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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


賽の一振り

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『叢書・エクリチュールの冒険 賽の一振り』(柏倉康夫訳、月曜社、二〇二二年三月一八日)読了。『賽の一振り』については、もう十年以上前になるが、『ステファヌ・マラルメ 賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう 原稿と校正刷 フランソワーズ・モレルによる出版と考察』(柏倉康夫訳、行路社、二〇〇九年三月二五日)を紹介したことがあった。その本には、雑誌発表の紙面、自筆原稿、豪華版の校正刷などがカラー図版として収められており「賽の一振り」を研究するための必読書となっているのだが、ただし、詩そのものの日本語訳はあえて付されていなかった。原文は短い語群として逐語的に周到に翻訳されている。この詩そのものがそれらの語群につながりをもたせることを読者に任せている気味もあるため、それはそれで非常に賢明な判断だと思われた。

しかしながら

《行路社版では全文を通読できない体裁だったので、可能な限り読みやすい翻訳を達成して全文を通読しうる状態にすることが第一で、そのために原詩のドニ・ラヴァンによる朗読(これもひとつの解釈である)を繰り返し聴きながら、原文のテクストを日本語に移す作業をすすめた。》(p84)

《今度の月曜社版ではあえて、マラルメが望んだ詩形の再現を目指した。このためには、マラルメが方眼紙に自筆で書いた清書原稿と同じ大きさとするのが理想だが、訳書ではA5判を採用し、そこに220行を可能な限り原文の配置に忠実であるように組んだ。
 書体については、原文ローマン体は訳文では明朝体、イタリック体は明朝斜体とし、語頭のみが大文字の言語とすべてが大文字の言語は、訳文ではゴシック体に代えた。活字の号数、活字の太さ細さについても、可能な限り原文に忠実に再現した。》(p86)

《月曜社の小林浩氏が『賽の一振り』を単行本として刊行するという英断、マラルメがヴァレリーに思わず漏らした「狂気の沙汰」を試みる英断をした理由のひとつは、筑摩書房版『マラルメ全集』の第I巻として発表された清水徹訳や、思潮社版の秋山澄夫訳が、入手の難しい現状にあると聞かされていたことである。さらに、行路社版を刊行した後、多くの読者から、ひと続きの作品として読んでみたいという要望が寄せられていた。》(p86-87)

というような理由で本書が実現されたわけである。さすがの柏倉訳。明晰さと読みやすさを兼ね備えた現時点での決定版と言える。作品そのものについては「訳者解説」に行き届いた分析がなされており、この作品の場合は、あるいは、こちらを先に読んだ方が、取っ付きやすいかもしれない。むろん、先入観なしにテクストを読むのが本筋かと思うしマラルメもそれを勧めてはいるけれど。

また「訳者解説」には、この作品の成立と発表、とくにルドンの挿画を入れる予定だったヴォラール(例の画商のヴォラールである、出版も手がけた)版のために骨身を削る様子が事細かに描かれており、幼い息子を亡くした父親同士(マラルメとルドン)の交渉の濃やかさも伝わってくる。ヴォラールから豪華本の詩画集出版の話があったのは一八九六年一二月。挿絵をルドンに依頼すると聞いたマラルメは心を動かされた。次いで「賽の一振り」が雑誌「コスモポリス」に発表される。

「コスモポリス」から何でもいいから原稿が欲しいと依頼されたマラルメはこの型破りの作品を渡した。掲載は認められたものの説明文を付すことを求められ「詩篇「賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう」に関する考察」を執筆したが、それは詩の前に編集部注として掲載された(本書では詩の後に付録Iとして訳されている)。そこではこのような説明がなされている。

《まったく新しい性格のこの作品で、詩人は言葉で音楽をつくりだそうと努めた。いわば一種の全体的ライトモチーフが繰り広げられ、それが詩篇の統一を形成し、いくつもの副次的モチールがその周辺に集まって、グループを形成している。用いられているさまざまな種類の活字が持つ性質と、さまざまな余白の位置とが、音楽的な音色と間[ま]の代わりとなっている。》(p30)

こんな説明が不要な読者もいた。ヴォラールもその一人だった。

《翌1897年5月5日、書店に並んだ「コスモポリス」を目にしたヴォラールは、驚くと同時に魅了され、ぜひこれを豪華本にしたいとマラルメに提案した。そして「コスモポリス」が刊行された翌日には、著作権料500フランのうち200フランを手付金として支払った。「コスモポリス」の紙面の割り付けに不満だったマラルメは、「賽の一振り」をルドンの版画入りの豪華本として新たに出版できることに満足だった。そして希望通りの印刷を実現するために、気に入りの活字を求めてパリ中の印刷所を訪ね歩き、フィルマン=ディド印刷所で、ようやくそれを見つけることができた。》(p43)

さすがヴォラール、一目で「いける!」と直感した。手付金も素早く払った。セザンヌを売り出した画商だけのことはある。マラルメの造形的な試みの価値を瞬時に理解した。絵(あるいは版画)と同じような見方でその詩はスッと入ってきたに違いない。

ところで、ヴァレリーは誰よりも先に「賽の一振り」の原稿を見せられた人物だったが、そのときの印象を次のように述べている。ある日、パリのローマ街にあるマラルメの住居へ呼ばれた。ヴァレリーの前でマラルメはぶっきらぼうに詩篇を読み始めた。『ヴァレリイ全集VI マラルメ論叢』(筑摩書房、昭和十八年)より「骰子一擲」(伊吹武彦訳)から。

《黒ずんだ、四角な、捩れ脚の木のテーブルの上へ、彼は詩稿をならべ、低い、抑揚のない声で、些かの《効果》も狙はず殆どわれに語るかのやうに読みはじめた……》(p101)

《一層大きな驚きに対する単なる準備ででもあるかのやうに、彼の『骰子一擲』を甚だ平板に読み終つたマラルメは、遂にその字配りを私に示した。私には一つの思想の外貌がはじめてわれわれの空間内に置かれたのを見る気がした…… まことやここには、拡がりが語り、夢み、現実的形体を生んでゐた。期待とか疑惑とか注意の集中とかが可視物となつてゐた。私の視覚はいはば実体化した数々の沈黙に相対してゐるのであつた。私は評価を絶した数瞬間を心ゆくままに打眺めた。》(p102)

《それは眼のための囁きであり、ほのめかしであり、雷鳴であつた。思考の究極まで、曰く言ひ難い決裂の一点までページからページへと運ばれた大きな精神の嵐であつた。そこには怪異が起つてゐた。そこには紙片そのものの上に、最後の星辰の不思議な燦めきが、意識の隙間に限りもなく清く顫へてをり、しかもその同じ虚空には、一種の新しい物質のやうに、堆くまた細長く、また系列的に配置されて「言葉」が共存してゐたのである!》(p103)

ヴァレリーも一瞬にしてその真価を見抜いた。そして魅惑された。このヴァレリーの回想でも分かるように、この詩篇は音楽的に読むものではなかった。上に引いた解説とは矛盾するようだが、音楽的とはあくまで文字の視覚効果を意味するということなのだろう。ヴァレリーは一八九七年三月には「コスモポリス」の校正刷も見せられたし、その後間もなくヴァルヴァン(マラルメの別荘)でヴォラール版の校正刷を前にして意見を求められもした。

《彼の発見の一切は、数年がかりで続けられた言語と書物と音楽との分析から導き出されたものであり、視覚的単位である紙面の考察に基くものである、彼は黒白配合の効果、各種字体の比較強度を極めて入念に(ポスターや新聞の上ですら)研究した。》(伊吹訳、p107)

《彼は面的読法を導き入れ、これを線的読法に繋ぎ合はせる。そしてそれは文学の世界に第二の次元を加へることであつた。》(同前)

マラルメは詩人としてタイポグラファー、いやエディトリアル・デザイナーであろうとした。フランス語ではマケティスト(maquettiste)か。テクストの内容を余白を含めた文字の配列においても表現しようと試みた稀有な詩人であった。

惜しくも、マラルメはヴォラール版を完成させることなく、一八九八年九月九日、避暑のために滞在していたヴァルヴァンの別荘で急死した。ちょうど今から百二十四年前のことである。

柏倉氏の解説によれば、日本語訳には次のような版がある。

01)マラルメの「イジチュール」「双賽一擲」覚書 田邊元訳 季刊誌『聲』8〜10号 丸善 1960-61
02)『双賽一擲』試譯附註 田邊元訳 『マラルメ覚書』所収 岩波書店 1961.8
03)骰子一擲 秋山澄夫訳 私家版 1966 限定50部 
04)詩篇骰子一擲いかで偶然を廃棄すべき 秋山澄夫訳 季刊誌『反世界』創刊号 木曜書房 1967.7
05)骰子一擲 秋山澄夫訳 特装版全3冊 限定100部 思潮社 1972.11 星崎孝之助挿画
06)骰子一擲 秋山澄夫訳 改訂版 思潮社 1984.12
07)骰子一擲 江原順訳 季刊誌『阿礼』第34号 阿礼の会 1986.3
08)骰子一擲 秋山澄夫訳 改訂版新装縮刷版 思潮社 1991.9
09)賽の一振り 清水徹訳 『マラルメ全集I』所収 筑摩書房 2008.5
10)ステファヌ・マラルメ「賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう」 柏倉康夫訳 行路社 2009.3
11)『双賽一擲』試譯附註 田邊元訳 『死の哲学 田辺元哲学選IV』所収 岩波文庫 2010.12
12)賽の一振り 柏倉康夫訳 月曜社 2022.3

ちょっと調べてみると、秋山澄夫訳の限定版はやはり入手しにくく、思潮社版『骰子一擲』はいちばん普及しているようで容易に見つかる。行路社版は amazon で入手可能、ほぼ定価ていど。マラルメ全集は「I」がキキメ。全五巻だと十万円以上はしている。岩波文庫の田辺元がなかなかの稀覯本になっていて驚かされる(『聲』はセットで岩波文庫より安価)。



by sumus2013 | 2022-09-01 21:00 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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