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カテゴリ:おすすめ本棚( 295 )

鈴木信太郎いろいろ

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銀座・中松商店より『鈴木信太郎いろいろ』(中松商店、2019年5月24日)届く。展示はもう終わってしまったが、この図録を見ると、鈴木信太郎のさまざまな仕事の断片が集められた好ましい展覧会だったようだ。挿絵原画、スケッチ帳、色紙、葉書、マッチ、装幀本、陶器など、じつに楽しい雰囲気。鈴木信太郎ファンは必見です。購入は中松商店まで。

銀座 中松商店
〒104-0061 東京都中央区銀座 1-9-8 奥野ビル313号室
tel.03-3563-1735

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by sumus2013 | 2019-06-12 20:10 | おすすめ本棚 | Comments(0)

実歴奇談 真澄大尉

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吾妻隼人(山中峯太郎)『実歴奇談 真澄大尉』(書肆盛林堂、二〇一九年六月九日)読了。


《著者山中峯太郎(一八八五〜一九六六)は、大衆小説、「亜細亜の曙」などの少年向け軍事小説、および戦後は「名探偵ホームズ全集」などの児童向け探偵小説の翻案で活躍した小説家である。
 その処女作「真澄大尉」は、一九〇六年三月十五日から五月二十六日にかけて大阪毎日新聞に吾妻隼人名義で連載された軍事探偵小説だ。著者二十一歳、陸軍士官学校在籍中のことである。本書は新聞連載後、「山中峯太郎研究協会報」付録として復刻したのを除き、単行本化や再録されたことがない。これが現代に広く知られる初めての機会である。》(平山雄一「真澄大尉」について)

本作は日露戦争勝利の翌年に発表されたわけだが、勝利の裏に軍事探偵あり、ミッション・インポシブルの実録ストーリーである。中国やロシア領内で、あるときは中国人の理髪師、またあるときはハンガリー人の貴族に身をやつし、暗躍した日本の軍事探偵・真澄威春の実録談を聞き取るという形になっている。

実際、諜報活動や破壊工作は当時の軍事衝突においては非常に重要な役割を果たしたようだが、当然ながらその実態は明らかにされないのが通例であろう。それを目の前に展開するように描き出した小説なのである。処女作の持ち込み原稿が破格の待遇で新聞紙上を賑わしたというが、なるほど、生硬な筆致も目に付きはするものの、陸軍士官学校で見聞したことをたくみに織り込んだであろう時流に棹さした内容の面白さは今読んでも褪せていない。

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多数収録されている挿絵には「耕雪」と落款がある。デッサンもそれなりにしっかりしており、なかなかいい味を出している。当時、大毎の学芸部長で山中の小説を抜擢した菊池幽芳の小説「己が罪」などの挿絵も手がけていた。

《坂田 耕雪(さかた こうせつ、明治4年1月6日〈1871年2月24日〉 - 昭和10年〈1935年〉2月6日)とは、明治時代の浮世絵師、日本画家。

尾形月耕の門人。通称萬助、耕雪と号す。加賀国金沢(現・石川県金沢市)に生まれる。弥左衛門町時代(明治15年 - 明治20年)の月耕に師事し浮世絵を学んだのち、大阪市に移り住み、明治29年(1896年)に入社した大阪毎日新聞社で新聞の挿絵を描き好評を得た。明治34年(1901年)に春陽堂から版行された菊池幽芳の小説『己が罪』中編の木版挿絵および口絵、同じく幽芳の小説『乳姉妹』の挿絵を描く。その後は南画の山水や人物図などを描いている。大正3年(1914年)に開催された第8回文展に「露」を出品して入選し、巽画会の会員となる。これは唯一の官展出品作であった。大阪毎日新聞社を退社した後は能画の研究に専念した。また、大阪市の依頼により大阪城天守閣内で「豊大閣」の肖像画を描いた。》(ウィキ)

小生が古本道を歩き始めた頃には、山中峯太郎の本は均一台によく出ていた。売れっ子だった証拠だろう。最近はまったく見ないように思う(「日本の古本屋」には多数出品されています)。

by sumus2013 | 2019-06-08 20:05 | おすすめ本棚 | Comments(0)

メリー・ローラン、マネ、マラルメ、そのほか・・・

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柏倉康夫氏より「メリー・ローラン、マネ、マラルメ、そのほか・・・」と題したCDを頂戴した。

《2005年3月にナンシー市立美術館で催された、メリー・ローランを中心とする展覧会用に制作された「カタログ」の全訳です。
 メリー・ローランはナンシーの生まれで、世紀末のパリを彩ったドゥミ・モンドですが、彼女はマネが描いた自らの肖像《秋》を、晩年になって故郷ナンシーの市立美術館に寄贈しました。『メリー・ローラン、マネ、マラルメ、そのほかの人たち・・・』と題された展覧会では、この《秋》を中心に、彼女に関わるさまざまな絵画、写真、記念品などが展示され、メリーに関心を寄せる人たちの興味を惹きました。
 カタログには、この折に展示された貴重な作品の複写のほかに、マラルメ研究家ジョイ・ニュートンの「メリー・ローラン、世紀末の聖像画」と題した好論文も収録されています。》

ドゥミ・モンドは花柳界(小デュマが作った言葉だそうです)、遊女というか花魁?(例えば京都島原の桜木太夫


柏倉氏は二〇一四年に翻訳を終えてPDFとして保存していたのだが、この度、日本での翻訳出版権の取得を交渉中で、近いうちにいずれかの出版社から電子出版として公にしたいとのこと。そのプレヴューとして拝見させていただいたわけである。感謝に堪えません。

マネ、マラルメはもちろん、コペ、ユイスマンス、ジョージ・ムーアなど十九世紀末の錚々たる文人、画人が、太陽メリー・ローランの周囲を回転するわけなのだが、なかでも『失われた時を求めて』の重要な登場人物の一人であるオデットのモデルがなんとメリー・ローランだと知ってちょっと驚いた、というかプルーストの頭にはこういう女性としてイメージされていたのかと知って、非常に身近に感じられた。

絵画の図版や写真も興味深いものばかり。書斎のユイスマンスを見つけて「おお!」。一日も早い公刊(できれば紙の本がいいですが・・・)を希望したい。


by sumus2013 | 2019-06-06 20:42 | おすすめ本棚 | Comments(0)

本にまつわる世界のことば

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『本にまつわる世界のことば』(創元社、2019年5月20日)を頂戴した。担当編集者は『本の虫の本』と同じNさん。

本にまつわる世界のことば

こんなメモが添えられていた。

《二〇一七年の秋、林さんに企画のご相談に伺ったときに、お話しした企画の種が形となりました。あの日の想い出もあって、私の中では『本の虫の本』の兄弟のような気持ちで並べて見ています。》

そうそう、そうでした。そもそもは、本にまつわる世界の言葉をテーマにした本を作りたいという相談を受けたのだった。しかしそれは小生の手に余る。世界は無理。ということでNさんを説得というか誘導して日本語に絞った『本の虫の本』ができた。

その最初のテーマをあたため続けていたのはさすがの編集者魂。絵入りの言葉シリーズとして楽しい一冊に仕上がっている。

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そういうわけだから当然ながら「本の虫」も取り上げられている。

ブクヴォエード[ロシア語]
《本の虫。直訳では「文字を食べる」。》

クニホモル[チェコ語]
《「本の虫」の意味。日本語の「本の虫」はすぐにどういう虫か思いつかないが、チェコ語の場合ははっきりとしていて、蛾の一種を意味する。》

ラ・ド・ビブリオテーク[フランス語]
《「本の虫」の意味。直訳では「図書館のネズミ」。》

ハルハーン[ペルシア語]
《本を濫読する人。がり勉。直訳では「ロバ読み」。》

世界中に本の虫は生息しているのです!

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by sumus2013 | 2019-06-05 20:12 | おすすめ本棚 | Comments(0)

APIED vol.33

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APIED』VOL.33(アピエ、2019年5月20日)、萩原朔太郎特集。いつもながら執筆者それぞれの朔太郎像が描き出されていて、面白く読ませてもらった。なかでは安智史「"うらうら"萩原朔太郎ーUの音幻から「猫町」へ」の《萩原朔太郎は、「うら」音が好きだった》という指摘は気に入った。うら、Ula、Ura、Vla、浦、裏・・・

善行堂通信は本の補修や装幀を学び始めたNくんのこと。開店十年、さまざまな出会いがあるものだ。

肖像写真は前橋文学館の絵葉書より「萩原朔太郎(37歳頃)1924年」



by sumus2013 | 2019-06-04 19:30 | おすすめ本棚 | Comments(0)

これからはソファーに寝ころんで

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岡崎武志『これからはソファーに寝ころんで 還暦男の歩く、見る、聞く、知る』(春陽堂書店、2019年5月25日、カバー版画=森英二郎)読了。副題「還暦男の歩く、見る、聞く、知る」が言い得て妙なり。

以前にも触れたことがあると思うが「文士の還暦」について調べていた時期がある。そのとき、還暦前に死んだ作家の多いことにちょっと驚いたものだ。岡崎氏もあとがきにこう書いている。

《六十になってみればわかる。忌野清志郎、開高健が五十八、澁澤龍彦、藤原伊織、十代目坂東三津五郎が五十九、小津安二郎、石ノ森章太郎、色川武大、鈴木ヒロミツ、藤山寛美が六十で亡くなっている。六十の峠は越えられずに果てた者たちで死屍累々である。同年輩の早い死を意識するようになったのも、五十代の終わり頃からだった。一年いちねんを意識し、楽しいことを見つけて大事に生きていく。そんな気持ちだ。これからは、川から手のひらで掬った少しの水を、なるべくこぼさぬよう、大事に運んで行こうと思う。》

「同年輩の早い死」とあるが、実際、古本世界で小生がお世話になった『彷書月刊』の田村さん、中野書店さん、ロードス書房さん、アスタルテ書房さんらはいずれも六十あるいは六十過ぎたばかりで亡くなられた。黒岩比佐子さんは五十二だった。幸いにも生き残った自分自身を大切に生きていこう、残された時間を楽しんで生きたいというのは還暦男の気分としてはごく自然なことであろう。そのための岡崎流指南というかエッセンスが本書にはたっぷり詰まっている。

例えば、岡崎氏は小学生の頃に熱中していた切手収集をふたたび始めたという。

《切手蒐集を再開したのは、古本市で、他人の切手帳を安く買ったのがきっかけ。外国切手の蝶や虫の図案のコレクションだったと思うが、それを眺めていて、長年眠っていた子どもが「切手ですよ、お父さん」と起きてきた。》

《男性は、どこかの部分で、少年を残しつつ生きて行く。少年を忘れた大人の男は魅力がない。勝手にそう思って生きている。ゆるゆるとした切手蒐集は、少年を引き戻す一つの装置なのである。》

いやあ、まったく同感。中高年は青少年時代の夢を取り戻そうとしている。ハーレーに乗る、楽器を始める、バンドを組む、キャンピングカーで旅行する・・・そうそう、本を書いて出版するというのもあるだろう。ベビーブーマーたちはガンガン取り戻して経済効果に最後の貢献をしているように思うが、岡崎世代(ポスト・ベビーブーマー)は少しテイストが違う。どう違うのかは本書を読んでいただきたいが、少々「へそ曲がり」なのだということだけは言っておいてもいいだろう。

還暦はリセット、昔なら隠居する区切りでもあった。世間から退いてあの世への準備をする・・・とは言え、21世紀の長寿日本ではそんなことは許されない趨勢である。引退の時期も、年金開始の時期もどんどん後ろにズレて行く。ソファーに寝ころんで子供時代にひたってる場合じゃない、もっともっと仕事しなさい、と言われる時代になってきた。そういう意味では、趣味と実益を兼ね備えた『これからはソファーに寝ころんで』はまさに理想的な還暦(過ぎ)ライターの仕事ではないだろうか。

岡崎氏撮影の写真がふんだんに収められているのも新機軸。日常がうかがえるのがいい。


by sumus2013 | 2019-05-28 17:22 | おすすめ本棚 | Comments(0)

漱石全集を買った日

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山本善行×清水裕也『古書店主とお客さんによる古本入門 漱石全集を買った日』(夏葉社、二〇一九年四月二五日、装丁=櫻井久、装画=武藤良子)読了。なんとも清々しい読書論、古本論である。清水氏の古本道まっしぐらの感じが、なつかしくもあり、うらやましくもある。まあ、小生も古本は好きだが、こんなふうに純真に古本を求めているわけではない。もっといやらしい感じにひねくれていると本書を読んで反省させられた。

何より、口絵として掲げられている、ゆずぽん(清水氏のこと、以下同じ)が買った本を順番に並べた、書棚の写真、そのタイトルの変化が氏のエヴォリューションを如実に証明している。まだ三十歳余か・・・自分自身の三十歳の頃を考えると、こんな本棚はとうてい持っていなかった。もっと偏頗なものだった。

善行堂が火をつけなくても、この若者は燃え上がったとは思うが、口先たくみにその情熱に火をつけたのは、やはり大手柄と言わなくてはならないだろう。本書でもその対話の妙、大人の貫禄が感じられる。貴景勝に胸を貸す白鵬みたい。

『漱石全集を買った日』と表題になっている漱石全集のくだり。ゆずぽんは『「知の技法」入門』に「誰でもいいから一人全集を読むといい」と書いてあるのを読んでその気になったそうだ。

 さて、どの作家にするか迷うね。
 いくつか候補はあったんですが、たまたま古本屋に行ったら夏目漱石の筑摩全集類聚【58】がまとまって置いてあったので、まずは漱石から読んでみようか、ということで買って帰りました。
 全集を読むと良い、というのは小林秀雄もどこかで書いてたな。少しあいまいやけどたしか「ひとりの人の全集を読めば、その人が文学の中でどういうことをやろうとして、どういう企てをしたか、その中でできたこと、できなかったことは何か、ということがよく分る」という風なことを言っていた。》

一応、補足しておくと、全集云々は小林秀雄が「讀書について」で次のように書いているところだろう。

《讀書の樂しみの源泉にはいつも「文は人なり」といふ言葉があるのだが、この言葉の深い意味を了解するのには、全集を讀むのが、一番手つ取り早い而も確實な方法なのである。
 一流の作家なら誰でもいゝ、好きな作家でよい。あんまり多作の人は厄介だから、手頃なのを一人選べばよい。その人の全集を、日記や書簡の類に至るまで、隅から隅まで讀んでみるのだ。
 さうすると、一流と言われる人物は、どんなに色々な事を試み、いろいろな事を考へてゐたかが解る。彼の代表作などと呼ばれてゐるものが、彼の考へてゐたどんなに澤山の思想を犠牲にした結果、生れたものであるかが納得出來る。》

作家を理解しようとするなら、例えば、その家を表から眺めるだけじゃなくて、裏口から寝室、ゴミ箱まで漁れ、と言っているわけだ、そうやって手探りしてこそ生身の作者に巡り会うことができると。そこからさらに進むと、全集だけじゃなくて単行本全部(重版も)とか、初出雑誌すべてとか、書簡や日記の現物、遺品まで蒐集しないではおられなくなる・・・と、もうこれは古本病も膏肓に入ったということで・・・ゆずぽんの将来を心配したりする、必要はなさそうだし、そうなったらそれはそれでけっこうなことである。

新婚旅行でフィンランドへ行ったゆずぽん、ヘルシンキのアカデミア書店でDavid Trigg『READING ART』という本を買ったそうだ。

《古今東西の読書や本に纏わる絵画を集めた本で、「イギリスにも林哲夫さんみたいな人があるんや」と思いました。たしか日本でも最近創元社から『書物のある風景』というタイトルで翻訳書が出ていました。不思議というべきか、当然というべきか、たとえ海外であっても古本屋や新刊書店が目の前に現れると気持ちが高ぶってくるんですね。「おおお!」と小走りで店に入りました。》


向うでは何種類もそういう本が出ているらしい。小生みたいな、と思ってくれるのは嬉しいなあ(苦笑)。ゆずぽんの小走りになる姿が見えるよう。

ゆずぽん、いったいどこまで行くのだろう、あるいは、どんなフィードバックが生まれるのだろう? ふたたび口絵写真の背を追いながら、余計なお世話と思いつつ、つい期待が膨らんでしまうのだ。

by sumus2013 | 2019-05-08 17:06 | おすすめ本棚 | Comments(2)

渡辺啓助単行本未収録作品集 悪魔館案内記

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渡辺啓助単行本未収録作品集 悪魔館案内記』善渡爾宗衛編(我刊我書房、2019年5月24日)読了。十七篇収録のうち、表題作が昭和十三年、「アズテカ医学」が同十五年の発表で、それ以外は昭和三十年代が四篇、残り十一篇はすべて昭和二十年代に発表されており、戦後の荒廃とあっけらかんとした庶民のヴァイタリティを感じさせるアプレゲール小説群になっている。それだけで読みどころはいたるところにある。

美女と殺人。ときには軽い謎解き作品があるにしても、美女が殺される、これがストーリーの基本。ただそのシチュエーションが凝っている。例えば「怪奇小説盲目男爵」。異常な体臭を持つ美女が行方不明になり、盲目男爵がその女性を探して欲しいと探偵事務所へやってくる・・・この当時(昭和二十四年)匂い世界を描くというのはかなり新鮮だったのでは?(よく知りませんが)。

個人的には「夢遊病者」に注目した。将棋をテーマにした、いや将棋盤をテーマにした、掌編小説で、これは「将棋小説アンソロジー」を編むとすれば、ぜひとも選びたい一篇である。内容は・・・教えられません、ふふふ。

巻末の解説、杉山淳「渡辺啓助作品の〈明るさ〉とは?」によれば

《『鴉白書』にも描かれている通り、渡辺啓助さんは、既存の文学に強い不満をもち、新しい文学運動である探偵小説に参加することになった。その意味では、渡辺啓助さんもまたモダニズム文学の徒である。急進的な新しさへの志向は、モダニズム文学の大きな特徴である。》

しかしながら、渡辺の本来の資質は文芸に向いており、それゆえ城左門が『文芸汎論』に渡辺を積極的に起用したとする。

《城左門は、詩人であり、また城昌幸名義では、いわずとしれた「若さま侍捕物帳」シリーズを書き継いでいる。本書に収録された作品群には、探偵小説というよりは別のジャンルの小説のように感じられる作品も少なくない。たぶん、こうしたアプローチは、文芸的なニュアンスのものを試した証拠ともいえなくはないだろう。そういった意味では、本書は、渡辺啓助さんのありえたかもしれない方向性の作品群も収録されている。》

たしかに、そういった傾向は感じられる。特に「アズテカ医学」など、文芸性がはっきり打ち出されている作品だろう。このテーマは深堀りして行けばかなり面白いジャンルになる、そんな予感さえさせる。ただ、筆が面白く走り過ぎるきらいはあるか。

世の中には面白い小説がいろいろとあるものだ。我刊我書房刊本にはいつも教えられる。

by sumus2013 | 2019-05-06 20:33 | おすすめ本棚 | Comments(0)

銭湯断片日記

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武藤良子『銭湯断片日記』(龜鳴屋、2019年4月26日)が届いた。ブログ「m.r.factory」に発表された文章に加筆修正し編集し直したもの。二〇〇七年から二〇一八年までをカバーしている。銭湯に関する記事を集めて、登場する銭湯は百近い(巻末に一覧表あり、うち三十六に「廃業」の文字)。

銭湯の話ばかりじゃない。わめぞ、谷根千と、小生も昔は呼んでもらったり、一箱に参加させてもらったこともある、古本エリア。そこで生きる人たちの濃やかなつき合いぶりも確かな目線で描かれている。たとえば「月の湯」で何度か開かれた古本市。二〇〇八年のこと。

《かえる食堂でシフォンケーキを受け取り、要町から有楽町線に乗り護国寺まで。そこから「月の湯」まで歩く間、雨はやんだかと思うとまた降りだし、降りだしたかと思うとまたやみ。なんともはっきりしない天気。九時半、「月の湯」に着くと、すでに古書ほうろうさん、乙女湯さんが、男湯の喫茶スペースで仕度をしている。遅れてはならじと、かえる食堂のケーキを並べ、タフィーを並べ、たらいに氷をはり缶ビールとチュウハイを冷やす。そして、十時の開店を迎える。》

《雨がやんでからは人が増えはじめ、気づけば女湯の古本スペースにはみっちりぎっちりお客さんがいる。喫茶スペースはどうかというと、まずかえる食堂のシフォンケーキは午前中に秒殺で、タフィーもまったりと売れていき、そして蒸し暑いせいか缶ビールが良く売れる。午前中に来たナンダロウさんも一杯やって帰っていったし、午後に来た岡崎さん、エンテツさんは座布団に座り込み、周りを書店ギャルズに囲まれて、ここだけ銭湯の洗い場とは思えない宴会ムードを漂わせている。そんな人たちを前にして飲まないのもバカバカしいので、朝さん差し入れの缶ビールを飲みつつ、売り子をやる。》

文筆のデッサンが的確である。そういう意味で、個人的に好きなのは、古本屋を開業する王子のために物件を探してまわるくだり。二〇〇九年。

《昼過ぎ、古書往来座で瀬戸さん、王子と待ち合わせ。来年古本屋を開業する王子に付き添い、三人で不動産屋巡りをする。数年前にいくつかの不動産屋を回り南池袋で古書往来座を開業した瀬戸さんは、わめぞ近辺の不動産屋巡りの熟練者だ。顔見知りの不動産屋へ、こんにちは、と言いながらすっと入店し、僕なんかよりももっと才能のある若者が店を開くんですが、と必ず前置きし、王子の希望する条件を言っていく。瀬戸さん独自の不動産屋との駆け引きがすこぶる面白く、瀬戸さんの不思議な雰囲気に飲まれるように、この辺あまり物件ないのよね、と言いながらもあれもこれもと見せてくれる。不動産屋を三軒回り、教えてもらった物件を、散歩がてら缶ビールを片手に見て歩く。図面だけでも面白いが、実際の建物を見て回るのはもっと面白い。雑居ビルの地下の飲み屋街の元バーだったところ、警察署の裏の一軒屋、何かの店だったらしき古い家。この場所なら大きな音が出せる、この場所だったら店と住居を兼ねられる、この場所だったらあの棚を活かして改装して、と見ているだけで夢が広がる。楽しいな、不動産屋巡りだけして一生を暮らしたい、と王子に話し笑われる。》

瀬戸氏のキャラクターが浮かび上がるようではないか。古本屋ということでは、倉敷の蟲文庫さんを訪ねる「ただいま食事中」も、いっしょに旅行しているような、暖かい気持にさせてくれる。または、田端駅南口徒歩二分の石英書房。武藤さんの「曇天画」が飾られているそうだ。ちょっと見に行きたくなる……と書いて検索してみると、田端の店は二〇一二年一一月末に終了し、二〇一八年一一月より墨田区向島で実店舗を再開していた。

数多い食べ物の描写、こちらも「うまい」の連発のようでいて、なかなか観察の鋭いところを見せている。例えば二〇〇九年一月三日浅草六区「蛇骨湯」そばのラーメン屋など、この雰囲気、むしょうに、実際に現地で体験してみたくなった。引用しようかと思ったが、ここは全体を通して読まないと・・・ぜひ本書で。

「あとがき断片日記」もいい。《友人の古本屋が店を閉めた。谷中の夕焼けだんだんのすぐ上の、ビルの二階に入る古本屋だ。》と古書信天翁の閉店に触れつつ、語り部としての役割について思いを馳せるあたり、グッとくる。

手触りといい、挿絵の使い方といい、龜鳴屋さんのこだわりもたっぷり、こめられている。

by sumus2013 | 2019-05-04 19:59 | おすすめ本棚 | Comments(0)

半七聞書帳 半七捕物帳弐

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岡本綺堂『初稿半七捕物帳六十九話集 半七聞書帳 半七捕物帳 弐』善渡爾宗衛編(東都 我利我書房、二〇一九年四月二五日)読了。タイトル通り、半七ではなくその他の親分たちの活躍を聞書帳から語るという趣向。十篇中、最後の一篇だけ半七自身が鋭い観察(目剣である)と見事な推理を見せる。

第一巻につづいて江戸情緒をたっぷりと楽しみながら十手持ちたちの捜査ぶりを感心しながら読み進めた。多少、できすぎの偶然が重なるような展開もあるのだが、そこをさらりとクリアするのが作者の腕の見せどころ。その辺の呼吸も綺堂は心得ている。

ビックリしたのは次の一篇。「甘酒売」にこんな描写があった。

《眼にも見えない其怪異[そのあやかし]に取憑れたものは、最初[はじめ]は一種の瘧疾[おこり]に罹つたやうに、時々に甚[ひど]い悪寒[さむけ]がして苦み悩むのである。それが三日四日を過ぎると、更に怪しい症状をあらはして來て、病人は俯向[うつ]むいて両足を長く伸ばし、両手を腰の方へ長く垂れて、さながら魚の泳ぐやうな、蛇の蜿[のた]くるやうな奇怪な形をして這い回る。》

おお、これはまるでつげ義春の「必殺するめ固め」ではないか!(つげは夢に着想を得たそうで、この作品の影響ではないと思うが、その姿はかなり似通っているような気がする。主人公の男は、するめ固めにかけられズリズリ這い回る)。

他の作品も甲乙付け難い。なかでは、隠密と隠れ切支丹を描いた「旅絵師」が、江戸を遠く離れた東北が舞台ということもあって、これまでにない異色の面白さがある。半七物語から目が離せない!

ベガーナ・コレクション第1巻 ロマンス ダンセイニ卿未収載短篇集』(稲垣博訳、盛林堂ミステリアス文庫、二〇一九年五月六日)も届いた。連休中どこへも出かける予定はない。これでしのげる。


by sumus2013 | 2019-04-22 20:40 | おすすめ本棚 | Comments(0)