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鷗外博士の追憶

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内田魯庵『明治の作家』(筑摩書房、昭和十六年十一月二十日再版)をぱらぱらとめくって書物談を探す。

《鷗外の博覧強記は誰も知らぬものは無いが、学術書だらうが、手当り任せに極めて多方面に渉つて集めもし読みもした。或る時尋ねると、極細い真書きで精々[せつせ]と写し物をしてゐるので、何を写してゐるかと訊くと、其頃地学雑誌に連掲中の『鉱物字彙』であつた。ソンナものを写すのは馬鹿々々しい、近日丸善から出版されると云ふと、然うか、イイ事を聞いた、無駄骨折をせずとも済んだと云つた。(夫から一と月ほどして出版されたのを寄送すると、大遍喜んだ礼状をよこした。)》(p369)

昔の人は何でも筆写したというのは本当のようだ。

《『何でも書物は一生の中に一度役に立てば夫で沢山だ。然ういふ意味で学術的に貴いものなら何でも集めて置く、』と書棚の中から気象学会や地震学会の報告書を出して見せた。恁ういふものまでも一と通りは眼を通さなければ気が済まなかつたらしい。が、権威的の学術書なら別段不思議は無いが、或る時俗謡か何かの咄が出た時、書庫から『魯文珍報』や『親釜集』の合本を出して見せた。『魯文珍報』は黎明期の雑誌文学中、軟や特色があるからマダシモだが、『親釜集』が保存されるに到つては驚いて了つた。》(p370)

親釜集(おやかましゅう) 国文学研究資料館 近代書誌・近代画像データベース

《一と頃江戸図や武鑑を集めてゐた事があつた。本郷の永盛の店頭に軍服姿の鷗外を能く見掛けるといふ噂を聞いた事もある。其時偶つと或る会で落合つた時、恰も私が手に入れた貞享の江戸図の咄をすると、そんな珍本は集めないよ、僕のは安い本ばかりだと、暗に珍本無用論を臭はした。が、其の口の端から渋江抽斎の写した古い武鑑(?)が手に入つたと云つて歓喜と得意の色を漲らした。》(p370)

魯庵はそんな古本好きな鷗外の本質をさらりと書いている。

《若い人たちの中には鷗外が晩年考証に没頭して純文芸に遠ざかつたのを惜しんで、鷗外を追懐するにつけて再び文芸に帰る期が失はれたのを遺憾とするものがあつた。
 が、私の思ふままを有体に云ふと、純文芸は鷗外の本領では無い。何事にも率先して立派なお手本を見せて呉れた開拓者ではあつたが、決して大成した作家では無かつた。》(p371)

もっと長生きしたならば、その穿鑿癖と博覧強記によって考証において大成したであろうとしている。

また、1918年(大正7年)12月、帝室博物館(現:東京国立博物館)総長兼図書頭に就任した鷗外がそこで改革したことにも注目した。魯庵の言うにはふたつあって、まず報告書が発行されるようになったことがひとつ。もうひとつは

《正倉院の門戸を解放して民間篤志家の拝観を許されるやうになつたのも亦鷗外の尽力であつた。此の貴重な秘庫を民間奇特者に解放した一事だけでも鷗外のやうな学術的芸術的理解の深い官界の権威者を失つたのは芸苑の恨事であつた。》(p373)

おなじみの正倉院展が鷗外のアイデアで始まったとは知らなかった。

by sumus2013 | 2022-07-11 17:16 | 古書日録 | Comments(0)
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