林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 808 )

美術 第十一巻第六号

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『美術』第十一巻第六号(東邦美術学院、一九三六年六月一日)。図版切り取りがかなりあるため、均一に出ていた。そうでなければ、戦前の美術雑誌なので、それなりのお値段である。

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ざっと図版を調べていて目が止まったのはこちら。靉光「ライオン」。靉光はこの年の独立展にこの「ライオン」(ともう一点、眠るライオン)を発表したが、その後二年間、ライオンの連作を続けた。そしてその試行錯誤が代表作「眼のある風景」(一九三八)へと繋がる。本誌には「私の出品作・独立展」というコーナーがあり、そこに靉光はこう書いている。

愚作で誠に申譯ない次第です。
 ライオンを材料に必ず一度は素敵な作を生む腹。

他にもいろいろ珍しい写真がある。下は独立展の受賞者および新会員の一部。上段右端が今西中通、その左が飯田操朗。下段左端の紅一点が三岸節子。ついでに言えば下段右から二番目は斎藤長三で、小生が武蔵野美術大学にいた頃(え〜と、この写真からおよそ四十年後です)の教授の一人。この左側につづく省略した写真に顔が出ているもう一人、中間册夫という先生もおられた。

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他には、佐分眞の追悼記事も貴重である。宮田重雄、伊藤廉、益田義信、伊原宇三郎、窪田照三が思い出を寄せている。かなり前に佐分の遺作集『素麗』(春鳥会、一九三六年)を架蔵していたのだが、生活苦に負けて売り払った苦い思い出がある……。

また、「消息」欄にこんな記事を見てオヤッと思う。

 野田英夫氏 東京市麻布區谷町四十一番地麻布アパート内へ轉

野田英夫は一九三四年に日本を訪れ(生まれはサンノゼ)、三七年に一度アメリカへ帰って壁画の仕事をするなどしてから、ヨーロッパを経て、再び来日している。

とにかく雑誌というのは細部が面白いです。


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by sumus2013 | 2017-12-27 20:43 | 古書日録 | Comments(0)

étude:07

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文月書林の古書目録『étude:07』(二〇一七年一二月二三日、デザイン=サトウタナカ)が届く。掌サイズ(148×105mm)のオシャレな目録。表紙別、本文8ページという小ぶりな内容ながら、本の並べ方は「おぬし、やるな」という感じである。巻頭は野田書房の「コルボオ叢書全12冊」……なるほど。値段のバランスもよく考えられている。取り急ぎ、一冊注文だ。

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同封の「おしらせ」によれば、年明け一月中に事務所営業を再開する予定だとか。ウェブサイトは現在工事中、近日リニューアル予定ということです。


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by sumus2013 | 2017-12-26 17:03 | 古書日録 | Comments(0)

武庫川詣で

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小磯記念美術館で「生誕150年記念 藤島武二展」(感想は後日にでも。珍しい作品、書籍、絵葉書なども多数出品されていました)を見た帰途、武庫川で下車。久し振りの「街の草」詣で。

いつにもまして詩集や詩誌が目立っていた。まだ杉山平一旧蔵書の残部があるようだし、それ以外にも別の詩人のところから来た蔵書も混じっているそうだ。下の写真の『詩祭』(奈良で発行されていた詩誌)には「平一」の印があった。これらはごく一部、他にも奥に積み上げられている中に、かなりいい本が目に付いた。値段は街の草さんならではののんびりしたもの。ただ、今は詩の関係にはさほど熱中していないため、珍しいものもあるもんだ、と思って本を崩したり積んだり小一時間楽しませてもらっただけ。

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ただ、詩の関係ではないが、ちょっとエキサイティングな一冊を発見。いずれ近いうちに報告します。

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by sumus2013 | 2017-12-22 20:09 | 古書日録 | Comments(0)

レッテル便り


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少し前に頂戴していたレッテル葉書より。

《今までお届けした中ではおそらく最大のラベルでしょう。百円均一棚にあった、やはり音楽関係の古本に貼ってあり、このラベル目当てで購入しました(笑)。想像ですが、大判の楽譜の古本に貼るために、このサイズになったのでしょう。神保町の店舗にはほとんど入ったことはありません。
 
 待晨堂も、おそらく一度しか入ったことはないと思います。これまた他店の均一棚にあった一冊に貼られていたもの。》

古賀書店のレッテルサイズはタテ36ミリ、ヨコ30ミリ。たしかにかなりの大物である。図は竪琴をかなでる文芸の女神ムサイだろう。なお「待晨」は「見張りの者よ、今は夜の何ときか。『夜明けは近づいている。しかしまだ夜なのだ』」(旧約聖書「イザヤ書」21章9節)にちなむ言葉。


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待晨堂

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by sumus2013 | 2017-12-20 17:14 | 古書日録 | Comments(0)

薬物学

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「薬物学 全」と題された写本。本文冒頭に下のように記されている。

 薬物学 Pharmacologia, Materia medica
       医学士 更井久庸氏 口述
       生 徒 屋葺熊七氏 筆記

要するに講義録である。更井久庸で検索してみると、どうやら第三高等中学校医学部で行われた講義のようだ。

第三高等中学校医学部

1870年(明治3)に開設された岡山藩医学館が本学の始まりであるが、近代化を目指して国の教育制度の変遷によって、名称が目まぐるしく変わっている。医学館から医学所、医学教場を経て、次いで10年後の80年に岡山県医学校となり、前述のように88年(明治21)に国立学校として第三高等中学校医学部(三中医)が発足した。三中医が存在したのはあ、88年から94年(明治27)までの6年間で、その後は高等学校医学部、医学専門学校、医科大学、大学医学部と改称された。名称だけでなく学校と病院の場所も東山から弓之町などを経て、90年(明治23)に内山下に新しい三中医の校舎が、つづいて翌91年に新岡山県病院が完成した。現在の鹿田へ移ったのは1921年(大正10)である。

他にも、田宮ノートや村上ノートといった講義録が残っているようである。薄い和紙に書かれ、袋綴じ、背をクロス状のもので固めてある。120丁(240頁)。一頁はきっちり十二行。罫線紙を使っているところもあり、そちらは十三行。とにかく熱烈な勉強振りと言わざるを得ない。ただし読みづらい・・・

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巻末に近いところに《明治二十五年第七月……》と記入されている。屋葺熊七は『岡山医学会雑誌』Vol.7(一八九五)No.6に「癩病療法ニ就テ」を執筆していることだけは分かるが、目下それ以外にはとりたて情報はないもよう。

百万遍の均一和本の山のなかで見付けた一冊である。




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by sumus2013 | 2017-12-13 20:10 | 古書日録 | Comments(0)

今年の古本2017

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『20周年記念独立関西展画集』(一九五一年一一月二二日〜一二月九日、大阪美術館、表紙画=小出三郎)。本文は問題ないのだが、広告の頁が二枚(四頁)切り取られている。裏表紙に記名あり「中村善種」、独立展の会員である。切り取りは残念だが、均一に入れて置くには惜しい一冊だと思うのでありがたく買わせていただいた。

今年の漢字も発表されたことだし(?)、そろそろかと思って、今年買った古本のリストを点検をしてみた。近頃は絵や書を買うのが楽しくて、古本は以前ほど熱心に探求していない。それでも均一台を前にしたときのワクワク感は相変わらず。下記の十点の内『竹田全集』と『書彩』以外はすべて均一にて。驚くようなものはないにしても、個人的には、まずまずの収穫だと思っている。こういう本を出し続けてくれる古本屋さんたちに感謝である。来年もどうぞよろしく(まだ少し気が早いですが)。

『20周年記念独立関西展画集』一九五一

◉「瀧口修造展の絵葉書セット」南天子画廊、一九七九

◉DES DAMES ROMAINES, fata morgana, 1968
◉LES DERNIERES TRAVAUX DE GULLIVER, fata morgana, 1974

花田清輝『復興期の精神』我観社、一九四六

◉『田能村竹田全集』国文名著刊行会、一九三五、三版

◉『ふるほんやのざつし書彩』創刊号、百艸書屋内書彩発行所、一九四九
◉『ふるほんやのざつし書彩』第二号、百艸書屋内書彩発行所、一九四九

◉『冝園百家詩初編』巻四、五、六、七、八、須原屋他、天保十二(一八一四)

◉「薬物学」写本 更井久庸・口述 屋葺熊七・筆記、明治二十五頃(一八九二)



読んで面白かった本は多い。今年はよく読んだ方だ。受贈書もあれこれ素晴らしいものを頂戴した(そちらはカテゴリー「おすすめ本棚」でご覧下さい)。貰った本以外では、神田喜一郎『墨林閒話』(岩波書店、一九七八年三刷)、水上勉『古河力作の生涯』、デューラー『ネーデルラント旅日記』、小金井喜美子『森鷗外の系族』(大岡山書店、一九四三年)、ヘミングウェイ「移動祝祭日」(『ヘミングウェイ全集10』三笠書房、一九六六)、佐野眞一『旅する巨人』、澤柳大五郎『風花帖』(みすず書房、一九七五年)、小川洋子『博士の本棚』などが記憶に残る。

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by sumus2013 | 2017-12-12 20:48 | 古書日録 | Comments(0)

木下杢太郎詩集

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『木下杢太郎詩集』(野田宇太郎編、新潮文庫、一九六六年九月二〇日八刷)を求めた。普通ならスルーなのだが(といってもこれが初版ならぜひとも捕獲しておかなければならない)、表紙に鉛筆書きされているように「製本ミス」すなわち乱丁(?)のある一冊だったので、どうしても素通りできなかった。

パラパラッとめくってみた。なるほど、128頁の次にダブリの扉がある。これはちょっと珍しいかも。

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そして129頁目から十六頁分が、扉から十六頁分に誤って取り違えられている。扉と目次のダブリである。下の写真では見づらいと思うが、右頁のノンブルが16で左頁が145。

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それだけのことです。せっかくだから、詩も引いておこう。杢太郎の珈琲関連の引用は以前にもしている。

『詩ぃちゃん』

Pippo『心に太陽を くちびるに詩を』

よって、この度は巴里を。杢太郎は大正十年、アメリカへ渡った。さらにキューバからロンドンへ。そしてパリに至り、そこでパスツール研究所に通いながら、ドイツ、イタリア、エヂプト、エスパニヤ、ポルツガルなどを旅した。大正十三年に帰朝、昭和五年に出版した『木下杢太郎詩集』にそれらの時期に書かれた詩も収められている(本書解説より)。


   巴黎山歌

 月亮一出、第一に
 異國巴黎のパンテオン
 賑ふ宵のサン・ミシエル
 支那料理屋の奥の間は
 呉越の客の六七人。

 橋は名高きポン・ヌフの
 十時に近き人流れ。
 
 今日珍しく初夏の
 けはひに浮かれ、つぶつぶと
 巴黎景緻を口ずさむ
 黄黒き人のさびしさよ、
 秦淮の水こそ優るめれ。

    ルビ
    月亮一出[げつりやういつしゆつ]
    巴黎[ぱりい]
    景緻[けしき]
    秦淮[しんわい]



   小風景

 窗から雨を見る。
 羅甸区
 寒くなつかし。
 日曜、
 朝遅き珈琲。
 近頃はマリイラン、
 それも残り少し、
「アロオ、アロオ、
 小厮は居るの?
 コメヂアにマタン、
 マリイランの黄いろの包一つ。
 それに昨日の NOUVELLES LITTERAIRES もあつたら。」

    ルビ
    珈琲[かふえ]
    小厮[しやつそえる]
    NOUVELLES LITTERAIRES[ぬうゑるりてれえる]




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by sumus2013 | 2017-12-08 20:58 | 古書日録 | Comments(0)

今川状并腰越状

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双白銅文庫の最近の収穫。元来の題簽は摩滅したのか、「今川并腰越」という手製の題簽が貼られている。おそらく『今川状并腰越状』であろう。「今川状」「腰越状」はともに江戸時代を通してもっとも流布した手習いの教科書だが、本書はそれらを一冊に合わせたものである。奥書もないため時代や版元などは不明。類書も見当たらなかった。きっと子供(たち)が使ったに相違なく、かなり傷んでいる上に楽しい落書きがあちこちに見られる。よって二百円です。

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「今川状」の一丁表。画像検索してみると、版本では、ページの上部に挿絵が入っている本が多いようだ。手前勝手に考えれば、こちらは絵入りより古いタイプなのかもしれない。一行目に《一品尊親王御筆》と明示してあるが、これも他の本には見られない(今ざっと検索しただけの範囲内です)。

それはそうだろう「今川状」というのは二行目に《今川了俊愚息仲秋制詞條々》とある通り今川貞世(了俊)が養子で弟の仲秋に与えた指南書で、それは応永十九年(一四一二)のこと。青蓮院流の祖であり名筆として知られる親王は正平十一年(一三五六)に歿しているから、考えるまでもなく清書できるはずがない。

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「腰越状」は源義経が頼朝に宛てたとされる書簡。処遇に対して不満を述べている。頼朝に叛旗を翻す、そのウップンがたまっていたことがよく分かる手紙なのだが、義経が書いたという保証はなく、後世の創作であろうと考えられる。こちらも手紙文(往来物)の習字手本として明治頃まで使われ続けたという。

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元暦二年(一一八五)の日付。尊円法親王は永仁六年(一二九八)生まれ。古いものは写せるわけだから、その点、問題はないということにはなる。



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by sumus2013 | 2017-12-07 21:13 | 古書日録 | Comments(0)

荒野の竪琴

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串田孫一『荒野の竪琴』(新潮社、一九七二年九月二五日、装幀 装画=著者)。某氏(昨日の某氏とは別の方)より頂戴したもの。『季刊暮しの創造』第十三号(創芸社、一九八〇年六月一日、特集=理想の装幀)に掲載された「自装について」のなかで串田孫一は次のように書いている。

荒野の竪琴 一九七二年 表紙は布に印刷と金版。この本にはいたずらが一つしてある。これまでにそれを発見した人は一人

某氏はこれを「暮しの創造」のコピーに『荒野の竪琴』造本の仕掛について書いてありますが、見つけた人は一人、は串田さんの読者サービスでしょうと考えておられるが、たしかに、発行から八年近く経っていて一人というのは、どんなものだろう。もちろん、どこが「いたずら」なのかひと目見て直ぐには分からない。しかし、そのつもりでチェックすれば、容易に気付く。

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ご覧のように、天と地とで、ハナギレの色を変えてあるのだ。おそらくこれが「いたずら」なのであろう。色違いのハナギレですぐ思い浮かぶ本があるが、本書よりもずっと新しい。本書以前にもあるのか、ないのか、ちょっと気になるところ。

本書のエッセイにも装幀について触れた文章がある。

駅で用事を一つした。それは友人の本の装釘のことで、色の指定なども細かに書き添えては置いたが、出版社のそれを担当している人に直接会って、了解を求め、念を押すところまではこちらの責任であるから、郵送せず手渡したかった。》(「晩夏」)

これだけなのだが「装釘」という字を使っているところに注意したい。扉の前には「装幀」と表記されているので、特別に「釘」にこだわったという訳でもないかもしれないが。

全体に季節や気分の移り変わりについて感慨を述べたようなエッセイばかり。半年余りの間に書き上げたということだ。なかで小生の好みは「墨狂」と題された一篇。友人から呼び出され、懐素の千字文を渡される話。

懐素の千字文であった。しかし千金帖と言われているそれとは違って、若い頃書いた連綿草で、これは珍しいものだから見せてくれるというのだった。彼はこの拓本を何年か前にある篆刻家から貰い、無造作に新聞紙にくるんだまま戸棚の奥にしまい込んであったが、千字文を書いた書家のことを調べている時に、思い出してこの拓本を出してみると、なかなかいいので、少しお金をかけて巻物にしたという話であった。

その友人の父は書家で、友人も習字を教えているらしい(詳しくは串田も知らない)。彼からは以前、水巌(端渓の老坑から掘り出される石)の硯、そして「古銅印彙」などの印譜を借りたことがあった。懐素の連綿草とは下のようなものだろうと思う。

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懐素小草千字文


串田はここで話をオーレル・ニコレというフルート奏者のレコードのために文章を草したことへ転ずる。ニコレの演奏をレコードで聴いているとき、ふと古筆の仮名の続け文字が思い浮かんで、早速そのことを書いた。その後は、音楽、とくに無伴奏の独奏曲を聴いていると快く崩された草書を思い浮かべるようになった。達者に崩された文字はスラスラとは読めない。そこで気が付く。

直ちに読めてしまう書からは音楽が浮かんで来ない。読めたからと言って、それで終わるわけではなく、そこに書かれている言葉なり詩の意味をよく理解したところから書の鑑賞ははじまる。そして悦びの交感に似た気分が起る。だが読む前に、あるいは残念ながら最初から読むのは自分には無理だと諦めざるを得ないような書にも魅力はある。それは曲線の組み合わせとしての魅力であって、私にはそういうところから音楽が現われたのであろう。

草書には苦しめられている(笑)。読めなくても鑑賞には全く問題はない。が、読めたら読めたで、別のパースペクティヴが開けることも事実である。




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by sumus2013 | 2017-12-06 20:42 | 古書日録 | Comments(0)

アリストフィル・コレクション

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フランスのオークション・ハウス、アギュット(AGUTTES)が今月二十日から行うオークション『アリストフィル・コレクション LES COLLECTIONS ARISTOPHIL』のカタログを某氏より頂戴した。

LES COLLECTIONS ARISTOPHIL

アリストフィルというのはジェラール・レリチエ(Gérard Lhéritier)が設立した会社で、この人物は以前このブログでも紹介した「書簡と原稿の博物館 Musée des lettres et manuscrits」の設立者でもある。自筆ものの値段を急騰させた人物として知られる。この図録を見ながら、そう言えば、前回のパリで「あそこが潰れて、たいへんなのよ」と古書業界の知人に聞いたことを思い出した。そのときは「へええ、そうなの」と聞き流していたのだが、こういう形で散逸することになったわけなのだ。

書簡と自筆の展示館

検索してみるとアリストフィルは二〇一五年に破綻していた。ようやく整理がついて、そのコレクション13万点余が順次競売にかけられることになったようだ。幅広いジャンルに亘る自筆資料など、お宝がたんまり含まれているらしい。

そして、その口切り展示での目玉、それが表紙にもなっているこの巻物。なんと、サド侯爵による『ソドム120日』の原稿なのだとか!

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解説の内容をざっくりと訳しておく。

まずこの原稿の体裁は、33枚の紙をつなぎ合わせた巻物で、幅11センチ3ミリ、長さは12メートル10センチあり、表裏にびっしりと焦茶のインクで記入されている。

サドは一七八四年二月二九日にバスティーユ監獄へ移送された。そこで、二年前頃から手をつけていた『ソドム120日』の清書にとりかかったらしい。サド自身がこの原稿の脇にメモを書き残している。

表側の終りに《この帯[bande]を書くために夜の七時から十時にかけて二十日間かかり、一七八五年九月(7bre)十二日に終了》。そして巻末に《この長い帯の全部を一七八五年十月(8bre)二十二日に開始し三十七日間で終了》と書かれているそうで、ようするに一七八五年の八月から十一月にかけて仕上げたということらしい。この巻物にはオリジナルの収納函があり、それに収められてバスティーユ監獄内のサドの独房の石の隙間に隠されていた。

サドがシャラントン監獄へ移された後、アルヌー・ド・サンマキシマン(Arnoux de Saint-Maximin)なる人物がそれを発見し、ヴィルヌーヴ・トランス(la famille de Villeneuve-Trans)へ売却した。

一九〇四年、当時の所有者であったドイツの精神科医イヴァン・ブロッホ(Iwan Broch)が初めてこの作品を公刊。一九二九年にはノアイユ子爵夫妻(Chales et Marie-Laure de Noaille)が購入し、モーリス・エーヌ(Maurice Heine)に委託した。エーヌは註釈版を出版した(一九三一〜三五年)。

ノアイユの歿後、娘のナタリー(Nathalie)へ受け継がれたが、一九八二年に出版人のジャン・グルエ(Jean Grouet)が盗み出して、スイスの愛書家ジェラール・ノルマン(Gérard Nordmann)へ売ってしまった。ナタリーの息子カルロ・ペロンヌ(Carlo Perrone)が訴訟を起こしたのだが、スイスの裁判所はフランス側の訴えを退けノルマンの所有権を認めた。一時期ジュネーヴのボドメール(Bodmer)財団に寄託された後、ノルマン家とカルロ・ペロンヌとの和解を経て二〇一四年五月にアリストフィルが購入した。

ついでに補足しておけば、マリ・ロール・ド・ノアイユは富裕な銀行家の娘で、芸術の庇護者、画家、文筆家であった。マリ・ロールの母マリー・テレーズ・ド・シュビネ(Marie-Thérèse de Chevigné)がサドの家系に連なるということで『ソドム120日』には浅からぬ縁があったわけである。またマリー・テレーズはプルーストの『失われた時を求めて』におけるゲルマント侯爵夫人のモデルだとされているそうだ。

エスティメイトは「4 000 000 / 6 000 000 €」……。ダ・ヴィンチ「救世主」の例を見たばかり、十億円からの値がつくかもしれない(?)



また、アンドレ・ブルトンの自筆原稿が四点出品されるようだ。

シュルレアリスム宣言 自筆原稿
溶ける魚 自筆原稿
溶ける魚I 溶ける魚II 自筆原稿;学生用ノート[下写真]
シュルレアリスム第二宣言 自筆原稿 校正紙と自筆メモ

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これら四点まとめての予想落札価格は「4 500 000 / 5 500 000 €」・・・これまた驚きである。

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by sumus2013 | 2017-12-05 20:43 | 古書日録 | Comments(0)