林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:装幀=林哲夫( 69 )

雑誌渉猟日録ゲラ

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近々、高橋輝次さんの新著が、皓星社から刊行されることになり、小生に装幀をとのご指名をいただいた。よってただいま初稿ゲラを熟読中である。熟読しなくても装幀は考えられるけれど、つい読み耽ってしまう、例の、註記連発の高橋節がなんともとぼけた味だ。いよいよ芸風として完成の域に達している。

タイトルは『雑誌渉猟日録 関西ふるほん探検』。主に同人雑誌やマイナー雑誌のなかから、高橋流の眼力によって、無名ながらキラリと輝く人材を掘り起こし、探求というか、本が本を呼ぶたぐいの追求をのんびりと行う、その過程が描かれている。読みどころは「センチメンタル・リーディング」だろう。乞うご期待。

とは言え、ゲラを読んでみると、読む前に考えていたアイデアは使えないことが分かった。さて、どういうカバーがいいのか。軽い、明るい感じにしたいけれど・・・・しばらく悩むことになりそう。


***


『週刊文春』2月7日号「文春図書館」、作家の三上延氏が「私の読書日記」で『本の虫の本』を上手に取り上げてくださっている。さすが、古書店勤務の経験あり、だ。ジュウハンあとひと息です。


by sumus2013 | 2019-02-04 20:27 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

パゾリーニの青春

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題 名=ジョヴェントゥ ピエール・パオロ・パゾリーニの青春
発行日=2019年1月1日
著者等=田中千世子(たなか・ちせこ)
発行所=みずのわ出版
http://www.mizunowa.com/index.html
装 幀=林哲夫

詩人としてのパゾリーニは『パゾリーニ詩集』(みすず書房、二〇一一年)で広く知られるところだろう。本書では、そのパゾリーニの文学的な原点であるフリウリ語との関連をかなり深く掘り下げた内容が注意を引く。

《パゾリーニはフリウリ語で詩を書き始めた。そして文学雑誌を発行した。雑誌の名前は"STROLIGUT[ストロリグト]"(暦)、季刊である。一九四四年四月に最初の号が出た。
 その巻頭言にパゾリーニは書く。フリウリ語でーー。現代イタリア語の対訳などあるはずもない。イタリア人で文学的教養の豊かな人でも半分もわからない。フリウリ人でなければ読めない言葉だ。》

《フリウリは現在、正式にはフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア自治州と呼ばれ、イタリア共和国の北東部に位置する地域だ。州都はトリエステ、アドリア海に面した由緒ある港湾都市で、東は旧ユーゴスラヴィア、現在のスロベニアとの国境だ。》

パゾリーニはボローニャに生まれてボローニャ大学で学んでいるからフリウリ人とは言えないが、母親がフリウリ地方のカサルサ出身で第二次大戦中は母の故郷で過ごした。一九四六年から書きためたフリウリ語の詩を『カサルサ詩集 Poesie a Casarsa』として刊行している。

《地元の若者の誰かしらがこれを読んだ。そして失望とともに驚かずにはいられなかった。都会のボローニャからやってきた優秀な学生がよりにもよって農民たちが使う田舎丸出しの方言を詩に使っているのだから。と、ニコ・ナルディーニは解説する。
 たとえて言うと、東京に出て文学修業していた中上健次が地元に戻って新宮弁で詩集を発表したようなものか。だが、中上はもともと新宮の人間だから、違う。》

《中上ではなく、別の東京の坊ちゃんか、京都か神戸の坊ちゃんで、母方の実家が新宮にあって、そして、その坊ちゃんが母方の実家の町に戻って、新宮弁で文学を発表したーーと想定したら? 地元の若者は「なんや、俺らの田舎臭い言葉を使いよって」と驚く。そうするとパゾリーニの詩を読んだフリウリの若者の気持ちがわかりやすくなるだろうか。》

なるほど、そういうものか。著者は山梨県生まれ。映画評論から自主映画の製作監督へ。イタリアにおいてはパゾリーニ財団との関わりも深く、著者ならではの視点で多面的に、日本の状況とも対比しながら、論じられている。むろん映画についても多くの紙幅が割かれており、そう言えば、パゾリーニ、昔はよく見たなあと断片的に思い出したりした。

パゾリーニの青春はやはり戦乱と切っても切れない。ファシズムの闘いも、ファシズムとの闘いもあり、内乱もある。戦後の荒廃も。そう言う意味から、少し派手に、燃え上がるようなデカルコマニイのジャケットを作ってみた。

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ジャケットと表4


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ジャケットと扉


【用紙】
カバー MTA+-FS 四六判Y目 135kg
表 紙 気包紙-FS(U) ディープラフ L判Y目215.5kg/K判T・Y目147.5kg
見返し ハンマートーンGA ブラック 四六判Y目 130kg

by sumus2013 | 2018-12-23 21:14 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

調査されるという迷惑

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https://sumus.exblog.jp/8202781/


安渓遊地『調査されるという迷惑』(みずのわ出版)の第六刷が届く。初刷は二〇〇八年だから十年たっているわけだが、みずのわ出版のロングセラーということになる。

同封されていたのがこちら『BOOK 在月 book6』(BOOK 月実行委員会、二〇一八年一〇月二六日)。柳原一徳・南陀楼綾繁「第5回BOOK 存月前夜祭 『花森安治装釘集成』ができるまで」という対談が収録されている(トークそのものは二〇一七年一〇月に行われた)。

二人の発言より結論らしき部分を引き写しておく。

ーー蔵書って一代で終わってしまうところがありますよね。神戸でものすごく良い文章を書かれる林喜芳さんって蔵書家がいらっしゃったんですが、そのご遺族は、文学のことはなんもわからん、本も全部捨ててしまったとか。
 自分自身の話で言うと、宮本常一を自分が最初に読んだのは中学生の頃だったんですけど、親父がたまたまそんなに興味もなかった宮本常一の本(東和町誌)を買ってきて、儂わしの方が読んでたんですよ。》《たまたま家に本があったってことで読んだんですけど、家に本があるという環境、ただそこにあったということは、あらねばならなかったわけだ、と儂は考えておりまして。

ーーその通りだと思いますよ。今、電子本がどうのこうのって話があって、電子本の優位性や便利さももちろんあるんだけど、デジタルの良さを全て認めた上で、その場所に物理的に本がある、っていうことは、そこにいる人の読書体験としてすごく重要だろうと。デジタルでもそういう本の出合いはあるんだけど、物理的な物としての、本との出合いってのも大きいだろうと。だからこそ物理的な本を広めていきたいし、作っていきたいと、自分も思っています。

by sumus2013 | 2018-12-13 19:35 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

時代を駆ける2 吉田得子日記戦後編1946-1974

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題 名=時代を駆ける2 吉田得子日記戦後編1946-1974
発行日=2018年7月1日
著者等=女性の日記から学ぶ会編
    島利栄子 西村榮雄 責任編集
発行所=みずのわ出版
http://www.mizunowa.com/index.html
装 幀=林哲夫

日記の筆者吉田得子(1891-1974)は岡山県邑久町で生まれ、ここで一生を終えた。西大寺高等女学校を卒業後、教師になった。その後結婚し一子を産み育てながら教職を続けるも昭和4年退職。夫とともに当時はやり始めていたラジオ販売の仕事を始める。昭和という時代はラジオと共にあったというが、まさに商売繁盛で得子も地域のリーダー的存在になっていく。そして終戦を迎え、婦人会長、村会議員となり、戦後の女性の社会進出の先頭に立つ。
解説1 得子の婦人会活動 島利栄子/解説2 変わらぬ得子の視線―戦後の日記を中心にして 西村榮雄/解説3 同時代の日記への共感 高崎明子


時代を駆ける 吉田得子日記

by sumus2013 | 2018-06-05 20:24 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

今宵はなんという夢見る夜

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柏倉康夫『今宵はなんという夢見る夜 金子光晴と森三千代』(左右社、二〇一八年六月三〇日)。柏倉氏の新著である。以前、プレヴェールの評伝を装幀させていただいた。

『思い出しておくれ、幸せだった日々を 評伝ジャック・プレヴェール』

『今宵は〜』も非常な労作評伝である。金子光晴と森三千代の関係を、その出会いから敗戦まで、詳細にたどっている。金子の自虐的な恋愛観、新しい女としての三千代の成長、それらをしつように追いかけて、筆は日本はもちろん中国、東南アジア、ベルギー、フランスへと走って行く。金子ってこんな男だったのか、森三千代の作品をもっと読んでみたい……と自然に思わされてしまう。折りに触れ詩などの引用もふんだんに盛り込まれているので金子を知らない人には入門書として役立つだろう。

金子光晴の三部作『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』(いずれも中公文庫)はかつて愛読したものだ。表現も巧みだが、とりわけ、こんなに率直な自伝ってあるのかなと感心した。しかし本書を読むと、少し見方が変わる。いくら率直でも金子も人並みはずれて自分勝手な人間だ、描写には歪曲された部分も少なからずあるのだ。本書と照らしながら三部作をもう一度読み返してみたいような気になった。

それはそうとして、戦前の最も「いやな時代」を「うしろむきのオットセイ」の態度で通した金子の生き方を、若い人たちにもっと知ってもらいたい、というのが読後感の第一である。現代もまた戦前とは多少違うとしても(しかし通じるところのある)「いやな」時代になっているから。

今宵はなんという夢見る夜 金子光晴と森三千代


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【用紙】
本 文 b7ナチュラル 四六Y71.5kg
カバー MTA+-FS 四六判Y目 135kg
表 紙 気包紙-FS(U) ディープラフ L判Y目215.5kg/K判T・Y目147.5kg
見返し ハンマートーンGA ダークグレー 四六判Y目 130kg
別丁扉 ハンマートーンGA スノーホワイト 四六判Y目 100kg
帯   ハンマートーンGA スノーホワイト 四六判Y目 100kg

by sumus2013 | 2018-05-29 20:08 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

いまそかりし昔

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ブログをしばらく休んだが、休む数日前に、築添正生『いまそかりし昔』(りいぶる・とふん、二〇一一年三月二三日、装幀=林哲夫)を入手した。もちろん、自分用の一冊および特装本は確保している。それでも見かけると買いたい。以前、目録で注文したときにはハズレた。われながらいい装幀だなあと思う。

築添正生さんの一周忌の法要と出版記念会

いい会だったが、もう七年が過ぎたとは・・・

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表紙の写真は築添さんの仕事場(撮影:井上迅)。最初に指定した表紙の紙がラフ(表面ザラザラ)だったため、印刷所ではどうしてもうまく黒ベタが乗らなかった。仕方なく、刷り易い紙(ミルトGA)に変更したのだが、これはこれで悪くない。たまには自画自賛。


by sumus2013 | 2018-05-20 20:31 | 装幀=林哲夫 | Comments(2)

堀江芳介壬午軍乱日記

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堀江芳介壬午軍乱日記
2018年5月1日発行

編者 西村榮雄
発行 みずのわ出版
装幀 林 哲夫
印刷 山田写真製版所
製本 渋谷文泉閣

上製 194×133mm

カバー ハンマートーンGA ホワイト 四六判Y目130kg 黒箔押+スミ1°
表 紙 ハンマートーンGA ホワイト 四六判Y目100kg スミ1°
見返し NTラシャ べんがら 四六Y目130kg


内容は、明治十五年、朝鮮で起きた壬午軍乱に際し、日本政府は居留民保護と公使の護衛の目的で軍艦を釜山へ送った、そのときに派遣された軍人の一人、陸軍歩兵大佐・堀江芳介(編者の祖父)の日記を活字にしたものである。

《八月二日新橋駅から汽車で横浜に行き、玄界丸に乗船し、神戸、下関に寄港した後、八月一二日朝鮮西岸の月尾島に上陸した。現地では、高島少将の下で花房公使の護衛に当っていたが、八月三〇日に済物浦条約が結ばれて事件は解決し、九月二〇日に任務を終えて帰国した。この日記は、その間の行動を記録したものであった。》(まえがき)

by sumus2013 | 2018-04-22 20:12 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

稿本董一句集

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『稿本 董一句集』(私家版、平成二十八年六月)なるものを頂戴した。というか、 董一氏に句集はないのですかと尋ねたら、二年前に五人ほどに渡した手製の句集があるとおっしゃるので、送っていただいた。それはA5判八頁(A4二枚重ね二つ折)におおよそ百五十句(?)ほどが収められている。

これが素晴らしい句集であった。拙ブログでも当初は毎日、拙作俳句をタイトルとしていた時期があったが、俳句を考えるだけで一日が過ぎて行くようなことがあり(その頃から董一氏にはいろいろご教示をいただいたものである)、俳句をタイトルにするのは止めにした。自然、句作からも遠のいた。

daily-sumus 2006年4月


『稿本 董一句集』より。


 用水の涯はうごかぬ春の雲

 飛ぶ鳥の背に誰もなし三島の忌

 ドアの外の空のどんぶり猫の恋

 タクシーの次々入りぬ芒原

 春泥やひねつて閉ぢる紙袋

 雛壇の裏へとコイン転がれる

 マネキンの脚投げ出せる薄暑かな

 漱石忌書類袋の底の砂

 五月雨に犬濡れてゐる鎖もまた

 東京に立て掛けてある日傘かな

 秋旱目薬壜のなかの泡

 靴履けば靴に従ふ三島の忌

 箸先に chalaza 絡みぬ遠雪崩


優劣つけがたい秀句が並んでいるので、目に付いたものを引いてみたが、いかがであろうか。なかなかでしょう。

この句集をこのままにしておいては、いずれどこかに紛失してしまう。なにしろ紙モノで机辺はあふれている。そこで厚手の画用紙で表紙を作ってみた。以下その手順。

1)これが本文である。
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2)これが表紙の画用紙である。天地は本文よりわずかばかり大きめにカットする。左右は両袖を折り返すように画用紙サイズいっぱい使う。
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3)そこへ模様をつける。あまり手の込んだデザインではなく、あっさりとアクリルのインクを垂らすくらいがいい。
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4)表紙に本文を麻糸で綴じ付ける(三つ目とじ)。麻糸はたまたまそこにあったもの。やや太目の色糸でも良かった。三つ目とじは山崎曜『手で作る本』(文化出版局、二〇一七年)を参考にした。
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5)表紙にタイトルを貼付ける。題簽は本文タイトルをコピー(少しだけ拡大してもいい)して切り抜く。手書きでも可。
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自家用の他に何冊か作ったので董一氏へお送りしようと思う。

 真上から屑籠を見る日永かな  董一

by sumus2013 | 2018-04-10 20:53 | 装幀=林哲夫 | Comments(2)

花森安治装釘集成・書評その他

花森安治装釘集成
みずのわ出版代表 柳原一徳

日本の古本屋メールマガジン第219号
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=3132



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『中國新聞』2018年1月4日



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『東京新聞』2017年2月5日



本はねころんで「花森安治装釘集成2」
http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20170203


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『イラストレーション』誌2017年3月号(No.213)でもご紹介いただきました。
http://www.genkosha.co.jp/il/backnumber/2021.html




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『出版ニュース』2017年1月上旬号



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『東京新聞』二〇一六年一二月二五日



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『週刊長野』二〇一六年一二月一七日



《吉岡実の詩の世界》
http://ikoba.d.dooo.jp
編集後記 170(2016年12月31日更新時)


通崎好み製作所


okatakeの日記



by sumus2013 | 2018-03-08 19:44 | 装幀=林哲夫 | Comments(4)

人と本

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平澤一氏には『人と本』(アルマス・バイオコスモス研究所、平成十一年一月十一日)という著作もある。じつはその装幀がちょっと淡白なので、自分で派手なジャケットを手作りしてみた。内容からすれば、もう少し渋い方がいいかもしれないが、小生の目下の気分ではこの抽象的なデザインになるのである。

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本書は第一部「絵本の中の少年」にエッセイ三篇。間奏曲「ホルトマンの娘たち」。第二部「人と本」では愛する書き手たちを論じて、というよりも著作を紹介するという形で人と作品を語っている。尾崎一雄、山口剛、狩野直喜、青木正児、奥野信太郎、岩本素白。この並びはかなりシブイだろう。選ばれているのも本好きな人たちばかりなので古書にまつわる話題も少なくないけれど、ここではすべて略して第一部から祖父の思い出を引いておく。

《父の留学している間、私は祖父に預けられ、三年間、祖父とともに暮らした。祖父は自分の生まれた村が医者のいないいわゆる無医村であることを残念に思い、勉強のよくできた末っ子の父を医師にしたてて、無医村を解消しようと考えた。その頃は、旧制中学校を卒業すれば入学できる四年制の医学専門学校もあったのに、祖父はこれに満足せず、旧制高等学校と帝国大学の医学部に学ばせて、本格的な医学教育を受けさせようと決心した。当時の稲作単作地帯の農家の収入では、その七年間の学費をだすことは到底できなかった。父の学資を作るために、祖父はラサ島燐鉱株式会社に出稼ぎに出かけた。》

《祖父は大正八年十月から大正十四年九月までラサ島でくらし、採鉱課鉱務係長として働いた。退職に当たり、報償金二千円を支給されている。》

《父は大学医学部に入学すると間もなく、大学に残って研究することを希望し、折角医学を学んだのに村に帰って医者になるのは割りが合わないと考えるようになった。卒業すると大学に残り、研究者として生活を始めたのであった。
 そして祖父の無医村を解消する夢は、実を結ばなかった。》

《その後、父は村に帰らなかったことを、いくらか気にしたかもしれないが、祖父の心をほぐしたり、失望の気持ちを慰めることはしなかった。祖父は長年抱いた大きな夢が実現できなかったことを、いつまでも愚痴るような素振りは、みせなかった。心を許していた私にも、このことについて、失望や不満を漏らすことはなかった。》(夜明けーー祖父の思い出)

あじかた村だより 平成元年八月十日号(号外)
名誉村民 故平澤興先生ご逝去特集号


手作りジャケットということで、告知を。ただいま、ヨゾラ舎さんで、拙作シングル盤ジャケット十点展示即売中。コラージュを中心にジョージ・ハリソンは油絵(+コラージュ)です。ちょっとのぞいてやってください。今後も追加する予定です。それぞれのレコード盤もちゃんと入ってますので。


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by sumus2013 | 2018-02-24 20:54 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)