林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
巴里アンフェール
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
かなり悩みました。
by sumus2013 at 20:12
この短冊は難しく感じます..
by epokhe at 13:26
そうですねえ・・・大月さ..
by sumus2013 at 20:08
時の流れに驚きます。一周..
by tobiranorabbit at 10:32
今後も定期的に漢詩および..
by sumus2013 at 20:33
「雲臥」で良いと思います..
by epokhe at 19:20
「雪臥」のところは「雲臥..
by sumus2013 at 10:56
恥ずかしながら南岳さんを..
by epokhe at 23:31
「V」も、もちろん演奏レ..
by sumus2013 at 20:32
ちょっとちょっと、V《聖..
by くみ at 23:04
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
ルーベンスの故郷、ヨーロ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
視聴率に関係なく選んだ2..
from dezire_photo &..
宝石のような輝をもった印..
from dezire_photo &..
ルネサンス美術の巨匠・ピ..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
過去に来日した傑作を回顧..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:古書日録( 815 )

レッテル新収

古書店レッテルを定期的に送ってくださる読者の方がおられる。有り難い限りです。むろん小生自身もレッテルには注意しているものの、近頃は滅多に出会わなくなってきた。素敵なデザインのものを見つけると本よりもずっと貴重に思えるのである。

f0307792_19560239.jpg

今回はこの「Seibundo/KAGURAZAKA」がナイス! 大正末の詩集に貼られていたとか。検索してみると、神楽坂では有名な新刊書店であった。拙ブログでも以前引用した文章に登場していた。

てくてく牛込神楽坂
《菓子屋ではまだこの外に二、三有名なのがある、坂上にある銀座木村屋の支店、塩瀬の支店、それからやや二流的の感じだが寺町の船橋屋などがそれである。だが私には甘い物はあまり用がない。ただ家内が、子供用又は来客用としてその時々の気持次第で以上の諸店で用を足しているまでだが、相馬屋と、もう一軒坂下の山田という紙屋では、私は時々原稿紙の厄介になっている。それから私に一番関係の深い本屋では、盛文堂機山閣、寺町の南北社などが大きい方で、なおその外二、三軒あるが、兎に角あの狭い区域内で、新刊書を売る本屋が六、七軒もあって、それ/″\負けず劣らずの繁昌振りを見せているということは、流石さすがに早稲田大学を背景にして、学生や知識階級の人々が多く出る証拠だろう。古本屋は少く、今では岩戸町の電車通りにある竹中一軒位のものだ。以前古本専門で、原書類が多いので神田の堅木屋などと並び称せられていた武田芳進堂は、その後次第に様子が変って今ではすっかり新本屋になってしまった。
 その代り夜の露店に古本屋が大変多くなった。これは近頃の神楽坂の夜店の特色の一つとして繁昌記の中に加えてもよかろう。尤もっともどれもこれも有りふれた棚ざらし物か蔵払い物ばかりで、いい掘り出し物なんかは滅多にないが、でも場所柄よく売れると見えて、私の知っている早稲田の或古本屋の番頭だった男が、夜店を専門にして毎晩ここへ出ていたが、それで大に儲けて、今は戸塚の早大裏に立派な一軒の店を構え、その道の成功者として知られるに至った。
 ついでに夜店全体の感じについて一言するならば、総じて近頃は、その場限りの香具師やし的のものが段々減って、真面目な実用向きの定店が多くなったことは、外ほかでは知らず、神楽坂などでは特に目につく現象である。》(加能作次郎「早稲田神楽坂」、初出『東京日日新聞』一九二七年連載)

一時左傾の出版社として名をあらはした南宋書院は肴町通り、故有島武郎の親友足助氏の叢文閣、古本屋の竹中、いま盛業をしてゐる盛文堂、武田芳進堂、機山閣、そことは遠くなるが新潮社、盛り場をひかへて知識階級がこの近くにゐることを語る。(「神楽坂」酒井真人『東京盛り場風景』誠文堂十銭文庫、一九三〇年)

機山閣書店(東京牛込肴町十二)のレッテル


f0307792_19560067.jpg
《吉祥寺の「さかえ書房」、金子光晴で有名ですね。閉めてもう、十年近く。》看板はもちろん書皮にも金子光晴の絵があしらわれていたようだ。

☆金子光晴の愛した古書店「さかえ書房」吉祥寺

レッテル新収品(さかえ書房、他)



f0307792_19555463.jpg
《資文堂には全く心当りがありませんので、昭和40年代には、なくなっていたのではと想像します。》


f0307792_19555651.jpg
《「豊田書房」は神保町、店に入ったことはありますが、何か購入したということはないと思います。》


f0307792_19555894.jpg
《「森田書店」は、10年?くらい前まで立寄っていました。今はずっとシャッターがおりています。西荻というと、音羽館と盛林堂が勢いがスゴイですね。特に盛林堂は毎土曜日の開店時に店頭100円棚の入れかえをやっていて、どうかすると10人くらいの古本者が集結することがあります。

盛林堂さん、均一も凄いんだ……。



f0307792_19560715.jpg

f0307792_19560622.jpg

[PR]
by sumus2013 | 2018-05-10 20:29 | 古書日録 | Comments(0)

杖のはしめ

f0307792_20055587.jpg

こちらも均一台にて。双白銅文庫入りの一冊。ざっと見ると、俳句、短歌(歌仙のようなもの)、紀行文から成っているということは分かった。題簽が剥がれているし、前付けも奥付もない。版芯には「ツエノ」とだけしてある。

文中の固有名詞でいろいろ検索していると、早稲田大学が所蔵していることが判明。『杖のはじめ』というタイトルらしい。その説明は以下の通り。中となっているので、他に上巻と下巻があるのだろう。

[杖のはしめ]. 中 / [信杖坊] [編][京都] : [橘屋治兵衛], [宝暦2(1752)]
著者:伏見 許虹, 1699-1774

f0307792_20055842.jpg

ごくおおざっぱに言えば、西国(九州)を訪ねて、その土地土地の人たちと俳句を作った記録。作者とされる伏見許虹の兄(本書中に親兄[実兄]とある)黄鸝園里紅が二十年余り前に同地を行脚したのだが、亡くなってしまい、当時、親切にしてくれた人々を許虹が訪ねて歩くということのようである(詳しく読解したわけではないので、間違っていたら訂正してください)。里紅とは次のような人物。

仙石廬元坊 せんごく-ろげんぼう
1688/91-1747 江戸時代中期の俳人。
元禄(げんろく)元/4年生まれ。各務支考(かがみ-しこう)の門人。美濃(みの)派の基礎をきずく。北陸地方を旅して「桃の首途(かどで)」を,西国を旅して「藤の首途」をあらわす。享保(きょうほう)17年支考の追善集「文星観」を編集,刊行した。延享4年5月10日死去。57/60歳。美濃(岐阜県)出身。別号に里紅,黄鸝園,茶話窟,獅子庵。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

説明文中『藤の首途[ふじのかどで]』というのが里紅による西国紀行集で、本書と共通する俳人たちの名前が見える。

藤の首途. 天,地,人 / 里紅 [編]
仙石 廬元坊, 1692-1747
心斎橋通北久宝寺町(大坂) : 前川文栄堂, [出版年不明]

なかでも竹慶堂の加十子には世話になったようで『藤の首途』にはこう書かれている。

十月はしめ此長崎に頭陀をとゝめ仲冬中頃は肥後のかたへ趣へきを冬の渡海のいかゝなれはと此地の人〜にとゝめられ竹慶堂の酒家に冬籠して行脚漂泊の身を観す
 あるき神も市の杉葉に年暮ぬ》(大礒義雄芭蕉と蕉門俳人』)

大礒氏によれば『藤の首途』は享保十六年(1731)刊。『杖のはじめ』(宝暦二年 1752)から省みれば二十年余前、計算は合っている。案外と珍しい本だった。巻尾の一句。

 明てたつ京は涼ミの名残かな

[PR]
by sumus2013 | 2018-05-06 20:55 | 古書日録 | Comments(0)

JONES READERS

f0307792_19174781.jpg

L. H. JONES『THE JONES READERS BY GRADES BOOK THREE』(GINN AND COMPANY, 1904)。みやこめっせの帰りに某書店均一にて。英語のリーダー。

記名がある。

 京都第二商業学校
  豫科二年甲組
     井川仁三郎

 Kyoto Second Commercial School
     Nisaburo, Ikawa

京都第二商業学校は一九一〇年から四八年まで存在したとのこと。京都二商、京二商などと略称された。京都一商(現・京都市立西京高等学校)の生徒増加を受けて西陣(大宮五辻)に開校、後(大正九年頃)、西ノ京へ移転(現在、京都市立北野中学校のある場所、西大路通の北野白梅町と円町のちょうど中間あたり西側)。

挿絵がたくさん入っており、木口木版もかなり多い。これがなかなか精妙な出来である。

f0307792_19382235.jpg


f0307792_19382584.jpg


f0307792_19394036.jpg
f0307792_19394380.jpg


f0307792_19400547.jpg

f0307792_19400807.jpg

f0307792_19401123.jpg

日本人の邸宅を訪問するというシチュエーションもある(ここの挿絵はペン画)。日本の家は、木と紙でできており、タタミ(white straw mat)が敷いてある。靴を脱いで上がる。椅子がない。昼間は二部屋しかないが、夜になると唐紙(sliding paper)で仕切って四部屋になる。日本女性は髪を弓(bow)のように結い上げ、首(におしろい)を塗り(paint their necks)、お歯黒をつける。袖のゆったりした着物(loose gowns)をまとっている。女の子も母親(成人女性)と同じかっこうをしている。日本人の少女の名前は「Haru」、西洋人の少女は「Nanny」、ハルは金髪の巻き毛や青い目の少女を初めて見た。


f0307792_19401498.jpg

明治末から大正だから、木口木版の挿絵は、もう時代遅れになっていたのではないかと思うのだが、この迫力には捨て難いものがある。

[PR]
by sumus2013 | 2018-05-05 20:00 | 古書日録 | Comments(0)

春の古書大即売会2018

f0307792_20224012.jpg

京都勧業館みやこめっせへ。午前十時ちょうどに到着。長蛇の列。ただし、並んでいた人によれば、昨年よりは少し短めの長さだったとか。みなさんが無事入場するまで、ロビー脇で待機。最後尾からゆるゆる入場。あちらこちらひいきの店をのぞきつつ、顔見知りの誰彼と立ち話。

ちょっといいな、と思うもの多し。されど決め切れず、ぐずぐず手ぶらで会場を周回。紙物の箱をあさっていると、新宿・武蔵野館のパンフが数点あった。なかで気に入ったデザインの一点を購入して、本日は終了。『MUSASHINO WEEKLY』(武蔵野館、一九二八年十二月三一日)。二つ折二枚八頁ながらモダン・テイストに参った。

f0307792_20224871.jpg
f0307792_20225318.jpg

来週はいよいよ村山知義作「勇ましき主婦」(新劇協会出演)が上演されるという宣伝。
勇ましき主婦役は花柳はるみ(日本映画女優第一号)。

I氏、H氏とみやこめっせを出てある蕎麦屋にて昼食、あれこれ雑談。その後、I氏と平安神宮東側の岡崎通りに面したブックス・ヘリングへ。島岡海豹写真展が二階で開催中。女性のスナップばかりを集めたいい展示である。


f0307792_20424042.jpg
f0307792_20422671.jpg

[PR]
by sumus2013 | 2018-05-01 20:48 | 古書日録 | Comments(0)

『戀愛譚』出版記念展

f0307792_19484078.jpg

アトリエ箱庭さんで開催された「『戀愛譚 東郷青児文筆選集』出版記念展」(本日まで)を見る。編者の野崎さんと箱庭の幸田さんの東郷青児コレクション。書籍を中心に包装紙、紙袋、絵皿、マッチ箱などざまざまなグッズが展示されており、東郷の活躍した時代が甦るようであった。

f0307792_19485127.jpg
f0307792_19485763.jpg
f0307792_19484961.jpg
f0307792_19484399.jpg

f0307792_19485519.jpg
f0307792_19484551.jpg
f0307792_19485913.jpg
f0307792_19484730.jpg
装幀作品のなかでも珍品は、スウヴェストル・アラン『幻賊』(田中早苗訳、白水社、一九三一年)だそうだ。『幻賊』とは要するに「ファントマ」のこと。

野崎さんにいろいろなお話をうかがっていると、久し振りに会う顔がつぎつぎと来場、書物談にしばし花を咲かせた。窓から見る緑がまぶしく、さわやかな陽気、そして何十年かの時間の濾過作用を経た東郷作品からも、独特の気品と稚気が漂ってくるようで、気持のいい半日を過ごせた。



[PR]
by sumus2013 | 2018-04-30 20:11 | 古書日録 | Comments(2)

上海ラヂオ

f0307792_21355089.jpg


ART OFFICE OZASAさんの吉増剛造展を見て(銅板文字と写真作品、5日に御本人のパフォーマンスあり。展示の様子はマン・レイ石原さんのブログにて→http://d.hatena.ne.jp/manrayist/20180428)、その後、北の方で急用があったのでそちらへ向う。その用事を済ました帰途、出町枡形商店街の上海ラヂオをちらりとのぞいた。店の内外に活気があふれ、お客さんもひっきりなし。ゆっくり滞在したら山ほど買いそうだった。本日は一冊だけ。

f0307792_21355203.jpg

フランソワ・カラデック『レーモン・ルーセルの生涯』(北山研二訳、リブロポート、一九八九年六月二六日)。

[PR]
by sumus2013 | 2018-04-28 21:46 | 古書日録 | Comments(0)

錯乱の論理 初版

f0307792_20171400.jpg

いずれ入手したい、と書いた花田清輝『錯乱の論理』初版(眞善美社、一九二七年九月二五日、装幀=高橋錦吉)、意外と早く手に入った。傷みが見だつため安かった。とりあえず、これで十分だ。再版の奥付には

昭和22年11月10日發行
昭和23年2月15日再版

と記されているが(横書き)、初版の奥付には《昭和二十二年九月二十五日発行》(縦書き)と印刷されている。装幀、扉、目次および奥付は初版とは明らかに異なる。本文は同じ(同じ紙型かもしれない)。ただし再版の方が鮮明に印字されている。初版はかなりかすれて読みにくい。

f0307792_20171778.jpg

カバーの絵についても、扉の挿絵についても何も記載がない。カバーはデ・キリコだとして、扉は高橋の筆になるのだろうか?

f0307792_20172067.jpg

自「跋」にこう書かれている。

《前半の「自明の理」は戦争中に書いたものです。戦争中に戦後の錯亂について考へることは、少々、さきくぐりの觀がないではありませんが、いつの日か、戦争といふものは必ず終るものであると思つてゐたので、構はず書きつづけました。》

《「復興期の精神」の讀者は、そこではレトリックを大いにふりまはしてゐる私が、ここではレトリックを排撃し、ばかにロジックに執著してゐるのをみて、不思議に思はれるかもしれません。》

「自明の理」を戦争中に書いたとすれば、「自明の理」とは、花田にとって、イコール「敗北」という意味だったに違いない。本書に収められた諸作は、論理もレトリックも『復興期の精神』よりも荒削りでヴァラエティがある。評論よりも創作を(評論とか創作という垣根を取り払うことを)目指していた気配が濃厚だ。エルンストのコラージュにいたく執心で何度も言及されているが、文章において、そういう作品を目指していたようである。小林秀雄が意識されていることも端々から伝わるように思う。

表紙になったデ・キリコも登場する。

《薄曇つた冬の午後、ーーさうだ。あの日もやつぱり曇つてゐた。僕が氣をくさらせてゐたせいか、それとも街自身のもつ中世紀的雰圍氣のためであらうか。或ひはまた僕に強い印象をのこした事件當時の季節の結果にすぎないのか、僕の追憶にうかんでくるあの土地の風景の大部分は、いつも重くるしく雲の垂れた空の下で、すべてが澱んだもののやうに、ぢつと静止してゐる。それはまるで突然あらゆる存在が化石してしまつたやうな状態を描く、キリコの形而上學的な作品をみるやうだ。いふまでもなく、その明るい色彩はうかがふべくもないが。さういへば、その頃の僕は、エルンストほどではなかつたにせよ、このギリシア生れの畫家を大へん好きだつた。かれの作品に、なんの變てつもないソフア戸棚の背後に、壁に立てかけられ、巍然として聳えたつてゐる岩山の繪がある。あれはかれの傑作のひとつであらうが、ーー僕は今、薄曇つた冬の午後、僕がメエ・オンを山に誘ひ出した話をしやうとして、ふとキリコのその繪をあざやかに思ひうかべた。》(悲劇について)

f0307792_20172768.jpg

エルンストのコラージュについて書かれた「赤づきん」のあるページに挟まれていたマッチの軸。さまざまなものを本は飲込んでいるにしても、マッチ一本は初めて出会った(ような気がする)。

f0307792_20172295.jpg


[PR]
by sumus2013 | 2018-04-27 20:59 | 古書日録 | Comments(0)

荒海や

f0307792_20160167.jpg
f0307792_20155804.jpg

北陸自動車道のSAやPAには芭蕉の句碑が建っている。上の写真は米山サービスエリア(新潟県柏崎市)の下り線。あまりに有名なこの句が、日本海を背景に設置されていると、やはり写真を撮りたくなる。

 荒海や佐渡に横たふ天の川

元禄二年(1689)六月から七月にかけて芭蕉は

《象潟から酒田に帰つて、又こゝに数日の泊を重ね、二十五日に越後路をさして出発した。羽前と越後との境である鼠の関を二十七日に越え、七月二日に新潟着、三日は弥彦泊、四日は寺泊を経て出雲崎泊。五日は鉢崎泊、六日・七日は今町(直江津)泊、八日・九日・十日は高田泊、十一日は能生[のふ]泊、十二日は市振[いちぶり]泊と宿を重ねた。》(「芭蕉講話」『潁原退蔵全集』第九巻、中央公論社、一九七九年

新潟は素通りしていたのか。それにしても昔の人はよく歩く。

《この間に出雲崎で、
  荒海や佐渡に横たふ天の川
の吟があった。紀行には句だけしか記していないが、別に次のやうな詞書のついたものもある。

 越後の国出雲崎といふ処より沖の方十八里に佐渡が島見ゆ。東西三十余里に横折りふしたり。昔よりこの島は黄金多く湧き出でて世にめでたき島に侍るを、重罪朝敵の人々を遠流[おんる]の地にて、いと恐しき名に立てり。折節初秋七日の夜、宵月入果てて波の音とう〓[繰返し記号]と物凄かりければ、

 句は眼前に日本海の荒波を望み、空には銀河が遠く佐渡が島まで横たはつて居る雄大な景色をのべたのであるが、右の詞書によつても分る通り、この荒海の果に幾多の哀史を秘めた佐渡が島に対して、悲愁の情を籠めて居る事を見のがしてはならない。》(同前)

詞書の文中に七日とあるのは(実際は四日)天の川にひっかけたかという(潁原説)。悲愁の情かどうか……。当然ながら佐渡は見えない、見えないのを見えるかのように詠んだところがポイントだろう。

とりあえずこの日は曇天にて佐渡島は見えず。句碑の説明文にこうあった。

《当時、芭蕉は、北陸路において、新潟、富山、石川、福井と日本海沿岸を行脚し、岐阜、大垣を「奥の細道」の結びの地とした訳ですが、この行程は、北陸自動車道とほぼ同じ道をたどっているところから、これを記念し、芭蕉、北陸路ゆかりの地の近くの当米山サービスエリアに碑を建立いたしました。
(句碑の建立には、柏崎市の御協力を得又碑の書体は書道家、白倉南寉先生による)
   東日本高速道路株式会社》

句碑めぐりなど考えも及ばなかったのだが、休むところどころに芭蕉の句碑があったので写真だけは撮っておいた(芭蕉以外は略す)。

f0307792_20563614.jpg
ふるき名の角鹿[つぬが]や恋し秋の月
(杉津PA下り線)



f0307792_21000038.jpg
むざんやな兜の下のきりぎりす
(尼御前SA下り線)



f0307792_21015072.jpg
早稲の香やわけ入る右は有磯海
(有磯海SA上り線)



f0307792_21041466.jpg
庭掃いて出ばや寺に散る柳
(賤ヶ岳SA上り線)


[PR]
by sumus2013 | 2018-04-23 21:16 | 古書日録 | Comments(0)

新集古書販売目録

f0307792_20142789.jpg

金沢文圃閣で求めた『古今内外の文献蒐集 新集古書販賣目録 古本屋八號附録 銷夏讀書奨励號』(荒木伊兵衞書店、一九二九年七月二〇日)。

開巻一頁目に掲げられている写真二点、「弊店『書芸洞[シヨウインドウ]』と久良岐氏筆暖簾」「弊店洋書部の陳列場と応接室の一部」。

f0307792_20143164.jpg


表紙裏(表2)には店主の一文「内田魯庵先生追悼號(古本屋増刊)發行に就いて」。

《何から何まで、御教示と御鞭撻をいたゞいて居りました私には、丁度生まれて間もない子供が親に先だゝれた氣持ちです。殊に、雜誌『古本屋』は先生に一等可愛かられました。原稿料などは一度もお拂ひした事のないこの雜誌には、お忙しい時でも心よく書いて下さいました。私が月一度の上京を楽しみにして下さつたのも先生です。
今度のはよく出來ましたとほめていただいたのも、こゝはこうした方がよかありませんかと、書斎に積みかさねてある多くの本の中から、さがし出して教へて下さつたのも、今は哀しい思出の一つになりました。》

表紙(表4)には「荒木書店行進曲」の歌詞が掲げられている。作者は吐露平(山本吐露平か)。同書店の様子が細かに描かれていて貴重であろう。

f0307792_20142949.jpg

内田魯庵蔵書売立 魯庵の死は昭和四年の六月末、売立はその九月に大阪で行われました。故人と親しかった荒木伊兵衛書店が委託を受けたのでした。出来高約一万円。書物通として知られた人だけに、蒐書は書誌関係のものが多く、古典籍と洋装本と洋書の混合でした。主力は古本、全体の六、七十パーセントを占めて居りました。》(反町茂雄『蒐書・業界・業界人』八木書店、一九八四年)



[PR]
by sumus2013 | 2018-04-22 20:45 | 古書日録 | Comments(0)

金沢文圃閣

f0307792_20201882.jpg

個展の搬入も兼ねて自家用車で新潟入りした。京都〜新潟は休まず走って九時間ほどだが、とうていそんな元気はなく、途中一泊を金沢で、ということにした。朝、京都を出て名神から北陸道を飛ばし、午後三時前に金沢着。繁華街・香林坊近くの某ホテルにチェックイン。小雨のなかを、何はともあれ金沢文圃閣へ。歩いておよそ二十分。

疏水沿いに閑静な住宅街を抜けて昭和通りの長土塀交差点に出ると、すぐ大きな建物が見え、まず、ガレージに山積する本の姿に吸い寄せられた。時間的に余裕がなかったので、サッとひと回りしただけ。在りし日の水明洞を彷彿とさせる蠱惑的な猥褻ぶり。本はすべて一冊二百円、三冊五百円のようだった。近ければ日参間違いなし。

f0307792_20202936.jpg

f0307792_20203346.jpg

f0307792_20202728.jpg

本店舗の方は書庫、整理室を挟んで建物の反対側の端にある。こちらは、当然ながら、いっそう凄い内容で、ちょい見ではとうてい把握しきれない。本ばかりでなく、資料類(個人の自筆日記をまとめたコーナーも)、紙モノや古道具っぽい品物も所狭しと並んでいて目眩がしそう。とにかく棚をくまなく眺めてはみたが、いちいちブツを確認する余裕もなく、古い古書目録など目についたものだけ数冊買わせてもらった。いやあ、少なくとも二三日は通いたかった。

嬉しかったのはこれ、花田清輝『錯乱の論理』(眞善美社、一九四八年二月一五日再版、表紙繪=岡本太郎、装幀=高橋錦吉)。

f0307792_20204122.jpg

初版の方は、装幀は同じく高橋錦吉ながら、デ・キリコの絵(無限のノスタルジアを使っている。再版では岡本太郎に変わったわけで、印象としてはまったく別の本。いずれ初版も手頃な値段で入手したいと思っているが、まずはこの一冊で大満足。

花田清輝『復興期の精神』(我観社、一九四六年一〇月五日)

f0307792_20203901.jpg
金沢文圃閣の全体観


[PR]
by sumus2013 | 2018-04-21 20:59 | 古書日録 | Comments(0)