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木の十字架![]() 堀辰雄『木の十字架』(灯光舎、二〇二二年八月二〇日、装幀=野田和浩)読了。巻頭「旅の繪」は久しぶりに読み返した。やっぱり良い。かなり前のブログに何か書いたことを思い出して検索してみた。 《堀辰雄に「旅の絵」というエッセイがある。初出は「新潮」1933(昭和8)年9月号。たしか竹中郁の『一匙の雲』(ボン書店、一九三二年)の出版記念会に参加がてら神戸を訪れたのだった、と思っていたらそれは『象牙海岸』(第一書房、一九三二年十二月)ですよとご教示いただいた。訂正します。そのときの様子を印象深く書き留めており、堀辰雄のなかではいちばん好きな作品である。 堀はトアロードの突き当たりにある安宿ホテル・エソワイアンに泊まり神戸をあちらこちら散策する。そのときに海岸通のある薬屋で海豚叢書の『プルウスト』を購入するのだが、その薬屋とは英三番館と呼ばれるトムソン調剤薬局(J.L.THOMPSON & CO. DISPENSING CHEMIST)のことで、外国人向けの雑貨店を兼ねていた(現在は旧居留地の三井住友銀行の一角らしい)。 堀が買ったという《海豚叢書の「プルウスト」》とはいったいどんな本なのか? 気になって、あれこれ検索した結果、サミュエル・ベケットの『Proust』(Chatto & Windus,1931)だろうと見当をつけることができた。これは「Dolphin Books series」の一冊なので「海豚叢書」でまず間違いないだろう。ベケットの実質的な処女作らしい。堀が購入した前年に刊行されているということは、トムソン調剤薬局には新刊書として並べられていたと思ってもいいかもしれない。》 エッセイと書いているが、堀流の私小説と言っていいだろう。そこにはいつも本が登場する。登場するだけでなく、かなり大きな役割を担っているのだ。本が好きと言っても読むだけじゃない、造型としての本にも堀は繊細な感覚を持っていた。選者の山本善行は解説でこう書いているが、その通りだろう。 《堀辰雄は本を愛した作家であった。装幀や造本にも特別な関心を持っていたのは、その著作『聖家族』、『ルウベンスの偽画』などを見ても明らかで、日本の装幀史の中でも特別な輝を持つ本を、江川書房とともに作ったのである。》(p101) たしかに『聖家族』の小ぶりで真っ白な造作にはシビレる。『風立ちぬ』はあの野田書房から出た。これまた異彩を放っている。 聖家族 「旅の繪」では海豚叢書だけではなくリルケの詩集が重要な小道具として用いられており、オチ(?)のようなものまでついている。書物小説の傑作と勝手に太鼓判を押しておく。 「旅の繪」の次に置かれている「晝顔」は東京下町の長屋が舞台。向島から芸妓に出ることが決まった娘照ちゃんが従弟弘の家に挨拶に来るというだけの話である。二人は幼なじみ。その関係が成長とともに変質してゆく、そのあたりの機微を描いている。ありがちな状況設定だなと思いつつ読んでいくと、照ちゃんが手にしている本が、こともあろうに……。 《「何を讀んでいるんだい? 小説?」それを少年は覗き込むようにして見た。 「ええ、弘ちゃんも小説讀むの?」 「僕だって小説ぐらいは讀むさあ……それは何の小説だい?」 「モオパスサンよ……でもこんなのは弘ちゃんは讀まない方がいいわ……」 「そんなの知らないや……僕は探偵小説の方がいい。」 少年だってモオパスサンがどんな外國の作家だかぐらいはこっそり聞き嚙っている。しかし、わざと娘にそんな返事をしてやった。》(p44-45) これにもオチがあって、最後の頁で娘が帰った後におばさんが忘れ物を見つける。 《長火鉢の傍に置き忘れられてある黃いろい表紙の本を取り上げた。字のよく讀めないおばさんには、モオパスサンという片假名だけはわかったが、それがどんな題の、どんなことを書いた本だかは、すこしもわからないのである。……》(p51) 黃いろい表紙とはどこの版だろうか? 国会図書館で「モオパスサン」を検索すると翻訳書としては二件のみ。広津訳と考えるのが妥当か。 森の中 モオパスサン 作 ; 小形青村 訳 [出版者不明] 1914 女の一生 モオパスサン作 ; 廣津和郎譯 新潮社 1918 モーパッサン翻訳書誌 「「青猫」について」は萩原朔太郎との版画荘での出会いを中心に描いている。一九三五年の春先。裏通りで二人はばったり出会った。 《「ちょうど好かった。君はまだ山のほうかとおもっていたんだがね……」 そう云われながら、萩原さんは、その裏通りに面して飾り窓に版畫などを竝らべた小さな店のなかへ私を連れてはいられた。その店はこのごろ詩集の出版などもやり、ちょうど萩原さんの「青猫」の édition définitive が出來たところで、それへ署名をしに來られたのだった。 「君にも上げたいと思っていたのだ。」 萩原さんはそういうと、最初手にとられた一冊を無ぞうさに署名をして私に下すった。》(p57-58) 堀は学生時代に「青猫」を愛読していた。 《十年ばかり前の、もっとざらざらした紙に印刷され、もっとちぐはぐな挿繪の入っていた「青猫」の初版が出た當時のこと、私がまだ十九かそこらでその詩集をはじめて求め得て、黑いマントのなかにその黃いろいクロオスの本をいつも大事そうにかかえて歩いていたことなどを、それからそれへと思い出していた。》(p58) 《夕がた近く、私達はその版畫荘を出て、また竝木のある裏通りを歩き出した。歩きながら、私はまだときどきその「青猫」をいじっていた。私がややながいこと表紙のいくぶんビザアルな猫の繪に見入っていると、 「ふふふ、その猫の繪は自分で描いちゃったんだ。」 そう、萩原さんはさもおかしそうに笑って云われたが、それから歩き歩きこんどの édition でいろいろ苦心した點などをいかにも快心らしく話し出された。》(p59) つぎの「二人の友」は中野重治と窪川稲子について。窪川稲子と堀は小学校の同級生だった。稲子は丸善に勤めていたことがあったそうだ。そして最後に表題作「木の十字架」。これは立原道造の回想になっており、同時に第二次世界大戦がはじまったその瞬間の軽井沢の空気がよく分かる。 堀辰雄を読み直す、だけでなく、あらためてその作品の価値を見直させてくれる一冊である。
by sumus2013
| 2022-08-30 16:12
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