林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:関西の出版社( 43 )

首 No.12

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『首』第十二号(首編集室、一九六七年一二月三〇日)。首編集室=京都市北区小山元町11 安土方 坂倉行人。ゴーリー一箱古本市に参加。善行堂を覗いたときに発見した一冊。巻頭の詩は清水昶。

『清水昶詩集 暗視の中を疾走する朝』

会員名簿と執筆者の名前だけ引き写しておく。

宇佐美斉
家永温子
松島 征
有地 光
小石嘉幸
山田弘道
唐沢篤男
佐藤 徹

執筆者
清水 昶
森川慶一
岸本邦宏
太田勝也
佐藤紘雄
米村敏人


巻末「首通信3」に《「首」が季刊となってから三冊目。》《表紙装幀は前号に引きつづいて倉本信之氏による。シリーズのIIIである。》とある。また合評会の案内も掲示されている。

首12号合評会
時 1月4日(木)午後5時30分から
所 静 TEL 22-5148
京都柳小路四条上ル 京極東宝前入ル

京極東宝は一九五四年に洋画ロードショー館として開館、二〇〇六年に閉館した。「静」は現在も営業している居酒屋と同じだろうか。そこなら小生も何年か前に一度だけ入ったことがある。昔ながらの渋い雰囲気だった。

by sumus2013 | 2019-01-19 20:46 | 関西の出版社 | Comments(0)

童説

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個展期間中に臼井喜之介『詩集 童説』(臼井書房、昭和二十一年五月五日、装幀=鴫原一穂)を会場で頂戴しました。感謝です。この本は京都ではわりとよく見かけるような気がするし、実際、臼井書房を調べているときには、何度か買って何度か手放した。

装幀の鴫原一穂は臼井の親友で詩人・児童文学者、教師だった。臼井書房からも詩集を出しているし、装幀も何冊か担当している。鴫原の穏やかな絵柄が臼井の詩風にも合っているのだろう。本書に収められている作品から二篇を引用してみる(どちらも全文)。


   紙凧

 ぐいぐいと ひつぱる
 泪ぐましい力がつたはつてくる
 張りきつた このたくましい糸へ
 あをぞらのうたがひびいてくる

 野つぱらには
 こどもたちが いつぱい
 さむい吹きざらしだが
 みんな とびちぎれるほど元氣で
 そらを仰いでゐる
 まばゆい瞳を きらきら輝かしてゐる

 わくわくさせ
 いつも いつも
 忘れきれないで一ぱいな空の力が
 ああ この一すぢの糸をつたつて
 ぐいぐいと ひつぱるよ



   冬日抄

 床の間に折々の野草などさし入れ
 手縫ひのエプロンに桃の花の刺繍を飾る
 まいにち子供の世話にいそがしい妻は
 こどもらが寝しづまつてから僅かに本をひもとく

 隣近所の人々が
 ごつごつしないで 豊かであつてほしいと心から希ひ
 向ひの子供の頭にくさができたといふと
 これは効きますからと 和薬など届けてゐる

 手のあかぎれが ひどくなると
 鹽湯をつくつてたつぷりとつけ
 ああ 氣持がよくなつたと 元氣な頬を輝かせる
 そして 二人のこどもたちと
 あけくれを大ごゑで笑ひ
 半坪に足らぬ裏の畠の
 雪をかぶつた そら豆の成長をたのしんでゐる

 いま冬陽ざしの明るい二階の四畳半で
 子供に添寝したまま うたたねしてゐる妻
 健やかな ねいきをもらしながら
 やはり 文化だの 愛だの 平等だのといふ
 むつかしい夢をみてゐるのであらう


臼井夫人があってこそ臼井書房があった、そんな気持ちにさせてくれる「冬日抄」ではある。


『新生』再刊第五輯

『新生第一詩集』(新生同人社、一九三七年)


***


ブックカフェ&ギャラリー・ユニテさんが昨日二十五日限りで閉店されました。個展、ナベ展、そして武藤さんとのトークなど、五年ほどの間にいろいろとお世話になりました。感謝しかありません。素敵な隠れ家っぽいスペースで趣味のいい本がたくさんあったのですが・・・残念です。

なにやら、一月中に大セールを行われるそうです。これは逃せません!

楽市楽座出品しゃ募集!

 川端二条の旧ユニテ内で1月10日~15日に「大解体市」を催します。
同時に店内を使って「楽市楽座」を催したいと思っています。
店の有効利用と感謝をこめて広く参加していただける方を募集いたします。
販売、包装は各自でお願いします。
参加費、手数料等は一切かかりません。
手づくりのものはもちろん、身の回りで使わなくなったもの等、なんでもOKです。
期間中、参加の日にち、時間はいつでもけっこう、おまかせします。
出品されるものは、「さよなら、新しい持ち主に可愛がってもらってね」価格でお願いします。

食べ物、生きもの、危険なもの、子供に見せられないもの等の出品はお断りいたします。
店内なので天気の心配はありません。暖房完備、ただし座られる場合は、イス、ゴザ等、各自ご用意ください。
釣り銭は各自ご用意ください。金銭管理も各自でお願いします。
入退出は自由ですが、一言お声がけください。

お申込みは、info@unite-kyoto.jpまで     旧・ブックカフェ&ギャラリー ユニテ

ブックカフェ&ギャラリー・ユニテ

巴里みやげ 林哲夫作品展

NabeQuest2015 Nabe-TEN(展)

画家・林哲夫さんと話そう


by sumus2013 | 2018-12-26 16:29 | 関西の出版社 | Comments(0)

改正増補物理階梯

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片山淳吉編纂・水渓良孝標註『改正増補物理階梯 下』(田中治兵衛、明治十一年三月刻成発兌)。『天文学と印刷』の図録を眺めていて、今年の百万遍でたしかそんな教科書を買ったなと思って探し出してみた。物理階梯なので天文学だけではないが、天文図も掲載されている。第三十四課「天体論」以下三十九課までは天文学に関係する記述である。

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片山淳吉についてはかなりのことが分かっている。

日本初の理科の教科書「物理階梯」 関係者子孫が京都・西舞鶴高で紹介
《片山は天保8(1837)年の生まれで、田辺藩の命を受けて江戸に出て、その後、慶應義塾の教員を経て、当時の文部省の官吏になった。「物理階梯」は明治5年、小学校高学年用の理科の教科書として出版。アメリカの入門書を翻案して書き下ろしたもので、内容は物理・化学など科学一般にわたり、一部は現在の高校のレベルに達しているという。》

《片山 淳吉(かたやま じゅんきち、天保8年3月3日(1837年4月7日) - 明治20年(1887年)6月29日)は、明治期の官吏、物理教科書執筆者。初名は淳之助。
丹後国田辺藩士。藩命を受け江戸に出て、薩摩藩の坪井芳州の門に学んだ後、慶応元年(1865年)に慶應義塾に入り、翌年幕府開成所教授世話手伝となる。一旦帰郷して再び上京して慶應義塾に入り教員となる。1871年(明治4年)に大学少助教を経て海軍兵学寮十等出仕、1872年(明治5年)には文部省編集寮十等出仕となり、日本国最初の物理教科書『物理階梯』を編集した。ジョージ・ペイン・カッケンボスとアドルフ・ガノーの物理書を編訳した『理学啓蒙』のほか、国語や自然科学分野の教科書を数多く執筆している。
出版社「天梁館」の主人などを務め、内田成道・岡千仭とも関係があった。》(ウィキ「片山淳吉」)

「「物理階梯」の編者片山淳吉の生涯」 岡本正志(大阪女子短期大学)

水渓良孝についてはあまりよくわからない。奥付には《京都府平民/下京区第十八区万寿寺通烏丸東入四百九十五番屋敷》とある。以前紹介したときに彼の関係する出版物を調べたことがあった。

水渓良孝編『小学入門便覧』(田中治兵衛=文求堂、一八七六年一〇月二四日再々刻発兌)


余計なことかもしれないが、『天文学と印刷』を見ていて『新巧暦書(写本)』(渋川景佑、足立信頭、天保七1836)の図版キャプション中(p226)に次のようにあるのが気になった。

《右ページは太陽暦における各月の日数表。翻訳の原著であった『ラランデ暦書』の著者ジェローム・ラランドがパリの天文台長であったことから、把理(パリ)の値として記述している》

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図版を見ると上掲のように《求本年京師及把理斯平閏》である。おそらく「把理斯」を「パリス」と読ませるのかと思う。現在のオランダ語ではパリのことは「Parijs」と書き「パニャス」と発音する(そう聞こえます)。ラランドのオランダ語訳本のタイトルページも図版に出ているが(一七七七年版)、そこには「Parys」と印刷されているようだ。いずれにせよ語尾の「s」は発音するのが本当だろう。翻訳者たちもそう思ったわけである。

もうひとつフランス語のウィキによれば、ラランド(Joseph Jérôme Lefrançois de Lalande)がパリの天文台長に任命されたのは一七九五年のようである。参考までに。


by sumus2013 | 2018-11-20 20:45 | 関西の出版社 | Comments(0)

沈黙とイメージ

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竹内万里子『沈黙とイメージ』(赤々舎、二〇一八年五月九日、造本設計・デザイン=大西正一)。最近、新刊でジャケ買いした一冊。誠光社の入ってすぐの平台に『本の虫の本』とともに積み上げられていた。

まず、パッと見、カバーと帯、どちらも白ながら(ホワイトとスノーホワイトくらいの違いはある)カバーにはマットなニス、帯はグロス(光沢)コーティングと使い分けているのが効果的だと思った。文字配りも、空間を広く意識した、今どきのレイアウトだが、気取りすぎないところに好感を持った。

本文組みもゆったりと読みやすいし、何と言っても図版の写真(あ、これは写真論集です)を別刷り貼り込み、要するに昔の画集によくあったようなオールドファッションな形式を採用しているのに、やられた、と思う。

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本文の構成も凝っている。縦書き右開きで写真についてのエッセイ、中央に「ルワンダ・ノート」(《二〇〇九年一〇月から二〇一〇年一二月にかけて、著者が『ルワンダ・ジェノサイドから生まれて』の日本語版刊行および国内展覧会を手がける傍ら、日々ブログにまとめた様々な資料からの引用と本人が書き綴った文章を一部抜粋したものである》)、そして後半は横書き左開きになっており、エッセイの英訳が収録されている。和文の頁と英訳の頁には、同じ写真家について論じた部分でも別の写真が貼り込まれている。これは意外と名案と思った。エッセイの雰囲気が変わる。

奥付は和文の末尾に置かれている(全体ではちょうど真ん中あたり)。

著者は一九七二年東京生まれ、早稲田大学大学院で芸術学の修士課程終了、東京国立近代美術館客員研究員などを経て、現在、京都造形芸術大学准教授。エッセイの内容については、良くも悪くも、ナイーフで初々しい感じがした。

赤々舎は写真集が専門の出版社。創業は二〇〇六年らしく、所在地は京都市中京区藤西町・・・なんと我が家から歩いても十分とかからない場所だった。発行人の姫野希美さんについては下記の記事がまとまっている。

「写真界に風穴を開ける」姫野希美が語る仕事-1


by sumus2013 | 2018-10-22 16:42 | 関西の出版社 | Comments(0)

フシギナ火ノ島

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武久武夫『エトドウワ フシギナ火ノ島』(元文社、一九三四年五月五日)。「フシギナ火ノ島」「バラの王女」「ジョンの手柄」「セビラの理髪師」の四話が収録されている。

ゴーリー(gorey)の一箱古本市にて岡崎箱より求めた。それなりの値段だった。扉は取れているし、何ページかの欠落もある、ちょっと高いんではないの、とも思ったが、元文社(田中耕三郎 大阪市西区立売堀南通四丁目八番地)の出版物なので確保しておくことに。元文社については、奥村敏明『文庫パノラマ館』(青弓社)の「戦争文庫」で説明されている。

《出版ニュース社の『出版人物事典』をあたってみると、「田中貫行(一八九七〜一九六八年)鶴書房創業者、徳島市生れ。一九二六年(大正十五年)大阪市で田中元文社を創業、絵本など児童書を発行。一九一四年(昭和十六年)東京に進出、株式会社鶴書房と改称改組、一般教養書の出版もはじめた。一九四五年戦災で東京・大阪とも社屋を全焼したが一九四八年再開。鶴書房(一般書・実用書)、元文社(自動車関係)、盛光社(児童書)の三事業制とした」とある。田中耕三郎と田中貫行の関係は不明だが、どうやら同一の出版社であるようだ。》

日本の古本屋で元文社を検索してみると、戦前の漫画など、かなり強力な値段の本が並んでいる。なるほど、破れや欠頁があっても、珍しい本にはそれなりの値段がついて当たり前か。

武久武夫は本名らしくない。いちおう検索してみると、雑誌『民族』に論文を寄稿している同姓同名の人物がいるようだ。民俗学者だろうか。下手な挿絵は誰だろう? と思いつつ背をみると《武久武夫 画作》としてあった。著者ご本人だった。下手すぎて、かえって『ガロ』系の劇画タッチの味わいが出ているようにさえ見えてしまう。表紙絵だけは、誰か別の画家の手になるようだ。

ゴーリー(gorey)の一箱古本市、あなどれません。


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by sumus2013 | 2018-10-21 17:02 | 関西の出版社 | Comments(0)

le clebs

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『ル クレップス le clebs』(ル・クレップス、一九八四年六・七月号)。発行日、発行所名は明記されていないが、編集部の住所は京都市左京区松ケ崎一町田町10-3。巻末にこうある。

《クレップスは、日本人とフランス人によって、京都で出版されている定期刊行物(隔月刊)ですが、東京、パリ、長崎、カンペール(フランス北西端にあるフィニステール県の県庁所在地)でも販売されています。刊行方針は、自分の興味を引く事柄について発言したいと思う人に、その機会を提供し、日本人がフランス人を、フランス人が日本人を、発見できるようにすることです。》

「クレップス」は知らない単語だった。検索してみると犬(=chien、cabot)という意味。どおりで表紙右下に「わんこう」と書かれている。

表紙はバルチュス展の広告みたいになっている。当時、日本では京都市美術館でのみ開催された。初回顧展だったため東京からわざわざ見に来た知人が何人もいた。

バルテュス展

ただ本書の記事はイザベル・シャリエ(Isabelle CHARRIER)の「親和力ー京都でのバルチュス」とバルチュス自身の抗議文「誤解をさそうイメージ」のみ。イザベルは一九五一年生まれ、この後、一九八八年にパリ第四大学で考古学の博士号をとっており、日本美術専攻。

《バルチュスは京都を非常に愛した。親和力は両者を永遠に結びつけている。》
《バルチュス展覧会は20年前に彼と出会った一人の日本の芸術家の尽力により開かれる。師と弟子、これも選択親和力による。》(訳:宇敷伊津子)

弟子というのは節子夫人のことであろう。

バルチュスの抗議文というのも興味深いものだ。画家はニューヨークのメトロポリタン美術館で開かれた自身の回顧展に対して、とりわけ図録の内容について不満をもらしている。

メトロポリタン美術館とジョルジュ・ポンピドー・センターが共同企画として回顧展を開くことになったとき、作家にはまったく何も相談がなかったそうだ。

《準備段階で相談をもちかけられて当然だと思っていた。ところが間接的な筋から私が聞いたのは、このような場合、美術館のポリシーとして決して作家には相談もしなければ、連絡もとらないということだった。とくに私は作品の選択に関して相談してほしかったと思っている。》

《図録の校正が私のところに正式に送られてきたことはなく、私はたまたま見たにすぎないのだが、その内容は膨大な量の、詳細にわたる私の経歴であり、そのほとんどがまったく関係のない、非礼に満ちた虚像であった。また私の制作過程や技法に関する、いわゆる"テクニカル・インフォメーション"は、単なる想像にすぎないことがしばしばであった。》

《ゆがめられた事実、間違った日付、根拠のない憶測などがあいまってテキストを無数のあやまちだらけのものにしており、そのため美術に近付くには背景の情報や経歴などが役に立つと信じこんでいる人々にさえ、誤解を与えることになっている。》

《作品は作家を語るものではない。作品が語るのは瞬間、瞬間のビジョン、平凡な外見の向う側にある現実、子供のように心をときめかせなくてはならない現実なのである。》

和訳がやや不正確なような気がするが(翻訳者名なし)、とりあえず大きな間違いはないようだ(この雑誌の記事はすべて和文仏文併記)。たしかにバルチュスの主張も解らないではない。しかし美術館が作家に相談しないのはある意味当然だという気もしてくる。例えば、もし経歴について相談を受けていれば、バルチュスはこう答えただろうと言う。

《バルチュスはその人となりについては何も知られていない画家である。だから彼の絵を見ようではないか。》
 Balthus est un peintre dont on ne sait rien. Ceci dit, voyons ses tableaux.

「作品は作家を語るものではない Les tableaux ne décrivent ni ne révèlent un peintre」と矛盾しているようでもあり、作品だけを無心に見よという気持ちはよくわかるような気もする。ただ、作品も経歴も一人歩きするもの、いくら歯ぎしりしても無駄なような気もするのだ。あるいは、今話題のバンクシーのような覆面画家になるしかないのかな・・・?


by sumus2013 | 2018-10-16 20:18 | 関西の出版社 | Comments(0)

顔3

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同人誌『顔』3(顔の会、一九六一年七月一日、表紙=宇野董之)。発行所は京都市北区寺町リ鞍馬口下ル久保方・津山内。同人は土肥美夫、津山昌、宇野董之、蟻圭介、木下京子。土肥(1924-1989)は美術史学者、京大名誉教授だが、この雑誌の出た当時は三十七歳、同志社大助教授だった。津山が編集長のようである。津山は美術評論家。後には富山県で活躍し美術同人誌『非』の代表者でもあった(じつは『非』には小生も執筆させてもらったことがある、ずいぶんと昔の話だが)。宇野董之、蟻圭介は劇団京芸と関係していたらしい。宇野は舞台装置、蟻は演出を担当した。ただ宇野董之で検索してもとりたててヒットする項目がない。

目次だけ簡単に紹介しておく。小説を津山と土肥がそれぞれ書いている。矢内原伊作が詩二篇を寄稿。関根勢之助のデッサンと詩、土肥の「関根勢之助のこと」。翻訳は、ロルカ「寸劇〈てあとる・ぶれーべ〉」大島正(スペイン文学者、同志社大助教授)訳、および、ベケットの戯曲「クラップの最後のテープ」津山+花田正子訳。評論が丹治恒治郎(関西学院大)宇野董之。そしてかなり長文の宇野董之による劇場詩(戯曲)。コラム欄は土肥の他、近藤公一(同志社大)、沢田閏(同志社大)、丹治恒治郎。

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関根勢之助(1929-2003)のデッサン。関根は京都市立芸術大学で教鞭を執った。

奥付の頁に美術グループ「ZEROの会」の第二回展の報告がある。

京都在住の中堅美術家ーー洋画四名、彫刻四名と文学関係に名(「顔」同人の土肥、津山)よりなる美術グループの第二回美術展がこの春三月十八日〜二十三日、京都藤井大丸5階ホールで催された。
 尚「顔」第三号の関根勢之助はZEROの会員。》

「京の記憶アーカイブ」に「ZEROの会」第一回展の記事が出ているので参考まで。


ベケットの戯曲「クラップの最後のテープ」の解説に、この年の三月にドイツのビーレフェルトでオペラとして上演されたときの様子が報告されているのが目に留まった。

《初演を機に「現代の音楽劇」というテーマで公開座談会が催され、作曲家ミハロヴィッチ、原作者ベケットも共に出席した。討論中ベケットは終始頑固な沈黙を守つづけ、ただひとこと「私は自分の作品について話すことを好みません」といって拍手を浴びたほかふたたび沈黙して語らなかった。(「ティーテル・ホイテ」3月号より)

ベケットらしい。

Samuel Barclay Beckett

by sumus2013 | 2018-09-14 17:18 | 関西の出版社 | Comments(0)

びいどろ

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杉江重誠『びいどろ』(甲鳥書林、一九四二年六月一日)。久しぶりに甲鳥書林の本。この本は以前はよく見たけれど、最近はあまり目にした記憶がない。甲鳥書林の出版物を蒐集していたときに何冊か求めた覚えがある。これはまた別の一冊。函があったはず。装幀は甲鳥本らしく凝った造り。表紙に見える白い線、じつはガラス繊維のオビを貼付けてあるのだ。

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《この本の表紙には、本の名前にふさはしい工夫を加へてみたいと思つて考へて見た。出版元からもそんな意見が出たのを幸とし、新しい試みとして、ガラス糸の織物を表紙に使ふことになつた。
 ガラス織物は現在我が国でも工業的に作られて居り、その織方もいろ〜〜あるから、それらを巧みに使ひ分けたならば、本の表紙装幀に新機軸が出せると思ふたのであるが、大東亜戦争が始まつて以来、幅広のガラス織物はすべて軍需品として、多量に使用されるやうになつた。それ故に、戦争に直接必要のないこんな本に使ふなど思ひもよらないことであり、改めて軍需に余り必要のないガラス糸織リボンを利用することになつた。
 而してこの本に貼つてあるガラスリボンは、大野清一さんが、私の考へに讃意を寄せられ、特にこの本の為に贈られたものであることを記し、ここに深甚の謝意を表する次第である。又これを表紙に応用する製本技術上のことに就いては、出版元の矢倉さんと内外出版印刷会社の藤谷さんから色々考へて頂いた。》

「後記」に表紙の説明とともに矢倉年(やぐら・みのる)の名前が出ていた。またガラスを装幀に使ったものはこれまでに三種類あると書かれている。

(一)歌集「南京玉」宮川曼魚著、大正四年刊。
(二)「不謹慎な宝石」国際文献刊行会、昭和四年刊。
(三)詩集「魔女」佐藤春夫著、昭和七年初版。

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by sumus2013 | 2018-08-15 17:12 | 関西の出版社 | Comments(0)

詩集雲表

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19310801 雲表
著 者 藤木九三 
発行者 中江喬三 
発行所 黒百合社 大阪市南区鰻谷仲之町三九
197×141mm 81pp ¥1.20 六百部限定版


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「序」によれば、山のカットは《私が愛誦する L. Pilkington の詩集"An Alpine Valley"から借用したものである。》。藤木は福知山の出身、京都三中から早稲田大学の英文科を出て東京毎日新聞、やまと新聞、そして朝日新聞へと移り、一九一九年に神戸支局長。一九三〇年にはパリに滞在し、モンブラン、マッターホルンなどの岩場を登攀した。


  屋上登攀者
   (巴里に在りし日の私の生活の横顔)

屋根裏部屋は、私ーー屋上登攀者ーーのベルグ・ヒュッテだ
三角な出窓を開けると
霧がさつ[二文字傍点]と顔を打つ
月明の夜だつたら、殊に景観は素晴らしい
DOME, TOWER, NEEDLE, PINNACLE, PYRAMID, OBELISK…
地平の果[はて]から果まで
高層建築のあらゆる近代的な精鋭さと、敏感さ
何物かを掴まうとして高く、高く差し伸べた都會の觸手を空間に林立
 せしめてゐるではないか
私は其處に、人工の山岳としての個性と特異な荘厳さを觀る
(そして街觀はその儘の山脈であり、渓谷でもあるのだ)
もし、屋上花壇
ーーたとへそれが窓際に列べられた四五箇の鉢植にもせよーーがあり
 とすれば
私にとつて、宛[さなが]らアルプの『お花畑』なんだ
晴れた日の穹窿[そら]の下で
露臺[バルコン]に椅子を持ち出し、パイプを銜へながら望遠鏡でも覗いてご覧ん
ノートル・ダムの AIGUILLE の頂上で『積石[ケルン]』をまん中に、例の怪
 物どもが日向[ひなた]ぼつこ[三文字傍点]をしてをり
そして
凱旋門[エトワール]の北の壁では
あの仲間ーー屋上登攀者ーー
ザイルをしごいて、懸垂の練習をやつてゐるのが見えるだらう
(そして今日も
エツフエル塔の尖端[とつぱな]で倒立した勇者があつた相だ)
とはいへーー深夜、裏梯子を攀ぢてこの屋根裏のヒユツテにやつて来
 て見たまへ
一歩一歩、氷壁にステツプを切る刹那の虚心と敬虔さのひと時が味へ
 る!


発行者の中江喬三についてはよく分らないが、大阪の鰻谷で印刷所を経営していたのだろう。黒百合社は昭和五年から十五年の間に登山関係の本ばかり十点ばかり出版しているようだ。

by sumus2013 | 2018-03-20 20:59 | 関西の出版社 | Comments(2)

書彩13

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『書彩 13』(一九五八年八月一五日)のコピーを頂戴した。表紙と馬部紀夫(生活タイムス編集長)による「空也記」というエッセイの部分。『書彩』発行人・岸百艸(玉田喬)の動向がうかがえるところを引用してみる。昭和三十年代の神戸の雰囲気も分るような気がする。

《私が空也を知ったのは、この夜からである。ヒヤクソウさんが、飲みやをはじめるということは聞いていたが、それが、この空也食堂であった。》

《やがて、文化人たちはあまりあらわれなくなった。かわりに、この近在の酒場の女たちが、そのすさまじい食欲を見せているなかで、私は手酌で、ちびちび飲んだ。
 しかし、私は、友人でここを知らない者は、たいてい一度は連れてくる。
 「いいやろ? ここー。」
 私は何度もそういって、相手を納得させる。相手も、そういう気になり、しまいには、シンからそう思いこむ。私は愉快になり、しまいには、酔っぱらう。》

《ときにーーヒヤクソウさんが、メシのドンブリと、おカズを盛った皿をかかえて、ひとり飲んでいる私のかたわらへ腰を下す。ヒヤクソウさんの話は尽きない。私は、楽しく、心を奪われて、銚子を重ねる。昔の兵庫の話、居留地の話。異人さんの話。古書の話。春画の話。そしてヒヤクソウさんは紅茶のお代りをしながら言うのである。
 「ボっ、ボっ、ボクも、明治ものの資料を集めてるんです。そのうちに……」
 ヒヤクソウさんは、そのうちに大作を書くだろうと思う。ヘナチヨコの小説家のなかで、この気の弱そうに見える(自らそういうのだが)ヒヤクソウさんは、たとえ、ケチな世辞などは得なくとも、きっと、いいもの、書くだろうと思う。
 やはり、小説は、泣かせるものでなくちやね。庶民の感覚を、キミ、おろそかにしてはいけない。
 私は、いつのまにか深夜に近くなった元町通りを、ヒヤクソウさんと一丁目の入口までいっしょに出る。もうすこし、話したい。私はそう思うのだが、彼は、ひょいと手をあげ、じゃ、と、山手の方へ歩き去っていく。》

《ときにーーシンカンとして、空也夫人も奥へすっこみ、手伝いの女の子も姿を見せない夜など、私は、心を虚ろにして、ゆっくり飲む。ガラス戸の外の路を声高い異国の言葉が通り過ぎる。》

ちょっと感傷的な筆致ではあるが、空也食堂を取り巻く状況はうまく描かれている。参考になるいい資料である。この記事の脇に「暑中御伺い/申し上げます/空也食堂/玉田松江」の広告が入っている。これで奥さんの名前も判明した。



なお「イサビヤ画廊」で検索すると第一回デルタ展が開催されていた。

デルタ

by sumus2013 | 2018-03-19 20:22 | 関西の出版社 | Comments(0)