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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


澁澤龍彦滞欧日記

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『澁澤龍彦滞欧日記』(河出書房新社、一九九三年二月五日、装丁=菊地信義)読了。澁澤龍彦は四回ヨーロッパ旅行を試みた。一九七〇、七四、七七、八一年。《いずれの旅にも市販のノート一冊ずつを持参し、ほとんど一日も欠かさずに日記をつけていた》(p5)。そのノートの内容をほぼ全て収録したのが本書である。旅行時の写真も多く付されている。

小生が初めてヨーロッパへ行ったのもちょうど同じ頃だ。七六年。その後、八〇年には、ほぼ一年間ヨーロッパをぶらぶらしていた。澁澤の日記から感じられる空気(人々の対応だとか、各国の町の様子)がどことなく懐かしいのはそのせいだろう。

ここでは例によって古本屋の記述だけを取り上げる。澁澤は翻訳者というわりには血眼になって古本屋をかけずりまわるようなそぶりは示さない。そんな見苦しいことは必要ない、日本から注文する程度でまかなえるということなのか、どうか。そんななかで注目すべき古書店は「マンドラゴラ」である。いかにも澁澤好みの書店名ではないか。一九七〇年九月二五日。

《朝、高橋睦郎の同僚でサン・アドに勤める国松君が部屋へくる。イギリスから昨日帰った由。三人で街へ出る【引用者註:もう一人は妻龍子】。小生は片山正樹氏に教わったグラン・ゾーギュスタン街の書店「マンドラゴラ」に行きたくて、二人を連れてサン・ミッシェル橋まで地下鉄で行く。
「マンドラゴラ」の親爺はヒゲを生やし、パイプをくわえ、ラジオのクラシック音楽に合わせて小声で歌っている。片山氏が手紙を書いてきた人物とは違った感じ。
おもしろい本がある。ユーグ・ルベル、モーリス・マーグルなど。「オキュルティスム関係の本はないか?」と言うと、上の棚をさし、椅子の上にあがって探せ、と言い、椅子を出してくれる。その上にあがって丹念に本をしらべる。
レオ・タクシルの珍書(八〇フラン!)をふくめて全部で十二冊、二五〇フランばかりの買物をする。
大きな本の包みをかかえて外へ出るが、二人がなかなか来ないので非常にいらいらする。骨董屋から銀行へ行っていた由。》(p49-50)

さらに同年一〇月一四日、いよいよパリ最後の日。

《Kieffer書店でレオノール・フィニーを買う。親爺と握手する。さらに近所のマンドラゴラ書店で最後の買物。一一〇フランほど。親爺に「来年もまた来るよ」と言って、握手して別れる。
結局、パリでは五〇冊ばかりの本を買ったことになるらしい。》(p91)

そして七七年六月二九日(七四年の日記には言及がなかったように思う)。

《それからまたバスでマンドラゴラへ行くが、看板は出ているのに店はすでになかった。つぶれたのかもしれない。》(p209)

グラン・ゾーギュスタン街というのはセーヌ川沿いのグラン・ゾーギュスタン河岸から南へ路地を入ったあたり。個人的な印象では高級そうな古書店が何軒かひっそりと営業している地域である。マンドラゴラ書店をフランス語で書けば「Librairie La Mandragore」となるが、実際そういう名前だったのかどうか(澁澤さん、原文で書いておいてよ、と言いたくなります)。Kieffer書店は現在も営業中のようだ。マンドラゴラの方は、フランス中央部のソーヌ=エ=ロワール県のシャロン=シュル=ソーヌという町にこの名前の古本屋があることが分かるていど。

二日前の六月二七日にはロリエ書店をのぞいている。

《今日も fnac は休みなのでソルボンヌ近くの古本屋を見ようということになり、サン・ミッシェル、ル・プランス街などを歩き、Bernard Loliée という古本屋で Cocteau の Grand Écart[コクトーの『大股びらき』]の挿絵本を買う。五〇〇フラン、この店はシュルレアリスムや現代文学の初版本、豪華本などが多く、眼の保養になった。カタログをもらい、住所を記して辞す。》(p206)

「fnac」はフナック。西ヨーロッパを中心に店舗展開している書店チェーンでモンパルナスに巨大店舗を構える(本社はパリ近郊)。本だけでなくCDや映像ソフト、ゲーム、情報器機なども売っている。ベルナール・ロリエは一九五五年からセーヌ街72で二〇〇四年まで営業していたフランス近現代文学の専門店。小生の知人某氏からもこの本屋の優秀さは聞き及んでいるが、小生などには無縁の店で、外からショーウィンドウを覗いてため息をついたくらいだ。ただ、この記述を読むと澁澤龍彦はさほど古書通ではなかったことが分かる。まあ、ファン心理で見れば、それがいかにも澁澤龍彦の軽さに似つかわしくていいのかもしれない。


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たまたまロリエ書店の目録を架蔵している。ただしこれは Erwan de Krangué の名義。エルワン・ド・クランゲ氏はロリエの後継者のようで、現在も旧ロリエと同じ住所で Librairie Erwan de Krangué を経営しているようだ。

もうひとつ、本書には一枚の新聞紙の切抜きが挟まれていた。それは『日刊ゲンダイ』(一九九三年二月二五日付)の「新刊読みどころ」(狐)である。読み巧者「狐」はこう書いている。

《しばしば誤解されているように、澁澤龍彦の嗜好(しこう)はヨーロッパ文化のなかのオポジション、すなわち正統に対する異端だけに向かっているのではない。もっと自在で柔軟な理知と感覚とに支えられていることが、それらの文章にうかがえた。》

サド裁判で有名になったものの、澁澤龍彦という人は意外とまっとうな知識人だったということであろう。同感である。サド侯爵だって、ある時期は、まっとうなシトワイヤンだったのだし、ひとつだけのイメージで決めつけてはいけません。

by sumus2013 | 2021-07-28 20:12 | 巴里アンフェール | Comments(0)
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