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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


ニューヨーク読本 I

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常盤新平選『ニューヨーク読本 I ニューヨークを知る』(福武文庫、一九八六年七月一五日)。『ニューヨークの古本屋』が良かったので常盤新平をぽつぽつ拾っている。「解説」によれば、ニューヨーク好きなのでいつしかニューヨークに関するアンソロジーを編んでみたいと思うようになったそうだ。ところが、探してみると、戦前にはニューヨークは関心の外だったらしく、ほとんど見つからない。かろうじて本書に収録された小泉信三、土岐善麿、永井荷風を数えるのみだとか。そんなこともないと思うが、ある程度のクオリティでまとまったものとなると少ないかもしれない。

戦後も七〇年代までは乏しい。ニューヨークは遠かった。本書収録の立花隆「ニューヨーク'81」(データによってNYを浮き彫りにしたレポート)が書かれてからニューヨーク・ブームに火がついたとも。三島由紀夫が戯曲を上演するため渡米したときのドタバタを描いた「ニューヨーク貧乏」(一九五八)は面白い。三島のナンセンスぶりは芝居になるくらい。

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本書には本屋がほとんど出て来ないのが残念。古本屋の写真が掲載されているのが救いだ。一カ所、小泉信三の「渡米日記」にこうあった。一九三六年のこと。

《書肆ブレンタノに立ち寄り、本を三四冊買う。ホテルに帰って読みふける。夕食も部屋へ取り寄せて食いつつ読む。》(p254)

喫茶店については山崎正和「グリニッチ・ヴィレッジにて」でかなり詳しく描写されている。こちらは一九六四年の見聞。

《ヴィレッジ・サウス劇場を出た私は、グリニッチ・ヴィレッジを西から東の端まで突き抜けて、三番街の角にある小さな喫茶店へ足を運んだ。》(p148)

《小さな喫茶店は、これもまた道路から階段をふたつみっつ降りたところに入口があって、床は剥き出しの煉瓦をそのまま敷きつめただけである。どこから集めたのか、まわりの壁には天井から床まで古い芝居や音楽会のポスターがびっしりと張ってあって、そういうところがちょっぴりこの店のスノビズムを匂わせるのだが、それでもヴィレッジもこのあたりまで来るとほんとうにむぞうさな、昔のおもかげが残っているのだそうだ。面白いのは部屋の一隅にピアノがあって、いつ見ても蓋があけてあるのだが、どうもきまった演奏者がやとってあるわけではなさそうだ。ときどき黒人の大きな男や肥ったおばさんがはいって来ては、派手に数曲弾き流して店の主人に冗談口を叩いて行ってしまう。》(p149-150)

街角ピアノならぬ店内の自由ピアノである。

《アメリカでほんとにうまいコーヒーを飲みたければこのあたりに来るほかはない。もっとも町のキャフェテリアで、一五セント出せば何杯でもおかわりをくれるあのコーヒーを、日本流にコーヒーのつもりでまずいなどというのはまちがっている。あれは日本の麦茶のようなもので、もともと味わうためではなく咽喉の渇きをいやすために飲むものである。その代りこの辺の喫茶店へ来ると、私などメニューを見ただけでは見当もつかないようなコーヒーの名がずらりと並んでいる。
「キャプチーノひとつ」
 肉桂の香りのあるこのイタリア風の濃いコーヒーは、大きなコップにたっぷりとはいって来るところなど、どうも近代アメリカ人の発明にかかるものであるらしい。ローマへ行って「キャプチーノ」といったら、ドミタッセにはいった普通のコーヒーを持って来たからそう思うのだが、もちろん私のイタリア語は完全にゼロだから保証のかぎりではない。》(p150-151)

「キャプチーノ」の表記が時代を感じさせる。もちろんカプチーノはイタリアで考案された(一九〇六年)もので、日本へはアメリカ経由で入って来たため、九〇年代にシアトル系のカプチーノが普及するまでは、ここにも記されているように肉桂(シナモン)の味付けになっていた。もちろん《普通のコーヒー》ではなくエスプレッソに泡立てた牛乳を加えたものを指す。

《小さな喫茶店はいつのまにか混み始めていた。七五セントのコーヒーに一五セントのチップを置いて、私はもう一度ヴィレッジの西の方へもどることにした。》(p160)

三冊出ているそうだからあと二冊も探してみたい。


by sumus2013 | 2021-07-01 19:24 | 喫茶店の時代 | Comments(0)
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