林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:関西の出版社( 35 )

詩集雲表

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19310801 雲表
著 者 藤木九三 
発行者 中江喬三 
発行所 黒百合社 大阪市南区鰻谷仲之町三九
197×141mm 81pp ¥1.20 六百部限定版


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「序」によれば、山のカットは《私が愛誦する L. Pilkington の詩集"An Alpine Valley"から借用したものである。》。藤木は福知山の出身、京都三中から早稲田大学の英文科を出て東京毎日新聞、やまと新聞、そして朝日新聞へと移り、一九一九年に神戸支局長。一九三〇年にはパリに滞在し、モンブラン、マッターホルンなどの岩場を登攀した。


  屋上登攀者
   (巴里に在りし日の私の生活の横顔)

屋根裏部屋は、私ーー屋上登攀者ーーのベルグ・ヒュッテだ
三角な出窓を開けると
霧がさつ[二文字傍点]と顔を打つ
月明の夜だつたら、殊に景観は素晴らしい
DOME, TOWER, NEEDLE, PINNACLE, PYRAMID, OBELISK…
地平の果[はて]から果まで
高層建築のあらゆる近代的な精鋭さと、敏感さ
何物かを掴まうとして高く、高く差し伸べた都會の觸手を空間に林立
 せしめてゐるではないか
私は其處に、人工の山岳としての個性と特異な荘厳さを觀る
(そして街觀はその儘の山脈であり、渓谷でもあるのだ)
もし、屋上花壇
ーーたとへそれが窓際に列べられた四五箇の鉢植にもせよーーがあり
 とすれば
私にとつて、宛[さなが]らアルプの『お花畑』なんだ
晴れた日の穹窿[そら]の下で
露臺[バルコン]に椅子を持ち出し、パイプを銜へながら望遠鏡でも覗いてご覧ん
ノートル・ダムの AIGUILLE の頂上で『積石[ケルン]』をまん中に、例の怪
 物どもが日向[ひなた]ぼつこ[三文字傍点]をしてをり
そして
凱旋門[エトワール]の北の壁では
あの仲間ーー屋上登攀者ーー
ザイルをしごいて、懸垂の練習をやつてゐるのが見えるだらう
(そして今日も
エツフエル塔の尖端[とつぱな]で倒立した勇者があつた相だ)
とはいへーー深夜、裏梯子を攀ぢてこの屋根裏のヒユツテにやつて来
 て見たまへ
一歩一歩、氷壁にステツプを切る刹那の虚心と敬虔さのひと時が味へ
 る!


発行者の中江喬三についてはよく分らないが、大阪の鰻谷で印刷所を経営していたのだろう。黒百合社は昭和五年から十五年の間に登山関係の本ばかり十点ばかり出版しているようだ。

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by sumus2013 | 2018-03-20 20:59 | 関西の出版社 | Comments(2)

書彩13

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『書彩 13』(一九五八年八月一五日)のコピーを頂戴した。表紙と馬部紀夫(生活タイムス編集長)による「空也記」というエッセイの部分。『書彩』発行人・岸百艸(玉田喬)の動向がうかがえるところを引用してみる。昭和三十年代の神戸の雰囲気も分るような気がする。

《私が空也を知ったのは、この夜からである。ヒヤクソウさんが、飲みやをはじめるということは聞いていたが、それが、この空也食堂であった。》

《やがて、文化人たちはあまりあらわれなくなった。かわりに、この近在の酒場の女たちが、そのすさまじい食欲を見せているなかで、私は手酌で、ちびちび飲んだ。
 しかし、私は、友人でここを知らない者は、たいてい一度は連れてくる。
 「いいやろ? ここー。」
 私は何度もそういって、相手を納得させる。相手も、そういう気になり、しまいには、シンからそう思いこむ。私は愉快になり、しまいには、酔っぱらう。》

《ときにーーヒヤクソウさんが、メシのドンブリと、おカズを盛った皿をかかえて、ひとり飲んでいる私のかたわらへ腰を下す。ヒヤクソウさんの話は尽きない。私は、楽しく、心を奪われて、銚子を重ねる。昔の兵庫の話、居留地の話。異人さんの話。古書の話。春画の話。そしてヒヤクソウさんは紅茶のお代りをしながら言うのである。
 「ボっ、ボっ、ボクも、明治ものの資料を集めてるんです。そのうちに……」
 ヒヤクソウさんは、そのうちに大作を書くだろうと思う。ヘナチヨコの小説家のなかで、この気の弱そうに見える(自らそういうのだが)ヒヤクソウさんは、たとえ、ケチな世辞などは得なくとも、きっと、いいもの、書くだろうと思う。
 やはり、小説は、泣かせるものでなくちやね。庶民の感覚を、キミ、おろそかにしてはいけない。
 私は、いつのまにか深夜に近くなった元町通りを、ヒヤクソウさんと一丁目の入口までいっしょに出る。もうすこし、話したい。私はそう思うのだが、彼は、ひょいと手をあげ、じゃ、と、山手の方へ歩き去っていく。》

《ときにーーシンカンとして、空也夫人も奥へすっこみ、手伝いの女の子も姿を見せない夜など、私は、心を虚ろにして、ゆっくり飲む。ガラス戸の外の路を声高い異国の言葉が通り過ぎる。》

ちょっと感傷的な筆致ではあるが、空也食堂を取り巻く状況はうまく描かれている。参考になるいい資料である。この記事の脇に「暑中御伺い/申し上げます/空也食堂/玉田松江」の広告が入っている。これで奥さんの名前も判明した。



なお「イサビヤ画廊」で検索すると第一回デルタ展が開催されていた。

デルタ

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by sumus2013 | 2018-03-19 20:22 | 関西の出版社 | Comments(0)

小児養育心得

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『小児養育心得改正』(石田勝信、明治十一年1878三月改正)。題簽は失せている。どうやら袋もあったらしい。序に

《弊家の脾肝薬玉圓ハ文化四卯年予の父鼎貫之を製し今の業を創[はじ]む而て小児養育金礎といふ書を著し其薬効と養生を人に告[しらせ]人々閲て是を可とし云々》

と石田勝信が書いているように父石田鼎貫の著書『小児養育金礎』を改訂したもので、丸薬を買うと無料でもらえるサービス冊子。子育て方のポイントや病気の対処法が書かれている。

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石田鼎貫翁、九十五歳肖像


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本家石田勝秀(京都五條橋東二丁目)。これが店舗名だろう。この名前で検索すると、「神壽散」のくすり看板がたくさんヒットする。しかし、注目したのは、なんと言っても、石田勝秀の左隣の一行。

〔印刷 烏丸三條上ル活版所點林堂〕

點林堂の印刷物だった! この頃は烏丸三条上ルにあったのか。點林堂については下記参照。

日政『衣裏宝珠鈔』

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挿絵は鼎貫肖像の他に二点挿入されている。その内の一点、子供の遊び。サインは「百僊」。三重県伊勢出身の画家・吉田百僊(一八五九〜?)だろうか。

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脾肝薬玉圓の売弘取次所


もうひとつ、オマケ。明治時代のしおり紐。

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本書にもともと付いていたとは考え難いが、このしおりは紙ではなく、細い糸を何本も平たく張り合わせてシオリ状にしている。水引に似ていなくもない(水引は和紙製ですが)。

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by sumus2013 | 2018-02-18 20:23 | 関西の出版社 | Comments(0)

出版つれづれ

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『新生』再刊第五輯(新生編輯所、一九四〇年九月一日)表紙。

高橋輝次さんより臼井喜之介に関する資料コピーを頂戴したので、忘れないうちに紹介しておく。ひとつは『詩想』昭和十七年四月号(ウスヰ書房)に掲載されている臼井喜之介のエッセイ「出版つれづれ[づれ;濁点付繰返記号]」。

《私の店の表には、大きく大理石でウスヰ書房と刻んである。

それを見て、前を通る小学生(国民学校生徒)や幼稚園児が

《みんな私の店の大きな文字をウ、ス、ヰ、ウ、ス、ヰとよみながら歩いてゆく。私は閑な時など、店先に佇つてぢつとこれらの幼いこゑを、小鳥の囀りのやうにききつつ、いつか心のうちで、私自身もウスヰウスヰとささやいてゐた。

ところが、三好達治に「出版の本の奥附にウスヰ書房と片假名でかくのはどうも幼稚な感じがするから、臼井書房と漢字にしてはどうか」と言われてしまう。近所に住む吉井勇にも話したら同感だと言う。いよいよ変えなくてはならなくなってしまった。後で文句を言われないようにここに経緯を記しておく、との弁明。

《詩誌を発行して八年、小賣を初めて四年、出版に手がけてから丸一年になる。》

出版の企画の打診や申し出が次々あるが、出版文化協会の統制によって、用紙の割り当てを受けることになっているので、何でも出せるというわけではない。雑誌もしかりである。

この後、スタッフについて書かれている。これは貴重。

《最近は瑞木菁子さんが手傳つてくれたり、小村哲雄君が学生服のまゝ店の間で「詩想」の封筒書きをしてくれる。會計の通知などは天野美津子さんや丹羽直照君がやつてくれる。丹羽君といへば、ずゐぶん長い間、「若草」などへも、星村蒼平の筆名で詩を発表してきたが、こんど本名にかへつてもらつた。瑞木さんは大野淑子といひその方がずつといいのだが、こんなに古くなると改めにくくて、そのままである。

投稿作品では、甘いペンネームはやめて、本名か本名に準ずるものにして欲しい、とつづく(と書いているが、臼井も初めは磯貝純というペンネームだった)。瑞木菁子は『新生』同人。小村哲雄は、検索すると『櫻美林大學中國文學論叢』(一九八九年三月)に「小村哲雄教授古稀祝賀記念号 ; 小村哲雄先生の思い出」がヒットする。おそらく御当人であろう。天野美津子は知られた詩人。星村蒼平は『きけわだつみのこえ』の松原成信が遺した『憧憬精神』に名が出ているそうだ

春めくと京を訪れる人が多くなる。城左門が入洛して詩集『終の栖』(ウスヰ書房)の発送を済ませ、安藤一郎が教え子の仲人のため京都に来た。次には平野威馬雄が来る予定だと文章は結ばれている。

もう一点のコピーは吉村英夫「臼井喜之介の想い出」(『』十五号、詩画工房、一九八八年二月)。吉村は、戦後すぐ、臼井書房に住み込みで働いていた。

《臼井書房は、京都大学北門前にあった。表の土間を編集室にして、毎晩おそくまで、校正や編集を手伝っていた。
 臼井の家族は、妻女の典子さん、長男浩義、長女雅子と彼の母親が同居していた。》

《臼井は、出版事業の忙しい時間を割いて、毎月例会を、臼井書房の隣の「進々堂」喫茶店でやったり、三条柳馬場角の「キリスト青年会館」で「詩文化サロン」や、詩の朗読会をつくったりした。
 また、織田作之助をよんで「文芸祭」をしたり、デパートで、詩人、俳人、歌人らの色紙展をひらいたことなどが、記憶にのこっている。》

《私が、臼井家にご厄介になったのは、昭和二十二年秋ごろから、翌年夏ごろまでだった。臼井の弟夫婦といっしょに、下鴨に移ったのは、それから間もない。その後、私は、永観堂境内に、貧しい新婚世帯をもった。臼井夫婦が仲人であった。
 臼井は、無類の酒好きであった。誰彼となくつきあいがよかった。東京から詩人やジヤーナリストの連中がくると、仕事を放りだして、京都案内をした。そして夜は先斗町や祇園町の居酒屋をまわり、ひょうひょうとした風采で、着流しの顔には、酒に乱れたところがなかった。》

世話好き、酒好きな臼井喜之介の人柄が目に浮かぶ。

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by sumus2013 | 2018-02-15 17:46 | 関西の出版社 | Comments(4)

新生の高祖保

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『新生』再刊第四輯(新生編輯所、一九四〇年七月一日、表紙画=立原道造)。この再刊第一輯は何度か紹介している。

『新生』再刊第一輯 新生編輯所、一九四〇年
http://sumus.exblog.jp/14679007/

『新生』再刊第一輯
http://sumus.exblog.jp/11447543/


今回は第四輯を。この巻頭には高祖保の詩「春のながめ」が掲載されている。『高祖保集』にももちろん収録されている。

外村彰編『高祖保集 詩歌句篇』龜鳴屋、二〇一五年
http://sumus2013.exblog.jp/24510556/

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書き込みは旧蔵者のものだろう(誰だか分かりません)。これは高祖保の詩に対する批評か?


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『新生』再刊第二輯(新生編輯所、一九四〇年三月一日)には「
再刊第一輯に寄す」として諸家の感想文が紹介されている。そのなかに高祖保の名前がある。

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右側の感想は中桐雅夫

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『新生』再刊第三輯(新生編輯所、一九四〇年五月一日)にも「「新生」第二輯をよむ」として諸家の感想文が紹介されているなかに高祖保の名前がある。となりには荘原照子の名前も。

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他に平野威馬雄、杉山平一の感想文も見える。


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by sumus2013 | 2018-02-14 20:33 | 関西の出版社 | Comments(0)

人民の子

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19460925 現フランス共産党書記長 M.トレーズ著 人民の子
19470110再版
訳 者 長崎廣次 
発行者 田畑 弘 京都市左京区吉田泉殿町一ノ一
印刷所 河北印刷工業所 京都市左京区浄土寺南田町一〇八
製本所 河北印刷製本工場 京都市中京区柳馬場通二條上ル 
発行所 三一書房 京都市左京区吉田泉殿町一ノ一
装 釘 井澤元一
182×122mm 221pp ¥[不明]

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井澤元一 ギャルリー宮脇

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by sumus2013 | 2018-02-04 20:05 | 関西の出版社 | Comments(0)

菜譜

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19331210 菜譜 京都園藝倶樂部叢書第三輯
編輯兼発行者 京都園藝倶樂部 
代表者 香山益彦
印刷者 須磨勘兵衛 京都市北小路通新町西入
印刷所 内外出版印刷株式会社 京都市西洞院通七条南
発行所 京都園藝倶樂部 京都上京区衣棚通リ椹木町下ル今薬屋町三百十五番地(勧修寺方)
181×131mm 62+4pp 非 丸背上製 函

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均一で発見して喜んだら、この有様だった。


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《菜譜は大和本草花譜と共に貝原益軒先生晩年の著述なり》《本書は正徳四年(二三七四)の開き板にして半紙判上中下三巻より成る今翻刻に用ゆるものは勧修寺伯爵所蔵の初版本なり此他享保六年、同十九年、文化十二年等の板本数種あり内容何れも全く同じ唯享保十九年板より表題を諸菜譜となせるを異とするのみ世に再校本と称するもの即ち之なり。
 本書は京都園藝倶樂部創立十周年記念として特輯刊行すべき筈なりしも前刊叢書に倣ひ體裁装訂を整へ叢書第三輯として出す事とせり。》(解説より)

正徳四年は西暦一七一四年である。

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by sumus2013 | 2018-01-31 19:44 | 関西の出版社 | Comments(0)

第九

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君本昌久『詩集 ぼくの第九』(蜘蛛出版社、一九九二年五月一日)。街の草にて求める。年末と言えば「第九」・・・違いますか。

『歴史と神戸』第51巻第1号 特集・君本昌久と戦後神戸の市民運動
http://sumus.exblog.jp/17831944/

表紙と扉絵はマン・レイ。実はこの詩集、以前にも買ったことがある。

『白雲堂古書目録』第五輯
http://sumus.exblog.jp/14567820/

その一冊は某氏へ呈上したため、チャンスがあれば手に入れたいと思っていた。ちょうど七年かかってしまったが、こうやって再会することができたというわけである(もちろん同じ本ではないですけど)。

「マン・レイの光線」という作品を引用しておこう。全文。


 マン・レイの写し取った
 ポートレートの光線
 燃えつきた ダダ・シュルレアリスムの
 わくわくしてくる詩人や画家たち
 デ・キリコを中央にして並んだ12人
 そして彼女たちは
 キキ ナターシャ ジュリエット

 愛人たちは
 アングルのヴァイオリン
 卵型の割れ目から差し出す両手の
 「祈り」の日付は
 1930年4月8日
 きみは生まれて一歳半
 母の乳房にしがみついて
 むずかっていた

 遡れば 1925年9月
 堀口大学の〈月下の一群〉
 ミラボー橋の下 月日は流れ
 ティレジアの乳房
 空腹は詩にうちふるえ
 火のついたけむりを吐く鏡
 ジャン・コクトー
 そして十一月
 〈旅人かへらず〉の詩人は
 女流画家マジョリィと連れだって
 イギリスから帰ってきた

 夕暮れを告げる大いなる唇
 けむるがごとき優しい陰毛
 マン・レイは
 ダダの逆説を生きつづける
 美女の裸体にイロニーを灼きつける
 14本の釘をアイロンの尻に植えつけた
 ハテナとハテナの奇遇 数々のオブジェ
 ランボーの死とすれちがい
 十九世紀末にアメリカで生まれた
 エマヌエル・ロドニッキーは
 1976年11月18日の早朝
 マン。レイ。になって
 息を引き取った

 なにも壊さないダダ
 誰も傷けないダダ
 マン・レイの汗は青空に立ちのぼる
 マン・レイの
 光線とオブジェが魅惑と反省を呼びさますごとく
 甦ってくる

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by sumus2013 | 2017-12-29 17:43 | 関西の出版社 | Comments(0)

漱石漢詩研究

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和田利男『漱石漢詩研究』(人文書院、一九四〇年三月再版)。奥付の版元住所は京都市河原町二條下ル、発行人は渡邊久吉。文春学藝ライブラリーから同じ著者の『漱石の漢詩』(二〇一六年)が刊行されているが、これは『漱石の詩と俳句』(めるくまーる社、一九七四年)の改題だそうで、目次を見ると内容はかなり広く深くなっているようだ。本書は和田の最初の書物かとも思われ、漱石漢詩研究のスタート地点ということができよう。

ただ、実は、子規関連の次には漱石を、と思ったまでで、まだよく読んでいない。「漱石に及ばせる詩人の影響」というところを少し紹介してお茶を濁しておく。

漱石は書物から漢詩を学んだ。まずは陶淵明。「草枕」に引用があるし、漢詩作品にも影響が認められる。菊の花を好んだことも共通する。「漱石山房蔵書目録」には『靖節先生集』と『靖節先生年譜攷異』が見られるだけだが(靖節先生=陶淵明)、明治二十九年一月十七日付け子規宛書簡のなかに『陶淵明全集』を得て甚だ愉快と書いている。

王維も「草枕」に登場する。自作の漢詩や俳句でも詩句を参考にしている。

寒山子。晩年の作には禅味が勝ち過ぎた作が多く、影響を思わざるを得ない。「漱石山房蔵書目録」には白隠の『寒山子闡堤記聞』が見える。

高青邱(高啓)。大正五年九月二日付け芥川・久米宛書簡に言及がある。学生時代から愛読していたらしい(大塚保治の回想)。影響の明らかな作がある。斎藤拙堂『高青邱詩醇』が蔵書中に見える。

杜甫を愛誦した。蔵書中に『杜律集解』『杜詩鏡銓』『杜詩偶評』『杜工部文集註解』が見える。ただ、作品に杜甫の影響は感じられない。

陸游の影響も言われるが、《う思えばさう感ぜられる程度で、はつきりとは断じ難い》。『三家妙絶』『宋元明詩選』などがあって陸游にも親しんではいたであろう。

本邦の詩人が与えた影響はほとんどない。蔵書中に田邊碧堂『碧堂絶句』がある。旧幕以前の詩人のものは一冊も蔵していなかったので興味を感じなかったのだろう。ただし良寛の詩は好んでいたと思われる。初期に添削を受けた子規や長尾雨山(第五高等学校の同僚、讃岐出身、漢詩人・書家として令名があった)の影響も多少あったかもしれないが、詩作における形式上のことであろう。

以上のような内容である。吉川幸次郎の『漱石詩注』によって少しばかり補えば、

寒山子ーー唐の詩僧。その詩集「寒山詩」は先生の愛読書であり、「文学論」第三編第一章その他に言及がある。

「市中散歩の折古本屋で文選を一部購求帰宅の上二三枚通読致候結果に候」と子規宛書簡で文選を真似たことを告白している。

《蕉堅稿ーー五山の詩僧、絶海中津の漢詩文集。先生の愛読書。》

あたりになろうか。

もうひとつ、いま気付いたが、『漱石漢詩研究』の漢詩と書画を論じたくだりで「草枕」の和尚の会話(頼山陽と荻生徂徠の書を較べるくだり)に言及した後、和田は漱石が森鷗外に宛てた大正五年十月十八日付けの手紙を引用している。そこに山陽の書について漱石はこう書いている。

《嗚呼惜しいと思ふのです。今一息だが、と言ふのです。あの字は小供じみたうちに洒落気があります。器用が祟つてゐます。さうして其器用が天巧に達して居りません。正岡が今日迄生きてゐたら多分あの程度の字を書くだらうと思ひます。正岡の器用はどうしても抜けますまいと考へられるのです。》

子規を評した「最も「拙」の欠乏した男の意味は、具体例をもって語れば、こういうことになるのだろう。


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by sumus2013 | 2017-12-19 21:09 | 関西の出版社 | Comments(0)

英和対訳字引

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百万遍で久々の明治英語本を見つけた。『ウイルソン氏第一リードル 英和對譯字引』(河井源吉訳、此村彦助=此村藜光堂、明治十九年[1886]五月五日出版届、同年六月一日発兌)。明治十六年に東京で『ウィルソン氏第一リードル独案内』(十八年再版)が出版されていて、そちらは国会図書館にも日本の古本屋にも出ている。しかしこの字引(専用の辞書)は見当たらないようである。同趣旨の『ウ井ルソン氏第一リードル字書』(松井忠兵衛発兌、明治十六年再版)は国会図書館に所蔵されている。

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「例言」はタテ書で左から右への行送りになっている。


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本文組みのこだわり。訳文の漢字とルビが寝ているのがちょっと珍しいのでは? 『ウ井ルソン氏第一リードル字書』の単純な並べ方と比較して欲しい。


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ナシヨナル、ピ子ヲ、パアリー、サンダーユニオン、ウイルソンと字引を出版している。関西出版の拙速な感じがよく出ているような気がする。明治十九年に高等小学校で英語を教えることになったのが背景にあるようだ。

ナシヨナル第二

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by sumus2013 | 2017-11-04 19:56 | 関西の出版社 | Comments(0)