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文字禍

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中島敦『山月記・李陵』(岩波文庫、二〇〇四年十七刷)の「文字禍」を再読。はるか昔に読んだので、どんな内容だったかすっかり忘れていた。

アッシュル・バニ・パル大王の治世、ニネヴェの宮廷に妙な噂が流れる。毎夜、図書館の闇の中でひそひそと怪しい話し声がするというのだ。虚しく探索した結果、これはどうしても書物どもあるいは文字どもの話し声と考えるより外はなくなった。大王は老博士ナブ・アヘ・エリバに文字の霊について研究するように申し付ける。

《その日以来、ナブ・アヘ・エリバ博士は、日ごと問題の図書館(それは、その後二百年にして地下に埋没し、更に二千三百年にして偶然発掘される運命をもつものであるが)に通って万巻の書に目をさらしつつ研鑽に耽った。両河地方[メソポタミヤ]では埃及[エジプト]と違って紙草[パピルス]を産しない。人々は、粘土の板に硬筆をもって複雑な楔形の符号を彫りつけておった。書物は瓦であり、図書館は瀬戸物屋の倉庫に似ていた。老博士の卓子[テーブル](その脚には、本物の獅子の足が、爪さえそのままに使われている)の上には、毎日、累々たる瓦の山がうずたかく積まれた。それら重量ある古知識の中から、彼は、文字の霊についての説を見出そうとしたが、無駄であった。》(p123)

《その中に、おかしな事が起った。一つの文字を長く見詰めている中に、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有つことが出来るのか、どうしても解らなくなって来る。老儒ナブ・アヘ・エリバは、生れて初めてこの不思議な事実を発見して、驚いた。今まで七十年の間当然と思って看過していたことが、決して当然でも必然でもない。彼は眼から鱗[こけら]の落ちた思がした。単なるバラバラの線に、一定の音と一定の意味とを有たせるものは、何か? ここまで思い到った時、老博士は躊躇なく、文字の霊の存在を認めた。魂によって統べられない手・脚・頭・爪・腹等が、人間ではないように、一つの霊がこれを統べるのでなくて、どうして単なる線の集合が、音と意味とを有つことが出来ようか。》(p123-124)

次いで博士はフィールドワークに出かける。街頭で人々に文字を覚える前と後で何か変わったところはないかと尋ねてまわるのだ。

《さて、こうして、おかしな統計が出来上った。それによれば、文字を覚えてから急に蝨を捕るのが下手になった者、眼に埃が余計はいるようになった者、今まで良く見えた空の鷲の姿が見えなくなった者、空の色が以前ほど碧くなくなったという者などが、圧倒的に多い。》(p124)

《文字を覚えてから、にわかに頭髪の薄くなった者もいる。脚の弱くなった者、手足の顫えるようになった者、顎がはずれ易くなった者もいる。しかし、ナブ・アヘ・エリバは最後にこう書かねばならなかった。「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ痲痺セシムルニ至ッテ、スナワチ極マル。」文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損うことが多くなった。これは統計の明らかに示す所である。文字に親しむようになってから、女を抱いても一向楽しゅうなくなったという訴えもあった。もっとも、こう言出したのは、七十歳を越した老人であるから、これは文字のせいではないかも知れぬ。》(p124-125)

これはショーペンハウエルが《多読は精神から弾力性をことごとく奪い去る》(『読書について』)と断言しているのと同じことだろう。さらには極端な例を挙げる。

《ナブ・アヘ・エリバは、ある書物狂の老人を知っている。その老人は、博学なナブ・アヘ・エリバよりも更に博学である。彼は、スメリヤ語やアラメヤ語ばかりでなく、紙草[パピルス]や羊皮紙に誌された埃及文字まですらすらと読む。およそ文字になった古代のことで、彼の知らぬことはない。彼はツクルチ・ニニブ一世王の治世第何年目の何月何日の天候まで知っている。しかし、今日の天気は晴か曇か気が付かない。彼は、少女サビツがギルガメシュを慰めた言葉をも諳んじている。しかし、息子をなくした隣人を何と言って慰めてよいか、知らない。彼は、アダッド・ニラリ王の后、サンムラマットがどんな衣装を好んだかも知っている。しかし、彼自身が今どんな衣服を着ているか、まるで気が付いていない。何と彼は文字と書物とを愛したであろう! 読み、諳んじ、愛撫するだけではあきたらず、それを愛するの余りに、彼は、ギルガメシュ伝説の最古版の粘土板を噛砕き、水に溶かして飲んでしまったことがある。》(p125-126)

ナブ・アヘ・エリバ自身も、見るものすべてが意味のない集合に化けてしまう奇病にとらわれ、気が狂いそうになる(これ、よく分かる。小生も昔テトリスにとりつかれていたとき、見るものがことごとくテトリス棒の集積のように見えたことがあった)。彼は急いで大王への報告をまとめ上げる。

《武の国アッシリヤは、今や、見えざる文字の精霊のために、全く蝕まれてしまった。しかも、これに気付いている者はほとんど無い。今にして文字への盲目的崇拝を改めずんば、後に臍を噬むとも及ばぬであろう云々。》(p130)

この意見は大王の機嫌を損じ、博士は謹慎を命じられた(思うに、ならば敵に書物を与えればいいんじゃないか。文字ウイルス!)。そしてその数日後、ニネヴェ・アルベラを大地震が襲った。たまたま書庫にいた博士は圧死する。

《壁が崩くずれ書架が倒おれた。夥しい書籍が――数百枚の重い粘土板が、文字共の凄まじい呪の声と共にこの讒謗者の上に落ちかかり、彼は無慙にも圧死した。》(p131)

文字の霊に復讐された・・・。内容がやや型通りで、ストレートに表現されすぎているような気もする。作品としてはもう一捻りほしいところか。


by sumus2013 | 2022-07-29 17:28 | 古書日録 | Comments(0)
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