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パンの會

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野田宇太郎『パンの會』(六興出版社、昭和二十四年七月十日)、これは善行堂にて。なぜか『喫茶店の時代』執筆時には目に入らなかったため引用していないが、いろいろ増補したいような情報が詰まっている。ここでは青木堂が出ているので、その部分だけメモしておこう。

まずは扉の挿絵が《昭和三年四月写於本郷/青木堂廻廊金具》と題されている。この絵は見た覚えがあったが、ここに描かれていたものだったのかと納得する。


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もうひとつは木村荘八が描くところの「パンの会」の情景である。パンの会というと必ず取り上げられる有名なものだ(本書の表紙もそのためのデッサン)。初め、昭和二年、東京日日新聞連載「大東京繁昌記」の下町篇として吉井勇が「大川端」を書き「瓢箪新道」と題して三州屋のパンの会の思い出をつづった。そこに挿絵を付けたのが木村荘八だった。荘八は昭和三年にそれを三十号の油絵として制作、第六回春陽会展に出品した。それがたちまち展覧会の呼物となったのである。

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荘八自身はまだ中学生だったため「パンの会」については兄の木村荘太(『新思潮』同人としてパンの会に関係していた)から話を聞くだけで、憧憬を抱いていた。だから実態を直接には知らなかった。画面に登場している人物はそれぞれ特定できるが(省略)、一人だけ、三味線を弾いているのは荘八自身であって、少年時代の夢を叶えたかっこうになっている(ルネサンス絵画によく画家が画中人物として登場するが、それに倣ったものだろう)。問題はこの会場のモデルである。

《大正十二年の大震災により東京は内外共に面目を一新し、三州屋の面影とてなかつたので、親交のあつた木下杢太郎などの助言によつて三州屋の面影がやや偲ばれた本郷三丁目の青木堂(八)二階をモデルとした。そして、三州屋になぞらへて畫の全面左寄りに窓外の夜闇を寫し、そかから川風の匂ふ感じとした。室内の夜景であり、未だ瓦斯燈の時代であるので瓦斯の光を出すのに腐心した。》(p177)

《(八)本郷の大學に近い青木堂は東京ではじめて珈琲を飲ませた店であり、當時の帝大生や一高生に親しまれたのであつたが今回の大戦による空襲のために附近一帯と共に灰燼と化してしまつた。》(p183)

ということで青木堂二階の雰囲気がここに投影されているそうだ。青木堂の最後も明確に書かれていた(これについては別の資料から『喫茶店の時代』にも引用している)。

ただ石井柏亭(パンの会の常連)は「パンの会」の油絵に対して違和感をもったようだ。

《柏亭は「木下杢太郎追憶」の中に「木村荘八のパンの會の圖は三州屋の光景を傳へ聞いて畫いたものであらうが、それは少し陰惨になり過ぎて居た。『食後の唄』に挿まれた杢太郎の戯畫の方が、經驗者であるだけに多少其趣を傳へて居る。私などが本氣で畫けば寫實的なものが出來た筈であるが、どう云ふものかスケツチすらして居ない」と書いてゐる。》(p179)

今にいたるも木村荘八のイメージが「パンの会」の雰囲気を決定しているのは、じつは少々問題があるのかもしれない。



by sumus2013 | 2021-05-19 20:29 | 喫茶店の時代 | Comments(0)
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