林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 867 )

東京写真帖

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『東京寫眞帖 附大正博覽會』(博文館、大正三年五月六日)、東京の名所を写真で紹介しながら無駄のない名所巡りのコースを示す旅行案内書。巻頭に織り込み地図、口絵としてカラー写真二点(二重橋と小石川植物園)、カラー風景画三点(日比谷公園、堀切の菖蒲、佃島)。そして本文には多数のモノクロ写真で東京のランドマークが次々と展開する。巻末に博覧会の会場写真が八頁付されている。大正初期の東京を歩いているような錯覚さえ覚える貴重な写真帖である。

ここでは本に関係する写真だけ引用しておこう。

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神保町の古書街

《[九段坂を]真直に降りると俎橋になる。此橋を渡ると神保町となつて、両側には古本屋の店が幾十軒となく立並ぶ。外国でも之だけ沢山の古本屋がある街はないと云ふ、俗に古書街(口絵第十八頁)と呼んで居る。新しい本はまた直ぐ南裏の表神保町の店々に陳べられて、新刊の書籍と雑誌を小売し又た卸するには全国で並ぶ店がないと云ふ東京堂(口絵第三十一頁)は此の通に三階の洋館を構えて居る。》

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書籍販売 東京堂


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博文館(日本橋本町三丁目)

《創業以来二十七年、今や十六種の月刊雑誌を発行し、平均一日一冊の割合を以て新刊書を出す。値の廉なるに於て、発行部数の多きに於て、日本に是だけの書籍店は外にない。博文館あつて初めて日本の新書籍がある。》


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博文館印刷所

《小石川久堅町に地を割すること一万坪、建坪三千坪、職工二千人、あらゆる印刷に従事して、其の精巧なること其賃銀低廉なることによつて、夙に斯界に名を称せらる。博文館の副業の一とも称すべく、顧客を海の内外に求めて誠に東京の印刷界の覇王である。》


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洋紙販売 博進社

《神田錦町一丁目の電車通に面して洋紙を商ふ博進社がある。内外の製紙を売る外に、製紙原料の輸入販売をも営み、最近日本の洋紙店中にて、手広くもあり、其の販売額の多いことも此社を以て第一に推す。大阪にも支店が置いてある。同じく洋紙を商ふものに、其名を知られた、京橋南伝馬町の柏原洋紙店がある。


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私立図書館 南葵文庫/大橋図書館

《大橋図書館は博文館の大橋佐平氏が明治三十年に設立したもの、石黒男爵を館長として、和漢洋の蔵書約七万冊、料金を払へば何人も是處にて読書するを得べく、平均一日三百人の閲覧者を数へ、麹町上六番町の大橋邸内に在る。南葵文庫は、旧和歌山藩徳川頼倫侯が、自家の蔵書を集めて之を一館に収めたもの、之はまた古書珍書が多い。


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博文館印刷所の説明に《其賃銀低廉なることによつて、夙に斯界に名を称せらる》とあるが、いやはや、それが自慢だった時代なのか。「太陽のない街」はもうすでに始まっていた・・・。

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by sumus2013 | 2018-11-16 20:47 | 古書日録 | Comments(0)

ヨゾラ舎閉店!

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ヨゾラ舎がついに閉店を決めた。ブログでは毎日のように明日なき身を嘆いていたが、とうとう現実のこととなった。四年八ヶ月、よく持ちこたえたものである。再起を期待しよう。

明日16日から20日の閉店まで半額セールらしい。最後の最後、お宝(あったと思うけど)をゲットするチャンスだ。オタどん棚がとにかくもの凄いことになっている!!!

ヨゾラ舎開店!
https://sumus2013.exblog.jp/21526441/
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by sumus2013 | 2018-11-15 16:53 | 古書日録 | Comments(0)

山陽詩鈔

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知恩寺の和本をもう三冊ほど。『山陽詩鈔二』『山陽詩鈔四』(菱屋孫兵衞他、天保四年三月兌)および『山陽先生題跋』(須原屋茂兵衛他、嘉永三年發刻)。薄茶表紙の二冊には「百華園記」の朱文方印が捺されている。

『山陽詩鈔』は割合と綺麗な本だが、気に入ったのは、本そのものではなく、そこに挟まれている”葉っぱ”なのだ。「二」には二枚、「四」の方には、なんと十数枚も! ざっと画像で見ていただこう。

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”葉っぱ”のほとんどはイチョウのようだ。現在も虫除けの効果があるとする意見も多いようだが、実際にはどうなのだろう? 実証になるかどうか、とにかくこの二冊に虫食いはない。

作ってみた! 銀杏(イチョウ)の葉でオーガニック防虫剤

イチョウ以外にはアサガオらしい葉もある。江戸時代にはアサガオも葉や種に防虫効果があるとされていた。他にタバコ、シキミ、クス、ショウブ、ヨモギ、トウガラシ(実)、センキュウ、アサガオ、アサ、ソテツ(花)なども書籍の間に挟んだり、書箱の中に入れたりして用いられたという。詳しくは下記にて。

植物を用いた江戸時代の書籍害虫防除法

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『山陽詩鈔四』奥付



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『山陽先生題跋』奥付


『山陽先生題跋』は拾い読みしてみるとなかなか面白い。書画や硯、書籍について書いた文章を集めてあるわけだが、山陽の見識やコレクション癖がうかがえて興味が尽きない。もう少し読み込んでからいずれ紹介できればと思う。


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by sumus2013 | 2018-11-03 20:29 | 古書日録 | Comments(4)

黄葉夕陽村舎詩二冊

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知恩寺で買った『黄葉夕陽村舎詩』の端本二冊。左が「後篇三」、右は題簽が失われたためか、肉筆で「村舎詩 三」と書かれ、右上隅に「菅茶山 黄葉夕村舎詩」(陽が抜けているのはママ)の貼紙がある。下はそれぞれの開巻第一丁目を比べたところ。「黄葉夕陽村舎詩巻之五」という内題・巻数は同じだが、見ての通り版面すなわちその内容は違っており、左は《○○○元日同志摩北條景陽》云々の前書きのある「賦 甲戌」(一八一四)で始まっている。右は「題畫 戌午」(一七九八)から。判型も右が少し小さい(25×17cm)。【紛らわしい書き方をしてしまいましたが、左は「後篇」なのですから違って当たり前です】。

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これらはさほど珍しいとも思えないし、すでに一揃い架蔵している(黄葉夕陽村舎詩)。それでも惹かれた理由のひとつは、蔵印がベタベタ捺されていたこと。よく読めないけど・・・左の本には四種。「宮▪️松田氏図書印」「水竹▪️堂」「長▪️」「子▪️」。

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右の本にも四種捺されている。七山氏蔵書で蔵書印検索をかけると七山順道の印が二件ヒットするが、どうも同じ七山氏とは思えない。珍しい姓なので、親族あるいは一族かもしれない・・・? 「七山氏蔵書印」の脇は「春豊」? 以下の二顆は見返しに捺されていて「通義/▪️一」、「煙波釣徒」かとも思うが、どうだろう? 

「煙波釣徒」で検索すると清の画人・鄭培(生歿年不詳)が浮かんできた。享保十六年(一七三一)に来航、同十九年にも長崎に滞在していたことが知られるという(神戸市立博物館HPより)。「舊雲閒煙波釣徒鄭培」(国文研)、「煙波釣叟」(早稲田大学図書館)の二印も見つかった。しかし年代が合わないなあ、惜しいことに。

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これら『黄葉夕陽村舎詩』に蔵書印が多いということは、大切に所蔵されていた証拠になるだろう。次の写真が以前紹介した四冊揃の『黄葉夕陽村舎詩。この「三」に黄葉夕陽村舎詩巻之五」が収められており(ただし一丁目は巻之四で、五は中程から始まる)版面は上の右の本とまったく同じである。多少刷りムラはあるが、同じ板から摺られたように見える。ただし紙質からして四冊の方がぐっと新しい(明治刷りだろう)。

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もうひとつ、左の本の巻末の見返しに旧蔵者の書き入れがある。見事な筆致で頼山陽の論詩を引き写している。末尾に「恒写」とあり巻頭と同じ「長▪️」「子▪️」印が捺されている(ただしサイズはこちらの方が一回り小さい)。

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これを見るにつけても菅茶山の詩集がたいそう大事にされていたことが分かる。それが、どうしたわけか、今では散り散りバラバラとなり、その断片がわが机辺にたどり着いた。そう長くはないかもしれないが、この出会いを尊いものとして、ひとときお預かりしておきたいと思うしだい。

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by sumus2013 | 2018-11-02 20:16 | 古書日録 | Comments(1)

秋の古本まつり

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多少肌寒いくらいで、古書に没頭するにはもってこいの陽気だった。例年通り、まず臨川書店をのぞく。今年は午前九時開店だったが、さすがに九時前に乗り込むのははしたない(?)と思い、九時二十分頃に到着、黒山のひとだかり(第一陣)。驚くほど安い。OEDの縮刷版が二千円というのを見た隣のご老人が「安いなあ・・・」とため息をもらしておられた(本は巨大でした)。できるだけ買わないつもりだったのだが、わりと筋のいいフランス語のペーパーバックが百冊くらいあった。つい手がでてしまう。下写真、これだけ全部で300円也。パリで買ったら20ユーロくらいはしそう・・・

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知恩寺の山門をくぐって一直線に三冊五百円の和本コーナーへ向かう。案外人気のスポットで、すでに開店前から、七、八人が台の周りを囲んでいる。そのうち外国の方が六人くらいだったかな。ちょうど扉野氏が通りかかって今年も開催される「百年のわたくし」の案内ハガキを渡してくれた。これは楽しみ。

定刻、ビニールカバーが開かれるや、もうしっちゃかめっちゃか、きれいに積み上げられていた和本の山がみるみる崩れて何が何だか分からなくなる。とにかく「これは」と思ったものをどんどん抱え込み、さらに足元に置き、少しずつ移動しながら台の周りを二回転くらい、ほぼ全冊を手に取った。と思ったら、そこへドサリと追加がくる。あわてて奪い合うようにチェック。

少し離れた石碑の基壇で選り分け作業。収穫としては、昨年ほどではなかったかもしれないが、ブログ・ネタにはなりそうな書き入れや蔵書印などのある「痕跡本」を何冊か入手。

体調を崩されていたMさんも姿を見せておられたので、十二時に集合して善行堂らと進々堂で昼食。開始早々すごい本を発見した人がいたという話を善行堂から聞かされる。あるところにはあるし、出会う人は出会うのだ。その話を聞いた善行堂は手にしていた本を平台に戻したとか(あまりに貧弱に思えて)。当然、気を取り直して昼前には何袋も提げていたけど。

その後、マン・レイさんも来られたのでしばらく近況などを話題に。ブログ「マン・レイと余白で」は移転しています。

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by sumus2013 | 2018-10-31 21:10 | 古書日録 | Comments(0)

レッテル便り

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レッテル便りを頂戴したので紹介しておく。

《久し振りに訪れた平野書店(上のラベルは古いですけれど)店の半分が通販用の棚になっていて進入不可。致し方ありません。》

《[篠原書店]六角橋は一回行ったことがありますが、この店は・・・。》

《今年になって閉店してしまった八勝堂、と思っていたら、一本南の立教そばの夏目書房も閉店とのこと。「古ツア」さんHPを見て、そうだと気付かされましたが、池袋西口の古書店は、すべてなくなります。二十年ほど前には、六軒ほどあった筈なのですが。》

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『古書店地図帖全国版』(圖書新聞、一九七三年五月一〇日二刷)より「豊島区」。たしかに立教大学周辺に古書店が集まっていた。

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by sumus2013 | 2018-10-28 16:24 | 古書日録 | Comments(2)

秋の古本だより「青空」6号

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もう秋の古本まつりの季節になった。酷暑の下鴨が嘘のよう。今年は百萬遍知恩寺で10月31日〜11月4日まで開催。目録を某氏より頂戴した。本屋さんは送ってくれないので助かります。明治150年特集。明治百年のときと比べると静かな感じ。明治生まれの人もほとんどいないから、文字通り明治は遠くなりにけりである。

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by sumus2013 | 2018-10-27 16:01 | 古書日録 | Comments(0)

西鶴

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『天理ギャラリー・第八回展 西鶴』(天理ギャラリー、昭和三十九年四月十日)という古い展覧会図録を取り出した。上は、その図版より若き西鶴、まだ鶴永と称していた。自画自筆。『哥仙大坂俳諧師』(延宝元年;一六七三)所収。

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こちらは西鶴の出自が記された唯一の資料、伊藤重蔵(梅宇)著『見聞談叢』(元文三年;一七三八稿の自筆本)の当該箇所。《平山藤五ト云フ町人アリ有徳ナルモノナレルカ妻モハヤク死シ一女アレトモ盲目ソレモ死セリ名跡ヲ手代ニユヅリテ僧ニモナラス世間ヲ自由ニクラシ行脚同事ニテ頭陀ヅダヲカケ半年程諸方ヲ巡リテハ宿ヘ帰リ甚俳諧ヲコノミテ》云々。

この図録を思い出したのは、昨日の淡島寒月を取り上げてのこと。寒月は、明治時代になって、忘れられていた西鶴を発掘した最初の人物だった。

《明治十三四年の頃、西鶴の古本を得てから、私は湯島に轉居し、「都の花」が出てゐた頃紅葉君、露伴君に私は西鶴の古本を見せた。

《私の家は商家だつたが、舊家だつたため、草双紙、讀本その他寛政、天明の通人たちの作つたもの、一九、京傳、三馬、馬琴、種彦、烏亭、焉馬等の本が澤山あつた。特に京傳の『骨董集』は、立派な考證學で、決して孫引きのないもので、専ら『一代男』『一代女』古俳諧等の書から直接に材料をとつて來たものであつた。

《新しい文明を斯くして福澤先生によつて學んだが、『骨董集』を讀んだために、西鶴が讀んでみたくなり出した。が、その頃でも古本が少なかつたもので、なか〜〜手に入らなかつた。私の知つてゐた酒井藤兵衛といふ古本屋には、山のやうにつぶす古本があつたものである。何せ明治十五六年の頃は、古本をつぶしてしまふ頃だつた。私はその本屋をはじめ、小川町の「三久」濱町の「京常」駒形の「バイブル」「小林文七」「鳥吉」などから頻りに西鶴の古本を漁り集めた。

《西鶴の本は澤山集つた。それらを私は幸田、中西[梅花]、尾崎の諸君に手柄顔をして見せたものであつた。
 さうして西鶴を研究し出した諸君によつて、西鶴調なるものが復活したのである。これは、山田美妙齋等によつて提唱された言文一致體の文章に對する反抗となつたものであつて、特に露伴君の文章なぞは、大いに世を動かしたものであつた。》(以上は「明治十年前後」より)

《私が西鶴のものを見た最初は、今の酒井古好堂が藤堂家の隣家で古本屋をしてゐた時分、此の店で『置土産』を手に入れて讀んだのが始めでした。これを大變に面白いと思つたので、引續いて其の後西鶴のものを漁つて『一代男』『二代男』から『一代女』『五人女』の類、『武家義理物語』『人目玉鉾』『櫻蔭比事』『西鶴織留』『永代蔵』などと云ふものを手に入れました。》(西鶴雜話)

《私は古本あさりに趣味を有する方面から、夙に西鶴物に親しんで居つたもので、當時は今でこそ珍本として高い價で賣買されるものも、實は低廉な値で手に入つたものである。私が明治十年頃に、好古堂から『西鶴置土産』を買つた時は、その價僅かに金五十錢であつた。又私の藏書の一であつた『好色一代男』は、嘗て紅葉、露伴諸氏が私から借りて寫し取られた古本であつたが、襄に私が八圓で賣拂つたものを、近頃四五十圓で大阪にて賣れたさうである。》(古版畫趣味の昔話)

明治初期の古本屋の様子がよく分かって興味尽きない回想である。当時の五十銭というのはいくらなのだろう? 五千円くらいか、もう少し高価だろうか。

西鶴ついでに『短冊の美』(柿衞文庫、平成十年)図版より西鶴を二枚引用しておく。左の署名「二万翁」は貞享元年(一六八四)に摂津住吉の社前で一昼夜二万三千五百句の独吟をやりとげたことにちなむ。

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by sumus2013 | 2018-10-24 20:49 | 古書日録 | Comments(0)

梵雲庵雑話

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淡島寒月『梵雲庵雜話』(書物展望社、昭和八年十一月十九日、限定版一千部)。状態やや難ありなところから、少しばかり安く入手した。書物展望社らしい凝った造本である。それについては、巻末、斎藤晶三「編纂を終へて」にこう書かれている。

《翁の好みにちかい幕末から明治初期への草双紙類の袋を、実物のまに貼混ぜてみることにした。これは何時とはなしに蒐集して置いた絵袋が、積り積つて千枚ちかくもなつてゐたので、翁の装幀には相応しからうと利用した。従つて亦一枚も同じ装幀を見ぬことになつたが、こんな計画は再び出来ることではないと思ふ。》

斎藤晶三は本の袋を集めていた! 下は帙。タイトルも仏像も木版摺りのようだ(?)。題字は會津八一。

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《見返しの絵馬は、別項にもあるが、翁が日頃向島の弘福寺境内に住つてゐた頃、技[ママ、枝]折戸などにかけてあつたもので、在庵の時は居るの意味で猪の面を掲げ、不在の折にはゐぬで犬の方を出して置いたといふ風流のものを、翁の偲草として出して見た。》(同前)

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《寒月翁の画やその趣味も、この父から承け継がれたやうである。翁の住居となつてゐる梵雲庵も、椿岳晩年の遺業にかるもの一つであつて、三畳の翁のアトリエは、その最も数寄を凝らした一室であつた。が、さらに翁の代になつて壁画が加へられた。
 翁の居間につゞいて、奥まつた納戸のやうな部屋があつて、この二間には翁が六十余年間の蒐集品が、うづ高く積み飾られてゐた。翁の座右では古風なガラス棚が中心となり、納戸の方では古い大長持が主人顔して中央におさまつてゐた。
 アトリエには爐が切つてあつて、翁と対座して二三人も入れば身動きもできないほど、蒐集品や翁の作品などで一ぱいになつてゐた。だからよく縁側に日向ぼつこをしながら筆を執つてをられた。》(山内神斧「淡島寒月翁」本書所収)

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《さて以上述べて来た椿岳時代からの由緒深い梵雲庵も、大正十二年の大震災に、山をなつ蒐集品と共に、一つ残さず灰になつて了つた。漸くかけつけられた息子さんが、玩具千種の原稿と、そこに掛けてあつた翁の袴と十徳を取出したゞけで、身一つで逃れられた。はじめのうちは火事の事など念頭にもなく、弘福寺の前の空地に、家族の人々と地震を避けてゐられた。所が午後の四時頃突然に、思ひがけない火がすぐ先の家から出て、またゝくうちに梵雲庵も火焔に包まれたさうで「其時は私も一緒に火の中へ飛び込んでしまひたいやうな気がした」と話しておられた。(同前)

《地震後小半年ほどの間、息子さんたちと麹町紀尾井町に移つてをられた。其所から私の家とは、ものゝ十町とは離れてゐなかつたので、その間にはよくお目にかゝつた。
 さうして半月とはたゝないうちに、もう何処からか獨逸の玩具を見つけて来ては、床にかざり、絵筆に親しんでゐられたが、梵雲庵の翁を想へば、実に涙ぐましい気がした。今から思ふと元気さうではあつたが、震災以来、内面的にはかなり衰へられたかのやうに思へた。》(同前)

同じく本書に収められている内田魯庵の「淡島寒月翁のこと」は同じ震災後の逸話を

《地震ですつてんてん[六字傍点]にして了つたが、如何に玩具に熱心だつたか一例を挙げて見ると、震災直後、麹町に避難して居るのを訪ねると、サイダーの箱に、家財のごた〜〜したのを入れたのを見せて、これだけ焼け残つたと云つて居たが、其の箱の中から、玩具七八点出して、これは二三日前に麹町の夜店で買つたものだと云つて喜んで居た。震災直後何をなくしても、玩具を先づ買つて歩いたのは面白い。》

と書き、最後にこう締めくくっている。

《兎に角斯う云ふ人はもう出ないと思ふが一人位あつてもよいと思ふ。》

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山内神斧「淡島寒月翁之印象」(木版手摺)


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奥付




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by sumus2013 | 2018-10-23 17:22 | 古書日録 | Comments(0)

当麻曼荼羅捜玄疏抓抜

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『當麻曼荼羅捜玄抓抜』写本。題簽では「四」となっているが、本文は『當麻曼荼羅捜玄巻一』である。「抓抜」(ソフバツ)というのは抜粋の意味だろう。當麻曼荼羅捜玄疏』は江戸時代の曼荼羅学者・大順上人(一七一一〜一七七九)の著述。

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當麻曼荼羅・禅林寺


当麻曼荼羅は天平宝宇七年(七六三)に中将姫が蓮糸で織り成したと伝えられる奈良県当麻寺の曼荼羅である。実際には絹糸による綴れ織で、中国製という説もあるそうだ。当麻寺の原本はごく一部しか残っていないが、後年の模本は少なくない。曼荼羅と呼ばれるものの、観無量寿経(観経)をよりどころとして七世紀に善導大師によって解釈された観経四帖疏にもとづく阿弥陀浄土図、正しくは観経変相図だという(河原由雄「当麻曼荼羅」『古美術』42号)。

阿弥陀三尊像を中心にした極楽浄土を図示している。興味を惹くのは向かって左辺に描かれたコマ絵。これは《悪逆の子・阿闍世太子の父王幽閉とこれを悲しんだ母后韋提希夫人の阿弥陀仏への帰依を下から上へ十図にわけて収め(同前)たもの。『教行信証』で多くのページを割いて解説されている例の物語である。四方田氏が「そもそもこの書物はアジャセの問題を解決するために構想された」とまで断言しているモチーフだ。それは八世紀の当麻曼荼羅でもすでに重要な主題として取り上げられていた。

《日本の浄土教の大成者である法然上人が強力な善導流浄土教の推進者であったことを勘案すれば法然第一の高弟・西山上人証空(一一七一〜一二四七)によって曼荼羅原本の発見とその普及が行われたことは日本の浄土教史上まことに意義あることであった。》(同前)

当然、親鸞も重要なテーマのひとつとしてアジャセの物語をとらえていたわけである。

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上手な筆で丁寧に写されている。さらに朱点が入り、校正というか校訂されている。きちんとした奥付があるのは有難い。

 文化年中
  信州松本玄向律寺立禅和上撰
  濃州大野郡揖斐
    城台山播隆所持

 天保十一年[一八四〇]庚子七月
 信州松本 筆者 井 為憲
      書林/製本 高美甚左衛門


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玄向律寺は玄向寺と同じとみていいだろう。現在は牡丹の寺として有名で正式名称は女鳥羽山道樹院玄向寺だとか。浄土宗である。知らなかったが、播隆は有名人だった。

1826年(文政9年) - 信濃の玄向寺立禅和尚の仲介で安曇郡小倉村(現・安曇野市三郷地区)に来て村役人中田九左衛門宅に宿泊、槍ヶ岳登山の志を告げた。賛同を得て、九左衛門の女婿で山に詳しい中田又重郎に案内してもらい、大滝山、蝶ヶ岳を経由して上高地に入り、梓川を遡って槍沢の岩屋を根拠とし槍の肩付近まで登った。この時は偵察で終わったが、その後2年の間諸国を旅して浄財を集めた。
1828年(文政11年)7月28日 - 槍ヶ岳に初登頂、厨子を設置し、阿弥陀如来・観世音菩薩・文殊菩薩の三尊像を安置した。
自身の登頂のみでは満足せず、多くの人が山頂まで登れるようにするため、その後何度も槍ヶ岳に登り、その槍の穂の難所に大綱を掛け、また、より頑丈な鉄鎖を掛けるよう尽力した。鉄鎖を掛ける計画をした時にはたまたま天保の大飢饉があって一部の村人はこの計画のせいにして計画実行を禁止されたが、その後また豊作の年が来て再開された。
1840年(天保11年) - 美濃国太田(現・岐阜県美濃加茂市)でその生涯を閉じた。》(ウィキ「播隆」)

大いなる初期アルピニスト
 播隆は今から約160年前に槍ヶ岳を開山した。“日本近代登山の父” と呼ばれている英人ウェストンが日本アルプスを世に知らしめるより65年も前 のことである。
 播隆が頂上に祠を建立し、後に来る者のために危険な個所に鎖さえ準備した物語は、「大いなる初期アルピニスト」の尊称を授けられてよいのだが、彼の功績 を知る人は余りにも少ない。
いま、JR松本駅前から鋭峰を見つめる上人の孤高のブロンズ像は、「人はなぜ 山に登るのか」という永遠の問いに無言で答えているかのようである。

本書の元本は、大順上人當麻曼荼羅捜玄疏』の立禅和上による撰(抓抜?)と考えていいのだろうか。それをアルピニストの魁である播隆上人が所持していた。幾年かを経て、その本を井為憲が筆写した。井為憲がどなたなのかは検索しても判らなかった(乞ご教示)。

高美甚左衛門は松本の書店主。

高見甚左衛門 たかみ-じんざえもん 1784-1864 江戸時代後期の本屋。
天明4年11月生まれ。生地の信濃(長野県)松本に書店慶林堂をひらく。狂歌,俳諧(はいかい)をよくし,十返舎一九らと親交があった。元治(げんじ)元年死去。81歳。本姓は大野。名は常庸,宜智。通称は別に年八。狂歌号は文の舎千鶴。俳号は照樹。姓は高美ともかく。著作に「文化十三年江都紀行」。》(コトバンク)

高美書店(高美甚左衛門 松本市中央)

とすれば、出版を予定した清書原稿のようなものなのだろうか……朱を誰が入れたのかも分からないが、この気合いのこもった筆写ぶりを眺めるにつけ、色々なことが考えられてくる。

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by sumus2013 | 2018-10-18 21:04 | 古書日録 | Comments(0)