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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


月の輪書林古書目録十八 堀紫山伝

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『月の輪書林古書目録十八 堀紫山伝』(二〇二一年七月六日)が届いた。A4判フルカラー。出品は書簡や原稿がほとんどなので、カラーで再現されたリアル感がたまらない。以前少し前宣伝をしておいたが、ようやく完成にこぎつけた。なんと、六年八ヶ月ぶりの自家目録だとのこと。そんなに経ってしまったか。

堀紫山は文久三年(一八六三)常陸国(茨城県)下館生まれ。本名成之(なりゆき)。父直竹は下館藩弓術師範、維新後は日本橋で弓道場を開いていた。成之は栃木県師範学校卒、英学塾同人社に学び、漢文漢詩もよくした。明治二十三年、読売新聞入社。尾崎紅葉と親しく付き合い、小説も執筆。大阪朝日新聞社に移った後、読売新聞社に復帰。三十五年秋頃二六新報に移籍。名文をうたわれ雑報欄記者として第一人者であった。妹の美知子は堺利彦と、下の妹保子は大杉栄と結婚しているが、両者の運動には直接関わらなかった。……とこれは月の輪さんの猛勉強ぶりがうかがえる堀紫山研究ノート(本書所収の「堀紫山宛着信録」)より。


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「堀紫山宛着信録」


本目録には堀紫山と関係のあった六十人ほどの尺牘および原稿・草稿類が収められている(もちろん購入できます!)。構成は以下の通り。


・陶友会集合写真(筒井年峯撮影作品)明治39年7月22日撮影
・堀紫山の痕跡
・尾崎紅葉とその仲間たち
・紫山の『大阪朝日新聞』時代
・紫山の「狂詩」狂時代
・紫山の新聞社転々
・紫山交遊録
・医学出版社「有朋社」の失敗
・「社会主義の親戚」の周辺
・硯友社「薄倖なる奇才」からの手紙
・堀紫山宛着信録
・書簡明細

白眉はやはり大杉栄と堺利彦であろう。明治時代はまだまだ毛筆墨書という書簡や原稿が多いのだが、二人は社会主義者らしく(?)ペン(万年筆)を常用していたようである。これがまた難読なのだ。毛筆の草書をペンで描くと、判読がきわめて難しくなる。全点、釈文付だが、とくに大杉栄はナンブツ、よく読んであると思う。


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大杉栄の葉書



絵描きの名もある。結城素明は年賀状、鏑木清方は封筒だけだが、作家やジャーナリストばかりのなかに置いてみると、やはり絵描きらしい柔らかさを感じさせる筆付きである。

堀紫山は昭和十五年三月十六日に死去した。子息はこう書き残している。

《若干の漢籍と掛け軸などの他は全く遺産とて無く、その代わり借金も無いといういかにも清貧の父らしい生涯であった。》(堀秀央『変動の時代』)


月の輪書林

by sumus2013 | 2021-07-10 20:10 | 古書日録 | Comments(2)
Commented by at 2021-08-11 10:43 x
山口さんも坪内さんの亡くなられてしまいましたけれど、立派な仕事をされました。あっぱれです。早く内容と出てくる人物を見たいものです。
Commented by sumus2013 at 2021-08-11 17:01
おっしゃる通りですね。とくに坪内さんはまだまだ仕事ができただけに惜しまれます。
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