林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 910 )

余白の研究

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『箋註純正蒙求校本巻下』


昨日の『大燈国師語録』で思い出した。たしかこんな余白の和本、そう言えば、持っていたはず・・・書箱の底をかきまわしていくつか取り出してみたので、参考までに掲げておく。

まず、よく似ているのは『箋註純正蒙求校本巻下』胡炳文撰・近藤元粋註釈(柏原政治郎、明治十五年五月発兌)である。幸い(残念ながら)この本に書き入れはない。きれいなもの。『蒙求』というのは中国の八世紀(宋時代)に成立した人物逸話集で、教科書として日本でも長らく用いられてきた。

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当たり前ながら、このページレイアウトはウィリアム・モリスの余白ルールとは全然違う。ノドと天が広く地は極端に狭い。袋とじという構造からして木口側には余白がない。というのは、製本の際に中央の折り目がはっきり分かるように魚尾(ぎょび)というマークを印刷するからである。そのマーク以外にもタイトルや巻数またはノンブルなどをここに刷るのが通例である。この折り目の部分を版心(はんしん)または柱(はしら)と呼ぶ。

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もう一冊。『仏説無量寿経 巻上』(詳細不明)こちらはノド(綴じ目側)の部分はそう広くないが、天はかなり広くタテ寸法26.5cmのうち7cm近くが余白に当てられている。30パーセント近い。

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本文八行! これにも驚かされる。行間が広いのも、おそらく注釈あるいはルビなどを書き入れるためだろう。要するに、本でありながらノートでもあった。それを始めから想定して組版を設計していたということになろうか。

高校時代、教科書にメモするのをひどく嫌う国語の教師がいたが(小生、当時は書き入れ派でした、今はもちろん違います)、昔の人は教科書にメモして勉強するのが当たり前だったという事実を知ってもらいたいものだ。

by sumus2013 | 2019-03-21 17:36 | 古書日録 | Comments(0)

俳人蕪村

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獺祭書屋主人『俳諧叢書第二編 俳人蕪村』(ほとゝぎす発行所、明治三十三年三月五日再版)。背が補修されており、表紙には「松岡蔵書」「吉川蔵」とふたつの印が捺されている。本文中にも鉛筆の書き入れが散見される。要するに、愛蔵され、読み込まれた一冊だということだろう。

善行堂の段ボール箱の中から(いいものあります)。これが目に止まったのは、小生、蕪村好きということもあるが、先日「喫茶輪」のブログに鈴木漠氏の論考「蕪村と若冲」が引用されており、そこに蕪村という号の由来が断定されていた、それを読んだからだった。

《号の「蕪村」は、傾倒した五世紀東晉の詩人陶淵明の『帰去来の辞』に謂う「帰りなんいざ、田園将に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる。」の「蕪」、すなわち「蕪(あ)れた村」に因ると思われます。明治期、人々から忘れられかけていた蕪村を再発見し、世間に称揚したのは正岡子規ですが、漢籍に詳しかった筈の子規が不審なことに、蕪村と陶淵明の関係に全く気がつかず、随想「俳人蕪村」の中で「蕪村とは天王寺蕪(かぶら)の村といふ事ならん、和臭を帯びたる号なれども、字面はさすがに雅致ありて漢語としてみられぬにはあらず。」などと、およそピント外れの意見を述べています。》

喫茶 輪 コーヒーカップの耳

陶淵明『帰去来辞』はあまりにも有名。ここでは問題になる冒頭の一行だけ引用する。

 歸去來兮田園將胡不歸

この作についてはいろいろな解説がネット上にも出ているが、下記が詳しい。

詩詞世界

このサイトの解説を読むと《「蕪」、すなわち「蕪(あ)れた村」》とするには少々無理がある。まあ、それはそれとして、当然、蕪村は『帰去来辞』を知っていたはずだから、魅力的な説であることは否定できない。そして、何が言いたいかと言うと、鈴木氏が引用している正岡子規の文章は本書のなかに見られるものなのだ。本書ではこう書かれている。

《蕪村とは天王寺蕪の村といふ事ならん和臭を帯びたる號なれども字面はさすがに雅致ありて漢語としても見られぬにはあらず。俳諧には蕪村又は夜半亭の雅名を用うれど畫には寅、春星、長庚、三菓、宰鳥、碧雲洞、紫狐庵等種々の名異名ありきとぞ。》(一二六〜一二七頁)

ちょうど頭のなかにこの鈴木説が突き刺さっていたので、蕪村が呼んでくれたのかもしれない。偶然とも思いにくい偶然だった。

by sumus2013 | 2019-03-17 21:21 | 古書日録 | Comments(4)

組版造形 白井敬尚

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京都dddギャラリー第219回企画展
組版造形 白井敬尚
2019年01月12日(土)~03月16日(土)

こちらも某氏に教えられて(やっぱりチラシは持ってました!)、最終日も迫っているので、あわてて出かけた。白井氏のこれまでの仕事、および白井氏の敬愛する、あるいは影響を受けたデザイナーたちの書物(ヘルムート・シュミット、清原悦志、ヤン・チヒョルト…)を、ヒラだけでなく見開きでズラリと展示し、組版の美しさをじっくり楽しめるという企画。

小生も時折、組版を頼まれることがあるが、これは本のデザインのなかではもっとも難しい仕事。読みやすさをまず考えなければならないし、新味も出したい。ページ数との戦いもある。凝り出したらキリはない(自分で出す雑誌や本は組版もあれこれ試みるが、結局、初期設定がいちばん読みやすかったりする、ガッカリである)。そのブックデザイナーにとってはいちばんの苦心のしどころを作品として一堂に展示するというのもdddならでは。

近年ではデザイン雑誌『アイデア』の一連の書物関連特集号をはじめとして、八〇年代(出品リストによれば一九八七年が最初期の作品、チック・コリア『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』[自主制作]、これがじつに渋くて好きだ)からの、あれも、これも、それも、白井氏の作品だったかと、会場を徘徊しながら、みょうに納得することしばしばであった。

ほう、と思ったのは子供時代に読んでいた今江祥智・宇野亜喜良『海の日曜日』(実業之日本社、一九七一年版)のエピソード。

《小学生時代、夏休みの読書感想文課題の推薦図書だったのが『海の日曜日』。
それが今江・宇野コンビとの出会いであった。『子どもの本の海で泳いで』は、その宇野氏からいただいた1本の電話から始まった。》

そして『子どもの本の海で泳いで』が白井氏のデザインで刊行された。こういうことって嬉しいものだ。

by sumus2013 | 2019-03-13 17:25 | 古書日録 | Comments(0)

DADA

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ダダに関する本を最近二冊買った。左が、ケネス・クウツ-スミス『ダダ』柳生不二雄訳(PARCO出版局、1980年6月15日二刷)。右は『ダダ展カタログ』(児玉画廊、1989年10月30日〜11月25日)。後者は先日の海月文庫さんにて。児玉画廊は大阪市西区江戸堀、金光教玉水教会のすぐ南側の瀟洒なビルにあった。大久保英治さんの個展などを見るために何度か通ったことを思い出す。当時は加藤義夫氏がマネジャーで意欲的な展示を続けていた時代である。ただ、神戸に住んでいたので、そう頻繁に訪れたわけではなく、このダダ展も見ていない。このカタログをめくってみると、う〜ん、見ておきたかった。手前は同展の案内状。

左の『ダダ』はよく出回った啓蒙書。安価な本だ。それにしても100円は・・・と思って買ってみると、おやおや線引きが鬼のようにあった! 全部で二十ページくらい。これぞというところにメチャ引き。

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本文アート紙に固めの鉛筆だから無理かもと思いつつ、消しゴムをかけてみた。せっせっせと三十分くらいかけて線引きと格闘、なんとかすべてやり終えた。まずは、ぱっと見、そう目立たないくらいには抹消できた。印刷の文字まで薄くなっては困ると思ったのだが、それほどでもなく、ひと安心。ところが、一箇所だけ、赤いボールペンのマークがあって、これは消せない。ガックシ。

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この一ページ分の消しゴムのカスです・・・やれやれ。以下、拙ブログのダダ関連記事をリンクしておく。

ダダ新聞『DADA100』

Dada. Zürich, New York, Paris, Berlin, Köln, Hanover

TZARA chronique zurichoise 1915-1919


by sumus2013 | 2019-03-12 20:14 | 古書日録 | Comments(0)

一誠堂書店レッテル

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『露国十六文豪集』衞藤利夫訳(新潮社、大正九年一月五日四版)と高橋盛雄『英文手紙の実例と練習』(太陽堂書店、昭和11年7月10日)。前者はつい最近、オマケでもらったもの。後者はずいぶん前に百円均一で買ったもの。今、改めて「日本の古本屋」で調べてみると、それなりの値段が付いている。前者には函がある。

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どちらの本にも東京・神田・一誠堂書店のレッテルが貼られているため、処分するのがためらわれた。むろん剥がしてしまえばいいのだが、貼られている姿も大事ではないかと思ったりして・・・。本の奥付ではレッテルの使用時期は分からないにしても、ある程度の参考にはなる。色の相違もそうだが、昭和に入るとやや小さくなり、デザインも微妙に異なってくるのは「時代」ということなのだろうか。いったいどれくらい種類があるのだろう。


by sumus2013 | 2019-03-06 20:14 | 古書日録 | Comments(0)

見捨てがたきもの

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秦秀雄『見捨てがたきもの』(文化出版局、昭和四六年五月二五日)。これはみつづみ書房にて。秦秀雄は井伏鱒二『珍品堂主人』のモデルである。

魯山人経営の高級料亭星岡茶寮支配人。号は珍堂。明治31年(1898)福井県三国町に生れる。北大路魯山人に抜擢され星岡茶寮支配人となる。その後目黒の驪山荘を経営、昭和18年伊東温泉に疎開以来、古美術の探究と鑑賞に専念する。》(コトバンク)

『ミセス』と『銀花』に連載した文章をまとめた一冊。内容は掘出し自慢以外の何物でもない。それはそれで潔いほどである。ちと文明批判がうるさいのが欠点。そこはスルーして読めば、自慢話も楽しく読める(基本的に骨董や古本の自慢話が好きです、青柳瑞穂の本とかね)。

魯山人はもちろん、柳宗悦や青山二郎(チラリと)、白洲正子も登場する。骨董商やコレクターも実名で書かれているのでいっそう興味が湧く。秦秀雄のモットーらしきフレーズをいくつか引いておく。古本者と基本は同じ。

《市井のそこここに隠されたなんでもない凡器の中に、魅力ある古陶がある、それを見つけ出す目、それが鑑賞の目というものだ》

《美術の鑑賞に口先だけの批評なんぞはあるべきじゃない。よければ買って自分のものにする。》

《私は見て歩く。しかし気にいったらいつでもなんでも買ってくる。それが私の鑑賞の心がまえ、態度だ》

《私は私の好むところのものを感興のおもむくままに自由自在、道草をくいつつあゆんできた一散歩者にすぎない。》

面白いと思ったのは、自分の持ち物を他人が欲しがっても、気に入ったものは絶対誰にもやらない(売らない)という態度。まず、谷崎潤一郎夫妻に汁椀を所望された例。伊豆伊東温泉に疎開していた戦時中のこと。谷崎は熱海に居たのでひんぱんに秦宅の天然温泉風呂に入りに来たという。食事を供することもしばしばだった。

《そして先生は、お椀をいかにもうらやましそうに見て、あればどこかで手に入れたいというようなことをもらされた。しかし戦争の最中、お椀さがしでもあるまいと、私はすっかり断念し、先生にもあきらめていただいた。》

その後、ある美術商が疎開してくる。秦宅へ根来のお椀十客を提げてやってきた。

十客ある椀だから、五つは谷崎さんの懇望依頼にこたえてお知らせすべきだとは思いもしたが、売りに行くようで気がさして、ついそのままにし、無精をきめこんでしまった。

微妙な書き方である。売らずに進呈すればいいじゃないか、と思う。谷崎がただでもらうはずもないだろうし、何らかの返礼はあるだろう。結局のところ、谷崎に渡したくなかった、自分だけで楽しんでいたかったに違いない。川端康成夫妻を招待したときも同じようなことがあった。鍋料理をふるまった。

《そのとき出して使った鉄なべを、ご夫妻は感心してながめ、どこで買ったらいいものか、どうしてさがしたらいいものか、そんなことを根掘り葉掘りして尋ねられた。そのころの私は食器に道楽をしていて、なべも大小さまざまのものを五つ六つ持っていないではなかった。
 夫人のいかにもうらやましそうな顔を見て、「一つ進上しましょう」とのどもとまで出かかった言葉を押えて進上しなかったのは、一つ一つすがたが変わっていて、一つ一つ大きさが違っていて、用途により、客数により、どれ一つもわが家から欠かすことができない、という欲心があったからであった。》

ここでは正直なところを吐露している。

本箱が登場しているので写真を掲げておく。

《仙台だんすの古いのを都内の骨董屋でさがしていると、さがし物は見つからないで、古い本箱が見つかった。幅一メートルもあろうか、高さはもう少しありそうな、小部屋にはうってつけのしろものである。総桐の一枚板の木目が綺麗に浮き出た、目だたないが小粋な材料を正直に苦心して使っているのが気に入った。扉に鉄金具が付いていて、鍵もかかる仕掛けになっているが、今はやりの民芸調のいかつい武骨さが感じられない。》

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あとがきのような文章「ものを見る目」(上にここから短い言葉を引用した)に老子が引用してある。

《「無欲にして見ればその妙を見るべく、有欲にして見ればそのかたはしを見るべし」とは老子開巻第一のことばである。知識の目、分別の目では人も自分も自然も物も、茶わん小鉢ひとつもその真相は見えて来ない。有欲、いくらするか、大きさは、重さは、どこにあったか、高くなるものか、等々、そんなこんなの欲目で人を見ても物に対してもそのワンサイドがのぞき見されるだけで全体の霊妙の姿、形は了解されるものではあるまい。

知識や欲得でなく無心で接しなければ本当の姿は見えてこない・・・批評家、知識人を批判する言葉として用いているわけだが、ただし、老子『道徳眞経』原文の冒頭は以下の通り。赤字が秦の引用した部分に相当する。

道可道,非常道。名可名,非常名。無名天地之始,有名萬物之母。故常無欲以觀其妙。常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。》(諸本対抗道徳眞経

秦のように理解しても部分的には間違いとは言えないだろう。しかし、老子が曲者なのは《此兩者同出而異名》と続けているところである。言っても名前が違うだけ、ルーツは同じ。無欲で内面(核心、本質)を見、有欲で外面(形、物質性)を見る。内面と外面は切り離せない、そういうことかもしれない。

by sumus2013 | 2019-03-03 20:38 | 古書日録 | Comments(0)

蘭亭先生詩集

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『蘭亭先生詩集』写本一冊を入手した。版本は宝暦八年(1758)刊(歿後出版である)、十巻七冊。そのうちの巻九・十の一冊を筆写している。

高野蘭亭 たかの-らんてい
1704-1757 江戸時代中期の詩人。
宝永元年生まれ。高野百里の子。荻生徂徠(おぎゅう-そらい)にまなぶ。17歳で失明し,以後詩に専心して服部南郭とならび称された。没後「蘭亭先生詩集」が刊行された。宝暦7年7月6日死去。54歳。江戸出身。名は惟馨。字(あざな)は子式。別号に東里。》(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

父は魚問屋を営み、俳人としても知られた高野百里。荻生徂徠の門に入るが、間もなく(十六歳のころ)に失明し、他事を措いて詩吟に耽ったという。そのため詩人としての名声は高まり続けた。

享保20年(1735年)越智雲夢編『懐仙楼雑記』では、収録詩1900余首の内700首を蘭亭の詩が占めており、江戸詩壇における存在感の大きさが伺える》(ウィキ「高野蘭亭」)

検索してみると、ちょうど同じ巻九、十の写本が早稲田大学にあることが分かった。

蘭亭先生詩集. 巻之9-10 / 蘭亭 [撰]

収められている詩はいずれも七言絶句で、早稲田本は続けて筆写されているが、本書は起承転結に分けて二行に書いてある。

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ざっと目を通してみると、素直な分かりやすい作風で模倣しやすいように思う。町人出身ということもあったろうが、それが人気の秘密だったかもしれない。いろいろ人名が読み込まれていて交遊の広さがうかがわれる。海西大潮禅師などをはじめ禅家との付き合いが深かったようだ。肥後侯、宇土侯という敬称が何度も出ている。かなり親しかったように読める。年代からして熊本藩主・細川宗孝を指すのかとも思うが、この辺は全く不案内なので深く触れないでおく。

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書写した人物の署名が巻末にあるのは有り難い。天明八年は西暦一七八八である。前年、老中になった松平定信が寛政の改革に着手。この年には田沼意次が死去し、柴野栗山が幕府の儒官となった、そんな時代。

天明八年申秋
    九月

 高澤直清寫之
 加治高澤姓所持
加治之

高 直清
  写之

by sumus2013 | 2019-03-02 20:53 | 古書日録 | Comments(0)

BOOK MARK

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古書ヘリングでの獲物。SIDNEY DARK『ROBERT LOUIS STEVENSON』(HODDAR AND STOUGHTON)。作家シドニー・ダークによる『宝島』のスティブンソンの伝記のようだ。発行年は記されていない。UKの古書サイトで見てみると一九三〇らしいが、はっきりしない。もちろん読もうと思って買ったわけではない。

実はこれが挟まっていたから! 歯磨きのチューブ、じゃなくて、チューブ型のしおり(BOOK MARK)。

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コリノス(KOLYNOS)はジェンキンズ(N.S.JENKINS)によって一九〇八年に創業され、一九九五年にコルゲート=パルモリヴに吸収されたが、一九三〇〜四〇年代には最もポピュラーな歯磨ペーストのブランドだった。本書の発行年代とほぼ一致している。サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』にも「コリノスの空き箱が転がっている」という描写があるくらい。(以上英文ウィキによる)

それだけじゃなくて、押し葉が二枚。以前、和本の葉っぱを紹介したが、こちらも虫除けなのだろうか。

山陽詩鈔

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他にも多数挟んであったようだ。すでに失われてしまって、跡形だけが残っている(十ページ以上ある)。痕跡本!。これが何の葉っぱなのか・・・判別できないのが残念。ご教示を。

by sumus2013 | 2019-03-01 20:47 | 古書日録 | Comments(2)

みつづみ書房

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伊丹のみつづみ書房が移転してから、初めてお邪魔した。移転はもう一年半近く前なのにどうしてだかのぞく機会がなかった。阪急の伊丹駅から北へ歩いて五分くらい。バス通り沿い、セブンの真向かいに位置しており、風通しもいい感じ。いろいろなお客さんが見えるようになったとのこと。

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以前の店からすれば少し手狭だが、それでもさまざまなイヴェントを企画しているから、すこぶる意欲的だ。本の品揃えは本格的なもの。硬軟を含めジャンルの幅もかなり広く、本好きならどんな人でも何かひっかかるタイトルが見つけられると思う。みつづみ夫妻のコンビの良さか。常連のお客さんの要望で骨董品コーナーもできている(骨董市も予定とか)。伊丹へ行ったら必ず寄りたい店である。

みづづみ書房

みづづみ書房 facebook

by sumus2013 | 2019-02-28 20:17 | 古書日録 | Comments(0)

古書・福物 組や

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京都の油小路通り出水上るに「組や」という古書店がオープンしていたので立ち寄る。本格営業は昨年十二月から始めたそうだ。お弁当も販売する予定だそうだが、まだそれは実現していなかった。しばらくは休みなしで午前十一時から営業している。

Instagram kumiya777

組や

センスよく考えられ並べられた本やグッズは、インスタ映えするうえに、筋の通った選書である。店番の女性にいろいろとこの店の成り立ちについて説明をうかがったのだが、一言ではまとめにくい。とにかく、彼女の夫君は松丸本舗のスタッフだったとのこと。なるほど、それならこの棚作りは納得できる。

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by sumus2013 | 2019-02-26 19:55 | 古書日録 | Comments(0)