林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 808 )

イールのヴィーナス

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澁澤龍彦『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(学研M文庫、二〇〇四年九月七日二刷)。装幀がいまひとつピンとこなかったので、自作のコラージュでカバーを作って被せてみた。雑文集。例えば、時々のアンケートに答えた澁澤の愛読する小説の類いがいくつかリストアップされている。そのなかの二種を引用してみる(説明文は省略)。

フランスを知るためのブックガイド・文学

1 ヴォルテール 『カンディード』
2 フロベール  『ブヴァールとペキュシェ』
3 メリメ    『イールのヴィーナス』
4 アポリネール 『虐殺された詩人』
5 澁澤龍彦編訳 『仏蘭西短篇翻譯集成』


澁澤龍彦が選ぶ私の好きな10編

1 サド     『悪徳の栄え』
2 メリメ    『イールのヴィーナス』
3 フローベール 『聖アントワヌの誘惑』
4 リラダン   『未来のイヴ』
5 シュオッブ  『架空の伝記』
6 ロラン    『仮面物語』
7 ジャリ    『超男性』
8 ルーセル   『ロクス・ソルス』
9 アポリネール 『月の王』
10 マンディアルグ 『大理石』


フランスを知るためのブックガイド・文学」は「知るため」かどうかはさておいて、これは絶妙な選択だろう(単純に5以外は全部読んだことがあるというだけですが)。このふたつのリストを知って、澁澤龍彦の晩年の小説を読むと、どこかしら澁澤の目指していた小説の形について納得させられるものがあるように思える。

そして、ふたつのリストで重なっている唯一の作品、メリメ『イールのヴィーナス』、小生、この作品はこんな本で読んだのだ。

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杉捷夫訳、細川叢書、一九四七年八月一〇日。先のリストに澁澤はこういう説明文を付している。

《恐怖小説のお手本のような見事な構成のもので、導入部の悠々たる考古学談義は、後段の怪異をひときわ効果的ならしめている。ペダントリーとは、こうでなければならいとつくづく思わせられるような作品(河出書房新社版全集)だ。きみも怪異譚の玄人をめざすのだったら、こういう小説を味わうことを学ばねばならぬ。》

そこまでほめるか? とは思うが、たしかにメリメらしい横溝正史風の身も蓋もない田舎の雰囲気は強く出ていて印象に残る作品だ。アンケート以外にも澁澤はしばしばメリメに言及しており「『エトルリアの壺』その他」ではこう述べている。

杉捷夫氏は、まるでメリメを訳すために生まれてきたようなひとで、つとに三島由紀夫が『文章読本』のなかで賞讃している通り、このひとのメリメは絶品である。『トレドの真珠』なんかは散文詩みたいなもので、切りつめられるだけ切りつめてある。『マテオ・ファルコーネ』も、簡潔と正確のお手本みたいな文章で叙してある。

《悠々とペダントリーを楽しみながら徐々に怪異の方向へ読者を引っぱってゆく。読まされるほうとしても、これこそ最高の知的愉楽だと思うのだが、どうだろうか。文学の骨頂は怪談だという説があるが、この『イールのヴィーナス』のように、技法の点でも文体の点でも間然とするところのない作品を読まされると、なるほどという気がしてくる。怪談にくらべれば、エロティシズムなんて、しごく安直なものであろう。

いやいや、そうとうな入れこみようである。次に掲げるのは、その後すぐに読んだ澁澤の作品集『犬狼都市』(福武文庫、一九八六年七月一五日)、先日読みたいとブログに書いた直後に某氏より恵投いただいたもの(深謝です)。

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表題作「犬狼都市」と「陽物神譚」「マドンナの真珠」の中編三作が収められている。犬狼都市」はマンディアルグ、「陽物神譚」が彫像を扱っているという点だけで「イールのヴィーナス」をほんの少し連想させるが、それよりも「サテユリコン」のような造形に近いか、頽廃の感じはまったくないのだが。どちらもあまりに観念的すぎてさすがに少々疲れる。

三番目、タイトルがメリメと似ている「マドンナの真珠」、これが作品としてはいちばんまとまっているように思った。怪談と言えば、怪談であるし、どこか間抜けなユーモレスクなところもあって、現代漫画「ONE PIECE」のなんでもやりたい放題のイメージと似通っている。やっぱり澁澤の好みはメリメよりも誰よりもマンガに親近しているようである。


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by sumus2013 | 2014-04-30 21:41 | 古書日録 | Comments(0)

ヤスオ国吉氏洋画展覧会

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国吉康雄は一九三一年に病父を見舞うために帰国した。一九〇六年に渡米して以来だから二十五年ぶりのことだった。帰国歓迎会も催され、二科会の会員にも推され、個展も東京、大阪、岡山で開かれた。その大阪展のパンフレットがこれである。

「母國訪問記念 ヤスオ國吉氏洋畫展覽會」昭和六年十二月十八日(招待日)から二十一日まで大阪堺筋の白木屋七階で開催。主催は大阪毎日新聞社。紹介文の筆を有島生馬が執っている。

《君の画風を一瞥するとアメリカ画派といふやうなものは少しも感じられない。純然たるフランス画派の一支流である。試みに米国にはアメリカ画派といふものが存在するか否かこれを君に質したら、君は「さういふやうなものはまだ出来てゐません。皆斉しくフランス画派の影響を強く受けてゐるのです。第一米国には継承すべき伝統などといふべきものはありません。ですから今はフランスの支配から脱逸し、米国のものを創らうと藻掻いてゐるのです」と。これはわが国の現状と少しも異ならない。》(有島生馬

わが国の現状と少しも異ならない」とはどういう意味だろうか、日本にも伝統を認めないという態度か。油彩画に限定すればたしかにそうかもしれないが。

国吉には帰国によってある心境の変化が生じたようだ。

《1931年に日本へ一時帰国した後の国吉の作風は、対象の表面に潜む情感をより現実的な手法で表現するリアリズムへと向いました。物憂い雰囲気の女性像や、さまざまな静物を主題としたこの時期の作品からは、ユーモラスとみなされる要素は消えています。また、日本を意識する必要がなくなったのか、日本的なものも描かれなくなります。》(菊川雅子「ユーモアとアイデンティティー」『国吉康雄美術館館報』13号より)

そして何より帰国後すぐに妻キャサリン(一九一九年結婚)と離婚している(三五年にサラ・メゾと再婚)。遠くない将来には日米戦争も待ち受けている。これから国吉の苦しい日々は始まると言っていいようだ。



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by sumus2013 | 2014-04-25 21:23 | 古書日録 | Comments(0)

人間 小野蕪子

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『俳句』第十巻第十二号(角川書店、一九六一年一二月一日)。以前、永田耕衣と小野蕪子の関係についてごく簡単に触れたことがある。それを覚えていてくださった読者の方より頂戴した。

『澤』特集/永田耕衣
http://sumus.exblog.jp/16049678/

『鶏頭陣』第十四巻第二号
http://sumus.exblog.jp/10280103

この『俳句』は「特集/弾圧以降/戦時下俳句史」として昭和十五年の「京大俳句事件」前後のことを総合的に回顧しようという編集になっているのだが、ここに永田耕衣が「人間小野蕪子」と題して小野との関係をかなり詳しく振り返っている。改めて『澤』の永田耕衣年譜を見るとこの文章の一部が引用されていた。

年譜によれば耕衣は昭和四年頃から小野蕪子主宰の俳誌『鶏頭陣』に投句しはじめている。昭和六年には小野が編集していた『茶わん』という古陶趣味雑誌にも投稿するようになる。ここが大事で、耕衣には初めから骨董的なもの、民芸的なものへの憧憬があった。とくに昭和十二年頃に出会った棟方志功から大きな影響を受けているようだ。そしてそれ以前、蕪子において趣味人としてのスター性を認めていた。

小野蕪子は、その道の代表者の資格で世上を闊歩できた、高度の趣味人であつたと思う。古美術の蒐集と鑑賞に情熱を捧げ、古陶の鑑定に秀れた。また、みずからも陶を作り、絵を描き、随筆に耽り、書道の巧者を以て任じ、かつ味覚にも通じるという達人ぶりは、まばゆくて羨望に値した。

趣味的生活ばかりでなく蕪子の俳句をもかなり高く評価していた。

  うのとりの水面にかけるばかりなる 
  ざくろの実うつして水のとゞまらず
  うたがひは皆影にあり冬の星

《これらの諸作は、大胆簡潔で概して正座即興の風格をもつ。強健端的で思想のカオスを伴つてもいない。而も把握すべき急所を間違えていず、ちぎつて捨てたようなその裁決ぶりに快味がある。私は「うのとり」「ざくろの実」「冬の星」などに当時人生観的共鳴を感じたが、この共感は今も変っていない。》

ところが、この同じ特集で高柳重信は「「鶏頭陣」の終焉」と題して小野を解析しているなかで、その俳句について以下のようにバッサリと切り捨てている。

《雑誌『鶏頭陣』自体は、常にほとんど無力な存在でしかなかつた。そこには、俳句に関する顕著な見解が発表されたためしもなく、特に出色な作品が見られたわけでもない。

小野蕪子自身にしても、俳論らしい文章は、ほとんど書く力をもたず、くりかえし「健康な俳句」という言葉を力説していたにすぎない。また、その作品にしても、仮りに、句集「雲煙供養」の末尾の五句をここに引用してみるが、
  [略]
  白梅や大仏の膝あたゝかに
             (昭和16年の作)
 とても、当時の他の第一線作家に伍して、その優俊さを誇れる水準には達していなかつた。》

むろん耕衣とてそのことには気付いていたはずだ。年譜の昭和十五年には新風を求めて石田波郷「鶴」に二月号から投句》、同人に推され、石塚友二や波郷に面会している。また《新興俳句の結集をめざした同年創刊の『天香』にも投句(同誌は同年三号で廃刊)。蕪子に難詰される。》と見えている。そろそろ巣立ちを意識していたか。ところが……

《翌月、「天香」主要メンバーの過半が検挙され、いわゆる「俳句事件」が勃発した。当然「天香」人のリストが押収され、私の名まで発見されたという。当時情報局の俳人監視に関与していたらしい小野蕪子にこのことが伝わり、私は恩師の蕪子から直接「仮面を脱ぎたまえ」と爆弾的な難詰を受けた。この種の難詰は矢つぎ早に半年ばかりも続いた。蕪子は「君には年老いた母があるからなア」「庇護すべきや否や」等々の凄文句で私に迫り通した。

とにかくも検挙はまぬがれ、俳句を中断することを蕪子に約した。ところで石塚友二も同じこの特集に「日本文学報国会俳句部会」を執筆しており、そのなかにこういうくだりがある。俳句事件では石田波郷や友二もブラックリストに挙がっていた(それを戦後、山本健吉の文章を読んで知った)。昭和十八年の夏頃、友二は失職状態の波郷を文学報国会事務局へ入れようとして河上徹太郎、久米正雄に頼むと、彼らは快諾してくれたが、甲賀三郎が俳句部会の幹事に相談したところ「要注意人物だから」と反対された。そして友二は尋ねられた。

《一体、要注意人物とはどういふことなのか、ーーさういふ質問であつた。私は、自分にも理由はと判然しないが、草田男、楸邨、の両氏等が、小野蕪子に依つてさまざまな方法で圧迫を加へられてゐるといふ噂があるから、多分波郷の場合もさうなのではあるまいか、と答へた。すると、久米さんがさも手を拍ちたげな笑顔を示しながら、「なんだ、小野蕪子の奴がそんなことをしてゐるのか。どうして蕪子なんかに俳句部会が動かされるのかね。相手が蕪子なら石田波郷は問題なんて何もないよ」かういつて即座に事は決定したのであつた。

久米正雄に笑い飛ばされた小野蕪子、耕衣が縮み上がらねばならなかったほど権力を握っていたかどうか、実際のところは分らないようである。


松井利彦編「現代俳句年表 昭和12年〜20年」も参考になる。

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by sumus2013 | 2014-04-22 21:03 | 古書日録 | Comments(0)

ザ・ハリケーン

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【ほんのシネマ】「ザ・ハリケーン」(ノーマン・ジュイソン監督、1999)を見た。その最初の方にカナダのトロントで開かれる古本市が登場していた。この映画は「夜の大捜査線」('67)「華麗なる賭け」('68)「屋根の上のバイオリン弾き」('71)「月の輝く夜に」('87)などわれわれの世代にはとくに親しみのある社会派映画監督ノーマン・ジュイソンの作品。

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監督もトロント出身なのでこの古本市はリアルなものに違いない。この黒人少年が無罪を主張する無期囚であるルービン・カーターの自伝をここで発見したことからこの物語は動き出す。細かいところは省くと、少年はルービン(芸がちと達者過ぎるデンゼル・ワシントンが演じる)に手紙を出し交流が始まり、少年を保護して大学へ行かせているカナダ人たちとともにルービンの無実を証明しようとする。事実に基づくストーリー。

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映画を見たのは半月ほど前のこと。本日の夕刊にルービン・カーターの死去が報じられていた。《冤罪(えんざい)事件として注目を集め、ボブ・ディランが75年に「ハリケーン」という曲を発表したほか、99年には半生が「ザ・ハリケーン」として映画化された。》

BOB Dylan - Rubin Hurricane Carter
http://www.youtube.com/watch?v=hr8Wn1Mwwwk


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by sumus2013 | 2014-04-21 20:34 | 古書日録 | Comments(0)

書誌学辞典

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植村長三郎『書誌学辞典』(教育図書、一九四二年八月二五日)。版元の教育図書株式会社は京都市中京区河原町通四条北入。発行者は田村敬男である。田村は山本宣治の同志として必ず引用される人物。『追憶の山本宣治』(昭和堂、一九六四年)などの著書もある。ウィキにはまだ名前がないので、いろいろ探してみると、『改訂増補山本覚馬傳』(宮帯出版、二〇一三年/元版は『山本覚馬伝』京都ライトハウス、一九七六年)に著者紹介として田村の略歴が出ていた。

明治37年11月18日長野縣に生まれる。立命館大学専門部法律科中退。過去、政経書院、教育図書KK、KK大雅堂各代表取締役社団法人日本出版会評議員後理事。昭和49年11月京都新聞社会賞受賞。現在、社会福祉法人京都ライトハウス常務理事兼盲人養護老人ホーム船岡寮長

歿年は一九八六年のようである。

著者の植村長三郎(1903−1994)についてもウィキがないので(いろいろ批判されますが、便利です、ウィキ)序文から略歴を拾っておく。

《このほど京都帝国大学図書館の植村司書が蹶然と起つて単身書誌学辞典の編纂を達成し》《植村君は古く帝国図書館における図書館員養成所の業を卒へて以来、多年九州および京都の両帝国大学図書館の司書を勤められ、汎く東西の群籍に通じ、普く新古の蔵書に渉り、その整理、その目録、その出納、歴任の間、究め獲たる成果を採り、経験の際、自ら備用し来たれる精華を摘み、周到を極め、該博を期しつつも、敢て煩瑣に流れず、強ひて深遠を求めず…》(新村出)

《君は嘗て文部省図書館講習所に於て書誌学及び図書館学を履修し九州帝国大学司書として付属図書館並に同法学部研究室に勤務し、現に京都帝国大学司書として在勤中である。余は時恰も付属図書館長の職に在り、君が繁劇なる本務の余暇を以て本書を著述せられた労苦を多とし…》(本庄栄治郎)

《著者植村氏は早く文部省図書館講習所を卒へ山梨高等工業学校図書課を経て、九州帝国大学付属図書館に入り最近京都帝国大学付属図書館に転ぜられたのであるが…》(間宮不二雄

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辞典的な記述でありながら、著者の意見も反映されているためなかなかに読み応えがある。間宮不二雄の『欧和対訳図書館辞典』でも取り上げた「露天文庫」についてはこう書かれている。

《ロテンブンコ[露天文庫](Out door library, Open air library)神社、仏閣、公園等多数の人の集合する所を選定して図書の陳列台を設け、四、五十冊の新刊書を紐又は鎖などで陳列台に結付け、さながら欧州の中世期寺院図書館の鎖付図書又は停車場の列車時間表の如く紛失予防を行ふ。これを露天文庫といふ。此に備へる図書は便覧書、年鑑書其の他一般向きの図書が宜しい。近時「林間図書館」又は「海水浴場図書館」等を実験的に行ふ図書館がある。》

鎖付図書については以前紹介したことがあった。

本の背中

また「フランス装」が出ていないか期待したが、出ていなかった。その代わり「仏蘭西仕立」(箔押が背だけの革装本)、「仏蘭西ジョイント」(ヒラと背の間の溝を幅広く取った仕立法)、そして「仏蘭西綴」が立項されていた。

《フランストヂ[仏蘭西綴](Uncut edges)アンカット小口又は丸縁小口ともいひ、小口の截断を行はぬもので読み進むにつれて紙ナイフで切り進むもの。仏蘭西本に多いところから其の称がある。仏蘭西人は自家装釘を好むため出版書は殆ど仮綴本で販売される。》

「仏蘭西綴」はアンカットのことか……。フランス装のことかと思っていたのだが。

フランス装考2

植村は終始「装釘」を採用しているのも気になった。植村の著書は下記の通り。

書誌学辞典 教育図書 昭17
新制学校の図書館運営法 文徳社 昭和23年
学校図書館の運営法 文徳社 昭和24年
書物の本 文徳社 昭和25年
図書・図書館事典 文徳社 昭和26年
書物の本 明玄書房 昭和29年 
学校図書館入門 : 設備と経営の技術 明玄書房 昭和30年


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by sumus2013 | 2014-04-17 19:57 | 古書日録 | Comments(0)

原色千種昆虫図譜

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平山修次郎『原色千種昆虫図譜』(三省堂、一九四一年五月三〇日、四十四版)。均一で見付け、すぐに決心がつかなくて(昆虫にはあまり興味がないため)ぐずぐずしていたのだが、図版がなかなかいいので買ってしまった。そのとき、ちらっと手塚治虫が図鑑の模写をしていたのを思い出した。この図版と似たようなのがあったな……と。

帰って検索してみると、やはりこの本だった。治虫というペンネームの由来にもなったというヲサムシ(治もヲサム)のページはこちら。(オサムシじゃありません)

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平山修次郎については目下のところウィキが立っていないため、あちらこちらから断片的に拾うしかない。

60年代の蝶類図鑑について以前書いたが、今回はそれより更に古く、また、より有名な図鑑の話。三省堂刊、平山修次郎著、松村松年校閲、「原色千種・續昆蟲圖譜」(1937年)がそれ。ちなみに私の蔵書は昭和十七年十一月十日第4版印刷発行、太平洋戦争まっただ中のもので、今でも古書店でたまに見かける。校閲された松村博士(1872 -1960)は明石市生まれ。北大名誉教授にして日本昆虫学の黎明を築いた偉人だが、一般に本書は「平山著の...」と冠されることが圧倒的に多い。平山修次郎氏(1889-1954)はまた、その名をいまでも吉祥寺・井の頭公園「平山博物館」に残す。手塚治虫氏にも大きく影響を与えたというこの図鑑、往年の昆虫少年達をその道に誘(いざな)った書として、ある年齢以上の層では実に頻繁に口の端に上る。昆蟲図鑑を嗜む その2 倉谷滋

兵庫県昆虫館の展示の目玉は,世界各地の蝶,甲虫 など 4000 種 3 万頭にも及ぶ「平山コレクション」だった. 「原色千種昆蟲図譜」など,多くの図鑑を手がけた昆虫学者,平山修次郎が収集した標本である.平山は,東 京・井之頭に個人の昆虫博物館を持ち,渋谷には分室ま であった.》(こどもとむしの秘密基地 佐用町昆虫館小史

チョウ類は「原色千種昆蟲図譜」などの著者として知られる平山修次郎氏のコレクション。》(東京大学総合研究博物館

本書には校閲者の松村の序があるが、そこにはこう書かれている。(例にならって旧漢字は改めた)

平山修次郎氏が始めて余に昆虫標本を送付し来たり、その種名の同定を求めたるは既に二十数年の昔なり。その当時氏の標本製作の堪能なるを見て余は如何なる人なるかを知るに迷へり。而して氏の余に送付せる標本は裕に三千種に達せり。余はこれによりて稀有なる標本と、美作なる標本とを得て、大いに日本昆虫の研究に便を得たり。

序の日付は昭和八年だから《二十数年の昔》は明治末年頃ということになる。また、平山自身の「はしがき」にはこうある。

《本書に載せた昆虫は、著者の所蔵標本の中から努めて新鮮で完全な材料を用ひ、鮮明な原色版で天然色を表はすことに務めた。》

《本書の校閲を賜はりました理、農学博士松村松年先生、常々標本を頂いて居る萩原一郎氏、製版の市村駒之助氏の諸彦に厚く感謝の意を表する次第であります。
   昭和八年七月 井之頭公園池畔にて 平山修次郎識》

製版の市村駒之助とわざわざ名前を挙げているのは、よほど苦労をかけたとみえる。その図版、これがいい味わいなのだ。ごく一部だが見て頂こう。

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説明文も宜しい。一例としてすぐ上の「テナガコガネ」を引用しておく。ここでは旧字をできるだけ残した。旧字がまた宜しい。台湾も日本であったわけだ。

《體ハ赤銅色。光澤アリ。翅鞘ハ黒褐、稍々緑色ヲ帯ビ黄褐色ノ斑紋ヲ装フ。雄ノ前脚ハ長ク脛節ハ殊ニ發達ス。雌ノ前脚ハ雄ノ如ク長カラズ。稀ナリ。/臺湾ニ産ス。》


さらには巻末に昆虫採集の方法が図入りで説明されており、これもまた人気の理由だったらしい。

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by sumus2013 | 2014-04-16 20:53 | 古書日録 | Comments(0)

村上朝日堂月報

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「村上朝日堂月報」、これは古本関係のクリアファイルに入れておいたもの。目下、村上春樹の本は一冊も持っていない。昔、均一で買ったときのものだろう。それが村上朝日堂シリーズのどの本だったのかも分らないし、興味もないが、この二つ折りの栞が好きなので本は売っても栞は残しておいた。

「安西水丸が死んだよ」……三月末に新潟へ出張しているとき、携帯電話のメールにこの一行が入っていて「まだ若いのに」とちょっと驚いた(でも実際はそう若いわけでもなかった)。そのときすぐに思い浮かんだのがこの月報なのだった。

そんなこともあって『週刊朝日』の安西水丸追悼号を買おうと思っていた。のだが、つい買いそびれてしまった。そこで図書館へ寄ったついでにざっと読んでみた。村上春樹の追悼文「描かれずに終わった一枚の絵 安西水丸さんのこと」にはこの月報の浴衣で並ぶ二人のイラストが使われていた。

偶然にもそこには村上が新潟県村上市で開かれるトライアスロンに参加した後、応援に駆けつけた安西と二人で〆張鶴の蔵元を訪れ〆張鶴を心ゆくまで飲みながら温泉につかるのが至福の時だったという話も書かれていた。

「描かれずに終わった一枚の絵」とは村上が近刊の著書『セロニアス・モンクのいた風景』の表紙画としてモンクの絵を安西に依頼したことをさしている。死ぬ数週間前だった。

《水丸さんは「いいよ、やりましょう」と快諾してくれ、ついでにニューヨークでモンクに会ったときの話をしてくれた。1960年代後半、彼がニューヨークに住んでいたとき、あるジャズ・クラブにモンクの演奏を聴きに行った。いちばん前の席で聴いているとモンクがやってきて彼に煙草をねだった。水丸さんは持っていたハイライトを一本彼に進呈し、マッチで火もつけてあげた。モンクはそれを吸って、「うん、うまい」と言った。「モンクにハイライトをあげたのは、たぶん僕くらいだよね」と嬉しそうに水丸さんは電話で語っていた。
 水丸さんの描いたセロニアス・モンクの絵を見ることなく終わってしまったのは、悲しく、また心残りだ。その絵の中でモンクはあるいはハイライトを吸っていたかもしれない。その絵を失ったことを、僕は心から惜しく思う。人の死はあるときには、描かれていたはずの一枚の絵を永遠に失ってしまうことなのだ。》

当たり前のことを上手に書くなあ……。






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by sumus2013 | 2014-04-15 20:18 | 古書日録 | Comments(0)

欧和対訳図書館辞典

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間宮不二雄編纂『欧和対訳図書館辞典』(文友堂書店、一九二五年一〇月五日)。東京本郷で生まれた間宮は小学校卒業後、丸善で丁稚として働きながら東京府立工芸学校(現東京都立工芸高等学校)の夜学でタイプライターを学んだ。タイプライターの製造をしていた黒澤貞次郎に認められアメリカへ留学、そこで図書館の重要性に気付き、帰国後は大阪で図書館用具の販売を行う間宮商店を開いた。大正十年のこと。間宮商店の社員だった森清(後、国立国会図書館職員)は日本十進分類法を考案した。間宮はその普及に尽力したという。その蔵書は富山県立図書館に寄贈された。(以上ウィキによる)

本書の「序」において間宮はまず図書館の分類基準や用語の不統一を、また類書のないことを嘆いている。その不便を埋めるため自ら用語集を作ったところ文友堂の堀徳次郎に勧められて出版することになった。草稿は東北帝大図書館の司書田中敬(後、大阪帝大図書館嘱託、近畿大学図書館長)に見てもらった。印刷中に笹岡民次郎が近代欧米著述家の雅号と本名対照表を寄せてくれたので収録した、そのような事情が述べられている。

間宮が欧米の書を参考にして作った本書の標題紙(タイトル・ページ、扉)。こうしておけば図書館員の目録作製が楽になるという意図だそうだ。

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目次。

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ざっと目を通していると「Open air library. 露天文庫」という項目が目にとまった。

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《十数種又は数十種の図書を各別に鏝を通し, 是に紐又は鎖を付して, 簡単なる展列台に装置し, 神社仏閣, 公園等多人数の集まる場所に出陳し, 全く無制限に市民の閲覧に供するものにして, 我国にては, 大阪市立図書館が試みたる事あり.》

露天文庫は昭和十七年の日比谷図書館にもあったそうだが、これとは少し違うようだ。


和書と洋書の形状名称と寸法の一覧。

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校正記号(洋書、和書)と校正の見本も附録している。

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これでもかと詰め込んである。間宮の情熱が伝わってくるようだ。判型は新書サイズ。これも持ち運びや参照するときの手軽さを考慮したのだろう。

最後に奥付・検印紙と古書店レッテル。

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昭和十年版『古本年鑑』(古典社)を見ると津田書店の住所は大阪市西成区西萩町8、専門は「詩歌、絶版」となっている。ただし旧蔵者によってこの住所は消され「南区大淀南町中之町六二」とペンで上書きされている。さて、どういうことか? 

なお、このレッテルにある地下鉄花園駅(花園町駅、大阪市西成区)は昭和十七年五月十日開業。ということはそれ以後に印刷されたもののはずである。


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by sumus2013 | 2014-04-14 21:01 | 古書日録 | Comments(0)

飯田衞という人

ちょうど三年前に「飯田衞をさがせ」という記事をブログに書いた。

飯田衞をさがせ

この記事を飯田氏のご親戚の方がご覧になって、さらにご子息の御一人がご連絡をくださった。

父は、青年時代小学校の教師をする傍ら、洋画をたくさん画いていたそうです。私が生まれた昭和20年代は、絵画の活動はしておらず、毎年版画の年賀状を作っては、出していたことは、記憶しています。紹介にある酉年の絵葉書は、確かに父の作品です。絵も私が実家にいた若い頃に客間に飾っていた絵にタッチが似ています。洋画の作品は、かなりたくさん残っているようですが、小生は、洋画に興味がなく、今は、実家を離れ、東京に居を構えていますので、どのように保存されているかもまったく不明です。

三年前には紹介しなかった飯田衞の作品葉書が四種類あるので、まずそれを掲げておく。いずれも春陽会に出品されたもの。モノクロなのが残念だが、力強いタッチ、ボリュームの表現は余技の域を越えるもの(だから春陽会に入選しているわけだ)。実物が現存しているようならぜひ見つけ出していただきたいと思う。


春陽会第十一回展覧会出品 布留の渓流 一九三三年
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春陽会第十二回展覧会出品 布留の里 一九三四年
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春陽会第十三回展覧会出品 冬の布留川べり 一九三五年
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春陽会第十六回展覧会出品 磯辺 一九三八年
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以上である。三枚目と四枚目の切手面は一枚目と同じデザイン。そしてご子息よりお教えいただいた略歴と職歴は以下の通り。

明治35年(1902年)4月(生)~昭和61年(1986年)12月(没)84歳
学歴:旧奈良県畝傍中学(現畝傍高校)卒 
職歴:独学で小学校教師の資格を採り、奈良県下で小学校の教師、校長歴任定年後は、天理市の教育長を務めた後、しばらくカラー印刷製本会社で美術の仕事に従事したが、昭和35年頃完全引退 その後は、大和の石碑の拓本採りや郷土の歴史を勉強していたようです。

晩年は天理市史の編纂にも加わっておられたとのこと。だから前のブログで名前を挙げたような書物に執筆しておられたわけだ。

昭和十年当時の春陽会は以下のような会員・会友がいた。これも飯田衞宛の葉書の一部である。

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このなかで例えば田中善之助は京都出身。浅井忠の聖護院洋画研究所に学び、黒猫会、仮面会などに所属し、飯田氏も出品していた新興美術協会を昭和七年に創立している。画風はまったく違うように思えるが、田中と関係があったことは想像できるだろう。

作品それ自体が飯田衞の価値を語って余りあると思う。本格的に調査し再評価する地元の研究者を待望したい。




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by sumus2013 | 2014-04-12 20:59 | 古書日録 | Comments(2)

破草鞋

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百拙元養の漢詩紀行文『破草鞋』写本を入手した。双白銅というわけにはいかなかったが、本ブログの読者諸兄に対してわざわざ断るまでもなく、そうたいして値の張るものでもなかった。

百拙についてはウィキの記述が簡明【百拙 元養(ひゃくせつ げんよう、寛文8年10月15日(1668年11月19日)– 寛延2年9月6日(1749年10月16日)。京都生まれで臨済宗から黄檗宗に転派。近衛家の帰依を受けてその菩提寺海雲山法蔵寺を復興し初代住持。七十二歳で黄檗山首座。法蔵寺に示寂、八十二。詩文や書画を得意とした。

『破草鞋』は『碧巖録』にある言葉、ここでは紀行文の意味であろう。実際に豊岡、姫路、兵庫を旅した記録と漢詩からなる。

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序文の末尾に《住但州興国禅寺百拙山僧書於聴松南軒白雲深處》とある。享保三年九月から翌年までこの寺の住持となっているからその時期にまとめられたということだろう。詩はかなりの腕前とみた。本文の一丁だけ掲げる。元椿は別号のひとつ。

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旧蔵者が書写したと思われる百拙の略歴一枚が挟まれていた。

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俗姓を「辻」としているが、ウィキでは「原田」。そしてまた旧蔵者のメモが巻末に書き込まれている。

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 時維(ときこれ)昭和乙卯孟夏
  於東都神田日本堂購入
   価金百円
            甲然誌


昭和乙卯(きのとう)は一九七五年。日本堂としてあるのはおそらく日本書房の誤り。百円だったか! 負けた(その頃、コーヒーはだいたい二百五十円だったから、当時としても安い買物だったろう)。



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by sumus2013 | 2014-04-10 21:24 | 古書日録 | Comments(0)