林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 853 )

ひゐき

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『ひゐき 昔噺誉曽我』と題された小冊子。タテ約十八センチ。表題の「昔噺誉曽我」初演は江戸中村座で文久四年(元治元年、一八六四)。検索してみると同じ版で下記のPDF画像が見付かった。

芝居番付画像データベース 文久四1864 江戸中村座 絵本

データベース本より本書の方が摺りが荒れているように見える。絵本形式になっており、これは後年の『松竹座ニュース』を連想させるものである。以下の四つの外題の絵が収められている。

昔噺誉曽我(むかしばなしほまれそが)
色直肩毛氈(いろなおしかたのもうせん)
梅桜翠組盞(うめさくらみつぐみさかずき)
東駅名所機(とうかいどうめいしょからくり)


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本書はこの五丁目裏で終り。画像データベース本と較べると刊記(《板元 さるわか丁 つばみ屋米次原正のある一丁が欠けていることがわかる(よって「東駅名所機」の図はない)。惜しい。

ところで「ひゐき」は中国の空想の動物「贔屓」に由来するとか。中国には巨大な柱を背負った亀に似た「贔屓」の石像がたくさんあるそうだが、京都の東寺にも一匹住んでいるようである。

「どうぞ、ご贔屓に」の“ひいき”というのは、実はこれなのですが、ご存知でしたか。

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by sumus2013 | 2018-09-20 20:06 | 古書日録 | Comments(0)

明治の書店票

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大日本レトロ図版研Q所より明治時代の書店票の画像を頂戴したので紹介しておく。珍品ぞろい。まずは育英舎編輯所編『高等小學明治讀本巻八』(阪上半七、明治二十九年十一月十七日発行、訂正再版)の扉に貼付されている和歌山市の宮井宗兵衛本店・支店。う〜む、《厘毛引なしすべて現金》という文言が凄い。検索してみると宮井平安堂は宮井新聞舗として健在であった。

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次は京都の若林春和堂。大槻修二『改正日本地誌要略巻之一』(柳原喜兵衛他、明治十九年五月三十一日出版納本)の奥付頁に貼られている。若林春和堂については平澤一『書物航游』(新泉社、一九九〇年)に詳しい。

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こちらは青木輔清『小學博物指教』(同盟舎、明治十四年初夏)。扉に貼付されているが、書店票ではなく、検印紙であろうか。飾り文字は「蔵書記」、菱形のマークは同盟舎の「同」のようだ。

関場武「明治期の辞書・字典--青木輔清の著作の中から」

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もうひとつ大槻文彦『言海』(大槻文彦、明治二十九年八月十日第十版)に貼られている一枚、これもやはり検印紙?

 ことばのうみ
 ウリダシテガタ
 すりだし
 の
 かぶぬし
 おほつきふみひこ

 印[たひらのふみひこ]

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面白い。こういうのをたくさん集めて図録を作ってみたいものだなあ・・・

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by sumus2013 | 2018-09-19 20:00 | 古書日録 | Comments(0)

きんりん なしのつぶて ピメンタメンテ!

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『きんりん』というフリーペーパーのvol.1(二〇一八年三月三〇日)、vol.2(二〇一八年五月二〇日)、vol.3(二〇一八年八月三〇日)を頂戴した。発行制作はエクリ(Ecrit)デザインは須山悠理。ロベール・クートラスの本を出している版元である。

vol.1古書店「流浪堂」vol.2が喫茶店「かふぇ り どぅ あんぐいゆ」、vol.3が「BAR LAMB」とつづく、いずれも近隣の店について書かれたエッセイ。

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第一号から少し紹介すると、著者は編集と出版を生業としており(vol.1には著者名が記されていない)、その読書歴が披露されているなかに学芸大学駅周辺の古書店が登場する。

《その頃、学芸大学駅にあった古書店は現在創業六十年を超える「飯島書店」と、駅前の第一ストア内にあった「ミネルバ書房」の二軒だった。大学生になってからは、この二軒で売買両面のお世話になった。村田書店という店も三谷通り付近にあったらしいが、私には記憶がない。》

《二十年以上読み続けて保存していた漫画雑誌「ガロ」を手放すことにした。引き取り手は学芸大学駅で三軒目の古書店「伊藤書店」。本格派で古書店の王道を行くという品揃えの店で、主人の風貌もどっしりと寡黙。主人は無言で紐掛けし手早く運び出していった。》

学芸大学駅四件目の古書店、流浪堂の開店は二〇〇〇年四月。開店早々の古書店に入るのは、ここが最初だったかもしれない。三十代前半と思われる二人の男性が交互に店番をしていた。

とあって以下流浪堂との交流がつづられているが、それは略す。


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もう一点、古本屋のフリーペーパー『なしの[つぶて]』#001(古本もやい 礫荘、二〇一八年七月)。

《これは、新潟市蒲原町「古本もやい」の店主3人の、今の気分を投げかけるための自由紙です。/「古本もやい」とは……? ライフスタイル・詩・随筆・小説系の沼垂テラスの古本屋「フィッシュ・オン」の三原フィッシュさん/ホラー漫画・怪奇系のネット古書店「書誌鯖」の石田青年=鯖くんまたの名をもやいくん/インディペンデントなアートブックから陶器まで「もやいのポンコタン」の堤ポン子/この3人で日本海に舫っているお店です。

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新潟に新しい古本屋ができていると聞いたのはこの方々のことだったか。京都市左京区にある「モアレ(ナイスチョイスストアー)」が記事として紹介されている。

追加でもう一点、別の方から頂戴した『Pimentamente!』(Camarão de Ganso、二〇一八年五月五日)。「ピメンタ」はポルトガル語で「唐辛子」のことで「ピメンタメンテ」で「唐辛子的に」というつもりの造語だそう。

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注目は「ピリッとインタビュー 古書日月堂 佐藤眞砂さん」。『蒐める人』でもハードな発言をしておられたが、こちらはもっと一般向けに分かりやすく同じことを語っておられる。

《Pーーこれを買おうとか、これを店で売ろうとか、という選定の基準はどういうところにあるんですか?
Mーー私が面白いと思うかどうかですよね。
Pーー以前はきれいとか、かわいいとかで、買っていたけれども、今では…
Mーーいや、きれいで、かっこいいは、まあ言ってみれば、必須条件ではあります。それにプラス、意味合いがどこまであるか。きれいかっこいいだけでは私を食べさせてくれる値段がつけられないので、きれいかっこいい、そして意味があるもの。やはりどんどんハードルは上がっていく。

《ほんとこの22年間、どれだけ悔しい思いをしたかって、一番悔しかったのは、市場で、これは自分が買わなければいけないんだって思うようなものが出てきたときに、お金がなくて入札できないので、自分の頭の中だけで入札して、結果を見たら、実際札入れしていれば落札できてたのにっていうーーこんなに悔しいことはないです。》

アスリートか勝負師みたいな発言で、ちょっと感動的である。

これら三点ともにA3の紙(紙質はそれぞれ全く違う)裏表に印刷して折畳んである。A5判で八頁ということになるが、これだけのスペースでかなりの情報を詰め込むことができるもんだなあ、と感心した。

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by sumus2013 | 2018-09-11 17:20 | 古書日録 | Comments(0)

しのび笑い ふらんす

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『ふらんす 臨時増刊 しのび笑い sous-rire』第三十二巻第三号(白水社、一九五七年二月一〇日)を頂戴した。エロチックな小話集である。訳註は田辺貞之助。表紙と挿絵はトバ・ショオ。本名は大田耕士(1909-1998)。検索してみると、太陽美術協会会員、日本教育版画教会を恩師の恩地孝四郎や平塚運一らとともに創立した版画家。宮崎駿監督の妻・宮崎朱美の父らしいということが分った。

そんなに感心するような小咄はないにしても、それぞれにフランス人の生活が反映されているのは間違いない。ひとつだけ引用しておく。

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Les langues vivantes

Papa surprit son fils, collégien de quatorze ans, en train d'embrasser la petite bonne: Il se fâche:
ーーTu aurais bien mieux d'étudier ton grec et ton latin.
ーーEst-ce ma faute, répond le fils, si j'aime mieux les langues vivantes que les langues mortes?


生きているラング

十四になる中学生の倅が小さい女中に接吻しているところをパパがみつけた. 彼はおこって,
ーーお前はギリシャ語やラテン語を勉強してた方がいいんだ.
 すると, 伜が答えた.
ーーけれど, 僕が死んだラングより生きているラングの方が好きでも, 僕がわるいんじゃないよ.


・・・とこれは日本語で読んでもピンとこない。ラング(les langues)には「舌」と「言語」というふたつの意味があるからシャレになる。これを翻訳するのは難しい。似たような駄洒落で切り抜けられればいいのだが、ちょっと無理そう。ま、この雑誌の読者はフランス語を学ぶ人たちだろうから「ラング」でもいいという判断か。

女中ネタはいくつもあって必ず主人や息子と仲良くなる。女中は「bonne ボンヌ」。挿絵の女中は以前紹介したベカシーヌと同じような恰好をしているが、それは相当に古風であろう。

フランスの漫画『ベカシーヌ』

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by sumus2013 | 2018-09-10 20:58 | 古書日録 | Comments(0)

檸檬/万置き

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梶井基次郎『檸檬』(日本近代文学館、一九七三年一一月一日四刷)。

本の虫の本』で能邨陽子さんが「檸檬」について書いておられるなかに聞き慣れない単語があった。

《店になにか勝手に置いてくる、という意味でのいわゆる「万置き」的行為を初めて知ったのは、大島弓子の作品の中でしたが、調べてみれば、「万置き」は今は「万引き」の対義語として独り立ちし、海外では(日本でも?)自己表現的なアート活動の一環としても捉えられているとのこと。

万置き」とは……。実際に能邨さんが勤めておられる恵文社一乗寺店ではどんなものが置かれたのかというと、もちろん「檸檬」!《覚えている限りでこれまで二度レモンが置かれていました》。ミニカー、リボン、ネックレス、購入予定書の一覧メモ、フライヤー、ステッカー、表に植木鉢(つまり「捨て鉢」です)。

《最近はこんなイタズラめいたことも少なくなり、なんとなく寂しいような気も。あの美しいレモンイエロウを棚に見つけた日を懐かしく思います。》

ちょこっと検索してみると、自費出版の本を勝手に書店に平積みした人物もいるようだ、気持は分らないでもないが……。

瀬山の話

梶井基次郎全集


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by sumus2013 | 2018-09-05 21:21 | 古書日録 | Comments(0)

日本文学の諸問題

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中野重治『日本文学の諸問題』(新生社、一九四六年五月二五日、装幀=花森安治)。

本の虫の本』の本文最後の項目「本とつきあう法」に岡崎氏が中野重治のことを書いている。なかなか印象的なエピソードが選ばれていてさすがだと感心する。まず、中野の著書『本とつきあう法』(筑摩書房、一九七五年)の「本とつきあう法」で語られる獄中体験。昭和三年春、香川県善通寺市の留置所に入れられた中野とその「相棒」に巡査が親切で雑誌を差し入れてくれた。

《中野はその一冊を二つに割って、相手に渡した。「それから取りかえて二人は広告の文字まで残さず読んだ」という。それは「二人腹ぺこでいるところへ握り飯が一つはいってきて、いきなりそれをぱっと二つに割ってそれぞれに食い、それから、指についた米つぶ」まで食べるようなことであった。読むことは、食べることと「肉体的に似ている。」》

中野が二十六歳になったばかりの頃だ。同人雑誌『驢馬』に発表した作品で認められていた。昭和三年三月はナップが結成された年で中野も参加している。香川県で捕まったのなら「相棒」は壺井繁治かと疑いたくなるが、中野やその周辺については全く詳しくないので、あてずっぽうもいいところ。いずれにせよ読書への飢餓感が如実に伝わってくる描写だなあと今更ながらに感心した。『本とつきあう法』は青山二郎の模様をカバーに使っているので以前は架蔵していたのだが、もう随分前に処分してしまった。また読みたくなった。

もうひとつ、岡崎氏は中野の執筆者としての「態度」について指摘している。澤地久枝が中野重治・原泉夫妻の書簡集『愛しき者へ』(中央公論社、一九八三年)をまとめる仕事をしたときに知ったこと。

《中野は「初出時の間違いを、再度の全集編纂のときにも、もとの間違いのままおかれていた」というのだ。
 初出の原稿執筆時での間違いは誰でもある。単行本化や、全集へ再収録する際に、指摘された間違いの個所は直す。初出に当たらない限り、間違った事実は消える。しかし、中野は赤字で文章に手を入れることをしなかった。》

補注で訂正はするが「間違えたそのことを大切にするきびしさが中野さんの文学者としての資質の根底にあった」と澤地は書いているそうだ。これはなかなかできることではない。文筆に携わる者の端くれとして、とうてい真似はできないが、心にとめておくべき態度である。

ということで手近にある中野本を出してみた。本書『日本文学の諸問題』もなかなか激しい内容だ。例えば「子供のための文学のこと」より(原文は旧漢字)。

《日本の文学者は、特に子供のための文学の作者、童話作家、児童文学者らは、その仕事の本質が、子供の感じ方、考へ方に対する教師である点にあることを十二分に知らねばならぬ。それは大人のための文学の場合よりもずつと直接さうなければならぬ。

《作家はそこで、直接教師として乗り出さねばならぬ。直接、教師として。そのため作家には大確信が生まれてゐねばならぬ。
 確信は知識に関するものではない。知識にも関係はあるが眼目ではない。眼目は子供たちの品性の陶冶、真、善、美に対する健全な感覚の育成といふ点になければならぬ。正しいものをそのものとして認識し、正しいものを正しく、美しいものを美しく定着させて行く仕事能力を子供の中に養ふこと、これが教師たちの確信の主要眼目でなければならぬと思ふ。》

本書全体から革新の熱気が放射するようなのだが、戦中の状況に対するバネが強すぎて、却って戦中と似たような口調になってはいないだろうか。昭和二十年十一月、中野は日本共産党に再入党し、二十二年から三年間参議院議員も務めている。まさに人民の教師となった時期の文章。日本共産党から除名されるのは昭和三十九年である。

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by sumus2013 | 2018-09-04 20:50 | 古書日録 | Comments(0)

虫めづる姫君

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『堤中納言物語』(大槻修校注、岩波文庫、二〇〇二年二月一五日)。このなかによく知られた「虫めづる姫君」が収められている。

本の虫の本』にムシブンコさんがこんなことを書いておられるので思い出した。

《「虫」はマムシを指す象文字で、「キ」と読んでいた。それを三つ合わせた「蟲」のほうは「チュウ」と読み、足のない虫をさす「豸〈チ〉」に対して足のあるものをさす文字だった。また虫を二つ並べた「虫虫」という字もあって、これは「コン」と読んでいたが、やがてその「昆虫の総称」という意味に「蟲」の字があてられるようになったため、忘れさられてしまった。また、「蟲」は画数が多く場所もとるため、省画されて「虫」の字が代用されるようになり、それにつれてこの字本来の意味や音も消えてしまった、ということらしい。
 明治四十一年の『漢和大辭林』には、「人類、禽獣魚以外の生き物の総称」というふうな記述もある。》

なるほど「虫めづる姫君」が好んだ「虫」の種類がさまざまだった理由が納得できる。ざっと挙げてみると

かは虫 毛虫
いぼじり かまきり
かたつぶり 蝸牛
けら おけら
ひき[ひくさのテキストも] ヒキガエル
いなか ?(いなご
いなご (バッタ?)
あま やすで

そして「くちなは(蛇)」も登場。やんちゃな「上達部のおほむ子」が姫にいたずらを仕掛ける。

《この姫君のことを聞きて、「さりとも、これにはおぢなむ」とて、帯のはじのいとをかしげなるに、くちなはのかたをいみじく似せて、うごくべきさまなどしつけて、いろこだちたる懸袋かけぶくろにいれて、結びつけたる文をみれば、
  はうはうも君があたりにしたがはむ長き心のかぎりなき身は
とあるを、なに心なく御前にもて参りて、
 「袋など、あくるだにあやしく重たきかな」
とてひきあげたれば、くちなは、首をもたげたり。人々、心をまどはしてののしるに、君はいとのどかにて、「南無阿弥陀仏なもあみだぶつ、南無阿弥陀仏」とて、「生前そうぜんの親ならむ。なさわぎそ」とうちわななかし、
 「かろし。かやうになまめかしきうちしも、けちゑんに思はむぞ。あやしき心なりや」
と、うちつぶやきて、ちかくひきよせ給ふも、さすがに恐ろしく覚え給ひければ、立ちどころ居どころ蝶のごとく、せみ声にのたまふ声の、いみじうをかしければ、人々逃げさりきて笑ひいれば、しかしかと聞こゆ。》

 □一字欠

生前の親ならむ》(前世の親にちがいない)という虫姫の発言はなかなか。皆が騒ぐので、どうしたどうしたと、父親の按察使大納言が刀をもって駆けつけ、よく見たら《いみじうよく似せてつくり給へり》、なんだ本物そっくりの作り物じゃないかということで、一件落着。

《「かしこがり、ほめ給ふと聞きてしたるなんめり、返り事をして、はやくやり給へよ」》、お前がやたらと虫をほめるからこんなことをされたんだろう、返事しとけよ、と言われて

 契りあらばよき極楽にゆきあはむまつはれにくし虫の姿は福地の園に

と片仮名(女性のつかう草仮名はまだ書けなかったらしい)で返事をしたためた。その返事を見た右馬寮の次官はこの娘はどんな姿をしているのか見に行こうぜと、仲間たちと女装をして出かけ(まったくヒマな連中だ)、草木の陰から虫めづる姫をうかがう。

《簾すだれをおしはりて、枝をみはり給ふをみれば、かしらへ衣着きぬきあげて、髪もさがりば清げにはあれど、けづりつくろはねばにや、しぶげにみゆるを、眉いと黒く、はなばなとあざやかに、すずしげにみえたり。口つきも愛嬌あいぎようづきて、清げなれど、歯黒めつけねば、いと世づかず。「化粧けそうしたらば、清げにはありぬべし。心うくもあるかな」と覚ゆ。》

意外なことに、髪は櫛が入ってなくて艶がないが、黒い眉が色白の顔に映えて可愛い子じゃないか、でもどうしてお歯黒をしてないのか、もっと美人になるのに、残念だな、というような感想をもった。冒頭部分に彼女の眉は毛虫のようだと書かれている。ふつうは眉を抜いて眉墨をつける習慣だったが彼女はナチュラルメイクが好みだった。

《眉さらにぬき給はず、歯黒め、さらにうるさし、きたなしとて、つけ給はず、いと白らかにゑみつつ、この虫どもを、朝夕あしたゆうべに愛し給ふ。》

……この時代(平安末から鎌倉初期の成立とされる)には少女でもお歯黒を付けるのが当然だったのか。江戸時代の遊女は緑のリップだったそうだし美的感覚なんてどうにでも変わるもののようである。そうそう二十世紀末にはガングロっていうファッションもあったっけ。

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[コトバンクの画像を借りました]



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by sumus2013 | 2018-09-02 20:48 | 古書日録 | Comments(0)

魔群の通過

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以前かわじさんから頂戴した古書目録のうちの一冊、『近代日本文学の稀覯本をあつめて 初版本/限定本 古書逸品展』(日本橋三越、昭和五十二年八月)。かわじさんのコメント付き。

《もう最近では文学書も目録から消えようとしています。S52年にはデパートでこんなものをやっていた時代があったという資料ですねえ……いまとなっては》

『武蔵野』『十二の石塚』『蓬莱曲』『高野聖』が巻頭一頁目、つづいて夏目漱石初版本一括、『月に吠える』『破戒』『あこかれ』『一握の砂』『悲しき玩具』……とたしかに教科書通りの感じである。

で、その四頁目にこんな図版が載っていた。一昨日話題にした『魔群の通過』オビ付き!

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《218 魔群の通過 三島由紀夫著/昭和二四年刊 一冊 一五〇,〇〇〇
河出書房刊 初版 帯付。表題作他一一篇の小説と戯曲を収録 ビアズレー風の画を緑色で描いた表紙、高橋錦吉装。黄色の帯は珍しい。極美。写真版参照。》

昭和五十二年では極美で十五万だから、高額伝説(新車が買えるとか)からすれば、そう高いというわけではない。お買い得な一冊だったか。

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by sumus2013 | 2018-08-29 17:37 | 古書日録 | Comments(0)

地図と領土

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Michel Houellebecq『La carte et le terrritoire』(Flammarion, 2010)なんとか読了。フランスの友達が送ってくれた。面白かったから読んでみて、写真家が主人公だよ、と。検索してみるとミシェル・ウエルベック『地図と領土』(野崎歓訳、ちくま文庫、二〇一五年)として翻訳されている。

ミシェル・ウエルベック(本名ミシェル・トマ Michel Thomas)、一九五六年(五八年とも)にレユニオン島(La Réunion マダガスカル島の東方にあるフランスの海外領土)のサン=ピエールで生まれた作家、詩人、エッセイスト。本作によって二〇一〇年のゴンクール賞(フランスの芥川賞みたいなもの)を受賞、二〇一五年にはその全作品に対してBnF賞(二〇〇九年にフランス国立図書館によって創設された文学賞)が授けられている。二〇一五年に刊行した第六作『Soumission 服従』は二〇二二年フランスにムスリムの大統領が誕生するという近未来政治SFだが、発表当日(一月七日)にシャルリー・エブド事件が起きたことで話題となった。日本でもニュースの時間にこの小説についての報道があったと記憶する。ウエルベックの古書価としては、小説はまだそう高くはないが、少部数の詩集『La Poursuite du bonheur』(Editions de la Différence, 1991)あたりは1500ユーロほどもしている。

エンタテイメント系の描写に純文学的な味付けのある不思議なタッチ。文章は軽くてダラダラしており理屈っぽいところもあってスカッとはしないけれども、長い冬を暖炉の脇で読むならこんなものでもいいかなというような感想を持った。

内容もちょっと不思議。自分自身の出自が色濃く投影されているのは間違いないだろう。一言で表せば一人の写真家の成功物語。写真家としてスタートするが、ミシュランの地図を撮影して作品にするという手法で認められる。次に絵画に転向、有名無名の働く人を描いてこれまた大成功。最後は森を無作為に延々と撮り続けるヴィデオ作家として生涯を終える。

その間に恋愛あり、別れあり、引退した有名作家(ウエルベックの名前で登場)との交流と事件があり、父の死がある。フランスの美術界(画家や画廊の活動)がどのような仕組みになっているか、ごく一部分ながら、覗けるようで参考になった。

しかし一番引き込まれたのは文中に登場するパリの街路の名前である。ウエルベックは相当な古本通と見た。というのは、前半のパリが主な舞台になっている物語の展開のなかで登場人物の住んでいる場所(通り)のすぐそばには必ず古本屋があるのだ。

主人公ジェドが住んでいるのはゴブラン大通り、ロシア人の恋人オルガが住んでいるのはギュイヌメール通り、二人が初めて食事するレストランはアラス通りヴァヴァン通りのカフェも出てくればサン・シュルピス広場も登場する。ジェドの専属画廊があるのは国立図書館の近所、などなど・・・・とは言え、パリには古本屋が多いだけという見方もあるか、はは。

とにかくそういう細部(例えば、自動車だとか、ワインだとか、レストランなど)に意味あり気な描写を惜しまないブランド小説、こだわり小説とも言えるし、そこが軽いとも言える。作中人物が読んでいる本も、ペレック、ドリュー・ラ・ロシェル、ネルヴァル(……とこれまたパリをうろつく作品を残した作家たち)と、これはなかなかいい趣味してる。

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by sumus2013 | 2018-08-28 21:12 | 古書日録 | Comments(0)

本の袋

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クリアファイルから「本の袋」を取り出してみた。というのは、こちらの記事を読んだから。


これらはたしか在りし日の水明洞で買ったもの。百円均一の箱のなかにまとめて何十枚も出ていたのだが、一枚百円なので、全部買い占めるわけにもいかず、結局、びわこのなまず先生らと分け合うようなことになった。上の写真に写っているのは以下の六点。

・『博物新編』再刻全三冊 明治五年
・皆川淇園『習文録』二篇 五車楼 明治九年
・『文章軌範文法明辨』武蔵屋惣五郎
・『高等/小学 漢文記事論説文例』二冊 山中書屋 明治十五年
・漁洋王士正『古詩平仄論』宝書閣 明治二十七年
・斎藤昌三『句集 前後三十年』青燈社 一九四三年

袋というのは徳川時代後期から存在していたようだ。

《江戸後期には紙袋で覆って売り出すようになってくるが、その外袋にも書名が入る。たいていは見返しと同じ版であることが多い。ただし、この袋はなかなか残らない。袋つきのまま今日まで保存されているのはほんの一部で、市場にもめったに出ないものである。》(橋口侯之介『和本入門』平凡社、二〇〇七年六刷)

《江戸時代に書店で売り出すときは、書名などを印刷した外袋でくるむことを紹介したが、これは店先での商品の飾りのようなもので、袋とはいうが、上図の右のように本の周りをぴったりくるむ形である。そのため買った人が読むたびにはめたり、はずしたりするのは不便である。とくにはめるときは苦労する。せっかちな江戸っ子が毎回これをやったとは思えず、ほとんどは買ったあと捨てられてしまったのではないだろうか。》(同前)

本より袋の方が価値があるわけだ。帯にもそういった珍品があるらしい、『本の虫の本』にはこうある。

《三島由紀夫の『魔群の通過』(河出書房、一九四九年)は帯紙付美本が八十万円、帯なしは数万円。こうなると、本より帯のほうが価値があるといっても過言ではない。》(オギハラフルホングラシムシ「帯と函」)

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ここにあるのも、橋口氏の書いておられる通り、文字通りの「袋」ではなく、くるみ紙である。日本流(中国には?)ダスト・ジャケットと言っていいだろう。糊をはがしていないものも二点ある。タイトルからして二冊か三冊まとめて包んでいたらしい。

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ただ、最も新しい斎藤昌三『句集 前後三十年』は、文字通りの「袋」。目下「日本の古本屋」に四点出品されているが、袋付と明記してあるのは二点のみ。

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読者の方よりコメントいただいた。

明治期のもので底つきの「袋」は、やはりあんまりなさそうですね。帯もなかなか手に入りませんが、松本昇平『出版販売用語の始まり』(1992年初版 ビー・エヌ・エヌ)をみると「明治三十三年、民友社が『自然と人生』につけたのが元祖である。」とありますので、意外と古くからあるものなのだなぁ、と思いました。買い切り制で定価販売も強いられていなかった頃は専ら白地で、委託制になってから色地のものが出始めた由。

また橋口氏はこうも書いておられる。

《本を大事にした人は、この袋に裏打ちをするか、厚い紙に袋の印刷部を貼り込んで本をくるみ、笹爪[ささづめ]といわれるこはぜ[三字傍点]のような爪で、合わせ目を止めるように作り直した套[たとう]を作っていた。これは書店側で用意するのではなく、所蔵者が作ったようだ。
 これをさらに厚く硬い紙(たいていはボール紙)に裂[きれ]を貼り合わせて、象牙などで作ったこはぜ[三字傍点]をつけたものを帙[ちつ]という。中国では古くからあったが、日本では基本的に明治以降になって普及した。現代でもこれをあつらえることが多い。》(『和本入門』)

日本では基本的に明治以降になって普及した」とは知らなかった。植村長三郎『書誌学辞典』の「チツ」の項には以下のように説明されている。

《安斎随筆に「帙子と帙簀と異なり、二つ共に書を包むものなり、漢土より来る書のぢすは紙を厚くのりして重ねて芯にしたる物なり、表も紙、或は羅、絹など用ふるなり、此方の帙簀は簾を心にして表を錦、綾にて包むなり」とある。》《図書が冊子形となつても、数冊を同時に包むために帙を使用するが上述安斎随筆の内に見える漢土より伝来のものが現代広く用ひられつつある帙である。紐は爪に進歩し、簀は何時しか廃れてボール芯に置替へられ、布貼りのものとなつた。》(植村長三郎『書誌学辞典』教育図書、一九四二年)

ぢすは帙の古語、源氏物語などですでにこう呼ばれている。植村の現代広く用ひられつつある帙である」という表現もちょっと引っ掛かるが・・・、安斎随筆(伊勢貞丈, 1717-1784, の随筆)の時代には厚紙の帙も使用されていたのではないだろうか。実際、田能村竹田(1777-1835)らの絵を見ても明らかに帙に包まれた書物が描かれている(李朝の文具図では本がきっちりと帙に包まれているのは印象的)。まあ、橋口氏の言うところは「広く普及した」という意味かもしれない。

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by sumus2013 | 2018-08-27 21:39 | 古書日録 | Comments(0)