林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:関西の出版社( 38 )

le clebs

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『ル クレップス le clebs』(ル・クレップス、一九八四年六・七月号)。発行日、発行所名は明記されていないが、編集部の住所は京都市左京区松ケ崎一町田町10-3。巻末にこうある。

《クレップスは、日本人とフランス人によって、京都で出版されている定期刊行物(隔月刊)ですが、東京、パリ、長崎、カンペール(フランス北西端にあるフィニステール県の県庁所在地)でも販売されています。刊行方針は、自分の興味を引く事柄について発言したいと思う人に、その機会を提供し、日本人がフランス人を、フランス人が日本人を、発見できるようにすることです。》

「クレップス」は知らない単語だった。検索してみると犬(=chien、cabot)という意味。どおりで表紙右下に「わんこう」と書かれている。

表紙はバルチュス展の広告みたいになっている。当時、日本では京都市美術館でのみ開催された。初回顧展だったため東京からわざわざ見に来た知人が何人もいた。

バルテュス展

ただ本書の記事はイザベル・シャリエ(Isabelle CHARRIER)の「親和力ー京都でのバルチュス」とバルチュス自身の抗議文「誤解をさそうイメージ」のみ。イザベルは一九五一年生まれ、この後、一九八八年にパリ第四大学で考古学の博士号をとっており、日本美術専攻。

《バルチュスは京都を非常に愛した。親和力は両者を永遠に結びつけている。》
《バルチュス展覧会は20年前に彼と出会った一人の日本の芸術家の尽力により開かれる。師と弟子、これも選択親和力による。》(訳:宇敷伊津子)

弟子というのは節子夫人のことであろう。

バルチュスの抗議文というのも興味深いものだ。画家はニューヨークのメトロポリタン美術館で開かれた自身の回顧展に対して、とりわけ図録の内容について不満をもらしている。

メトロポリタン美術館とジョルジュ・ポンピドー・センターが共同企画として回顧展を開くことになったとき、作家にはまったく何も相談がなかったそうだ。

《準備段階で相談をもちかけられて当然だと思っていた。ところが間接的な筋から私が聞いたのは、このような場合、美術館のポリシーとして決して作家には相談もしなければ、連絡もとらないということだった。とくに私は作品の選択に関して相談してほしかったと思っている。》

《図録の校正が私のところに正式に送られてきたことはなく、私はたまたま見たにすぎないのだが、その内容は膨大な量の、詳細にわたる私の経歴であり、そのほとんどがまったく関係のない、非礼に満ちた虚像であった。また私の制作過程や技法に関する、いわゆる"テクニカル・インフォメーション"は、単なる想像にすぎないことがしばしばであった。》

《ゆがめられた事実、間違った日付、根拠のない憶測などがあいまってテキストを無数のあやまちだらけのものにしており、そのため美術に近付くには背景の情報や経歴などが役に立つと信じこんでいる人々にさえ、誤解を与えることになっている。》

《作品は作家を語るものではない。作品が語るのは瞬間、瞬間のビジョン、平凡な外見の向う側にある現実、子供のように心をときめかせなくてはならない現実なのである。》

和訳がやや不正確なような気がするが(翻訳者名なし)、とりあえず大きな間違いはないようだ(この雑誌の記事はすべて和文仏文併記)。たしかにバルチュスの主張も解らないではない。しかし美術館が作家に相談しないのはある意味当然だという気もしてくる。例えば、もし経歴について相談を受けていれば、バルチュスはこう答えただろうと言う。

《バルチュスはその人となりについては何も知られていない画家である。だから彼の絵を見ようではないか。》
 Balthus est un peintre dont on ne sait rien. Ceci dit, voyons ses tableaux.

「作品は作家を語るものではない Les tableaux ne décrivent ni ne révèlent un peintre」と矛盾しているようでもあり、作品だけを無心に見よという気持ちはよくわかるような気もする。ただ、作品も経歴も一人歩きするもの、いくら歯ぎしりしても無駄なような気もするのだ。あるいは、今話題のバンクシーのような覆面画家になるしかないのかな・・・?


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by sumus2013 | 2018-10-16 20:18 | 関西の出版社 | Comments(0)

顔3

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同人誌『顔』3(顔の会、一九六一年七月一日、表紙=宇野董之)。発行所は京都市北区寺町リ鞍馬口下ル久保方・津山内。同人は土肥美夫、津山昌、宇野董之、蟻圭介、木下京子。土肥(1924-1989)は美術史学者、京大名誉教授だが、この雑誌の出た当時は三十七歳、同志社大助教授だった。津山が編集長のようである。津山は美術評論家。後には富山県で活躍し美術同人誌『非』の代表者でもあった(じつは『非』には小生も執筆させてもらったことがある、ずいぶんと昔の話だが)。宇野董之、蟻圭介は劇団京芸と関係していたらしい。宇野は舞台装置、蟻は演出を担当した。ただ宇野董之で検索してもとりたててヒットする項目がない。

目次だけ簡単に紹介しておく。小説を津山と土肥がそれぞれ書いている。矢内原伊作が詩二篇を寄稿。関根勢之助のデッサンと詩、土肥の「関根勢之助のこと」。翻訳は、ロルカ「寸劇〈てあとる・ぶれーべ〉」大島正(スペイン文学者、同志社大助教授)訳、および、ベケットの戯曲「クラップの最後のテープ」津山+花田正子訳。評論が丹治恒治郎(関西学院大)宇野董之。そしてかなり長文の宇野董之による劇場詩(戯曲)。コラム欄は土肥の他、近藤公一(同志社大)、沢田閏(同志社大)、丹治恒治郎。

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関根勢之助(1929-2003)のデッサン。関根は京都市立芸術大学で教鞭を執った。

奥付の頁に美術グループ「ZEROの会」の第二回展の報告がある。

京都在住の中堅美術家ーー洋画四名、彫刻四名と文学関係に名(「顔」同人の土肥、津山)よりなる美術グループの第二回美術展がこの春三月十八日〜二十三日、京都藤井大丸5階ホールで催された。
 尚「顔」第三号の関根勢之助はZEROの会員。》

「京の記憶アーカイブ」に「ZEROの会」第一回展の記事が出ているので参考まで。


ベケットの戯曲「クラップの最後のテープ」の解説に、この年の三月にドイツのビーレフェルトでオペラとして上演されたときの様子が報告されているのが目に留まった。

《初演を機に「現代の音楽劇」というテーマで公開座談会が催され、作曲家ミハロヴィッチ、原作者ベケットも共に出席した。討論中ベケットは終始頑固な沈黙を守つづけ、ただひとこと「私は自分の作品について話すことを好みません」といって拍手を浴びたほかふたたび沈黙して語らなかった。(「ティーテル・ホイテ」3月号より)

ベケットらしい。

Samuel Barclay Beckett

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by sumus2013 | 2018-09-14 17:18 | 関西の出版社 | Comments(0)

びいどろ

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杉江重誠『びいどろ』(甲鳥書林、一九四二年六月一日)。久しぶりに甲鳥書林の本。この本は以前はよく見たけれど、最近はあまり目にした記憶がない。甲鳥書林の出版物を蒐集していたときに何冊か求めた覚えがある。これはまた別の一冊。函があったはず。装幀は甲鳥本らしく凝った造り。表紙に見える白い線、じつはガラス繊維のオビを貼付けてあるのだ。

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《この本の表紙には、本の名前にふさはしい工夫を加へてみたいと思つて考へて見た。出版元からもそんな意見が出たのを幸とし、新しい試みとして、ガラス糸の織物を表紙に使ふことになつた。
 ガラス織物は現在我が国でも工業的に作られて居り、その織方もいろ〜〜あるから、それらを巧みに使ひ分けたならば、本の表紙装幀に新機軸が出せると思ふたのであるが、大東亜戦争が始まつて以来、幅広のガラス織物はすべて軍需品として、多量に使用されるやうになつた。それ故に、戦争に直接必要のないこんな本に使ふなど思ひもよらないことであり、改めて軍需に余り必要のないガラス糸織リボンを利用することになつた。
 而してこの本に貼つてあるガラスリボンは、大野清一さんが、私の考へに讃意を寄せられ、特にこの本の為に贈られたものであることを記し、ここに深甚の謝意を表する次第である。又これを表紙に応用する製本技術上のことに就いては、出版元の矢倉さんと内外出版印刷会社の藤谷さんから色々考へて頂いた。》

「後記」に表紙の説明とともに矢倉年(やぐら・みのる)の名前が出ていた。またガラスを装幀に使ったものはこれまでに三種類あると書かれている。

(一)歌集「南京玉」宮川曼魚著、大正四年刊。
(二)「不謹慎な宝石」国際文献刊行会、昭和四年刊。
(三)詩集「魔女」佐藤春夫著、昭和七年初版。

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by sumus2013 | 2018-08-15 17:12 | 関西の出版社 | Comments(0)

詩集雲表

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19310801 雲表
著 者 藤木九三 
発行者 中江喬三 
発行所 黒百合社 大阪市南区鰻谷仲之町三九
197×141mm 81pp ¥1.20 六百部限定版


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「序」によれば、山のカットは《私が愛誦する L. Pilkington の詩集"An Alpine Valley"から借用したものである。》。藤木は福知山の出身、京都三中から早稲田大学の英文科を出て東京毎日新聞、やまと新聞、そして朝日新聞へと移り、一九一九年に神戸支局長。一九三〇年にはパリに滞在し、モンブラン、マッターホルンなどの岩場を登攀した。


  屋上登攀者
   (巴里に在りし日の私の生活の横顔)

屋根裏部屋は、私ーー屋上登攀者ーーのベルグ・ヒュッテだ
三角な出窓を開けると
霧がさつ[二文字傍点]と顔を打つ
月明の夜だつたら、殊に景観は素晴らしい
DOME, TOWER, NEEDLE, PINNACLE, PYRAMID, OBELISK…
地平の果[はて]から果まで
高層建築のあらゆる近代的な精鋭さと、敏感さ
何物かを掴まうとして高く、高く差し伸べた都會の觸手を空間に林立
 せしめてゐるではないか
私は其處に、人工の山岳としての個性と特異な荘厳さを觀る
(そして街觀はその儘の山脈であり、渓谷でもあるのだ)
もし、屋上花壇
ーーたとへそれが窓際に列べられた四五箇の鉢植にもせよーーがあり
 とすれば
私にとつて、宛[さなが]らアルプの『お花畑』なんだ
晴れた日の穹窿[そら]の下で
露臺[バルコン]に椅子を持ち出し、パイプを銜へながら望遠鏡でも覗いてご覧ん
ノートル・ダムの AIGUILLE の頂上で『積石[ケルン]』をまん中に、例の怪
 物どもが日向[ひなた]ぼつこ[三文字傍点]をしてをり
そして
凱旋門[エトワール]の北の壁では
あの仲間ーー屋上登攀者ーー
ザイルをしごいて、懸垂の練習をやつてゐるのが見えるだらう
(そして今日も
エツフエル塔の尖端[とつぱな]で倒立した勇者があつた相だ)
とはいへーー深夜、裏梯子を攀ぢてこの屋根裏のヒユツテにやつて来
 て見たまへ
一歩一歩、氷壁にステツプを切る刹那の虚心と敬虔さのひと時が味へ
 る!


発行者の中江喬三についてはよく分らないが、大阪の鰻谷で印刷所を経営していたのだろう。黒百合社は昭和五年から十五年の間に登山関係の本ばかり十点ばかり出版しているようだ。

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by sumus2013 | 2018-03-20 20:59 | 関西の出版社 | Comments(2)

書彩13

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『書彩 13』(一九五八年八月一五日)のコピーを頂戴した。表紙と馬部紀夫(生活タイムス編集長)による「空也記」というエッセイの部分。『書彩』発行人・岸百艸(玉田喬)の動向がうかがえるところを引用してみる。昭和三十年代の神戸の雰囲気も分るような気がする。

《私が空也を知ったのは、この夜からである。ヒヤクソウさんが、飲みやをはじめるということは聞いていたが、それが、この空也食堂であった。》

《やがて、文化人たちはあまりあらわれなくなった。かわりに、この近在の酒場の女たちが、そのすさまじい食欲を見せているなかで、私は手酌で、ちびちび飲んだ。
 しかし、私は、友人でここを知らない者は、たいてい一度は連れてくる。
 「いいやろ? ここー。」
 私は何度もそういって、相手を納得させる。相手も、そういう気になり、しまいには、シンからそう思いこむ。私は愉快になり、しまいには、酔っぱらう。》

《ときにーーヒヤクソウさんが、メシのドンブリと、おカズを盛った皿をかかえて、ひとり飲んでいる私のかたわらへ腰を下す。ヒヤクソウさんの話は尽きない。私は、楽しく、心を奪われて、銚子を重ねる。昔の兵庫の話、居留地の話。異人さんの話。古書の話。春画の話。そしてヒヤクソウさんは紅茶のお代りをしながら言うのである。
 「ボっ、ボっ、ボクも、明治ものの資料を集めてるんです。そのうちに……」
 ヒヤクソウさんは、そのうちに大作を書くだろうと思う。ヘナチヨコの小説家のなかで、この気の弱そうに見える(自らそういうのだが)ヒヤクソウさんは、たとえ、ケチな世辞などは得なくとも、きっと、いいもの、書くだろうと思う。
 やはり、小説は、泣かせるものでなくちやね。庶民の感覚を、キミ、おろそかにしてはいけない。
 私は、いつのまにか深夜に近くなった元町通りを、ヒヤクソウさんと一丁目の入口までいっしょに出る。もうすこし、話したい。私はそう思うのだが、彼は、ひょいと手をあげ、じゃ、と、山手の方へ歩き去っていく。》

《ときにーーシンカンとして、空也夫人も奥へすっこみ、手伝いの女の子も姿を見せない夜など、私は、心を虚ろにして、ゆっくり飲む。ガラス戸の外の路を声高い異国の言葉が通り過ぎる。》

ちょっと感傷的な筆致ではあるが、空也食堂を取り巻く状況はうまく描かれている。参考になるいい資料である。この記事の脇に「暑中御伺い/申し上げます/空也食堂/玉田松江」の広告が入っている。これで奥さんの名前も判明した。



なお「イサビヤ画廊」で検索すると第一回デルタ展が開催されていた。

デルタ

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by sumus2013 | 2018-03-19 20:22 | 関西の出版社 | Comments(0)

小児養育心得

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『小児養育心得改正』(石田勝信、明治十一年1878三月改正)。題簽は失せている。どうやら袋もあったらしい。序に

《弊家の脾肝薬玉圓ハ文化四卯年予の父鼎貫之を製し今の業を創[はじ]む而て小児養育金礎といふ書を著し其薬効と養生を人に告[しらせ]人々閲て是を可とし云々》

と石田勝信が書いているように父石田鼎貫の著書『小児養育金礎』を改訂したもので、丸薬を買うと無料でもらえるサービス冊子。子育て方のポイントや病気の対処法が書かれている。

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石田鼎貫翁、九十五歳肖像


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本家石田勝秀(京都五條橋東二丁目)。これが店舗名だろう。この名前で検索すると、「神壽散」のくすり看板がたくさんヒットする。しかし、注目したのは、なんと言っても、石田勝秀の左隣の一行。

〔印刷 烏丸三條上ル活版所點林堂〕

點林堂の印刷物だった! この頃は烏丸三条上ルにあったのか。點林堂については下記参照。

日政『衣裏宝珠鈔』

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挿絵は鼎貫肖像の他に二点挿入されている。その内の一点、子供の遊び。サインは「百僊」。三重県伊勢出身の画家・吉田百僊(一八五九〜?)だろうか。

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脾肝薬玉圓の売弘取次所


もうひとつ、オマケ。明治時代のしおり紐。

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本書にもともと付いていたとは考え難いが、このしおりは紙ではなく、細い糸を何本も平たく張り合わせてシオリ状にしている。水引に似ていなくもない(水引は和紙製ですが)。

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by sumus2013 | 2018-02-18 20:23 | 関西の出版社 | Comments(0)

出版つれづれ

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『新生』再刊第五輯(新生編輯所、一九四〇年九月一日)表紙。

高橋輝次さんより臼井喜之介に関する資料コピーを頂戴したので、忘れないうちに紹介しておく。ひとつは『詩想』昭和十七年四月号(ウスヰ書房)に掲載されている臼井喜之介のエッセイ「出版つれづれ[づれ;濁点付繰返記号]」。

《私の店の表には、大きく大理石でウスヰ書房と刻んである。

それを見て、前を通る小学生(国民学校生徒)や幼稚園児が

《みんな私の店の大きな文字をウ、ス、ヰ、ウ、ス、ヰとよみながら歩いてゆく。私は閑な時など、店先に佇つてぢつとこれらの幼いこゑを、小鳥の囀りのやうにききつつ、いつか心のうちで、私自身もウスヰウスヰとささやいてゐた。

ところが、三好達治に「出版の本の奥附にウスヰ書房と片假名でかくのはどうも幼稚な感じがするから、臼井書房と漢字にしてはどうか」と言われてしまう。近所に住む吉井勇にも話したら同感だと言う。いよいよ変えなくてはならなくなってしまった。後で文句を言われないようにここに経緯を記しておく、との弁明。

《詩誌を発行して八年、小賣を初めて四年、出版に手がけてから丸一年になる。》

出版の企画の打診や申し出が次々あるが、出版文化協会の統制によって、用紙の割り当てを受けることになっているので、何でも出せるというわけではない。雑誌もしかりである。

この後、スタッフについて書かれている。これは貴重。

《最近は瑞木菁子さんが手傳つてくれたり、小村哲雄君が学生服のまゝ店の間で「詩想」の封筒書きをしてくれる。會計の通知などは天野美津子さんや丹羽直照君がやつてくれる。丹羽君といへば、ずゐぶん長い間、「若草」などへも、星村蒼平の筆名で詩を発表してきたが、こんど本名にかへつてもらつた。瑞木さんは大野淑子といひその方がずつといいのだが、こんなに古くなると改めにくくて、そのままである。

投稿作品では、甘いペンネームはやめて、本名か本名に準ずるものにして欲しい、とつづく(と書いているが、臼井も初めは磯貝純というペンネームだった)。瑞木菁子は『新生』同人。小村哲雄は、検索すると『櫻美林大學中國文學論叢』(一九八九年三月)に「小村哲雄教授古稀祝賀記念号 ; 小村哲雄先生の思い出」がヒットする。おそらく御当人であろう。天野美津子は知られた詩人。星村蒼平は『きけわだつみのこえ』の松原成信が遺した『憧憬精神』に名が出ているそうだ

春めくと京を訪れる人が多くなる。城左門が入洛して詩集『終の栖』(ウスヰ書房)の発送を済ませ、安藤一郎が教え子の仲人のため京都に来た。次には平野威馬雄が来る予定だと文章は結ばれている。

もう一点のコピーは吉村英夫「臼井喜之介の想い出」(『』十五号、詩画工房、一九八八年二月)。吉村は、戦後すぐ、臼井書房に住み込みで働いていた。

《臼井書房は、京都大学北門前にあった。表の土間を編集室にして、毎晩おそくまで、校正や編集を手伝っていた。
 臼井の家族は、妻女の典子さん、長男浩義、長女雅子と彼の母親が同居していた。》

《臼井は、出版事業の忙しい時間を割いて、毎月例会を、臼井書房の隣の「進々堂」喫茶店でやったり、三条柳馬場角の「キリスト青年会館」で「詩文化サロン」や、詩の朗読会をつくったりした。
 また、織田作之助をよんで「文芸祭」をしたり、デパートで、詩人、俳人、歌人らの色紙展をひらいたことなどが、記憶にのこっている。》

《私が、臼井家にご厄介になったのは、昭和二十二年秋ごろから、翌年夏ごろまでだった。臼井の弟夫婦といっしょに、下鴨に移ったのは、それから間もない。その後、私は、永観堂境内に、貧しい新婚世帯をもった。臼井夫婦が仲人であった。
 臼井は、無類の酒好きであった。誰彼となくつきあいがよかった。東京から詩人やジヤーナリストの連中がくると、仕事を放りだして、京都案内をした。そして夜は先斗町や祇園町の居酒屋をまわり、ひょうひょうとした風采で、着流しの顔には、酒に乱れたところがなかった。》

世話好き、酒好きな臼井喜之介の人柄が目に浮かぶ。

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by sumus2013 | 2018-02-15 17:46 | 関西の出版社 | Comments(4)

新生の高祖保

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『新生』再刊第四輯(新生編輯所、一九四〇年七月一日、表紙画=立原道造)。この再刊第一輯は何度か紹介している。

『新生』再刊第一輯 新生編輯所、一九四〇年
http://sumus.exblog.jp/14679007/

『新生』再刊第一輯
http://sumus.exblog.jp/11447543/


今回は第四輯を。この巻頭には高祖保の詩「春のながめ」が掲載されている。『高祖保集』にももちろん収録されている。

外村彰編『高祖保集 詩歌句篇』龜鳴屋、二〇一五年
http://sumus2013.exblog.jp/24510556/

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書き込みは旧蔵者のものだろう(誰だか分かりません)。これは高祖保の詩に対する批評か?


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『新生』再刊第二輯(新生編輯所、一九四〇年三月一日)には「
再刊第一輯に寄す」として諸家の感想文が紹介されている。そのなかに高祖保の名前がある。

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右側の感想は中桐雅夫

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『新生』再刊第三輯(新生編輯所、一九四〇年五月一日)にも「「新生」第二輯をよむ」として諸家の感想文が紹介されているなかに高祖保の名前がある。となりには荘原照子の名前も。

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他に平野威馬雄、杉山平一の感想文も見える。


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by sumus2013 | 2018-02-14 20:33 | 関西の出版社 | Comments(0)

人民の子

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19460925 現フランス共産党書記長 M.トレーズ著 人民の子
19470110再版
訳 者 長崎廣次 
発行者 田畑 弘 京都市左京区吉田泉殿町一ノ一
印刷所 河北印刷工業所 京都市左京区浄土寺南田町一〇八
製本所 河北印刷製本工場 京都市中京区柳馬場通二條上ル 
発行所 三一書房 京都市左京区吉田泉殿町一ノ一
装 釘 井澤元一
182×122mm 221pp ¥[不明]

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井澤元一 ギャルリー宮脇

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by sumus2013 | 2018-02-04 20:05 | 関西の出版社 | Comments(0)

菜譜

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19331210 菜譜 京都園藝倶樂部叢書第三輯
編輯兼発行者 京都園藝倶樂部 
代表者 香山益彦
印刷者 須磨勘兵衛 京都市北小路通新町西入
印刷所 内外出版印刷株式会社 京都市西洞院通七条南
発行所 京都園藝倶樂部 京都上京区衣棚通リ椹木町下ル今薬屋町三百十五番地(勧修寺方)
181×131mm 62+4pp 非 丸背上製 函

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均一で発見して喜んだら、この有様だった。


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《菜譜は大和本草花譜と共に貝原益軒先生晩年の著述なり》《本書は正徳四年(二三七四)の開き板にして半紙判上中下三巻より成る今翻刻に用ゆるものは勧修寺伯爵所蔵の初版本なり此他享保六年、同十九年、文化十二年等の板本数種あり内容何れも全く同じ唯享保十九年板より表題を諸菜譜となせるを異とするのみ世に再校本と称するもの即ち之なり。
 本書は京都園藝倶樂部創立十周年記念として特輯刊行すべき筈なりしも前刊叢書に倣ひ體裁装訂を整へ叢書第三輯として出す事とせり。》(解説より)

正徳四年は西暦一七一四年である。

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by sumus2013 | 2018-01-31 19:44 | 関西の出版社 | Comments(0)