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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


総特集・安野光雅1926-2020

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『ユリイカ』臨時増刊号、第53巻第7号(青土社、令和三年六月三〇日)が届く。「総特集・安野光雅1926-2020」。安野光雅の交遊の広さを語るようにさまざまなジャンルの人々が追悼文を寄稿している。そのなかに小生の名前もある。原稿依頼があったとき、坪内祐三追悼号ならともかく、安野氏にはお会いしたこともないし、断ろうかと一瞬思ったけれど、めったにないことなので「虚実を遊ぶーー『空想工房』再読」という形で安野の最初のエッセイ集『空想工房』を中心にその絵と言葉との関係について考えてみた。

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届いたばかりで、まだざっとめくっただけだが、意外だったのは、安野が『ユリイカ』の表紙を担当していたことだ。一九七八から七九年にかけて増刊号も含め二十六冊手がけている。なかでも「特集=植草甚一氏の奇妙な情熱」(一九七八年一一月一日発行)の表紙は印象深く脳裡に刻まれていたのだが、安野光雅デザインだとは気付いていなかった。やはり『ユリイカ』ということを意識してか、いわゆる安野調は控えめにしているように見える。

全体の感想は一通り読んでからにします。


***


「総特集・安野光雅」なんとか読み終わった。そうとうなボリュームである。さまざまな側面から安野光雅の人柄とその多彩な活動にスポットを当てようという試みだから、執筆者それぞれ、安野との距離がまちまちで、それはそれで陰翳というかムラがあって、記事の流れにもメリハリがついている。ごく大雑把に言えば、友人、編集者、教え子、その他。

もっとも興味を惹かれたのは、当然ながら、松原茂「安野光雅本を探して」だ。松原氏は安野光雅未公認サイトを運営している。『ABCの本』(福音館書店、一九七四年)をきっかけに安野の著書蒐集が始まり、さらに装幀本、共著書、挿絵担当本へと範囲が広がっていったという。記名のない装幀本や無名時代のカットを執念と推理で発見するくだりには共感することはなはだしい。

安野光雅未公認サイト

ほかには童話屋の田中和雄氏が「いつもジーンズで」のなかで『魔法使いのABC』出版の発端を語っているのが面白い。ある日、安野が店にやって来てコーヒーに誘われた。そこで円筒形のミラーに映すと正常に見える「ひずみ絵」を見せられた。

《それからまじまじとぼくの顔を見て「面白い?」と聞くので「はい、面白いです」と答えると、「それなら決まった。この絵本をきみのところで出版しよう!」と言うではありませんか! ぼくは間髪を入れず、「はい、そうしましょう」と答えていました。》(p320)

《絵本のタイトルは「魔法使いのABC」と決まりました。「初版は何冊ぐらい刷るものでしょう」とぼく。「そうさな、三万も刷っとけや」と安野さん。「はい」とぼく。》(p320)

初刷三万は破格の数字である。だが、安野には企みがあった。

《本ができ上がったある日「テレ朝に行って『徹子の部屋』で宣伝してくるよ」と言って本をかかえて出かけていきました。しばらくすると『徹子の部屋』で、円筒ミラーに映る絵を見て、のけ反る黒柳さんの大写しと、アハハと口で手を押さえて笑う安野さん(内緒ですが安野さんは入れ歯で笑ったとたん飛びだしてしまったこともありました)がえんえんと放送されました。番組が終った直後から注文の電話が殺到しました。三万冊の初版は瞬くまに売れてしまし、ひと月もしないうちに再版になりました(なんだ、出版なんて簡単なことではないか、と思いました)。》(p321)

一九八〇年のことにしても『徹子の部屋』の威力はすごい。これで味を占めた二人は続編『魔法使いのあいうえお』をすぐに刊行したのだけれども……(詳しくは本書にて)。

安野の絵本出世作『ふしぎなえ』(福音館書店、『こどものとも』一九六八年三月号)のときも福音館書店の初代編集長松居直(松居は、当時、小学校の図画教師だった安野の教え子の保護者であった)を呼び出してエッシャーの絵を見せた後、これを絵本にしたいと切り出したという(正確には本書に掲載の藤本朝巳「安野光雅と佐藤忠良、そして教科書作り」参照、p292-293)。安野光雅の周到な売り込みパターンが分かるようで興味深い。

他には山崎一穎「津和野の人ーー森鷗外とともに」で『即興詩人』の鷗外訳、大畑末吉訳、吉井勇訳、そして安野光雅訳が比較されているのも目にとまった(御存知のように翻訳問題に惹かれるたちなのである)。ヴェネチアの俗謡「人生の短さと恋愛の幸せ」(吉井勇のアレンジしたのが「ゴンドラの唄」)をどう訳したのか。ごく一部だけ取り出してみると、こんな感じ。

鷗外訳
《朱の唇に触れよ、誰か汝の明日猶在るを知らん。恋せよ、汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き間に。白髪は死の花にして、その咲くや心の火は消え、血は氷とならんとす。》(p125)

吉井訳
《いのち短し 恋せよ乙女
紅き唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを》

安野訳
《朱[あけ]の唇よ
明日の命を 知らぬ者よ
恋せよ 心の若く
君の血の熱いうちに》

吉井勇、ニクすぎる。安野は現代口語を念頭に置いてストレートだ。画風にも通じるか。

これら以外の記事にも、やはり、追悼文というのは特別なのか(あるいは文というのはなべて追悼の意で執筆すべきなのか)、読ませる文章が多かった



by sumus2013 | 2021-07-02 17:39 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)
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