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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


渡来人の人口はどれくらいか

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高麗美術館の石造武人



『高麗美術館報』122(高麗美術館、二〇二二年五月一日)に興味深い記事が載っていた。井上満郎(同館館長)「日本のなかの渡来文化3 渡来人の人口はどれくらいか」。

日本にどれくらい渡来人がいたのかと問われることがよくあるという。その答えは「わかりません」。しかし算定した例もある。

《自然人類学者の埴原和郎[はにはらかずろう]さん(一九ニ七〜二〇〇四年)です。方法は単純でして、渡来人の大量渡来直前の縄文時代晩期人口約七万五千人から、飛鳥時代人口約五四〇万人が達成されるためには、この間の千年間に一五〇万人の列島外からの渡来がなければならないと推定され、そうなると飛鳥時代日本人の八、九割までもが渡来系だ、と結論づけられました。今となっては補正すべき点も多くあるのですが、渡来人がごく少数で、また他者として日本列島に存在したのではないのだということだけは、この数字からもはっきりと知ることができます。》(p6)

一方、井上氏は文献の記述を手がかりに推定したという。『新撰姓氏録[しんせんしょうじろく]』には1065の氏族が皇別・神別・諸蕃に三分類されている。諸蕃326氏が渡来系である。全体の三割にあたるから、単純に三人に一人が渡来系という計算になる。

《私たちは渡来人といえば、まして近時まで使われていた「帰化人」といえばいっそうのこと「外国人」に結びつけます。そこからさらに、多数の自国人と少数の他国人、またさらには大部分を占める日本文化と、ごく一部分でかつ異質な外国文化、そのような対比にまでもっていってしまうのではないでしょうか。
 けっしてそうではないので、埴原先生と私の出した数字だけをとっても、日本列島にはさまざまな民族や文化が行き交い、重なり合っていたことを知ることができます。それらが多様に「重層」して、日本列島は豊かな歴史と文化を刻んできたのです。》(p6)

ごくふつうに「顔」を較べて見ても、アジア各国の人たちと似ている日本人がほとんどである。渡来系八〜九割説は大いにうなずけるものだ。だいたい縄文人が原日本人かどうかも分からない。人類は発生して以来ずっと流浪しているわけだから、何国人などという分類は意味をなさないような気がする。しかしそれが大いなる幻想となり、不幸の種になるのだから、やりきれない。「みな兄弟」といいながら戦車で蹂躙しようとする、あるいはこの事実にこそ人間の本性があるのかもしれない。LOVE & HATE。

by sumus2013 | 2022-06-10 18:04 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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