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カテゴリ:おととこゑ( 47 )

CASSANDRA WILSON

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このところ繰り返し聴いているのは、CASSANDRA WILSON「Belly of the Sun」(Capitol Records, 2002)。グラミーの最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞を二回度受賞という、まあ、大御所。小生と同い年・・・。ジャズ、ブルースはもちろんボサ、レゲエ、カントリーまで多彩にして独特の歌いっぷりで自分の世界を作り上げている。

甲乙つけがたい出来だが、ボブ・ディランの「SHELTER FROM STORM」は、おやっと思わせられる。彼女が作曲した「DRUNK AS COOTER BROWN」が気持ちのいい曲で印象に残った。

by sumus2013 | 2019-07-04 22:13 | おととこゑ | Comments(0)

ずぶぬれて犬ころ

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もうひとつ映画の話題。帰郷中にローカル放送を見ていると(香川県では岡山県の放送も見られる)、岡山の若くして亡くなった俳人を取り上げた映画「ずぶぬれて犬ころ」の紹介をしていた。住宅顕信。聞いたことのない名前だった・・・映画のタイトルからすれば尾崎放哉か、と思ったら、やはり『層雲』に所属していたようだ。

《住宅顕信(すみたく けんしん、1961年3月21日 - 1987年2月7日)は、日本の俳人。本名・住宅春美(すみたく はるみ)。

1984年2月、急性骨髄性白血病を発病し岡山市民病院に入院。6月、長男誕生。不治の病の夫に対して妻の実家の希望により離婚。長男は顕信が引き取り、病室にて育てる。10月、自由律俳句雑誌「層雲」の誌友となり、層雲社事務室の池田実吉に師事。この頃より自由律俳句に傾倒し、句作に励むようになる。特に尾崎放哉に心酔。

1985年に句集『試作帳』を自費出版。「層雲」に権威主義的な疑念を感じ、「層雲」の元編集者である藤本一幸が主宰する自由律俳句誌「海市」に参加する。翌1986年、「海市」編集同人となる。病状が悪化し、この年の12月からは代筆によらなければ投書できなくなる。

1987年2月7日23時23分、永眠。享年25。俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった。》(ウィキ)

ちらしに載っている俳句

 あけっぱなした窓が青空だ

 父と子であり淋しい星を見ている


下記サイトに代表句が掲載されている。

住宅顕信 または、人生の究極のミニマリスム




「ずぶぬれて犬ころ」予告編

by sumus2013 | 2019-05-23 20:00 | おととこゑ | Comments(0)

映画『嵐電』

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『シグナレス』第貳拾伍号(蒼幻舎、二〇一九年三月三十一日)。特集・映画『嵐電』。鈴木卓爾監督・インタビュー。『私は猫ストーカー』『ゲゲゲの女房』『ジョギング渡り鳥』『ゾンからのメッセージ』などの作品を手がけた鈴木監督の最新作。これは見てみたい(嵐電の大宮駅の近くに住んでますもので)。そうそう鈴木監督は蟲文庫さんのダンナさんでもあります。

「嵐電」予告編

by sumus2013 | 2019-05-22 17:26 | おととこゑ | Comments(0)

MOZART MITSUKO UCHIDA

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古本屋の均一にはときおりCDが出ていることがある。最近の収穫はこれ、内田光子「モーツァルト:ピアノ・ソナタ&ピアノ協奏曲他」(PHILIPS)二枚組。DISC1はピアノソナタと幻想曲、ロンドで一九八三、八五年の録音。DISC2はジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団と共演し一九八五、八七年にロンドンで録音された。

DISC1は耳慣れた曲ばかりで内田光子らしくキッチリと聴かせてくれる。正直、モーツァルトとしてはどうなのかなあと思わないでもないが、むろん、これはこれで見事な演奏である。ここしばらく繰り返し聴いていた。DISC2はピアノ協奏曲第20番二短調K.466とピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595。これらは一度聴いただけ。

《1948年に熱海に生まれ、1961年に外交官だった父親とともにウィーンに移住。ハウザー教授に師事して68年にウィーン音楽アカデミーを卒業。66年のミュンヘン、70年のショパン・コンクール、75年のリーズ国際と名だたる国際コンクールでいずれも2位となり、82年のロンドンにおけるモーツァルトのピアノ・ソナタ全曲演奏会の成功で名ピアニストとしての評価を不動のものとした。》(演奏者紹介)

ウィキで「内田光子」を見ると「1970年代は不遇の時代であった」とある。

1971年、英国ウィグモア・ホールでの演奏会にて、ロンドン・デビュー。1972年に拠点をロンドンに移す。ヨーロッパを中心に活動するが、1970年代は不遇の時代であった。東芝EMIなどで細々と録音していたが、大手レコード会社からのオファーは全くなかった。日本では、演奏会を開くことすらままならず、両親がチケットを売りさばくことに苦心していた。本人は「私は日本の音楽大学を出ていなかったから…」と当時を振り返っていた。自主開催や労音などの地方公演、恩師である松岡貞子の配慮で開催していた科学技術館・サイエンスホールにおける公開レッスンなど、金銭面では有難かったが非常に不本意な時代だったと回想している。

やっぱり、二番じゃだめなのか・・・。

by sumus2013 | 2019-04-30 16:56 | おととこゑ | Comments(0)

PEOPLE HAVE THE POWER

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PATTI SMITH「PEOPLE HAVE THE POWER」(Arista Recods, 1988)。パティ・スミスの12インチシングル。ジャケット写真はロバート・メープルソープ。パティの最初のアルバム「HORSES」(1975)もメープルソープの写真で飾られている。二人は一時期カップルだった。







近年、パティ・スミスと言えば、ボブ・ディランの代役で出席したノーベル賞の授賞式で「A Hard Rain’s A-Gonna Fall」歌ったのが印象に残っている。歌詞を忘れて、ごめんなさい、と言っていたところが良かった。






メープルソープと言えば、アートシーンへのメープルソープの登場はショッキングだった。彼の存在は、ギャラリー・ワタリでの展示(1983)を見て図録を買った記憶があるので、それまでには知っていたはず。『美術手帖』の追悼号(一九八九年六月)はよくできていたと思う。その少し後に買ったのが下の図録『ROBERT MAPPLETHORPE』(Bulfinch Press・Little, Brown and Company in association with Whitney Museum of American Art, 1990, 5th printing)。ホイットニー美術館での回顧展(1988)のために製作されたものでハードカバー版もあるようだ。この本は神戸に住んでいたとき、元町の丸善で買ったのではないかと思う(新刊で!)。当時は、よく丸善の洋書コーナーをぶらついては立ち読みしていたのである。

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「Horses」のジャケットに使われた写真(右)


本書によれば、ロバートとパティが出会ったのはまったくの偶然だった。Ingrid Sischy「A SOCIETY ARTIST」より拙訳。訳しにくいところは適当にごまかしておいた、お許しを。

《詩人でミュージシャンだったパティとの初めての出会いについてメープルソープの回想は共鳴できるものである。それは魔法のようなつながりをもたらす魔法のような始まり、夢、神話そして歴史となる関係、である。その物語が具体的にどのようにして始まったかについてメープルソープはこんなふうに話してくれた。「地下のアパートメントにいたときだった。彼女は道路から僕の家にふらりと迷い込んできた。ちょうど僕は眠っていて、目を開けると、そこにいままで会ったことのない人がいたんだよ。彼女は誰か他の人を探していて、僕のところに来たんだ、ドアが開いてたから。知ってるでしょ、60年代だったんだよ、ヒッピーたちは誰も鍵なんかかけなかったんだ。》

《少し前に、私はメープルソープと、自信をもたせてくれた人間について話していたとき、彼はスミスについてこう言った。「僕たちは一晩中起きていた。彼女は彼女のことをし、僕は僕のことをして、そして一休みとなったとき、タバコを一服して、互いの作品を眺めたのさ。これがめっちゃ良かったよ。彼女は僕がやったことを認めてくれる一人の人間だった。》

《その頃「彼らのやっていたこと」というのはドローイング、落書き、宝石、絵やオブジェによるコラージュで、スミスは陶芸もやっていた。アイデアを生み出し、二人が通過するべき道にパンくずの印をつけ、それを見つけること。それは、アーティストとしての表現に特別な空間を作り出そうとしているとき、自分のまわりで探し出そうとしている種類のものだった。スミスとメープルソープは精神的な同志であり、アウトロー仲間だった。その後すぐに、彼らは町の新参者[new kids in town]仲間になって、インサイダーになった、アウトサイダーとしてのアイデンティティを持ちつづけながら、二人はいっしょにジョン・マッケンドリィ(John McKendry)やサム・ワグスタッフ(Sam Wagstaff)のような、彼らの人生に重要な役割を担う人々と知り合いになったのだ。》

マッケンドリィは写真家でメトロポリタン美術館の写真部門のキュレーター。ワグスタッフはキュレーターでありコレクターでメープルソープと出会ってから、それまでの絵画コレクションを処分し、写真、とくに無名写真家に注目するようになったそうだ(wiki)。出会いが全てを決めて行く。

by sumus2013 | 2019-03-22 20:32 | おととこゑ | Comments(0)

TOSHIKO AT TOP OF THE GATE

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TAKT JAZZ シリーズの秋吉敏子クインテット「"トップ・オブ・ザ・ゲイト"の秋吉敏子」(日本コロムビア、2012. 元盤は1969年発売)を聴く。カバー・イラストは和田誠。

秋吉は一九五三年に来日したオスカー・ピーターソンに認められ、五六年にバークリー音楽院に入学してアメリカでの活躍を開始した。

《秋吉さんのピアノ・スタイルは、日本にいた頃、たまたま駐留軍兵士としてやってきていたハンプトン・ホーズに学び、開眼したものとされていますが、ハンプトン・ホーズという人は、バッド・パウエル、チャーリー・パーカー直系の有能なバップ・ピアニストでした。つまり彼女はホーズを通じて、バッド・パウエルを学び、そこから彼女自身のオリジナルなスタイルを創り出したといえます。大体モダン・ジャズの時代になってから輩出したピアニストの数は決して少なくありませんが、女性ピアニストは皆無に近い状態でした。そこにキモノ姿(ジョージ・ウィーンの演出もあったことであろう)の日本女性が、女性とはおもえないような強じんなタッチで、本格的なバップ・ピアノを披露したものですから、アメリカのミュージシャンもファンもアッといったのは当然でした。》(解説:野口久光)

このアルバムの一曲目、「イントロダクション」がどこかで聞いたようなメロディなんだなあと思って口ずさんでいると「ルパン三世のテーマ」? と思い当たった。そちらの作曲者は大野雄二、バップのジャズ・ピアニストだからテイストが似通っていても不思議ではないと納得。なんとなくなつかしい感じがしたのもそんなところからかも。

***

グラミー賞、ほとんど興味ないが、今回はツッペリンの再来と話題になっていたグレタ・ヴァン・フリート(GRETA VAN FLEET)が受賞するかどうか、ちょっと気になった。四部門ノミネートのうち結局「FROM THE FIRES」で最優秀アルバム賞を受賞したようだ。ツッペリンには程遠いけどね・・・




by sumus2013 | 2019-02-11 19:45 | おととこゑ | Comments(0)

グールドのブラームス

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今年の聴き始めはグレン・グールド「ブラームス:4つのバラード/2つのラプソディ/間奏曲」(2000, Sony Music Entertainment inc.、オリジナルは1983)。インテリ層のファンが多いグールドだが、どうも小生はインテリジェンスが乏しいのか、グールドのバッハなど聴いてもまったくわざとらしくてピンとこなかった。クラシックの枠を超えようとしているのは分かるにしても、そんなにいいと思ったことはなかった。

この一枚はたまたまブの正月50パーセントOFFにつられ、これまたこれまであまり聴いたことのないブラームスの棚を物色していて、このジャケットの生意気そうな写真に魅かれた、というのが購入理由である。

4つのバラード/2つのラプソディ」はどちらも一九八二年の録音、ということは歿年なのだが、どうもパッとしない。枯れすぎ。それに反して「間奏曲」は一九六〇年(二十八歳)の録音、世界ツアーも成功させ、演奏家としての名声を確立した直後のもので、力強いというか、かなり激しくて、ブラームスとしてはどうなのかはさておき、これだけ聴くとなかなかいい感じ。少し見直した。

《1964年3月28日、シカゴにおけるリサイタルを最後に、演奏会からの"ドロップアウト"を宣言、以後、亡くなるまでの20余年をレコーディング・スタジオの中だけで自由奔放に、しかし音楽に対してはじつに誠実に生き続けた。レコーディング・スタジオから次ぎ次ぎと生み出された演奏は、16世紀のギボンズから20世紀作品まで驚くべき広さで、そのどれにもグールドならではの個性が横溢していた。とくにバッハの諸作品における斬新で瑞々しい解釈による演奏は、今日なお、バッハ表現の異色の金字塔と賞賛されている。
 1982年10月4日、生地トロントで急逝。疾走した異端児は、唐突に50年の人生を閉じた。》(本CD解説より)

驚くべき広さ」とあるが、日本語ウィキによれば、グールドの選択はかなり偏っていたようだ。主張のはっきりしているアーティストだから当然といえば当然である。

by sumus2013 | 2019-01-06 17:29 | おととこゑ | Comments(0)

LITTLE GIRL BLUE

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ニーナ・シモン「LITTLE GIRL BLUE」(Bethlehem Music Company, 1992)をうっとりと聴いている。ニーナ・シモンのデビューアルバム(一九五八年)。一九三三年生まれなので二十五歳のときだが、そうとは思えない、老成した歌唱、演奏に味わい深いものがある。

おや、と思ったのは「Plain Gold Ring」(作曲はGeorge Stone, aka Earl Burroughs)。美空ひばりの「リンゴ追分」(米山正夫作曲、一九五二年発売)にムードがそっくり。









ただし、一九五二年盤の「リンゴ追分」はもっと明るい感じでニーナ・シモンの雰囲気はない。

by sumus2013 | 2018-10-12 20:27 | おととこゑ | Comments(0)

HEROIN

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THE VELVET UNDERGROUND「HEROIN」をヨゾラ舎にて入手。ジャケ買い。いわゆるブートレグ(bootleg)盤である。海賊盤は大きく三種類に分けられるそうで「ブートレグ」とは

《アーティストの未発表音源やライブ音源(「個人の内密な録音」か「権利者側の正式録音物の無断流用」かは問わない)などを権利者側の未承諾のまま違法にプレス(製作)した物。古い放送用音源や、日本では放送されなかった海外でのTVやラジオ音源の無断製品化も含む。》(ウィキ「ブートレグ」)

とのこと。で、この12インチEP盤は、一九九〇年六月に予告なくパリで行われた再結成ヴェルヴェット・アンダーグラウンドによる「ヘロイン」のライヴを収録したもの。トータル9分42秒、裏表とも同じ録音。


Heroin, Live in Paris



もうひとつ、
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少し前にこんなCDを頂戴した。「The Best & Greatest Hits」シリーズ。発売は ARC Co.,Ltd となっており、プレスは韓国だそうだ。定価五百円の表示があるが、店舗用のシールには税抜き299円となっている!

ボブ・ディランとザ・ベンチャーズ、どっちも永遠のサウンドだ。ベンチャーズは高校一年のころにベスト盤のアルバムを借りて聴いてからすっかりファンになった。今でもときどき無性に聴きたくなる(これとは別のベスト盤CDは持ってます)。

既存の曲のアンソロジーというかコンピレーション(編集)盤になるが、もしこれらが海賊盤だとしたら、こういうものは「パイレート盤」と呼ばれるらしい。


by sumus2013 | 2018-09-18 19:58 | おととこゑ | Comments(0)

聖なる館

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先月の京都レコード祭りにて。レッド・ツェッペリン「聖なる館(Houses of the Holy)」(Atlantic Records, 1973)。ジャケ買いです。危ないデザイン。アメリカでは検閲でストップをかけられ、オビでお尻を隠すことでなんとか収まった、とのこと。

このカヴァー・アートは北アイルランドの北岸にあるジャイアンツ・コーズウェイ(Giant's Causeway)という奇岩で有名な場所で撮影された写真をコラージュしたものだとか。ピンクフロイドらのアルバムを手がけていたデザイン・グループ「ヒプノーシス(Hipgnosis)」のオーブリ・パウエルによって制作された。アーサー・C・クラーク『幼年期の終り Childhood's End』の結末によってインスパイアされたのだそうだ。

モデルはステファンとサマンサ・ゲイツという姉弟ら(サマンサは沢渡朔の写真集『少女アリス』のモデルにもなっている!)。悪天のため思うような写真が撮れずに撮影は十日間以上も続いた。二人の子供の写真はモノクロで撮影され、十一人としてコラージュされる際に彩色された。インナー・スリーブの写真はコーズウェイ近くの中世の城(Dunluce Castle)で撮影された。

じつはこのジャケットは第二作で、第一作は同じくヒプノーシスのソーガスン(Storm Thorgerson)によって制作された。それはテニスコートにラケットが置いてあるという図柄だった。ソーガスンはこのアルバムはラケットのような音がするからだと主張したようだが、バンドは彼をクビにしたので、代りにパウエルが担当することになった。

と以上は英文のウィキ「Houses of the Holy」および日本文のウィキ「聖なる館」を適当に参照してアレンジした。ジミー・ペイジは気に入っていなかったようだが、カヴァー・アートとしては目に焼き付く仕上がりではある。

レッド・ツェッペリン/コンプリート・スタジオ・レコーディングス

by sumus2013 | 2018-08-14 20:42 | おととこゑ | Comments(4)