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小沢信男と富士正晴![]() 『VIKING』860(VIKING CLUB, 2022年8月15日、表紙=富士伸子)と『VIKING』861(VIKING CLUB, 2022年9月15日、表紙=富士伸子)を中尾務氏より頂戴した。前者に「小沢信男とリトルマガジン」、後者に「復員、転身かなわず 富士正晴調査余滴」の中尾氏による論考が掲載されている。いつもながらどちらも労作。興味深く読ませてもらった。 小沢さんについては先の山田稔さんのトークショーで中尾氏にお会いしたときにチラリと聞いていた。楽しみにしていたのだが、小沢信男と富士正晴の関係が良好だったにもかかわらず、『VIKING』に属していた小沢さんがどうして脱退したのか、そこに小沢さんの女性問題(恋愛問題あるいは結婚問題?)があったというのは実に新鮮だった。もし小沢信男伝を書く人が出てくれば、本稿は非常に示唆に富む調査として役立つことは間違いない。それはそれとしてこんな一節には大きく頷きたくなる。 《いわゆる小説らしい小説の忌避、記録への傾斜という点で、田井立雄、富士正晴、小沢信男の三者には通じるものがあると思われるのだが、どうだろうか。》(p43) 田井立雄も同人で、小説は書かず、百号までの総目次『VIKING100』を制作したとのこと。この指摘にも関係しているだろうが、861号には、富士が、日記、手紙、思い出などのつなぎ方に苦心をし、それは創作であると書いていることが指摘されている。 《引用への強い信頼という点で、復員した年の福恵をモデルとする小説構想と、『恋文』『榊原紫峰』とは、長い年月をへだてて通底。戦争小説とちがって実をむすぶことのなかった、一芸妓をモデルとする小説の構想は、富士小説の流れをみる上で重要ということになる。》(p24) 要するに富士は根っからの「編集者」であった、ということではなかろうか。だが、職業としての編集者には、乗り気ではなかった。復員して、何をすべきか、富士が迷っていたとき、編集者の仕事を紹介してくれる者がいたが、《四分位しか動かない》というような気分だった。ここでその紹介者、八束と石原についての記述があるので「関西出版メモ」として引用しておく。 《〈八束〉は、八束清。八束は、戦前、富士正晴と弘文堂書房で同僚。一九四三年、八束は弘文堂書房を退職して、大和書院に入社するが、大和書院は、翌四四年の企業合同時に、ほか五社と秋田屋を創設。八束は、京都北白川追分町の秋田屋編輯室に勤めていた。(秋田屋本社は、大阪。) 〈石原〉は、石原美雄。石原は、一九四二年、石書房を立ち上げ、翌四三年、弘文堂書房を辞めた富士を顧問とするが、石書房は、翌年の企業合同時に、大和書院などといっしょに秋田屋を創設。(小出版社の石書房に即せば、組み込まれたようなものか。)石原は、八束清の同僚となっていた。 なお、石原美雄については、拙文「〈「三人」の葬式〉、その後」(『VIKING』839)でも触れたが、拙文発表後、元人文書院編集者の疋田珠子さんから、石原美雄は、現在も京都にある美雲[みくも]木版画社の出で、「母と奥さんが美雲のしごとをされてました」と教えていただいた。》(P25) 石書房は竹内勝太郎『詩論』を出している。実はこの時、富士は、小説家でも編集者でもなく、版画家になろうとしていたのであった。 小沢信男さんの訃報 画遊人・富士正晴 富士正晴の兵隊小説を読み返す
by sumus2013
| 2022-08-25 20:21
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Comments(2)
いつも貴重な情報をありがとうございます。この度は中尾務さんの「小沢信男とリトルマガジン」をご紹介いただき、これはぜひとも読んでみなくてはと思いましたです。小沢信男さんは「VIKING」東京ブランチの中心的な存在で富士正晴さんの期待も大きかったのですが、下船してしまった裏には何かあるのだろうと思いますよね。女性問題、結婚問題と聞きますと、そうなのかもなと思うことです。
「VIKING」海賊版(東京ブランチ誕生満四十年記念号)に大倉徹也さんが書いているのと同じでしょうかね。
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いつもながら中尾さんの追求の鋭さに関心させられました。ぜひ!
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