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林哲夫の文画な日々2
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カテゴリ:関西の出版社( 46 )

水晶幻想

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川端康成『水晶幻想』の恵投にあずかった。深謝です。この表紙絵には覚えがある。かなり前に持っていたような気もする。むろん目下の書棚には見当たらない。装幀は三岸節子とある。なるほど、魅きつけられるものがあるはずだ。 

19470530 水晶幻想
著作者 川端康成
発行者 清水正光
    京都市押小路柳馬場東 株式会社京都印書館
株式会社京都印書館 京都市中京区押小路柳馬場東入
印刷者 橋下岩太郎
    京都市上椹木町千本東入 眞美印刷所
松尾製本
装 幀 三岸節子 
185mm 126mm 236pp 角背上製 ¥50 

短編集。なかで「百日堂先生」という作品に本の描写があるのでつい読んでしまう。軽井沢へ行く列車の中で見かけ、ホテルで会話するようになった五十四歳の独身男性が百日堂先生である。語り手は川端自身と考えていいようだ。先生と呼ばれる通り、元は女学校で歴史を教えていたらしい。初めて軽井沢へ来るにあたって昔の文士がどんなことを書いているか調べ上げたノートを持ってきている。

《その表紙の新しいノオトには、諸家の軽井沢や浅間山の紀行の抜粋が、すつかり筆記してあるのだ。ーー私は実に驚いた。
 軽井沢を歌つた、漢詩や、和歌や、俳句が、古今に亙つて、二十頁近くも書き並べてあるのはいいとして、散文の紀行まで書き写してあるのだ。例へば、紅葉の文章の抜書きの終りには、「烟霞療養より」、また蘆花の紀行の後には、「青蘆集より」といふ風に、書物の名まで入れてある。》

抜書きに引用した書物の名を入れるのは当然のことである。

《「信濃地名考」、「太平記」、「甲陽軍鑑」、貝原益軒の「東山道記」、大田南畝の「壬戌紀行」、橘南谿の「東遊記」その他昔の軽井沢の文章は、無論明治以後のそれよりも多く筆記してある。》

《昔の文士がどんなことを書いてるか、調べてみようと思つてね。調べ出すと、あんた、七月の半頃に来る筈のが、八月の十五日まで動けやせんのさ。肝心の夏が大方過ぎちやつてから避暑だよ。助手二人使つたよ」》

いっしょに散歩するくらい親しくなった語り手は同じ鎌倉に住む百日堂先生の本を借りるため書庫の鍵を預かった。

《先生の家は扇ケ谷の或る寺院の境内の一番奥にあつた。樹木の茂り古い山が、両側から庭に蔽ひかぶさるやるだつた。雇ひ婆さんは帰つてゐるらしく、戸締りしてあつた。
 百日堂と先生自身で書いたらしい扁額が、門口の上にかかつてゐた。
 泉水の水が澱み、水藻の真青に蔓つてゐるのが、なにか冷たいなまなましさで、無住の廃屋じみた感じだつた。
 書庫は裏手の竹林の傍にあつた。書庫と呼ぶ程のことはない、百姓の納屋のやうな藁屋根だつた。》

このあと語り手はちょっとした怪談じみた出会いをする。それは読んでのお楽しみ。以上。

by sumus2013 | 2019-06-13 20:41 | 関西の出版社 | Comments(0)

端午人形考

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『風俗研究』八十五(風俗研究所、昭和二年六月一日)。編輯兼発行者は江馬務(京都市富小路松原上ル)。風俗研究所は、主幹が江馬務、名誉幹事が吉川観方と小早川好古、幹事は正玄文平、若原史明、川那部澄、喜多川禎治郎、濱口左川、神田勇治郎、竹島信一、嘱託として石原雄峯と磯野眞太郎、助手が出口忍、である。

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木版画口絵:小早川好古「江戸中期美人の図」


本号の巻頭文は江馬務「端午人形考」で、端午の節句について博く捜して考察を加えた論考である。ごく手短にその論旨だけをメモしておく。

起源は諸説ある
 一、楚の屈原の死を悼む船の競争
 二、東呉の呉子胥を迎える船の競争
 三、越王勾賤の伝説
 四、曹娥父子の伝説
いずれにせよ五月五日に競争をするという古俗で、陸上と水上と二種類あった。水上は競渡、陸上は雑草薬草を競い採る風習である。

我国へ輸入されて最初は推古天皇十九年五月五日、菟田野における薬狩り。万葉集の大伴家持の歌にも出ている。

 かきつばた衣にすりつけますらをの
      きそひ狩する月はきにけり

聖武天皇は天平十九年五月に騎射走馬を観覧した。桓武天皇延暦年間からは毎年の行事となったらしい。宮中では毎年五月五日に騎射・走馬・楽奏が行われた。

平安朝末には宮中の尚武の儀式にならって民間で印地(石投げ合戦)の風俗が起った。このとき戦士が艾(よもぎ)を手に持つ例がある。これは薬草である艾で人形を作り、野外に捨てる風俗と関係があるのではないか。

以下江戸時代の例をいろいろ引いているが省略。結論だけ引用しておく。

《之を要するに、端午の人形飾といふものは競争の変化したものに外ならない。即ち競渡から薬狩、薬狩から競馬、競馬から騎射、騎射から薬草の兜、薬草の兜から木兜、木兜の人形から武者人形、武者人形から具足、武器と変転し来たつたので事が物となり、抽象から具体に、武技から祝福へと進転したのであつた。》

ということは、端午の節句の意味というのは、男の子は、薬草をもって、競争しろ(戦え)ということになるわけだ。

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挿絵:師宣「月次のあそび」より



by sumus2013 | 2019-05-07 20:51 | 関西の出版社 | Comments(0)

京都文学

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『京都文学』創刊号(昭和二十八年三月一日)。発行人は田中美佐雄(京都市左京区浄土寺西田町百)。「後記」には《予定してから既に三ヶ月が経つている》《「京都文学」という誌名は、たまたま京都に於て発行したということにすぎない。狭い地域性を持つことは警戒している》《事情で作品の揃わなかつた人もある》などと出ているが、それ以上の具体的な発刊の経緯については書かれていない。

目次は以下の通り。カットはゴッホ、クレー、ピカソの他に「ス」というサインのある挿絵が二点。

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検索してみると発行人の田中美佐雄は邦光史郎の本名だった。

《邦光 史郎(くにみつ しろう、1922年2月14日 - 1996年8月11日)は、日本の作家。本名・田中美佐雄。父・力之助は時事新報の記者。妻は作家の田中阿里子。娘は作家・エッセイストの久我なつみ。
東京生まれ。高輪学園卒。京都で五味康祐らと『文学地帯』を創刊。のち放送作家。1962年『社外極秘』で直木賞候補。以後企業小説、推理小説、歴史推理小説、伝記小説を多数執筆。
戦前に保高徳蔵主宰の「文芸首都」懸賞に入選。戦時中は「新作家」同人となり、戦後は五味康祐とともに「文学地帯」を主宰し、十五日会に属する。「文学者」「京都文学」同人。関西のテレビ、ラジオに台本を執筆。》(ウィキ「邦光史郎」)

鈴村恒雄も『文学地帯』に参加していたようだ。名前がすぐにピンときたのは駒敏郎だけ。

《京都市西陣生まれ[1]。京都三中卒業。京都府立医科大学を芝居に凝って中退[2]。
児童劇団の台本・演出の傍ら、1952年よりドラマの脚本を書きはじめる[3]。NHKテレビ「日本の歴史」を担当し、本格的に歴史の勉強を開始[4]。1962年より著述を業とし[5]、地誌、歴史、文学などについて執筆する。》(ウィキ「駒敏郎」)

桜井砂夫について以下のように書いているサイトがあった。

《私の旧友に桜井砂夫という詩人がいる。昭和二十七年夏だったか、『新潮』九月号に、彼は「東京の印象」と題するいい詩を発表した。それきり姿を消してしまった。》

本誌は二十八年三月発行だから「それきり」ではなかったわけである。『児童文学界』創刊号の広告が出ている。鴫原一穂、港野喜代子、上野瞭らの名前が見える。上野瞭HPの年譜に以下のような記事があった。

《●1952年(昭和27年)二十四歳
平安高校で教鞭を執り、国語を担当する。佐藤一男のポケットマネーで始まった『児童文学界』(同人誌)に作品を書く。
この学校をやめるまでに、日本脳炎、胃潰瘍、十二指腸潰瘍と、さまざまな病気を体験する。
●1954年(昭和29年)二十六歳
鴨原一穂、片山悠、岩本敏男らと”馬車の会”を結成し、児童文学誌「馬車」を創刊、”新しい児童文学”を模索する。
乙骨淑子と雑誌「こだま」を通じて知り合い、交流をはじめる。 》

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by sumus2013 | 2019-04-19 20:32 | 関西の出版社 | Comments(0)

首 No.12

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『首』第十二号(首編集室、一九六七年一二月三〇日)。首編集室=京都市北区小山元町11 安土方 坂倉行人。ゴーリー一箱古本市に参加。善行堂を覗いたときに発見した一冊。巻頭の詩は清水昶。

『清水昶詩集 暗視の中を疾走する朝』

会員名簿と執筆者の名前だけ引き写しておく。

宇佐美斉
家永温子
松島 征
有地 光
小石嘉幸
山田弘道
唐沢篤男
佐藤 徹

執筆者
清水 昶
森川慶一
岸本邦宏
太田勝也
佐藤紘雄
米村敏人


巻末「首通信3」に《「首」が季刊となってから三冊目。》《表紙装幀は前号に引きつづいて倉本信之氏による。シリーズのIIIである。》とある。また合評会の案内も掲示されている。

首12号合評会
時 1月4日(木)午後5時30分から
所 静 TEL 22-5148
京都柳小路四条上ル 京極東宝前入ル

京極東宝は一九五四年に洋画ロードショー館として開館、二〇〇六年に閉館した。「静」は現在も営業している居酒屋と同じだろうか。そこなら小生も何年か前に一度だけ入ったことがある。昔ながらの渋い雰囲気だった。

by sumus2013 | 2019-01-19 20:46 | 関西の出版社 | Comments(0)

童説

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個展期間中に臼井喜之介『詩集 童説』(臼井書房、昭和二十一年五月五日、装幀=鴫原一穂)を会場で頂戴しました。感謝です。この本は京都ではわりとよく見かけるような気がするし、実際、臼井書房を調べているときには、何度か買って何度か手放した。

装幀の鴫原一穂は臼井の親友で詩人・児童文学者、教師だった。臼井書房からも詩集を出しているし、装幀も何冊か担当している。鴫原の穏やかな絵柄が臼井の詩風にも合っているのだろう。本書に収められている作品から二篇を引用してみる(どちらも全文)。


   紙凧

 ぐいぐいと ひつぱる
 泪ぐましい力がつたはつてくる
 張りきつた このたくましい糸へ
 あをぞらのうたがひびいてくる

 野つぱらには
 こどもたちが いつぱい
 さむい吹きざらしだが
 みんな とびちぎれるほど元氣で
 そらを仰いでゐる
 まばゆい瞳を きらきら輝かしてゐる

 わくわくさせ
 いつも いつも
 忘れきれないで一ぱいな空の力が
 ああ この一すぢの糸をつたつて
 ぐいぐいと ひつぱるよ



   冬日抄

 床の間に折々の野草などさし入れ
 手縫ひのエプロンに桃の花の刺繍を飾る
 まいにち子供の世話にいそがしい妻は
 こどもらが寝しづまつてから僅かに本をひもとく

 隣近所の人々が
 ごつごつしないで 豊かであつてほしいと心から希ひ
 向ひの子供の頭にくさができたといふと
 これは効きますからと 和薬など届けてゐる

 手のあかぎれが ひどくなると
 鹽湯をつくつてたつぷりとつけ
 ああ 氣持がよくなつたと 元氣な頬を輝かせる
 そして 二人のこどもたちと
 あけくれを大ごゑで笑ひ
 半坪に足らぬ裏の畠の
 雪をかぶつた そら豆の成長をたのしんでゐる

 いま冬陽ざしの明るい二階の四畳半で
 子供に添寝したまま うたたねしてゐる妻
 健やかな ねいきをもらしながら
 やはり 文化だの 愛だの 平等だのといふ
 むつかしい夢をみてゐるのであらう


臼井夫人があってこそ臼井書房があった、そんな気持ちにさせてくれる「冬日抄」ではある。


『新生』再刊第五輯

『新生第一詩集』(新生同人社、一九三七年)


***


ブックカフェ&ギャラリー・ユニテさんが昨日二十五日限りで閉店されました。個展、ナベ展、そして武藤さんとのトークなど、五年ほどの間にいろいろとお世話になりました。感謝しかありません。素敵な隠れ家っぽいスペースで趣味のいい本がたくさんあったのですが・・・残念です。

なにやら、一月中に大セールを行われるそうです。これは逃せません!

楽市楽座出品しゃ募集!

 川端二条の旧ユニテ内で1月10日~15日に「大解体市」を催します。
同時に店内を使って「楽市楽座」を催したいと思っています。
店の有効利用と感謝をこめて広く参加していただける方を募集いたします。
販売、包装は各自でお願いします。
参加費、手数料等は一切かかりません。
手づくりのものはもちろん、身の回りで使わなくなったもの等、なんでもOKです。
期間中、参加の日にち、時間はいつでもけっこう、おまかせします。
出品されるものは、「さよなら、新しい持ち主に可愛がってもらってね」価格でお願いします。

食べ物、生きもの、危険なもの、子供に見せられないもの等の出品はお断りいたします。
店内なので天気の心配はありません。暖房完備、ただし座られる場合は、イス、ゴザ等、各自ご用意ください。
釣り銭は各自ご用意ください。金銭管理も各自でお願いします。
入退出は自由ですが、一言お声がけください。

お申込みは、info@unite-kyoto.jpまで     旧・ブックカフェ&ギャラリー ユニテ

ブックカフェ&ギャラリー・ユニテ

巴里みやげ 林哲夫作品展

NabeQuest2015 Nabe-TEN(展)

画家・林哲夫さんと話そう


by sumus2013 | 2018-12-26 16:29 | 関西の出版社 | Comments(0)

改正増補物理階梯

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片山淳吉編纂・水渓良孝標註『改正増補物理階梯 下』(田中治兵衛、明治十一年三月刻成発兌)。『天文学と印刷』の図録を眺めていて、今年の百万遍でたしかそんな教科書を買ったなと思って探し出してみた。物理階梯なので天文学だけではないが、天文図も掲載されている。第三十四課「天体論」以下三十九課までは天文学に関係する記述である。

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片山淳吉についてはかなりのことが分かっている。

日本初の理科の教科書「物理階梯」 関係者子孫が京都・西舞鶴高で紹介
《片山は天保8(1837)年の生まれで、田辺藩の命を受けて江戸に出て、その後、慶應義塾の教員を経て、当時の文部省の官吏になった。「物理階梯」は明治5年、小学校高学年用の理科の教科書として出版。アメリカの入門書を翻案して書き下ろしたもので、内容は物理・化学など科学一般にわたり、一部は現在の高校のレベルに達しているという。》

《片山 淳吉(かたやま じゅんきち、天保8年3月3日(1837年4月7日) - 明治20年(1887年)6月29日)は、明治期の官吏、物理教科書執筆者。初名は淳之助。
丹後国田辺藩士。藩命を受け江戸に出て、薩摩藩の坪井芳州の門に学んだ後、慶応元年(1865年)に慶應義塾に入り、翌年幕府開成所教授世話手伝となる。一旦帰郷して再び上京して慶應義塾に入り教員となる。1871年(明治4年)に大学少助教を経て海軍兵学寮十等出仕、1872年(明治5年)には文部省編集寮十等出仕となり、日本国最初の物理教科書『物理階梯』を編集した。ジョージ・ペイン・カッケンボスとアドルフ・ガノーの物理書を編訳した『理学啓蒙』のほか、国語や自然科学分野の教科書を数多く執筆している。
出版社「天梁館」の主人などを務め、内田成道・岡千仭とも関係があった。》(ウィキ「片山淳吉」)

「「物理階梯」の編者片山淳吉の生涯」 岡本正志(大阪女子短期大学)

水渓良孝についてはあまりよくわからない。奥付には《京都府平民/下京区第十八区万寿寺通烏丸東入四百九十五番屋敷》とある。以前紹介したときに彼の関係する出版物を調べたことがあった。

水渓良孝編『小学入門便覧』(田中治兵衛=文求堂、一八七六年一〇月二四日再々刻発兌)


余計なことかもしれないが、『天文学と印刷』を見ていて『新巧暦書(写本)』(渋川景佑、足立信頭、天保七1836)の図版キャプション中(p226)に次のようにあるのが気になった。

《右ページは太陽暦における各月の日数表。翻訳の原著であった『ラランデ暦書』の著者ジェローム・ラランドがパリの天文台長であったことから、把理(パリ)の値として記述している》

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図版を見ると上掲のように《求本年京師及把理斯平閏》である。おそらく「把理斯」を「パリス」と読ませるのかと思う。現在のオランダ語ではパリのことは「Parijs」と書き「パニャス」と発音する(そう聞こえます)。ラランドのオランダ語訳本のタイトルページも図版に出ているが(一七七七年版)、そこには「Parys」と印刷されているようだ。いずれにせよ語尾の「s」は発音するのが本当だろう。翻訳者たちもそう思ったわけである。

もうひとつフランス語のウィキによれば、ラランド(Joseph Jérôme Lefrançois de Lalande)がパリの天文台長に任命されたのは一七九五年のようである。参考までに。


by sumus2013 | 2018-11-20 20:45 | 関西の出版社 | Comments(0)

沈黙とイメージ

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竹内万里子『沈黙とイメージ』(赤々舎、二〇一八年五月九日、造本設計・デザイン=大西正一)。最近、新刊でジャケ買いした一冊。誠光社の入ってすぐの平台に『本の虫の本』とともに積み上げられていた。

まず、パッと見、カバーと帯、どちらも白ながら(ホワイトとスノーホワイトくらいの違いはある)カバーにはマットなニス、帯はグロス(光沢)コーティングと使い分けているのが効果的だと思った。文字配りも、空間を広く意識した、今どきのレイアウトだが、気取りすぎないところに好感を持った。

本文組みもゆったりと読みやすいし、何と言っても図版の写真(あ、これは写真論集です)を別刷り貼り込み、要するに昔の画集によくあったようなオールドファッションな形式を採用しているのに、やられた、と思う。

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本文の構成も凝っている。縦書き右開きで写真についてのエッセイ、中央に「ルワンダ・ノート」(《二〇〇九年一〇月から二〇一〇年一二月にかけて、著者が『ルワンダ・ジェノサイドから生まれて』の日本語版刊行および国内展覧会を手がける傍ら、日々ブログにまとめた様々な資料からの引用と本人が書き綴った文章を一部抜粋したものである》)、そして後半は横書き左開きになっており、エッセイの英訳が収録されている。和文の頁と英訳の頁には、同じ写真家について論じた部分でも別の写真が貼り込まれている。これは意外と名案と思った。エッセイの雰囲気が変わる。

奥付は和文の末尾に置かれている(全体ではちょうど真ん中あたり)。

著者は一九七二年東京生まれ、早稲田大学大学院で芸術学の修士課程終了、東京国立近代美術館客員研究員などを経て、現在、京都造形芸術大学准教授。エッセイの内容については、良くも悪くも、ナイーフで初々しい感じがした。

赤々舎は写真集が専門の出版社。創業は二〇〇六年らしく、所在地は京都市中京区藤西町・・・なんと我が家から歩いても十分とかからない場所だった。発行人の姫野希美さんについては下記の記事がまとまっている。

「写真界に風穴を開ける」姫野希美が語る仕事-1


by sumus2013 | 2018-10-22 16:42 | 関西の出版社 | Comments(0)

フシギナ火ノ島

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武久武夫『エトドウワ フシギナ火ノ島』(元文社、一九三四年五月五日)。「フシギナ火ノ島」「バラの王女」「ジョンの手柄」「セビラの理髪師」の四話が収録されている。

ゴーリー(gorey)の一箱古本市にて岡崎箱より求めた。それなりの値段だった。扉は取れているし、何ページかの欠落もある、ちょっと高いんではないの、とも思ったが、元文社(田中耕三郎 大阪市西区立売堀南通四丁目八番地)の出版物なので確保しておくことに。元文社については、奥村敏明『文庫パノラマ館』(青弓社)の「戦争文庫」で説明されている。

《出版ニュース社の『出版人物事典』をあたってみると、「田中貫行(一八九七〜一九六八年)鶴書房創業者、徳島市生れ。一九二六年(大正十五年)大阪市で田中元文社を創業、絵本など児童書を発行。一九一四年(昭和十六年)東京に進出、株式会社鶴書房と改称改組、一般教養書の出版もはじめた。一九四五年戦災で東京・大阪とも社屋を全焼したが一九四八年再開。鶴書房(一般書・実用書)、元文社(自動車関係)、盛光社(児童書)の三事業制とした」とある。田中耕三郎と田中貫行の関係は不明だが、どうやら同一の出版社であるようだ。》

日本の古本屋で元文社を検索してみると、戦前の漫画など、かなり強力な値段の本が並んでいる。なるほど、破れや欠頁があっても、珍しい本にはそれなりの値段がついて当たり前か。

武久武夫は本名らしくない。いちおう検索してみると、雑誌『民族』に論文を寄稿している同姓同名の人物がいるようだ。民俗学者だろうか。下手な挿絵は誰だろう? と思いつつ背をみると《武久武夫 画作》としてあった。著者ご本人だった。下手すぎて、かえって『ガロ』系の劇画タッチの味わいが出ているようにさえ見えてしまう。表紙絵だけは、誰か別の画家の手になるようだ。

ゴーリー(gorey)の一箱古本市、あなどれません。


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by sumus2013 | 2018-10-21 17:02 | 関西の出版社 | Comments(0)

le clebs

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『ル クレップス le clebs』(ル・クレップス、一九八四年六・七月号)。発行日、発行所名は明記されていないが、編集部の住所は京都市左京区松ケ崎一町田町10-3。巻末にこうある。

《クレップスは、日本人とフランス人によって、京都で出版されている定期刊行物(隔月刊)ですが、東京、パリ、長崎、カンペール(フランス北西端にあるフィニステール県の県庁所在地)でも販売されています。刊行方針は、自分の興味を引く事柄について発言したいと思う人に、その機会を提供し、日本人がフランス人を、フランス人が日本人を、発見できるようにすることです。》

「クレップス」は知らない単語だった。検索してみると犬(=chien、cabot)という意味。どおりで表紙右下に「わんこう」と書かれている。

表紙はバルチュス展の広告みたいになっている。当時、日本では京都市美術館でのみ開催された。初回顧展だったため東京からわざわざ見に来た知人が何人もいた。

バルテュス展

ただ本書の記事はイザベル・シャリエ(Isabelle CHARRIER)の「親和力ー京都でのバルチュス」とバルチュス自身の抗議文「誤解をさそうイメージ」のみ。イザベルは一九五一年生まれ、この後、一九八八年にパリ第四大学で考古学の博士号をとっており、日本美術専攻。

《バルチュスは京都を非常に愛した。親和力は両者を永遠に結びつけている。》
《バルチュス展覧会は20年前に彼と出会った一人の日本の芸術家の尽力により開かれる。師と弟子、これも選択親和力による。》(訳:宇敷伊津子)

弟子というのは節子夫人のことであろう。

バルチュスの抗議文というのも興味深いものだ。画家はニューヨークのメトロポリタン美術館で開かれた自身の回顧展に対して、とりわけ図録の内容について不満をもらしている。

メトロポリタン美術館とジョルジュ・ポンピドー・センターが共同企画として回顧展を開くことになったとき、作家にはまったく何も相談がなかったそうだ。

《準備段階で相談をもちかけられて当然だと思っていた。ところが間接的な筋から私が聞いたのは、このような場合、美術館のポリシーとして決して作家には相談もしなければ、連絡もとらないということだった。とくに私は作品の選択に関して相談してほしかったと思っている。》

《図録の校正が私のところに正式に送られてきたことはなく、私はたまたま見たにすぎないのだが、その内容は膨大な量の、詳細にわたる私の経歴であり、そのほとんどがまったく関係のない、非礼に満ちた虚像であった。また私の制作過程や技法に関する、いわゆる"テクニカル・インフォメーション"は、単なる想像にすぎないことがしばしばであった。》

《ゆがめられた事実、間違った日付、根拠のない憶測などがあいまってテキストを無数のあやまちだらけのものにしており、そのため美術に近付くには背景の情報や経歴などが役に立つと信じこんでいる人々にさえ、誤解を与えることになっている。》

《作品は作家を語るものではない。作品が語るのは瞬間、瞬間のビジョン、平凡な外見の向う側にある現実、子供のように心をときめかせなくてはならない現実なのである。》

和訳がやや不正確なような気がするが(翻訳者名なし)、とりあえず大きな間違いはないようだ(この雑誌の記事はすべて和文仏文併記)。たしかにバルチュスの主張も解らないではない。しかし美術館が作家に相談しないのはある意味当然だという気もしてくる。例えば、もし経歴について相談を受けていれば、バルチュスはこう答えただろうと言う。

《バルチュスはその人となりについては何も知られていない画家である。だから彼の絵を見ようではないか。》
 Balthus est un peintre dont on ne sait rien. Ceci dit, voyons ses tableaux.

「作品は作家を語るものではない Les tableaux ne décrivent ni ne révèlent un peintre」と矛盾しているようでもあり、作品だけを無心に見よという気持ちはよくわかるような気もする。ただ、作品も経歴も一人歩きするもの、いくら歯ぎしりしても無駄なような気もするのだ。あるいは、今話題のバンクシーのような覆面画家になるしかないのかな・・・?


by sumus2013 | 2018-10-16 20:18 | 関西の出版社 | Comments(0)

顔3

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同人誌『顔』3(顔の会、一九六一年七月一日、表紙=宇野董之)。発行所は京都市北区寺町リ鞍馬口下ル久保方・津山内。同人は土肥美夫、津山昌、宇野董之、蟻圭介、木下京子。土肥(1924-1989)は美術史学者、京大名誉教授だが、この雑誌の出た当時は三十七歳、同志社大助教授だった。津山が編集長のようである。津山は美術評論家。後には富山県で活躍し美術同人誌『非』の代表者でもあった(じつは『非』には小生も執筆させてもらったことがある、ずいぶんと昔の話だが)。宇野董之、蟻圭介は劇団京芸と関係していたらしい。宇野は舞台装置、蟻は演出を担当した。ただ宇野董之で検索してもとりたててヒットする項目がない。

目次だけ簡単に紹介しておく。小説を津山と土肥がそれぞれ書いている。矢内原伊作が詩二篇を寄稿。関根勢之助のデッサンと詩、土肥の「関根勢之助のこと」。翻訳は、ロルカ「寸劇〈てあとる・ぶれーべ〉」大島正(スペイン文学者、同志社大助教授)訳、および、ベケットの戯曲「クラップの最後のテープ」津山+花田正子訳。評論が丹治恒治郎(関西学院大)宇野董之。そしてかなり長文の宇野董之による劇場詩(戯曲)。コラム欄は土肥の他、近藤公一(同志社大)、沢田閏(同志社大)、丹治恒治郎。

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関根勢之助(1929-2003)のデッサン。関根は京都市立芸術大学で教鞭を執った。

奥付の頁に美術グループ「ZEROの会」の第二回展の報告がある。

京都在住の中堅美術家ーー洋画四名、彫刻四名と文学関係に名(「顔」同人の土肥、津山)よりなる美術グループの第二回美術展がこの春三月十八日〜二十三日、京都藤井大丸5階ホールで催された。
 尚「顔」第三号の関根勢之助はZEROの会員。》

「京の記憶アーカイブ」に「ZEROの会」第一回展の記事が出ているので参考まで。


ベケットの戯曲「クラップの最後のテープ」の解説に、この年の三月にドイツのビーレフェルトでオペラとして上演されたときの様子が報告されているのが目に留まった。

《初演を機に「現代の音楽劇」というテーマで公開座談会が催され、作曲家ミハロヴィッチ、原作者ベケットも共に出席した。討論中ベケットは終始頑固な沈黙を守つづけ、ただひとこと「私は自分の作品について話すことを好みません」といって拍手を浴びたほかふたたび沈黙して語らなかった。(「ティーテル・ホイテ」3月号より)

ベケットらしい。

Samuel Barclay Beckett

by sumus2013 | 2018-09-14 17:18 | 関西の出版社 | Comments(0)