林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
巴里アンフェール
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
なるほど、そういうもので..
by sumus2013 at 12:26
「それ以外の二百二十部に..
by Kyo at 11:15
有難うございました。林く..
by sumus2013 at 20:15
遅くなりましたがやうやく..
by 中嶋康博 at 18:44
ご覧いただき有難うござい..
by sumus2013 at 21:00
坐る女性、馬を引く人々、..
by みなみ at 18:11
本年もどうぞよろしくご教..
by sumus2013 at 08:10
有難うございます! そう..
by sumus2013 at 08:05
珍しき ひかりさしそふ ..
by epokhe at 01:58
遅ればせながら新年明けま..
by epokhe at 01:38
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
ルーベンスの故郷、ヨーロ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
視聴率に関係なく選んだ2..
from dezire_photo &..
宝石のような輝をもった印..
from dezire_photo &..
ルネサンス美術の巨匠・ピ..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
過去に来日した傑作を回顧..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:おすすめ本棚( 279 )

ダイヤモンド|因数猫分解

f0307792_16340628.jpg

伊藤重夫『ダイヤモンド|因数猫分解』(田中敦子+踊るミシン復刊会、二〇十八年十一月二〇日)読了。

『踊るミシン』復刊

収められているのは「塔をめぐってより」『夜行』1982、「コートにすみれ」『COMICBOX』1984、「ワルキューレ1」『夜行』1984、「ママレードのプリンセス」『COMIC ばく』1984、「因数猫分解」『CHRIS No.005』1989?、「ダイヤモンド」『A*ha』1990-91、他小品。

伊藤重夫の世界がたっぷり楽しめる。神戸の風物や歴史(タルホも登場)がバックグラウンド(あるいはバックボーン)としてしっかり描かれているのがまず目立つ特徴のひとつ。そして物語としてのキッチリした結構の上に、大胆なコマ割りと練られた会話で登場人物たちを踊らせ、全体を含羞に包まれた青春ドラマとして精緻な仕上がりに導く。とくに「ダイヤモンド」の色彩の艶やかさには目を瞠った。まさにバブリーな時代の繁栄を反映しているように思えて(『A*ha』という漫画誌が鳴り物入りで創刊されたことがなつかしく思い出される)、ある意味、この復刊は、絶妙のタイミング、なのではないかと思ったりもする。

f0307792_16340148.jpg

《かつて僕は某大手出版社から。5回分の漫画を依頼された。そして第二話の原稿を渡した後に、その作品は失敗だと思いいたった。新しく短編を描いて渡し、いままでの分は破棄してくれるようお願いした。これが唯一出版社から依頼されて描いた漫画だ。それ以降、作品は出来上がった後しばらく持っていて、何度も描き直しをするようになる。そしてこのことが、一冊分の描き下ろしをやるきっかけだった。描き下ろしだから、頁の順番どおりに描く必要はなく始まりを描いた後、最後の方に手を付けたり、中間を描いたりした。最後にエピソードを外に出した。》(あとがき)

自らの思うがままに描いて高い完成度に達するというのが、おそらく最も難しい。よほど確たるヴィジョンと固い意思がないと未完のまま終わってしまうだろう。伊藤氏のように可能な限り自分に正直に生きたいものである。

by sumus2013 | 2019-01-09 20:28 | おすすめ本棚 | Comments(0)

真間

f0307792_17011755.jpg


  冬ざれやどの舟からも夕烟

  寒木瓜や筆師の店の昼さがり

  新築の遊女屋みゆる冬田かな

  客ありて灯る座敷や花八つ手

  大雪に茶屋のぞめきや女橋


猪場毅『真間 
伊庭心猿著作集』(善渡爾宗衛編、我利我書房、二〇一八年一二月三一日)読了。亥年に紹介する一冊目が猪場毅というのもゴロがよろしい。年末に届いて以来、じっくり愉しませてもらったが、なんとも味わいのある随筆が揃っており、ぜひ普及版で編み直してもらいたいと思わずにはいられなかった。

真間 -伊庭心猿作品集-

本書巻末に付された杉山淳「「伊庭心猿作品集」解説」より猪場の経歴を簡単に紹介しておく。

伊庭心猿。富田木歩の弟子として、宇田川芥子の名で、活動を開始し、後年、平井呈一とともに、荷風の偽短冊、偽色紙の制作や売りさばきにかかわり、荷風の問題作「四畳半襖の下張」流出の犯人といわれた、猪場毅その人でもある。

猪場毅は、一九〇八年、東京日本橋に生まれ、父親の別宅が玉の井にあったことから、しばしば、俳人富田木歩の経営する貸本屋を利用していた。あるとき、木歩から句作の誘いがあり、それに応じたことから、猪場毅の文学との接触がはじまる。このとき、わずか十四歳である。猪場毅は早熟の人だった。その後、木歩から宇田川芥子の俳名をもらい、不良仲間といっしょに木歩になんらかの被害を与え、破門されるまで、木歩の弟子として短期間活動した。猪場毅は、自身を俳人と規定したらしく、波乱万丈な生涯をおくるなか、俳句とは常にかかわりつづけた。

木歩に破門されて各地を放浪した。その時期のことははっきりしない。大正末から昭和初めにかけて佐藤春夫の門下となり、和歌山に住んで南紀藝術社を設立、雑誌『南紀藝術』(全十冊)の編集にあたった。東京に引き上げて同人雑誌に小説を発表したようだが、はっきりしたことはわからない。本書には伊庭春夫の名前で発表された小説、評論なども収録されている(猪場毅=伊庭春夫かどうかはまだ決定的な証拠はないようだが)。昭和十三年頃、永井荷風と親しくなり、平井呈一とともにアシスタントのようなことをするようになる。そして上記のような偽作を始め、さらにはもっと悪質な行為に及んで荷風から絶交された(この破門についてはかなり詳しく考察されているのでぜひ本書を参照していただきたい)。

戦後は雑誌『真間』(六冊)を発行し、また諸家の代作や辞典校勘に携わったという(燕石閑人「也哉艸叙」)。二年間の闘病の後、昭和三十二年二月二十五日、肝臓癌のため死去。本書に収められている単行本覆刻は以下の四種である。これらがなんとも味わい深い。

『繪入東京ごよみ』昭和三十一年十月 葛飾俳句会
『墨東今昔』昭和三十二年二月 葛飾俳句会(此君亭蔵版 私家版)
『心猿句抄 やかなぐさ』[句集也哉艸]昭和二十六年六月(私家版 非売)
『やかなぐさ』[也哉艸 伊庭心猿句抄昭和三十一年九月 葛飾俳句会(此君亭蔵版 私家版)

他に俳句撰、随筆拾遺、「真間」文集。宇田川芥子文集、「南紀藝術」あとがき、伊庭春夫文選、そして富田木歩の「芥子君のこと」「貸本屋のはなし」二篇を収める。本書を実現させた方々の「自分だけの作家を持つ楽しみ」が伝わってくる、ある意味、驚くべき一冊である。

古本屋が登場する一文があった。引用しないでは居られない。

《「ごめんください」
 「どなた?」
 「文林堂です」
 勝手知つた庭口の木戸をあけて、蓬髪の男がはいつてくる。自転車で来たのか、日に焼けた額に汗が流れてゐる。
 この人、日本橋本小田原町の生れで、中学では俺の後輩。だから、ただの客と商売人との関係以上のつきあひである。家は父親の代まで、ずつと魚河岸の顔役だといふ。永年勤めた神保町の本屋をやめて、この土地ではじめて店をもつた時、肝心の本棚がいつぱいにならないので、多くもない俺の蔵書をごつそり持つてゆき、函と中身を別々に並べてやつと開店したといふか笑ひ話もある。そんな仲なので、たいがいの無理はきいてくれるし、また向うが困つた時には相談にものる。
 「どうですか?すこし元気がでたようですね。ーーさつぱり荷が集らないので、また少し無心に来ました」
 荷とは古本屋仲間の用語で、同業者が市に持つてくる品のことである。
 「無心はこちらがしたい位だ。けれど一向に貯らないよ。読まないし、買はないし……」
 「どのくらゐにしますか?」
 「女房も伜も働きだしたから、さうさ、当座三千円もあればいいよ」
   中略
  彼は書棚から一冊づつ抜きとり、中を改め、馴れた手つきでパタンと音をたてて閉じ、傍らに積んでゆく。三冊、五冊、十冊、十三冊で止つた。幸に、こちらに愛着のある本は無事である。
   中略
 「へえ、驚きましたね、あの引込思案の人がね。ーーでは、これだけになりますが如何でせう?」
 「いいさ、助つたよ。またちよいちよい顔を見せてくれよ」
 古本屋が去つたあと、うろぬきになつた書棚を眺める。そして、漠然と本を数えてみる。いちばん上の段には三十二冊、次の段は三十六冊。全部で八段だから、目分量で三百冊くらゐある。みんな処分すれば、ざつと五万円にはならう。まづ当分は、さうあわてなくてもよろしい。》(「青い林檎八月十八日の私記」『馬酔木』昭和三十一年十月)

とこんな調子である。略したところの会話がまたいいのだが、長くなるので。引用した俳句はいずれも『心猿句抄 やかなぐさ』より。

 誰彼のいま亡しときく炬燵かな



by sumus2013 | 2019-01-02 21:18 | おすすめ本棚 | Comments(4)

ベオグラード日誌

f0307792_17071458.jpg

山崎佳代子『ベオグラード日誌』(書肆山田、二〇一五年二月一〇日二刷)。「百年のわたくし」(https://sumus2013.exblog.jp/30181220/)会場で求め(著者サインを頂戴しました)ゆっくりと読んでいた。日記体ではあるが、日記を超えて創作として堪能できる、多くのことを考えさせてくれる作品である。

《本書は、季刊誌「るしおる」の45号から終刊号の64号まで、二〇一年から二〇〇七年の間にかけて連載されたエッセイ「ベオグラード日誌」をもとにしている。このたび加筆し、十二年間の暮らしを点描した。

《詩を書きはじめてから、私はベオグラードの住処を変えていない。宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンの名をとった通りの名は同じなのに、国の名前は何度も変わり、ユーゴスラビア社会主義共和国連邦から、今はセルビア共和国となった。激動と言っていい時代を、日本とセルビア、世界の様々な土地に住む友人たちや家族に守られて、葡萄酒の美味しいこの土地で暮らすことができた。》(終わりに)

共通の知人宅で初めてお会いしたのが二〇一六年の七月、同年十一月には日文研のフォーラムで講演されたのを聞かせてもらってすっかりファンになった(と言いながら著書を読んだのは今年になってからとは・・・なさけない)。

ツルニャンスキー

山崎さんは非常な本好きとお見受けした。むろん内容本位(読む人ということ)であって古本者ではないと思われるが、本に対する執着はかなりのもの(打ち上げなどでその言動を観察した結果で断定します)。日誌に古本が出てくる箇所があった。二〇〇五年。

《十二月十五日
 文学芸術研究所にてセルビア高踏派詩人ミラン・ラキッチ(一八七六年ー一九三八年)の研究会。ペトコビッチ教授が座長をつとめる。韻文の形式を研究しているSさんが、戦前に出版された貴重な詩集を持っている。「市場で見つけたの。夏、野菜を買っていたら、お婆さんが屋台に本を数冊、並べている。ああっ、と驚いた。すぐにお金をとりに家にもどって買ったのよ」紙は黄ばんでいる。ミラン・ラキッチは、パリで法学を学び一九〇四年から外交官として働きながら、詩を書き続けた。ベオグラード文体と呼ばれるスタイルを築いた詩人。当時、オーストリア支配下にあったコソボのプリシティナ市に領事として駐在、一九〇八年から一一年までを過ごした。

う〜む、どこの国にも掘り出しものはあるのだ、当たり前ながら。

ベオグラードの人々との交流も読みどろこではあるが、リアルだったのは二〇一一年三月一一日の記述。ちょうど日本に帰国してまた戻る直前だった。

《三月十一日
 代官山町のIさんの集合住宅の六階、床にトランクを広げて荷づくり。午後二時四十分ころ、突然、テレビがベルを鳴らし地震警報を告げる。三陸沖が震源地らしい。わずか数分でぎしぎし建物が揺れはじめた。窓の向こうの灰色の高層ビルも、ゆさゆさ左右に揺れている。長いこと建物は揺れ、縦型ピアノが動きはじめ楽譜がばらばら落ちていく。乾いた音をさせて震えるテレビの画面は、地震が東北地方を襲ったことを告げ、津波警報を発している。傍にあった椅子に足をしっかりつかんでしゃがみ、揺れが止むのを祈る。なんということなのだろう。なんということになったのだろう。唇がかさかさに乾いていた。扉を開けて、お隣の奥さんと初めて声を交わす。
 代官山駅は人であふれた。電車は止まった。だれもが静かだ。大きな声を上げる人はいない。駅のそばの電話ボックスに人の列ができていた。携帯電話はつながらない。人々は歩いて家に帰ろうとしている。不思議な静けさには哀しみが染みこんでいる。》

文中「揺れが止むのを祈る」とあるところになるほどと思わされた。今の日本人はこういうときに「祈る」だろうかな、とちょっと考えてみたりした。それにしても、金時鐘氏も東京にいたということを以前書いたが、山崎さんも3.11を体験していたとは。

『背中の地図 金時鐘詩集

もう一度「終わりに」から引用しておく。

《バルカン半島という辺境の宿命について、今、思いを巡らせている。様々な征服者、幾つもの戦争が繰り返されるこの土地では、人の手が生み出したものを守り、文明の形を後世に伝え続けるのは困難だった。大きな国が形あるものを伝えることはさほど難しくはないが、小さな国が形あるものを伝えるのは容易いことではない。
 しかし形のないものを語ること、形を失ったもの、これから形が生まれようとするものについて語ることこそが、言葉にゆだねられた仕事であるのだとしたら、南ヨーロッパの辺境で私が三十余年を過ごしてきたのは、それほど悪いことではなかった。悪戯好きの運命が、ベオグラードという町で、私という「日本文学の戦中派」を産み落としてしまった。いつのまにか私の日本語が、日本文学の辺境を形作っている。》


by sumus2013 | 2018-12-30 20:53 | おすすめ本棚 | Comments(0)

百人一冊

f0307792_16473221.jpg

『百人一冊 多田進装丁の仕事100冊1971-2018』(多田進、2019年1月8日)を頂戴しました。多田さん、有難うございます。手のひらサイズ(タテ167mm)のスッキリしたデザイン。この作品集そのものが、多田さんの装丁の究極の形という感じです。

来年一月中、ウィリアムモリスで開催される装丁展の図録である。植草甚一『即興と衝突』(一九七一)から坪内祐三『昼夜日記』(二〇一八)にいたる数多い仕事のなかから、百人の著者それぞれ一冊、すなわち百冊が選ばれている。

最初からめくって行くと、古本屋でしばしば見かけた表紙ばかり。あれもこれもそれも。激しく自己主張するという意匠ではないのだが、記憶に残っているタイトルが多いのは、やはり多田スタイルの一貫した「強さ」ではないかと思う。

例えば、田村隆一『詩人のノート』(一九七六)、五木寛之『深夜草紙』(一九七六)、団伊玖磨『パイプのけむり』(一九八一)、椎名誠『小さなやわらかい午後』(一九九〇)、久世光彦『怖い絵』(一九九一)、筒井康隆『朝のガスパール』(一九九二)、佐野洋子『食べちゃいたい』(一九九二)、山本夏彦『私の岩波物語』(一九九四)、松田哲夫『編集狂時代』(一九九四)、向井透史『早稲田古本屋街』(二〇〇六)、西加奈子『通天閣』(二〇〇六)、橋下治『BA-BAHその他』(二〇〇六)・・・などなど。エストセラーもあれば、シブイ本もある。

タイトル、著者名、版元名、そして絵・写真などの図柄・模様。その四つの要素をどう組み合わせるか。それが「装丁」(表紙まわり)の全てなんだ、ということを多田さんの仕事から再認識させてもらった。

白の余白 装丁雑記 by 多田進

f0307792_16474266.jpg
f0307792_16474976.jpg

2019年1月8日〜1月31日

ウィリアムモリス 珈琲&ギャラリー
東京都渋谷区渋谷1-6-4 The Neat青山2F
開廊時間 12:30 -18:30
最終日17:00まで
休廊日 日・祝・第3土曜



by sumus2013 | 2018-12-25 20:05 | おすすめ本棚 | Comments(2)

コーヒーカップの耳

f0307792_17231671.jpg

今村欣史詩集『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア、二〇〇一年六月一日二刷)。個展会場にて頂戴しました。御礼申し上げます。帰宅の電車中で面白く読ませていただいた。

喫茶店のカウンターで常連の客がマスター相手に身の上話をする、それを写し取ったスタイルである。

《カウンター席にお座りになるお客さまは、みな話好きである。一様に明るい。ところが実は、淋しがりやでもある。胸の中に、誰にでも話せないものを抱えておられることが多い。とてもここには載せられない、深刻で陰惨な話もある。それを私には包み隠さず、つとめて明るく話して下さる。ありがたいと思っている。》

これは著者の前書きであるが、安水稔和氏(今村氏の師)による懇切かつ長文(八ページにわたる)の跋によれば、本書に先立つ私家版の詩集も息子さんや娘さんの幼い頃の語りをまとめたものだそうだ。安水氏はそういうスタイルの詩集を「口頭詩集」と呼んでいる。こどもの絵が面白いように、こどもの言葉も思わぬ発想の飛躍に驚かされることがしばしばある。例えば児童雑誌『きりん』にもそんな詩がいっぱいだ。

なるほど、そうか、本書は大人の『きりん』なのだ。一篇だけ全文を引用させてもらう。粒ぞろいなので、どれにするか、かなり迷ったが、「年齢」を選んでみた。


 救急車の中で お年は? と訊かれたんで六
 十歳て答えてやったんです。そしたら嫁はん
 薄れる意識の中から「まだ五十九」て言いま
 してん。たしかに六十まであと二月おました。
 そやのに 仏事は数えですよってに葬式は六
 十一で出してしもうて。今からおもたら 嘘
 ついてでも五十九で出してやったら良かった
 な おもてます。


「二月」にはルビ「ふたつき」、「数え」には傍点がある。これはまだ軽い方で、もっともっと重いテーマの作品もあれば、笑いを誘うベタな関西風もある。それらの取り合わせ、というか構成も良くできている。

今村氏は大人たちの言葉を代弁(代書)する語り部、あるいは口寄せ(?)なのだろうか。いや、ドキュメンタリーが必ずしも事実そのものでないように、どうも本書を何度か読み直していると、ここに描かれたドラマは極めて巧みな詩人の仕業に違いないと思われてくるのだった。

by sumus2013 | 2018-12-18 20:21 | おすすめ本棚 | Comments(3)

APIED VOL.32

f0307792_17313218.jpg

『APIED』32号(アピエ、二〇一八年一一月一二日、表紙装画=山下陽子)届く。寺山修司特集。そんなに熱心に読んだり観たりしたことは、個人的にはないのだが、短歌の鮮やかさに舌を巻いた出会いの印象は褪せようもない。

金沢一志「月とレコード」は北園克衛との関係について。これは寺山の逆鱗のありかを示唆している。

《寺山修司は北園克衛傘下で三年ほど詩作した。年齢でいえば十八歳から二十歳、入退院をくりかえしていた早大入学後の黎明期、九條今日子による「寺山修司・以前」のことである。》

なるほど、あの砂糖菓子のような一群の詩は北園直伝のものだったのか(!?)。しかし、だからこそ寺山は近代詩のアンソロジーに北園作品を決して選ばないのだ。さらに北園のもとで書かれた自作は『われに五月を』(作品社、一九五七年)に収録されてはいるが

《いずれも大きく改変されていて、初出を留めている詩はひとつもない。》《そしてこの本そのものが、生前に編まれた年譜や著作一覧のほとんどから外されている。八〇年代に企画された全集では一冊まるごとが収録対象外で、没後に刊行された『寺山修司全詩歌句』(思潮社、一九八六)にも採録されなかった。》

というのだから、消し去りたい過去だった。人は誰でも自分の本当の姿を目の当たりにしたくないもの。とは言え、師弟関係を切り捨ててしまった、というわけではなかった。そこが複雑なところ。北園の詩の展覧会には寺山の姿があった。

《会場ではテープ音楽の聴取から8ミリ映画の上映、即興の演奏がおこなわれて、だれも詩の展覧会とは思わない。六〇年代、そんな奇妙な会場を寺山修司が多忙を縫ってひとりでおとずれ、北園克衛と交歓する光景がしばしばみられた。もごもごとあいさつする寺山に皮肉交じりに活躍を褒める北園克衛、ふたつの人影はどこからみても典型的な師弟のそれであったという。

いや、面白い。他に赤塚麻里「寺山作品から見る青森言葉へのこだわりー『マイ・フェア・レディ』と『舞子はレディ』の方言に着目して」もなかなかいいところ突いている。タモリの寺山修司のものまねを思い出した。

「善行堂通信」は「せとうち文学叢書」と『詩ぃちゃん』について。


中尾務氏より『VIKING』861号を頂戴した。氏の「〈はか[二字傍点]のゆかぬ〉久坂葉子本出版富士正晴調査余滴」が久坂の死から始まる富士正晴の久坂本出版における難行を丁寧にたどった労作。

春日井ひとし氏より『昭和八年文学者のいる風景その9 昭和八年の織田作之助(下)三人と『三人』』を頂戴した。前号のつづき。竹内勝太郎をめぐる青春群像が丹念な資料の読み込み作業によって再現されている。こちらも力作です。

矢部登氏より『田端人』第五冊を頂戴した。東京を歩きそして本を歩き絵を歩く、これ以上ない境地である。毎度いただく度にいつの日か小生もこんなものを出してみたいと思わせられる(サムデイ・ネヴァー・カムという声がどこかで・・・)。

大阪圭吉単行本未収録作品集1 花嫁と仮髪』(盛林堂ミステリアス文庫、二〇一八年一一月二五日)届く。表題作が面白くてついつい一気読みしてしまった。大阪圭吉の長編が読みたくなる。


by sumus2013 | 2018-12-02 21:45 | おすすめ本棚 | Comments(0)

彼方の本

f0307792_19531065.jpg


間村俊一『彼方の本 間村俊一の仕事』(筑摩書房、二〇一八年一一月五日)。もう随分前に装幀作品集を作りたいと間村さんは言っていた。「どっこも引き受けてくれへんのや」(たぶんこんな口調で)とぼやいていたが、ついに筑摩が英断、本書の発行となった。予想通りの美しい本になっている。

装幀本の書影(それらはヒラだけを並べるのではなくほぼすべてをブツ撮りによって立体的に再現)、エッセイ、俳句、創作、そして堀江敏幸氏の跋まで、淀みない構成になっている。間村本は意識的に集めている(とは言えブックオフで、ですが)。シックな色感、清潔な紙の選び方、渋い画・像の選び方と大胆な扱い方、そして何より文字の配置の絶妙さ。一見普通に見えて密かに凝った作りとでも言うのか、「玄人の仕事」を感じさせてくれ本ばかりである。

図版を眺めていて、さすがと思うのは、帯だ。帯はほぼ文字だけで勝負する。その文字配りの「塩梅」が見事の一語。ダラけていないのは言うまでもないが、几帳面すぎもしない。堀江氏は鋭く、その特質を「うるわしき無頓着」と命名している。

間村俊一は文字のひとつひとつを、頼りがいのある異物として、丁寧にならべる。生まれも育ちもちがうから、文字は組み合わせしだいでその字間の印象を大きく変える。機械で定めるところの字間と、眼に心地よい字間とはべつものなのだ。実測による正確さではなく、だいたいこのくらいで、という大雑把さを生かすには、やはり写植がいい。仕あがりはじつに端正だが、その端正さを引き出しているのは、よき無頓着なのである。

「本の種」という装幀のモチーフをめぐるエッセイが面白かった。本書の表紙にもなっているペンギン、これは堀江氏の『本の音』のために東寺の骨董市(弘法さん)で求めたものだそうだ。

《装幀の素になる本の種は、おおむね町で拾う。アンティークショップ、古書店など、目を皿にして探し歩く。錬金術の種を求めて中世の路地裏をさ迷ったパラケルススのような日々とうそぶくばかりである。》(本の種1)

福島泰樹『月光忘語録』(https://sumus2013.exblog.jp/29852694/)の豆皿も「本の種」に登場! 小生の名前も出ているので、ご興味ある方はぜひ本書にて。カバーに小生の絵が使われた大西巨人『神聖喜劇』と荻原魚雷『古本暮らし』の書影も出ていて、これはかなり嬉しい。何しろ装幀本三千のなかから三百ほど選んだというのだから競争率は高いよ。

間村さんの文章はケレンがない(ケレン味たっぷりな文章を装っているけど)。装幀と同じで清潔だ。間村さんが夢の話を書いても、内田百間が夢の話を書くようなどんよりとしたイヤな感じはまったくしない。人柄というものだろう。例えば「抱一狐」よりまず冒頭。

《駅までは確かにこの道が近かった筈だと歩き出してみるのだが、なかなかたどり着かない。
 そのうち日も傾き、あたりは見知らぬ路地が続くばかりである。やがて低い家々の向うに銀杏とおぼしき巨木が見えた。それを目印に先へ進む。時々不審な黒い物が足元をよぎる。猫のようでもあるがはっきりしない。しばらく行くうちに尺八の音が聞こえて来たのでその方へ曲がると、お稲荷さんを祀ったお社に出た。小さな祠を背に、誰かが尺八を演奏している。大勢人が集まっている。どうやら初午の祭りらしい。》

そして最後の段落。

《根岸に越して来た。江戸の文人酒井抱一が庵を結んだあたり、旧町名では下根岸になる。住居近くの金曾木小学校の脇を入ると左に下根岸稲荷神社、通称石稲荷があり抱一上人所縁の品が宝物として伝えられている。鶯谷の駅まで通う道すがら、これも何かのご縁と思い毎日手を合わせているのだが、桜の蕾も綻び始めたある夕刻、お賽銭を入れて頭を下げていると後ろで動くものがある。出たなと思ったら案の定狐だ。正一位石稲荷大明神の幟の蔭からこちらに向かって手招きするところをみると抱一狐に違いない。さては明け方の夢もこいつの仕業か。機嫌を損ねるのも後々厄介だ。よし、まだ時間は早いが鍵屋にでも誘ってやろう。桜正宗のぬる燗に抓みは煮奴。先に歩き出したのにいっこう附いてくる様子がない。そうか、うっかりしていた。抱一上人、からっきしの下戸だった。しょうが無い。一人で鍵屋の引き戸を開けると後ろでコンという恨めしそうな声がした。

  うぐひすや下戸殿ゆるせ晝の酒》

とまあ、白昼夢ならぬ白昼酒?。本篇のみならずエッセイのいたるところに酒が出る。まるで「彼方の酒」である。お酒はほどほどに(といっても無駄だろうけど)いっそういい仕事を見せて欲しいと願っている。


閒村俊一装幀集『彼方の本』刊行を祝ふ會

間村俊一装幀展 ボヴァリー夫人の庭

間村俊一さんの装幀展「ボヴァリー夫人の庭」に行ってきました!

閑話休題・・「間村俊一装幀展-ボヴァリー夫人の庭」・・・

by sumus2013 | 2018-11-24 21:14 | おすすめ本棚 | Comments(0)

〈異〉なる関西

f0307792_19530551.jpg

日本近代文学会関西支部編集委員会編『〈異〉なる関西』(田畑書店、二〇一八年一一月五日)を頂戴した。深謝です。日本近代文学会関西支部が二年にわたって企画し実施してきた同名のシンポジウムの成果をまとめたものだそうだ。目次などは下記サイトにて確認されたし。

〈異〉なる関西 版元ドットコム

個人的に興味を覚えたのは、辻本雄一「熊野新宮ー「大逆事件」ー春夫から健次へ」のなかの「富ノ澤麟太郎の悲劇と中井繁一のこと」である。富ノ澤が書き悩んでいたとき、佐藤春夫は自分の故郷である熊野へ富ノ澤を招いた。ところが富ノ澤はそこでワイル病という感染症を発症し不慮の死をとげた。二十五歳だった。このときの処遇について、春夫は、富ノ澤と親しかった横光利一から批判されたという。そもそも富ノ澤と春夫を引き合わせたのが中井繁一という人物だった。

富ノ澤を春夫に紹介したのは、熊野出身の詩人中井繁一(さめらう〈醒郎〉とも号す)で、一九一九年(大正八)年[ママ]二月とのことです。中井は春夫の弟秋雄らの文学仲間でした。中井は熊野在住時からローマ字運動に参加、社会運動にも興味を持ったと言います。一九一六(大正五)年熊野でローマ字の口語詩集『KUMANOーKAIDOO』を上梓します。それが仙台の中学で学んでいた富ノ澤の目に留まり、ふたりの文通が始まりました。翌年上京、仙台から上京した富ノ澤との交流がさらに深まり、横光利一らとの同人誌『塔』に誘われる経緯や富ノ澤が熊野へ旅立つ様子などが、中井の「私の郷国に死んだ富ノ澤麟太郎」(「文芸時代」一九二五年五月)の文章に詳しく述べられています。中井はこの文章を、埋葬前の富ノ澤の遺骨が置かれた机上で書いていたといいます。
 中井は上京して印刷業なども営みますが、一九二六(大正十五)年『ゼリビンズの函』という詩集を出し、春夫がその序文を書いています。また、中井は一九二八年には富ノ澤の作品集『夢と現実』限定一五〇部の自費出版もしています。

中井繁一の次女照子は角川源義の妻となり、角川春樹、歴彦兄弟の育ての母であったという。念のため『ゼリビンズの函』を日本の古本屋で検索してみると、ちゃんと一冊出ていた、例の書店さんである。さすがだ。

もう一篇、大東和重「昭和初期・神戸の文学青年、及川英雄ーー文学における中央と地方」も参考になった。及川英雄は、関西の文学関係について調べ物をすると、必ず登場する名前である。

《及川の生誕地は赤穂だが、明石を経て、幼時に神戸へ移住した。西灘尋常高等小学校を卒業し、関西学院神学部で学ぶが、一九二四年中退した。同年から兵庫県衛生課の勤務を開始し、県庁に約四十年間務めた。》

以下詳しくは本書を参照していただきたいが、ここでは大東氏のむすびの言葉を引用しておきたい。

《残念ながら及川の作品に、文学史に名を刻むにふさわしい傑作があるとは思えない。それは足立巻一が『鏡』で描いてみせた、九鬼次郎の場合も同じかもしれない。しかし彼らの作品が、今読んで胸打つものでない、読むに値しないかというと、少なくとも私はそう思わない。「文学」はそこにも確かに存在し、くり返し読み返される燦然たる古典とは異なる姿で、「文学」の世界が現れる。そしてそこには彼らが暮らした昭和初期の神戸という街が、閉じ込められているのである。》

巻末コラムとして季村敏夫「『山上の蜘蛛』を書き始めた頃」が掲載されている。季村氏が、若松孝二の映画「実録・連合赤軍」を観てショックを受けた、その数日後、部屋を整理していたとき、脳天に雑誌が落下してきた。拾い上げると連合赤軍に関する鼎談が載っていた。その雑誌の編集者が君本昌久だった。季村氏は絶交状態だった君本を、阪神淡路大震災直後に訪問する。

《雑誌の落下だが、おれのことを忘れないで欲しい、哀悼的な起想の促しと受けとめ、彼の初期の仕事、戦前及び敗戦後の神戸の詩の同人誌の歴史を調べはじめた。》

おれのことを忘れないで欲しい・・・文や絵をかくとは、単純に言えば、そういうことなのかもしれない。

『山上の蜘蛛』

君本昌久

by sumus2013 | 2018-11-22 21:32 | おすすめ本棚 | Comments(0)

帷子耀習作集成

f0307792_19530178.jpg

『帷子耀習作集成』(思潮社、二〇一八年一〇月一日、装本=井原靖章)を某氏が贈ってくださった。少し前に拙ブログの帷子耀を取り上げた記事にアクセスが集中していた時期があった。なんでかな、といぶかしく思っていたら、本書が刊行されたためだということを知った。買うほどの思い入れはないが、ちょっとのぞいては見たかった。深謝です。

現代詩手帖

某氏は《帷子耀は名のみ知る詩人で、『スタジアムのために』は下北沢の古書店でビニールカバーがヨレヨレになったものを数年前に買ったことがあるのです》というからさすがの古本者である。

本書に収められている藤原安紀子「ひとのくちをかりた杙がひとりでにうごく」によれば詩人としての帷子耀とはおおよそこういう活動をした。

《詩人帷子耀。その人物像についてわたしの知ることは多くない。1968年当時13歳であったその人は、雑誌「現代詩手帖」(思潮社)の新人作品募集欄に投稿をはじめる。即座に頭角をあらわし入選をかさねたのち、2年後の1970年に第10回現代詩手帖賞を受賞する。

《また、投稿と並行して、当時最前衛といわれた金石稔主宰の同人誌「騒騒」に相次いで作品を発表する。詩作品のみならず論考や映画評なども各種雑誌へ寄稿した。受賞後に「現代詩手帖」編集部から詩集上梓へのオファーがあったものの、実現には至らなかった。ただ一冊のみ、『スタジアムのために』という詩集を書き下ろししている。その薄い書物は、創立したばかりの書肆山田が発行していた小冊子「草子」シリーズの別冊「草子別」として編まれ、1973年に刊行された。

《そして詩人は筆を絶った。
 13歳から19歳までのわずか7年間にセンセーショナルな作品を大量に発表し、突如断筆した伝説の詩人。遅れて詩を書きはじめた者は、そんな彼の奇談めいた噂を耳にするのみである。》

作品についてどうこう書くつもりはないが、チラリとめくっただけで時代の匂いが強烈に発散してくるのを感じる。一行一行一語一語が喚起する時代のイメージがうっとうしいくらい。帷子耀は小生と同い年。まさしく同時代に生きていた(いる)。生きてはいたが、小生はそんなに早くから目覚めていなかった(ひょっとして今もまだ寝ぼけてまなこかも)ため、それらの詩行から湧いてくるイメージはかなり貧弱に違いない。だいたい『現代詩手帖』なんて存在すら知らなかったし。しかし、本書の成立に少なからず影響を持ったと思われる四方田犬彦氏(二歳年長、帷子耀デビュー当時高校生)ならビンビン響いてくるものがあった、今でもあるのだろうと推察する。そういう作品だ。パンドラの箱、開けずにはおられないという感じ。

装幀がこれまた凝りに凝っている。ハードカバーの表紙にはタイトルが彫って(?)ある! ビックリ。

f0307792_20121498.jpg
f0307792_20121836.jpg


f0307792_20122283.jpg

f0307792_20123318.jpg

f0307792_20122962.jpg


f0307792_20125528.jpg
著者サイン入り、右は検印紙?



思潮社新刊情報 『帷子耀習作集成』

古書ソオダ水 Twitter(サイン本)


by sumus2013 | 2018-11-21 21:13 | おすすめ本棚 | Comments(2)

昭和ガキ伝

f0307792_15220059.jpg

安田有詩文集『昭和ガキ伝』(出版舎風狂童子、二〇一八年九月二五日、表紙デザイン=安田有)読了。安田さんはすなわちキトラ文庫さんである。これまでも安田さんのことは何度か取り上げてきたが、念のため奥付の著者紹介を引用しておく。

《1947年1月 奈良県生駒市生まれ。/大阪市立大学(文学部)除籍。/30代初めから12年間、新宿ゴールデン街「酒肆トウトウベ」。/1994年 郷里に古本屋「キトラ文庫」、現在に至る。/東京にて小雑誌「作業」、関西にて「coto」を主宰。/私家版文集に『スガターー無名詩集』『窮望』『気息がする』/詩集に『スーパーヒーローたちの墓場』『早くお家にお帰り』。/(いずれも砂子屋書房刊)》

文中『スーパーヒーローたちの墓場』は正しくは『スーパーヒーローの墓場』です。雑誌は他にも出しておられたのではなかったか?

古本屋の詩があったので全文引用しておく。


  消しゴムの使い方

 子どものときから消しゴム
 大人になってからも消しゴム
 ほどよいかたさ ほどよいやわらかさ
 あきない色 あきない形

 筆箱をあらして失敬
 エマの口から取り戻す家人
 「返せ、消しゴム」
 エマと家人が同時にいうセリフ

 古本商売の家人は必死に本の引き線を消している
 丸くなれ 小さくなれ
 消しゴム

 「エマ! それっ」
 家人が投げる エマが跳ぶ
 口にくわえて家人の手の元へ
 家人は投げる 上下左右 前後めちゃくちゃに
 エマは追いかける 四方八方 驚天動地
 あわれ消しゴム
 家人があきてもエマはひとり遊び
 投げ追いかけ口にくわえゆうゆうと運ぶ
 ちびた消しゴム

 ほどよいかたさ ほどよいやわらかさ
 あきない色 あきない形
 線字を消す
 よく消える消しゴムは
 すぐに消える消しゴム
 丸くなって 小さくなって
 どこへ隠れた

 エマは今日も
 消えた消しゴムを追って
 走る

   *エマ、別名「消しゴムエマちゃん」。わが家の猫である。


消しゴムの詩なのだが、《古本商売の家人は必死に本の引き線を消している》の一行が効いている。主人が古本屋だということがこの作品のキモだと思う。必死に引き線を消すくらいの本だから、かなりいい本に違いない・・・などと想像をたくましくする(そうでなければ均一行きだろう)。ある古本屋さんに聞いた話を思い出した。線引きを丁寧に消した詩集を目録に乗せたところ、売れたのはよかったが、あとで客から「消し跡あり、と書いてなかったぞ!」と怒りのクレームがきたのだとか。客の気持ちも分からないではない。

昨日、みかんの話題を取り上げた。本書にも「みかん ーー友へ」という詩がある。後半の一部を引用する。誰か柑橘類の詩を書いた人はいるだろうか、当然書いているはずだ。小説ならもちろん『檸檬』がある。


 奄美の友人から送られてきた
 ぽんかんやたんかん
 友の元気のあかし
 こちらもまだまだ未完の生だ
 人生のたんかん
 人生のぽんかん

 枝に挿して小鳥を待つ
 ひよどりに蜜柑を奪られて目白の目
 地面に落ちた黄金きんの皮に
 融ける淡雪


 水が流れない
 見えない川
 見えない(みかん)

 (首を傾げて笑む)
 (ここはどこ)
 (むかしみかんという名の犬がいた)


ミカンという名前の犬を飼っていたのは小生です。

by sumus2013 | 2018-10-30 16:26 | おすすめ本棚 | Comments(4)