林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:おすすめ本棚( 272 )

固形説

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菊池肇『固形説』(EDITIONS δ、二〇一八年八月一六日)を某氏より頂戴した。深謝です。四六判の瀟洒な作り。発行所はEDITIONS DELTA(エディション・デルタ)。形象詩には以前から興味を持っているので嬉しく拝見した。

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菊池肇氏については何も存じ上げないが、ブログをやっておられて、活動の一端をうかがえる。パリのGalerie SATELLITEでも日本のヴィジュアル・ポエトリーの展示が行われたようだ。

metal hour

発行者は田名部信氏。関連サイトをリンクしておく。

site of poet: shin tanabe

poetry space "δ delta"

詩誌「δ(デルタ)」田名部信氏とモダニズム詩人・黒田維理の交流


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by sumus2013 | 2018-09-13 20:28 | おすすめ本棚 | Comments(2)

親鸞への接近

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四方田犬彦『親鸞への接近』(工作舎、二〇一八年八月二〇日、エディトリアルデザイン=佐藤ちひろ)読了。五百頁を超える厚冊。一目ビビったが、読みはじめてみると、理路整然たる筆致によって知的興味を刺激されながらスイスイと読み終った。

これほどの圧巻について短評で云々するのは不可能。しかしそこを敢えて一言で、例えばオビの惹句をひねり出すごとく、軽々に表現すれば、「文学として親鸞のテクストを読む」、これに尽きる。宗教でもなく歴史でもなく文学である。

《『教行信証』を読み進んでいくときわたしの心を捕えて離さないのは、この書物の非近代的(前近代的ではない)あり方をめぐるこうした疑問である。だがさしあたって検討すべきなのは、それを執筆するに際して親鸞が用いた文体でなければならない。文体の偏差を見つめることによって、徐々にテクストのなかの階梯を登り、書物全体のあり方へと視点を移動してみようというのが、本章でのわたしの狙いである。》(『教行信証』論

『教行信証』の文体を、空海と道元、とくに後者の『正法眼蔵』と比較する。

《親鸞のテクストを真の意味で道元のそれから隔てているものとは、いったい何だろうか。それは水平性であり、事物の無限ともいうべき列挙、すなわちカタログである。道元が垂直的想像力に促されて思考を活性化させるとき、親鸞はもっぱら海路をゆく船のように、同じ次元に属する語彙概念をどこまでも羅列してみせる。》(同前)

昇天と失墜の代りに航海と羅列とが救済の手立てとなる……のだと。そして横移動の究極は悟りにつながる。

《横に跳び出ること、横に流れていくことは「迂回」、つまり時間をかけて遠回りすることの逆であり、一瞬にして悟りを開くことに他ならない。》(同前)

さらに『教行信証』の主題については、こう言い切っている。

《アジャセをいかにすれば赦すことができるのか。これが『教行信証』において親鸞が掲げている、第二の大きな主題である。いや、この表現ではまだ不充分かもしれない。そもそもこの書物はアジャセの問題を解決するために構想されたものであり、この困難な課題に向き合うため、書物の座標軸そのものに変更が余儀なくされたのであった。(同前)

アジャセは父ビンバシャラ王を幽閉して死に至らしめた。父殺し。これを赦せるか、否か……。その結論は

《この「難化の機」の物語を、さまざまな迂回のもとに肯定し、善知識と深い悔悟の念さえあれば、たとえ五逆の悪人であったとしても浄土に向かうことができると結論する。》(同前)

親鸞がどうして父殺しのアジャセにこだわったのか気になるところだが、著者は文脈の吟味に終始して心理的な深読みは差し控えている。それはそれで潔いとも思えるし、深入りすれば頁はいくらあっても足りないだろう。親鸞は九歳で天台宗の慈円のもとで出家し二十九歳まで比叡山で修行と学問に励んだ。九歳ですぞ。身近な例を挙げれば浄土真宗の僧侶である扉野氏の上の息子さんくらいの年齢だ。これはある意味、貴族の子弟には珍しくないとしても、親殺しならぬ子殺しではないか? もし仮に、若き親鸞が、自分を捨てたそんな親を否定し去ったとすれば、一種の親殺しである。アジャセにこだわる理由が透けて見えないだろうか結局二十九歳のときに、悟りを得られぬまま下山し、精神的な父とも言える法然(四十歳年長)に出会って専修念仏の道に入った。そしていずれその父をも捨てることになる。

『歎異抄』の分析にも教えられることは多い。

《『歎異抄』は親鸞を著者とはしていない。なるほど親鸞が口にしたとされる言葉が数多く収録されていることは、否定できない事実だ。だがそれを編纂し、一本に纏めた者が、別に存在している。この人物は自分の記憶を辿りながら、ある意図と目的のもとに親鸞の言行録を作成した。》(『歎異抄』のスタイル

『歎異抄』イコール親鸞の言葉と思われがちだが、著者は冷静にテクスト成立の動機を次のように説明する。

『歎異抄』が執筆されたのは、一二八八年に上洛した唯円が法門の教義をめぐって覚如と最後の協議をした直後ではないかと、わたしは考えている。親鸞から面授の教えを受けたものの、覚如の教団にはついに受け入れられることのなかった老人は、東国のいたるところで泡粒のように湧き上がってくる異端教義に強い危機感を覚えていた。また自分が教団の正系からそれとなく距離を置かれていたことに対しても、焦燥感を感じていた。聖人と直接に言葉を交わした門弟は、もはや自分を措いて存在していないという、誇りと孤独が彼の心中にあった。そう考えて間違いがない。彼は覚如との面談を終えると、若き日の記憶に導かれるまま一書を著わした。いや、より正確には、それまで折りに触れ書きつけてあった断片を整理統合して、一書に綴ることにした。翌一二八九年、唯円は吉野下市で七七歳の生涯を閉じた。(同前)

かなりフィクショナルではあるが、有り得べきストーリーであろう。親鸞は一二六二年に歿しているから、著者が想定する執筆編纂時期の一二八八年は、歿後二十六年ということになる。唯円が初めて親鸞に接したのはさらに遡るから、記憶に頼ったとすれば、それはもうほとんど唯円の著作と考えてもいいかもしれない。これは非常に重大な指摘だ。

『歎異抄』と言えば誰でも知っているフレーズ「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」である。悪人正機。これについて著者はこう述べる。

《親鸞がこの逆説を口にするに際しては、師法然の言葉を反転させることで、この一節を思いついたという事実が知られている。法然は黒田入道宛ての書簡のなかで、十悪五逆を犯した悪人でも往生が可能であり、そのためにはまず信じることが重要であると説いた。彼は続いて、どんな小さな罪であっても犯すべきではなく、犯した罪は反省しなければならないと述べた上で「罪人ナホムマル、イハムヤ善人オヤ」と書きつけていた(「黒田の上人へつかわす御消息」)。『歎異抄』の著名な一節は、この法然の言葉を意図的に反転させたものである。(同前)

ムマルは浄土に生まれるという意味。なるほど、そうだったのか。小生、以前から「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の「善人なを」の「なを」にひっかかっていたのだが、法然の罪人ナホ」の置き換えということなら素直に分る。著者はつづけて覚如による『口伝鈔』における「悪人正機」の条を示し「善人なを」に理屈がつけられている)、『歎異抄』と同じ主題を扱いながらいかにも饒舌な覚如の文章を分析しつつ『歎異抄』の特異さをきわだたせている。

以上、本書の前半、『教行信証』と『歎異抄』の文学的な読み解きの、ほんのさわりのさわりだけ、しかも小生が気になったところだけ断片的に取り上げた。これだけでも十分に堪能できるのだが、さらに面白いのは後半である。中上健次、三木清、三國連太郎、吉本隆明(および加藤周一)について、それぞれの親鸞とのかかわりを論じている。三木以外は著者が個人的に親しかった人物で、その意味でも読み捨てにできない記述が多く含まれている。吉本隆明のくだりで扱われる「老年の思想」は、今後最も真剣に考えられねばならない問題だ。『歎異抄』における「ご意見無用」的な発言をも含めて。具体的には本書を読まれんことを。


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装幀もさすが工作舎という作り。とくに表紙のルドン「LA BARQUE MYSTIQUE」は美しい。《難思の弘誓は難度海を度する大船》という『教行信証』の序文に出ている比喩が本書を貫く柱のひとつである。それを意識したイメージの飛躍がミスマッチのマッチを生んでいる。その絵をカバーにせず、表紙として厚口のトレーシングペーパー(?)で包んだ「はからい」もなかなかである。


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by sumus2013 | 2018-09-07 20:36 | おすすめ本棚 | Comments(0)

本と出合う

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Soup Stock Tokyo」2018 August-September というチラシ(折帖十二頁、タテ20mm)が「本と出合う 書を求め、町へ出よう。」という特集を組んでいる。

片面六頁は「本と出合う」としてスープストックトーキョーの支店がある駅や町を舞台にした本の紹介。例えば西宮ガーデンズなら有川浩『阪急電車』(幻冬舎文庫)とか、東急プラザ銀座店なら椎名誠『銀座のカラス』(小学館)と言った具合で十一冊紹介している。

もう半面は「Soup Friend」vol.86 として森岡書店の森岡督行(もりおかよしゆき)氏へのインタビューが二頁(それ以外は表紙と広告)。読書のアドバイスを求められて森岡氏は《今の自分に、ではなく、昔の自分に教えてあげたいという本を選んでみたらいいかと思います》と答えて、四冊挙げている。

七歳の自分に 谷川俊太郎の絵本「生きる」
十二歳の自分に 「星の王子さま」
十七歳の自分に 丸山真男「日本の思想」
二十代の自分に 都築響一「ROADSIDE JAPAN」

なるほど、素直にうなづける推薦図書ではないか。昔の自分にすすめたい本……と自分自身について考えると、いろいろあって収拾がつかない。今の自分があるのは昔の自分があったればこそだしねえ……。そして最後に料理にまつわる本でおすすめはと問われて森岡氏は


と答えている。これもなんとなく分る気がする。スープストックトーキョーは京都店(京都ポルタ内)もあるらしい。


***

こんな感想をいただきました。

「本の虫の本」と「失われた時を求めて」への悔恨


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by sumus2013 | 2018-09-03 21:09 | おすすめ本棚 | Comments(0)

なぜ花は匂うか

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『牧野富太郎 なぜ花は匂うか』(STANDARD BOOKS, 平凡社、二〇一七年一〇月二〇日六刷)読了。牧野植物図鑑は以前架蔵していたが(今は持っていない)、エッセイを読むのは初めて。本書は短いエッセイを集めてちょうど牧野入門にもってこい。なんとも面白い人物である。

いちばん興味深く思ったのは、植物名の由来や、漢名との一致にシビアなところ。分類というのは命名ということにほぼ等しいわけだから当然と言えば当然なのだが、一般に通用している呼び名にも容赦はない。例えば「ツバキ」。

《ツバキを通常椿として書いてあるがそれは漢名ではなく、これは日本人の製した和字であるということを知っていなければならない。》

《椿の字はむろん支那の植物にもある。その植物は今は日本にも来ていて諸所に植えられてある樹で、わが邦ではこれをチャンチンとよんでいる。》

《全体どういうわけでそれをチャンチンというかと言うと、これはじつはヒャンチンの転訛でもと香椿の支那音である。》

《このチャンチンの椿は落葉灌木で大なる羽状葉を有し、梢に穂をなして淡緑色の細花を綴り、ツバキとは似ても似つかぬ樹なのである。》

《ツバキと姉妹の品にサザンカがある。》

《昔の人がこの木に山茶花の漢名をあてたことがあるので、たぶんそれからサザンカの名を生じたのではないかと思う。すなわち山茶花のサンサカが、音便によってついにサザンカに転化したのであろう。しかるに右の山茶花[さんさか]は元来ツバキの漢名であるから、これをサザンカに適用するのはまったく誤りである。

「菫」も槍玉に挙げられている。「菫」も「菫菜」もスミレとは縁がない。支那では「」がスミレであって、単なる「菫」や「菫菜」が指すのはセロリなのだと(芹、芹菜とも)。

カキツバタも「杜若」や「燕子花」と書くのは間違い、「杜若」はアオノクマタケランであり「燕子花」はオオヒエンソウである、と。

《右のように従来わが邦で用いられている漢名には、その適用を誤っているものがすこぶる多い。かのケヤキに欅の字を用い、アジサイに紫陽花を用い、ジャガイモに馬鈴薯を用い、フキに欵冬あるいは蕗を用い、ワサビに山葵菜を用い、カシに橿を用い、ヒサカキに柃を用い、ショウブに菖蒲を用い、オリーブに橄欖を用い、レンギョウに連翹を用い、スギに杉を用うるなど、その誤用の文字じつに枚挙するにいとまがない。この悪習慣が一流の学者にまで浸潤し、どれほど世人を誤っていて事体を複雑に導いているか、じつにはかり知るすべからずである。こんなわけであるから古典学者などは別として普通一般の人々は、植物の名はいっさい仮名で書けばそれでよいのである。》(カキツバタ一家言)

俵浩三『牧野植物図鑑の謎』(平凡社新書、一九九九年)によれば『植物図鑑』を改訂し『日本植物図鑑』とするときにも、その凝り性のため、改訂の仕事は遅遅として進まなかったという。

《ところが牧野は、ここでも凝り性を発揮した。学名ひとつにしても分厚い洋書を精読して、じっくり検討するのである。牧野は『植物図鑑』を改訂するとき、例えばコナラの学名が、それまでの図鑑や学術書で Quercus glandulifera Bl. とされていたことに疑問をいだいた。そこでツンベリーの『Flora Japonica』(『日本植物誌』一七八四)をじっくり読み返してみると、それまでクヌギの学名として使用されてきた Quercus serrata Thunb. こそがコナラの学名であることに確信をもち、そのように訂正したという。(『植物分類研究』下巻)

また牧野は校正にも徹底的に赤字を入れて補筆・訂正することでも有名だった。

《そういう実情だから、北隆館では『日本植物図鑑』の校正は牧野には見せなかったらしい。校正段階で大幅な手直しがあれば、さらに発行が遅れてしまうからである。

校正を著者に見せないほど、急いで出版する必要があったのか(じつはあったのです)と思ってしまうが、大正十四年九月に発行された『日本植物図鑑』には三十四ページからなる冊子の訂正表が付けられたそうである。植字工が活字を拾っていた時代だから誤字・誤植のリスクは今よりも何倍も大きかった。それにしても三十四ページの正誤表は横綱クラスであろう(第四版から訂正されたという)。

平凡社STANDARD BOOKS 第I期

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by sumus2013 | 2018-08-22 21:14 | おすすめ本棚 | Comments(2)

ゲルマントのほう II

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プルースト『失われた時を求めて6 第三篇「ゲルマントのほう II」』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、二〇一八年七月二〇日)読了。「失われた時を求めて」のひとつの大きな山場である。本巻のほぼ三分の二がヴィルパリジ侯爵夫人のサロンの描写なので、ひょっとしたら多くの読者にとってこの巻は本作を通読しようという意気込みをくじく大きな壁になるかもしれない。

《本巻の最初の二百頁以上をなすヴィルパリジ夫人のサロンの場面で言及される人物名や特殊な言い回しに、二十一世紀の日本に生きる私たちはどこまで通じていればいいのか、読書の快楽を阻碍しかねない註はなるべくつけないという方針をどこまで貫けばいいのか、訳者たる私は今回今まで以上に迷わざるを得なかった。》(高遠弘美「読書ガイド」)

結局かなりの数の註をつけたのだが、しかし、そんな註など気にせずに読みなさいと訳者は勧める。そして

《ただ私は、もし本巻の延々と続く社交界の場面で息切れしたとしても、気になさる必要はありませんよと申し上げたいだけである。
 プルーストを最後まで読めなかったとき、人はしばしば「挫折」という言葉を使う。だが、岩波文庫で二十六冊の『マドリュス版千一夜物語』を最後まで読めなかったとき、『千一夜物語』に挫折したと言うだろうか。

《そこにはあとで紹介するファニー・ピションが指摘するように、あえて言えば知的スノビズムが関わっているのではなかろうか。「プルースト、読んだよ」とか「カラマーゾフ、面白いね」と言いたいのに言えないときの一抹の悔しさのせいと言えばいいのかもしれない。さりながら、読書にはとかくスノビズムがつきものだとはいえ、スノビズムを満足させるための読書はやはりどこか歪[いびつ]である。読書は根元的に生きる力、生の喜びに結びついていなければつまらない。それゆえ、「挫折」という、逆方向のスノビズムの存在を窺わせる言葉は、率直に言って、プルーストに限らず、中断した読書にふさわしい言葉ではない。》

以下、訳者の弁明(ではないでしょうが、もちろん)は続いて、ひとつの読書論としても興味深く読めるのだが(断片的な引用では誤解を招きかねない、全文をぜひ本書にて)、少なくとも小生は、本巻がこれまででいちばん面白かった、と感じた。ヴィルパリジ夫人のサロンで飛び交う固有名詞はともかくとして、そこに登場する人物と立場とドレフュス事件というフランスの国論を二分する大事件(事件としてはささいな事件だが)との関係をこと細かにこれほどまで鮮やかに描き切るということは、プルーストでなければ誰がなしえただろうか。この重要なもっとも筆力を堪能できる見世場で「挫折」するようなら小説など読む資格はない。

そしてまた、その後に続く祖母の死、そこへ到る病状の変化、医者というものに対するシニカルな見方も含め、プルーストが腕によりをかけて描き上げた、前半では最もエキサイティングな場面である。ヴィルパリジ夫人のサロンのシーンは据え置きカメラで長回しの感じなのだが、祖母のシーンは細かくカット割りをして息もつかせず臨終へなだれこむ。見事としか言いようがない。

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by sumus2013 | 2018-08-19 20:38 | おすすめ本棚 | Comments(0)

METRO MIN. No.189

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『メトロミニッツ』八月号(スターツ出版、二〇一八年七月二〇日)。いいですね、この写真。モデルは佐久間由衣さん。表紙だけでなく本誌中の記事「はじめての池袋」に登場しているのが古書往来座である。瀬戸氏も登場。

《佐久間由衣
1995年3月10日生まれ。『Vivi』でモデルデビューを経て、現在は女優として活動中。NHKの朝ドラ『ひよっこ』の助川時子役でブレイクし、以後もドラマ、映画、CMに多数出演》

《好きな作家は、中村文則、西加奈子、川上未映子。太宰治の文学、谷川俊太郎などの詩集もよく読むそう。スラリとした都会的な美女の素顔は、物静かで落ち着いた文科系女子でした。》(Text;田幸和歌子)



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by sumus2013 | 2018-08-06 20:24 | おすすめ本棚 | Comments(0)

午前零時の男他三編

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紅東一『午前零時の男 他三編』(盛林堂ミステリアス文庫、二〇一八年八月一二日、表紙デザイン=小山力也)。届いたばっかりだが、この表紙にマイッた! かっこい。

書肆盛林堂

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by sumus2013 | 2018-07-28 17:55 | おすすめ本棚 | Comments(0)

須賀敦子の手紙

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メリーゴーランド京都は子供のための本屋さんだが、大人の本も置いてある。そのチョイスがいつも素晴らしいなと思う。皆様も御存知のように新刊はほとんど買わない人間である。メリーゴーランドにも扉野古本棚があって、そちらは折りに触れて覗いているのだが。しかしながら、個展をやらせてもらう際には必ず何か記念として新刊を一冊は求めることにしている。よって今回はこの『須賀敦子の手紙 1975―1997年 友人への55通』(つるとはな、二〇一六年九月三〇日三刷、アートディレクション=有山達也)を選んだ。

須賀敦子が親友だったスマ・コーン、ジョエル・コーン夫妻へ宛てて二十二年間に送った五十五通の手紙や葉書をカラー図版として復元している。活字にも直されているが、図版の鮮明さもあり、須賀の筆蹟で読むのがなんとも気持ちのいい経験だ。

巻末に収められた「姉の手紙」でコーン夫妻から須賀の手紙のコピーを送られた北村良子は次のように書いている。

《姉があんなにのびのびと書いている手紙は読んだことがありませんでした。構えないで書いていて、しかも姉らしさが全体にあふれていて。読み終えたときには、ただただ感無量でした。
 わたしにはなんでも話してくれた姉でしたけれど、それでもわたしに話せなかったことも当然あったんだな、かわいそうだったな、とおもいました。でもそれをコーンさんご夫妻がうけとめてくださっていたわけですから、姉にとっておふたりがどれだけ大切な存在であったか、手紙を読んであらためておもいました。姉がスマさんをわざわざ病院まで呼びつけて、身のまわりの世話をお願いした気持も、手紙を読んで、そうだったのか、とはじめて納得したんです。》

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たまたま個展会場へ来られた方に「この本が面白いですよ」とお勧めしたところ、偶然にもその方は須賀敦子のファンで、須賀の作品はすべて読んだとおっしゃる。「しかしこの本は敢えて読まないのです」と。というのは、本書にも寄稿している松山巖氏が須賀敦子の足跡を辿った本(『須賀敦子が歩いた道』とんぼの本、だと思われます)で彼女の作品における虚構性について書いており、実際の須賀敦子と作品から受けたイメージとのギャップを知りたくないからだとおっしゃる。

小生など、作品なんかどうでもいい(とはいいません、作品がいいから、その人のことを知りたくなる)、その実際の人物像をのぞいてみたいと思う方なので、なるほど、そういうファン心理もあって当然だなとみょうに納得させられてしまった。しかし、本書は、そんな露悪的なものではなく(当たり前ながら)須賀敦子の人柄や嗜好が、そしてその弱さみたいなところも、うかがえる恰好の材料になっていると思うのだ。さらに、直筆なので、読者それぞれが須賀から直接届いた便りを読んでいるような錯覚に陥るというメリットもある。ファンなら必読であろう。

一九九七年の手紙には山崎佳代子さんが登場している。個人的にお会いしたことがある方の名前を見つけるとやはり嬉しいものだ。そのくだりを引用しておく。

《ユーゴスラヴィアは、詩人の山崎佳代子さんで、私たちは共通の友人で結ばれているだけで、まだ会ったことはないのですけれど、二年まえに彼女の詩集を読んで多いに感動し、それは戦争で不意に消えていった友人たちをうたったもので、(一体世界でこうして消え、あるいは消されていく人たちのだれが、私たちの「友人」でないのでしょう)彼女は私の書くものを読んでくれている、そんな関係にあります。絵を描く夫君とふたりでもうずいぶん長いことあの国にいる、大学で日本語を教えているのですけれど、ストライキが続いて「国は病みつづけていますが…日差しが春の訪れを知らせています」とあって、私はふと、イタリアの野に、南ならそろそろ咲きはじめるプリムラを想い出しました。》(一九九七年二月一八日付)

須賀敦子はこのときすでに入院中であった。六月九日に一度退院するが、九月二五日に再入院。翌一九九八年三月二〇日《午前4時半、心不全により帰天、享年69。26日、四谷の聖イグナチオ教会にて葬儀。甲山カトリック墓地に埋葬。》(本書の略年譜より)

須賀敦子の良い読者ではないが、何冊かは読んでいる。もう一度読み直して(まずは買い直して)みたいと思わせる好著だった。

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by sumus2013 | 2018-07-23 19:50 | おすすめ本棚 | Comments(0)

寺島珠雄書簡集

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『寺島珠雄書簡集 石野覺宛 1973-1999』(龜鳴屋、二〇一八年六月一五日)。龜鳴屋さん、また渋い本を作ってくれた。感謝。

「編集後記」によれば、龜鳴屋・勝井氏は、二〇〇二年五月、石野氏より寺島書簡を譲り受けた。寺島の詩やアナキスト関係の本を読んでいた勝井氏は『藤澤清造貧困小説集』(龜鳴屋刊本)を注文してくれた石野氏の名前にピンときて、本を直接届けることにした。

《誰が頼んでも書かなかったという自筆年譜をこの選詩集に書かせた人として、石野さんの名が記憶の隅にあったのだ。それで、これはと思い、西泉のお宅に直接本をとどけに行くことにした。》(編集後記

石野氏に対面して氏が寺島の詩集を編んだことに言及した。

《「寺島さんに興味がおありですか…」。返事は一言だけ。話をつがねばと、図書館ではじめて『寺島珠雄詩集』を手にしたとき、タイプ打ちの素っ気ない薄手の一冊が、いかにも寺島珠雄にふさわしく思えたと言うと、しばらく黙ったままだった石野さん、急に別の部屋に立って行かれ、大きなあられの缶を持ってもどって来られた。
「このなかに寺島さんからの手紙があります。よかったら、差し上げます。あとはどうなさってもかまいません」。》

ということで、あっさりと勝井氏の手に入った寺島の書簡類。ひまひまに整理しながら入力をすませたが、その後、出版の腹が決まらず、そのままになっていた。二〇〇七年一月には石野氏も亡くなられた。

《寺島が金沢の無名の詩人に寄せていた信頼と親愛が伝わって来る。石野さんが手元にとどめた手紙を、書簡などすべて処分したという寺島本人は無きものにしたかったかも知れないが、残されたればこそ。二十余年に及ぶ手紙からは、アナキスト詩人の行跡がさまざま確認できるし、やはり何かと素の心根がみえ、人間味がただよってくる。》

小生も、晩年の寺島さんとは、文通だけのお付き合いがあった。一九九九年七月に亡くなっておられるから、たぶん『ARE』のあたりからきっかけができたのだろう(今すぐ思い出せないが)、寺島さんが発行しておられた個人ペーパー『低人通信』を十通余りもらっている。本書にも『低人通信』についての言及が随所に見られて興味深い。忠実なアシスタント紫村美也さんが制作実務を行っておられたようである。

寺島珠雄『小野十三郎ノート』

晩年の寺島さんは尼崎の東七松町に住んでおられた。本書収録の書簡類も一九九〇年以降は尼崎からの発信。それ以前は大阪西成区山王である。七〇年代の後、八〇年代は八九年の一通だけで、九〇年代が分量としてはもっとも多い。

九〇年代における寺島さんの執筆活動は盛んで、小野十三郎の年譜、南天堂研究など、大きな仕事を残している。また『彷書月刊』とごく親しくなったのもこの時期である。

古書業界誌のシニセの日本古書通信というところ、これに11/10〆切で10枚(西山勇太郎関連)を約束したら、こんどは同じ業界の新進である彷書月刊というところが、来年一〜三月号に巻頭エッセイをと言って来て、何だか古書業界人にされかかった気分です。しかし、ちょっと考えれば私自身が"古人"なので、まずは分相応です。》(一九九四年一〇月一五日消印)

二十四日に東京へ出ます。
 その日は「彷書月刊」の面々が夜の席を設けて他からも(森まゆみ)来ます。
 翌日はコスモス忌(秋山清忌)で、まず十数人の集りになるでしょう。》(一九九五年一一月一八日消印)

この頃から彷書月刊の面々(田村芳治、内堀弘、高橋徹、諸氏)と急速に親しくなったらしいことが分る。

六月一日には東京から若い友人でもある古本屋が来ます(月の輪書林)。
 来年は竹中労を中心の目録という企画があってその話でしょう。
 一夜を酔談します。
 まだその程度は体力を残しています。(一九九六年五月二九日消印)

先日、月の輪書林高橋氏の還暦記念(月の輪さん、カンレキ!)のアルバムというものを見せてもらう機会があったのだが、そこには一九九七年と思われる飲み屋でのスナップ写真が貼付けられていた。彷書月刊の面々と寺島さんがいかにも和やかな雰囲気でカメラに向っている。その写真の脇、月の輪さんの日記(?)の活字になった切り抜きにはこうあった。

尼崎の寺島さんからハガキが届く。竹中特集ができたら、こういう人に送ったらどうかと一〇人の名前と住所が書いてあった。目録のことを一番、気にかけてくれている。》(一九九七年二月二七日)

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『月の輪書林古書目録10』平成九年一一月三〇日発行


一九七六年六月十三日消印の絵葉書に港野喜代子の名前が出ている。

12日貴翰拝承
四月に不慮の死に遭った港野喜代子さんの追悼集会があり、少ししゃべらされ、そのあと伊藤信吉さんなどと話し合って帰ったら着いてました。

六月十二日に追悼集会があったということか。涸沢純平『遅れ時計の詩人』(編集工房ノア、一九一七年)には港野喜代子の葬儀や『新文学』の追悼号についてのかなり詳しい記述があるが、寺島の名前も出ていないし、この追悼集会についても触れられていないようなので、メモしておく。

一九九五年一月の阪神淡路大震災のとき、寺島さんも尼崎で被災した。

水、ガスの止りのうち、水は19日朝にチョロチョロ回復。
 屋根工事の方は、丁度武内君の来ている時に屋根で足音がしましたから、応急のシート張りくらい始めたのだと思います。少くも一安心です。
 本は段ボール箱+ビニール包みと箱のみとの荷造りを相当やりましたが、全体やれば六十箇以上かと思われ、屋根工事の具合いではやらずにすませます(やった分だけ骨折り損でも仕方ありません)。地震当夜の文章で低人通信22号を作ります。すでに原稿は渡しずみです。(一九九五年一月二十日消印官製はがき)

本棚の修覆は、結局半年ほどもかかると思っています。そのくらいの気分でやって丁度いいことは一種のカンと経験でわかります。
 それにしても、整頓していた本が散乱した状態(容積)はすごいですよ。人を絶望に誘う。ガサ入れの無遠慮も地震にはかないませんね。》(同)

地震についての文章、十九日にもう書いていたのだ(地震は十七日です)。さすが、である。ガサ入れと比較するところも。寺島さんの尼崎の住処は街の草さんの自宅の近くだった。地震の少し後、街の草さんから寺島さんの本がグチャグチャになって大変だったことを聞いた記憶がある。街の草は、残念ながら、本書には登場していない。

他にも寺島さんの食べ物への執着も随所に見受けられ、読みどころの多い一冊である。

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by sumus2013 | 2018-07-15 09:45 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ぽかん07 その他

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近頃、頂戴した定期刊行物。

ぽかん 07 ぽかん編集室 二〇一八年六月二六日 表紙絵:片桐水面
山田稔さんの「ひょうそーー「門司の幼少時代」(二)」が絶品。今号は長めのエッセイが多く読み応えがある。いずれも粒よりながら、小生の好みで言えば郷田貴子「おばあちゃんからの便りと、最期の絵日記」がいい。真治彩「a poem as an amuletーー片山令子さんのこと」も真治さんらしい屈折のある追悼文で読ませる。いつもながら人選の妙に真治さんの編集者としてのセンスを感じる。

田端人 第四輯 矢部登 二〇一八年六月夏至
清宮質文の作品と美術館の記憶、そして文学とのつながりをたどる「ながれ」。花紋折りの内山光弘、内山義郎、内山興正をめぐる「花紋折りの人」。田端「だるまや食堂」。室生犀星をたどっての散策、古書ドリスで水島爾保布集、古書ほうろうで筑摩書房版堀辰雄全集を手に入れたりしながら。小生もこういう高雅な冊子を出したいと思うのだが……

瀬戸内作文連盟 vol.19 瀬戸内作文連盟事務局 二〇一八年六月二〇日
菊池恵子「ヤァ ヤァ! ヤァ!」、田中美穂「インドの畑」、能邨陽子「二ヶ月半待て」、出海博史「髭」・・・書き手が揃っているためか二十六頁の冊子とは思えない濃い内容。これもまた発行人である出海氏のセンスであり人柄なのだろう。

大和通信 第一〇九号 海坊主社 二〇一八年七月二五日
扉野良人「群れを離れて」、中尾務「伊東静雄、羽山善治——富士正晴調査余滴」、中野朗「特装本二冊」、当銘広子「枝うち」、御館博光「彦根の夜は更けて」など。いつもながらB4裏表にこれだけ詰め込んだ濃さにも驚かされる。

新潟県戦後五十年詩史 隣人としての詩人たちーー〈11〉 鈴木良一
 北方文学 第七十七号(二〇一八年六月二三日)別刷
『紙魚』は七十号で終ったが、こちらはまだまだ続くようである。一九七一年から七五年まで(前半)。

 202 詩誌「菱」の会 二〇一八年七月一日
編集人の手皮氏の「編集後記」がいつも面白い。今号は合評会について。発行数と同じだけの合評会を開いて来たのに合評会について論じた記事がないという。『VIKING』は合評会を活字化して載せているが、そういう同人雑誌は珍しいのか。

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by sumus2013 | 2018-07-06 21:57 | おすすめ本棚 | Comments(0)