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玉電松原物語![]() 年末に求めて正月に読み終わったのが、坪内祐三『玉電松原物語』(新潮社、二〇二〇年十月十五日)。『慶応三年生まれ七人の旋毛曲がり』とはまったく正反対に始めから終りまで(といっても連載途中で急逝したわけだが)、坪内自身にまつわる記述で占められ、坪内の育った世田谷、玉電松原界隈の思い出がかなり細密につづられている。 坪内は、三歳のとき、初台から世田谷区赤堤3丁目28−26(最寄駅は、玉電松原、京王線下高井戸、小田急線経堂)へ引越し、そこで育った。その赤堤に暮らしたことのある人間なら共感するところもはなはだ多い内容になっている。巻末に「燃える牛と四十七の扉」を寄稿している吉田篤弘のように同じ赤堤小学校の後輩だったなら、これほど面白い本はないだろう。燃える牛! すごい光景が昭和三十年代の世田谷で見られた。 坪内は、これまでも、多くの著作のなかで自らの幼少時代や青春時代を語ってきており、それらはそれぞれの著作に膨らみを持たせる、「私評論家」としての、〈作法〉として際立っていたように思うのだが、本書は徹底して自分のことだけを集中的に語っている。だが、それが善し悪しなのだ。どうしても部外者にはスッと入ってこない話題がつづきがちになる。 ただ、例えば、坪内は大学院を出た後の無職時代に(一九八六年?)「玉電松原物語」と題する七十枚の短篇小説を仕上げて『新潮』新人賞に送ったと告白している。記憶によって再現されたその書き出しは次のようなものだ。 《本屋の安さんはいつも人民服を着ている。人民服といったって本物のではない。ただ忠三(主人公の名前ーー引用者注)の眼にそう見えるだけだ。 安さんの御自慢は三船敏郎と同い年であることだ。そのことを聞いた時忠三はひどく驚いた。なぜなら安さんの方が三船敏郎よりひとまわりは年上だと思っていたから。 安さんは自転車で本を配達する。安さんの乗るその自転車はキーコ、キーコと音をたてるが、それが安さんに似合っている。》(p64-65) ここを読んで「これだよ」と声を出しそうになった。「玉電松原物語」をこういう風に書いてくれれば、もっと親しめたろうにと惜しいような気がする。 むろん、坪内は小説家ではないので、そうは書きたくなかったろう。ミニマリズム風に淡々と記憶(およびその確認)を積み上げるスタイルにこだわる気持ちもよく分る。いずれにせよ、今後の坪内祐三研究には欠かせない重要な書物であって、個人的には、坪内少年の〈過剰さ〉に注目した。例えば、 《私は大のマンガ少年だった(日本一と自負していたこともある)。》(p68) というくだり。週刊および、月刊少年マンガ誌(六誌あった)はそのすべてを買っていたそうだ。あるいは、 《少年時代の私は大の牛乳小僧で、毎日、二十本ぐらい飲んだ。その内三本はコーヒー牛乳だった。》(p77) とか。または、ある時、家の庭で怪我した百舌を見つけたことがきっかけで鳥を飼い始める。元気になった百舌は母が放してしまった。 《だから今度は合法的にと思って小鳥屋に行き、十姉妹を買った。 それがやがてセキセイインコになり、その数は五十羽を越えた。》(p121) さらに次には猫を飼い出して、これも最盛期には二十匹以上いたそうである。どうだろう、この過剰さは、生来のものかもしれないし、家庭の環境にもよるのかもしれないけれども、例えば「漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代」を描こうとする〈無謀さ〉に通じないだろうか。坪内の目指すヴィジョンは常に壮大なものだった。それは、本書の扱う極小の地域=玉電松原界隈で胚胎された…… そうそう、人・時・場所の交錯ということでは、本書にも好例が出ている。場所は経堂の遠藤書店だ。時は一九七〇年代。一九六六年に経堂に引っ越してきた植草甚一と、新井薬師にあった遠藤書店をよく利用していて、経堂へ移った同書店をたまたま見つけて主人と話し込んだ都筑道夫、そして坪内自身(小学校五、六年生頃に初めて遠藤書店に入った、これは一九六九、七〇年頃になるが、大学生のときに最もよく通った)。 《経堂の「遠藤書店」で植草甚一と都筑道夫が偶然顔を合わせていたかもしれないと考えただけで私はワクワクする。しかもそれを中学生だった坪内少年が目撃していたなら(もっとも中学生の私は植草甚一の顔はともかく都筑道夫の顔は認識出来ていなかったのだが)。》(p55) 〈ワクワクする〉、この感じが坪内の執筆活動の根本にいつもあったようだ。
by sumus2013
| 2021-01-13 20:22
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