林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:雲遅空想美術館( 152 )

岡崎和郎/瀧口修造

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『to and from Shuzo Takiguchi / to and from Kazuo Okazaki』(ART OFFICE OZASA inc.、二〇一八年一月、デザイン:西岡勉)が届いた。昨年一月に開催された展覧会のカタログ。

デュシャン生誕130年記念「瀧口修造・岡崎和郎二人展」

一年以上経ってやっと出来上がったわけだが、時間がかかったのもむべなるかな、これがかなりの意欲作。デザインは西岡勉氏。国立国際美術館や京都国立近代美術館の数々のカタログをデザインしておられ、その斬新さにはいつも感心させられる。本カタログでも、作品図版をあえて4色にせず、二色刷の版画のような効果を持たせている。

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瀧口修造の詩(英訳)「彼の微笑、それから 岡崎和郎に」

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そして、造本にも工夫が凝らされている。ハードカバーで言うところのホローバック(背と表紙が接着されておらず、本を開くと空間ができる、開閉が容易になる)だが、閉じているときは並製のくるみ表紙のように見えるところがミソ。厚紙の表紙の上に厚手の上質紙を貼付けつつ、背の部分だけは糊を着けずに、トンネル状に折目から開くような仕掛けである。内側の朱色も利いている。

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カタログそのものがオブジェと呼べるような作品になっている。

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by sumus2013 | 2018-04-11 17:25 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

無花果観桜会2018

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毎年恒例のいちじく観桜会が高津宮で催された。今年は花が早くて、ほとんど散りはてていた。昨年は都合がつかず不参加だったので勇んで駆けつけた。今回もさらにレベルアップというか、みなさん、気合いが入っている様子がひしひし伝わる。最近テレビでお馴染みの歴史家I先生も初参加、聞くところによると、浦上玉堂の後裔でいらっしゃるとか。歌や手紙の解読に引っ張りだこであった。やはりみなさん、草体の文字は容易に解読できないとみえる(小生は言わずもがな)。

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肥田皓三先生もお元気な姿をみせておられた。腰は少しかがんでおられるが、二本杖を操って、矍鑠たるもの。某氏持参の南木芳太郎宛葉書をまとめてスクラップしたものをご覧になりながら、「この人は新聞記者でんな、この人は俳人」などと生き字引振りを発揮しておられたように思う。

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毎度異色の作品を持参されるP・Bさん、今年の一軸。暗くてピンぼけの写真になってしまったが、メモ代わりに掲載しておく。島成園の「思出」。表情がなんとも言えない。他にも珍しいものたくさん。たいへん勉強になりました。

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by sumus2013 | 2018-04-08 19:51 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

春月

春が終らないうちに春の短冊を二枚ほど追加。壹枚目、状態が悪くて(ここで披露するのはたいてい傷んでいますが)二文字ほど剥落している、そこが問題だ。

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貳枚目、こちらは、小生にはちと難しい……。日暮?

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by sumus2013 | 2018-04-07 19:57 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

山さくら

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まだ桜が咲いているうちに出しておく。これはすらすらと上手にしたためられており、読みやすい……。

山さくらあゝ春色をみつるかな
はなちるへくも風ふかぬよに

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by sumus2013 | 2018-04-05 20:45 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

よはおぼろ

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新年度になったので短冊を(?)。よし野の花(!でした)を見てよめる……。


夜はおほろ昼はかすみに色そひて
はなに長閑けきみよし野の山 龍範


ご教示に深謝です。龍範、さてどなたでしょうか。

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by sumus2013 | 2018-04-03 17:44 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

伴蒿蹊?

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伴蒿蹊という触込みのマクリを入手した。伴蒿蹊と言えば『近世畸人伝』(寛政二年1790、京都にて出版)の作者である。これはまちがいなく江戸文学の傑作。実際、よく売れて、多くの類書が現われた。岩波文庫版の解題に森銑三はこう書いている。

畸人傳中の人々を慕つて、その筆蹟を蒐集した人々もあつた。故林若樹氏の所蔵せられてゐた吉光片羽と題する一巻は、京都の富士谷家より出たもののよしであるが、その内容は畸人傳正續兩篇中の人々の墨蹟を輯めたので、その數四十餘人に及んでゐた。そしてまた明治二十六年四月には、名古屋に於てそれら畸人傳中の人々の墨蹟遺品の展覧會が催され、ついでその時の出陳目録も刊行せられた。私も故野村時哉翁より贈られて一册を藏してゐるが、それには京都の富岡鉄齋翁も關係して、數點出品の上に、その目録の題簽、扉、序文、挿繪等を揮灑してゐる。

いつの時代にも自筆モノ蒐集家はいるものなのだ……登場人物の筆蹟を集めたくなるくらい人気の高い著作だった。

ということで、これを求めてはみたが、当然ながら伴蒿蹊の真筆なのかどうかは分からない。歌の署名に「閑田子題」とあって、蒿蹊は閑田廬」とも号したので、おそらくそうではないか、という程度。絵を誰が描いたか、も定かではない。ただ、絵描きの絵でないのは確かだ。むろん屏風剥がしかもしれず、これが全図とも思えない。

この歌が難読だ。あれこれ読解を試みているが、なんともスッキリしないところがある。例によって、御教示いただければ幸甚なり。

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いく里のねむりの夢をさますらんこの山寺のあかつきのかね

以く里能袮無利乃夢越
左満壽らん古能山寺能
安可津起農可年

御教示に深謝です。里と壽のところで悩んでいたのですが、なるほど腑に落ちました。

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by sumus2013 | 2018-03-27 20:46 | 雲遅空想美術館 | Comments(3)

ポスターの魔法

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『サヴィニャック パリにかけたポスターの魔法』(練馬区立美術館他、二〇一八年)図録。サヴィニャックのポスターは七〇年代に初めてパリへ行ったときにしばしば見かけたような気もするが、あまり記憶に残っていない。もうすでに時代遅れな感じになっていたのかどうか・・・たぶんそうだったような。

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図録をめくりながら思ったのは、日本でも知られているフランスの企業が案外とたくさんあるんだなあ、ということ。マギー・チキン・ブイヨン(スイスでした)、ヨープレイト、オランジーナ、ペリエ、テファール、セブ、ヴィシー……やはりフランス、ほとんど食品か食品に関係する会社である。サヴィニャックは日本の企業ポスターも手がけており、ここには、としまえん7つのプール(1989)、サントリービール(1979)、森永ミルクチョコレート(1958)が掲載されている。

両親はともに南仏のアヴェロン県出身。ボンマルシェ百貨店の配送係と売子をしており、サヴィニャックは一九〇七年、パリ15区に生まれた。両親はその後、食堂やカフェの経営を始め、つぎつぎ店や住居を移って行く。小学校は14区、店はまず13区、そして12区へ。さらに2区に店、17区に住居。8区のコレージュ(中学校)に通う。コレージュを中退して6区のパリ地域公共交通公団で働く。両親は4区のカフェを購入(住居兼)。兵役を終えてフリーランスになる。8区サン=ラザール駅近くに下宿、カッサンドルのアシスタンになる(およそ五年間)。6区ジャコブ街に転居。第二次大戦で召集される。結婚し6区ジ=ル=クール街に居を定める(1940)2区ヴォルネ通にスタジオ・自邸を構える(1954)。14ヴィラ・ブリュンヌへ転居(1971)。カルヴァドス県に住宅を購入(1979)。トルーヴィル=シュル=メールへ転居(1982)、同地で死去(2002)。

15区は下町、繁華街、まあ上野・浅草というところか。これは地方出身者の上昇志向がうかがえるような転居の軌跡である。パリの区割りはド真ん中の1区から右回りにカタツムリの殻のようにぐるりと二回転して20区まである。ごく単純に数字の若い区が中心地に近く賑やか、東西に分ければ西側の方が高級である。周縁部および、19区、20区あたりが庶民的というか雑居感が強い地域になる。サヴィニャックもバリバリ仕事をするときは2区、引退すれば海辺の温かい町に住むという成功者の典型的なスタイルではないかと思う。

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by sumus2013 | 2018-03-13 21:17 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

ジャコメッティについて

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矢内原伊作+宇佐見英治『ジャコメッティについて』(用美社、一九八三年一〇月二六日)。つい先日ミドリ文庫さんで求めた。矢内原がジャコメッティの絵画のモデルになったときの回顧談が面白い。

《そして、午後の一時或は二時ごろから仕事が始まって、延々とそれが続いて、夕方の四時、五時になる。パリは暮れるのが早いから、四時ごろになると薄暗くなるけれども、薄暗くなってもやめない。もう少しやれば真実に近づく、真実に到達できないまでも、真実に少しでも近づくと思うからやめられない。》

パリ、夏はなかなか暮れないが、冬は早い。

《けれども、本当に暗くなれば何もできないからやむを得ず筆をおく。そして近所のカフェーに行ってコーヒーを一杯飲み、一休みして、またアトリエへ戻って、今度は電灯をつけて同じ仕事を続けるのです。
 しかし、昼間のタブローをそのまま続けるわけにはいかないから、別のタブローでするのですが、今度は夜の電灯の光で、しかし同じ距離、同じポーズで、同じ仕事を続ける。そして夜の十時になり、十一時になり、十二時になってもなかなか彼は筆をおかない。つまり、もう少しやれば、「目に見えるものを見える通りに」という年来の宿願、これまで誰もできなかったことができるかもしれないという期待があるから、「もう少し、あと五分」と言いながら、その五分が十五分になり、三十分になり、一時間になるという調子で、なかなかやめない。》

これは油絵の描き方としては素人同然である。油彩画というのは、続けて何時間もなでまわす材料ではないのだ。すくなくとも伝統的な(合理的な)技法としては。要するに、ジャコメッティにとってはそんなことはどうでもいい、不可能への挑戦を続ける、それだけである。

もうひとつ矢内原の観察で興味を引かれたのはジャコメッティがモノの置き方にこだわる性格だったこと。

《例えば、テーブルに座って、コーヒー茶碗をどこに置けばいいかということが彼には気になる。空間に於ける物の配置を考えるわけで、この灰皿に対してどの辺の距離にあるのが正しいかと考える。それは一種の偏執狂的な癖でしょう。
 若いときはもっとこれがひどかったらしい。例えば、紙屑籠に紙屑を捨てるときに、ただ捨てれば何でもないことだけれども、その紙屑籠の中のどの辺に落とせばいいかがわからなくてとても困ったといった話がある。夜寝るときに脱いだ上着をどこに置いていいかわからない。正しい位置にきちんと置くとはどういうことかということが気になる。》

ジャコメッティは「正しい」とか「真実」へのこだわりが人一倍強かったようである。それにしてもクズのクズカゴにおける「正しい」場所とは……恐るべし。

これも矢内原の発言、ジャコメッティの印象深い言葉。

《ひとつだけあげるとしたら、ジャコメッティが死の直前に書いた言葉「彫刻とか絵画とか、そんなものはたいしたものではない、試みること、それだけがすべてだ」という言葉をあげたいと思います。

やはりこれは実存主義的な発言かなと思ったりもするが、まあ、そんなことはさらにどうでもいいことだ。

この対談、元は、一九八〇年、表参道の Galerie 412 で開催されたジャコメッティ展会場で行われたそうだが、それを書籍にするにあたって改めて対談し直したという。聞き手を同ギャラリーのオーナー村越美津子が務めている。



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挟み込みの用美社出版のしおり。四つ折りのなっている紙の片面だけ。『京都画壇周辺』がでている。それにしても加藤一雄の本の話はどうなったのかなあ……。

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by sumus2013 | 2018-03-12 20:40 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

中澤弘光

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『中澤弘光 明治末〜大正〈出版の美術〉とスケッチ』展図録(武蔵野市立吉祥寺美術館、二〇一八年)を頂戴した。深謝です。上はちらし。この展覧会もまた本と美術が対等に取り上げられている。

中澤弘光は金尾文淵堂の豪華本をいくつも手がけている。

《晶子さんの歌集には、私も二三装釘した。あまいものではあったが、舞妓などをかいて見たりした。新訳源氏や栄華のも何冊かやったが、いつも大急行といふ金尾式注文で、しかも木版極彩色といふので、意匠を考へて、友人に手伝って貰ったりしてやっと間にあわせた。》(本図録より、初出は『書物展望』46号、一九三五年九月)

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山川登美子・増田まさ子・与謝野晶子
『恋衣』本郷書院、一九〇五年一月一日、初版


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雑誌の仕事にも、春陽堂の『新小説』をはじめ、見るべきものが多い。小生の貧しい書架にはないものばかり。唯一、中澤弘光『回想の旅』(教育美術振興会、昭和十九年二月十五日)が見つかった。挿絵付きでまとめた紀行文集。「巴里日記の中より」から古道具を冷やかすくだりを引いておこう。

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《私の道楽は古道具屋を覗くのが第一であつた。語学が零で、懐中が乏しくて、対手が利いてゐるといふのに、臆面もなく扉を開けて入るのも、旅人といふ気持である。黒い服に白い髭で眼鏡などを出して、道具屋のおやじはどれも同じタイプだ。日本人か支那人かと聞いて、さうだらう、日本人だらうなどと煽てる。うす髭のある婆さんが出るところは多くはけちで、堀[ママ]り出しは出来ない。直ぐ、アンシアン、埃及、波斯とくる。くだらぬ破片を持ちだして、タナグラの首、埃及の油壺など、いくらでも奥から運んでくる。土人の作つたものが近頃流行で、恐しく高い。古本や挿絵の中からドーミエ風のクロツキーを見付け出すと、セーヂョリー・ドーミエと、向ふから高さうな顔をする。二百フランでいゝと脅かされる。然し、買ふばかりが楽しみな訳ではない。美術館で画を見るのは、勤めで肩が凝る。道楽は骨董屋のひやかしに越すものは無い。》[旧漢字は改めた]

図録の年譜によれば、中澤がヨーロッパを巡歴したのは大正十一(一九二二)年である。すでにアフリカの彫刻が人気だったことが分る。ポール・ギョームがパリで初めてのアフリカやオセアニアの美術展を開催したのが一九一九年だから、さもありなん。

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by sumus2013 | 2018-03-05 20:43 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

ブラリ元町

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神戸元町へ。戸田勝久さんの「書物の仕事/挿絵・装釘」を1003さんで拝見した。卒業制作として作った本が、もうほとんど完成形に近い戸田好みの仕上がりですっかり感心してしまう。加藤一雄の限定版、そのさらに桐箱、保存函付という戸田さん所蔵本がまた見事な出来映え。これは欲しくなります(天下一本とはこのこと)。珍しい青焼き詩集もあって戸田さんの本の仕事の奥深さを堪能できる展示になっている。

1003さん、初めての訪問。本の数は少なめだが、見やすくていいし、セレクションからして信頼できる本屋さんだとすぐに分る。南京町の西安門(上写真)から徒歩30秒。

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戸田勝久・書物の仕事/挿絵、装釘
2018年3月1日〜12日
1003
https://1003books.tumblr.com



久しぶりに元町通りを七番街あたりまで散策してみた。けっこう賑やかな、土曜日だったせいもあるかもしれないが、雰囲気だった。おしゃれな店もいろいろできている。そんななかで、変わらないのが文紀書房。店頭の紙モノをあさる、あさる。

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印刷物の一枚ものがほとんどなのだが、それでもいくつかの箱には自筆のマクリや版画などが重ねてあった。そのなかから拾い出した一枚がこちら。俳画のマクリ。

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どなたでしょうかねえ……。恵以との御教示いただきました。とすると、これは赤尾恵以(あかお・えい)ですね。赤尾兜子の奥さん。

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by sumus2013 | 2018-03-03 20:41 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)