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邂逅の孤独

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臼田捷治『邂逅の孤独 地霊と失われたものと』(私家版、二〇二二年七月七日)。現代デザインや装幀の研究者である臼田氏の新著は私家版の小説・・・かと思わせる不思議な物語。

筆者は、本を読む女性に惹きつけられる、板橋区立美術館からの帰り、地下鉄の中で。

《そして、女性は小さなバッグから本を取り出して読書を始めた。いかにも手慣れた、しゃんとしたひとつながりの動き。電車に乗ると決まっていそいそと活字の群れを追っているのだろう。》(p13)

《読んでいる本は最初は洋書かと思った。かなり部厚い本であるにもかかわらず、ハードカバーではなく、やや縦長の軽装版だったからだ。洋書に多いスタイルだ。だが、こちらからかろうじて縦組の和文で活字が組まれていることが見える。翻訳書だろうか。日本語で書かれていたとしても、幻想文学のような特異なジャンルの本か、もしくは専門的な人文関係の本ではなかろうか。一般向けの本でないことは確かだ。
 片手にしおりを挟み込むようにして器用に読み進んでいることも、読書にふだんから慣れ親しんでいることをうかがわせる。そのしおりは何も印刷されていない半透明の薄いアクリル製のようだ。あらかじめ本に挿まれていた、版元がサービスで付けたそれというよりも、女性が常用っしている特別あつらえものという感じ。時折、しおりから離れた手がアゴに行き、軽く添えられる。その仕草にもデリケートな味わいがある。まるで京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像のよう。》(p13)

このあたりの描写が本の専門家らしくて微笑ましい。女性も読むプロ(らしい)、眺めている方もプロ。この女性はどうやら筆者が学生時代に憧れたマドンナであるらしい。いきなり時計は大学時代に巻き戻される。片思いの付き合いが淡々と回想されて積み上がる。二人の関係はとくに何も進展せずに社会へ出て、一度は別れてしまう。

その後、筆者の転職した美術専門の出版社は四谷にあった。ここで話題がガラリと変わって、当時の四谷についての文化誌が開陳されるのがすこぶる興味深い。本書で触れられているランドマークをざっと箇条書きにしてみる。

・四谷見附小売市場
・四谷第三小学校を仮庁舎としていた大蔵省(ここに三島由紀夫が数ヶ月勤めた。生家も四谷で、生家から一キロメートルほどの市ヶ谷駐屯地で自裁した)
・広島東洋カープの定宿「祥平館」
・自動車ジャーナリズムの先駆的存在の三栄書房
・日米英会話学院
・セツ・モードセミナー
・前川國男建築設計事務所ビル(柳工業デザイン研究会、渡辺義雄事務所が入所)
・三陽商会
・雪印乳業
・新宿区立新宿高等商工学校
・策[むち]の池

他にも当時のデザイナーや画家、詩人たちとの交流もさらりと触れられ、社会に出てからマドンナとの関わりが復活して結婚を申し込む場面さえ現れる。

読む女人に、板橋で出会ったということから、学生時代に下宿していた板橋界隈の紹介、東武東上線物語へと広がっていく展開も、ちょっと結末をじらされるようで、なかなかである。結局のところ声をかける踏ん切りがつかず、彼女の脇をすり抜けて下車すべき駅で筆者は降りてしまう。その気持ち分かる気がする。

ところがなんと、彼女にふたたび遭遇したのだ。今度は中央線快速下り電車にお茶の水駅から乗り込んできた。筆者の目の前に立った。大都会でこんなことってあるのかな。さ〜て、筆者はどうしたか・・・。


臼田捷治『〈美しい本〉の文化誌 装幀百十年の系譜』

臼田捷治『工作舎物語』

by sumus2013 | 2022-07-24 16:47 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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