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ポルトガルの港町で築添正生『いまそかりし昔』 『大和通信』第一一七号(海坊主社、二〇二一年三月二五日)が届く。丹尾安典「逃したのがイノチ吸われる」は國吉清尚という陶芸家の母親との交流について。そして井上章子(扉野良人氏の母上)さんが「ポルトガルの港町で」と題して築添正生さんの回想をつづっておられる。 《築添さんと私は、東山の南麓にある日吉ヶ丘高校同窓で、私は普通科だったが、築添さんは美術コースの西洋画科。その穏やかな風貌はどこか浮世離れしていた。》 等さん(章子さんの夫、すなわち扉野氏の父上)の兄・秋野亥佐牟がネパールから帰国、拓本展を開いたとき(一九六八年春)、築添さん、亥佐牟さん、等さん、章子さんたちは徳正寺で明け方まで飲み語らったそうだ。 《当時のカトマンズはビートニクの聖地で、その思想に出会い解放されたと兄は語った。しかしこの日本にはもうウンザリしたらしく近々脱出するとのこと、私たちにも放浪をすすめた。 等は70年安保にむけての学生運動の高まりのただ中にいたので「ヒッピーは、自由を履き違えている」とか言って口論(兄弟喧嘩?)してたな。 そう『自由』、私たちは痛いほど自由を求めていた。 築添さんは「横丁の煙草屋までもが僕の放浪」といった風情で、静かに美味しそうに呑んでおられた。》 金工家になった築添さんは近江石山に工房を持った。 《根気のいる仕事の一段落に、ときどき京都に出没。 河原町界隈のギャラリーを巡り、寺町の古本屋を覗きながら、三蜜(仏教用語)堂あたりでふと徳正寺を思い出されるのか、ふらりと現われた。 寺の庫裡に陶房を作りつつあった等は、築添さんの顔を見るや否やグラスを取り出し、積まれた耐火煉瓦を机にしてお酒をすすめた。道すがらみつけた古本や、落語のSPレコードを、あるときは等が昨夜研いだ鑿や鉋の刃を眺めながら、「これらが肴」と呑んでおられた。 煙草はゴールデン・バット、パッケージが懐かしく、その両切りの一本をよく無心した。 築添さんは、今をときめくものより、時代からとり残されたもの、人知れず滅んでゆくようなものに親しみを持っておられたように思う。》 そんな築添さんが行ってみたい国はポルトガルだったそうだ。 《終電車に間にあうよう門前に見送るとき、等はいつも「今度はポルトガルで呑もな」と背に声をかけた。 築添さんは片手をひらひらさせるか、シャポー(ハンチングが多かったかな)のときはツバを少し持ち上げ、四条通りに消えてゆかれた。 築添さんも、私たちもポルトガルへは行かずじまいだ。》 築添さんの風貌、立ち居振る舞いを彷彿とさせる文章で、等さんじゃないが、また築添さんと呑みたいなと思わないではいられない。亡くなられてちょうど十一年になる。
by sumus2013
| 2021-03-19 17:21
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