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高橋おでんくどき

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添田唖蟬坊の時代よりは少し遡るが、こういう冊子を演歌師たちは売り歩いたのだろう(蟬坊の場合は明治二十年代だから活版か)。たしか以前買っておいたはずだと思って探し出した。いずれもタテ16cmほどでごく薄い紙に木版で摺られている。袋とじで、丁数は、今ここには完全なものがないのだが、八丁が最大でだいたい三〜五丁ほど。

「高橋おでんくどき」これは明治十二年頃の出版に違いない。高橋お伝の死刑判決が明治十二年一月三十一日。市ヶ谷監獄で処刑された。その後お伝の口説き節が流行した。

《処刑の翌日から「仮名読新聞」「有喜世新聞」などの小新聞が一斉にお伝の記事を「仏説にいふ因果応報母が密夫の罪(「仮名読」)」、「四方の民うるほひまさる徳川(「有喜世新聞」)」といった戯作調の書き出しで掲載した。読売の自演により、口説き歌として流行した。これが後の「毒婦物」の契機となる。》(ウィキペディア「高橋お伝」)

「しん板いなば子蔵くどきぶし」は幕末頃か。稲葉小僧(いなばこぞう、因幡小僧)は江戸時代の窃盗犯。多くの大名屋敷から金銀財宝を盗んだそうだ。天明五年(1785)に捕らえられた当時二十一歳、連行中に不忍池に飛び込んで逃走し、逃走先で病死したとも言われる(ウィキペディア「稲葉小僧」)

いなば小僧身の上ばなし/ちょんがれぶし

他のタイトルは「新ばんおだい喜甫しん中くどき」と「狂歌問答」。いずれも上下二冊のうちの一冊だけ。二冊組というのは亜蟬坊の回想でも語られていた。一冊よりも上下にした方が売りやすいということか。

by sumus2013 | 2022-07-14 20:31 | 古書日録 | Comments(0)
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