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カテゴリ:雲遅空想美術館( 228 )

世界名画物語

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たまたま山田邦祐『世界名画物語』(研究社、昭和六年八月二十五日第三版)を見ていると、先日紹介したモネの睡蓮が図版になっていた。

《クロード・モネは、晩年齢八十を越しても、なほ製作から離れなかつた。巴里を去ること数十里、青い、美しい空をもつジヴエルニーの画室で、彼は最後の大作、それは祖国フランスへの贈物とすべき「睡蓮」の製作に没頭しはじめたのであつた。この作品は、彼が晩年の安住の地としてゐたジヴエルニーの邸園の中にある蓮池の描写で、実に十九枚の連作より成り立つものである。》(p250)

としてその「睡蓮」のモノクロ写真版が口絵として挿入されている。これを先日紹介した『図説モネ「睡蓮」の世界』で探してみると、オランジュリー美術館の第二室南面の左側の柳あたりではないかと思うが、どうやら写真は完成作ではないようで、すこし図柄が違っているようにも思える。まだイーゼルに載せられているようだし。

世界名画物語_f0307792_21221160.jpg

本書の初版は一九二九年だからおそらくそれに先立つ何年か以前にモネのアトリエを訪ねた日本人(正宗得三郎か)が撮った写真ではなかろうか。これにつづいて正宗の訪問記も引用されている。

《第二のアトリエは、非常に大きなバラツク式で、睡蓮の大作を描くために、わざわざ造られたアトリエで、中央のテーブルには、エドアル製の特別大きなチウヴが、絵の具屋のやうに列んでゐる。このアトリエに製作中の睡蓮の連作は、ジヤンルン ヅ チウレリの中に出来るモネ美術館のために描いてゐるので、翁の話では、戦前から着手してゐるが、いまだ一枚も完成した作品がないといふことである。その大きさは五六間大の大きさで、それは一枚一枚下に滑車がついてゐる台に載つてゐて、室内を自由に運べるやうになつてゐる。》(p251)

正宗は(正宗白鳥、敦夫の実弟)大正三年から五年、および十年から十三年、にかけてヨーロッパで絵を学んでいた。その間にジヴェルニーを訪問したものだろう。上の引用には出典がないが、正宗には『画家の旅』(アルス、一九二五年)という著作があり「モネー翁を訪ふ」という文章が収められている。文中《第二のアトリエ》とあるが『図説モネ「睡蓮」の世界』年譜によれば一九一五年に「大装飾画」を描くために建設した《第三のアトリエ》のようである。

また、正宗と同じ頃、一九二一〜二二年にかけて松方幸次郎(松方コレクションの)が矢代幸雄とジヴェルニーを訪れモネから直接「睡蓮」などの作品を購入している。「大装飾画」シリーズのなかでは唯一手放した作品だそうだ。松方の豪快な買いっぷりにモネも驚いたようだ。モネの自宅に掛かっている絵をステッキで示しながら十八点を所望したのだそうだ(矢代幸雄による;ウィキペディア「松方コレクション」より)。松方コレクションの作品すべてが日本に戻っていたら、かなり充実した内容になったのではないだろうか。

ところで本書『世界名画物語』というタイトルなのに、ほとんどがヨーロッパの画家ばかり。唯一東洋から光琳を選んでいるだけ。

世界名画物語_f0307792_07480000.jpeg


「倉敷から遠いで」さんからご教示いただきました。「モネー翁を訪ふ」に付されたこの写真の絵のところだけを拡大したのが上掲の写真のようです。

同じ時期の写真がFacebookの「Impressionism」さんに出ていた。近頃、昔の写真をカラーで復元するというテクニックが進んでいるらしい・・・

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by sumus2013 | 2020-05-20 21:27 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

涼しさや

涼しさや_f0307792_20073345.jpg


涼しさや_f0307792_20073638.jpg


このところまったく短冊に恵まれていないので(今週あたりから古本屋さんもようやく再開しはじめましたが)、ゴソゴソと箱のなかをあさって、これまでの収穫から二枚ほど紹介する。夏らしい俳句を。おそらく戦前昭和あたりかと思うが「二水」という署名がある。検索してみてそれらしいのは川端茅舎の弟子だった藤原二水だが・・・さてどうだろう?


 涼しさや美々に松風眼に白帆 二水


 古ひても風新らしき
       団扇哉 二水




by sumus2013 | 2020-05-19 20:19 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

美を求める心

美を求める心_f0307792_17284157.jpeg


こちらもゴーリーにて。マサキング氏の箱から。『生誕百年記念 小林秀雄 美を求める心』(新潮社、2003年7月20日2刷、装幀=新潮社装幀室)。同展の図録だが、増刷している。シックな装幀が悪くない。

小林秀雄は白樺派チャイルドなので美術の面でも彼らの影響下にある。というか、ある時期の日本人は全て白樺派の美術観に染まっていた。なんとなれば、美術の教科書が白樺チャイルドたちによって作られたからである。

本書も絵画の部では、ゴッホ、モネ、セザンヌ、ルノワール、ドガ、ピカソ、マチス、ボナール、スーチン、ルオー、梅原龍三郎、中川一政、奥村土牛、富岡鉄斎、熊谷守一、少し若い世代では地主悌助、東山魁夷らの作品が掲載され(展示され)ている。この辺が書斎派「近代絵画」の代表であろう。鉄斎に惚れ込んだのがちょっと目立つ。

美を求める心_f0307792_17283536.jpg

美を求める心_f0307792_17282862.jpg

ルオーの作品は粒が揃っている。小林秀雄自身も何点かコレクションしていた。図録の作品では三点のタブローと版画集『ミセレーレ』が旧蔵となっており、なかではこの皿(裏面には花が描かれている)が逸品。

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熊谷守一の書「ふくは うち をには そと」、これも旧蔵。ちょっと欲しくなる。安心して見られるのは陶磁器類。昭和十三年、小林三十六歳、日本橋の骨董店「壺中居」で《初めて骨董、葱坊主を描いた李朝の徳利を買う。これを昭和一五年、ないし一六年のこととする記録もある》(本書「小林秀雄美の年譜」)ということで、陶磁器については青山二郎の薫陶よろしきを得た、ということだろうか。青山と相識ったのは二十二歳のときであった。

青山から離れて、昭和四十年、六十三歳、《この頃から勾玉に凝る》(同前)。その勾玉コレクションがなかなかよろしい。

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勾玉で遊んでいても絵になる小林秀雄


最初に買ったのが李朝の徳利なら、最後に買った骨董は、鎌倉時代の掛仏(かけぼとけ)、銅でできた直径二十一センチ余りの円板に阿弥陀仏が浮き出ているもの。

上記年譜によれば、昭和五十七年、八十歳、三月に入院した。

《三月……入院。
 四月……八〇歳の誕生日に外泊許可を得て帰宅、自ら植えた枝垂桜を見る。最後の花見となる。
 九月……退院。一二月末から自宅でセザンヌの「森」を見続ける。

 昭和五八年(一九八三)
 三月……一日、永眠。法号、華厳院評林文秀居士。》

最期のときに眺め続けたセザンヌの油彩画「森」は小林のためにある人が貸してくれたものだそうだ。現在は清春白樺美術館に所蔵されているとのこと。

by sumus2013 | 2020-03-23 20:19 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

俳句短冊二点

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同じ手になる句短冊二枚。作者は現代の人だろうが、署名がまず読めない。こなれた書き振り。少し前に求めて、どう読めばいいのか、ずっと考えているのだが、分からない。ご教示を。最初はどちらも「飯」だろう。二文字目が?

 飯 てぬ庭をつゝむ木もなく

 飯  ぬ いでゝは 帰ること 忘れ

グレーの二文字目は「徒(つ)」か・・・つゝミぬ?

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***


「倉敷は遠いで」さん、南陀楼綾繁氏の「シリーズ古本マニア採集帖」に登場!

第14回 倉敷から遠いでさん ぼやきながら集めるひと


by sumus2013 | 2020-03-10 20:55 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

瀧口修造の〈本〉

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慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center
アート・アーカイヴ資料展 XX:影どもの住む部屋II―瀧口修造の〈本〉―「秘メラレタ音ノアル」ひとつのオブジェ 

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すでに終わってしまったが、その展示のリーフレットを頂戴したので、それだけでも眺めて自らを慰めよう。瀧口修造の手作り本が三十点展示されたようだ。これらの小さな図版だけからでも、瀧口修造の本作りへのこだわりとセンスの良さがうかがえる。リーフレットは表紙と本文(一枚が一冊の本の説明になっている)を綴じずにくるんだだけ。本の図版はシールになっており、剥がしてどこへでも貼り付けられるようになっているが、これはもったいなくて剥がせない。

リバティ・パスポート



by sumus2013 | 2020-02-22 17:14 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

行行何處

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少々傷んでいるが、なかなか達筆な漢詩マクリを求めた。署名は「半谷」。古本屋で手にしたとき、漢詩はたぶん本場のものかなと思ったが、帰って検索してみると、やはり唐代の人、雍陶(ようとう、789〜873、詩経の研究者と伝えられる、字は国鈞)の「途中西望」であった。

行行何處散離愁
長路無因暫上楼
唯到高原即西望
馬知人意亦回頭

一点、このマクリでは「唯」が「惟」のように書かれている。

行行何處_f0307792_17361574.jpeg

半谷とは野田半谷(1819~1898)であろうか。それならば、津藩士で書家。名は可復、字は謙之、半谷は号。津藩士で鎗術の名家。篆刻をよくし書画も巧みだった。

この印は「采[?]外史」・・・読者の方よりご教示いただいた。「蝨」ではないかと。これは《「虫」は虫でもコロモジラミ辺りでしょうね》ということなので、シラミを取る外史(ガイシは称号と考えておきましょう)でシャレにはなっている。


*****

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川島先生の往時をしのばせる写真が出てきましたので、掲げておきます。下鴨の森にて。

古本とは何たるよろこびか!

by sumus2013 | 2020-02-19 20:22 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

遠山雪

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「御題/遠山雪」とある短冊。さして上手というわけではないが、季節柄取り上げてみた。御題遠山雪は、検索してみると、大正六年の歌会始の題である。よってこの短冊も大正六年作とみていいだろう。

歌の方が読めない。署名もどう読めばいいのか。

 勇たかなる御代の姿よ⬜︎⬜︎⬜︎
 ふ士の高ねにつもるしら雪 ⬜︎⬜︎



by sumus2013 | 2020-01-26 20:36 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

米芾「西掖黄樞帖」



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書初にちなむわけでもないが、新年最初は拓本を掲げてみたい。

昨秋、寺町の古本屋でゴソゴソと紙モノを漁っていたところ、郵便の定型封筒よりひと回り大きいくらいの紙袋が目についた。表に「米芾墨跡」とある。中には折りたたまれた拓本が四枚。おもむろに広げてみると「西掖黄樞近東曹紫禁連」云々という漢詩が白黒反転でくっきりと摺られている。書には疎いが、なかなか暢達な書きぶりだと感じた。

詩の後に付された短いコメントに劉基という署名がある。どうやら十四世紀の軍人、詩人のようだ。丁丑夏に友人が米芾の書を見せてくれたのでここに題をしたためると記されている。劉基の生没年からすればこの丁丑は一三三七年だろう。ネットで調べてみると、この拓本は「西掖黄樞帖」と呼ばれており、そのオリジナルは中華民国を統一した蒋介石の手許にあったらしい。おそらくそこからコピーして作られたものではないだろうか、門外漢にはよく分からないが。

詩の末尾には「元豊元年秋八月戯筆 米芾」とある。元豊元年は一〇七八年、米芾二十七歳。日本なら承暦二年、藤原時代の終り頃。米芾は宋の書の四大家の一人に数えられるそうで、ただし他の三人がみなエリート官僚だったのに反して、米芾だけは「米顚」、クレイジーと呼ばれるような一風変わった人物だった。

《彼は中国史上最初の、もっとも芸術家らしい芸術家であり、近世に特有の芸術至上主義の魁をなす者と言うことができよう》(杉村邦彦「米芾における奇行と探求」『書苑彷徨』二玄社、一九八六年)

検索してみると釈文が掲げられているサイトがあった。

釋文:
西掖黃樞近,東曹紫禁連。地因才子拜,人用省郎遷。
夜直千門靜,河明萬象懸。建章宵漏急,閶闔曉鍾傳。
寵列貂蟬位,恩深侍從年。九重初起草,五夜即成篇。
顧己無官次,循涯但自憐。遠陪蘭署作,空此仰神仙。
元豐元年秋八月戲筆米芾

題跋:
元章為人曠縱不羈,今玩其書,可想其人。丁丑夏,暮舟行龍,時友人持示米元章真跡,走筆題之。 劉基


by sumus2013 | 2020-01-02 20:09 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

雲無心以出岫

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つい先日求めた漢詩扇面を。雲無心とはじまる文は陶淵明の「帰去来辞」から。


雲無心以出岫、鳥倦飛而知還。
景翳翳以将入、撫孤松而盤桓。
帰去来兮。請息交以絶游。
世与我而相遺、復駕言兮焉求。


署名は「楊城居士」と読める。印も[大村/楊城][左書剣右]だろうから間違いなかろう。

大村楊城 おおむらようじょう
軍人。弘化三年(一八四六)名古屋生まれ。名は屯、尾張藩士。明治維新後軍人となり、明治二二年(一八八九)大阪連隊区司令長官に就任、以後大役を十年間努めた。温雅・度量広く酒を愛し書に勝れる。漢学に造詣があり、書を乞う者多く書家楊城としても喧伝された。大正二年(一九一三)二月六七歳没。墓は正念寺(天王寺区上本間町五丁目)にある「楊城大村先生墓」。》(森琴石関係人物紹介

by sumus2013 | 2019-12-22 19:54 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

豊貞の短冊

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上部がかなり傷んでいるが、少しばかり古そうな短冊を求めた。署名は豊貞。どなたでしょうか。そして、問題は、出だしのところをどう読むか・・・す(須)?



by sumus2013 | 2019-12-06 20:38 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)