところなど、なるほど、そうだと膝を打った。

《こうして見てくると、用紙理解の深まりはわが国におけるモダニズムの定着とほぼ軌を一にしていたと要約できるだろう。先覚者たちの用紙への着目は、旧弊および旧来の美意識から脱け出ようとする「近代の意識」の所産であった。》(p143)

そういう意味で紙とその紙を開発したデザイナーとの関係はじつに興味深い。

原弘 
アングルカラー NTラシャ 新局紙

田中一光 
タント 里紙 Mr.B

矢萩喜従郎
ヴァンヌーボ

これらは今も使われており、ヴァンヌーボ、タント、里紙あたりは小生も頻繁に指定しているが、たしかに、そう言われてみると、紙の風合いの違いが時代相の違いを反映しているように感じられてくる。他に菊地信義の考案した紙というのも一時期よく使ったことを思い出す。

装幀家が装幀する本を読むべきか、読まないでもいいのか、この問題についても様々な意見が拾われており、非常に参考になる。人それぞれの方法論があり、読み込んだからいい装幀ができるわけでもない。そこが難しいところ。ただ、これは言えるだろう。

《「書かれている内容はおなじでも、活字や紙質、行間や天地の空白によって言葉の表情が変わる。組版の変更しだいで、最初の出会い以後、幾度も読み返してきたなじみのある世界が、大きく変容するのだ」》(p233)

堀江敏幸の『傍らにいた人』(日本経済新聞出版社、二〇一八年)からの引用である。本好きなら誰しもが感じることだ。これは言い換えれば、

《「組版の造形そのものに言語伝達の本質があるわけではありまあ[ママ]せん。けれども書体の形をはじめとする組版の造形には、時代の感性と技術、歴史の記憶、身体が感知する圧倒的な量の非言語情報が存在しています。テキストは、これら非言語情報によって『形』を与えられ、視覚言語としての機能を果たすことになるのです」》(p255)

という白井敬尚の発言(京都dddギャラリーでの個展冊子)になろうか。字や紙が変われば、同じテキストでも違う読まれ方をする・・・テキストの変容。いや、テキストというものを仮に「魂」とすれば、そもそも「肉体」がなければ存在し得ないわけだから、装幀(造本)こそがテキストそのものであると考えても何の差し障りもない。このあたり、真剣に突き詰めてもいいかもしれない。

時節柄、ぎょっとしたのは橋口五葉についてのこのくだり。

《残念なことに五葉は壮健な体質ではなかった。木版画家としての大成を待つことなく、流感がもとで大正十年(一九二一)、四〇歳の若さで彼岸に旅立った。》(p92)

流感というのはスペイン風邪の何波目かの流行だったのだろうか。みなさん、くれぐれも気をつけましょう。


by sumus2013 | 2020-04-21 21:20 | おすすめ本棚 | Comments(0)

明日咲く言葉の種をまこう

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岡崎武志『明日咲く言葉の種をまこう 心を耕す名言100』(春陽堂書店、二〇二〇年三月二〇日、装幀=クラフト・エヴィング商會)届く。以前、文庫で出た『読書で見つけたこころに効く「名言・名セリフ」』に映画やドラマの名セリフを加えて再構成した内容だとのこと。文庫から単行本になったのである。

岡崎武志『読書で見つけたこころに効く「名言・名セリフ」』

あちらこちら読んでいると、その「名言」を吐いた人物を選ぶ、その目配り、というか琴線の張り方がさすがである。古い人、新しい人、さまざまなジャンルの人をうまく塩梅してある。嬉しかったのは桑島玄二。涸沢純平『遅れ時計の詩人』(編集工房ノア、二〇一七年)から、隣のプレス工場の騒音にまいっている涸沢氏に、桑島が

「はげめよ、はげめよ、と聞いたらいいのと違うか」

と言って励ました(なぐさめた?)という逸話を拾ってくれている。それから、一昨日取り上げた美を求める小林秀雄について、小林の「誤解されない人間など、毒にも薬にもならない」を取り上げたパートでこうも書いてある。

《「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」(「当麻」)
 おそらく小林秀雄の書いた文章の中で、一番有名なのがこのフレーズ。世阿弥の「美」に対する認識について、小林なりに要約した言葉だと思うが、こういった断言にしびれたのである。》(p114)

たしかに、美しい花うんぬんには小生もシビれた。プラトンの「イデア」とオッカムのウィリアムの「唯名論」をこういう言葉につむげるというのは、芸と言わずして何と言うべきか。小林が読まれる理由もこの辺りにあるのだろう。

おやっと思ったのはポール・ヴェルレーヌの詩「冬は終りに」(堀口大學訳)。そこから

 どんなにさびしい心でも、
 空気の中にちらばった
 このよろこびには負かされる

を取り上げているが、これは危ないんじゃないか、と一瞬心配した。大學訳はときとして意訳が過ぎる。原詩を参照してみるにしくはない。この詩句はヴェルレーヌの『La Bonne Chanson』(1870)の最後に置かれている詩「L'hiver a cessé」(直訳すれば「冬は止んだ」)、その第一連が下記。

 L'hiver a cessé: la lumière est tiède
 Et danse, du sol au firmament clair.
 Il faut que le coeur le plus triste cède
 A l'immense joie éparse dans l'air.

 冬は終りになりました。光はのどかに一ぱいに
 明るい天地にみなぎって
 どんなにさびしい心でも、
 空気の中にちらばったこのよろこびには負かされる

出だし四行分の大學訳(本書による)。うん、これは上手く日本語に置き換えてある。danse(ダンスする)を《みなぎって》としたのが自然でいい。

最後にもうひとつ、コロナ禍の最中に、しみる言葉はこれかな。寺田寅彦『柿の種』より。

 しかし、どんな悪いことにでも
 何かしら善いことがある     

ただし、ガンジーはこう言ったそうだ。

 よいものはカタツムリのように進むのです。

こういうときは早く進んで欲しいけど。ま、マクベスいわく「何でも起きるがよい。時はどんな荒れた日でも過ぎて行く」だ。そして本書はこういう引用で締められる。

 おたがい、生きている

ディック・フランシス『矜恃』より。詳しくは本書を直接ごらんください。好著。

by sumus2013 | 2020-03-25 20:30 | おすすめ本棚 | Comments(0)

妖精についてのおはなし

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井村君江『妖精についてのおはなし 新・妖精学入門』(Oisein press、二〇二〇年四月三十日)。妖精については通り一遍のことしか知らなかったが、ヨーロッパ文化の古層、キリスト教以前の世界を象徴する存在であって、それらは現代にいたるまで深く根付いていることを再認識させられた。本書はイギリス、アイルランドを中心とした、妖精(フェアリー)のすべてを教えてくれると言っても過言ではないくらい、入門書としてはベストの内容になっているように思う。

妖精にはきっちりとした分類があるので詳しいことは本書を参照してもらうのが最善、よってここでは日本語の「妖精」という言葉について考察された部分を手短に引用するだけにとどめておく。

《「妖精」という語が日本で一般に用いられるようになったのは大正末期・昭和初期の頃です。明治三四年、上田敏は「仙女の説」という小論を書いて、「フェアリィ Fairy 好訳字無し。ただ仮に「仙女」と呼びその性質の範囲を定め、輪郭を設くるのみ」と日本語には同じ概念がないことを指摘しています。そして Fairy を「蝶の化生」「虫の変化」のような「縹渺とした夢幻の仙女」といっています。》(p44)

「仙女」は古く『元享釈書』(一三二二年)に見えており、『風土記』では「天女」「西王母」「乙姫」といった中国系の語で呼ばれていた。西條八十は「妖女」(大正二年)を、松村みね子は「妖精」(大正一四年)の訳語を用い、芥川龍之介は「精霊[フエアリイ]」(大正一三年)、菊池寛は「仙女」「女の魔神」(大正一四年)を用いている。そして同じ頃「愛蘭土文学会」の吉江喬松や日夏耿之介らが「妖しい自然の精霊」として「妖精」という訳語を頻繁に使いはじめてから定着した・・・案外と新しい言葉だったようだ。

たまたま手許にロンドンのヘンリー・ソザーランという古書店が発行した目録『CHILDREN'S & ILLUSRATED BOOKS WINTER 2018』(HENRY SOTHERAN LIMITED)があるのだが、そこにフェアリー本がかなり掲載されているので、めぼしいものを掲げてみる。

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BARRIE, J.M.(author). F.D.BEDFORD(illustrator)
Peter and Wendy[1911]



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RACKHAM, Arthur(illustrator). Edmund GOSSE(introduction by)
The Allies' Fairy Book,[1916]


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MILLER, Hilda(illustrator). Alice M. RAIKER(author)
The Story of Dulcibella And The Fairies, circa 1924



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RACKHAM, Arthur(illustrator).
The Arthur Rackham Fairy Book, 1933



妖精についてのおはなし_f0307792_17044795.jpg
BARKER, Cicely Mary(author and illustrator)
The Book of the Flower Fairies, 1940


妖精についてのおはなし_f0307792_17044320.jpg
BARKER, Cicely Mary(author and illustrator)
The complete set of the Flower Fairy Books, 1950


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VAN SANDWYN, Charles(author and illustrator)
The Gnome King's Treasure Song, 2000



時代ごとにスタイルを変えながら、妖精への愛は途切れることなく続いているのがよく分かる。




by sumus2013 | 2020-03-24 20:27 | おすすめ本棚 | Comments(0)

海鳴り 32

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『海鳴り』32(編集工房ノア、二〇二〇年四月一日)届く。山田稔「ヌーボーの会のこと」が載っているが、まず中尾務さんの「おせわになりました」から読む。中尾氏が富士正晴記念館で「常勤臨時職員」として務めることになる経緯や、二〇一〇年から九年間にわたる展示、報告書、講演会などについて総括しておられる。いい仕事をしたな、というのが正直な感想。

展示についてはそのごく一部しか見ていないが、講演会には呼んでもらったし(富士正晴『初期絵画とペン画』)、報告書にも解説を書かせてもらった。両方ともやったのは小沢信男さんと小生だけだそうだから、ちょっと自慢できる(人選の本当の理由は予算がなかったからだそうです)。中尾氏はタダで書いてくれそうな人を選ぶ嗅覚がある。坪内祐三についても『cabin』に書いているのを見たとき、「よく頼みましたね、というか、よく書いてくれましたね」と中尾氏にたずねたら、「坪内さんなら、書いてくれると思った」との答え。たしかに。

坪内祐三もその企画展に登場している。講演会もあった(ちょうどパリへ行っていて聞けなかった)。中尾氏は着任早々、坪内に目をつけていた。

《今回、日記をながめて、初出勤から十日目に〈坪内祐三、織田正信、富士で展示可能か〉と記していることが分かった。織田正信は坪内祐三の父方の祖母の弟にあたり、富士正晴は、戦後、この織田訳のヴァージニア・ウルフ『オーランド』を呼んで詩から小説に転じているのである。加えて、記念館所蔵資料中には、大学院を出たばかりの坪内が最晩年の富士に出した書簡三通と、坪内が富士におくった織田訳のロレンス・スターン『風流漂泊』。とっかかる材料としては、充分。》

《勤務二年目の二〇一一年秋から開催。展示にあわせる恰好でこの年の講演会を坪内さんにお願いした。講演後早々に、坪内さんは〈参加者は七十名ほどだったが、講演を楽しめた人間は二十人いたかどうか。/と言うのもかなりマニアックな講演を行ってしまったからだ〉(「織田正信のこと」)と書かれたが、こちらの日記には〈講演、参加者アンケートでも好評〉と記載されている。坪内祐三、二〇二〇年、没。》

坪内の父方の祖母は旧姓織田で織田信長の係累だという。坪内が富士正晴に手紙を書いたというのは、『オーランド』を読んだ富士が織田正信が誰なのか分からないと書いているエッセイを見つけた坪内が、井伏鱒二が森鴎外にニセ手紙を書いたように、自分は織田の同人誌仲間だが(もちろんウソ)、これこれこういう人だと富士へ書き送った、ということらしい。三通くらいやりとりした。二十八歳のときだそうだから、大学院を出てぶらぶらしていたころか。それらの手紙が展示されたわけである。これについては福田和也との対談『不謹慎』(扶桑社、二〇一二年)で述べられている。

坪内は富士正晴に高校生時代から注目していた。『中国の隠者』(岩波新書、一九七三年)を読んで

《面白いことを言うオジサンだなと思い、何だかとても自由な風を感じた。》(『新書百冊』新潮新書、二〇〇三年)

というのだから、やっぱり「シブい」高校生だった。

山田稔「ヌーボーの会のこと」はヌーボーの会という読書会の会報が押入れの奥から出てきたことで、その内容をかなり詳しく紹介している。他に涸沢氏は「しずかな夫婦」と題して天野忠の奥さん(天野秀子)が昨年暮れに亡くなったことを書いている。百歳だったそうだ。

by sumus2013 | 2020-03-13 20:03 | おすすめ本棚 | Comments(0)

さようなら、坪内祐三

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本の雑誌』2020年4月号(本の雑誌社、2020年4月1日)「特集 さよなら、坪内祐三」を入手。ふつうなら四条富小路のジュンク堂へ直行するところだが、二月末で閉店してしまったので(四条河原町コトクロスのブックファーストは二〇一八年一月に閉店しているし)、結局は河原町通りを北上して丸善へ。

雑誌コーナーにあるだろうと思ったら見当たらない。考えてみれば、ここで『本の雑誌』に限らず雑誌というものを買ったことがなかった。階段脇にもどって、そこに五、六台並んでいる端末で店内在庫を検索すると『本の雑誌』四月号、数量1、が文芸のコーナーにあることが分かった。文芸コーナーはときどき立ち寄るが、『本の雑誌』なんかあったっけ、と思いながら現場へ到着すると、書物関係の単行本がまとめられた棚に『ユリイカ』や『本の雑誌』のバックナンバーが並んでいた。

ところが『本の雑誌』は三月号しかない。三月号は十冊ほどもあって面陳だ。昨年からのバックナンバーもそれぞれ一冊くらいは棚挿しになっているし、これはいい棚だなと思ったものの、四月号がないのはどうしたわけか。在庫ありになっていたのに、誰かが今、手にもって店内を徘徊しているのか・・・などとらちもないことを考えてしばし佇んでいると、女性の店員さんがツツツと近づいて来たので「四月号はないんですか?」と質問してみたところ、なんと彼女がその手に持っていたのが四月号であった。「いま、ちょうど届いたところなんです」「それ買います」「え! そうですか、どうぞ」というような会話があって無事入手。

ざっと読み通す。さすが『本の雑誌』だ。渾身の追悼号になっている。

 最初に「本の雑誌」に原稿をもらったのが九一年一月号でしょう。その後、もう一回書いてもらって。ロング・インタビューのあと、九七年四月号に単発で読書日記を頼んだの。今でも覚えてるけど、会社に行くと机の上に原稿がのってて、読んだら、驚くほど面白い。これは連載だと思って、「これ連載だよね」って言ったら、浜本と今は書評家になってる吉田伸子が俺のほうを見て揃って「でしょう?」って言うわけ。誰が見ても「本の雑誌」向きだった。それで連載が決まったんです。》(「ロング・インタビューのころ」亀和田武 vs 目黒考二、目黒氏の発言)

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生前のままの状態の坪内祐三の仕事場
2020年2月3日:撮影(中村規)


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大久保の小料理店「くろがね」から譲り受けた
井伏鱒二ゆかりのちゃぶ台で原稿を書いた


追悼というのは、結局、書く人が自分のことを書くんだな、と当たり前の事実を改めて反芻しつつ、自らも書かなければならないので、気を引き締めて仕上げようと思う。


by sumus2013 | 2020-03-11 21:30 | おすすめ本棚 | Comments(0)