人気ブログランキング |

林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
巴里アンフェール
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
more...
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
閑でした。コピペしたので..
by sumus2013 at 19:48
『正岡子規と美術』図録は..
by epokhe at 18:45
有難うございます! 蔵澤..
by sumus2013 at 08:06
すっかりご無沙汰しており..
by epokhe at 00:39
どなたかご存知の方がいら..
by sumus2013 at 07:58
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:古書日録( 985 )

眩暈祈禱書

f0307792_20193308.jpeg


塚本邦雄『眩暈祈禱書』(審美社、昭和四十八年七月十一日)。審美社発行ではあるが、編纂装釘は政田岑生。なるほど政田好みの艶っぽいところと厳密なところが渾然とした意匠になっている。本体はコーネル装でヒラの綾織が眩く光る。

《「水葬物語」より「星餐圖」までの七歌集から、イエスもしくはキリスト、さらにはキリスト教的世界を主題とした作品二百五十首を年順に選出綜合して、ここに「眩暈祈禱書[げんうんきたうしよ]」と題する選集を編んだ。》(跋)

《私の座右にある數冊の聖書の中、幼い頃から片時も離したことのない一册は、その奥附に昭和四年六月第二十三版刷とあり、初版は大正八年六月の英國聖書協會刊、神戸市江戸町F・パロット發行と記されてゐる。朧な記憶をたどると、その二十三版を何らかの記念に牧師であつた叔父から贈られたものと覺しい。摩耗破損した表紙をみづから格子ギンガムの布装に補修し、ルオーの筆になる聖家族の複製畫で再装釘してゐるが、それも既に手垢に汚れ、愛誦頻りであつたルカ傳のあたりは汚點[しみ]いちじるしい。ほとんど完璧と思はれる邦譯韻文體のバイブルは、私にとつてこの上なくうつくしい異國の繪巻物であつた。》(麥芽昏睡あるひは受肉の倫理について)

聖書のとくに旧約「雅歌」に魅せられながらも、徹底して瀆聖のモチーフでつらぬかれている。目についたものをいくつか引いておく。原文はすべて旧漢字。


 聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火薬庫

 鳥貝やチーズが好きな僧正のソファのねぢくぎたびたび弛み

 蚤の市に黒き両脚ひらきたる釘抜き得たり はや聖四月

 母は知らねども地獄より熱烈にわれ誘ふ聖土耳古温泉

 神聖受胎悼むごとしも少年がドーナッツの孔指もてまはし

 天に墜ちゆく揚雲雀わがたましいひは日もすがら肉のうちにうかぶ

 憑かるる前に憑け繪のマリア青桃[せいたう]のかたち乳房をイエスに乞[あた]ふ


f0307792_20192727.jpeg

毎ページ、天使の画像が薄く印刷されている(同じ絵の繰り返し)。それなりの効果が出ているように思う。写真に写っていないが、薄い紫色の帯がある。

書肆季節社本

政田岑生から竹村晃太郎に宛てた葉書

by sumus2013 | 2019-12-05 21:14 | 古書日録 | Comments(0)

書店の思い出

f0307792_17344654.jpg
George Orwell: ‘Bookshop Memories’


ジョージ・オーウェルのエッセイに「本屋の思い出」というのがある。『本の虫の本』(創元社、二〇一八年)で能邨陽子さんがその文章の一部を引用していた。

《ロンドンの古書店で一時期働いていたオーウェルも、本を探すお客さんについてこんなことを書いています。「残念ながらそのご婦人は、タイトルも著者の名前もそれが何についての本だったのかも忘れていたが、その本の表紙が赤色だったことだけは覚えていた」……》(「まぼろしの本」)

お客のあれこれ。当時の古本屋や貸本屋の様子がよく分かる。日本語にはまだ翻訳されていないようなので、気になったところだけ拙訳で紹介してみる(かなりはしょった意訳です、誤解があれば叱正を願います)。

古本屋というのはそこで働いた経験のない人が想像しているようなところではない。わたしの働いていた店にはいい本があった。しかし実際、良い本を知っているのは一割ほどの客にすぎなかったろう。文学好きよりも初版本目当ての客の方がふつうで、安い教科書を値切り倒す東洋人学生の方がさらにふつうで、甥っ子のために誕生日のプレゼント本を探している一向にはっきりしないご婦人方がいちばんありきたりの客である。

どんな古本屋にも恐れられる二種類の最悪のタイプの客がいる。ひとつは、毎日、ときには日に何度もやって来て、愚にもつかない本を売りつけようとする、すえた匂いをさせた落ちぶれたやから。もうひとつは、買うつもりもない大量の本を註文するやからである。わたしの働いていた店ではツケは一切受け付けなかったが、とにかく註文された本を脇に取りのけておく。引き取りに来る者は半分もいるかいないかというところである。どうしてなのか? 最初は全然見当もつかなかった。彼らは稀覯本を註文して「絶対に取りに来るから、くれぐれも取り置きよろしく」と懇願しておきながら、二度と姿を見せない。たいていは古本病患者(paranoiac)であり、どこそこで珍本をただ同然で見つけたとか、そんなホラ話を吹きまくるような奴らである。そんな古本病患者が現れたら、それは一目で分かるが、彼の註文した本を脇に取り置き、彼が出て行ったらすぐ本棚に戻すということをわれわれはやっていた。そいつらの内には、わたしの知る限り、誰一人として即金で本を持ち帰ろうという者はいなかった。註文するだけで満足したのだ。そうすることで、かれらは実際に本を買ったような気分になれたのだろう。

多くの古本屋と同じように、わたしの働いていた店も本以外のものを扱っていた。中古のタイプライターがあった。使用済み切手もあった。切手コレクターは少々変わっている。静かで、ぬめっとした種属(fish-like breed)で、年齢はさまざま、しかし男性のみ。他には日本の地震(関東大震災)を予言したと誰かが主張する6ペンスのホロスコープも売っていた。封筒入りなのでわたしはのぞいて見たことはないけれど、買って行った客は「当っていたよ!」と報告しに戻って来る(疑いなく、ホロスコープというのは「当っている」ものなのだ、もしそれが、あなたは異性に魅かれているとか、あなたの最悪の間違いは寛大さだとかという場合は)。子供の本も大量に扱っていた。いわゆる「ゾッキ本」(remainders)である。まだまだ今時の子供向けの本はひどい代物だ。個人的には、ピーター・パンよりもペトロニウス(「サテュリコン」の作者)の方がまだしもと思うくらいだ。クリスマス前には十日間ほどの繁忙期が来る。クリスマスカードとカレンダー。うんざりする品物なのだが、その期間にはよく売れるのである。

さらに、われわれの重要な副業は貸本であった。「2ペニー 預かり金なし」小説本、500〜600冊。これが本泥棒のつけこみどころだった。世界でもっとも簡単な犯罪。2ペンスで借りて、ラベルを剝がして余所の店へ持ち込むと、1シリングになった。にもかかわらず、本屋は、一般的に言って、本がある一定数(ひと月におよそ1ダース無くなった)盗まれたとしても、預かり金を取って客を減らすよりも、まだましだと思っていた。

店はハムステッドとカムデン・タウンの中間のはじっこにあった。准男爵からバスの車掌まで、さまざまな階級の客が出入りしていた。おそらく、わたしたちの店の購読者はロンドンの読書大衆の代表的な面を体現していただろう。店で最もよく出た作家は誰だろうか。プリーストーリー? ヘミングウェイ? ウォルポール? ワーズワース? いや、違う。デル(Ethel M. Dell)である。そしてワーウィック(Warwick)が二番でファーノル(Jeffrey Farnol)が三番。デルの小説はむろんご婦人方だけに人気があった、あらゆる階層と年齢のご婦人にわたって。男性が小説を読まないというのは間違いだが、男性が遠ざけるジャンルがあるのは本当だ。ありきたりの小説(the average novel)というものである。男性が読むのはリスペクトできる小説か、さもなければ探偵小説である。客のなかに週に四冊か五冊、毎週、何年間にもわたって探偵小説を読んだ人がいた。しかも他の店でも借りていた。驚いたことに、その人は同じ本は二度と読まない。これはとんでもない量である。彼はタイトルも著者名も憶えていないが、ちらっと表紙を見るだけで「これは読んだ」かどうかが直ぐに判断できた。

貸本業で人々の好みがよくわかる。びっくりなのはイギリス作家の古典作品はその「好み」からまったく完璧に外れていることだ。デッケンズ、サッカレー、ジェーン・オースティン、トゥロロープなど、置いても無駄だ。普通の貸本屋では誰もそんな作家を借りようとはしない。十九世紀の小説は全般に「古臭い!」と敬遠される。が、デッケンズを売るのはいつでもたやすい、シェイクスピアを売るのと同じように。デッケンズは読まれる意味があるのだ、聖書のように。他に目立った特徴と言えば、アメリカの本は人気がない。また、短篇集も不人気である。本を探している客が店の人間に言うのは「短篇集はけっこうです」あるいは「小さな物語はいらないわ」である。どうしてですかと質問したら、彼らは言うだろう、物語ごとにいちいち新しい登場人物を憶えなきゃならないから面倒くさい、と。

職業として本屋になりたいか? つまるところ、親切にしてくれた主人には申し訳なく、店員として過ごした日々は楽しかったのだが、答えはノーである。教育を受けた人間なら誰でも本屋としてつましくやっていけるだろう。稀覯本に深入りさえしなければ、それは難しい商売である。もし何らかあらかじめ本の世界に関わったことがあれば、ずっとうまく仕事を始められるだろう。また、それは極端に下品にはならない人情味のある商売である。独立した小さな本屋は、食料品店や牛乳屋がそうなるように、左前になることはない。しかし、働く時間はとてつもなく長いーー私はアルバイトをしただけだったが、主人は週に70時間働いていたーーそれは健全な暮らしではない。また、冬場の店はおそろしく寒い。なぜなら、店内が暖かいと窓ガラスが曇るからである。本屋は窓が命なのだ。また、本には不潔なホコリが、他のどんなものより、たくさん付いているし、本の天(the top of a book)は青蠅(bluebottle)たちが最も好む死に場所になっている。

しかし、わたしが本屋になりたくない本当の理由は、そこにいると、本を愛せなくなるからである。本屋は本について嘘をつく。そして本が嫌いになる。もっと悪いのは、つねに本のホコリを払い、抜き差しすることである。わたしも本当に本を愛していたときがあったーーその姿、匂い、少なくとも五十年以上経っている本に感じられるものが好きだった。田舎のオークションでそんな本をどっさり、たった1シリングで買ったときほど嬉しかったことはない。けれども、本屋で働くようになってすぐに本を買うのを止めた。大量に、一度に五千冊か一万冊も見ると、本がうっとうしく、ちょっと気分が悪くなる。今では、ときおり一冊、買うこともあるが、それは自分で読みたい本で、借りられないときに限られる。クズ本は決して買わない。古びた本の甘い匂いにはもはや何も感じなくなった。古本病患者たちと本の天で死んでいる青蠅たちが心に深く刻まれすぎたのである。

全文は下記サイトにて。

BOOKSHOP MEMORIES

by sumus2013 | 2019-11-29 20:01 | 古書日録 | Comments(0)

キネマ旬報追加

f0307792_17363528.jpg
グレタ・ニッセン

キネマ旬報 No.216
大正15年1月21日発行
発行人:田中三郎
編輯人:田村幸彦
発行所:キネマ旬報社 兵庫県西宮市川尻二六一一

《十一日号を休刊して此の号は二三日発行より早く出す予定であつたが、御覧の通り普通号としては空前の大冊、百頁と云ふ大さなので印刷だけにも新年号と殆んど同じだけの時日を要したので、矢張り予定通りには行かなかつた。それでも今年からは発行日には必ず発行出来る手配が出来たからその点はご安心を願ひたい。》(編輯後記、田村生)

f0307792_08255610.jpeg


f0307792_08255937.jpeg





f0307792_17360999.jpg
メエリー・アスター

キネマ旬報 No.257
昭和2年4月1日発行
発行人:田中三郎
編輯人:田村幸彦
発行所:キネマ旬報社 兵庫県西宮市川尻二六二六

《例によつて雑誌の事でも書く外なくなつてしまつた。前号は二十一日に刷上つたのだつたが、東京からの挟込みが二十三日やつと到着したので、空しく発行を二日遅らされてしまつた。二十四日に到着したユナイテッドの分を待ち切れずに出してしまつたので、同社からお目玉を頂戴した。だつて皆さん、二十一日号に入れる広告を二十三日に東京を発送するなんて、ユナイテッド社の印刷屋も随分話せないではありませんか。宣伝部長の鈴木俊夫君よ、印刷屋をうんと叱りつけて下さいよ。》(編輯後記、田村生)

f0307792_08261135.jpeg


f0307792_08262092.jpeg

f0307792_08262137.jpeg




f0307792_17313605.jpg
アンナ・キユー・ニルソン

キネマ旬報 No.259
昭和2年4月21日発行
発行人:田中三郎
編輯人:田村幸彦
発行所:キネマ旬報社 兵庫県西宮市川尻二六二六

《久し振りで関西へやつて来た僕の顔を見るなり津田君は編輯後記を書けと脅迫する。どうせ穴埋めだらう。東京はいま八重桜が盛り、田中三郎氏始め同人一同元気で働いてゐますと、月並な御挨拶で此責任を果す事依而如件。(鈴木)
 さて編輯後記でも書かうとペンを取つた所へ東京の鈴木重一郎君がラテン映画商会の矢野目源一氏と共に飛び込んで来たので、早速お江戸の便りでも書いて貰ふ事にして先づ僕の後記は此の一行で終りを告げると云ふ魂胆。津田生》(編輯後記)

f0307792_08263696.jpeg


f0307792_08262752.jpeg

キネマ旬報

大日本レトロ図版研Q所

大日本レトロ図版研Q所架蔵資料目録

by sumus2013 | 2019-11-26 20:05 | 古書日録 | Comments(0)

蜘蛛の巣の家

f0307792_20333513.jpg

ギッシング『短篇集 蜘蛛の巣の家 上巻』吉田甲子太郎訳(岩波文庫、昭和二十二年五月五日)読了。これは面白い作品群だった。

郷里の本の始末をつけているときに、ふと手に取って読み出したら止められなくなって、暇を盗んで、上巻を読み終わった。下巻はこれから、ゆっくり読もう。日記を調べてみると、二〇〇八年、ある古本屋さんから敗戦直後に出た岩波文庫を何十冊か頂戴した(捨てるつもりだったのだろう)。それらのなかに『ギボン自伝』『サミュエル・ヂョンスン伝』『ツールの司祭・赤い宿屋』など面白く読んだ本があったのだから、やはり岩波文庫は捨てられない(・・と言いながら本書以外は処分する箱に詰めたのだった)。

表題作の「蜘蛛の巣の家」は、ボロボロの住宅を買った男とそこに下宿して初めての小説を書き上げる作家の静かな交流を描いている。

次の「資本家」は薬種問屋の店員が、ある画廊で「君には買えないよ」と言われ、カッとなって借金をしてまでその絵を買うのだが、そのとき知り合った金貸しから投資について学んだ結果、資本家と見なされるまでになった話。

そして「クリストファスン」の主人公は蔵書家である。大コレクターだった男が落ちぶれて、妻と二人、ロンドンの親戚の家に間借りしている。家のなかは古本だらけ、空気が通らず、妻は病気になる。転地しようとして手はずをととのえるのだが、その家の家主が古本を持ち込むことを許さない。優しい妻は今のままでいいと言うが、体調はすぐれない・・・。

《トリニティ教会の蔭に、私のよく知つてゐる古い本屋が一軒あつた。本を並べた陳列台を照らしてゐるガスの灯に誘はれて、私は道を横切つた。私はページをかへしはじめた。そしてーーいつもお極りのことだがーーポケットにどのくらゐ金があるかと、指でさぐりはじめた。或る本が一冊欲しくなつたので、その小店の中へ入つてその代を払つた。》

その後、となりにいた六十歳くらいの男から話しかけられる。今買った本の見返しに名前が書いてあるだろうと男は言う。

《彼が私を見る顔つきには、非常に知的なところがあり、好人物らしいところがあり、同時にとても気の毒な程遠慮ぶかいところがあつたので、私は極はめて親しみぶかく答へざるを得なかつた。私は見返しの名前を見てゐなかつたが、すぐに本をひらいて、ガス燈の光で、「W・R・クリストファスン、1849」と大変立派な手蹟で書き込まれてゐるのを読んだ。
「それは私の名前です。」》

一八六〇年にクリストファスン文庫の売立があり、今でもときどき自分の名前の書いてある本に出会うと男すなわちクリストファスン本人は語る。

《「蔵書を沢山お持ちですか。」と、彼はなつかしげに私を見ながら訊ねた。
「いや〜〜。ほんの何百冊といふ程です。自分の家を持たない人間にはそれでも多すぎるくらゐです。」
 彼は好人物らしく微笑し、うつ向いて、やつと聞きとれる声で呟いた。
「私の蔵書番号は二万四千七百十八号までありました。」》

語り手は、今買ったこの本が欲しくはないかとクリストファスンに尋ね、相手の顔に喜びの色が浮かんだの見て、譲り渡す。それから何度か会い、親しくなって語り手はクリストファスンの下宿を訪れる。

《隙間もない書物の山が、確かにその三分の一の面積を埋めてゐた。書物は二つの壁にもたせかけて、幾列にも、奥行深く積み上げられ、殆ど天井まで届いてゐるのだ。円テーブルが一つ、椅子が二三脚、家具らしいものはそれだけだつたーーまつたくそれ以上置く余地はなかつた。窓は閉めきられ、そこへ陽が照りつけてゐたので、空気は、たまらなく、むし〜〜してゐた。印刷した紙と製本の匂ひで、かうまで不快な気持にされたことはなかつた。》

結局、クリストファスンは妻のために蔵書を処分してしまい、ロンドンを離れる決心をする。

《すでに、或る書店へ手紙が出してあつた。その書店が、そのまゝそつくり、彼の蔵書を買ひとるはずであつた。だが、何冊か取つておいたらどうだらう。と私はきいて見た。二つか三つの棚に並べられるくらゐの本なら、きつと文句はあるまい。それに、本なしで彼が暮らせるだらうか。》

《積み上げられた本は、周到な扱ひ方で袋に詰め込まれ、下へおろされ、荷馬車へ載せられて運び去られた。非常に静かにやつたので病人はなんにも知らなかった。その事を話す時、クリストファスンは、これまで聞いた事のないやうな得意げな声を出した。だが、思ひなしか、彼はこれまで本でかくされてゐた床から眼をそらしてゐるやうに見えた。そして、話してゐるうちに彼は時々気ぬけのやうになつてうなだれた。だが、彼がその妻の恢復を喜んでゐる事にはなんの疑ひもなかつた。》

本を袋に詰めるというところに興味を惹かれる。いよいよ夫妻はロンドンを離れることになる。奥さんはクリストファスンのことを思って留まってもいいつもりだったが、それでもほっと安堵した様子がうかがえる。ここでEND。ギッシングの短篇の、本作に限らないのだが、なんとなくむずがゆいような終り方も、それはそれで好ましく感じられる。

by sumus2013 | 2019-11-24 20:36 | 古書日録 | Comments(0)

藤村少年讀本 尋一の巻

f0307792_20251868.jpg


島崎藤村・原作・校閲、務䑓四郎編『藤村少年讀本 尋一の巻』(采文社、昭和五年九月二十五日発行、装幀=山本鼎、装画=武井武雄)。某氏より頂戴した。このシリーズは七冊あって挿絵は、足立源一郎、木村荘八ら、それぞれの巻で違う画家が担当しているようだ。カバーがある。

《この七巻の讀本は、今までの先生の全著作の中から、少年諸君の読物に適するものを集めたものですが、特に完全を期するために、新たに先生を煩わしたものもあります。》(「第一巻の初めに」編者識)

《務䑓君は、長いこと私の書いたものに親しんで居られる人であり、曾ては幼いものを相手に教鞭を執つた経験もあると聞いてゐるから、この意気で編まれたたら少年諸君のためにも好い読本が出来ようと私は思つた。》(「序の言葉」島崎藤村)。

f0307792_20251470.jpg


第一巻の内容は、コトバ、ジャン ケン、イロ、アヂ、ナキゴエ、カタチ、アレ ヤ コレ、モノウリ ノ コエ、カナ・・・など、尋常小学校一年だから、まずは初等の国語読本のような感じで始まり、だんだんと長い文章になってゆく。ほぼすべてカタカナ、簡単な漢字がいくつか用いられている。例えば、

五 ナキゴエ

イヌ ワン ワン
ウマ ヒン ヒン
ウシ モウ モウ
ネコ ニヤア ニヤア
スズメ チユウ チユウ
カラス カア カア
ハト ポツポ


八 モノウリ ノ コエ

トウフ イ
ナツトウ ナツトウ
イワシ コ
キンギヨ ヤ キンギヨ
ドヂヤウ ドヂヤウ


一四 サカナヤサン ノ カンヂヤウ

ヒト ヒト
フタ フタ
ミツシヨウ ヨ
ヨツシヨウ ヨツタラ ヨツシヨウ ヨ
イツセイ ヨ
ムツセイ ムツセイ
ナ ナ ナンナア ヨ
ヤツセイ ヨ ヤツセイ ヤツセイ
コノ コンノウ ヨ
トウ トナ

とまあ、こんな調子である。

f0307792_20251127.jpg


面白いのは後ろの見返し、遊び紙に押されているスタンプ。たぶんスタンプだと思うが、違うかもしれない。住所印とPINOさんの顔写真。

f0307792_20250000.jpg
スタンプの名前「PINO MARRAS」を検索すると次のような略歴が見つかった。

《ピーノ・マラス Pino Marras 1940年、イタリア、サッサリ生まれ。ウルバニアナ大学、グレゴリアナ大学、ローマ国立大学及び大学院で、哲学、宗教学、文化人類学を研究した後、1971年来日。東京で2年間、日本語と日本文化を学び、その後、神戸に移住。天理大学助教授、神戸海星女子大学教授、園田学園女子大学教授を経て、現在、明治学院大学キリスト教研究所協力研究員。ローマにG.B. シドチ日伊歴史資料館を設立し、運営にあたる。》

Istituto Italiano di Cultura Tokyo
講演会「明治期日本におけるイタリア人

二つの顔写真のうち左下のものは、旧蔵者の印鑑を覆い隠すために捺されたようだ。個人的には、わりと長い間古本を触ってきたが、こういう蔵書印(と呼んでいいのかな)は初めて見た。蔵書票のモチーフとして所蔵者の肖像は珍しくないかもしれないけれど。

by sumus2013 | 2019-11-22 20:37 | 古書日録 | Comments(2)

紅葉あかるく手紙よむによし

f0307792_20030143.jpeg

讃岐へしばらく戻っておりました。古家に残してある古書の片付け。東かがわ市に昨年できた図書館がある。そこへ、桑島玄二、衣更着信ら同市出身、または菊池寛や大山定一、壺井繁治ら同県出身の著者の本を何冊か寄贈した。中桐絢海の著書は民俗資料館へ。開館からほぼ一年。来館者が十万人になったそうだ。館長が中学時代の同級生でビックリ。

東かがわ市立図書館

タイトルの句は『尾崎放哉全句集』(ちくま文庫)より。

by sumus2013 | 2019-11-16 20:14 | 古書日録 | Comments(0)

咳をしても一人

f0307792_20032843.jpg

見目誠『呪われた詩人 尾崎放哉』(春秋社、一九九六年四月七日)を頂戴した。放哉をフランス語に訳した苦心談が面白い。放哉の百句を選び、ブルトン人のアラン・ケルヴェルン(Alain Kervern)と共同で仏訳し『Portrait d'un moineau à une patte』(一本足の雀の肖像)として一九九一年に出版した。本書では《今年増補改訂版を出す予定である》となっているが、今、検索してみるとレンヌの版元フォル・アヴォワンヌ(Folle avoine)から二〇〇三年に出た本が見つかった。

それにしても、やはり、俳句を外国語に翻訳するというのは容易でないようだ。

《放哉俳句についてさんざんくり返した文句だが、イメージが即物的なのは、放哉自身にとって幸いなのはもちろん、筆者にとっても大いに助かったというのが、正直なところである。要するにほとんど直訳するだけでよいのである。ただこの直訳するだけというのが、とくに手がけはじめたころには案外実行できないのである。わかってもらいたい一心で、どうしてもだらだらとした説明訳になってしまうのである。出発点としては当然、散文調で意味をしっかり押さえることからはじめねばならないが、そのうえでいかにそれを脱するかが大きな分かれ目となる。》

《アラン・ケルヴェルンから教わったことは数多いが、そのなかで最も大きいものは、詩歌の翻訳の究極は感動を移すという彼の翻訳方針である。いわれてみれば当たり前のことである。そのためには、時としてわかりやすさを犠牲にしてででも、散文調を脱することが必要となる。》

《したがって、俳句は伝統的に三行(短律の場合は二行)で訳すわけだが、意味的にそれぞれの行をつなげずに、いわば定型俳句を作る際の絶対禁止事項の一つである三段切れを、むしろ望むところとして訳してゆくことになる。そうしてこそ俳句の即物性、コラージュ的な方法が伝わることになる。》

以下、具体例を挙げての説明がつづくが、ここでは代表句である「咳をしても一人」のさわりだけ引用しておく。英語訳を二種類紹介して、そして仏訳。


I cough,
But I'm alone  R.H.ブライス


I cough and am still alone  佐藤紘彰


Je tousse
Mais je suis seul  見目+ケルヴェルン初訳


Bien que toussant
Toujours tout seul  ケルヴェルン訳


Même si je tousse
Je suis seul      見目+ケルヴェルン決定訳


《放哉としてはおそらく無意識だったに違いないが、この一句では「咳」「一人」という主要な語以上に助詞の「も」、わずか一字のひらがなに作者の全存在がかかっていることを、仏訳経験で痛感させられたのだった。》

日本語には主語がないという主張に一理ある気がしてくる句だが、そういう意味で、あえて主語(ここでは「Je 私」)を省いたケルヴェルン訳がいいような気がする。この場合「も」は「Bien que(〜にせよ)」と「Toujours(つねに)」に託されているわけで、原文からすればくどいような気もする。例えば、Bien que を取ってしまう、というわけにもいかないのだろうか・・・

tousse 咳をする
Mais tout seul も、一人

しかしどんなに苦心惨憺しても、もしこれらの仏訳から放哉を知らない人間が和訳したときには、まず100パーセント「咳をしても一人」と訳すのは無理だろう。作者の意を汲み取った説明として訳するにせよ、あるいは、放哉の句をもとにしたフランス語の短詩を創作するにせよ、いずれも、一長一短である。だから面白いとも言えるのだが。

以前ランボーの和訳を較べたように、日本語で読むフランス詩は、結局のところ、日本の詩なのである。フランス語になった尾崎放哉もしかり、Hosai Ozaki になってしまう。当たり前ながら、それしかないし、それでいいのだろう。

酔っ払った船
 

by sumus2013 | 2019-11-06 20:14 | 古書日録 | Comments(0)

艸山集

f0307792_17052578.jpeg


f0307792_17051700.jpeg


百万遍の均一和本の山より、深草上人と呼ばれた元政の『艸山集』の端本。

元政 げんせい
《[生]元和9(1623).2.23. [没]寛文8(1668).2.18. 京都
江戸時代初期の詩僧。幼時から俊才を称され,井伊直孝に仕えたが,山水を好み書物を愛した。のち日蓮宗に深く帰依して出家し,『法華経』研究に沈潜,京都の南深草の瑞光寺を開山して住し,「深草上人」と呼ばれた。明の遺臣陳元贇と親交を結んで,詩を唱和したことが知られる。彼の詩は明の袁宏道の影響があるといわれ,その平明清幽な詩趣は当代にぬきんでている。『草山集』をはじめ著述が多い。》(コトバンク)

また江村北海『日本詩史』(西沢道寛訳注、岩波文庫、一九八八年三刷)には以下のようにある。

《僧元政は、法華を修持す。戒律堅固にして雅尚風雅、著はす所『艸山文集』あり。嘗て茅を京南の深草里に結ぶ。香火今に到るまで絶えず。其の詩、韻格高からずと雖も、意致平実なり。元政、本江州の士族、郷に老母あり、後に菴側に迎へ養ふ。孝敬純至なり。『客中』の絶句に曰く、『逐月乗風出竹扉、故山有母涙沾衣、松間一路明如昼、遥識倚門望我帰』と。その実を記すなり。是より先き、明人陳元贇、乱を避けて投化す。後に山人を以って張藩の聘に応ず。時時京師に来朝し、元政に会語す。心機契合方外の盟を締ぶ。『元元唱和集』あり。元政の詩中に云ふあり、『人無世事交常淡、客慣方言譚毎諧』と。亦た其の実を記せるなり。或ひと曰く、「元政、袁中郎の集を得て之を悦び、以て帳秘とす」と。》

人文学オープンデータ共同利用センター
国文学研究資料館 新日本古典籍総合データベース(200004351)
草山集 村上平樂寺 延宝二(1674)十四冊

拾い出したのは二冊、『艸山集天之巻』と『艸山続集秋之巻』。上の写真のように、虫食もあるし、何より表紙が取れている(天之巻の表4だけ残っていた)。そこで自前で表紙を付けることにした。厚めの和紙のストックがなかったため、洋紙で代用。表紙より一回り大きめのサイズにカットし、表紙ほぼピッタり(こころもち大きめ)の寸法に四辺を折り返す。

f0307792_17051326.jpeg
f0307792_17050570.jpeg

表紙なので厚みを持たせるため、内側に当て紙(表紙と同じ紙)をする。糊付けはしない。

f0307792_17045966.jpeg
f0307792_17045725.jpeg

見返し紙をカット。二つ折りにして表紙と同じかわずかに小さいサイズに。これは保存してあった和紙を使う。もちろん和紙でなくてもいい。

f0307792_17045243.jpeg

元の本の綴じ穴に合わせて表紙・見返し紙に穴をうがち、糸で綴じる。

f0307792_17044722.jpeg
f0307792_17044299.jpeg

二つ折りにした見返し紙は、折り山の方を木口側にもってくる。洋本のように遊び紙を作るなら、折り山を背(綴じ目)側へ持ってくるが、今回の和紙は薄いので二重になるようにする。そして木口側だけ糊付けする。三方糊付けしてもいいが、木口側だけで問題なし。

f0307792_17043518.jpeg

見返しに使った和紙の残りで題簽を作る。いちおう墨を磨って書名をしたためる。


f0307792_17043020.jpeg
f0307792_17042461.jpeg

せっかくだから一首くらい紹介しておこう。『艸山続集秋之巻』より。たしかに平明で、気分と情景をうまく描き出していると思う。

 游谷口

黄茅岩石下
屋後啓荊扉
竹共幽人
稲同農父肥
穿窓流水遶
侵戸白雲飛
坐岸久鋪席
登岡高振衣
散遊能損病
間歩不知饑
林野是安處
誰家去却帰



by sumus2013 | 2019-11-05 20:25 | 古書日録 | Comments(0)

神代正語

f0307792_17010303.jpg


昨日の百万遍での一冊。本居宣長『神代正語』(菱屋孫兵衛、寛政元 [1789] 序)の中巻だけ。糸が切れてしまって綴じがはずれそうなので簡単に補修する。道具は、やや太めの木綿糸、針、目打ち、糸通し、はさみ。

まず、古い糸を取り除き、穴の通りをよくする。糸の長さは長辺の三倍がちょうどいい。中程の背の側から針を入れて何丁分かの紙を貫き、そこから四つ目の穴へ通す。

f0307792_17005596.jpg

順次、綴じ穴に沿って糸を通して行く。

f0307792_17004905.jpg


すべての穴を通って元の穴へ戻ってきたら、糸をくぐらせて結び目を作る。糸の始末にひと工夫。

f0307792_17004390.jpg


f0307792_17003661.jpg


f0307792_17002911.jpg


f0307792_17002268.jpg

背の方へ綴じ穴から斜めに針を通して、糸を切ったら、目打ちの先で、飛び出している糸の切れ端を紙の間に押し込んで隠す。これで終了。

f0307792_17001373.jpg


f0307792_17000614.jpeg


『神代正語(カミヨノマサコト)』は古事記上巻(神代の部)を漢字仮名交じりに書き下ろしたもので、『古事記伝』刊行の前に啓蒙的な書として出版されたそうだ。

漢字は「借り物」?-本居宣長大人「神代正語」より-

横井千秋

by sumus2013 | 2019-11-01 17:28 | 古書日録 | Comments(0)

第43回秋の古本まつり

f0307792_19385632.jpg


このところ百万遍は和本均一スタートと決めている。十分前には中国人の業者らしき中年の夫妻が陣取っているだけだったが、十時になると七、八人ほどの猛者が和本の山を囲んで隙間もないくらい。ビニールが取り払われるや、ものの一分もしないうちに和本が宙を舞うほどの勢いで底からかき回されて混沌の極みへ。一番乗りだった夫妻は一山もふた山も抱えて、脇の松の根方へ積み上げた。さすが手慣れたものである。

こちらもできるだけ努力はしたが、五、六冊小脇に抱えるのが精一杯だった。競争が激しかったせいか、収穫は思ったほどでもなかった。少し調べてから報告できそうなものがあれば、あらためて紹介したいと思う。

f0307792_19470385.jpg

百万遍の外税は初めて。けっこうキツイ。当たり前だが、五百円のところが五百五十円。三冊二百円のコーナーに、わりといい本が出ていたので、さっそく三冊をみつくろい、二百円を出そうとして「220円です」と言われてショック(!)。しょうがないけど・・・フランスでは古本の消費税(付加価値税)はゼロなのだ。

f0307792_19464994.jpg


f0307792_19465828.jpg

よく晴れて、暑くもなく寒くもなく、いかにも古本日和。一九八〇年代のはじめからほぼ毎年通っているが、最初の頃、この時期はかなり冷え込んでいた。凍えるような日もあったと記憶している。それを思えば、天国のようである。

ところどころで知人に出会うたびに立ち話。最近顔を見ていない人たちのことが気にかかる。

とにかくも会場を一回りしたが、朝イチの臨川書店でペーパーバックを六冊ほど買ったため(何しろ三冊100円)、もう手提げ袋は満タン。赤毛氈のベンチに座ってぐったりしていると正午になった。中央通路にゆるゆると集まって来た善行堂たちと昼食へ。食後、いったん会場に戻ったが、すでに戦意喪失、すごすごと引き上げる。

f0307792_20171828.jpg
額縁まで売ってました(たしか千円均一)



by sumus2013 | 2019-10-31 20:22 | 古書日録 | Comments(0)