林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:おととこゑ( 35 )

ふくしま人 伊藤久男

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あがた森魚「赤色エレジー」(ベルウッドレコード、一九七二年、COVER ART=林静一)。この歌を初めて聞いたとき(高校生の頃だった)、昔の曲のカヴァーだな、と思った記憶がある。

《愛は愛とて何になる
 男一郎 まこととて

異色のフォークシンガー、あがた森魚(もりお)の代表作〈赤色エレジー〉である。この歌の作曲者が、なんと八洲秀章になっているのだ。》

《この歌は最初、あがた森魚作詞作曲としてレコーディングされた。後年、メロディーが〈あざみの歌〉に酷似しているとの指摘を受け八洲秀章作曲と変更されたらしい。》

と、これは先日、恵投いただいた菅野俊之氏の「ふくしま人 歌手 伊藤久男」(福島民報、二〇一八年二月一七日〜三月一七日)の連載記事、第一回からの引用である。〈あざみの歌〉、最初は作曲者である北海道出身の八洲(やしま)秀章自身の歌唱によってNHKの「ラジオ歌謡」で放送された。そして伊藤久男のリリックな歌唱で、一九五一年(昭和二十六)年夏、リリースされる。ちょっと聴き較べていただきたい。



菅野氏はこう述べておられる。

《確かに前半の旋律はよく似ているが、全体としてはまったく別な曲と言ってもよいのではないかという気がするけれど、いかがなものか。
 いずれにしても「♪くれない燃ゆる」〈あざみの歌〉は、意外なことに〈赤色エレジー〉として装いを変え、転生しているのである。》

伊藤久男の略歴を菅野氏の記事からかいつまんで紹介しておこう。

明治四十三年七月七日、福島県安達郡本宮町(現本宮市)に生まれる。本名、四三男(しさお)。伊藤家は大地主で裕福な家庭だった。小学校の頃からピアノを習い、独唱が得意だった。旧制安達中を一年で中退し岩瀬農学校へ。東京農業大に進学するも、音楽家への夢を捨て切れず、実家に無断で帝国音楽学校へ転じた。

昭和七年、コロムビアのオーディションに合格。翌年、プロ歌手としてデビュー。伊藤久男の芸名を使う。昭和十五年、「曉に祈る」がヒット。敗戦によって一時酒に溺れる日々を過ごすが、再起し、昭和二十五年に「イヨマンテの夜」が大ヒット。昭和二十八年、映画「君の名は」の主題歌「君愛しき人よ」がヒット。作曲は福島市出身の古関裕而。昭和三十八年、コロムビア入社三十年を記念するリサイタルが本宮高校体育館で開催され故郷に錦を飾る。昭和五十八年四月二十五日死去。

《二〇一〇(平成二十二)年秋、本宮市において「伊藤久男生誕一〇〇年記念事業」が市を挙げて開催された。久男の遺品や写真などの展示会、記念講演会、カラオケ大会など多彩な内容であった。そのときに刊行された記念誌「その歌声は時代を越えて」はとても充実した内容で、彼に関する基本的な研究文献となっている。
 昭和歌謡史に大きな足跡を残した伊藤久男の数々の名曲と歌声は今もなお、多くの人々の胸にあざみの花のように咲き、香り続けているのである。》

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by sumus2013 | 2018-03-28 17:41 | おととこゑ | Comments(0)

LOVE YOU LIVE

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ザ・ローリング・ストーンズのダブル・アルバム「Love You Live」(東芝EMI, 1977)。アートワークはアンデ・ウォーホル。さすが。傷んでいるから安かったが、ほんとに純粋なジャケ買いです。

《『ラヴ・ユー・ライヴ』(Love You Live 旧邦題:感激! 偉大なるライヴ)は、ローリング・ストーンズのライヴ・アルバム。1975年夏の北米ツアー、1976年のヨーロッパ・ツアー、1977年のトロント公演が収録された。本作はストーンズ2作目、アメリカでのみリリースされた『ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!』を加えると、3作目の公式ライヴ・アルバムである。》(ウィキ)


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聞く方はCD、このところこの三枚組でまさにストーンズ三昧。「ザ・ローリング・ストーンズ/シングル・コレクション(ロンドン・イヤーズ)」(POLYDOR, 1995)。

英デッカ時代のシングル五十六曲にボーナス二曲の計五十八曲入。一九六三年から六九年あたりまでの録音ばかり。三枚あるうちの二枚目中頃まではどの曲もノリのノッている。途中から徐々に曲調も変わり、むろん時代も変わっていたのだろうが、ほとんど別のグループのようになっていく過程が手に取るように分る。

前から気になっていたのが「サティスファクション」のサビの歌詞。

I can't get no satisfaction

このCDに附属している冊子の和訳歌詞では「頭に来たぜ 不満だぜ」(すごい訳ですね)。not、no の二重否定なのに「満足だ」にならないところが、疑問だった。もちろん歌唱を聞いていれば、どうみても不満バクハツだということは伝わってくるから、二重否定ではないのだろうと察することはできるのだが。ふつうなら「I can't get any satisfaction」だろう。検索してみると「Luke's スラング辞典」に次のように説明されていた。


本当に満足できないときには満足するってか……。



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by sumus2013 | 2018-03-04 20:09 | おととこゑ | Comments(0)

ガンバレたこ焼きタイガース

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西川のりお「ガンバレたこ焼きタイガース/北国へ」(Casablanca redord and filmwork, ポリスター、1982)。岡崎氏が先日《昭和歌謡」の次回用に「大阪」ものシングル盤を探す》と書いていたのを見て、思い出した一枚。ヨゾラ舎にて。

ご覧の通りイラストは永島慎二。そしてプロデューサーが美樹克彦(「花はおそかった」の!)ではないですか。

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by sumus2013 | 2018-02-17 19:14 | おととこゑ | Comments(0)

Flying letters

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古本屋の均一棚に見慣れない本が何冊か出ていた。洒落たデザインなので買っておくことにした。

上の写真、右下、前田ジョン(John Maeda)『Flying letters』(翻訳=上田光永、デジタローグ、一九九六年二月二一日)。フロッピー・ディスク付き。本文は折帖になっている。

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そして左も同じく前田ジョン(John Maeda)『TAP, TYPE, WRITE』(翻訳=大野一生、デジタローグ、一九九八年二月二一日)。REACTIVE BOOK SERIES #4。リアクティヴ・ブックスについてはYouTubeに紹介ヴィデオが出ている。デジタル・アーティスト・ブックとでも言うべきもののようだ。

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John Maeda, Flying Letters interactive software; designed 1996



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いちばん上のもう一冊、というかCD-ROMが一枚はいっているだけの函である、は『Laboratory 001: 08/97: Greenfield and Rollestone: Urban Feedback』(Apple Computer, Inc. 1997)。コンピュータを使って音や映像をアッサンブラージュした一九九〇年代の実験映像。












こんなものまで古本屋に転がっている時代になったか。それもそうだ、二十年以上前のことなんだからねえ。あるいは、まだ二十年しか経っていないのかな・・・とにかく、まだ、この時代には、デジタルデータを本の形にしようという発想だったことは、これらの遺物が証明している。

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by sumus2013 | 2018-02-16 19:58 | おととこゑ | Comments(0)

卒業

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サイモンとガーファンクル、映画「卒業」のサントラ盤(CBS・ソニーレコード、1968.9)。「サウンド・オブ・サイレンス」「スカボロー・フェア」「ミセス・ロビンソン」(アルバム「ブックエンド」から、と映画のサントラ盤「卒業」からの二種類)収録。

ところで、このジャケット、表は

 オリジナル・サウンド・トラック盤 ユナイト映画 卒業
 サイモンとガーファンクル

という表記。裏面は

 映画「卒業」サウンド・トラック盤
 サイモン&ガーファンクル

の表記。円盤面は英語のみの表記なので、結局、どちらが正しい盤名なのかはっきりしない。ウィキでは見出し語として「サイモン&ガーファンクル」を採用し、英語表記「Simon & Garfunkel」と「サイモンとガーファンクル」を付け加えてある。

《映画の成功と共に劇中歌「サウンド・オブ・サイレンス (The Sound of Silence)」が大ヒットし、日本をはじめ世界的にも大きな成功を収めた。当時は「サイモンとガーファンクル」と表記されていた。》(ウィキ)

と説明されているが、この盤に限っては両方併記されている。

《この映画を通じて最もフィーチュアーされているのか[ママ]、ほかでもなく、これらの音楽を書き、かつ映画のバックで歌っているフォークソング・デュエット・チーム、サイモンとガーファンクルです。
 彼らはこの映画の公開と相まってアメリカではビートルズ、モンキーズをしのぐ人気を得てしまいました。たとえば彼らの3枚のアルバム(30センチLPレコード)はベストセラーの第1位〜3位を独占してしまいましたし、シングル盤としてカットされた「ミセス・ロビンソン」は、5月末からヒット・パレードの首位を独走しています。》(ジャケット解説より、柳生すみまろ)

フォークソング・デュエット・チームは不思議なネーミングだ。ウィキでは「ポピュラー音楽ユニット」というかなりあいまいな分類になっているけれど。

ところで、つい最近、サイモンはツアー引退を発表した。

《米フォークデュオ・サイモン&ガーファンクルのポール・サイモン(76)が5日、今年5月からのワールドツアーを最後にコンサート活動から引退することを自身の公式サイトで発表した。》(ORICON NEWS, 2018-02-13 13:59)

まさに卒業? ここでは「フォークデュオ」ですか。

ついでに最近入手のCDより。

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SLEEPY JOHN ESTES / BROKE and HUNGRY
DELMARK RECORDS, 1995


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ART BLAKEY QUINTET / A NIGHT AT BIRDLAND VOL.2
Manhattan Records, 1987


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GUNS N' ROSES / GN'R LIES
Geffen Records, 1968, 1988



昨夜はエンゲルス・ガールで世田谷トリオのライブを楽しんだ。狭い会場(なにしろ町家の平屋ですから)でフリージャズの音がビンビンきました。





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by sumus2013 | 2018-02-13 20:08 | おととこゑ | Comments(0)

the sound stan getz

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スタン・ゲッツ「ザ・サウンド」(日本コロムビア、1975)。やっぱりこのジャケットはシビレル。名盤なのでいろいろな人が評価を書いている。検索されたし。ここでは、このアルバムに附属しているペラ一枚の解説から少し引用しておこう。執筆は「いソノてルヲ」(磯野晃雄 1930-1999)、良く知られたジャズ評論家

《スタン・ゲッツは51年に独立して以来、オフ・エンド・オンで多くのコムボを持ち、ある時は名声の頂に達し、多くの栄光を獲得した。
 又ある時は、麻薬常用にからみ薬局でホールド・アップ事件を起し逮捕された。
 又、アメリカを何度もはなれてヨーロッパで住んだ経験も多い。》

《56年に前記モニカ[引用者註:スウェーデン出身の美女、ストックホルムで出会った]と結婚した時などは、もう音楽をやめると声明して、デンマークに渡って医学の勉強をはじめた。
 所が、いつの間にかコペンハーゲンで演奏活動を開始していた。にくめない男だ。》

《60年代のボサ・ノバと共にアメリカでカム・バックした雄姿は鮮明である。》

《70年代、チックのジャズ・ノバをレパートリィに加え73年最後の来日を果たした。私は、ウィスキーさえ止めたゲッツと北海道旅行中生ビールを飲んで語り合った。
 ゲッツは16才の時から30年もオン・ザ・ロード(楽旅を続行中)だと言った。》

《そのあとウィンブルドンのテニスの試合に息子が出る話や、アメリカでニクソンが大統領になったのでスペインへ移住したんだと言う話もしてくれた。
 そんな話の中で、ジャズを続けて来られた事の幸福さを教示してくれた。その秘訣は初心忘れずと言うような事であった。》

ニクソンの大統領就任は一九六九年、スペインはフランコ体制下であった。当時のアメリカよりベターだったとはどうしても思えないが、米国人にとっては住みやすかったのかもしれない。




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by sumus2013 | 2018-01-14 20:57 | おととこゑ | Comments(0)

ボブ・ディラン・モノ・ボックス

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BOB DYLAN THE ORIGINAL MONO RECORDINGS ボブ・ディラン・モノ・ボックス」(SONY MUSIC ENTERTAINMENT, 2010)。年末はディラン三昧。初期コロムビアのモノ・アルバム八枚(「Blonde on Blonde」は二枚組)のCDボックスを繰返し聴いている。三枚目まではかつてCDで持っていたので、ほとんどどの曲も耳になじんでいるが、四枚目の「Another Side of Bob Dylan」以降はめぼしい曲だけしか知らなかった。正直なところ三枚目までで充分という気もしないでもない。四枚目がとくにガクンと聴き劣りするが、その後は少し持ち直す。と言っても、すべては二十代前半の仕事なのだ。やはりこれは驚きだろう。

《そうだ、ステレオというものがあった。これら全てのアルバムはステレオでも発売されている。この時期には、楽器と声とがなんとか分離され、右と左のチャンネルから聞こえてきた。もともとは、コンサートホールで聴いているような、シンフォニーではヴァイオリンが左から、チェロが右から聞こえるという、臨場感を出すためのテクノロジーであった。『プレイボーイ』誌がもっとも積極的に、そして魅惑的に推奨していた。輝かしいコンポーネント……アンプ、プリアンプ、レシーバー、ターンテーブル、そして木目調のスピーカー、それらはまだライフスタイルと呼ばれるまでにはいたっていなかったが、自分の洗練された趣味、金銭、皆より一歩すすんでいることを誇示する方法として、流行で仕立てた洋服、アペリティーフの酒、そして「ベイビー、こんなブルーベックはきっと聞いたことがないはずだよ」という殺し文句とともに提供されていた。》

と、このように、解説のグレイル・マーカス(Greil Marcus)はステレオの登場から説き起こしつつ、モノで聴くことの意義について考察する。

《あの単一の音には何か具体的なものがあった、曲と出来事をつなぐ何かがあった。リトル・リチャードの「レディ・テディ」は他の何かである前に、まず事実なのだ。反論できない何か。》

当時、音楽はステレオよりもモノラル(たとえばラジオから)で聴くことの方が当たり前だった、それは聴いていた人々の身の回りの出来事と結びついている、とそういうふうに言いたいのだと思う。

《「やつはサイス(大鎌)みたいにスパッとシーンをぶった切った」とフォークシンガーのサンディ・ダーリントンは、一九六一年、グリニッチ・ヴィレッジにおける十九歳のボブ・ディランの登場について語ったことがある。その登場の音が聞こえる……歌手の背後に吹きすさぶ風、ファーストアルバム、その年の遅くにレコーディングされた……むこうみず、才能、この歌手には歌う権利がないとでもいうような曲の顔付で微塵の穏やかさも拒絶する、勝手にしやがれ。》

《フォーク音楽に商業的な力があった時代……ジョーン・バエズがセカンドアルバムでチャートの13位になり、125週間チャートにとどまった年には、ピーター・ポール・アンド・マリーのファーストアルバムが1位になり3年間以上チャートに入っていた、キングストン・トリオはトップテンに三枚のアルバムが入った……ボブ・ディランのファーストアルバムはアメリカで最大かつ最有力なレーベルから発売され、初版は5,000枚の売り上げだった。これが商業的に失敗だったというのは噂にすぎないが、噂が力を得て、誰もがジョーン・バエズやキングストン・トリオを知っていたとしても、もしボブ・ディランのことを知っていたなら、他の誰もが知らなかった何かを知っていたわけである、もうすぐ誰も知らない人はいなくなる何かを。》

以上拙訳(適当に端折ってます)。二枚目のアルバムからピーター・ポール・アンド・マリーが「風に吹かれて」他をカバーして次々ヒット、それにつれて作曲者のディランも「知らない人はいない何」かになっていくわけだが、まさかノーベル平和賞、じゃなかった文学賞! までもらうとは夢にも思ってなかったろうねえ……。


ついでに最近買ったCD。

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SLIDE GUITAR CLASSICS ; 1997 Repertoire Records


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TUATARA breaking the ethers ; 1997 Sony Music Entertainment


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BO DIDDLEY ; 1986, VOGUE FRANCE


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by sumus2013 | 2017-12-30 21:36 | おととこゑ | Comments(2)

渋谷毅+鈴木常吉

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昨夕、京都は島原大門前のギャラリーのざわで行われた「エンゲルスガール10周年記念ライブ 熱烈歓迎 渋谷毅さん & 鈴木常吉さん」に参加。細長い町家でのライブだったが、ほぼ満席、かぶりつきに陣取って楽しませてもらった。渋谷さんの左手がしなやかだった。

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by sumus2013 | 2017-12-21 16:08 | おととこゑ | Comments(2)

はしだのりひこさん

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「ザ・フォーク・クルセダーズ ゴールデン・ベスト」(東芝EMI, 2004)。数ヶ月前に買ってひさしぶりに「帰ってきたヨッパライ」など青春、いや、まだ小学生だったけど、の思い出にひたった。この曲が発表された年末(一九六七)、小生はある手術のため病院で年越しをした。誰もいない夜の病院、ラジオから流れる「帰ってきたヨッパライ」が、コミックソングのはずなのに、なぜかひどく幼い心に沁みたことを憶えている。

はしだのりひこさん、72歳で死去 「悲しくてやりきれない」などのヒット曲

「ザ・フォーク・クルセダーズ ゴールデン・ベスト」にははしださんの曲は一曲だけ。「何のために」(作曲:端田宣彦)。「悲しくてやりきれない」は加藤和彦の曲である。フォークルという意味では間違いではないけれど、誤解を与えかねない見出しである。フォークルを離れてからの大ヒット、「風」(一九六九)か「花嫁」(一九七一)にすべきだろう。

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じつは娘さんの端田新菜さんと愚息は小学校で同じクラスだった。一九八一年から京都にまる四年ほど住んでいた時期のこと。誕生日会にも呼ばれるほど仲がよかったらしい(クラスの男の子で呼ばれたのは愚息だけだったそうだ)。その愚息が、土曜日の夕方、数時間行方不明になるという事件があって、そのときにはクラスの役員をしておられた端田さんにも大変お世話になった。直違橋通りに面したご自宅をお訪ねしたことを思い出す。ご冥福をお祈りしたい。

息子のクラスメートのお父さんだったはしだのりひこさん

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by sumus2013 | 2017-12-03 16:29 | おととこゑ | Comments(4)

Tu ne sais pas aimer

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菅野俊之氏より『福島自由人』第32号(北斗の会、二〇一七年一一月三日)を頂戴した。深謝です。菅野氏は「作詞家門田ゆたかの周辺ー中原中也・永井荷風・「映像」ー」を執筆しておられる。内容のごく一部だけ紹介しておく。

「ふくしま人 門田ゆたか」
http://sumus2013.exblog.jp/27575875/

昭和八年、門田ゆたかは流行小唄〈東京祭〉の懸賞募集(読売新聞主催)で一等に当選した。賞金五百円。〈東京祭〉は東京市が昭和七年に隣接郡町村を合併し三十五区の大東京になった、その一周年を記念したものという。賞金につられて中原中也もまたこの懸賞に応募していた(応募作は中也全集に収録されています)。ただ入選はおろか選外佳作にもその名前は見えないとのこと。

永井荷風は小説「おもかげ」の作中で門田の作詞した「私の気も知らないで」の歌詞の一部を引用している。

おもかげ
http://sumus2013.exblog.jp/26267876/

若き日に欧米に遊んだ(文字どおり娼婦と遊蕩した)荷風は、彼の地で西洋音楽を熱心に聴き陶酔した。荷風の小説に鏤められた江戸音曲や歌謡曲の基底には西洋音楽の想い出が響いており、吉原遊廓の月夜にシャンソンの旋律が流れる「おもいで」に谺しているとぼくは推測するのだが、如何?

ゆたかの詞による「私の気も知らないで」はマリー・イボンヌこと上村まり子の歌唱で昭和十年にテイチクから発売されたという。なお原曲「TU NE SAIS PAS AIMER」の方は一九三一年公開のフランス映画「Sola」(監督アンリ・ディアマンベルジェ、Henri Diamant-Berger)の主題歌。主演のダミア(Damia)が歌った。

門田がつけた歌詞には二種類あるそうで、タイトルも「人の気も知らないで」「私の気も知らないで」と異なる。ついでに書いておくと、フランス語の「知る(savoir)+動詞の不定法」は「〜できる」の意味。「AIMER」は「愛する」だから「TU NE SAIS PAS AIMER」を直訳すると「おまえは愛することができない」となる。門田は知る(savoir)の否定形だけを生かして「人の気も知らないで」としているが、歌詞本文とともに、苦心の訳というよりもテーマだけ汲み取った創作であろう。

Youtubeで「人の気も知らないで」が何種類か聴ける。ダミアの原曲と昭和十三年の淡谷のり子版を貼付けておく。










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by sumus2013 | 2017-11-15 21:00 | おととこゑ | Comments(0)