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林哲夫の文画な日々2
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カテゴリ:古書日録( 930 )

明日樽亭目録

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アスタルテの佐々木氏が亡くなってもう四年が過ぎた。アスタルテ書房の目録が何冊出たのか知らないが、手許に二種残っている。『極付明日樽亭間目録[きわめつき あすたるて ちよつと うりたて]』と『再茲明日樽亭続目録[またここに あすたるて ごにちの うりたて』。どちらも発行年などは記されていない。前者の封筒に平成九年十一月十二日の消印、後者には同じく平成十年六月二十九日の消印がある。

すべて手書き原稿で両面印刷。『間目録』は474タイトル。泉鏡花、日夏耿之介、稲垣足穂、澁澤龍彦、種村季弘、生田耕作らの本が多い。とくに澁澤龍彦が多数出品されている。当時の小生が鉛筆でチェックしたタイトルを参考までに掲げておく。

58 候べく候 限定300 署名入 楠瀬日年 S28 30,000
120 稲垣足穂書簡 生田耕作宛 宛先共自署 
    ガリ版の『作家』誌発表作品目録 3枚完 S37 150,000
239 トポール マゾヒストたち 初函 S47 12,000
245 ボレル 解剖学者ドン・ベサリウス 初函帯 H1 1,500
306 ホッケ 迷宮としての世界 初函 正誤表付(完本)
    ほぼ極美 S41 25,000
359 コブデン=サンダスン この世界を見よ 限300 函(完本)
    署名 落款入 S62 30,000
371 リラダン トリビュラ・ボノメ 初函 S15 9,000
440 52記 限52 完本 銅版画52葉入 若林奮 H7 550,000
449 (仏)アンドレ・ブルトン〈痙攣的な美〉展 
    ポンピドゥー・センター 1991 28,000
460 (仏)牧神の午後 限195 元栞紐2本付(稀)原装
    マネ木版画3葉(内手彩色1葉)及手彩色木版蔵書票一葉入
    マラルメ 1876 2,300,000
468 (仏)海龍 著者本限25 原装 コクトー・フジタ両者署名入
    L.フジタ銅版画25葉及肉筆〈猫の図〉デッサン入
    ジャン・コクトー 1955 4,300,000

かなり高額な本も載っていたのだ。最後の方はビックリして線引きしただけかも。楠瀬日年はずっと何冊も棚に挿してあり、欲しかったのだが、結局は一冊も買わなかった。この目録から『解剖学者ドン・ベサリウス』と『トリビュラ・ボノメ』を注文したかと思う。後者は渡邊一夫の装幀本。熱を入れて集めていたときだったので奮発した。今も持っている。

『続目録』は491タイトル。生田耕作、澁澤龍彦は変わらず多いが、露伴や平山蘆江、岡本綺堂、黒岩涙香、小栗虫太郎などの小説類が大半を占める。高額なのは金子國義の石版画など。モジリアニのカタログ・レゾネ29万円が最高値のようだ。稲垣足穂『星を賣る店』が95,000で出ている。こちらには鉛筆でのチェックはひとつもないが、付箋が一枚だけ貼られている。

180 巴里 初カバ 極美 松尾邦之助 S4 18,000
181  〃 初        〃   S4  3,500

付箋はこの二冊にわたっている。むろん買ったのは181である。これは面白い本だったが、しばらくして売ってしまった。

アスタルテ書房誄

by sumus2013 | 2019-06-17 20:31 | 古書日録 | Comments(0)

VOU 77

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ゴーリーの一箱古本市へ。雨が心配されたが、日中は曇り、晴れ間も見えたくらいで問題はなかった。ただし夕方に土砂降りの雷雨が来てビックリ。

店番の合間に善行堂をじっくり見る。均一的な本をあれこれ求めた後で『VOU』77(VOUクラブ、1960年10月、表紙写真=清水俊彦の背中)を発見。状態はいまいちながら、これはもらっておくことにした。

目次や前付(奥付はない)のレイアウトはVOUならでは。真似したいのだが、カンタンに真似できそうで、自分でやると意外とサマにならない。

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「編集後記」を読んで、新宿・風[ママ]月堂でVOUが形象展を開催していたというのを初めて知る。

《今年度のVOUは来る12月1日より20日間にわたる新宿風月堂での形象展のほかは何もしなかったが, クラブ員は各自前衛詩人協会, モダンアート協会展, 主観写真展, モダンフォト協会展に活躍し. VOUクラブの在りかたとしては, このような形式によってクラブ員が対社会的に活動するのがむしろ理想的ではないかと思っている. これはVOUが芸術のすべのジャンルにおける実験室であるということによるものである. しかしそれにしてもクラブ員がそれぞれ第一流の集団に直結しているということは, VOUの実験の水準の高さを示すものであろう.》

なかなかに自画自賛の体である。

by sumus2013 | 2019-06-15 20:17 | 古書日録 | Comments(0)

焼物雑記

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井伏鱒二『焼物雑記』(文化出版局、昭和六十年一月二十日、装丁=川島羊三)読了。久しぶりに井伏鱒二を読んだ。面白かった。最近はふたたび美術随筆が読みたいモードになっているのでなおさらだ。カラーの口絵写真も五点入っている。

焼物と言っても井伏は岡山出身ということで備前焼の話題が中心になっているが、結局のところ描かれるのは人間であって、井伏の人物描写はやはりひと味違うなとしきりに感心させられた。例えば「青柳瑞穂と骨董」だとか「庄野君と古備前」あるいは「硲伊之助の絵付」などである。

画家の硲伊之助も骨董好きだったようだが、空襲で家財をまるごと焼かれてしまった。の弟子の永井潔が師を訪ねたときの様子はこう描かれている。

《東京へ来るとすぐ白山の硲さんのアトリエを訪ねやうとしたが、その辺が焼野原になつて硲さんの行先が棒切に書いてあつた。そこを訪ねると、先生は自作の絵も蒐集品もすつかり焼かれたとのことで、所持品は小さな風呂敷包み一つだけであつた。それで永井さんの自宅へお連れすることにして、焼残りの街を二人で新宿の方へ歩いて行くと、ウインドの棚に中国の墨を置いてゐる古道具屋があつた。それを見つけた先生は、「すごい墨だ。なかなかいい墨だ。買へない墨だ」と興奮して、風呂敷包み一つしかない身でありながら、高い金を出してその墨を買つた。それから法外な金を出して、ドアにつける古めかしい把手を一つ買つた。「贅沢は敵だ」といふ標語のあつた時代だが、先生は墨をポケットに入れると「贅沢は素敵だ」と言つた。》(硲伊之助の絵付)

井伏らしいアバウトな書き振りで、この話をどこまで信じていいのやら迷ってしまうが、いかにも骨董好きにありがちな逸話ではある。それはそうとして、「贅沢は敵だ」というのは、正しくは「ぜいたくは敵だ!/日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!」であって昭和十五年の贅沢廃止運動のときに多数作られた立て看板の文句である。当時の庶民がその「ぜいたくは敵だ!」を皮肉って「ぜいたくは素敵だ!」とささやき合っていたのは事実らしい。むろん硲(や糸井重里)の造語ではない。そしてこれは花森安治の作ったキャッチコピーだと言われている(津野海太郎『花森安治伝』もそう推測している)。

「能登半島」という骨董旅行記に登場する青苔堂という骨董屋も興味深い。ただし、これは骨董屋としてあるが、どうやら秦秀雄ではないかと思われる。金沢や能登半島の骨董商やコレクターのところを巡って仕入れをする、というか、鑑定してしまう。そのやりとりがどうみても商売人ではない。

《唐津の茶碗。
「ちよつと小さいなあ。もすこし大ぶりだといいなあ。」
 鼠志野の深向附。
「これでビールを飲むといいでせうね」と私が云ふと、
「あなたの識りあひの、青山二郎さんはこれで飲んでますよ」と青苔堂が云つた。
 漢の花採獣耳壺。斗々屋茶碗。
 これが出たとき若旦那は、
「この斗々屋は、松平備前守の旧蔵です。ーーちよつと失礼。」
 と席をはづした。
 青苔堂は斗々屋茶碗といふものについて、私と丸山君に簡単な説明をした。この手の茶碗は高麗茶碗と伝承されてゐるけれど、高麗が亡びて李朝の初めに焼成されたものである。井戸茶碗と同じく伝世のものばかりで、発掘品は一つもない。品位においては朝鮮茶碗の二流品に属するものである。
「この斗々屋茶碗は、しかし今出来です」と青苔堂が小声で云つた。
 もう一つの漢の小壺については、これも小声で、
「あとで色つけしてある」と云つた。
 そこへ若旦那が引返して来て「これは」と云つて宋窯の花瓶を出した。
「これはいい。しかし、少し青みがある。もつと純白でなくてはね。」
 高麗水差。秋草の模様があある。赤、緑、藍の色が鮮明だ。
「これは、ちよつといい、直しが少しあるね。岡田さんは金があるから、売らんでもいいんでせう。」
 赤絵茶碗。裏に「大巽宣徳年製」とあるから、宋代ださうだが、ひどいぶち破れである。
「鼠色がかつてる。焼が悪いんだね。私は九谷焼以前の伊万里がほしい。」
 宋窯盃二箇。
「彫がいいと思へば焼が悪い。真白なら一箇五万五千円ぐらゐです」と青苔堂は丸山君に云ひ、「いろいろ掻きさがしてすみません。それに悪口ばかり云つて」と若旦那に云つた。》

とまあ、こんな具合でまだまだ続くのだが、さすがの呼吸で臨場感がある。骨董屋がこんな口をきくとも思えないし、後の方で青苔堂は「先生」とよばれてもいるから、やはり珍品堂主人ということでいいのではないかと思う。

むしょうに備前へ行って陶片が拾いたくなる一冊であった。

by sumus2013 | 2019-06-14 20:44 | 古書日録 | Comments(0)

パウンド、アレンなど

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ひさしぶりに町家古本はんのきへ。当番の中村氏としばらく雑談。いろいろ頑張ってますねえ。いい本あれこれ、ただし安いものばかり、求めて満足する。上の写真はそのうちのペーパーバック二冊。ウッディ・アレン『Side Effects』(BALLANTINE BOOKS, 1982)と『SELECTED POEMS OF EZRA POUND』(A New Directions Paperbook)。

「これは林さんしか買ってくれませんよ」

というお言葉を頂戴して喜ぶべきか、悲しむべきか。ほぼジャケ買いです。エズラ・パウンドの方には書き入れも何箇所かあるし。古書価はほぼ1ドルですな。

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こんな感じの書き入れ。授業に使ったのだろう。「CANTO XLIX」はパウンドが漢詩を意識して書いた作品のようだ。旧蔵者名は「ひだけいこ」さんです。

狂言屋さんにも立ち寄る。ここに一箱置かせてもらっている。6月8日(土)は古本イエー開催です。ふるってお出かけを。

一箱ふるほん狂言屋

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by sumus2013 | 2019-06-07 17:43 | 古書日録 | Comments(0)

貞柳翁狂歌全集類題

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こちらも均一台にて入手。表紙の取れた『貞柳翁狂歌全集類題』(文化六年序)。大阪の狂歌師・永田貞柳の全集。歿後に刊行されたもの。

本江戸文化序狂歌「貞柳翁狂歌全集類題」全1冊油煙斎貞柳

《ながたていりゅう【永田貞柳】
1654‐1734(承応3‐享保19)
江戸中期の狂歌師。由縁(油煙)斎貞柳,鯛屋貞柳ともいう本名は榎並善八。別号は良因,言因,珍菓亭など多数。紀海音の兄。大坂御堂前の菓子屋。俳諧を父貞因に,狂歌を豊蔵坊信海に学ぶ。信海ゆずりの〈箔(はく)の小袖に縄の帯〉をモットーに,通俗的歌風で大いに流行し,狂歌の隆盛をもたらした。門人は大坂の栗柯亭木端,住吉の貞堂,広島の貞佐,名古屋の米都・其律など多数。編著は《狂歌五十人一首》《家づと》《続家づと》など,家集に《貞柳翁狂歌全集類題》がある。》(世界大百科事典 第2版の解説)

ところどころ読んでみるとなかなか面白い。ただし当時の常識を知らない身には意味不明の狂歌がはなはだ多い。人名もあまた登場するが小生が知っているような人物はほとんど出ていないようだ(つぶさに読んだわけではありません)。

そんななかでは「象」の話題が注意を惹いた。享保十三年(1728)、長崎に初めて(古代のことはいざ知らず)象が渡来し、翌年、陸路で江戸まで連れて来られた。京都では天皇や法皇にも拝謁した。富士川英郎『鴟鵂庵閑話』(筑摩書房、一九七七年)に詳しい記事がある。それによれば、非常な人気を博し、象についての記録が多数残されているそうだ。『詠象詩』という漢詩集さえも京都の書肆二酉斎から刊行されている。

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その人気ぶりは本書に収められた狂歌からもうかがえる

享保十四己酉歳交趾國より江府へ象一疋献上のよし風聞ありければ
  鼻の長さ十丈または二十丈さういはふなら今しや見ぬさき

四月十四日大阪へ着し京都へ行けるを牧[枚]方の里梶村丹治宅にて見物せしにわら一束鼻にまき水にひたし身にそゝきけるを見てよめる真行草三躰

真 又や見んかたのを通る大象のはなに水散夏の明ほの
  おしあふは象無類なる見物となれもしるにや鼻てあしらふ
行 大象の鼻のあたりはよきて行子共つからにかけられやせん
  めつらしと鼻のあたりへ立よるは夏に桜のふけん象
  優曇華とおもふ斗に大象のはな崎得たることしうれしや
草 歯ぬきならて他の國より象ふらふめんよう〜〜鼻てまんちう
  大象のくるは目出度ことし哉三八二十四孝見るにも
  迚もならまひとつ牡象ひきつれて江口の花をのらせてし哉

大阪本町辺を通りたるに
  大象もまんちう喰たい其時歟本町辺を通りこそすれ

走帆かもとへつかはしけるふみのおくに
  まんちうを鼻に巻てそくらゐ山雲にのほらねと象はめつらし

正親町殿より象の歌はと仰あるによみて奉りける
  又や見んかたのを通る大象の鼻はたくひも夏の明ほの
  優曇華と思ふ斗りに大象の鼻崎得たるけふは嬉しや
  とほりかけは隙行駒に似てにぬかねんこんさうを的とみたやな

いちいち註をつけるほどの学識はないが、いくつか蛇足を付す。

交趾國はベトナム。
この梶村は現在の守口市と思われる。
交野。
ふけん象は桜の品種「普賢象」、普賢菩薩は象に乗り、象の鼻にこの桜の雌蕊の様子が似ていることからこの名がある。
優曇華はインドの想像上の植物、花と鼻をかけた。
二十四孝は元代に編まれた書物で二十四人の孝行な人物の伝。江戸時代には寺子屋の教科書でもあった。そのなかの「舜」のくだりではその孝行のおかげで象が農耕を助けてくれる。
江口の花は遊女。江口は神崎川の河口にあった花街を指す。
正親町殿は正親町公通(おおぎまち・きんみち)であろうか。
隙行駒は荘子の「隙駒」。

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歌川国芳「二十四孝童子鑑 大舜」


濁点がないので読みにくいし、耳馴れない言葉も多く、十分にダジャレが理解できるとは言い兼ねるが、すなおに納得できる狂歌もあって、時代の空気が漂ってくるような気はする。他に駱駝ブームもあったことが上述『鴟鵂庵閑話』に記されている。
 

by sumus2013 | 2019-06-01 20:33 | 古書日録 | Comments(0)

井東憲 人と作品

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『井東憲 人と作品』(井東憲研究会、二〇〇一年二月一七日)を梁山泊の均一で発見。名前に馴染みはなかったが、立ち読みしてみると、これはグレゴリ青山『コンパス綺譚』の世界ではないか、そそくさと二階へ持って上がった(レジが二階なのです)。

本書の年譜をかいつまんで引用しておく。《 》内は年譜原文のまま。

一八九五(明治28)八月二七日、東京市牛込区神楽坂二丁目二五番地に生まれる。本名伊藤憲。父伊藤司信(しのぶ)は砲兵工廠の鉄砲技師だった。母ゑいの祖父は安倍川の宗吉と名乗る静岡の俠客。

一八九六(明治29)母の郷里静岡に転居。父は時計会社を経営(以後、機械製造業、質屋などを営む)。

一九〇六(明治39)静岡市立第三尋常小学校卒業。

一九〇九(明治42)《静岡尋常高等小学校に進学。三年のブランクは病弱のため。》

一九一一(明治44)《実家の質屋の仕事につくが、それがいやで、旅役者の群れに入り、放浪。十九歳まで親からもらった金で二丁町や浅草千束で遊蕩。また、戯曲や小説を読み耽る。》

一九一五(大正4)性病にかかり入院。娼妓たちの悲惨な現実を見聞して回心を経験する。文学研究に入る。

一九一六(大正5)東京正則英語学校入学。九月一一日、明治大学法律学科入学(大正八年卒)。《大学では、法律の勉強はせず、哲学と心理学、それに英語、中国語、エスペラントなど、神経衰弱になるほど勉強する。》

一九一七(大正6)大杉栄を知り、親炙。アナキズムの研究を始める。

一九二〇(大正9)日本精神医学会発行『変態心理』記者となり、翌年新年号より五年間にわたり三十数本を寄稿。

一九二一(大正10)第二次『労働運動』の静岡支局を自宅(静岡市五番町一八番地)に置く。一二月『新潮』に「文壇革命其他」を執筆。最初の商業雑誌執筆。

一九二三(大正12)『地獄の出来事』出版。静岡二丁町の娼妓の悲惨を描く。週刊誌、新聞などへの旺盛な執筆活動。

一九二六(大正15)六月、『有島武郎の芸術と生涯』出版。《榊原ツルと結婚、届出。前後して静岡市出身の詩人 英美子と恋愛、半同棲。静岡市五番町の自宅と、英の東池袋の家(東京市外長崎町北荒井五二五番地)と、自身の、虎ノ門、洗心堂薬局の奇妙な三角形の、かつて孫文が住んだという間借りの部屋を自由に往き来して過ごした。》梅原北明の変態十二支シリーズに参加。

一九二七(昭和2)三月、『井東憲詩集』を村松梢風主宰の騒人社から出版。《七月、「生活と恋愛の清算のため」上海渡航。上海では、創造社の鄭伯奇や郁達夫と交友。現地のさまざまな階層、国籍の人々と交わる。一二月一日、英との間の一子誕生、英が、中林淳真と名づける。》

一九二八(昭和3)一月、上海から帰国。英美子と離別。三月、全日本無産者芸術家連盟(ナップ)静岡支部加盟。金子光晴と森三千代の渡欧資金のため金子夫妻渡欧記念文芸講演会を提案するも、実現せず。

一九二九(昭和4)七月一〇日、ツルと離婚。再度、上海へ渡る。一二月『上海夜話』出版。

一九三〇(昭和5)四月、『赤い魔窟と血の旗』出版。

一九三一(昭和6)四月、反宗教闘争同盟に加盟。活溌に執筆。銀座六丁目に新興中華研究所開設。

一九四〇(昭和15)くろがね会(海軍の支援組織)入会。

一九四三(昭和18)五月一〇日、一女、木玖誕生。七月『働く街』、一二月『尊い漁夫』出版。

一九四五(昭和20)三月七日、木玖の母・池田キヌと結婚、入籍。六月二〇日の静岡空襲で半身に火傷を負う。八月五日、仮寓先の小坂で死去。四十九歳十一ヶ月。

著作、著書目録も備えているが略する。単行書だけでも三十六点を数える。他に「破れたシルクハット」と「行燈部屋」の短篇作品が収められている。前者は上海モノ、後者は娼妓モノで関東大震災当日の描写に迫力がある。



by sumus2013 | 2019-05-31 19:54 | 古書日録 | Comments(0)

古本海ねこ古書目録13号

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古本海ねこ

《上笙一郎・山崎朋子ご夫妻の旧蔵書が古書市場に現れ、各店に買われていきました。》《旧蔵書そのものが、ひとりのものとしては想像を絶する仕事量を物語っています。奥行・幅広さにはただただ圧倒されるばかり。目録など編んだところで一体、何をお伝えできるのかと無力感に苛まれつつ、一隅に光を照らす思いでお届けいたします。》

とまえがきにあるが、たしかに凄さの片鱗がうかがえる目録になっている。『日本一ノ画噺』不揃い25冊とか『きりん』不揃い43冊などはいかにも足で集めました、という感じがひしひし。

《長年にわたり諸方の古書店および古書展より少しずつ買い求めたのが堆積したもの。》《わたしの蔵書、どこにでもころがっているような書物が多いのですが、とびきりの稀覯本や天下一品の本もまじっている模様。これらが、何時かわからないけれどわたしの死後、古書市場をとおして四方へ散り、わたしと同じような無学歴でしかもわたし以上の児童文学・児童文化研究者のもとへ行き、わたしなんか足元へも寄れないようなすぐれた研究に役立てば、わたしとしては以て十全に瞑すのですけれど》(上笙一郎『児童文化書々游々』、本目録の引用より)

もう一人の平岩米吉(1898-1986)は動物学者。雑誌『母性』『子供の詩研究』『科學と藝術』『動物文学』主幹。昭和四年、自由が丘の広大な家を「白日荘」と名付け、翌年「犬科生態研究所」を設立。犬や狼など多数の動物と寝食を共にしながら生態を観察したという。同時に文学にも情熱を傾け「動物文学」を提唱した。こちらも在野の研究者である。

コレクションというのは、やはり個人の一徹さがないと形にならないもののようである。キョーレツな磁力が必要なのだ。磁力が失せればバラバラになってしまうのも運命だろうか。

by sumus2013 | 2019-05-21 20:00 | 古書日録 | Comments(0)

KITASONO KATUE

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古書ヘリング(Books Herring)ではこんなものを発見。『KITASONO KATUE SURREALIST POET』(LOS ANGELES COUNTY MUSEUM OF ART, AUG 3-DEC 1, 2013, PAVILION FOR JAPANESE ART)。ロサンジェルスで開催された北園克衛展のパンフレット。

これがちょっと洒落た作り。仕上がり寸法はタテ217mmヨコ140mmだが、一枚の紙を、中央部分にスリットを入れて、16ページに仕立てられている。片面8ページが一続きの冊子になっており、裏面は中折を開くと見られる。この折り方で小さいサイズの冊子は持っている。このくらいの大きさもいい感じだ。

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by sumus2013 | 2019-05-02 20:43 | 古書日録 | Comments(0)

春の古書即売会2019

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今年は初日はやめておこうかと思ったりしていたが、K氏と待ち合わせることになり、行くなら朝イチということで、開場十五分前に到着。列にならぶ。少し先にK氏の姿も。開場早々、K氏に渡すものを忘れないうちに渡しておく。

並んでいる間に、ちらしの店舗配置図から巡回コースを決めておいた。だから、今年は迷わず、しかも人より早く目的の店をチェックできた。しかし、これというものがなく、少々ガックリ。二番目の店も空振り、三番目の店で三冊ほど。四番目、五番目、六番目の本屋も、欲しいなというものはあったが、値段が折り合わなかったりで、何も買わず。とりあえず、レジが混み合わないうちに支払いを済ませる。

レジの前でK氏と再会して、本作りの相談。出版は決まっているが、形についてはまだ模索中である。立ち話ながら、直接やりとりすると、何かしら進展があるものだ。

その後、一冊欲しい本が見つかったものの、レジには長蛇の列。あきらめて、古書ヘリングへ。写真展開催中。ヘリング氏も午前中はみやこめっせに居た。袋ふたつ、ずっしり買ったようだ。しばらくすると、マン・レイ石原さん、久々に買うものがあったよ、と嬉しそうにマン・レイ関連資料とともに来店。五月五日にはヘリングでマン・レイについてのトークがある。参加者には楽しいお土産が出るそうだ。楽しみ。

by sumus2013 | 2019-05-01 16:26 | 古書日録 | Comments(0)

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同人雑誌『耕』を三冊入手した。発行は「耕」同人会。創刊号(昭和二十九年五月十日)、第二号(昭和二十九年六月二十日)、第三号(昭和二十九年七月三十日)。編集代表は星野偕也。住所は東京都世田谷区祖師谷二ノ八九。いずれも、ガリ版刷り、六十〜六十二頁。創刊号がタテ22cm、ヨコ15.8cm、第二号はタテ21cm、ヨコ14.8cm、第三号はタテ24.4cm、ヨコ16.8cm。

創刊号に「先生」宛の手紙が挟まれている。

《同封した雑誌「耕」は、僕達数人のものが集って以前からの計画を実現しようとした第一歩ですが、同人の数も整わないまゝに発足したもので、それだけに苦労も大きかったわけです。結局創刊号は、殆ど星五平、タカノワタリ他、無名の文は悉く僕が書きなぐり、編集から、原紙切りまで引受けてしまったわけですが、これによって僕の近況報告にかえようという無精なこんたんです。
 二号、三号からは、同人も集まり、皆、積極的になって来ていますので、恐らく、軌道に乗り始めたら、そこに、僕らの世代の、現代の一つのかなり広汎な良心の断面が表現されて行くことゝ期待しているのです。》

《悉く、この社会とはずれてしまった僕の存在と最早自ら歎かうとは毛頭思いませんが、再軍備! 教育、言論、に対する圧迫! そして水爆!
余りにそれらに対して無関心なインテリ社会の中に入って、この世間からずれた無能な頭脳はぐらぐらする思いです。洞窟の中での独りの歯ぎしりが何になるのか? と思いながら。》

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同人の名前を検索してみたが、誰一人としてまともにヒットしない。ひととおり執筆者名(ペンネーム)を拾い上げておく。

創刊号
赤坂和男 星野偕也 城戸正宣 阿野敏之助 星五平 笹山道雄 平操子 タカノ・ワタリ

第二号
星五平 赤坂和男 星野偕也 木野連太 城戸正宣 平操子 本田菜穂 香月敬 阿野敏之助 笹山道雄 

第三号
阿野敏之助 星野偕也 岡野谷博愛 赤坂和男 本田菜穂 城戸正宣 久津甚六 木野連太 平操子 麻生 小野近 笹山道雄 香月敬 星五平 

表紙とカットは笹山道雄。文字や絵のタッチからして正式にデザインを学んだ人だろう。笹山は軽妙な詩作品も載せている。本文レイアウトを見ても、素人っぽさはなく、スマートに収められている。編集人の佐野も本業でも編集の仕事しているのかもしれない(サラリーマンとだけ書いている)。

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創作はスルーして「雑誌名決定経過報告」という興味深い文章の一部を引用しておこう。当時の同人雑誌の命名の傾向がうかがえるように思う。

《充分な段取りを待つていては何時この計画が実現するか分らない。兎も角創刊号を出してしまおうという事になり、東京在住で簡単に集まることの出来る同人四名が落手した原稿を持参して集まつた。四月二十九日の晩である。早急な計画実現のために集つた原稿の数は少なかつたが、この日、更に一つの懸案があつた。雑誌名の決定である。》

《先づ各人が案を提出し四名でこれと思うものに印をつけた。この第一回の選択に際して並べられた名前は次の通りである。
「北斗」「泥」「酸」「素」「乱反射」「影」「耕」「手」「紅」「牛」「極」「裸身」「どくだみ」「汚点」「時針」「轍」「しけ」「落陽」「フィロ」「尺度」
 次にこの中から四名の中三名以上が賛成するものとして「素」「耕」「極」「時針」「轍」「フィロ」が選ばれ、更に連記選抜によつて「耕」と「フィロ」とが残ったが、更に他の同人の意見を徴して「耕」と決定した次第である。成可この名前で私達のこの雑誌を成長せしめたいが、更に良い名前があれは[ママ]改名するのもよい。乞御協力。》

漢字一文字または二文字が同人誌名の一般的な傾向だったのか。ただ、一例だけのカタカナ名である「フィロ」が最後まで候補に残ったというのは同人たちの気分を反映しているようにも思う。


by sumus2013 | 2019-04-29 20:27 | 古書日録 | Comments(0)