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ふるさとを憶う

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ふるさとを憶う――宮本常一ふるさと選書第2集
編集 柳原一德
編集協力 宮本常一記念館
監修 森本 孝
装幀 林 哲夫
発行 みずのわ出版
2022年5月30日発行
定価1,200円+税金

菊判(227mm×152mm)並製本 カバー装 扉共紙
カバー ヘリオスGA 四六判Y目 135kg  ナチュラル 
表紙  気包紙-U-FS  K判T目147.5kg 
本文 b7ナチュラル 四六判T目79kg 


「私のふるさと」(一九四七年執筆)より「村の家」の一部。

《海に接して住んでみると、海は平和であるとともに怒りやすかった。そしてときどき人々の生活をおびやかしたが、次第に丈夫な石垣を築いて、そこに新しい村をつくっていったのである。しかも村の中でいちばん大きく変わっていったのは、いちばんさびしかった一面の松原と墓原であった村の西はずれであった。》(p65)

《桶屋の西がラムネ屋であった。これも明治の終りにそこへ家を建てたのであろう。やはり子供たちには魅力の多い家であった。ラムネのほかにふくらしゴムや、あぶり出し絵など売っていた。その家がいつか留守のつづいた時、友の一人が親類だから行こうやと言って、留守の家の中へ入ってラムネをのんだことがある。のみたくても金がなくていつも見てはすぎ、あの栓をぬく時の音と泡の出るのに特別の魅力を覚えていたのを初めてのんでみて、とてもうれしかったことがある。私のほかにも子供がそうしてその家へ入ってラムネをのんだのだが、後でたいへんなことになった。その家はその子の親類でも何でもなく、泥棒をしていたのである。その後、その家へ雨の降る晩に本当の泥棒が入って、自分も同様のことをしたのを恥ずかしく思ったことがある。》(p70-71)

《お宮の鳥居のあたりなども元はよい子供の遊び場で、昼間は石段の上の運動場であそんでいるが、夕方になるとおりて鳥居のあたりであそぶ。鬼事(鬼ごっこ)をしたり、陣取りをしたり、「ごぜの隣りに誰がいる?」をしたり、そこには子供の遊戯のあらゆるものが見られた。春さきにはここへ人形まわしが来て、人形をまわして行くことがあった。一人で浄瑠璃を語りつつ人形を操るのである。猿まわしも来た。道路が広げられて自動車た通るようになってからは、子供もここであそばなくなった。
 一つには飴屋は飴を売らなくなり、菓子屋はなくなり、桶屋もその親が死んで東の本家へかえり、ラムネ屋は商売をかえてコンニャク屋になり、ランプ屋も商売をやめ、彫刻師も村を去って、そのあたりには子供の心をひくようなものが乏しくなったのである。》(p76-77)

《ランプ屋のあとは飲食店、自動車のガレージ、喫茶店ができた。戦後、島に国鉄バスが通るようになって、喫茶店のまえにはバスの駅もできた。
 彫刻師の家とその西にあった漆器店は、二つの屋敷を一つにして百貨店になった。それから西、もと墓地であったところの変わり方ははなはだしい。農協・銀行・石油店・テレビ屋・写真屋そのほか新しい商売を営むものが、ここに集まった。そして、そこが村の中心になってきたのである。》(p78)

《この大きな変化は、そこにかつてあったいろいろの伝承のほとんどを消してしまった。こうして民衆は一方においては古いものに引きずられつつも、他方ではまた大きな犠牲を強いられつつ、ぐんぐん自らを新しくしていっている。》(p78)


by sumus2013 | 2022-05-22 17:29 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)
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