林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
巴里アンフェール
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
猛暑です。どうぞお気にな..
by sumus2013 at 09:48
見に行けず聞きにも行け..
by arz2bee at 09:43
岩田さんとも、久しくお会..
by sumus2013 at 17:33
暑中見舞い申し上げます。..
by 岩田 at 09:48
東海鯤女九歳! なるほど..
by sumus2013 at 07:21
落款は、こうは読めないで..
by epokhe at 06:23
助かりました。検索するに..
by sumus2013 at 21:46
狂草と言うのでしょうか。..
by epokhe at 21:20
フィル・スペクターの功罪..
by sumus2013 at 07:41
最初の「刷り込み」のため..
by 某氏です。 at 22:55
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
ルーベンスの故郷、ヨーロ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
視聴率に関係なく選んだ2..
from dezire_photo &..
宝石のような輝をもった印..
from dezire_photo &..
ルネサンス美術の巨匠・ピ..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
過去に来日した傑作を回顧..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:古書日録( 830 )

古本と古本屋

f0307792_14251561.jpg

『古本と古本屋』追号五十一号、改題第十輯(一輪草舎書屋、昭和九年十一月十日)を頂戴した。表紙とも二十頁、謄写版刷り。しかも見事な出来栄え。発行所は一輪草舎書屋、発行編集兼印刷が富樫栄治、大阪市西成区粉浜東之町三ノ八八。

富樫栄治については坂本秀童子氏の『謄写技法』第六号に記事が出ているようだが、今、手許に置いていないので残念ながら参照できない。ただ、八木書店のHPにこんな記事が出ているのを見つけた。

「大阪古本通信」を譲り受ける 【紙魚の昔がたり4】

本書に「改題」とあるのは「紙魚の昔がたり」で言及されている『大阪古本通信』を改題したということかもしれない。富樫がアッサリ八木に『大阪古本通信』を譲り、その後始めたのがこの『古本と古本屋』になるのだろう。表紙裏には弘文荘の訪書会編『紙魚の昔がたり』(訪書会が催した座談会の速記記録とのこと)の広告が出ている。

二十頁ほどながら内容がかなり濃い。反町や八木がいっしょにやろうと持ちかけたのも納得できるレベルである。

巻頭「古本と古本屋の会」座談会、この出席者がすごいので書き留めておく。

鹿田静七 松雲堂
松本政治 中央堂
吉村長七 九州堂
八木敏夫 日本古書通信社
豊仲鍬之助 民俗文献社
藤井稔也 皇典社
尾上香詩 蒐文洞
藤堂卓  公立社
玉樹芦城 香文房
三浦良吉 其中堂
朝倉清  朝倉書店
杉本要  梁江堂
伊藤一男 カズオ書店
石川留吉 清和堂
高尾彦四郎 書林・高尾彦四郎
武藤米太郎 天牛第二書房
寒川喜一 鈴の屋書房
富樫栄治 主催者

出席者が多く紙数が限られているため、ちょっとまとめにくいが、古本ブームになっている様子が感じられる。ここでは高尾彦四郎の嬉しかった話を引用しておく。

《一番嬉しいのは、誰にも顧みられないで店の隅や、よりどり十銭の山の中から拾ひ出して来て、それも古本屋としての勘を働かし買つてきた仮綴本の薄つぺらなものを、目録なんかに発表して世に問ふてみます。それが識者に見つけられて悦んでいたゞく時でせうね。曽て、菊池大麓の著した「数理釈義」といふ本を買つてきて目録にのせたら註文殺到でした。思はず、嬉しさが込み上げてきて、ほんとうに古本屋としての誇りを感じ、使命の大きいのを知りました。》

「紙魚泡語」(無記名)
其中堂書店が宇治黄檗山にある鉄眼一切大蔵経の印行権を京都の貝葉書院から買い取ったとか、京都のHとかいう古本屋が刊記のない本に刊記を書き入れて古版本にして売っているとか、秋は大市が続くという話題(西宮の大市、緑友会、京阪神同人会、此花倶楽部、新興同人会、京都・大阪の連合大市会など)。

「日本最初の外字新聞」 原野泉

「名古屋古本屋案内(二)」 貴島生

「古本屋歌懺悔」 林吉之助
《著者・林吉之助氏は奈良県郡山町二丁目にあつて詩歌書を専門とす古書肆を経営、元、教職にあつた人。現在、月刊短歌誌「閑野」を発行。》……林書店という店のようだ。検索してみると自分のブログに書いていた。林書店は柳よし雪(矢倉年)『新民謡集青い手帖』の発行所。

「古本屋人と語る 高尾彦四郎氏の巻」

新刊紹介 『古本年鑑』1943年版

業界控帖

寄贈書誌 古書目録が多いが業界誌として『日本古書通信』とともに『日本古本新聞』という媒体があったことが分る。

広告 訪書会編『紙魚の昔がたり』、二六書房の目録『ホンヤ』第二号、天牛本店「古本売買」、書林高尾彦四郎「左記雑誌を求む」

定価一部金拾銭(送料五厘) 一年分一円二十銭

[PR]
by sumus2013 | 2018-07-19 16:30 | 古書日録 | Comments(0)

地球の水辺

f0307792_20434710.jpg

七月十一日、水雀忌。まる十年になる。以倉紘平『地球の水辺』(湯川書房、一九九二年一〇月二〇日、装幀=加川邦章)。今年になって某書店で入手、どうしてこんなに安いのか、と思ったら、おびただしい書き込みがあった。ただし、鉛筆書きなので消そうと思えば消せる。

f0307792_20494866.jpg

カバーは湯川さん(=加川邦章)得意の三方折り被せ

f0307792_20533304.jpg

カバーの文様は、和紙の上に筆などで絵具を垂らして作っている。事務所で現物を見せてもらったことがある。『政田岑生詩集』にも同じようなドリッピングのカバーを使っているから、これもまた湯川好みであろう。『政田岑生詩集』の画像を探したのだが、見つからなかった。これまでアップしていなかったか(ググッてみても出てこないのは寂しい……)、いずれ取り出してきます(今すぐはちょっと無理なので)。

f0307792_21111053.jpg


[PR]
by sumus2013 | 2018-07-11 21:05 | 古書日録 | Comments(2)

凡愚問答

f0307792_20012857.jpg

f0307792_20013204.jpg

辰野隆『凡愚問答』(角川新書、昭和三十年十二月十日)。サイン本を頂戴した。深謝です。石崎大人とはどなたか?

新聞に連載されたもののようだが、発表紙が何なのか明記されていない。一回の分量は短いので読みやすい。「百回目」という文言が見えるものの、収録されているのは八十二篇。タイトル通りに毎回、主人と誰かとの問答形式である。例えば「太宰治の死について」。

《老書生は、立春後の寒さを恐れて、今日も炬燵から離れない。「永遠の炬燵か」といいながら心やすい間柄の教育家が部屋にはいって来て、これも炬燵にもぶりこむ。「何を読んでるんです」と訊ねる。老人は、太宰治の「如是我聞[によぜがもん]」を黙って、さし出す。
ーー変なものを読んでますね、そろそろ黴が生える時分に。由来、太宰にしろ、武田麟太郎にしろ、織田作にしろ、揃いも揃って、フランス文学畑で、三人とも中途退学組ですね。例外なく、薄志弱行の輩だ。あなた方の教育がよろしくなかったのでしょう。責任がありますね。
ーー彼等がいずれも中退して、卒業まで辛抱できなかったことが、実は、我々の教育が如何に厳正であったかを立証するものだ。フランス文学以外の学科では、平凡無為の学生たちがすこぶる楽々と卒業するのに、一度我等の道場の秋霜烈日のディスシプリンの下に置かれると、彼等三者のごとき相当の秀才でも、居たたまれずに逃げ出した、と認める方が正しい見方だ。

仏文中退と作家としての大成には直接の関係はあまりないような気もするが……。太宰の自殺に話は移る。

ーー桜上水に飛び込んだのでしたね。
ーーその上水の地下水がうちの井戸にも流れて来ているらしいので、太宰心中の当座は、ふだん旨い水も、何となく生臭いような気がして、気味が悪かったよ。間違って肥溜めにでも落ちてくれると、肥料[こやし]になったろうに。要するに、心中は、思想の問題でも、感情の問題でもなく、その時の神経の問題だろう。

ちょっとこれは酷な意見ではあるが、《何となく生臭いような気がして、気味が悪かった》というところにはリアリティがある。これこそ《神経の問題》ではないだろうか。

日本語のうまい外人という話題も面白い。二回続き、「カンドー神父と盆丸氏」と「失敬しました」。辰野が挙げているのは、まず石神井神学校の校長カンドー神父、イタリー大使館のガスコ、フランス大使館のガロワやボンマルシャン。そして母親が日本人(仙台藩士の娘)だったブリンクリー君は《明治時代の、かって在りし我等の調べを》持ったしゃべりっぷりだったそうだ。アテネ・フランセーの教師マレスコ君も達者なものだった。《落語も衰えたもんだなあ。この頃の「しか」の話しっぷりの拙さ加減たら、箸にも棒にもかからねえや》などという調子だったそうだ。

あとがきから少し引用する。辰野、意外にも、中学生時代にはスポーツに明け暮れて学科には全く興味がなかった。

《文学に興味を持ちはじめたのも、高校の二年になってからだから、既にスタートが後れていた。文学が好きになっても、物を書きたいという野心は全く起らなかった。ただ多く読みたい熱意をその頃から抱いて、それが今まで続いているわけだ。今でも頼まれたり、すすめられたりすれば、書くが、書いた後で、たのしいと思ったことはほとんどないな。やっぱり、読むだけで生計が立てば、読んでいたいと思う。それだけなら極楽だ。》

極楽、極楽。



[PR]
by sumus2013 | 2018-07-08 20:46 | 古書日録 | Comments(0)

都名所図会

f0307792_19551151.jpg

『日本圖會全集二期第一巻 都名所圖會』(日本随筆大成刊行会、昭和三年九月三十日)。京都ネタに、と思って均一から拾っておいた。京都ではもう祇園祭の準備が始まっているので、まずは「祇園會の祭式」の図版を掲げておこう。

都名所図会

本書の記述によれば、祇園祭の日程は以下のようになる。旧暦。

五月朔日の致齋[ちさい]より《四條御旅町に榊を立つる》、五月二十日の吉符入より《鉾の町々には囃子初めあり》。五月晦日、神輿洗《御迎え提灯練物の行装艶々として洛東の賑はひなり》。六月朔日、鉾の兒[ちご]祇園参。六月五日、鉾の引初。六日、山鉾行列のクジ取り(行列の順番のくじ引き)、夕方より宵宮飾り。七日祇園会卯の刻より山鉾列を正し、四条通りより京極を南へ、松原を西へ引渡すなり》。未の刻より祭礼。八日からは十四日の山鉾の営みあり。十三日クジ取り。十四日の山鉾は《三条通りを東、京極を南へ、四条を西に引渡すなり》。神輿の祭式は、御旅所より四条を西へ、東洞院より神輿は南北へ引別れて渡り給ふ。三条の西又旅社にて同列し、三条を東へ還幸し給ふなり》。十八日は御輿洗《祇園鴨川のほとりは竹葦の如く群をなせり》。

  鉾に乗る人のけはひも都かな 其角

f0307792_19551647.jpg
f0307792_19551805.jpg



f0307792_19552082.jpg
f0307792_19552202.jpg
f0307792_20214635.jpg

「祇園會の祭式」の直前の項目は「龍池山大雲院」。それを読むと、大雲院の什宝のなかに法然上人の一枚起請文があって、そこには一休和尚の画讃がある、達磨大師が後ろを向いている画。そしてちょっと変わった讃文。

 達磨悟りたりといふきやつめが胸にかす
       へんてつもなきあばらねかな
 九年までざぜんするこそむやくなれ誠の時は弥陀の一声 
                       一休判

なお、知恩院布教師会発行の『ことばの華』では多少文言の異なる「九年まで坐禅したこそ悔しけれまことの時は弥陀の一声」を良寛の作としている(https://jodo.or.jp/fukyoshikai/kyoka/doueika_07.html)。

どうです、一休の歌も相当ヒネリが利いているいるでしょ。一休と良寛、いつからか子供と結びつけられているけれど、子供たちは諧謔を愛す、という理解でいいのかな・・・

[PR]
by sumus2013 | 2018-07-03 20:49 | 古書日録 | Comments(0)

ゼフィルス

f0307792_17365790.jpg

平山修次郎『原色千種續昆蟲圖譜』(三省堂、昭和十二年六月五日)。以前原色千種昆虫図譜』を紹介した。その続巻。先日、FBに時里二郎さんが次のように書いておられたので「ゼフィルス」を調べて見たのだ。

俗に〈ゼフィルス〉と呼ばれるミドリシジミ族のチョウは、森に棲む。樹上で生活するチョウ。この国には25種いる。共通しているのは、年に一回、初夏から盛夏にかけて現れ、卵で越冬する。面白いのはほとんどが、この雨季すなわち梅雨の頃に出現して雄と雌が出会うこと。よりによって雨の多い、チョウにとってみれば厄介な季節を選んで現れること。
 それに、一日一回、活動する時間帯が決まっていること。その時間帯は種によって違う。この時とばかり、雄はテリトリーを張って占有行動をとり、盛んに他の雄と空中戦を繰り広げる。そのときの雄の翅の色ー多くが金属光沢のある金緑色、青、橙、銀など多彩な翅色をきらめかせて螺旋を描いて飛び回る光景はなんとも言えない。
 ちなみに〈ゼフィルス〉と呼ばれているのは、元々このミドリシジミ族の学名が〈Zephyrus〉だったことによる。(今は Thecliniと言うらしい)》(2018年6月26日)

6月のチョウ~アサギマダラ、ミドリヒョウモンなど

実際の森に分け入るというのは、小生には、考えられない。よって書物の森へ……である。上に掲げた図版で学名にゼフィルス(Zephyrus)が付いているのは 6、7、12、13、14、15、16、17。下図では 2、3、4、56、7、12、13、14、15、16、17 で台湾の蝶もまじっている(茶色の数字、例えば 56 はタイワンクロボシシジミの雄の表・)。

f0307792_17365931.jpg

ウィキの「ミドリシジミ Neozephyrus japonicus」を見てみると、現在は以下のような分類になっているようだ。

:チョウ目(鱗翅目) Lepidoptera
上科:アゲハチョウ上科 Papilionoidea
:シジミチョウ科 Lycaenidae
亜科:ミドリシジミ亜科 Theclinae
:ミドリシジミ族 Theclini
:ミドリシジミ属 Neozephyrus
:ミドリシジミ N. japonicus

『原色千種續昆蟲圖譜』には「ミドリシジミ」という図は出ていない。エゾミドリシジミ、アイノミドリシジミ、フジミドリシジミ、ジヤウザンミドリシジミ、ヒサマツミドリシジミ、ウラジロミドリシジミ、のみ。説明文中に「オホミドリシジミ」という名前が比較のために頻出するのだが、肝心のオホミドリシジミの図版は見当たらない。例えばこういうふうな記述。

2. ジヤウザンミドリシジミ(雄) シジミテフ科
Zephyrus diamantinus Obertür
6-8-1932 群馬県赤城山産

3. 同 (雌)(裏面)
6-8-1932 群馬県赤城山産

雌雄ハ全ク異リ、雄ハ緑色ニシテ金属光沢ヲ有シ、雌ハ暗褐色ナリ。本種ハオホミドリシジミエゾミドリシジミニ似ルモ雄ハ翅表、後翅外緑ノ黒帯エゾミドリシジミニ比シテ狭ク、尾状突起ハ長シ。後翅裏面ノ橙黄色紋ハ内側ニ於テ連続スルガ如クナル。雌ニテハ翅表、後翅、外縁及内縁角ニ細キ藍白色ノ線条アリテ裏面ハ稍々赤味ヲ帯ビ、前翅ノ後縁角近ク橙黄色斑ヲ装フ。オホミドリシジミニテハナシ。本州ニテハ山地ニ産ス。
 北海道、本州、朝鮮ニ産ス。

f0307792_20562072.jpg

原色版図版もなかなかに上品な仕上がりである。解像度は劣るにしても古雅な彩になっているように思う。

f0307792_17370446.jpg


[PR]
by sumus2013 | 2018-06-28 19:57 | 古書日録 | Comments(0)

マチマチ書店カタログ第1号

f0307792_20202490.jpg


f0307792_20474304.jpg

『マチマチ書店カタログ』創刊号(マチマチ書店、二〇一八年六月四日)特集・欧米のグラフィック・アート、が届いた。マチマチ主人は山崎書店の番頭さんだった中嶋くん。昨年から一本立ちし、京都マルイ二階に出店している。

マチマチ書店

A4判24頁フルカラーというのもいいが、英米仏の洋書・洋雑誌で特集したというのもいい。城戸みゆき、高田裕美、高橋麻帆の各氏がエッセイを寄稿しているのもいい。

f0307792_20474740.jpg


f0307792_20474998.jpg


f0307792_20475166.jpg

財布の軽さを無視するなら、ジャック・タチ「ぼくのおじさん」プレスブックが欲しいな。

f0307792_21001649.jpg

海外の古書目録などによくあるように値段表が別刷プリントになっているのも、いい……かどうかは分らない。

[PR]
by sumus2013 | 2018-06-25 21:02 | 古書日録 | Comments(0)

改正物理全志

f0307792_19541738.jpg

宇田川準一訳『改正物理全志』(煙雨楼、明治十八年一月再版)。画像は大日本レトロ図案研究所より提供いただいた。というのも、扉の裏面に珍しい検印紙が貼られているから。明治初期の教科書などで扉に貼られている例は時折見るが、この位置というのは珍しいかも(すぐ下の角印は版元印「煙雨楼蔵板」、その脇に?)。

f0307792_19542180.jpg


f0307792_19542583.jpg
よく見ると、右側に「モロクヅ」左側に「フクダ」と記されている。描かれている器具、前面のふたつは、折り込み図版に出ている第百二十一図と第百二十二図のようである。奥の器具は第百十八図の「アルキミヂス氏ノ発明」した汲み上げ器械。

f0307792_20153076.jpg
百二十一図は空気の弾力性を証明する実験に用いるようだ。

《此二性アルコトヲ同時ニ験証スベキ絶奇ノ装置アリ即チ第百二十一図ノ如ク長円形ノ玻璃器ニ水ヲ満盛シ彩色玻璃ヲ以テ中空ニ製シタル物 其製ハ下底ニ小孔ヲ穿チ水上ニ浮泛センコトヲ要ス而シテ其形ハ人獣魚虫船舶随意ニテ可ナリ ヲ器内ニ入レ薄キ護謨ヲ以テ器口ヲ密封シ外気ヲシテ交通セザラシム今指ヲ以テ護謨ヲ捺スナラハ器中ノ水直チニ玻璃船底ノ小孔ヨリ内気ヲ圧縮シテ其中ニ浸入スルカ故ニ玻船ノ重量増大シテ遂ニ沈降ス又其指ヲ放ツナラハ内気自己ノ弾力ニ由リ直チニ浸入ノ水ヲ圧出シテ故積ニ復スルガ故ニ玻船ノ重量減少シテ上昇ス或ハ捺シ或ハ放シテ息マサレハ玻船ノ一降一昇スルコトモ亦止マサルナリ》

また第百二十二図の方も空気に圧力があることを証明する試験器具のようである。


f0307792_19542853.jpg

内容はカッケンボス及びガノーの「ナチュラルフィロソフィー」を折衷して訳したものだそうだ。おそらく下記の書物だろう。

Quackenbos, A. M.『A Natural Philosophy Embracing the Most Recent Discoveries in the Various Branches of Physics』

Adolphe Ganot『Introductory Course of Natural Philosophy For the Use of Schools and Academies. Edited From Ganot'S Popular Physics, by William G. Peck.』

訳者の宇田川準一(弘化五1848〜大正二1913)は物理学者。父は洋学者・宇田川興斎(文政四1821〜明治二十1887)、興斎は美濃大垣の医師飯沼慾斎の三男で宇田川榕菴(寛政三1798〜弘化三1846)の養子に入った。榕菴は大垣藩の江戸詰め医師江沢養樹の長男で宇田川玄真(明和六1770〜天保五1835)の養子になった。玄真は伊勢国安岡家に生まれ、杉田玄白の私塾・天真楼、その弟子大槻玄沢の私塾・芝蘭堂で学び芝蘭堂四天王筆頭と称された。宇田川家の当主として養子に入りその跡を継いだ。養父は宇田川玄随(宝暦五1756〜寛政九1798)。

……なるほど、江戸の医家・蘭学家が優秀な人材を養子に迎えることで家学を絶やさぬよう努めた様子がよく分るような気がする。

出版人の諸葛政太は諸葛信澄(一郎)の長男。信澄は嘉永二年(一八四九)生まれ、画業をもって長府藩に仕えたが、後、奇兵隊、報国隊などに参加。維新後、開成学校から文部省に入り東京師範学校長、大阪師範学校長、東京株式取引所肝入役などを歴任、明治十三年歿。政太の歿年は明治三十六、生年は不明。(中山光勝「乃木希典日記ーー明治八年ーー(一)」より)

f0307792_19543138.jpg



[PR]
by sumus2013 | 2018-06-20 20:46 | 古書日録 | Comments(0)

月光忘語録

f0307792_19470383.jpg

福島泰樹『月光忘語録』(砂子屋書房、二〇〇四年一二月一四日、装訂=間村俊一)。この本は出版時に間村さんから一冊もらった。というのは、このカバーおよび扉に配されている豆皿は小生が間村さんにプレゼントしたものだから。タテヨコそれぞれ四センチくらいの、ほんとに小ぶりな皿なのだが、カバーいっぱいに大きく印刷されているのを見ると、また別物のようである。

上の一冊は最近古本で見つけた。カバーが汚れているのが残念だが、あまりに懐かしく、求めて帰った。本そのものも間村さんらしく清潔でシックな仕上がり(むろん内外文字印刷の活版刷り)


f0307792_19573675.jpg


f0307792_19574030.jpg


f0307792_19574261.jpg

福島泰樹の歌は私短歌とも言うべきで、少々劇画的。時節柄の一首を引用してみる。前書きに沓掛から六合村に、牧水を追うとあり六合村小雨》にはルビ「くにむらこさめ」。中原中也の友人故高森文夫の業績調査のため牧水の生誕地である宮崎県日向市東郷町を訪ねたときの作。

 われはただ蕩々として寂しきに六合村小雨をゆく雨合羽


「跋」が読ませる。点鬼簿の様相を呈している。当時の福島氏は現在の小生とほぼ同じ年齢である。

《大正生まれの男や女たちがばたばた死んでゆく。戦時中に青春の時を過ごした人々だ。》

なかでも伊藤拾郎についての記録は興味深い。

《三月、中原美枝子さんからの電話で老ハーモニカ奏者伊藤拾郎氏の死を知った。ほんの三週間前、喜久子夫人死去の報を得、山口市吉敷の自宅に駆け付けている。やつれ果てた氏と、炬燵でビールを酌み交わし、翌日火葬場で別れたのが最後となってしまった。
 伊藤拾郎、大正七年二月、山口県湯田に、中原家の六男として生まれる。長兄は、非命の天才詩人中原中也。幼年時代、兄たちが吹くハーモニカに魅せられ、ハーモニカに熱中。一九三六(昭和十一)年春、早稲田大学政経学部に入学。演奏で大隈講堂を沸かせ、プロの道を目指すが断念、やがて召集。九死に一生を得、鳥島から復員。遠縁にあたる伊藤家と養子縁組、喜久子さんとの戦後が始まる。

《勤務のため各地を転々としながらも、ハーモニカの練習には余念がなかった。初めてお会いしたのは、一九八六年十月、山口市で中原中也没後50年祭が開催された折りであった。山口県民ホールで「中原中也絶叫コンサート」を終えた私に、遺族を代表し故中原思郎夫人美枝子さんと氏から花束を頂戴している。以来十七年は瞬くうちに過ぎていった。渋谷ジャン・ジャンでの初リサイタルをプロデュースしたのは私であった。七十三歳のプロデビューであった。東芝EMIからリリースされた絶叫盤CD『福島泰樹短歌絶叫/中原中也』にも出演願っている。斎場には、嫌がる氏を説得し私が無理矢理に制作した『伊藤拾郎ハーモニカの世界/雪の宵』が流れていた。厳粛のビブラートであった。
 そして六月には、中原家を護り続けてきた中原美枝子さんが没している。湯田を訪れるたび、笑顔で迎えて下さった。》

中原中也記念館


f0307792_19574551.jpg



[PR]
by sumus2013 | 2018-06-14 20:46 | 古書日録 | Comments(0)

この器この菓子

f0307792_20271009.jpg

『この器この菓子』(鶴屋八幡、昭和五十三年二月十日、装幀=竹中郁)。郷里にあったので発行当時に買ったものだと思う。函があるはずだが、見当たらなかった。鶴屋八幡の広告で各界の著名文化人100人が自慢の器に鶴屋八幡の菓子を盛りつけ、ひとことコメントを付している。『アサヒグラフ』『文藝春秋』に連載されたものだそうだ。『続』『続々』の巻も刊行されているようだ。

この百人のなかで今も存命なのは、辻久子、篠田桃紅、瀬戸内寂聴、安西篤子……を数えるだけかと思うが、どうだろう。

f0307792_20352883.jpg
竹中郁、薯蕷[じょうよ]饅頭を浜田庄司の鉄絵角皿に。


f0307792_20430793.jpg
河盛好藏、水引餅、《幸いにわが家には、白磁に、呉須でからたちの枝を描いた、うってつけの菓子皿がある。これは自ら戯れに荻窪乾山と呼ぶ井伏鱒二さんが、手づから染めつけて焼かれたもので、わが家の秘蔵品である。井伏さんの愛読者が見たら喉から手が出るであろう。そう思うと、この皿の上に盛られた水引餅がますますおいしそうに見えてくるではないか。》


f0307792_20472071.jpg
小堀杏奴、深山つつじ、琉球壺屋皿。


f0307792_20483028.jpg
亀倉雄策、勾玉、スウェーデン角皿


f0307792_20492054.jpg
猪熊弦一郎、秋の山、マヤ時代鉢


f0307792_20500282.jpg
入江泰吉、蔦の細道、宋白磁鉢

以上は小生の好みで選んだので渋めの器ばかりになってしまったが、実際にはもっとヴァラエティがある。この他、渡辺紳一郎のコメントに花森安治が登場していた。源内焼皿に煉切「初桜」。写真は略す。

《以前に、"暮しの手帖"の花森安治氏と和菓子の話をしたとき、私が煉切が好きだといったら、彼に職人の手垢を食べているようなものだといわれたことがある。そうすれば寿司はどうであろうか。今度、機会があればぜひ聞いてみたいと思っている。》

花森らしい科学的かつ非科学的な解釈であろう。芥川比呂志は鳥柴[としば]を九谷鉢に。その鉢は父・芥川龍之介が室生犀星からもらったものだそうだ。

《室生さんの口癖の一つに、「何々しなさい[四字傍点]」というのがあったそうで、この鉢を下さる時も、「これへ黒羊羹[くろようかん]を四切れ入れなさい」と言い添えられた由である。》

《もっとも、そう毎度黒羊羹というわけには行かず、子供の時分、この鉢に入ってあらわれるおやつ[三字傍点]は、最中、桜餅、柏餅、切山椒、鹿の子や州浜[すわま]や大福から、かりんとう、あられの類いに至るまで、種々雑多であったから、この鉢を見ていると、そういう、大正の末、昭和のはじめごろの東京の和菓子の味が、一つ一つ想い出される。半月形に反った味噌煎餅などの味が懐しい。》

皿と菓子の取り合わせ、なかなかに奥深いものがある。自分なら、どの皿にどんな菓子を盛りつけるか、考えているだけで楽しくなる。ここで掲げたなかでは猪熊弦一郎の継いであるインカの土器など小生も好みである(継いだ器=壊れた器、を出しているのはこの巻では猪熊だけだ)。

[PR]
by sumus2013 | 2018-06-06 21:12 | 古書日録 | Comments(0)

類題嵯峨野集

f0307792_17123734.jpg

『類題嵯峨野集下巻』(出雲寺文次郎 他、幕末)。村上蓬盧の私選和歌集、アンソロジーである。上下二巻あるようだが、その下巻のみ均一にて発見。英文筆記体の記名は「Narikuma」村上蓬盧の略歴は以下の通り。

村上忠順 むらかみ-ただまさ
1812-1884 江戸後期-明治時代の国学者。
文化9年4月1日生まれ。三河(愛知県)刈谷(かりや)藩医。勤王家で,維新後は宣教使となった。国学を本居内遠(うちとお)らにまなび,作歌と古典研究にはげんで蔵書2万5000冊余をのこす(刈谷市立図書館蔵)。明治17年11月23日死去。73歳。字(あざな)は承卿。号は蓬廬。著作に「古事記標註」など。
(出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

蔵書家だったばかりでなく、数多くの著書を上梓しており、それは七十七種三百八巻に達するという。本書の巻末にもその一端が記されている。それぞれ「刻成」「已刻」「近刻」の区別(特に区別のないものもある)が記されている。「刻成」「已刻」(既刻と同じか)の違いがもうひとつピンとこないが……。

古事記標註三冊、散木棄歌集標注四冊(刻成)、名所栞十一冊(刻成)、類題玉藻歌集巾箱本三冊(已刻)、類題玉藻歌集二編三冊(刻成)、類題菅藻集三冊(刻成)、嵯峨野歌集二冊(刻成)、千代乃古道二冊、詠史河藻歌集二冊(已刻)、元治元年千首一冊(已刻)、雅語訳解拾遺二冊(刻成)、喩草一冊(已刻)、標註新葉集四冊(近刻)、標注金玉集一冊(近刻)、蓬之杣三冊(近刻)、蓬之門三冊(近刻)、言之幸、三河雑筆五冊(近刻)。

f0307792_17234750.jpg


f0307792_17235920.jpg


作者リスト「嵯峨野集作者姓名録」が重宝かと思うが、ざっと眺めて、無学にも、見覚えのある名前は横井也有と小澤蘆菴、それして蓮月尼だけである。蓮月尼と言えば、このリストは「婦人」として女性の作者をひとまとめに列挙しており、それらのなかには蓮月の歌友だったという「櫻木 京 島原遊女」も見える。

輪違屋にいた太夫であり、「維新の名花」「幕末の名妓」と呼ばれ、輪違屋においては現代に至っても、その源氏名は「永久欠番」扱いとなっていたが2015年4月、若雲太夫の姪(京都市西京区出身、若雲の姉の娘)がこの名跡を襲名した。
京都の歌人、能勢春臣に和歌を師事。大田垣蓮月の歌友の一人であり、蓮月に「太夫ならねど才子なり」と評価されていた。
当初は桂小五郎の深い馴染みであったが、のちに伊藤博文の愛妾となる。伊藤がハルビンの駅にて暗殺された後は、尼となり、京都市北区西賀茂にて隠棲したという。》(ウィキペディア「桜木太夫」)


f0307792_17235675.jpg

f0307792_19223452.jpg

下巻に見える櫻木の歌は一首だけのようだ(上画像のまんなか)。

ひとりぬるねやのいた戸ををりしくにたゝくハよハの嵐なりけり

蓮月尼は三首選ばれているが、一首だけ引いておく(下画像のまんなか)。

ゆく末のさちとよハひを二葉にて千とせをまつや久しかるらむ

f0307792_20034874.jpg

f0307792_20030340.jpg



[PR]
by sumus2013 | 2018-06-01 20:30 | 古書日録 | Comments(0)