林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:雲遅空想美術館( 202 )

林倭衛展 残された画帖をひらく

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後藤洋明さんから「林倭衛展〜残された画帖をひらく〜」展の案内を頂戴した。三月四日〜十六日。

《今展は長女・聖子さんがずっと大事にされていた十数冊の画帖(スケッチブック)を初公開、一部は手に取って見て頂く予定です。美術関係者の間では、林倭衛="肖像画家"(「O氏像」「H氏像」等による)と言われる事が多いのですが、自由奔放・勝手気ままに生きながら誰からも愛された林倭衛の人間性や本質は、文人画の様な水彩・墨彩画にこそ表れていて大変に魅力的なのです。

長昨年閉店した伝説の文壇バー「風紋』店主。『東京人』に「風紋の人びと|文・森まゆみ」が連載中)

後藤さんも《「風紋」はなくなるし、「信濃デッサン館」は閉じられるしで私の周辺はだんだんしぼんできます。》とメモを添えてくれていた。近くならぜひ見たい展覧会である。


林倭衛については小生も以前少しだけ触れたことがあったのを思い出した。

林倭衛「出獄の日のO氏」

「風紋」閉店の記事は多いが、ひとつだけリンクしておく。

bar『風紋』閉店 林聖子さん、いつまでもお元気でいてください

「信濃デッサン館」閉館についてはこちら。

信濃デッサン館は2018年3月15日に閉館し、
窪島さんは無言館の運営に専念されることになりました

by sumus2013 | 2019-02-23 19:42 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

河東碧梧桐展

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河東碧梧桐展におじゃました。一昨年五月についで二回目の開催。上図の飲中八仙歌をはじめ句軸などは碧梧桐が渡欧するにあたって世話になった素封家に元にあったものだそうだ。短冊も多数並んでおり、初期から晩年まで書風の違いを一望できる貴重な機会。それらは販売もされており、そう高くもない。今、碧梧桐はなぜか評価が低いそうで、そういう意味では買い時でもあろう。よだれが出たが、かろうじてよだれで止めておいた。

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その代わり、MORIS特製の碧梧桐缶バッヂを二個求めた。どこを取ってもサマになる文字ではある。

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河東碧梧桐展
2019年2月9日(土)〜2月17日(日)
MORIS
神戸市灘区八幡町2丁目10−11メゾン六甲202


by sumus2013 | 2019-02-14 19:55 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

暁別恋

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これは少々傷んではいるが、素性の知れた短冊である。この短冊が貼られた台紙には「園 従一位基福公」と但し書きがある。

園 基福(その もとよし)は、江戸時代前期の公卿。権大納言・園基音の子。霊元天皇の外伯父。主に明正天皇(109代)から東山天皇(113代)までの五帝にわたり仕えた廷臣で、官位は従一位准大臣まで昇った。園家14代当主。

寛永3年(1626年)叙任。以降累進し、侍従・左近衛少将・左近衛中将・蔵人頭を経て、慶安2年(1649年)に参議となり公卿に列する。その後踏歌節会外弁・権中納言を経て、万治3年(1660年)に権大納言となる。寛文9年(1669年)に権大納言を辞すと、貞享3年(1686年)には従一位に昇叙。霊元天皇の外伯父にあたる事から、権中納言を極官とする園家としては異例の准大臣宣下を蒙った。》(ウィキ)

折口信夫は「鶏鳴と神楽」で「暁別恋」と言えば鶏を引き合いに出すのは明治大正にいたるまで和歌のクリシェにすぎないが、じつは昔はもっと大事な役割があったと述べている。なるほど型通り、この短冊にも「鳥の音」という言葉が見えている。

by sumus2013 | 2019-02-10 20:47 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

タダジュン/小貫政之助

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かなり久しぶりにiTohenへ。タダジュン「DOORS」展を見る。銅版画だけでなくタブローも出ていた。文学作品を主題にしたシリーズでチョイスも渋い。好きな作家です。展示は明日まで。ギリギリになったが見ておきたかった。iTohenの本棚もさまざまな知らないアーティストの作品集などが並んでおり、ベンキョーになった。

iTohen


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その後、ぶらぶら阪急中津まで歩いて神戸三宮へ向かう。ギャラリー島田では小貫政之助展の初日。これはどうしても見ておきたかった。四十数点、ちょっとした回顧展である。ややムラ気な作風ながら、全体を貫くしっかりとした姿勢がある。松本竣介を感じさせるような街景もあった。どれもリーゾナルブな価格。初期の小品に心を動かされたが・・・小生の予算では・・・涙を飲む(一般的に考えればじつにお買い得と思うが)。


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ギャラリー島田


帰りは阪神電車で武庫川へ。久しぶりの街の草。加納さん、元気そうだった。ここでの買い物はまた改めて。



by sumus2013 | 2019-02-02 20:26 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

赤瀬川原平のコラージュ

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赤瀬川原平展「境界を越えてー巷のシュルレアリズム」(SCAI THE BATHHOUSE, 2001.9.2-10.14)および「ポスターハリスギャラリー オープニング企画 赤瀬川原平ポスター展」(Poster Hari's Gallery, 2001.9.2-10.27)の案内ハガキを頂戴した。

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コラージュばやりの昨今だが(小生もいろいろ作ってます)、赤瀬川にもこんな作品があったのかと驚いたしだい。さすが、コラージュの勘所を押さえている。

by sumus2013 | 2019-01-26 20:09 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

リバティ・パスポート

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リバティ・パスポート「石井滿隆のために」


巌谷國士『封印された星 瀧口修造と日本のアーティストたち』(平凡社、二〇〇四年十二月五日)の瀧口修造に関するところだけ読み終えた。巌谷氏は瀧口より十五歳年下だそうだが、学生時代に出会って以来親しく交際していた。

《一九七九年七月一日の午後、瀧口修造が亡くなったという報らせを、私はパリでうけとった。》

巌谷氏はあわてて帰国しようとしたがチケットが取れなかった。

《けっきょく空席は出てこず、パリにとどまらざるをえなくなった。その後も長いことつらい思いがのこった。》(リバティ・パスポート1)

不思議なことに、八年後、澁澤龍彦が死んだときにも巌谷氏は海外にいた。

《けれども澁澤さんは、その年の八月五日に亡くなった。
 私は旅先のドゥブロヴニクにいた。訃報が遅れてとどいた。予定を早めて帰ってきたとき、彼は黒い額のなかにしかいなかった。》(澁澤龍彦『裸婦の中の裸婦』をめぐって)

ドゥブロヴニクはクロアチアの都市である。ちょっと気になる偶然ではある。さて「リバティ・パスポート1」はこう続く。

《同年の三月にこちらへ発つ直前に、二度ばかり西落合のお宅へ招ばれていったものだが、その二度目のときに、氏はいつものようにちょっと照れくさそうにしながら、自作のロト・デッサンとアクロスティック・ポエムをとじこんだ「リバティ・パスポート」を手わたしてくれた。そのとき、「これが僕のつくる最後のパスポートです」と冗談のようにいわれたので、こちらも「そんなこといわないでください、でもなにかあったら飛んで帰ってきます」と冗談のようにこたえると、こんどは真顔に近くなって、「帰ってきてはいけません、あちらですることがあるはずです」というのだ。

また「リバティ・パスポート2」では次のように書かれている。

《私あてのリバティ・パスポートを瀧口修造自身から手わたされたのは、一九七一年二月のことだった。何日か前に電話があり、妻とともに西落合のお宅へ招ばれてゆくと、予告されていなかったそれ[二字傍点]が差し出された。

《当事者にしか通じにくい暗号めいた表現もある。総じて私の好きなイメージやイデーが驚くほど巧みに自然に読みこまれている。妻と私は照れくささもあって笑い、瀧口修造もまたいたずらっぽい目つきで笑った。》

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リバティ・パスポート「巌谷國士のために」


《ともあれ、四か月後の七月一日に瀧口修造は亡くなった。訃報に接して東京の綾子夫人に電話をすると、夫人は泣きながら「瀧口はいまパリへ行ったのです」といった。三月三日の言葉どおりに「最後のパスポート」となってしまったものを所持したまま、私は帰ることもできず、そのまま妻とともに旅行を続行するしかなかった。
 翌年の三月にもどって西落合のお宅へうかがい、夫人から二、三の遺品をうけとることになったのだが、ある意味でこの年の旅はいつまでもつづいている。瀧口修造没後も、私はさまざまな偶然の、あるいは必然とも思えるような出会いをした。とくに日本のアーティストたちとの出会いは、瀧口修造によって用意されていたことなのかもしれない、と感じられる場合が多かった。》

小生も世田谷美術館の瀧口展会場でいくつかのリバティ・パスポートを実見したが、こういうものをもらったら嬉しいだろうなと心から思った記憶がある。自分で作ってみるかな・・・

瀧口は一九五八年にパリのアンドレ・ブルトンを訪ねた。そのときの古本屋について書いた「パリの古本屋など」(一九五九年)というエッセイがあるようだ。読んでみたい。この訪問がきっかけとなって、瀧口修造はデッサンやデカルコマニイなどの作品を精力的に制作し始める。瀧口にとってブルトンというのは特別な存在、人生の指針だったようである。

引用したリバティ・パスポートの図版は『太陽』No.382(平凡社、一九九三年四月一二日)特集・瀧口修造のミクロコスモス、より。

by sumus2013 | 2019-01-24 20:44 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

朝あらし

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本年最初の短冊を掲げる。このところ収穫がないため、これは少し前に求めたもの。署名が読めません。益[ご教示いただきました]治・・・

 朝あらし宿のこす衞(え)はよきてふけ 
 はなとなかむるゆきもこそちれ 益治

by sumus2013 | 2019-01-20 20:14 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

奇想の系譜さらに

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引き続き、辻惟雄『奇想の系譜』について。なるほどと思った見解を三つほど引用してみる。そのひとつが曾我蕭白の「群仙図屏風」に自画像が描かれているという説(憶測)!

《さしずめ江戸版グリューネワルトといったところだ。その右の、鳳凰に簫を吹いて聞かせる漢王の赭顔も、京劇の役者が隈取したように人間離れしている。右端には麻衣とおぼしき鎖帷子のような衣を着け、髪もひげも茫々の、香具師の親分然とした人物(麻衣子か?)が小手をかざしてあたりを睥睨しているが、このあたりがことによると蕭白の自画像のつもりかも知れぬ。》

上の図がその香具師の親分である。全体はこんな感じ。

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「群仙図屏風」右隻


蕭白は円山応挙を軽く見ていたが、池大雅には一目置いていたらしい。

《ところが一方で蕭白は、同じく当時の売れっ子である池大雅とは、ふしぎにうまが合ったらしい。大雅がある時、そば粉を得たので、一度食べに来られよと蕭白をさそった。蕭白はすぐに応じて大雅の家を訪れ、雑談に時をすごしたが、あまりにも話に熱中しすぎて、ついにそばを食うのを忘れてしまった。おそくなって帰るというときに提燈がない、大雅が行燈をさし出すと蕭白はそれを持って帰った、という話は有名である。》

二人の画風はかなりへだたっているように見えて、じつは共通の絵画に対する問題意識があったということだろう。だから話が合った。大雅のアトリエについては以前紹介したことがある。

『零録』2 池大雅

『近世畸人伝』池大雅

もうひとつは、歌川国芳とアルチンボルドとの関係。

《国芳は、苦心して集めた西洋画や絵入新聞などを大切にしていて、訪れる人に見せ、自慢かたがた、自分はこれに倣おうとするがとても及ばないと嘆息したという。おそらくそうした秘蔵のコレクションのなかに入っていたであろう、ジュゼッペ・アルチンボルドの流れを汲む〈合成された顔〉の翻案かと思われるのが、裸体で肖像や幽霊を合成した嘉永年間の〈工夫絵〉のシリーズ(「人かたまって人となる」、「みかけはこはいがとんだいい人だ」、「人をばかにした人だ」、「かさねのぼうこん」など)なのだが、ここでは、ヨーロッパ原産の奇怪な幻想をフンドシ、チョンマゲの純江戸的意匠へと鮮やかにスリ替えてしまった国芳の機知に刮目すべきだろう。

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歌川国芳


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アルチンボルド

嘉永(1848-1854)頃ならアルチンボルドが国芳に影響を与えていたとしても何の不思議もないか。アルチンボルドといえば図書館員の肖像というのもありました。いつ見てもすごい・・・

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by sumus2013 | 2019-01-15 20:37 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

奇想の系譜

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あまりに有名でつい読みそびれていた辻惟雄『奇想の系譜』(ちくま学芸文庫、二〇〇六年四月十日五刷)をようやく。この文庫(定価1300円)も五刷とは、さすがだ。今となっては特段目新しい内容でない、というか、現在はこの本に登場する絵師たちが展覧会でも花形の地位に着いているのである。なかでも若冲の人気はひときわ高く、異常とも思えるほどだし、国芳も、狩野山楽、山雪もしかり、長澤蘆雪、岩佐又兵衛、曾我蕭白もそうである。初版は一九七〇年、要するに本書が昭和末期から平成にかけて(世紀末でもあった)の日本の近世美術の評価、方向性を定めた、と言えるわけだ。

これらの絵師たちはいずれも在世中はその「奇想」によって高い人気を博していた、ある意味スーパースターだったのだが、明治維新後にその存在が無視され始めることになる。なんとなく、短絡的に、軍国主義の風潮によって消されてしまうように見える、と推量しておく。だとすれば、彼らの桁外れなイメージというものは「平和」の産物なのかもしれない。血と異形に飢えた(あるいは脅かされた)平和である。

ということで、雲遅空想美術館の所蔵庫より、先年、ある古書店で求めた蕭白らしき掛軸を出してみた。

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ご覧の通り、宝玉?を見つけた蓬髪で異貌の人物が描かれている。印のひとつは蕭白と読めるように思うが、いかが。

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本物なら、まさにお宝発見であるが、残念ながら、これは木版画なのだ。いつ頃作られたのか、手掛かりも何も見当たらない。そう新しいとも思えないけれど・・・乞ご教示。摺りはなかなかだと思う。

by sumus2013 | 2019-01-14 17:30 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

秘蔵されていたアート・ブック

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うらわ美術館で開催されている「美術への挑戦 1960's-80's 秘蔵されていたアート・ブック」展(〜1月14日)の図録を頂戴した。深謝です。上は本書より。いちばん気に入った表紙。

うらわ美術館では平成十一年にニューヨークのコレクターが所蔵していたアート・ブックなど八百点を購入した。以後、さまざまな形で展示紹介してきたが、今回はこれまで公開されなかった作品を中心に構成したのだという。だから「秘蔵されていた」とあるのだろうが、「秘蔵」は当事者が自身への形容として使うとやはり少々違和感がある。

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滝口明子「この展覧会について」には

《今回対象としたコレクションは、海外のあるコレクターによって収集されたコレクションの一部を仲介者を通して収蔵したものである。コレクションの中にジーン・ブラウン(1911-1994)やジョン・ウィルコック(1927-2018)、クライブ・フィルポット(1938-)宛の封筒等が含まれており、コレクターはおそらく1970年代を中心として、アーティスツ・ブックの動向に近しい人物だと考えられる。
 コレクションは、戦前の諸前衛運動の流れを受け戦後パリで起こったレトリスム、1950年代世界同時多発的に起こったコンクリート・ポエトリー、未来派、ダダに源泉を持つ音響詩もしくは音声詩、アーティスツ・ブックのパイオニアと言われるディーター・ロートやエドワード・ルシェ、コラクル・プレス、ユニコーン・プレスといったリトル・プレスの出版活動、ジョージ・マチューナスを中心としてユニークな活動を展開したフルクサス等、多ジャンルの作品から構成されている。》

とある。コレクターの素性がはっきりしないように書かれているのが残念だ。個々の作品もさることながら、これらを集める行為こそがひとつの「アート」なのではないか、と思うから。

展示総タイトルは551点(うらわ美術館が後年収集した二点が加えられているとのこと)。よくぞ、このコレクションを購入した、と賞賛すべきであろう。


「Graphzine」(グラフジン)



by sumus2013 | 2019-01-08 16:42 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)