林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
巴里アンフェール
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
イイネ!
by sumus2013 at 17:31
>uroburoさま ..
by swallow-dale at 14:57
swallow-dale..
by uroburo at 01:58
>uroburoさま ..
by swallow-dale at 23:23
少年少女探偵小説というジ..
by sumus2013 at 16:07
swallow-dale..
by uroburo at 12:49
宇陀児さんはそんな作家だ..
by imamura at 11:05
有り難うございます!
by sumus2013 at 08:21
よし野の花を見てよめる ..
by koganemaru at 06:55
>uroburoさま ..
by swallow-dale at 20:59
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
ルーベンスの故郷、ヨーロ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
視聴率に関係なく選んだ2..
from dezire_photo &..
宝石のような輝をもった印..
from dezire_photo &..
ルネサンス美術の巨匠・ピ..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
過去に来日した傑作を回顧..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:古書日録( 808 )

開化小野がばかむらうそじづくし

f0307792_21113721.jpg


鴻田真太郎編輯『開化小野がばかむらうそじづくし』(大橋堂、刊行年不詳、明治初期)、さてこれもまた面白本の一冊。元本は式亭三馬『道化節用小野がばかむらうそじづくし』。しゃれのめして組み合わせた漢字すなわち嘘字(ウソが言偏になってます)を中心に文字にからむおもしろおかしい話を集めた滑稽本。オリジナルは下記サイトで(洒落指南所』でタジャレ将棋図は江戸時代にもあっただろうと推測したが、やはりこの式亭三馬の本に出ていた)。

式亭三馬『小野[バカムラ][ウソ]字尽』上総屋忠助、文化3(1806)
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he13/he13_00983/index.html

f0307792_21181357.jpg


《開化の化ハばけると読むなり 人に化るにはよくよく心得べし 片(ヘン)ハ人と云字 つくりハヒ(さじ)と云字也 此人ヒ(このひとさじ)にて世の中へすへひ出さるれバ仕合よし すへられねばたちまち片仮名のヒの字イの字になる也 貧乏を一生かたに荷(にな)ひピイピイ風車も売(うれ)ぬ身となる御用心御用心
   小野ばかむらの
        歌に
能化(よくばけ)よ化そこのふて狐にも 
おとる尻尾を出さぬ用心》

序文の下の図。化(ばける/くわ)を中心にして「氏族の娘娼妓に」「芸妓華族の奥様に」「ブリキの盥(たらい)銅(あかがね)に」「生て居る女地獄に」「於三殿権妻(おさんどんごんさい)に」「濃花(こいはな)の裏地紫に」「奥州者の爺蜘(おやぐも)に」という警句が取り巻いている。地獄は私娼のこと。権妻はめかけ。濃花は……濃紺の裏地が紫になるということは粗悪な染料か。奥州者の……はよくわからないが、あまりいいことではなさそうだ。なかなか社会派の化け演説ではないか。以下いちいち解読していてはキリがない。数頁だけ引用しておくのでご自分で楽しんでいただきたい。


f0307792_21591432.jpg



f0307792_21593448.jpg



f0307792_21591759.jpg


f0307792_21591952.jpg


上段の「あめりか」が意味深長。

《飴[さかさまの借=りか]
○いままでハ飴をくわせて居たがこちらもたしなくなつたから借になつたとうその親玉親玉》

日米関係ということだろうが、この時代からこういう関係だったようだ。鴻田真太郎は新太郎、新田郎、雨水とも名乗り『うそ字尽し』の他に次のような著書がある。

小学開化要文
鴻田真太郎 編 大橋堂 1879

小学開化女用文
耕田雨水 (鴻田新太郎) 編 大橋堂 1878

徳川略伝記 1-5
鴻田真太良 編、静斎芳村 画 大橋堂 1878

◆◆[言偏に「虚」]字盡. 開化大日本國盡 : 名頭盡 : 世界圀盡
鴻田真太郎輯書、鴻田真太郎[製作者不明]




[PR]
by sumus2013 | 2014-05-22 22:09 | 古書日録 | Comments(0)

夏・子供・わかれ

f0307792_20143653.jpg


岩橋正子詩集『夏・子供・わかれ』(的場書房、一九五八年八月二日、カバー装幀=服部宏)を頂戴した。

《同封の一冊は荻窪ささま書店店頭105円(4月以降も)棚で入手したものです。作者もカバー装丁者もほとんど誰なのかわかりませんが、的場書房の本ですし、なかなか奇抜な? デザインなので、お送りいたします。》

いや、たしかに奇抜。気に入った。ジャクソン・ポロックのモノクロームの作品でこういうのがあったような気もするし、ピカソあるいはキュビストにもありそうだ。「日本の古本屋」に何冊か出ているが、さすがにちゃんとした値段が付いている。また岩橋正子は串田孫一が編輯していた雑誌『アルビレオ』(十字屋書店、1951~65)にも執筆していたことが分る。一般的な検索をかけると服部公一の合唱曲に歌詞を提供したり、外国の歌曲に詩をつけていることも判明した。詩集としてはもう一冊『ブルースをあなたに』(詩苑社、一九六三年)があるようだ

的場書房の本として見ると、鶴岡善久『薔薇祭』は奥付方式だったが、この『夏・子供・わかれ』は前付け、扉の裏面にコロフォンが挿入されているのが特徴的。フランスの詩集などの模倣かもしれない。目次は巻末にある。また、ジャケットとともに印象的なのは口絵として挿入されている写真作品。前付けの直ぐ後に一枚、また裏見返しの手前に一枚。巻頭と巻尾に配置されサンドイッチのようになっている。非具象の雰囲気がなかなかいい。作者は今井寿恵。この人にはウィキがある。それによれば一九三一年東京生まれ、父は銀座松屋デパートの写真室を経営していた。五二年、文化学院美術科卒業。平松太郎に勧められカメラマンの道に進む。五六年第一回個展。その後交通事故で視力が低下する。友人だった寺山修司が競馬場へ連れて行ったのがきっかけで馬に魅せられ競走馬や騎手の写真を中心に活動するようになった。二〇〇九年歿。寺山修司と友達だったのなら的場書房とつながっていても不思議ではない。


f0307792_20340295.jpg


著者の住所は東京都杉並区阿佐ヶ谷一ノ七四四と記載されている。現在は阿佐谷北と阿佐谷南に分れているためどの辺りかはっきりしないが、JR阿佐ヶ谷駅周辺にはちがいないようだ。

[PR]
by sumus2013 | 2014-05-21 20:58 | 古書日録 | Comments(2)

洒落指南所

f0307792_19261646.jpg


『洒落指南所(しやれしなんじよ)』(編輯兼発行者=加藤福太郎、発兌=三井新治郎、一八九二年三月二一日出版)。江戸のダジャレ本『わらひ竹』につづいて明治二十五年発行の駄洒落本を紹介しよう。日清戦争(明治二十七年)の少し前、まだまだ江戸時代の常識がまかり通っていた時代、表紙も江戸の意匠を踏まえているようで、どこかのんびりした風情である。

口絵は「宗信画」とあるが、さてどなたでしょうか? いろいろな職業階層の人々が洒落指南で笑いころげている図と見た。

f0307792_19561267.jpg


《洒落指南所序
昔あくび指南所有りて田鼠化す鶉の酢豆腐連を能く感服せしめしとか今や二ツ山形の星移りて洋装(ようしやう)の花魁(おゐらん)が落ちを取る時世にハ誰か叭(あくび)の稽古をや為すべきこのごろ瓢(ひさご)の尻と倶(とも)に風羅(ぷら)〜[くり返し]歩行(あるき)の途次(とちう)ふ斗洒落指南所の看板を見受たり余り滑稽(をかしさ)の事ゆへ如何なるものやと繙(のぞ)き見れバ其意気なこと……うがちなこと……滑稽(こつけい)ーー洒落ーー腹ゑぐり……等実に野暮退治をほん的そんじよ的そこら的等の楷梯にてまことや丹後殿の前を学びし六方扮装(ろくぽういでたち)の通客(すゐしや)伽羅沈香(きやらぢんこう)耳には篳篥(しちりき)宇陀法師と賞賛するも過言(かげん)にハあらざるべしナカ[ママ]と大叭(おほあくび)の後即墨候然(そくほくこふぜん)として云ふ

 洒落といふものハおそろし一ト言に
       人の腹をバゑぐりとるとや》

序文を解読するにも当時の一般常識が必要だ。「あくび指南」は落語、「田鼠化す鶉」は七十二候のひとつで晩春、あるいはやはり落語の鶉杢(「牛ほめ」)にかけているか。「酢豆腐」は腐った豆腐を珍味と言わせる落語から。「二ツ山形の星」は芸妓の家紋? 「丹後殿の前」は『好色一代男』に出ている。湯女風呂がその屋敷の前にあった。「六方」は歌舞伎のろっぽう。「宇陀法師」は宇多帝遺愛の和琴の銘。「即墨候」は『三国志』に登場する……とこれはにわか仕込みだが、当時の人はスラスラ分ったのだろう(かな?)。


f0307792_20283238.jpg


f0307792_20284201.jpg


洒落も江戸振りが主だが、明治ならではの世相も混ぜ込まれている。「いろは短歌の地口」は犬も歩けば…を《色もあるけど法に欠る》だとか、論より証拠を《ドンヨリ正午》だとか実にくだらん(ドンは正午の大砲)。なかに「念には念を入れ」のところがこうなっている。

  パンには餡を入れ

木村屋があんパンを考案したのは明治七年のこと。また「当世地口行灯」ではこういうのもある。

  新聞罰が五十円  人間五十年

  洋犬(かめ)に鰻ハ華族でござる  金に怨みは数々ござる

そのものズバリ「開化進歩びつくり仰天」はこうである。

  蒸汽車の走るを見て  百足山のむかでがびつくり仰天

  電信柱の糸金(いと)を見て  軒端の蜘(くも)がびつくり仰天

  一塊(ひとつ)二銭の麺包(ぱん)を見て
             与一兵衛の擔(にぎ)り飯がびつくり仰天

  上野公園の噴水を見て 沖の鯨がびつくりぎやうてん

  写真の画(ゑ)ぞうを見て  八重垣姫がびつくり仰てん

与一兵衛」は忠臣蔵、金包みと握り飯を間違えられる。八重垣姫は人形浄瑠璃『本朝廿四孝』のヒロイン、上杉の娘で武田勝頼との縁組みが決まるが、見合い写真があったらびっくりしたろうという洒落。まさに江戸と明治がお見合いしているような気分。

将棋に関するシャレを発見。「娼妓(せうぎ)の指法(さしはふ)」。こういうのは江戸時代にもあったのだろうか。なんとなく孫引きのような気もするが。

f0307792_20534280.jpg
f0307792_20534531.jpg



他にもさまざまに趣向を凝らした洒落の列挙にはつい「ご苦労様」と言いたくなるくらい。加藤福太郎さんがどなたか存じませんが(新聞記者?)、かなりの人物と見た。


f0307792_20534712.jpg


それにしても日清・日露を経て日本は大きく変わったことをこの一冊から実感する。あくび指南ほどじゃないにしても、こんなのんきな洒落指南をやってられる時代じゃなくなった。決して嘆いているわけではないのだが。

  




[PR]
by sumus2013 | 2014-05-19 20:01 | 古書日録 | Comments(0)

小さな箱のような古本屋

「図書新聞」サイトの内堀弘さんの連載N0.3159(2014年5月24日)に京都のヨゾラ舎が登場している。

小さな箱のような古本屋  三河島の稲垣書店、京都のヨゾラ舎

いつも京都のことを気にかけていて下さって嬉しい限りです!


[PR]
by sumus2013 | 2014-05-19 14:54 | 古書日録 | Comments(0)

介川緑堂ふたたび

f0307792_20243762.jpg


木崎愛吉(好尚)『家庭の頼山陽』(金港堂書籍、一九〇五年六月一九日)。某氏より頂戴した一冊。家庭の頼山陽ってなんじゃ? と少々いぶかしく思って読み始めたら、これが面白い。家庭人としての頼山陽(というよりも「生身の頼山陽」と言うところだろう)を主に頼山陽の母である梅颸(ばいし)の日記を拠り所として記述している。この日記がすこぶる面白い。

今、検索してみるとお茶の水女子大学ジェンダー研究センターから『頼梅颸日記の研究』(二〇〇一年)にまとめられているようだ(「頼春水『春水日記』および妻梅颸『梅颸日記』にみる儒家祭日の記述」)。

この内容については改めて触れるとして、本日は介川緑堂について少しばかり追加情報を記しておきたい。介川緑堂は先日紹介した岡田半江の漢詩、そのなかに登場していた秋田藩の重鎮。その緑堂にご縁のある方よりお手紙を頂戴した。

《いつもブログ楽しく拝見しております。先日、岡田半江の漢詩に「介川緑堂」の名前をみつけたときには、ビックリしました。小生の父が介川家の出身で、「緑堂」さんは我家のなかの偉人だったからです。》

時折、このブログで何気なく取り上げた人物の子孫の方々よりメールを頂戴することがあるが、緑堂さんからそういったリアクションがくるとは予想していなかった。同封されていた新聞記事、笹尾哲雄「漢詩人介川緑堂」(『秋田さきがけ』一九七一年一〇月九日夕刊)のコピーからウィキの「介川通景には見えない記述を拾っておく。

緑堂は、藩の勘定奉行として江戸、京都、大阪の三都を何度も往来した。とくに大阪の藩邸にあって藩の財政の赤字を解決するために、豪商から借財することにつとめたようだ。緑堂は詩文に長じ、京都に出ては頼山陽、篠崎子[ママ、小]竹などの文化人と交遊し、詩の応酬をしている。
 彼の「詩稿集」には、頼山陽をたずねた折りに作った次のような七言絶句が収められている。》

《[天保十一年病気により全ての役職を辞した]官職を辞したのは病気のせいもあるが、それよりも自分の意見がいれられなかったことが原因のようだ。彼は内政の改革を考えていたというが、実現できなかったのだ。》

《中年以降は雅懐を漢詩に託し、暇があればいつも詩作に没頭したようだ。とくに晩年は、詩人として生きたように思われる。
 秋田図書館の東山文庫には、緑堂の「詩稿集」や「遺稿集」、あるいは自筆の漢詩がたくさん残っている。また自筆の「勤年数」(履歴書)、「遺珠」(メモ帳)なども保存されていて彼の人柄を知るうえで参考になった。

緑堂詩稿」からとして引用されているうちの一首。


   帰郷途上

  壮心老去漸消磨
  其奈天涯為客何
  憶此千山将万水
  幾回郷夢夢中過


《彼の墓は城下の永源院(曹洞宗)にあった。永源院という寺は、天徳寺に隣接する塔頭(たっちゅう)であったが明治維新の際に廃寺になったという。

ということで本日の一冊『家庭の頼山陽』にも緑堂さんは登場していた。文政十二年九月。

《七日 七つ下りより雨 秋田家中、介川藤[東]馬来る、送別留別の詩共出来る。》(梅颸の東游日記第四)

上述の新聞記事にこのときの留別詩と思われる漢詩「東還過京訪頼山陽先生」が引かれているのだが(わけあって引用はしない)、梅颸の記述からすれば文政十二年九月七日作と見ていいだろう。木崎の註にはこうある。

《介川東馬(藤馬は蓋し誤写)は緑堂と号し、秋田藩大阪蔵屋敷の留守居たり、詩を能くし小竹、松陰[後藤松陰]等諸儒と善し。松陰の送序に山陽の批正ある稿本、余嘗て久松澱江氏より借り写取れり。小竹も亦送序ありし由、松陰の文に見えたり。

ついでに岡田半江が登場する部分も拾っておこう。文政十二年四月二十四日。

《廿四日 雨 五つ頃着(大阪)よどや橋備前屋安平といふ宿に、皆々一緒に上る。夕、篠崎、後藤など来り、約して半江宅(天満橋北詰)へ行く。料理物、小竹持参。先方にても、数々ちそう。夜、母子奚にとまる。行がけ、かごなり。》東游日記第四)

木崎が頼山陽遺稿からこのときのことを叙した漢詩を挿入しているが、詩は省いて前書きだけ引いておく。

《下江、同小竹主人及諸子、訪半江居士、居士新獲明人書七言絶句、在壁、依其韻同、是夕雨、居士留我宿焉》

居士新獲明人書七言絶句、在壁」というところが何ともうらやましげでよろしい。

f0307792_21500936.jpg


[PR]
by sumus2013 | 2014-05-17 21:10 | 古書日録 | Comments(0)

DACITE

f0307792_18595244.jpg

こどもの日記念、でもないが、本日の一冊は『DACITE』(LIESMA, 1969)。ラトビアのリーガ(Rīga)で発行されたカレル・チャペック『ダーシェンカ』。チェコ語だろうとラトビア語だろうとどっちにしても読めません。しかし表紙に一目惚れ。

チェコへ行った方が日本語版の『ダーシェンカ』をお土産に持参したところ、まさか日本語版があるとは思っていなかった現地の人に大変喜ばれたという話を聞いた。たとえは古いが『のらくろ』のラトビア語版をお土産にもらったら、小生も嬉しい。

f0307792_19000197.jpg


f0307792_19264890.jpg

f0307792_19270593.jpg

f0307792_19272726.jpg

f0307792_19275199.jpg









[PR]
by sumus2013 | 2014-05-05 19:28 | 古書日録 | Comments(0)

Books Herring

f0307792_09264737.jpg


f0307792_09264590.jpg


【あちこち古本ツアー】ギャラリートーク終了後、参加されておられた何人かの方々と平安神宮の東側に最近できた「Books Herring」へ繰り込んだ(一月に偵察したときには閉まっていた)。民家に少し手を入れて古書店にしている。玄関先のやや雑然とした見かけを裏切るかのように店内の品揃えはアート系中心に文学、思想なども充実しているのにビックリ。それもそのはず、店主氏は古本まつりで必ずお見かけする、お見かけするだけでなく、小生としばしば人違いされる御仁であった(背丈、髭、帽子や洋服がどことなく似ているのでした)。

これ以前には本をたくさん置いてある飲屋をやっておられたそうだ。ここは本が主人公ながら、カウンターがしつらえてあり、軽く一杯お酒なども飲めるようになっている。Herring はニシン。自分は古本屋のニシンだという謙譲の意味を込めていると聞いた。現在は一階だけの営業ながら今後はさらに二階にもスペースをもうけて、いろいろな催しも開けるようにしようという意欲をもっておられるとか。




[PR]
by sumus2013 | 2014-05-05 10:05 | 古書日録 | Comments(0)

わらひ竹

f0307792_10382690.jpg

f0307792_19480704.jpg

『わらひ竹(絵本わらひ茸)』(青玉堂)。某氏より借覧中。

『繪本わらひ茸』は表紙の有名絵師の絵で釣って中身は違う人のお作、というしょーもない本ですが、案外面白いです。

との某氏のコメント。たしかにしょーもないが、面白い。有名絵師というのは表紙に「貞芳」と署名のある歌川貞芳(生没年不詳、大阪の浮世絵師)で、天保から嘉永(一八三〇〜五三)頃に活躍した。役者絵、根本(歌舞伎の脚本)、絵本、摺物などの作例があるようだ。表紙見開きの茸の上の署名は「有楽斎長秀」、京都の浮世絵師で大阪でも活躍した。寛政十一年(一七九九)から弘化年間(一八四四〜四七)にかけて錦絵による美人画や役者絵を描いたという。


f0307792_19475314.jpg
見ての通り、表紙と見開きの渋い調子が、本文に入るなりどぎつい色調になる。こういうのを赤本と呼ぶのだろう。扉絵に「そそうつくし」とある。目出たい日、衣冠束帯姿で刀を持って、女中を叱って(粗相をした?)いる場面なのだろうか?

以下、全頁を掲げるが、ダジャレの勘違いギャク連発。

f0307792_20033814.jpg
げんくハんへ まくをはれと いわれるけれど 是大ていで はれるもの じやない
【「幕を張れ」と言われて刷毛をもって幕を糊付しようとしている】

びやうぶ ひけと いゝ付け じやが 中々 引にくい ものじや
【屏風を引くを挽き切るの挽くと勘違いしている】

丁ちんへ 火を つけと 云付けじやがかみで はつたもの じやで ぢきに やけるで あろう
どうした ものじや
【火をつけろと言われて提灯を燃やそうとしている】


f0307792_20133534.jpg
豆をはやせじやけれど とんで一こうはやしにくい
【豆まきで囃すを切るの忌詞「はやす」と勘違い】

かゞみをすへじやが 立ておこうか すへておこうか
【鏡を据えるは鏡を神仏に供えること】


f0307792_20165046.jpg
ざしきへ やきものを 引ケじやが 中々 おもしろい ものじや

おとし玉子 せいといゝ なさるが おとしたら われるであらふ どうした ものじや

鯛を三枚に をろせじやが 中々おりる ものじや ない

うづみどうふ せいといゝ付じやが どこへうづんだものであろ
【うづみ豆腐は精進料理、豆腐の上を御飯で覆う】


f0307792_20210995.jpg
水をうてと いひ付じやが はり合の ないものじや

坪の内 そうじせいと 云付じやが ねから ほこりもないが
【坪の内とは庭のこと】

はかまをはいて きゆうじせいといわ るゝがはかいでも ほこりハないが
【袴を掃く……】


f0307792_20250948.jpg
さてさて御ちそうで のどが かわくゆへ
くわんすをくびニ かけて見ても とんとのどが かわきやまぬ なんぎなものじや
【くわんすは湯を沸かす鉄瓶のこと、火にかけると首にかけるのはきちがい】

もし 去年の月見もたしか こよひで ござりましたじやござりませんか 
やみじやと いふても しよ事がないに 月夜でしあわせで ござりませんか


f0307792_20315755.jpg
旦那がざう里 をつくれといはるゝ が此くらゐ つくつて おいたれバ ふゑるであろ
【ぞうりを作れと言われ、田に植えて増やそうとしている】

いしや【医者】ハ名を うらねば出世できぬと きいたゆへ [菜を]うりて見よう

かまで はまぐり とれと いはれるが 中々とりにくい ものじや
【遠浅の浜では鎌で砂を切って貝を探り当てる。鎌と釜の勘違い】

以上、現代でも似たような勘違いはちょいちょいある(ないですか?)。




[PR]
by sumus2013 | 2014-05-03 21:04 | 古書日録 | Comments(0)

山本牧彦

f0307792_19185294.jpg


『山本牧彦短歌写真作品集』(新月短歌社、一九八五年三月一日、装幀、挿画、外函意匠とも天野大虹)。これは俵青茅との関連で求めたもの。山本は大正八年に俵、木村皓花とともに『揺籃』という短歌雑誌を創刊している。実際どういうものか何冊出たかも不明ながら同年十一月に廃刊した。山本は二十六歳、俵が十七歳、木村は不明。

さらに昭和三年八月、年刊詩集『詩経』(京都詩話会)を俵が編集したときにも山本、木村ともに参加している。翌四年には『歌垣』(青樹社、一九二九年五月一五日、装幀=西桜州)が発行された。これは俵、山本、鑓星美の合同歌集である。というように山本と俵は年齢差はあるものの親しい間柄だったことが想像されるし、青樹社から本を出していることからして天野隆一とも親しかったに違いない。


f0307792_19220843.jpg


山本牧彦の略年譜を少し間引いて写しておく。

 明治26年3月1日 兵庫県豊岡市(旧城崎郡百合地)に生る。
 大正7年3月 京都にて歯科医院開業
 昭和3年 日本写真美術展覧会にて写真作品「少婦立像」が文部大臣賞を受ける。
 昭和4年 日本光画協会を興し会長となる。
 昭和10年 京都歯科医師会々長となる。
 昭和17年 市会議員に当選〜22年迄。
 昭和28年 新月短歌社主宰

本書には昭和二十五年から四十一年までの短歌が収められており、それとともに初期の代表的な写真作品も掲載されている(別に『山本牧彦写真集』一九六八年がある)。そのうちから四点ほど引用しておく。

f0307792_19490790.jpg


f0307792_19490905.jpg


f0307792_19491128.jpg


f0307792_19491209.jpg

上から「庭の聖女」「少婦立像」(共に一九二八)、「赤絵の壺のある静物」(一九二九)、「画家たち」(一九二七)。明らかに岸田劉生の影響が感じられる絵画的作風だが(四枚目は小出楢重を連想させる。あるいはまた安井仲治のピクトリアリズムにも近い)、それはそれとしてなかなか見所のある作品だと思う。野島康三、中山岩太、木村伊兵衛らが『光画』を創刊したのは昭和七年だから、山本の「日本光画協会」は彼らより一歩先んじていたのかもしれない(?)。

《僕は別に短歌、或は詩もつくるが、歌にしても、詩にしても、又写真にしても、要するにこれ等の文学芸術は、すべて僕自身作者自身の内部衝動を表現するための手段となるべきものである。そこに表現の形式の差のみがあって、根本に於ては、自身の「心」の他にはなく、相違があるとすれば、それは写真で言えば写真術の側から観るか、作者の側から見るかの相違であろう。》(「我観写真画」)

また昭和四年の『歌垣』の序文ではこう述べている。

《僕にいたつては、たゞ歌が、形に簡素で折ふしの発想を盛るに手頃であるといふ程の考で、研究も乏しく歌格に合はぬものも多いゝ[ママ]のは恥かしい。
 だがしかし、歌が『其人の呼吸とともに』歌はるべきものであるならば、こゝに蒐めた僕らの歌は、各の環境とともに、その風貌をも、最もよく表はしてゐるかも知れない。》

山本はまた宗教映画「毛綱」(マキノ正博監督、一九三三年)の原作者でもあるそうだ。本書の製作に関しては以下のような謝辞が「後記」に見えている。

《装幀に就ては例によって天野大虹画伯を煩した。

《文童社主山前五百文氏が営業の採算をも無視した熱意を以て終始協力せられたことをここに特に銘記して置きたい。》

俵、天野、そして山前実治文童社、双林プリント)らと山本牧彦の長い友情というものを感じる。


[PR]
by sumus2013 | 2014-05-02 20:29 | 古書日録 | Comments(0)

みやこめっせからユニテ

f0307792_21031348.jpg


f0307792_21030566.jpg


みやこめっせへ。到着したときには開場して三十分以上も経っていたので、当たり前ながら入場に並ぶことはなかった。それぐらいゆっくりでも何の問題もない。キトラ文庫さんと立ち話。まだまだ隠居するには早いのですよ。ガリ版坂本氏と山内金三郎の日記が出版されることについてしばし情報交換。

そうしていると、未清算の本を預かって欲しいというお客さんが話しかけてくる(坂本氏はスタッフなので)。シリーズもののひとくくりを手にしている。十キログラムくらいはありそうだ。
「いったん清算されれば、預かってもらえますけど、そうじゃないと……」
と坂本氏が答えたものの、見ると、レジには長蛇の列。
「これ持って他の本は見られないでしょ」
としごくもっともな訴え。となりにいた萩書房さんが「お店の人に頼んだらどうです」とその男性を当のお店のブースへ誘導した(その後どうなったかは知りません)。ここはとにかく以前から初日のレジが問題。十二時が近くなると清算に三十分くらいかかることもある。対策としては、早めに清算しておくか、昼時を避けるか、どちらかが得策。

開場を一巡、と言いたいところだが、六割くらい見たところでギブアップ。じつは、一生に一度の、というのは少し大げさかも知れないが、滅多にない買物をした。これが日本にあることすら、奇跡的と思えるようなものだ。むろんきわめて安価だった(そのうちアップするかもしれませんが、しばらくはニヤニヤしてひとりで楽しみたいと思います)。

その後、ユニテの古本市へ移動。結婚したばかりのN君がいたのでフェリシタシオン。つぎつぎ見知った顔が。ヨゾラ舎さんも。三分間古本屋という屋号にしようかと本気で思ったという話で爆笑。三分間で本が全部見られるていどの店ですという意味だそうで、カウンターでカップメンを売っていて、お湯を注いで三分間待つ間に棚を全部見てしまえる(笑)。

びわこのなまず先生と生駒散人さんも見える。なまず先生、相変わらず毎日「ブ」で本を買っておられるそうだ。年間二千冊に達するという。近々、長浜で一箱古本市が開かれるそうで、目下、本気で出品しようと考えておられるとか。別に本を売りたいわけではないけれどマンガだけでもなんとかしたい、とのこと。最近の収穫は雪村いずみの伝記だとか(長沼すみこ『雪村いずみ』太平洋文庫、一九五五年、のことかな?)。小生の親しくしていただいている古本者のなかでも内心もっとも尊敬申し上げている先生である。生駒散人さんも凄い、買った本を読んでおられる! お二人は学生時代からのお付き合いだそうで、いろいろ楽しいお話をうかがった。







[PR]
by sumus2013 | 2014-05-01 21:53 | 古書日録 | Comments(2)