林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:巴里アンフェール( 25 )

GALERIE PAUL PROUTÉ

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古本屋ではなくギャラリーの目録も紹介しておく。ポール・プルーテ画廊(GALERIE PAUL PROUTÉ)『カタログ154号』二〇一八年六月。店はセーヌ通(74, rue de Seine)にある。サンジェルマン・デプレの近く(マルシェ・サンジェルマンの東側)。画廊や古書店が軒を並べる通り。小生もプルーテ画廊のショーウィンドウだけはじっくり眺めさせてもらったのでよく覚えている。素描や版画が専門のようだが、タブローも並んでいた。落ち穂拾いというのか、オールド・マスターから現存画家まで幅広く、小粒で手堅い作品を扱っている。

GALERIE PAUL PROUTÉ

おお、と手が止まったのはこのデューラーの版画。『ヨハネ黙示録』シリーズの一枚。「本をむさぼるヨハネ Saint Jean dévorant le Livre」の1511年版。以前、このブログでも取り上げたことがあるが、『本の虫の本』にそれらを整理して「本を食べる」という項目を執筆した。19 000€で手に入るのか……といっても買えないけど。

本の虫の本

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ついでに「読む人」のデッサンを。そして絶対買えないほどではない、ちょっと気になる作品を二点ほど掲げておく。

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Gustave POETZSCH(1870-1950)
「モルジュにて本をよむルー」1903
(モルジュMorges はレマン湖畔の町)

POETZSCH(ポエーチ?)はスイスのヌーシャテル生まれ。一八九二年にパリに来てアカデミー・ジュリアンで学び、そして九五年に美術学校へ入学した。モロー教室でマチスらと一緒だった。九六年、ブルジョアのマリー・ルイーズ・オラーニュと結婚してからはパリを離れてドーヴィルで優雅な暮しを楽しんだという。



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ブーテ・ド・モンヴェル(1850-1913)
「小学生の女の子たち」1900頃、銅版画
600€



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Joseph Hecht
銅版画「パリ」シリーズより「サン・シュルピス」1933
600€

ヨゼフ・ヘクト(1891-1951)はポーランド生まれの画家・銅版画家。一九二〇年にパリに来て、パリで歿している(大戦中はサヴォワに疎開していたそうだ)。

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by sumus2013 | 2018-09-25 17:31 | 巴里アンフェール | Comments(0)

MICHAEL SEKSIK

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MICHAEL SEKSIK ミシャエル(と発音するのでしょうか、フランス語ならミシェルですが)・セクシク書店の目録『IP』2(2012)。これは一枚モノ(およそ60×70cm)で片面がすべて図版、もう片面が文字の目録になっている。かなり凝った造りでポスターとしても使える。これは二号ということなのだろうが、住所はラセペド通(8, rue Lacépéde)になっている。この店舗は小生も二三度訪れたことがある。ドアにポスターが張り巡らされているのでよく目立っていた。

下は別の同店目録『16・18』の表紙(番号の意味がよく分らないが、2018年16号かと思う、発行年等も記載されていない)。ホームページでバックナンバーが見られる。住所はカルディナール・ルモワンヌ通に変わっている。だいたい同じ地域だが少し北へ(歩いて十分くらいか)移動した。この店は知らない。

Librairie Michael Seksik

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ポスターや版画、書籍でもグラフィックなものが多く、漫画の原画なども出ている。注目したのは「Graphzine」(グラフジン)という分類の手作り本。要するに版画など絵を主体にした「ZINE」(ジン)である。「ZINE」とは何か『本の虫の本』では能邨さんがずばり「ZINE」という項目を執筆しておられる。

《「magazine」のZINE。もとはSFファン等の同人誌の呼称「ファンジン」の略などいろいろ定義があるようです。個人的には、八〇年代に西海岸などで若者が作った少部数の、コピーや手描きの手作り冊子の総称から来たというイメージでしたが、それもおそらくごく一部の話。ともあれ今ではひっくるめて自主制作本を「ZINE」と呼ぶことが多い気がします。》

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派手な作品が多いようだが、これは参考になる。手書き八頁くらいの冊子を作ってみるのも面白いけど・・・それだとジンじゃなくてただの折って綴じた絵か。印刷しなきゃ・・・

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欲しいなと思ったのはこちら『WOLS』。ヴォルスがパリで初めて個展をしたときのもの(ルネ・ドルーアン画廊)。これもある意味「ZINE」みたいなものだ。『ヴォルス』展カタログ(左右社、二〇一七年)によれば、この個展は一九四五年十二月である。《パリ、ヴァンドームのルネ・ドゥルーアン画廊で個展を開催。カタログとしてヴォルス自身が編集した「ちいさな黒い本」が刊行される。》(略年譜より)。12.5×10.5cmだからたしかに小さい。

以前、小生が買ったのはこちら。

WOLS


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トポールも二点出ていた。上は一九七一年アムステルダムで開催されたグループ展のポスター。なんと点字(impression en braille)のみ! 下は初期のリトグラフ「犬たち Les Chiens」(1960)。

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by sumus2013 | 2018-09-24 21:02 | 巴里アンフェール | Comments(0)

CORNETTE de SAINT CYR

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CORNETTE de SAINT CYR Livres, Affiches & Manuscrites』(Jeudi 5 juillet 2018)。コルネット・ド・サンシール競売場の目録。このオークションハウス(メゾン・ド・ヴァント)の創設者はモロッコ生まれのピエール・コルネット・ド・サンシール。デッサンと写真のコレクターからスタートして一九七三年に二人の息子たちと競売場を設立した。パリのアヴニュー・オシュ(6, Av. Hoche)にある。

巻頭で特集されているのは六〇年代から七〇年代にかけての反体制ポスターである。シンプルで訴える力が強いデザインになっている。

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だいたい150〜400€のあたりのエスティメイトだが、一点ずばぬけて高いものがあった。下図。上級新美術学校(École Nouvelle Supérieure des Beaux-Arts)のものらしい。ド・ゴールとミッテランの名前に×印、「人民の政権、ウイ」。未掲示(Non étoilée)。1 000-1 500€。
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他に、シュルレアリスム関係でエルンスト『慈善週間または七大元素』(Jeanne Chuster, 1934)五冊。173のコラージュと9点のデッサン入。限定800部。版元箱入り。2 000-2 500€。
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長谷川潔挿絵・本野盛一仏訳『竹取物語』(Société du livre d'Art, 1933)、1 000-1 500€。
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個人的にひっかかったのはギー・ドゥボールの「戦争ゲーム LE JEU DE LA GUERRE」(Guy Debord et Gérard Lebovici, 1977)、1 000-1 500€。
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目録の表紙が木目調なので、どうしてかな? と思っていたら、Alain Taral, Marc Le Bot, Bernard Dorny『木の歴史 HISTOIRE DU BOIS』(私家版、1999、限定八部)の表紙を採用していたのだった。材はニセアカシア(robinia pseudoacacia)。900-1 200€。
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by sumus2013 | 2018-09-23 20:38 | 巴里アンフェール | Comments(0)

シュルレアリスムとは何か?

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『QU'EST-CE QUE LE SURRÉALISME ?』(binoche et giquello, Vendredi 6 avril 2018)。パリのホテル・ドルオー第二室で四月六日に行われたオークション「BIBLIOTHÈQUE SURRÉALISTE, シュルレアリスト文庫」の出品目録。これはちょっとしたものだ。

目玉はアンドレ・ブルトンの書簡や原稿類だろう。ジャン=ルイ・ベドゥアン(JEAN-LOUIS BÉDOUIN, 1929-1996)の旧蔵品である。ベドゥアンは詩人、ラジオ放送に携わり、映画監督でもあった。一九四七年にフランスに帰国したブルトンに初めて会って以来、歿年までブルトンの近くにいた取り巻きの一人。ブルトンに関する資料はこれまでベドゥアン家に大切に保管されてきたものだそうだ。

表紙になっているのはブルトンの著作『シュルレアリスムとは何か?』(René Enriquez, 1934)の表紙。初版本(Edition originale)でオランド紙(かつてオランダで作られたことからその名がある高級手漉き紙)本三十部のうちの一冊、稀本(TRÉS RARE)。25 000/30 000€

以下、講釈は省いて、気になった図版を引用しておく。まずはハンス・ベルメールとポール・エリュアール『人形遊び LES JEUX DE LA POUPÉE』(1949)よりベルメールの写真。写真十五点貼込みで版画も入っている十五部本の一冊らしい。70 000/80 000€
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ナジャ(Léona DELCOUR)の生写真、一九二六頃
1 000/1 500



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上/マン・レイ生写真、署名入、一九四五頃
3 000/4 000
下/アトリエのマン・レイ生写真、一九六〇年頃
1 000/1 200



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雑誌『MOTHER EARTH』1914, 表紙画=マン・レイ
1 000/1 500



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上/雑誌『SURRÉALISME』第一号、1924
1 000/1 500
下/雑誌『DOCUMENTS』十一冊、1929, 1930
1 200/1 500


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雑誌『LES QUATRE VENTS』九冊、1938-1939
1 000/1 500



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雑誌『LE CHEVAL DE 4』第一号、1940
1 200/1 500



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雑誌『KWY』六冊、1960-64
1 000/1 200


雑誌を中心に表紙の気に入ったものをピックアップしてみた。ナジャの写真はナジャ(レオナ・デルクール)の遺族から出たものだそうだ。『ナジャ』の初版にこの写真が使われた。

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by sumus2013 | 2018-09-22 21:35 | 巴里アンフェール | Comments(0)

フランス文学風物誌

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大塚幸男『フランス文学風物誌』(白水社、一九五八年八月二〇日)。奥付頁の著者略歴は以下の通り。

《一九〇九年生
 一九三三年九大卒
仏文学専攻
福岡大教授
主要著書
 「仏文学入門」「フランス文学随攷」「知性と感性」
主要訳書
 コンスタン「アドルフ」
 ロチ「死と憐れみの書」
 ボナール「友情論」
 ヴァグネル「簡素な生活」》

一九九二年歿(ウィキによる)。一九五七年の滞仏の思い出などをつづっている。巻頭口絵にはセーヌ河岸の古本屋、蚤の市の古本屋などの写真が出ている。このセーヌ河岸の古本屋はよく知られた絵葉書の一枚。左下の写真は《シャ-キ-ペーシュ街(パリで最も狭く、小さな町の一つ)》とあるが、この通りはサン・ミッシェル橋の南詰すぐにあって、たしかに狭くて短い。

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古本屋についてかなりのページが割かれている。河岸の古本屋についてもいろいろ観察があるが、今は省略。セギという古書店について書かれた部分を抜き書きしておく。

《国立劇場サル・リュクサンブールの裏手、リュクサンブール公園のメディシスの泉のはす向かい、プラタナスの並木がいつも蔭を落としているメディシス町の一番地に、セギという本屋がある。この本屋こそはパリに遊んた日本人の忘れることのできない本屋であろう。それほど主人は日本人びいきで、数々の日本の学者に親しい本屋なのである。
 主人のマルセル・セギさんは一八八七年三月、ヴェルダンに生まれた。ことし七十歳である。父はイスパニア系のフランス領カタロニア人、母もロレーヌ人。》

《初めて日本人を知ったのは、今から三十一年前である。その日本人というのは台湾[二文字傍点]大学の矢野教授といった。峰人博士のことであろう。矢野教授はフランス語が話せないので、フランス語で筆談をした。そしてロマン派の本をしきりに買った、といってセギさんはいかにもなつかしげであった。》

《セギ老は三十一年来の日本人の客の名刺を小さな箱に入れて保存している。一日、私は特に乞うてそられの名刺を見せてもらった。次のような人々の名が見えた。ーー目黒三郎、須川弥作、成瀬正一、渡辺一夫、岩田豊雄、永田清、太宰施門、井汲清治、林原耕三、小島亮一、桶谷繁雄、岡田真吉、宮本正清、吉川逸治、等々。》

《三十年以上も前からの異国の客の名刺を大切に保存している本屋さんはそうざらにあるものではない。書物の都、パリの本屋気質の手がたさがうかがえるではないか。いいおくれたが、セギは新本屋を兼ねた古本屋で、頼めば大ていどんな古本でも、どこからか探して来てくれる。》

セギは現存しないと思われるが、これ以外の回想記がないものだろうか。他にジョセフ・ジベールとジベール・ジューヌ、そしてニゼルについても書かれている。ジョセフ・ジベールは《新本は少ないが、古本は圧倒的に多く》とあって現在と全く違った店作りだったことが分る。

《すべての本のカードが出来ていて、われわれがある本を抜いて店員にさし出すと、店員は係りのところへ行く。すると係りは一々カードを抜き出して、そのカードと照合してから、売ることである。

《第二に感心するのは、あらゆる大きさの包装紙を用意していて、本の判型にしたがって、ぴったり合う包装紙でカバーしてくれることである。そしてその包装紙も実に強靭なものを使っている。》

こういうことが目新しい時代だった。

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もう一枚、口絵写真で目にとまったのがこちら、「Collection QUE SAIS-JE?」(クセジュ文庫)と書かれた小型車が駐車するプレス・ユニヴェルシテール・ド・フランス(les Presses universitaires de France)社の建物。一九二一年に大学教授の団体によって設立された出版社。PUF。日本では白水社がクセジュ文庫として翻訳発行している。本国では経営が行き詰まり、二〇一四年に Scor という保険会社が資金投入して再出発したようだ。

Puf Que sais-je ?

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by sumus2013 | 2018-09-17 20:47 | 巴里アンフェール | Comments(0)

パリの並木路をゆく

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高橋豊子『パリの並木路をゆく』(學風書院、昭和二八年二月二五日)を頂戴した。深謝です。著者は女優(明治三十六年生まれ、高橋とよ、高橋豊)、戦前は新築地劇団などで、戦後は松竹の名脇役として活躍、小津安二郎作品の常連だった。

東京物語(1953)

高橋豊子がパリに着いたのは一九五二年十月(と文中にある)、翌春頃まで、途中旅行をはさんで、滞在していたようだから、この本は滞在中に発行された、ということになる。当時パリに暮らしていた人物模様に興味は尽きない。佐野繁次郎、植村鷹千代、関口俊吾、中原淳一、岡本クロード・トヨ、藤田嗣治夫妻、黛敏郎、高峰秀子、高英男、アベ・チエ、マダム・アサダ等。カバー写真は高橋とフランソワーズ・ロゼエ(女優、「外人部隊」などに出演)。

なかでは佐野繁次郎が登場しているのが貴重。マダム・アサダの告別式で佐野に会う。

《「やあ、今日は・……築地小劇場時代に僕の舞台装置で高橋さん出たことあつたね。あゝあの時分の訳者はうまかつたよ。友田はいゝ訳者だつた。秋ちやん(田村秋子)はどうしてるかね。丸山は味のある訳者だつた。あゝ、築地で苦労した者はパリへ来ても大丈夫だよ。何しろ十銭の弁当で暮したんだからナ」と一息に話しかけられたのを見ると、佐野繁次郎氏でした。氏はギリシヤ劇よろしくの身振りで、マダム・アサダの霊に一礼すると、何ともつかないてれたような笑いを浮かべながらさつさと帰つて行きました。》

この後もう一度、ラファイエット(デパート)で出会ってコーヒーを一緒に飲んでいるが、高橋の筆つきが活き活きしており、佐野のせっかちな様子が目に見えるようである。マダム・アサダというのがまた不思議な女性。パリで多くの日本人を世話して「おすまさん」と親しまれたそうだ。

《マダム・アサダは屋根裏に住んでいて、階下の台所を借りて一食五十フランで、日本人に食事を提供したり、時には家政婦に行つたり、洗濯や継ぎ物などの世話をして暮していたので死後皆なで彼女の部屋を探しても何も出てこなかつたそうですが、唯、大阪船場のさる良家に嫁いで息子が一人あること、一九四九年にパリに来たがその目的は何であるか判らない、英語フランス語も達者で相当教養のある婦人だつたこと、旅行も外出も余りしないで殆んど家にばかり居て編物や縫物をして暮していたことなどを人々は語りあつていました。》

本文の紹介はこれだけにして、挟んであった八頁の栞『學風』第十号(一九五三年三月)から、社主である高嶋雄三郎の「小出版社のあけくれ」を少し引用しておく(旧漢字は改めた)。

高嶋は府立五中出身。一年先輩に村上浪六の息子村上信彦がおり、同じ雑誌部員だった。村上信彦には『出版屋庄平の悲劇』(西荻書店、一九五〇年)がある。創業以来三年《道なき道を血みどろになつて茨をかきわけて進んでいる》。日頃の指導を創元社・小林茂に仰いでいる。

《私が今非常に楽しみにしている会がある。それは元中央公論社の飯をくつたもので、今日一社を経営している者だけが毎月十七日に集つて一夕歓談することになつている通称十七日会のことである。集る面々は、会長格の牧野武夫氏(乾元社長)藤田親昌氏(文化評論社長)小森田一記氏(経済新潮社長)野口七之輔氏(再建社長)出口一雄氏(東京都出版物小売業組合理事・第一書店社長)と私。最近仕入捨三氏も加わられた。昨年七月野口さんの肝入りで第一回を乾元社で開いた時は、共に一社を経営する苦労を負うた者同志[ママ]、話は深刻にいつ果てるとも知らず、階上に御病臥中の牧野夫人をおいて遂に夜を徹して語り合い遂に朝帰りとなつてしまつた。》

《この間終始この会合に絶大な魅力となつているのは何といつても牧野さんの永い間に亘る出版界についての体験談である。乾元社は知る人ぞ知る理想出版を行つて居る得難い出版社である。富貴も淫する能わずといつた気魄は牧野さんの眉宇にあふれている。牧野さんの不撓不屈な面魂がわが出版界の堕落を辛じてさゝえているかのように実に頼しく、たまにお会いするだけに何だか死んだ親父に会うような懐しさすら感じられるのである。》

牧野武夫(明治二十九1896〜昭和四十1965)は以下のような出版人。

《出生地奈良県田原本町/学歴〔年〕奈良師範卒/経歴婦人新聞、改造社に勤めたが、嶋中雄作に請われて中央公論社に転社。出版部を創設し、E・M・レマルクの「西部戦線異状なし」を刊行、書籍出版の基礎を築いた。昭和14年退社、牧野書店を創立、戦時統合で乾元社と改称。戦後両社を再興し、「南方熊楠全集」などを刊行した。ラジオ技術社専務、電通顧問。著書に「雲か山か―雑誌出版うらばなし」などがある。》(コトバンク)

肝心の高嶋雄三郎についてはよく分らない。一九六〇年代までは活溌に出版を続けていたようだが……。

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by sumus2013 | 2018-06-22 20:43 | 巴里アンフェール | Comments(0)

PARIS REVISITED

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アナイス・ニン『巴里ふたたび』(松本完治訳、エディション・イレーヌ、二〇〇四年一〇月二一日、造本=間美奈子)。読了。

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ヘンリー・ミラーとアナイス・ニン


アナイス・ニンの日記、一九五四年秋、十五年振りにパリを再訪したときの文章である。シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店のジョージ・ホイットマンが登場している。

《ここセーヌのほとりには、かつて私が出入りしていた、変わった本屋があった。それはユトリロの絵に出てくるような家で、土台がぐらつき、小さな窓に皺のよったような鎧戸があった。そしてそこにはジョージ・ホイットマン、栄養失調気味で、あごひげをたくわえた彼が、書物に埋もれた聖者の如く、本を熱心に売るわけでもなく、一文無しの友人に本を貸したり、避難所でもある二階に寝泊まりさせたりしていた。店の奥には、物が溢れかえった小部屋があり、机と小さなガスストーブがあった。》

《ジョージはどうしてセーヌのほとりで小さな本屋を始めたのだろう? 彼はその数年前、私の〈ハウスボート〉の物語を読んだことがあったのだ。彼は一隻のハウスボートを探しにパリへやって来た。そしてボートの上で本屋を始めて、彼は幸せだった。しかし、本に黴が生え、ついには移動せざるを得なかった。彼は窓からセーヌが見える、できるだけ川に近い場所に陣取り、あたかもハウスボートで暮らしているかのような幻想に浸るのだった。》

ホイットマンは亡くなり、今は娘が後継者となった。本屋というよりも観光スポットとして繁昌を極めている(daily-sumus でもすでに何度も紹介した)。

シェイクスピア・アンド・カンパニー書店

シルビアビーチのシェイクスピア書店だった場所にできたミストラルについても書いてくれている。

《今そこにあるのは、〈ミストラル〉だ。ジェイムズ・ジョーンズ、ウィリアム・スタイロン、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウーズらビート族や新しい世代のボヘミアンが足を運んでいる店だ。かつてその場所は、心からの手厚いもてなし、なごやかで、愛情表現が露わで、作家と芸術家たちの間には、情けに厚い同胞愛が宿っていたが、今では陰気な沈黙や無関心な態度が時に見受けられる。ソファーに寝そべりながら本を読んでいる若いボヘミアンなどは、他の作家が中に入ってきても読書をやめようとしない。私は彼らの孤立ぶりに驚いてしまうのである。》

そして街じゅうを歩く。

《美術商、本屋、アンティークショップを見歩いたが、すべて変わりなかった。セーヌ沿いの古本屋もそのままだった。セロハン紙に包まれたエロ本。ポルノ写真を載せた葉書類、蒐集家向けの稀覯本があるのも変わりなかった。
 サン・ジェルマン周辺の、とある書店が自叙伝本の催しをやっていた。ウィンドウごしに私はルイーズ・ド・ヴィルモランの姿を目にした。彼女は『ガラスの鐘の下で』の物語のモデルだった。私は中に入り、彼女の新著を購うと、彼女にサインを求める行列に加わった。》

《彼女は私を認めた。そのとき私は、皮肉っぽくきらめく瞳、勝ち誇ったような笑み、貴族と誇りを描いたフランス歴史上の絵画のひとつを思い起こさせる容貌を再発見した。》

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有名な青い書斎のルイーズ・ド・ヴィルモラン


《私はオシップ・ザッキンに会いに行った。彼が住んでいるのはアサス街に面した古い家で、庭を挟んで小さなふたつの棟があり、そのひとつは彼の住居用に使われ、もうひとつは彫像類がぎっしり置かれたアトリエだった。彼の顔は今もなお血色がよく、目つきも鋭かったが、手足がかすかに震えていた。
 彼のアトリエの玄関前には、木製の女性の彫像がふたつ立っている。
 占領下のパリでドイツ兵が彫像を持ち去らなかったのだ。》

ザッキンの住居は現在美術館として公開されている。

ザッキン美術館
https://sumus2013.exblog.jp/22419998/

《乳白色の空、そして彫刻品のように陰影深い建物。その石組みには歴史があり、それぞれの家には、人生を楽しみ、深く愛し合う人々の暮らしでいっぱいになっている。すべての人々が愉快に愛し合うお祭りのような空気。高度で明晰な文学的表現を通して、それぞれの人生を分かち合う古く良き趣[おもむき]。パリは今もなお知性と創造の都であり、世界のあらゆる芸術家が移り住むことでなおも豊饒である。》

アナイス・ニンのパリ讃歌。一九五〇年代、パリは昔の穏やかさを取り戻していたようでだが、ビート族や実存主義の都になってもいた。

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by sumus2013 | 2018-06-07 16:56 | 巴里アンフェール | Comments(0)

LOVE書店!

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フリーペーパー『LOVE書店! 24』(本屋大賞実行委員会、二〇一八年三月)というものをもらった。表紙の女子は乃木坂46の齋藤飛鳥さん。題字も。《本屋さんには、よく行きます。私はやっぱり"紙派"ですね。》と頼もしい言葉が。もっぱら「タイトル買い」だとか。

タブロイド判12頁でその12頁目の「LOVE! WINDOWS」に鹿島茂氏が「パリの本屋さん」を連載している。今号第二十三回は「フランスの中古書店の現状」。

近年フランス古書業界でも所得格差が著しくなっているそうだ。

《とくにひどいのが、絶対的に希少なアイテム、つまり、オークションにはせいぜい10年に1度くらいしか登場しないような超レアーなアイテムである。値上がりぶりは、かなり過激になっている。どれくらいかというと、最低で10年前の2倍、ひどいときには3、4倍ということもある。私がしゃかりきになって収集に打ち込んでいた30年前の相場と比べたら、10倍は軽いのではないか?》

そして、その一例としてルドゥテの『バラ図譜』が挙げられる。

《たとえば、これはもう3年前になるが、パリで一番高い古書店で売られていたルドゥテの『バラ図譜』3巻本は、なんと3億円! 30年前に3千万円と言われて仰天した記憶があるから、まさに10倍の値上がりである。もっとも、染みひとつない完璧なアイテムだったので、この値段でもしかたないかもしれないが。》

要するに、持ったもの勝ち、売り手の言い値市場になったわけだ。では何故こんなことになったのか? 鹿島氏によれば、それは不動産価格が激しく値上がりしたからだという。ヨーロッパでは不動産市場と高級古書市場は連動するのだとか。パリでは不動産価格もオークションで決定される。美術品もドゥルオー(オークション会場)での落札価格が基準になる。有価証券や不動産の市場が煮詰まってくると、投資家はまず美術品市場へ、次に高級古書市場へシフトする。昔どこかで聞いたようなバブリーな話ですな。

《現在、アメリカや日本でだぶついたマネーは、ヨーロッパの債券市場や不動産市場を席巻した後、数年前からついに高級古書市場にまで流れこんできている。だが、しかし、いかにも今日的だと思われるのは、それはあくまで"高級古書市場だけ"に限られる現象であるということだ。高級古書を除くと、古書一般は値上がりどころか、むしろ大きく値を下げている。まったく値が付かなくなって、廃棄処分に回される古書も増えてきている。》

ルドゥテ(Redouté, Pierre Joseph, 1759-1840)の『バラ図譜 Les Roses』(Firmin Didot, 1817-1824)がどんな本かというと、以下のようなものである。古書サイトには初版本の画像が見当たらなかったので(目下 AbeBooks.com には EUR 655 204,95:8583万円:US$ 750,000.00 で出品されているのが最高値)米国の議会図書館所蔵本のPDFにリンクしておく。

Les roses,

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by sumus2013 | 2018-05-22 20:16 | 巴里アンフェール | Comments(0)

パリの素顔

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新潟から戻ると届いていた一冊がこちら、『パリの素顔』(岩波写真文庫194、岩波書店、一九五六年七月二五日)。監修は美術史家の柳宗玄(柳宗悦の次男)。一九五〇年代の典型的なパリの姿がとどめられており、すこぶる興味深い。【本書は復刻版が出ており、今でも入手できるそうです。北書店の佐藤氏が教えてくれました】

例えば、少し前に紹介した『対談ジャコメッティについて』(用美社、一九八三年)に語られている矢内原伊作がジャコメッティのモデルになった話は一九五五年のことである。まさに、この写真文庫に写し取られているパリがその背景となっていた。田村泰次郎『人間の街パリ』(大日本雄弁会講談社、一九五七年)も同時代。

ジャコメッティについて

人間の街パリ


なにはともあれ古本屋を探す。セーヌ河岸のブキニストが二度登場。ただしそれ以外の古書店も新刊書店も無視されているのは少々寂しい。

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鳩爺さんなんて呼ばれる名物男がいたんだ。それにしてもこの古本箱は相当な年代物。革命時代あたりまで遡るのかもしれない。現在はここまで古い箱はないと思う……たぶん。後ろの建物はルーヴルだろう。とすると、ケ・ド・コンティ(Quai de Conti)あたりか。最初の写真はノートルダム・ド・パリがシルエットになっている。


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新聞雑誌の販売店。今もいたるところにあるが、多少おもむきは異なる。路上のアーティストも禁止されているのか、最近は見た記憶がない(ポンピドゥーの前で誰か描いていたかも……)。落書きは今も昔もいたるところにある。


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一九五〇年代のモナ・リザの展示。小生が一九七六年に初めて見たときには、すでにガラス張りのケースに入っていた、と思う(多少あいまいな記憶ですが、八〇年には間違いなく入ってました)。

ウィキペディアの「モナ・リザ」を見ると、一九五六年に観客によって酸が浴びせられるという事件があったらしい。とすると、この写真はその事件の直前に撮られたのかもしれない。額縁にガラスは入っていなかったということになる。しかも見やすいように踏台まである。

現在でもたいていの作品はガラスのないままむき出しで展示されているから(観賞するには有り難い措置ですが、無数の来場者による被害も少なくないでしょうね)、専用ルームで防弾ガラスによって守られているモナ・リザの場合は異例中の異例だろう。

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by sumus2013 | 2018-04-25 21:17 | 巴里アンフェール | Comments(0)

WOLS

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『WOLS』(GALERIE EUROPE, 1959)。ギャルリ・ウーロップ(セーヌ通り22番地、パリ)で一九五九年十二月から一九六〇年二月まで開催されたヴォルス展の図録。

巻末の出品リストによれば、デッサン二点、ガッシュ四十五点、絵画(PEINTURES)が十二点出品されていた。これはおそらくこの時点ではヴォルス(1913-1951)の最も規模の大きな回顧展だっただろう。パリにおける過去の展覧会歴も掲載されており、一九三九年から五一年まで十七箇所で展示された作品のなかから集めたものだったことが分る。ヴォルスはベルリン生れだが、一九三二年にパリに来てパリで歿した。活動はほとんどパリで行い、実存主義のパリで認められて行ったことになる。

この図録だけだと買わなかったかもしれないが、中ほどに下のような二つ折りのパピヨンが挟んであった。タテ12cmというまさに掌サイズ。デッサンとヴォルスの詩?らしきものが印刷されている。

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ブラッサンス公園の古本市にて。画集やカタログなど美術系の雑書をたんまり並べていた店。主人の顔に見覚えがなかった。これだけ数があれば何かあるだろうと、じっくり掘り返したのだが、これ以外にはそそられるものを見つけられなかったので、また、この本にもたまたま値段が書かれていなかっため、買おうかどうしようか、かなり迷った。

中国人カップルの執拗なディスカウント攻撃に防戦一方だった初老の主人が一息ついたところを見計らって値段を尋ねてみた。中国人のこともあってか、最初から「10ユーロ」という意外な値段で答えたので即決もらうことにした。エフェメラ付きだから高くはないだろうと思う。

一九七六年、パリの土地を初めて踏んだときだったが、工事中だったポンピドゥのすぐ南側(だったと思う)にあった小さな画廊でヴォルス写真展を見た。ヴォルスは写真も撮っていたのだ!という驚きがあった。今もって忘れられないくらいいい展示だった。彼の写真も素晴らしい。

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by sumus2013 | 2017-10-05 20:52 | 巴里アンフェール | Comments(0)