林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 881 )

ベーエヌの司書

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『わがヴィヨン』のつづき。

《ようやくレゼルヴにたどりつく。建築家アンリ・ラブルーストが大ホールを構築した時点で、貴重本の管理と閲覧人の監視のためにしつらえられたこの小空間がすでに出現していたかどうかは知らないが、その後第三共和制下に管理と監視のシステムが一層入念に練り上げられてきたことだけはたしかである。ガラス戸を押しあけると(ここは引くだったかな)そこに番台があって、そこにマダムが座っている。見ると、その向こうにコントロールの島が浮かんでいて、そこにもマダムがいる。この二人の女性がシステムをコントロールしていると見た。図書請求伝票にも、閲覧の理由を書かなければならない。学術調査というような漠然とした理由ではだめだと注意書きがしてある。「ヴィヨン遺言詩集の他の諸刊本とこれを較べ、異同を確認するのが目的」と書いて出したところ、島の女性、これがまた、いかにも「ベーエヌの司書」然としたインテリマダムなのだが(ベーエヌというのが、ここフランス国立図書館の巷での呼び名なのです。ビブリオテーク・ナショナルの二文字の頭文字)、この詩集の批判的校訂本はいろいろあるではないか。なにをいまさらマロのを見たいのかと追及なさる。》

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《なるほど、あなたがいろいろあるとおっしゃる校訂本に満足できるものならば、いったいだれがここまで押しかけてきましょうや。わたしは「ヴィヨン遺言詩」の日本語による批判的校訂本を作ろうと考えている。だからみんな見たいのです。マロのも、人に頼るのではなく、マロの校訂本の原本を見なければ、気がすまないのだと、なんとかかんとか理由を述べ立てて、やっと納得してもらった。納得したかどうかは知らないが、ともかく座って待っていなさいといって、わたしの書いた伝票をヒラヒラさせながら、奥に入って行った。そこでおとなしく、待っていたら、本を持ってあらわれたのはもう片方の女性、番台のマダムだった。どこで入れ替わったのか。なんか、おかしかったのを覚えている。》

バインダーを広げてボールペンでメモしていると鉛筆を持って来た。

《そのマダム、こんどは鉛筆を一本、指で立てて持って来て、これを使えという。その持って来方がおかしく、思わず破顔したわたしに誘われたか、向こうもニヤっと笑う。そういう、これは「ベーエヌの司書」然としたマダムとは別種の、これもまたフランス国立図書館に棲息する女性たちの、もうひとつのタイプのマダムでした。》

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《本は十三センチに八センチほどの小型本で、白羊皮装丁。背表紙に黒字で Villon 、表表紙右隅に 1533 と刷り込んであるというシックな出で立ち。こんなすばらしい装丁は小沢書店の本でも見たことない。》

白羊皮装丁とあるので、一昨日写真を掲げた『フランソワ・ヴィヨン全集』とは異なるようだ。Gallica(bnfの検索エンジン)で検索してみると、当該本はモノクロの本文ページだけしか閲覧できなかった。装丁がどうなっているかは今のところ分からない。一五四〇年版がAbeBooksに出ているが、これは赤い装幀である。さすがのお値段。

Gallica Les oeuvres de Françoys Villon


Les Oeuvres de François Villon. Les Cantiques de la Paix par Clément Marot.
Edité par Paris, Jehan Bignon, 1540

《ここでご案内しておくが、「ヴィヨン遺言詩」と名付けられる詩群は原本をもたない。いくつかの写本と印刷本が残っているだけなのである。「ヴィヨン遺言詩」と呼んでいるのは、十五世紀の末、一四八九年に、パリの出版人ピエール・ルヴェが出版した印刷本、『テスタマン・ヴィヨン』の表題に従っているだけのことである。》

《ルヴェ本ののちマロ本が出版されるまでに、パリやリヨンなどで二十種を超す刊本がかぞえられた。写本は主なものに四つあって、二つは「ベーエヌ」に、一つはその分館のアルスナール図書館に、もう一つはストックホルムのスウェーデン王立図書館にある。》

おそらく一昨日の書影は『テスタマン・ヴィヨン』であろう(引用した本に詳しい説明がないのです)。それならこちら。


なお、一番上のカラー書庫は『La Bibliothèque nationale / mémoire de l'avenir』(DÉCOUVERTES GALLIMARD,1991)より。モノクロ書影は『BIBLIOTHÈQUE NATIONALE』(ÉDITONS ALVERT MORANCE, 1924)より。以前にも一度紹介したような気はするが、まあいいでしょう。

by sumus2013 | 2019-01-18 20:43 | 古書日録 | Comments(0)

津高家の猫たち

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外出した帰途、久しぶりに立ち寄った古書店で『津高家の猫たち』(東方出版、一九九五年一一月三〇日)を見つけた。二十四年前の今日、津高和一が自宅の倒壊によって亡くなったということは聞いていたが、その実際がどうであったか、その一端を知ることができる写真集だ。奇遇と思って購入した。(『わがヴィヨン』のつづきは明日)

吉野晴朗の写真(写真キャプション、あとがき)に、津高和一が猫について書いた短い文章が付されている。

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母屋の正面と石彫作品(1972年)と猫


津高家には主人の他に雪子夫人と十匹ほどの猫と一匹の犬が住んでいた。

《兵庫県西宮市で100年以上経っている古い農家の母屋と納屋を改築したギャラリーとアトリエが芝生の庭をL字形に囲み落ち着いた佇いを見せていた。門から続く細長い露地は外との結界になり、石畳も真・行・草と趣を異にしてやがて猫たちの遊び場の庭に入る。》

《秋には庭での個展や架空通信講座を催し建物、庭すべてが開放され、あらゆるジャンルの人々が集いこの時ばかりは猫たちよりも人間が多い津家であった。
 多くの人々の心の軸になっていた家は平成7年(1995年)1月17日午前5時46分の阪神淡路大地震のため倒壊、津高和一先生・雪子奥様が亡くなられた。そして一瞬のうちに先生の美意識で構成されていた空間も消滅してしまった。
 しかし幸いにも10匹の猫たちと震災3日後に瓦礫の下から救出された老犬モミはみんな無事だった。その後被災動物救援団体の人達にも手伝っていただき、今では静岡、高山、石川、和歌山、京都などで心優しい里親のもとで元気に暮らしている。》

以上は吉野晴朗「あとがき」より。津高家の猫の写真集は地震の前から企画されていたそうだ。

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先生の朝食後、猫たちは新聞に興味がない


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ミケコ家族と老犬のモミ、夏は玄関が涼しい



震災後、母屋の正面は下のようになってしまった。津高家の猫たちは二週間ほどの間にポツポツと自宅に戻ってきたのだそうである。

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毎年、震災のメモリアル・デイに合わせてギャラリー島田では津高和一の追悼展が開催される。今年は津高和一展 津高和一を偲んで、豊富な資料とともに」(1月19日〜30日)である。

ギャラリー島田

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by sumus2013 | 2019-01-17 20:25 | 古書日録 | Comments(0)

ミッテラン図書館

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堀越孝一『わがヴィヨン』(小沢書店、一九九五年八月三〇日)冒頭にパリの旧国立図書館が登場する。一九九二年夏のこと。堀越氏は帰国直前にクレマン・マロが一五三三年に刊行した『フランソワ・ヴィヨン全集』を閲覧した。上写真がその『Oeuvres complètes de François Villon』(『La Bibliothèque nationale / mémoire de l'avenir』DÉCOUVERTES GALLIMARD 88,1991,より)だと思う。

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大閲覧室
設計はアンリ・ラブルースト Henri Labrouste


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コントロール(番台?)


《今日は、特別閲覧室、レゼルヴといっているが、そっちにじかにいくからと番台のマダムに断って、すんなり第二帝政様式の鉄傘下に足を踏み出す。レアル(いまはフォーラムなるショッピングモールに変貌してしまった往時の中央市場)やエッフェル塔に先駆けるパリ市最初の鉄骨建築の大ホールである。いつもはこの閲覧室に座席をとるのだが、今日はまっすぐ突っ切って、奥のコントロール、といっているけれど、さて、なんというのか、閲覧人図書出納管理機構とでもいうか、その番台の脇の石段をトントンと登り、腰高の鉄柵を押しあけて(たしか押したと思ったのだが)、迷路を右手にとると思い鉄板のドアがある。そいつを肩で押しあけて(いやまあ、そんな気分だということです)、たまたまそこで人に出くわすと、パルドン、メルシの応酬があって、そこでようやく階段にたどりつく。余計なことだけれど、セーヌ上流のベルシー河岸の方に計画中の「ミッテラン図書館」(いや、他意はありません。ミッテラン大統領の時代に多分竣工するであろう新国立図書館というほどの意味です)では、たぶんこういうのんびりした雰囲気はなくなるでしょうね。なにしろここは第二帝政の世界なのです。》

第二帝政というのは日本で言えば幕末・維新の時期にあたる。堀越氏は皮肉っぽく書いているが「ミッテラン図書館」という呼び方は、その後定着しているようだ。二〇〇六年にそこで貴重書を閲覧された冨岡郁子さんのエッセイにも出てきた。

BnF(フランス国立図書館)の発行する雑誌『Chroniques クロニック』78号

また、実際のところ、ミッテラン大統領は読書家だったようで、昨年十月には旧蔵書のうち現代の初版本や原稿類などのオークションがオークションハウスPIASAで開催された。文人たちとの交友関係もあったのだろうが、それ相当なコレクションと言っていいようだ。下記サイトから目録を見ることができる。


つづく

by sumus2013 | 2019-01-16 17:22 | 古書日録 | Comments(0)

A FAR ROCKAWAY OF THE HEART

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元ユニテさんの解体市に品物を出させてもらい店番をしていたため、京都マルイの新春古書市へ行くのが今日になってしまった。もう何もないかと思ったが、さすがにそんな心配はいらなかった(明日まで)。

ブルトンの『狂気の愛 L'amour fou』(folio, 1978)はちょうど原文で読みたかったもの。ファーリンゲッティの詩集『A FAR ROCKAWAY OF THE HEART』(NEW DIRECTIONS, 1997)も、ちょっと読んでみたいと思って購入。

Lawrence Ferlinghetti

その後、河原町通り沿いの肉屋でコロッケを揚げてもらっている間に少し読み始めてみる。


  # 3

A native-born New Yorker
I was from the Lower Inside
a part of town much favored by
addicts of the subjective
(a subjective group always being in investigated)
as well as buddhists
and their lower chakras
and others seeking salvations
from various realities
virtual or actual
And losing track
of where I was coming from
with the amnesia of an immigrant
I traveled over
the extrovert face
of America
But no matter where I wandered
off the chart
I still would love to find again
that lost locality
Where I might catch once more
a Sunday subway for
some Far Rockaway of the heart


うまく反映されなかったが、実際にはそれぞれの行によって行頭にそれぞれ違ったスペース(アキ、字下げ)がある。

by sumus2013 | 2019-01-13 17:32 | 古書日録 | Comments(0)

封印された星

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元ユニテさんの解体市にて、巌谷國士『封印された星 瀧口修造と日本のアーティストたち』(平凡社、二〇〇四年十二月五日)署名入り本を求めた。他にも、こまごました物をあれこれ。

家具調度や食器類はかなり売れて残り少なくなっていたが、本はまだまだ残り福がありそうだった。椅子もいいのがいくつか残っている。移動式本棚なども。お近くの方は一度のぞいてみる価値ありかと。

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元・ユニテの「大解体市」
1月10日(木)~15日(火)
12時~18時です。
http://www.unite-kyoto.jp


***


以前取り上げた大日本レトロ図版研Q所のザボン・ブンタン問題についての追求がひとまずの着地点を見い出したようなので紹介しておく。

「ザボン」と「ブンタン」第九回

オンデマンド出張展示「大日本レトロ図版研Q会」

by sumus2013 | 2019-01-11 20:09 | 古書日録 | Comments(0)

彩画初歩

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浅井忠編輯『中等教育 彩画初歩 第六編』(吉川半七、明治二十九年二月二十一日)。表2に、

《此畫帖ハ全編ヲ分チテ七集トナシ其一集二集ハ黒畫ノ略影ヨリ密影ニ移ルノ順序ヲ示シ三集四集ハ着色ヲ施シテ後ニ黒畫ヲ繪クモノゝ例ヲ示シ五集六集七集ハ水彩畫ノ臨本トセリ》(編者志)

とあるように第七編まで出ており、それぞれ十二図が収められているようだ。ようだ、というのは、本書は表紙だけ第六編で、中身は、第五編第六図(帽子、杖)、第五編第七図(書籍)、第五編第八図(団扇)、第七編第一図(蕣)、第七編第五図(魚類)の五枚が挟まれているだけなのである。もちろん均一台にて。

ただし一編、二編、五六七編は上下のようだから、全部で十二冊か。本書の表紙に「下巻」の朱印が右下に捺されているところからすれば、最初は上下に分かれていなかったのかも知れない。

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第五編第七図 書籍


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第七編第五図 魚類



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第七編第一図 蕣


発行者は吉川半七(吉川弘文館の創業者)、石版印刷が小柴英侍、木版彫刻者が木村徳太郎、木版印刷者が松井三次郎である。図をよく吟味すると、輪郭は木版の線描で刷られ、陰影や色彩は石版印刷になっている。高級印刷だったのだろう。定価は十六銭。コーヒー二銭の時代だから今なら五千円以上(?)。

創業者吉川半七は天保10年(1839年)に近江国滋賀県)で生まれ、江戸日本橋蛎殻町の書肆若林屋喜兵衛に奉公。安政4年(1857年)19歳で独立し、自営を許されて書物の仲買を始める。文久3年(1863年)には長姉の婚家で麹町の貸本屋近江屋を継ぎ、近江屋吉川半七を名乗った。元治元年(1864年)、江戸・京坂を往来して書籍の交易を行う。
明治3年(1870年東京府京橋南伝馬町(現在の中央区京橋一丁目)の表通りに新店舗(吉川書房)を開く。扱った書物は、新時代の要望に応え、和漢書のほか、福沢諭吉中村正直等の西洋文化の翻訳類も数多く取り揃え、とくに上方版の常備販売は他店の追随を許さぬものがあった。明治5年(1872年)には、吉川書房の階上に「貸本屋」の大革新を試み、有料(1時間半銭)の書物展覧所を設け、広く内外の書籍を集めて公開し「来読貸観所」と称した。大槻如電は「日本における図書館の濫觴なり」と称賛している(明治9年11月火災により閉鎖する)。明治10年(1877年)頃より出版を兼業し、はじめ「文玉圃」「近江屋」等の号も用いたが、多くは「吉川半七」の個人名をもって発行所とした。明治12年(1879年)には内閣書記官岡三橋(守節・書家)の推挙により宮内省御用書肆となり、『萬葉集古義』『幼学綱要』『婦女鑑』等、多数の宮内省蔵版の出版を引き受け、明治20年(1887年)頃より、時代の趨勢に鑑み出版に専業し、もっぱら学術書の刊行に従事する。》(ウィキペディア)

弘文館を名乗るのは明治三十三年からだそうだ。

小柴英侍(ひでじ)は日本石版創始者・小柴英の長男。大正八年に東洋インキ製造の社長に就任。弟に洋画家の小柴錦侍がいる。

木村徳太郎は

1842-1906 明治時代の印刷技術者。
天保(てんぽう)13年7月生まれ。木村嘉平に木版,梅村翠山(すいざん)に銅版技術をまなぶ。文部省彫刻係,内閣官報局御用をつとめ,明治22年創刊の「国華」の木版画彫刻を担当した。明治39年12月29日死去。65歳。江戸出身。本姓は鈴木。号は楊堂。》(コトバンク)

とのことである。松井三次郎も吉川の仕事をよくしていたようだ。谷崎潤一郎『お艶殺し』(千彰社、一九一六年)の木版刷も手がけている。

by sumus2013 | 2019-01-07 17:35 | 古書日録 | Comments(0)

淡窓詩話

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広瀬淡窓『淡窓詩話 約言或問』(岩波文庫、昭和十五年二月三日)。長壽吉の「序言」によればかつて頼山陽は淡窓に向かって「海西の詩は、享保の餘習をうけて陳腐熟套のみなり。ともに詩を云ふべきは、足下と竹田のみなり。」と言ったという。海西は九州、竹田はむろん田能村竹田のことである。九州に詩人は淡窓と竹田だけしかいないぞ、と。巻末年譜によれば山陽が淡窓を訪れたのは文政元年(1818)淡窓三十六才、竹田が淡窓を訪れたのは七年後の文政八年(1825)だった。

淡窓は生来虚弱だったため、講学をもって身を立てたが、その学塾は大変に盛況であって、弟子の数は五十年の間に四千六百人余になったという。以前その合同詩集を紹介したことがある。

『冝園百家詩初編』

《先生の生涯は実に平々坦々たるもので、当時文運隆盛、詩文の人東都京洛の間に、来往繁く、又辺境漸く騒然たる頃、終始山間の日田に在つて、読書専ら自省琢磨の生涯を送つたのは、尋常のなし得るところではない。》(長壽吉)

本書ではそのような境涯について淡窓自身が語っている。

《門下詩人ノ多キコト、是レ予ガ詩ヲ好ムヲ見テ之ニ倣フナリ。予強テ之ヲ勤メシニ非ズ、亦秘訣アリテ之ニ傳ヘシニモ非ズ。今且予ガ詩ヲ好ム所以ヲ談ズベシ。経ニ、君子無故琴瑟不離側ト云フコトアリ。先儒其事ヲ論ジテ曰ク、今時ノ儒生琴瑟ヲ學ブニ暇ナシ。之ヲ學ビタリトモ、和漢聲音ノ同ジカラズ。古人ノ琴瑟ヲ玩ビシ程ニハ、心ニ切ナラズ。故ニ古詩ヲ諷詠シテ心ヲ慰メ、琴瑟ニ當ツルニ如クハナシト。予少キヨリ深ク此説ヲ信ズ。平生多病ニシテ、心思鬱悶スルコト多シ。此ノ如キ時ハ、必ズ古詩ヲ諷詠シテ思ヲ遣ルナリ。心思憂苦スル時ハ、古人ノ思ヲ神仙ニ寓シ想ヲ雲霞ニ寄スルノ作ヲ詠ジテ、心中ノ鬱滞ヲ盪滌ス。》

《予嘗テ曰、詩無唐宋明清。而有巧拙雅俗。巧拙因用意之精粗。雅俗係著眼之高卑。ト。予ガ詩ヲ論ズル、此外ニ在ルコトナシ。故に詩ヲ學ブ者ハ、務メテ其才識ヲ養フベシ。才ヲ養フハ推敲鍛錬ニ在リ、識ヲ養フハ古人ノ詩ヲ熟讀スルニ在リ。》

《今ノ人詩ヲ作ルニ急ニシテ、詩ヲ讀ムニ遑アラズ。故ニ才餘リアリテモ識足ラズ。古人ニ及バザル所以ナリ。》

《三都ノ市中ニ住スル者ハ、山ヲ見ルモ水ヲ見ルモ、容易ニ得ガタシ。田園邱壑ノ樂ハ、生涯得ベカラズ。故ニ其詩モ、或ハ贈答ヲ専ラニシ、或ハ詠物ヲ務ム。是レ勢ノ免レザル所ナリ。我輩幸ニ田舎ニ住シテ何事ヲ言フモ勝手次第ナリ。何ゾ彼等ガ不自由ナル境界ヲ羨ミテ、其口角ヲ摹スルコトヲセンヤ。》

日田と言えば、近年豪雨によって大きな被害を蒙った地域である。たまたま上の写真にあるように「木都 日田案内」というパンフレット(発行=ヤブクグリ、平成二十五年十月十六日)が出てきたので並べてみた。それによれば《大分県日田市は古くから林山地、木工業の町として栄えてきましたが、この町はいま、全国的な林業の衰退とともにひと頃のにぎわいを失くしています》とか。

しかしながら往時の日田はただの田舎町ではなかった。ウィキによれば寛政十六年(1639)に江戸幕府直轄地となり、更には貞享三年(1686)年以降は、大名ではなく、幕府が任じた代官が直接支配する土地となった。それにより三都に倣った町人文化が繁栄し商人たちは大名貸の金利などで莫大な利益を上げた。俗に日田金(ひたがね)と言ったそうだ。淡窓の弟である六世広瀬久兵衛も治水工事など数々の公共事業に資金を提供したという。病弱な淡窓が本ばかり読んでいられたのも、そういう財政的なバックボーンがあってのことだった。

淡窓の詩学は、そういう意味で多少の自己完結的な弱点もあるように思えるが、同時に洞察や感覚を独自に研ぎすますという良さもある。例えば、こんなところは同感できる。

《佳句ハ多クハ景ヲ寫ス句ニアリ。然レドモ景ヲ言フコト、一首ノ中ニ多クスベカラズ。多キ時ハ人ヲシテ厭ハシム。情ヲ主トシテ、景ヲ以テ其間ニ粧點スベシ。例之バ、前庭ニ樹木ヲ植ウルハ景ナリ。空地ハ情ナリ。樹木多クシテ空地ナキハウルサシ。空地アリテ樹木ナケレバ、玩賞スベキ物ナキガ如シ。》

また、あるいは、

《邦人唐音ニ通ゼズ、故ニ音節ノ異同ヲ知ルコト能ハズ。唯漢人ノ用法ニ於テ、其多クシテ且正シキモノヲ選ンデ、之ニ従ハンノミ。》

とあるのなど、幕末における漢詩の行き詰まりがはっきり見える見解ではないだろうか。

by sumus2013 | 2019-01-05 20:53 | 古書日録 | Comments(0)

俳諧有や無やの関

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『俳諧有や無やの[]関』写本。今年最後の一冊は、少々悩んだが、この写本を選ぶ。はっきり言って虫食いだらけの、しかもかなりひどい落書きまである本なのだが、しかし内容としては、けっこう珍しいかもしれない。俳諧の手ほどきといった内容らしい。よく読めませんが。とりあえず、早稲田大学図書館に蔵されている写本と比べると「本式表十句の事」まではほぼ同じで、早稲田本はそこで終わっているが、架蔵本は「雑類の雑尾の雑発句」以下三丁ほど続く。


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巻末頁

『俳諧有や無や能関』の書誌情報は以下の通り。

日本古典籍総合目録データベース
項目内容
著作ID405867
統一書名俳諧有也無也之関 ( はいかいうやむやのせき ), K, 1
巻冊一冊
別書名
[ 1 ] うやむやのせき( うやむやのせき )
[ 2 ] はいかい秘伝/うやむやのせき( はいかいひでん/うやむやのせき )
[ 3 ] 幻住庵俳諧有也無也関( げんじゅうあんはいかいうやむやのせき )
分類俳諧
著作注記〈備〉日本古典文学大辞典に解説あり。
国書所在
【写】国会(「連俳提要有也無也之関」、異本、五冊)(一冊),早大(羅文写、曲亭叢書一一五)(玉晁叢書俳叢の内),東大(抄、三家雋九),東大洒竹(文政一三写),無窮平沼
【版】<明和元版>国会,東大竹冷,東北大狩野,富山志田,柿衛,松宇,天理綿屋<刊年不明>大阪府,天理綿屋&なお新撰俳諧七部集の内
【複】〔活〕俳諧文庫続俳諧論集
著作種別和古書

日本古典文学大辞典 / 日本古典文学大辞典編集委員会編集 第1巻 岩波書店 1983 4000800612
p.316 うやむやのせき

国立国会図書館デジタルコレクション
幻住庵俳諧有也無也関 唐本屋新右衛門[ほか3名] 明和元(1764)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2539775 (2014/02/14確認)


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『俳諧有や無やの関』巻末見返しには書写者または旧蔵者(?)の署名がある「梅資ご教示いただきました]/鶯宿」、印「鶯」「宿」。そして何と立派なレッテル「巌松堂書店古典部/東京神田中猿楽町」。このレッテルだけでも見っけものの一冊。

みなさま、良いお年をお迎えください。

by sumus2013 | 2018-12-31 17:12 | 古書日録 | Comments(2)

印度の歌

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『セノオ バイオリン楽譜 印度の歌(歌劇サドコ)』(セノオ音楽出版社、大正十一年十二月二十三日)。表紙画は竹久夢二。ボロボロなので均一に放り込まれていた。飛翔する天使、西欧の山間の村、星月夜。クリスマスイヴにはもってこいかと思って。発行日も九十六年前の十二月二十三日だし。「サドコ」はリムスキー・コルサコフ作曲の歌劇。

《「サドコ」は一八九六年に完成され、一八九七年に初演された。
 サドコはノヴゴロト[ママ]に住んだ伝説の楽人である。而し其町の人々は歌に冷淡であつた為、彼は貧乏に其日を暮した。而し、彼が町の商人と賭けをして、イルソンの湖から黄金の魚を捕る事に成功して、非常の金持となる。それは、湖畔で唱ふ彼の美声が海王の娘ヴオルカヴァアの心を動したからである。

サドコは海へ入り海王の娘と婚約して大いに歌いかつ楽器を演奏した。海人たちは酔っ払って大騒ぎをする。ところがそのため海上は大時化になってしまった。聖ニコラスはサドコの手から楽器を取り上げ、妻の許へ戻させ、海王の娘をノヴゴロドの町を流れる川に変えてしまったという。

「印度の歌 Chanson Indoue」は劇中で印度の商人がインドの海の不思議を述べる歌だそうだ。演奏はクライスラー。




by sumus2013 | 2018-12-24 20:51 | 古書日録 | Comments(0)

本の話

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『本の話』岩波写真文庫100(岩波書店、一九五三年一一月一五日)。これは初版だが、現在、復刻されており、新刊書店で入手できる。本文六十四頁に出版から流通その他、本にまつわるさまざまな事柄をコンパクトにまとめてある。

名前の通り写真がふんだんで本の流れがよく分かる。驚いたのは、返品のときには、書店員が何冊かまとめて包装紙(たぶん茶色の)で包んで荒縄で縛っていること。取次から発送されるときには林檎箱のような箱に詰められ、やはり縄で縛り上げられている。ルネサンスごろ、西洋では輸送のときに樽に本を詰めたと聞くけれど、さほど変わらないような気もする。

写真とともに記されている出版流通関連の数字も興味深い。昭和二十七年の発行点数は総計が17,306点。文学4,017、学習参考書2,482、社会科学2,435・・・(平成後期の年間書籍発行点数はおよそ八万くらい)。

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小売店数都道府県別。東京910、愛知372、大阪299、北海道293、新潟245、神奈川228、広島227、福岡226、兵庫200、その他3,861、総計7,076・・・最近の書店数は一万を切っているようだから、この時期のレベルに近づいてきたのかもしれない。当時の人口は8300万人くらい。

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定価別発行点数。100円未満3,250、100〜199円5,771、200〜299円4,250、300〜399円1,783・・・当時のコーヒーは30円だった。本の方が割安な感じかも。

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出版社数都道府県別。東京1,859、大阪124、京都98、愛知40、長野18、北海道18、神奈川17、兵庫14、その他74・・・計2,262。書店が少なくて版元が多いのが京都ということか・・・。北海道に版元が多いのは紙の供給に関係しているのかもしれない。

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他に、製本、装幀、印刷、紙、校正、活版印刷、原稿、編集企画・実務、写真文庫のできるまで、古本屋、図書館も取り上げられている。そして最後に「書斎」。この方はどなただろうか。地球物理学者?

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地球物理学、岩波書店、昭和27年・・・で検索してみると、昭和二十四年(昭和八年が元版らしい)に『地球物理学』(岩波全書)という本を出している坪井忠二ではないかと思われる。坪井正五郎の次男、寺田寅彦の弟子である。




by sumus2013 | 2018-12-22 20:14 | 古書日録 | Comments(0)