林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:雲遅空想美術館( 152 )

雪とけて

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つい先日求めた短冊より。雪国でもそろそろ春のきざしかと思いつつ(実際には北日本は酷い吹雪でしたが)。笹の模様はキラ(雲母)摺りで金箔を散らしてある。かなり豪華な短冊かと。記名がないのが惜しまれる。読みは・・・

 雪とけて柱のゆかみ
        直りけり

コメントいただき訂正しました。柱の歪み、ですね。深謝です。

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by sumus2013 | 2018-03-02 19:56 | 雲遅空想美術館 | Comments(4)

小村雪岱研究

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『小村雪岱研究』第一号(真田幸治、二〇一六年八月一日)を某氏より頂戴する。真田氏はブックデザイナーであり、かつ、かなりヘビーな古本者である。ブログは下記に。この一月に『小村雪岱随筆集』(幻戯書房、二〇一八年一月二四日)を上梓されておられる。

書籍装本設計 真田幸文堂

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《長年の調査の成果として「小村雪岱雑誌挿絵・表紙絵書目稿」の第一回を発表することができた。
 調査にあたってはなるべく当時の原本を所蔵する方向で進めた。これは調査を進めていくうちに実感したことだが、当時の雑誌には挿絵画家の署名のないものも多く雪岱の挿絵に気づかず見逃してしまう事もあった。ある雑誌を再確認していた際に、無署名だが明らかに雪岱によるものとわかる挿絵を新たに発見した。確認の甘さを問われればそれまでだが、これも原本を所持していたおかげで気づけたと言えるだろう。その結果、事務所は雪岱挿絵に関係する雑誌で埋め尽くされてしまったが……》(編集後記)



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by sumus2013 | 2018-03-01 20:03 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

「雪岱調」のできるまで

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『小村雪岱 「雪岱調」のできるまで 生誕一三〇年 小江戸文化シリーズ4』図録(川越市立美術館、二〇一八年一月二〇日、デザイン=安藤剛史)より雪岱のポートレイト、昭和十一年十一月、平河町の自宅にて、四十九歳。歿するのは昭和十五年十月十七日。

開館十五周年記念展。雪岱は川越出身である。

《本展では、多岐にわたる雪岱の画業から、とりわけ挿絵の仕事と、その中で育まれた「雪岱調」とよばれる独自の絵画スタイルに注目します。一堂に会した挿絵原画の数々を通して、美しい筆線や繊細な感性、そして雪岱調」が誕生する過程をお楽しみいただけましたら幸いです。》(ごあいさつ)

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白紙を生かしたスミ(墨)だけの図録の表紙がうつくしい。

雪岱調」とは、簡単に言えば、ビアズリーと春信の出会いという感じがするのだが、ビアズリーは明らかに浮世絵の影響を受けているので、大きく見れば、浮世絵の二十世紀的解釈のひとつと考えた方がいいのかもしれない(そんなこと、どうでもいいですけど)。

装幀本や挿絵掲載雑誌などと本画・原画が対等に展示されている雰囲気が図録からもうかがえる。これはきわめて二十一世紀的な展示コンセプトだと思う。二十世紀においては、ほとんどの美術展があからさまな本画主義であって、装幀・挿絵などのマルチプルな仕事は歯牙にもかけられなかった。作品としての版画でさえ軽んじられてきた。ところが、今日では、印刷資料を展示しない美術展はないと言ってもいいくらい、それら複製作品に対する処遇は変化して、本画と遜色ない(とは言い過ぎかもしれませんけど)扱いを受けるようになった、というか、藤田嗣治の本の仕事で展覧会が企画できるほどの時代になった。古本好きとしては慶ばしいかぎりと思う。

そういう意味で、象徴的な事件がこの図録に勃発している。

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《作品番号一〇八は、紙本墨画とされていましたが、調査の結果、作品番号一と同一の版画である可能性が浮上したため、出品を取り止めました。》

こんな文言の訂正紙が挟み込まれている。木版画と墨画の区別さえつかなかったのか! と責めるなかれ。これは案外難しいのだ。むろんルーペで仔細に観察すれば、馴れている人ならすぐに分かるはず。しかし、この手の超絶テクニックの木版画に馴れてないと、ついうっかり墨絵の肉筆だと勘違いしてしまう。これは小生自身もしばしば体験するところである。失敗談は下記に。

芸誌〈アピエ〉』30号 「漱石の絵ごゝろ」

雪岱などは、木版の方がいいくらいだ。肉筆の線の震えのようなタッチが木版の刀によって無機質な線に変化している、ムラのあるベタもまさに均質なベタになっている、そこがなんとも言えない雪岱調」を生み出しているような気さえする。

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by sumus2013 | 2018-02-23 20:25 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

藤田嗣治 本のしごと

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西宮大谷記念美術館で藤田嗣治の本の仕事を見た。予想以上にいい展示だった。数多くの書籍が集められ、絵画も版画やデッサンを中心に本の仕事にからめた作品が並んでいた。単なる藤田嗣治展とは趣きも違って新鮮だった。パリから友人や妻に送った便り、フランク・シャーマン宛の絵入りの手紙などもこまごまと綴られていて、この几帳面さはフジタの真骨頂とも言うべきもの(シャーマン宛絵手紙の多くがカラーコピーだったのはちょっと残念だったが)。フジタとパリで交友があり、芦屋に住んだ中山岩太、上山二郎や大橋了介らの作品も久しぶりに見るとなかなかいいものだ。

没後50年 藤田嗣治 本のしごと -文字を装う絵の世界-

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アンドレ・ケルテス撮影 c.1928



帰途、甲子園のみどり文庫さんへ。

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ツレヅレナルママニ(みどり文庫)
http://kturezure.exblog.jp

営業開始からおよそ一年半、かなり本も増えてきた。宅買いにも行っているそうで、けっこう珍しい資料などを見せてもらう。なかにフジタがありました。

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『シャンソン・ド・パリ解説書』(日本蓄音器商会、一九三八年一一月二〇日)。戦前シャンソンのコンピレーション・アルバムとも言うべきSPレコード「シャンソン・ド・パリ」に附属している解説書。レコード・ジャケット、解説書の表紙・挿絵をフジタが手がけ、エッセイも寄稿している。解説書だけでもめっけものである。詳しくは下記サイトなどで。

近代日本とフランス レビューとシャンソン
http://www.ndl.go.jp/france/jp/column/s2_4.html#data07

《戦前のシャンソンの到達点は、昭和13(1938)年、日本コロムビアから発売されたSP6枚組の《シャンソン・ド・パリ》である。本場の音源に歌詞と解説付き、しかも表紙や挿絵は藤田嗣治という豪華さ。レコードが1枚1円50銭であった頃に、11円という高値だったが大人気で、2千組の予定が1万2千組を売った。監修・解説の蘆原英了(1907-1981)は叔父藤田の影響でフランス文化に関心を持ち、シャンソンをはじめとするフランス文化の紹介者として大きな功績を残した。》

シャンソン・ド・パリ 第1集
http://blog.goo.ne.jp/konidolfine/e/21bb63abdb99156b8dde6fe0822c4a8e

SPレコード「シャンソン・ド・パリ」1938年
https://ameblo.jp/nihonyogaku/entry-12285306492.html

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by sumus2013 | 2018-02-10 20:31 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

節分星祭

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写真は昨年入手した「安倍晴明呪詛図」というふれこみの色紙大の大和絵。構図から見て、もう少し大きな作品を切断した一部でもあろうか。安倍晴明かどうかはともかく、何かの儀式を司る官人がかなり繊細なタッチで描かれている。時代は? よく分かりません。

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ということで、本日は節分。安倍晴明神社では「節分星祭」が行われる。


■晴明神社とは
平安時代に活躍された陰陽師「安倍晴明公」がお住まいになっていた住居跡に創建(1007年)された神社。魔除け、厄除けのご利益があるとされています。陰陽道において節分とは「陰」から「陽」へ「気」が変わる一年の大きな節目です。その節目の日に一年を通じて身についた穢れを祓う、それが節分星祭です。

陰陽師は天体の動きや風雲を観察して凶事の予兆を発見し、そしてそれを避けるための方法を示すのが仕事だったらしい。だから陰陽師は祓除(ふつじょ)の法を心得ていなければならなかった。

《そこで陰陽師は、占術のプロであると同時に、祭祀呪術のプロとなった。
 災いをもたらす宿星や星神を祀って禍事を祓ったり、天地五行の気を整えるために行う星祭り、星辰などの影響で活動が盛んになると考えられた疫神・鬼神・鬼気などを祓うための魔障祓いの祭祀が、彼らの職分となった理由はここにある。》

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その祭祀呪術の代表的なものが泰山府君祭であるという。東方をつかさどる泰山府君(太山府君、東嶽大帝、仁聖大帝。閻魔[焔魔]天の眷属の一人)は《人の命の長短を知り、生死や死後の魂の行方に関することがらをつかさどると信じられて》おり、天にあって人の生死をつかさどっていると信じられた北斗七星と合わせて「斗」と併称され、これらに関する祭祀呪術が陰陽道では最も重要視された。

ようするに人の生き死にを自由にあやつる、死者を蘇らせる、という術である。

《安倍晴明を祀る天社土御門神道では、泰山府君の法に用いる祭壇として、宗源壇、灑水壇[しゃすいだん]、太極壇、興国壇の四種を挙げている。
 この四種の社壇を設け、天地陰陽五行の行事をなし、祈禱を行い、祭文を奏上し、秘府、霊章、鎮札などを操作するというのだが、具体的な内容は秘伝とされている。》

以上は藤巻一保『安倍晴明』(学研M文庫、二〇〇〇年)より。

まあ、もちろん実際に死者を蘇らせることはできなかっただろうが(断言はしませんけど)、陰陽師を科学技術系の官僚と考えれば、泰山府君の法とは、今日的にはさしずめクローン技術あたりに匹敵するのかもしれない。

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by sumus2013 | 2018-02-03 20:32 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

やきものの在処

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もうずいぶん昔に求めた中国の磁器。明末清初というあたりと思うが、よく知らないのでわからない。当時は古道具市などでもこのくらいのものはけっこう見かけた。これなど、つぎはぎだらけなので安い買物だったことは言うまでもない。五百円とか、そのくらいだった。

どうしてこれを取り出したかというと、下の図録『やきものの在処』(武蔵野美術大学美術館・図書館/武蔵野美術大学造形研究センター、二〇一七年一〇月一〇日、書容設計=羽良多平吉)を頂戴したからである。深謝。

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武蔵野美術大学の陶磁器コレクションに加えて、大辻清司の写真(陶磁器そのものを撮影した作品および作品のなかに陶磁器が登場する作品)、絵画、デッサン、書籍(いずれも陶磁器と関係のある作品)を同時に展示するという企てである。ちょっと面白いアイデアだ。

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大辻清司「瀧口修造」1953


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大辻清司「小津安二郎」1957
「撮影所訪問:『東京暮色』の小津安二郎」


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宮澤賢治『春と修羅』関根書店、1924
および
「永訣の朝」原稿(宮澤賢治記念館蔵)


宮澤賢治『春と修羅』まで、どうして? と思ったら「永訣の朝」に陶器が登場していた。

 みぞれはびちよびちよふつてくる
    (あめゆじゆとてちてけんじや)
 青い蓴菜[じゅんさい]のもやうのついた
 これらふたつのかけた陶椀[たうわん]
 おまへがたべるあめゆきをとらうとして
 わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
 このくらいみぞれのなかに飛びだした

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そしてその前のページにこれら「青花馬文碗」と「青花人物文小皿」が掲載されている。

《明代末期の天啓期(1621-27)に作られた青花や赤絵は、屈託のない絵付けや粗略奔放な作りから江戸時代の茶人たちの好みにかない、日本に多く伝わったといわれている。》

そういうわけで最初の小皿を思い出したというわけです。直径は十三センチほど。飲食には使いにくけれど、ちょっとした小物を容れるのにはもってこいである。

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by sumus2013 | 2018-02-01 21:03 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

無花果珍寶EACH萼秘寶展観

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新春吉例、第三回 無花果珍寶EACH萼秘寶展観」の展示の様子。昨年につづいて今回も二点出品させてもらった。美術研究者の方々がほとんどなので、普段ではあまり見られないような、まさに珍宝が並んでいる。ご興味のある方はぜひご覧ください。本日より三日間です。

場所:小大丸画廊(小大丸ビル3階)
大阪市中央区心斎橋筋二丁目二ノ二十二 電話 〇六・六二一一・三〇二三

日時:平成三〇年一月二六日(金)~二八日(日)
時間:午後十二時~十八時(最終日四時三〇分)

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松井正「冬景」1934


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白瀧幾之助「スイス ベルン」1923


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新春吉例、第二回
無花果珍寶EACH萼秘寶展観

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by sumus2013 | 2018-01-26 09:34 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

雪中梅

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刺山……誰なのか分かりません。

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by sumus2013 | 2018-01-24 20:18 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

岡田米山人

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ちんき堂で求めた内の一冊がこちら。『特別陳列 浪華人物誌 近世大阪の画人 岡田米山人』(編集・執筆=松浦清、大阪市立博物館、一九九三年一月九日)。岡田米山人の手頃な参考書が欲しかったのでこれは嬉しい。今調べてみると、米山人に関する書物はそう多くはないようだ。昭和十六年の図録にはびっくりする古書価が付いている。

米山人並半江展図録
[岡田/米山人 画],[岡田/半江 画],大阪市立美術館 編纂 大阪市立美術館 1941
(大阪市立美術館展観記念図録 ; 第17)

岡田米山人と半江 : 近世なにわの文人画
大阪市立博物館 1976

古美術 岡田米山人・半江<特集>
三彩社 (通号 53) 1977-07

文人画粋編 第15巻 (岡田米山人)
岡田, 米山人, 1746-1820 中央公論社 1978


後日の参考のため、本書より岡田米山人の年譜を引き写しておく。

延享元年(1744)甲子 1歳
米山人生まれる。出自は不明。姓は岡田氏、名は国、字は士彦、通称は彦兵衛、号は米山人。

天明2年(1782)壬寅 39歳
子息半江生まれる。妻37歳。

天明3年(1783)癸卯 40歳
『蒹葭堂日記』の2月27日の条に「彦兵衛(割註ーー中西書状持参也)」が登場するのは、米山人のこととみられる。

寛政元(1789)己酉 46歳
『蒹葭堂日記』5月12日の条に「米屋彦兵衛」の名がある。

寛政2年(1790)庚戌 47歳
9月刊行の『浪華郷友録』の「聞人」の部に「田岡 字士彦号米山人 天満空心町 岡田彦兵衛」とあり、「画家」の部にも記載される。すでに藤堂家の藩邸内に居たものとみられる。

寛政3年(1791)辛亥 48歳
『蒹葭堂日記』10月6日の条に「米彦」 11月6日の条に「米山人」の号がはじめて記載される。

寛政5年(1793)癸丑 50歳
「如意道人蒐集書画帖」の副帖に、住所を「大坂天満川崎天神裏門筋北へ入空心町」と記す。

寛政6年(1794)甲寅 51歳
『虚実柳巷方言』巻上、唐絵の部に名。

享和2年(1802)壬戌 59歳
『浪華なまり』巻下、唐画の部に名。

文化5年(1808)戊辰 65歳
立原翠軒の随筆『此君堂漫筆』中の玉堂の談話に、藤堂藩大坂蔵屋敷留守居役七里鎌倉兵衛の下役として米山人登場。

文化10年(1813)癸酉 70歳
10月に没した篠崎三島の葬儀に藤堂藩大坂藩邸留守居役七里鎌倉兵衛と参列。

文政元年(1818)戊寅 75歳
妻没する。享年73歳。

文政3年(1820)庚辰 77歳
米山人没する。8月9日。


どうして岡田米山人が気になるのかと言うと、「米山人」と落款のあるメクリを一枚架蔵しているからである。安いのは安かった。その分状態はかなり悪かったのでプロに補修してもらった。

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本書の図版と比較してみると、どうも米山人にしては少々上手過ぎるように思える。また、署名の筆致もやや異なる。細かい比較はくだくだしいので省略するが、「米」がとくに違う。

この印はどう読むのか、「?天人」? 本書の印譜(かなりの数が集められている)には見えない。要するにギブツの疑いが濃いという結論になるかァ……。

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by sumus2013 | 2018-01-20 21:15 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

六月の風

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昨年、ある古書目録から入手したトポール資料。『六月の風』39号(UNAC TOKYO、一九八一年)、『六月の風』69号(UNAC TOKYO、一九八五年)、絵葉書一枚(トポール「成功への3つの道」より「意志によって」、UNAC TOKYO)。

上の図は69号を展開したところで、トポール展のポスターになっている。

《一九七二年カンヌ映画祭でアニメーションでは初めて審査員特別賞を贈られているトポール+ルネ・ラルーの映画「ファンタスティック・プラネット」が漸く来日し上映中だ。パニック・シアター(電三五九三七九四)ではトポールの戯曲「麗しのモナ・リザ」を上演(七月二日七日)さらに第二弾「暗闇のバタイユ」を暮から正月にかけて新宿で上演するという。漸く漸くトポール旋風が吹こうとしている。六月の風39号にトポール版画の特集をしているが、今回その後の新作版画とあわせ、魅力あるトポールポスターを初公開する。》(69号より)

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見開きの冊子が39号(その下敷きは、ウナック・トウキョウの封筒)、右が69号を折畳んだときの表紙。39号の記事は以下の通り。

・アラバル 『トポール作品集《白日夢》』(一九七五)の序文
・トポール近影 田原桂一
・R・トポール意外性の美 河野多恵子
・招待席(トポールとの会見記 海上雅臣

・引 加藤郁也
・「俎」に寄する郁山人の「引」の解 海上雅臣
・井上有一小品集「俎」 村木享子


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そして69号の内容はこうである。

・砂漠のボッス 浅田彰
・時ならぬトポールの季節にあるいは既視感の美学 松田政男
・お知らせ(井上有一の訃報/ロラン・バルトの絵画作品展)

《井上有一が死んだ。六月十五日午前九時五十分。七日から劇症肝炎を発し昏睡していた。六十九才。六年前の春、四ヶ月間東海大学病院に入院し、肝硬変と診断された有一は、この病状で七十をこした人はいないと云い、用心に用心を重ねながら、すさまじい制作活動をつづけていった。活溌に生まれる作品の前に、当人が感じていたであろう死の予感は、誰も実感していなかった。五月二十六日喜久江夫人と共に上野の博物館に行き無準師範書「東西庫」に見入った。二十七日大磯の北園武の工房に出かけ版画を試み銅板に直接クギでひっかいて書いた。二十八日は六月の風の会会員今本有紀子来訪を受け談笑した。翌日から食欲なく微熱が出て、風邪かなといいながら六月三日ようやく東海大病院にゆく車中で黄疸を発し、翌日入院。そうして七日突然昏睡してしまった。そのとき貴重な活動は終った。告別式は六月十八日藤沢の妙善寺(日蓮宗)で、喪主喜久江夫人と長女花子、長男徹と、葬儀委員長海上雅臣により行われた。

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こちらは『和楽』(二〇一四年四月)の綴じ込み附録、井上有一の作品「!」。昨日飾ったばかり。で、たまたまトポールの資料を取り出してみると井上有一の記事が出ていたというグーゼン。

また、『六月の風』69号で触れられている映画「ファンタスティック・プラネット」のちらしも入手した。これはべつのところから。シネ・ヴィヴァン・六本木でモーニングショー五月二日、レイトショー五月三日〜八日となっている。発行年は明記されていないが、上の記事から一九八五年と思われる。

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by sumus2013 | 2018-01-17 21:12 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)