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カテゴリ:関西の出版社( 60 )

おやゆび姫

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小春久一郎・文、樋口富麻呂・画『名作童話絵ばなし』(昭和出版、昭和二十二年四月十日)。街の草にて。

《コハル ヒサイチロウ 昭和期の詩人,児童文学作家
生年大正1(1912)年
没年平成3(1991)年7月8日
出身地大阪市
本名今北 正一
主な受賞名〔年〕 三木露風賞新しい童謡コンクール(優秀賞 第1回 昭60年度)「ぼくはおばけ」,毎日童謡賞優秀賞(第1回)〔昭和62年〕「かばさん」
経歴 昭和10年木坂俊平らと大阪童謡芸術協会を設立。詩、曲、踊り一体の童謡運動を起こし、雑誌「童謡芸術」を19年まで発行。20年から雑誌「ひかりのくに」に童謡、童話を多数発表。49年こどものうたの会を結成、のち雑誌「こどものうた」発行。童謡集に「動物園」「おほしさまとんだ」などがある。》(コトバンク)

小春については知らなかったが絵を担当している樋口富麻呂には興味があった(富麻呂筆の美人画の一軸を所蔵しているので)。大阪出身で北野恒富の弟子。京都絵画専門学校選科を卒業。院展から新文展に出品。戦後は日展に出していたが、小松均に師事して院展に戻った。とこれはウィキの要約。挿絵など出版物の仕事も多数手がけている。

おやゆび姫_f0307792_17095553.jpg


おやゆび姫_f0307792_17095085.jpg

編輯者は熊谷鉄也(鐡也)。熊谷は自らも画家だったようで著書がいくつかある。発行者は岡本美雄=大阪市南区安堂寺町二丁目一六。発行所は昭和出版株式会社(住所は岡本と同じ)。現在も「ひかりのくに」として出版業を続けているようだ。

ひかりのくに株式会社沿革

by sumus2013 | 2020-06-02 20:15 | 関西の出版社 | Comments(0)

小学地誌巻一

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『小学地誌 波号 巻一』南摩綱紀編(文部省印行)。編者による凡例には明治十二年八月とあるが、奥付は明治十五年である。各県で発行されたのであろうか。この滋賀県版はどうやら二巻本らしい(巻二は架蔵せず)。南摩綱紀(なんまつなのり)はウィキも立っている。中村藤平、北川太平、広田七次郎にはそれぞれ教科書などの出版物が他にもあるようだ。

 明治十五年四月七日御届
 同    四月  刻成
 翻刻人 滋賀県民 中村藤平
     滋賀県坂田郡長浜御堂前町二十八番地
     北川太平
     犬上郡高宮
 専売人 廣田七次郎
     彦根土橋町

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本文は木版摺りで挿絵も木版画だが、銅版摺による彩色地図が六点入っている。そのうち四点は折り込み。彩色はコンニャク版のようなものだろうか(手彩色ではない)。当時としては豪華な教科書と言えるかもしれない。

by sumus2013 | 2020-05-12 17:45 | 関西の出版社 | Comments(0)

交替詩派 I

交替詩派 I_f0307792_17223773.jpeg

『詩集交替詩派 I』(交替詩社、昭和二十八年一月一日)。発行所住所は大阪府豊中市南刀根山二七。巻末記載の年表を写しておく。

 昭和二十四年四月 交替詩社創設
 昭和二十四年四月 詩誌「交替」発刊
 昭和二十五年四月 「交替詩派」と改題
 昭和二十八年一月 「交替詩派詩集」第一輯刊行

寄稿者の名前も控えておく。

足立平男
青笹信夫
浅野良二
土井荘二
江戸明子
藤井利秋
藤崎南海男
深津秋藻
福井久子
舟渡良治
壹岐本正夫
乾  宏
城由紀夫
門田恭二
喜志邦三
北森たかし
小西美津雄
郡 良雄
森 和夫
中 寒二
仁柿洋一
西村重隆
西津 清
のむら・まさお
能登秀夫
大井健三
大槻 博
斎藤恭介
坂田勇雄
島田紫郎
園部晃爾
末永泰生
須賀みづの
杉野文一
砂村 俊
谷口 謙
寺尾芳武
土屋 恵
土屋 徹
筑紫世詩夫
津村鋭之介
内村年男
柳澤代好
安水としかず
吉田 修


喜志邦三くらいしか知らないなと思っていたら、安水としかずの名が目に止まった。安水稔和氏であろう。ここでは土屋徹の「喫茶店」を引用しておく。全文。


 「私方は、空気のほかは皆金を払つて居りますので、何
 も飲まぬ方、飲んでも金を払わぬ方、お断り」

 ビラがゆれる。

 紫煙がゆれる。

 ほのかな香りがゆらぐ、

 「名曲鑑賞会」
 
 思い出した様に、サキソホンの音が一きわ高く、

 僕は、額を硝子にあてゝのぞいている。


by sumus2013 | 2020-05-11 19:41 | 関西の出版社 | Comments(0)

ともしびの歌

ともしびの歌_f0307792_15595110.jpeg

これも善行堂で求めた一冊。臼井喜之介『ともしびの歌』(ウスヰ書房、昭和十六年二月五日)。持っているような気がしたのだが、善行堂が「ここに挟んであるしおりが貴重や」と主張する。それも持っているような気がしたのだが、コピーだったかもしれないと不安になったので買っておくことににした。そのしおりのなかの『ともしびの歌』の説明に次のようにある。

《久しく品切れのところ、第二詩集「望南記」刊行を機に私蔵版を頒たんとするものである。》

『望南記』は昭和十九年の発行だから、奥付には初版と同じく昭和十六年発行としてあるものの、この『ともしびの歌』は実は昭和十九年発行のようである。

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二〇一一年のブログにこの本と異版について書いていた。書いたことは覚えていたのだが、内容は忘れていた。


このとき異版の刊年が不明だったわけだが、上述のしおり文から昭和十九年だということがはっきりした。善行堂の口車に乗っておいて良かった。

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初版本


しかも架蔵の十九年版にはカバーがある。善行堂のものはカバー欠だった。ただし、表紙の紙の質が明らかに違う。昭和十九年ともなれば、紙の確保も容易ではなかっただろう。みな同じ表紙というわけにはいかなかったか。

よくそんなときに詩集が出版できたな、と思わないでもないが、内容的には、巻頭に戦争賛歌をずらりと並べてカムフラージュ(?)しているため、不要不急とはみなされなかったのかもしれない。

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後半の抒情的な作品群からではなく戦争讃歌の方からひとつ引用してみる。この作品に限ると必ずしも讃歌とばかりは言えないか。


  神々の街

弔旗を垂れた街に
白木のはこの姿で帰つてみえた神々の一日

その日から 私は
むちやくちやに歩くのが好きになつた
閉ぢこもつてゐたよろひ戸を蹴やぶり
空つ風のただ中にをどり出て私はあるく
脚を地につけて歩く

いまはぢかに土にふれる喜びにいつぱいになり
どしんどしんと手をふつて歩くーー

大路をそれた横みちのあたりにも
神々の讃歌がひびいてくるではないか
それは 乳を求める嬰児の飢ゑの叫びではないーー
いつか私の心に住む 神々の合唱なのだ

かげればかげるで 陽が照れば照るで 虔しい掌を合はしてゐる神々
ないもかも裸で いまは 私もそこへ行ける
敗北のうたではないーー
心からの勝利のうたをくちずさみ
私が 私の貧しさに跪いたあさから
ぐんぐんと 神々の群れのなかへ
大手をふつて入つてゆけるのだ

いつか己れ自身を神の名でよびながら
どしんどしんと
元気いつぱい歩いてゆける日が来たのだ。

by sumus2013 | 2020-04-26 16:51 | 関西の出版社 | Comments(0)

宮崎修二朗 神戸文学史夜話

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宮崎修二朗翁が四月一日に亡くなられた。宮崎翁について知るには以前紹介した今村氏の著書に勝るものはない。

今村欣史『触媒のうた 宮崎修二朗翁の文学史秘話』

その今村氏が神戸新聞に追悼文を寄稿しておられる。氏のブログに再掲されており読むことができる。


ここではやはり『神戸文学史夜話』(天秤発行所、昭和三十九年十一月十五日)を取り上げておきたい。昨年来、阪神間で大正から昭和戦前期に活動した詩村映二という詩人であり、活弁士だった人物を調べておられる方がおられて(無名の詩人を掘り出す奇特な方、だいたい想像がつくと思いますが、いずれ発表します)、その相談にあずかっていたのだが(一方的に話を聞いていただけです)、本書にも二箇所、詩村映二の名前が出ている。

一箇所は、昭和十年ごろまでに神戸とその周辺から出た詩誌を羅列したページに

《「驢馬」詩村映二・10》(p92)

とある。『驢馬』は詩村の出していた雑誌。10は昭和十年創刊の意味である。もう一箇所は昭和二十年から現在までの動向を述べたくだり。昭和二十八年に発足した「半どん」の会について。

《当初は映画を中心に語り合うことから文化一般に話題の波紋をひろげてゆこうというねらいでしたが、やがて季刊誌「半どん」を発行し、神戸を中心とした文化人三〇〇名を擁する大世帯に成長し、行事として、文化、映画、美術、文学の四部門の新人や功労者に賞を贈る顕彰事業も継続しています。》

運営委員は、小倉敬二(神港新聞主筆)、木下繁(元神戸市消防局長)、香西精(元甲南高校教授、兵庫米穀社長)、小林芳夫(神戸証券取引所理事長)、仲郷三郎の六氏で、

詩村映二がはじめ事務に当り、編集委員に、前記小倉、仲郷のほか、及川英雄(著書に「心あらば」「俗談義」他)改田博三(著書に「上方ヌード盛衰記」)桐山宗吉(著書に「ふるさとの祭」)詩人小林武雄の諸氏が当たっています。》

詩村は、戦後、ほとんど目だった活動はしていなかったそうだが、『半どん』の事務方をやっていた。宮崎氏の簡潔な書きぶりが小気味いい。神戸の文学史に志すなら、まず本書を通読しなければならない、そんな書物になっている。

《著者略歴 みやざき・しゅうじう[ママ] 大正一一年一月長崎市に生まれた。本籍は佐賀県藤津郡嬉野町、昭和二六年神戸新聞入社。いま、出版部長のかたわら「のじぎく文庫」の編集長。主な著書に「文学の旅・兵庫県」(神戸新聞社刊)「ふるさとの文学」(日本詩壇社刊)「兵庫県文学読本・近代篇」(のじぎく文庫刊)「兵庫の民話」(未來社刊・共編)「四国・瀬戸内海」「北陸・山陰」(中央公論社刊・共同執筆)など。現住所芦屋市翠ケ丘町。》(『神戸文学史夜話』より)

by sumus2013 | 2020-04-07 20:10 | 関西の出版社 | Comments(4)

詩集ありあ

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先日の「高知の古本屋」をご覧くださった方より阿部千歳『詩集ありあ』(月曜詩会、一九五九年九月一日)その他の資料を頂戴した。深謝いたします。阿部千歳は片岡千歳の旧姓。

《わたくしの第一詩集です。
 一九五七年春から一九五九年春までの作品からえらび、制作順にこだわらず配列しました。
 高島さんにエピローグをかざつていただきました。ありがとうございました。
 印刷を引受けてくださつた五十嵐研三氏にこころから感謝いたします。》

メモによれば上の表紙は《元々はちり付きカバーだったものを前所有者が普通のカバーに仕立て直しています》とのこと。

詩集ありあ_f0307792_17391548.jpg

  手をふる

 すぎるために
 季節はめぐつてくるのでしようか。
 さよならをするために
 ひとはやさしいように。
 むんむんと歓びが匂う五月も
 ついさつき
 わたしたちの会話の角を曲つたばかり
 気がるに手をにぎつて
 ひとはいつてしまう。
 きゆうにわたしの胸はさむくなる。
 季節はせつせといつてしまうだけなのに
 なにを受けとめようとして
 わたしはほほえむだのだろう
 青空にむかつて
 風のそよぎに首をかしげて。
 季節はけつしてふり返らない
 ふりむいて手をふるのは
 いつもわたし。
 手をふる
 たしかめるように
 打消すように
 たんねんに
 手をふる。


同封されていた『伊賀百筆』vol.15(平成十七年十二月十五日)に掲載された片岡千歳のエッセイ「清水正一さんの思い出」も良かった。少し引用してみる。改行を一行アキとした。

《中学を卒業すると、私は阪神にある会社に就職しました。そこで、神戸の「月曜日」という、詩人杉山平一氏を中心にした、同人詩誌の仲間に入れて頂きました。

 清水さんも、私とほぼ同じ頃に「月曜日」に入会されたように思います。

 杉山氏、「月曜日」の発行所になっていた高島菊子さん、清水正一さんはほぼ同世代で、ぐっと若い世代の数人、中でも私が一番若かったのでした。

 神戸で会があった帰りの阪急電車では、杉山氏、高島さん、清水さんそれに私が芦屋川まで一緒でした。現在杉山氏は宝塚にお住まいですが、当時は芦屋川でした。
 
 私は阪急沿線の塚口でしたので、十三の清水さんとは、いつも塚口まで一緒でした。》

《清水さんの本業は蒲鉾製造販売でした。お店は十三公設市場にありました。一度だけ市場で働く清水さんに御目に掛かったことがあります。それは「月曜日」の会や、誰かの詩集の出版記念会での清水さんとは、全く別人かと思ったぐらいでした。

そして清水の詩が引用されている。こちらも写しておく。


 なをおしみ・せいいっぱいの生活なりれ[ママ]り  清水正一

 こどものかなしみをうたがわず
 きょうもすんだ
 他人(ひと)にしごとをこわず
 今日もすんだ

 妻とむかいあって
 なにもいうべきことなく
 そとは
 草の葉のあおいひかりの五月であった

 わがほほをぬらさず今日もすんだ

 こどものひたいのうえの
 あかりはちいさくたかく
 日記には
 (はずかしきことなに一つなく今日も
  いきた…)と
           ー日本人Sの生活と思想ーから


《清水さん自身を要約しているような詩で、好きな詩です。それなのに、二冊の清水さんの詩集には、何故かこの詩が見当たりません。几帳面に何時の作か、何処へ発表したかを、記録されている清水さんには、珍しいことなのではないでしょうか。》

片岡千歳は二〇〇八年一月二四日に胆嚢がんで亡くなったとのこと。享年七十二。

by sumus2013 | 2020-04-06 20:40 | 関西の出版社 | Comments(0)

園部英文『歌集 旅路』

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園部英文『歌集 旅路』(洛北の里社、昭和十一年十二月十日三版、初版:昭和十年三月十五日)を入手。武者小路実篤が「序」を執筆している。《君の詩集のできるのをたのしみにしてゐます》と始まる文章で、序文というより私信の転用かもしれない。その次にある「自序」に

《料理屋のおやじが柄にもない歌集を発刊するなんて生意気な量見を出したことを嗤つて下さい、身のほど知らぬ白痴者奴と。》

としてあり、さらに読むと、貧しい生活の上に病魔に悩まされた、ブラジルで五年間苦闘したなどとあって、サンパウロの移民収容所にもいたそうだ。《病身者の私を親切に永い間御世話下さいましたサンビセンテの高越、宗野両氏に対し満腔の謝意を表します》云々とある。また、サンパウロ州立美術学校に通ってもいたらしい。その当時のデッサンが掲げられている。

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収録作品はすべて三行に分かち書きした短歌。病気の様子、移民の不安がストレートに表現されている。


 蜂雀[ペルセベジヨ]
 昨日も今日も病みて住む
 我が茅屋の窓近く飛ぶ。


 頬の肉
 落ちしものかと手をやれば
 あごひげ伸びて驚いて手を引く。


 移民船
 今日サントスに着くといふ
 恋人に逢ふ心地するかな。


 京訛
 聞きたけれど誰もなし
 寂しき心抱いて帰る。


 寝もやらず
 囁いてゐる若き夫婦ありき
 移民収容所[イミグラソン]の隅の寝台[カマ]にて


洛北の里社は八瀬遊園地平八茶屋内という住所になっており、《料理屋のおやじ》と自序にあるわけだから園部英文は主人ということになる。平八茶屋は創業天正年間というからかなり古い歴史を持つ料理屋。山端・平八の他に八瀬店もある。そちらの主人だったのだろう、詳しくは分からないが。

例えば、東都我刊我書房から出たばかりの『倉田啓明探偵怪作撰 落ちていた青白い運命』(二〇二〇年一月一八日)に収録されている倉田の食味随筆に平八茶屋が登場している。「三都いろいろ」(『上方食道楽』昭和五年三月号)の「京都名物」に次のように出ている。

《美濃吉の鼈[すつぽん]や鰻の入った茶碗蒸はうまいものの一つだ。また芹川茄子の田楽もいい、平八の薯蕷汁[とろろ]は雅味があり、平野家の芋棒は大衆的である。》(p226)

もう一箇所、「鮎と山椒魚」(『上方食道楽』昭和五年六月号)に

《高野川の岸にはとろろ汁で名高い平八茶屋がある。この家の庭は即ち高野の奔流と松ケ崎の山姿[さんし]とを一つにあつめた自然の景趣である。出町橋から高野村までは三十二町、ここから次第に緩やかな傾斜道を爪先上りに上って行くとそこからが八瀬の里、八瀬橋までは高野村から一里と里程標に示してある。》(p240)

としてある。

倉田啓明探偵怪作撰 落ちていた青白い運命

by sumus2013 | 2019-12-20 20:26 | 関西の出版社 | Comments(0)

ナシヨナル第一リードル独案内

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『ナシヨナル第一リードル独案内』高宮直太挿訳(岸田貢次郎)を入手。古い英語の本はつい買ってしまう。奥付を見ると明治十八年九月七日御届、同年十月出版となっており、さらに同年三月二十二日再版御届、同年四月出版としてあるが、むろん再版の方は明治十九年とすべき。誤植。

左開きなので、縦書きも左から右へ行が進むように組まれている。

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内容は、短い文章を、カタカナの発音、英語のつづり、日本語の翻訳、読みの順番、この四行で示している。「独案内(ひとりあんない)」とあるが、本書だけで英文を覚えるのはなかなか易いことではなさそうだ。

背は剥がれたわけではなく、どうやら背をむき出しにする簡易的な造本のようである。ドイツ式(?)はこの時代から採用されていた! というか、和綴じと言う方が当たっている。

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高宮直太には以下のような著作がある。

・英語会話独稽古 文盛堂 明18.6
・英文典独案内 クワッケンボス氏 榊原友吉(文盛堂) 明18.9
・ニューナショナル第二リードル独案内 加藤鎮吉[ほか] 明19.10
・ワットソンスペラー独学
 ジェー・マディソン・ワットソン原著 須原鉄二 明19.12
・Watson's graphic speller : with Takamiya's translation
 Watson, J. Madison (James Madison), T. Suwara 1886
・中外必備工商日用会話篇 村形吉作 明20.6

本書の出版人である滋賀県士族・岸田貢次郎もちょっとそそられる人物。国会図書館のデジタル画像で奥付を何冊か調べてみたら、東京へ出て、編輯から出版へと手を広げていった様子がおぼろげながら分かるようだ。文学社、教育書館、淡海書屋(近江出身だからだろう)などは自らの版元・書肆、そして興文社にも参画しているように見受けられる。興文社は印刷所でもあったらしく、本書にも「PRINTED BY KOBUNSHA NO.24, YUMICHO, KYOBASHI KU」と前見返しに記されている。

小学中等科読本字引. 1 明17
 編纂者:岸田貢次郎 東京本町四丁目十六番地
 文学社:東京本町四丁目十六番地

小学万国地誌字引 明18.4
 編者:岸田貢次郎 東京本町四丁目十六番地
 出版:文学社 東京本町四丁目十六番地
 製本兼発売:文学社大阪支店 大阪本町三丁目十六番地

英和通語 松本孝輔著 明19.4
 反刻人:岸田貢次郎 東京京橋区桶町二番地

警官必携英和会話篇 明19.7
 発 兌:松村九兵衛 大阪心斎橋筋南一丁目
 出版者:岸田貢次郎 府下京橋区桶町二番地

製造独案内 : 実地経験 一名・工芸百般製法新書 明20.2
 編纂人:藤野富之助 東京浅草区元吉町十六番地
 出版人:塩治芳兵衛 東京京橋区桶町一番地
 専売書肆:淡海書屋 岸田貢次郎 東京京橋区桶町二番地
 
明治算法記 明24.6 興文社
 印刷兼発行人:鹿島長二郎 東京市日本橋区馬喰町二丁目一番地
 編輯者:岸田貢次郎 東京市京橋区銀座二丁目十四番地

高等小学読本字解 教育書館 明治24.7
発行兼印刷人 岸田貢次郎 東京市京橋区銀座二丁目十四番地
大発売所:興文社 東京市日本橋区馬喰町二丁目一番地

改正施行商法 1893
 編輯兼発行人:岸田貢次郎 東京京橋区弓町四番地
 印刷人:堀井安太郎 東京市京橋区三十間堀二丁目一番地
 発売所:興文社 東京京橋区弓町四番地
     興文社 東京市馬喰町二丁目一番地
     巌々堂 東京市京橋区弥左衛門町


by sumus2013 | 2019-12-12 20:17 | 関西の出版社 | Comments(0)

古本海ねこ古書目録14号

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毎号すばらしい内容。今回目に付いたのは串田孫一のカット十点、今井田勲編集の青年雑誌『ヒカリ』(大東亜出版、一九四三年二月一五日)・・・これは『FRONT』に共通するテイストである・・・などは速攻注文したいところ。

なかで児童読物研究会(京都市京極尋常小学校内=現在の京極小学校:京都御所の東側、寺町通り今出川下ル)の発行した雑誌『文藝読本』十二冊(昭和十年〜十二年)は刮目に値する。本書の記述によれば、毎号二十頁ながら、沖野岩三郎、川路柳虹、西條八十、濱田廣介、宇野浩二、野口雨情、らの寄稿がある本格的な内容。

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編集兼発行者は大島傳次郎。検索してみると、大島は京都市役所教育課に勤めていたこともあるようだ。また萩原萬壽吉『国破れたれど 非戦災都市京都でいち早く立ち上がった若き教師達』(SHIMIZU、二〇〇一年)の第三部に「私の生涯のうちで大きな指針となった二人の校長先生(大久保通利のような大島伝次郎先生/西郷隆盛のような馬谷憲太郎先生)」という項目があることが分かった。あるいは、曽我井村 (京都府)で発行された藤本薫編『現代何鹿郡人物史』(福知山三丹新報社、一九一五年)にも名前が挙げられている。同一人物だとすれば、当然ながら、同地出身者であろう。


by sumus2013 | 2019-11-20 19:14 | 関西の出版社 | Comments(0)

石をたずねる旅

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足立卷一『詩集 石をたずねる旅』(鉄道弘報社、一九六二年四月一日)。昨日、古書柳の棚より。帯とパラフィンカバーがあるのが完本だが、これは欠けている。安かったのでよしとする。装幀が誰なのか記されていない。足立の趣味だろうか? 気に入った。

《この詩集は、わたしの第二詩集にあたり、一九五九年から六一年までの三年間の作品を集めた。わたしが『夕刊流星号』とよぶ地方新聞社に注いだ情熱と理想をうしない、旅行をおもな仕事にするようになってからの、旅行中に書きとめた作品ばかりだ。だが、ここには固有の地名はいっさいあらわれていない。すべて心象の地誌である。》(あとがき)

写真も二十点ばかり収められている。

《フォトは、仕事でいっしょに旅行した友人の作品を、ずいぶんかってに切り取ったものである。どれも気に入ったわたし自身のオブジェだ。しかし、それ以外に詩作品とは特別な関係はなにも持っていない。》

友人たちとは、有馬茂純、石川忠行、入江宏太郎、川本五一、山内一夫の五人。検索してみると、有馬は宮崎修二郎と『岬 文学と旅情』(保育社カラーブックス、一九六九)を、石川は井上靖と『古塔の大和路』(毎日新聞社、一九七八)を刊行しており、入江は入江泰吉の甥でユーピーフォトスを一九五八年に創業している。

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足立自身の写真「終末」


巻頭の作品「スパイ旅行」前半を引用しておく。

ふかい海のいろをしていた鳥打帽は
すっかり、日焼けしてしまった。
ひどいほこりで吸取り紙のようにふくらんでいる。
黒いリュックサックには
レインコート、下着、がらくたのほか、なにもつまっていない。
朱色の旅行着の十一のポケットには
磁石、分度器、地図、色鉛筆、ノート、催眠薬。
そうして
ぼくは地の突端ばかり歩いてきただけだ。
北海のノサップ、宗谷、知床の岬ども
能登ノロシ崎、経ガ崎
犬吠、潮の岬、佐多、足摺。
だが、ぼくが最終のバスからおりると
のっぺらぼうのズボンがぼくを尾行する。
やつは四角いヒゲをはやし
ときには、ぼくそっくりの受け口のかおをしている。
ぼくが海へ向かうと
やつはきまって先回わりして
繋船のエンジンを引きあげてしまう。
やつは岩かげで携帯無電を打ちはじめる。
それはなんとおろかなしぐさだろう。
ぼくがやつの手帳にスパイ第六十九号と登録されているのは知っているが
この突端に
スパイをゆさぶるなにがあるというのか?


あとがきは次のように締められている。

《詩集を出すことは、にがく、むなしく、やりきれないものだけれど、それも非才が生きるうえには、多少必要な行為だと、わたしは永年思いこんでいる。》

by sumus2013 | 2019-11-18 20:12 | 関西の出版社 | Comments(0)