人気ブログランキング | 話題のタグを見る

林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


鎮静剤

鎮静剤_f0307792_16505008.jpg


しばらくぶりにのぞいたレコ屋エンゲルス・ガールで高田渡「系図」(Bellwood第一回新譜、キングレコード、一九七二年)を求めた。これは高校時代に友人から借りて繰り返し聴いたなつかしい一枚。当時はアルバムを買うということはほとんどなく(シングル盤は何枚か買った記憶あり)同級生から取っ替え引っ替え借りては聴いていた。泉谷しげる「春夏秋冬」とか吉田拓郎、井上陽水、岡林信康、加川良、ツェッペリンやミッシェル・ポルナレフまで! なかでもこの「系図」と「ごあいさつ」は気に入っていた。

鮪と鰯

「ごあいさつ」はかなり前にCDで入手ずみ。しかし「系図」はすっかり忘れていたと言ってもいいくらいだった。エンゲルスさんのアルバム箱から見つけ出して「ああ、これだ!」と持ち帰ってターンテーブルに載せると、当然ながらタイムトリップです。

このアルバムのなかに「鎮静剤」という曲がある。歌詞カードの表記は《ローラッサン原詩 堀口大学訳/高田渡作曲》。ローラッサンって・・・まあ、いいけど。これはむろん堀口大学訳詩集『月下の一群』(第一書房、一九二五年)に収められているもの。マリイ・ロオランサンの小品が四篇採られているなかの一番目である(初出はピカビアが編集していた雑誌『391』No.4 in Barcelona in 1917)。しかしながら、というか例によってというか、堀口訳はもうほぼ創作に等しい。一行目だけ見てみると、こうなっている(全文は検索してください)。

 退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。

原文は下に掲げた。「退屈な」は誤訳? ennuyée にも「退屈な」の意味もなくはないようだが「煩わされた、心配している、当惑した、困った」(『クラウン仏和辞典』山田稔他編)ととるのが妥当ではないか。「退屈な」は「アンニュイユーズ ennuiyeuse」(歌詞中の形容詞はいずれも女性形なので「女」としたのだろう)。ネット上に流布している英訳(「The Sedative」)ではこうなっている。

 More than annoyed Sad.

「annoyed」は「イラッとして、ムカついて」くらいの意味で「退屈」とは程遠いだろう。さらに「哀れ」という言葉はどこから来たのか? 必ずしも「哀れ」とは限らないような気もするが。例えば、次の大島辰夫訳など原文の感じに近いかと思う。

 もの憂いよりは悲しくて

物は試し、DeepL に訳させてみると、何種類か答えが出たなかに傑作がまじっていた。DeepL も退屈と訳すか。

 退屈以上 悲しい未満

堀口大学はフランス語会話堪能でローランサンともかなり親しかったらしいから、上記のように訳する個人的な理由があったのかもしれない、とは思うものの・・・。ただし、高田渡の「鎮静剤」はこの歌詞でなければいけません。


LE CALMANT
             Marie Laurencin

Plus qu'ennuyée Triste.

Plus que triste Malheureuse.

Plus que malheureuse Souffrante.

Plus que souffrante Abandonnée.

Plus qu'abandonnée Seule au monde.

Plus que seule au monde Exilée.

Plus qu'exilée Morte.

Plus que morte Oubliée.

by sumus2013 | 2022-08-01 17:07 | おととこゑ | Comments(3)
Commented by komako321 at 2022-08-05 08:43
「退屈な女」の考察、興味深く読みました。
詩の雑誌で「びーぐる」(季刊、澪標刊)というのがあり、最新号が「特集 高田渡の愛した詩」でした。詩人がいろいろ彼について書いているのを読み、今更ながらですが高田渡に関心を持っていました。こちらのブログでさらに彼のことも知ることができました。ありがとうございます。
Commented by sumus2013 at 2022-08-05 10:55
高田渡は他人の曲や詩をうまく自分のものにしています、というか高田が歌えば自ずと高田のものになるということですか。
Commented by komako321 at 2022-08-07 19:54
どちらなのでしょう。知りたいところであります。
高田渡はたくさんの詩人たちの詩を歌にしましたが、そのことを詩人は深く愛惜しています。
高田渡のものになるかどうかについてはわかりません。でも、詩人や詩が彼のおかげで広く聴き手たちにも届くものになったのではないのかと思います。
<< 石橋直樹追悼展 生かされる場所 >>